2020年2月 Archives

「●写真集」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【966】 ブラッサイ 『やさしいパリ

アイドルの時代がピークを過ぎたことが休刊の原因か。今のアイドルって全然〈偶像〉ではないなあと。
平凡 最終号_7905.JPG 平凡 元気にさよなら THE HEIBON FINAL.jpg 3平凡 最終号_7915.png
平凡 元気にさよなら THE HEIBON FINAL 保存版 1987年12月 [雑誌]』/山口百恵 photo by 西郷忠隆
1945年12月号(創刊号)/1955年03月号/1963年11月号
月刊平凡 創刊 1945.jpg月刊平凡 1955-3.jpg月刊平凡 1963-11.jpg マガジンハウスという出版社は、1983年に平凡出版から社名変更しましたが、「週刊平凡」(1959年創刊)や「平凡パンチ」(1964年創刊)といった雑誌をよく知る世代は、平凡出版という社名の方がこれらの雑誌とリンクしやすいかもしれません。この平凡出版という社名は、1954年に凡人社が組織変更されて生まれたもので、その凡人社の創立が1945(昭和20)年であり、その年の11月に月刊「平凡」が創刊され、当初は文芸誌としてスタートしたのが、やがて大衆娯楽誌、アイドル雑誌へと変遷していきます。

平凡 最終号_7907.JPG 本書は、その月刊「平凡」の最終号(1987(昭和62)年12月号)で、アイドルたちの写真特集の集大成になっています。基本的には、一人一人のアイドルについて、一人のカメラマンがある一時期に雑誌の特集として撮った一連の写真で構成されています。取り上げられているアイドルは以下の通り。

斉藤由貴 photo by 松本国彦/小泉今日子 photo by 嶋陽一/荻野目洋子 photo by 小堀篤信
1平凡斎藤.png1平凡小泉.png平凡 最終号_7914.JPG 男闘呼組/南野陽子/仲村トオル/C-C-B/斉藤由貴/渡辺美奈代/チェッカーズ/小泉今日子/中森明菜/吉川晃司/少年隊/渡辺満里奈/荻野目洋子/シブがき隊. 山口百恵/薬師丸ひろ子/近藤雅彦/中山美穂/桑田佳祐/芳本美代子/とんねるず/菊池桃子/松田聖子/C.B.C.B./本田美奈子/西村知美/光 GENJI/田原俊彦

山口百恵 photo by 西郷忠隆/中山美穂 photo by 松本国彦
1平凡山口.jpg1平凡中山.png こうしてみると、引退したりいなくなったりしている人もいるけれど、今も頑張っている人も結構いるなという感じです。でも、アイドルという視点でみると、当時においても「ちょっと前」の姿ということになる人が殆どでしょうか。山口百恵は1980年に結婚引退しているし、松田聖子は1985年に結婚、まあ、翌年、神田正輝との間の長女・沙也加を出産後も、すぐに休業前と変わらず"アイドル歌手"として活躍はしたけれど...。

 松田聖子(1979年デビュー)に限らず、デビューして間もない頃の写真を集めているので、当時としても懐かしく思えたのではないでしょうか。「最終号」「保存版」というコンセプトには沿っているように思いますが、今見ると「過去完了形」みたいな二重の時制を感じます。 

平凡 最終号_7908.JPG1平凡1960-70.png1平凡1917-80.png 合間に、総集編として、Ⅰ.1945~1959、Ⅱ.1960~1970、Ⅲ.1971~1980、Ⅳ.1981~1987 というコーナーが挟まっていて、歴史ある雑誌の全体の振り返りとなっていて、この中で、例えば50年代であれば、石原裕次郎と美空ひばりのツーショットや美空ひばり・江利チエミ・雪村いづみの三人娘、60年代であれば、1平凡ピンクレディ.png橋幸夫・舟木一夫・西郷輝彦の御三家、70年代であれば小柳ルミ子・南沙織・天地真理の新三人娘やピンク・レディーなどの写真も見られます。

 ただ、「本文」とも言える写真集成の方は、先に述べたように"少し前までアイドルだった人"、つまり70年代終わりからから80年代にかけてのア1平凡山口2.pngイドルが中心になっていて、いつの時代にもアイドルというのはいたのでしょうけれど(そのアイドルと共に歩んできたのが「平凡」とか「明星」といった雑誌)、その頃が一番その言葉がぴったりくる〈アイドルの時代〉だったのかなという気がします。そういう〈アイドルの時代〉のピークが過ぎたことが休刊の原因ではないかなあ(因みに、1959年5月創刊の「週刊平凡」も、1987年10月をもって休刊となっている)。

菊池桃子 photo by 坂本幸男/松田聖子 photo by 折笠光子
平凡 最終号_7921.JPG平凡 最終号_7922.JPG 次にどういう時代が来たのかよく分からないけれど、かつての"アイドルとしての輪郭がはっきりした"アイドルに比べ、昨今の乃木坂46、欅坂46、日向坂46といった坂道シリーズのアイドルグループなどは、何となく焦点が定まらないような気がします。「アイドル」とは本来は〈偶像〉の意ですが、今のアイドルって「クラスでちょっと目立つ子」程度で、〈偶像〉とまではいかないとは誰しもが思うのでは。坂道シリーズのメンバーについて言えば、1グループあたりの人数が多すぎるというのもあるけれど、彼女たちにとってはアイドルが〈目的〉ではなく〈手段〉になっているのではないかなあ。何の手段かは様々だと思いますが、何か見ていて「就活」か「婚活」をしているように見えます。昨年['19年]のNHK紅白歌合戦に出た郷ひろみや松田聖子ではないですが(この二人はアイドルを〈目的〉にしているように感じる)、アイドル不在だからこそかつてのアイドルが復活する余地があるのかもしれません。

中森明菜 photo by 伊東秀雄/本田美奈子 photo by 中込一賀
平凡 最終号6L.jpg 平凡 最終号BbL.jpg

MG_79平凡 元気にさよなら2.JPG

MG_79平凡 元気にさよなら1.JPG

「●デザイン・建築」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【2858】 横尾 忠則 『横尾忠則 全装幀集

見ているだけでうっとりするベストハウス集。ロフトは機能美を兼ね備えたゴージャス?

世界のベストハウス lofts.JPG 世界のベストハウス100.jpg Lofts.jpg
世界のベストハウス100』(28.8 x 28.6 x 3.2 cm)『Lofts (Architecture & Design)』(19.7 x 14 x 4.4 cm)

世界のベストハウス_54052.JPG 『世界のベストハウス100』(タイトルのみ日本語で本文は英語)は、世界各地の優れた現地住宅100例を紹介する全3冊シリーズの第1弾で、このシリーズでは、豊かな独創性、高い完成度はもとより、環境との調世界のベストハウス_5406.JPG和においても各建築家の技が最大限に発揮された建築物ばかりを集め、都市部の実験的作品から郊外の田園的な住宅まで、「家づくり」という共通テーマをベースに、世界の建築家たちの限りない創造性に迫っています。

世界のベストハウス_5407.JPG 紹介されているのは、アメリカ、カナダやイギリス、イタリア、フランス、スペイン、ドイツ、フィンランド、ギリシャ、オランダなど欧米世界のベストハウス_5408.JPG諸国のものから、タイ、ニュージーランド、南アフリカ、オーストラリア、メキシコ、韓国、マレーシアなどの国のものもあり、モダニズムの中にもお国柄が窺えたりして興味深いです。

世界のベストハウス_5409.JPG やはりアメリカのものが多いですが、日本の建築家のものでは、岡田哲史(1962年生まれ)氏によるゲストハウス「富士北麓の家」と、阿部仁史(1962年生まれ)氏の鎌倉にある「n-house」、黒川紀章建築都市設計事務所の「O-Residence」などが紹介されていて、数がは多くないですが、若手と大御所事務所の組み合わせのようになっています(岡田哲史氏の「富士北麓の家」は、ちょ世界のベストハウス_5412.JPGうど本書刊行の頃、建築家の登竜門と呼ばれる新人賞「吉岡賞」(第17回(2001年)を受賞している)。

世界のベストハウス_5413.JPG 基本的に、別荘やゲストハウスも含め、個人が住まいとして居住する建築物が取り上げられていて(アメリカのものが多いのは発注資金が潤沢な資産家が多いためか)、インテリアもエクステリアと変わらないレベルで紹介されていますが、どれも見ていてうっとりするようなものばかりです。簡単な設計見取図も付されていて、プロならずとも、自分で自分のベストハウスを建ててみたいと思う人には参考になるのではないでしょうか。
       
LOFTS2.jpgロフト_5414.JPGロフト_5415.JPG 『Lofts』(手元にあるものの版元は在オランダ。本文は英語・スペイン語・イタリア語の対訳)は、テーマが、住まい、仕事場、ショッピング空間の3つに分かれていて、850ページにわたってびっちり"ロフト"を紹介しています。

ロフト_5416.JPG もともと"ロフト"とは建物の最上階または屋根裏部屋を指していましたが、それが天井の下でなく直接屋根の下にあり、倉庫などに使われる部屋のことも指すようになったようです。そうすると自ずと、天井が無い分だけ上部の空間が大きくて、屋根の傾斜や梁などがそうした空間デザインの一環として組み込まれているような部屋を想像しますが、実際そロフト_5417.JPGロフト_5418.JPGうした部屋が多くある中、「ああ、これもロフトと言えるのだなあ」といった意外なデザイン空間のものもあり、「ロフト」の奥の深さを感じました。本書の線で行くロフト_5420.JPGと、ロフトって結構"贅沢"(機能美を兼ね備えたゴージャス)とでも言うか、"憧れのロフト暮らし"ということになるのかも。そう言えば、『世界のベストハウス100』にも「ロフト」に該当するものがいくつもあったように思われ、この2冊の本の関係性を感じて一緒に取り上げた次第です。

ロフト_5424.JPG こちらも見ているだけで楽しめ、素人ながらインテリアの勉強にもなるし、家具などの色使いの参考にもなります(流行り廃りはあるのだろうけれど、自分の素人感覚では全部お洒落に見える)。でも、同じものを買うとなると、これが椅子1つで結構な価格になるのだなあ、この世界は。まあ、買える人はそれでも買うし、お金持ちでも総ヒノキ造りの神社仏閣みたいな家を建てる人もいるにはいる...。

ロフト_5419.JPGロフト_5426.JPG 随分前に刊行されたものですが、デザインの美しさには普遍性があるように思いました。その普遍性が何であるのかを追求するのは結構たいへんなのでしょう。知人の建築家で、建築からインテリアに徐々に移行し、今は完全にインテリア・デザイナー(すでにベテランの域なのでインテリア・プロデューサーと言うべきか)として活躍している人がいて、最近また需要が増えていているみたいですが、能力のある人のところに仕事が集まる、厳しい世界でもあるのだろうなあと思います。

「●動物学・古生物学」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ <【2888】 渡辺 佑基 『進化の法則は北極のサメが知っていた
「●進化学」の インデックッスへ

意味はあるのだろうが、なぜそうするのかよく分からないものが結構あると再認識。
続々ざんねんないきもの事典.jpg  続々ざんねんないきもの事典_2.jpg
おもしろい!進化のふしぎ 続々ざんねんないきもの事典』['18年]

 「ざんねんないきもの」という切り口で、さままな生物の不思議を、楽しめるよう解説しベストセラーとなった『ざんねんないきもの事典』('16年)のシリーズ第3弾。個人的に印象に残ったのは―

ダーウィンが来た! アマミホシゾラビフグ 46.jpgアマミホシゾラフグはミステリーサークルをつくってメスをよぶ(46p)コレ、NHKの「ダーウィンが来た!〜生きもの新伝説〜」でやっていました。と言うか、円形の幾何学的な模様が海底に存在することは前から知られていたものの、誰が何のために作っているのかは長らく謎のままであったのが、2012年にNHKの「ダーウィンが来た!」のロケ(奄美大島南沖、琉球諸島近海)に同行・協力したフグ分類の第一人者で国立科学博物館の松浦啓一氏が観察した結果、新種のフグの繁殖行動の一環であることが分ったのでした。今やその海域は人気ダイビング・スポットになっています。

ナマケモノのススメ.jpgナマケモノは週1回、うんこのためにだけ木から下りる(46p)これもテレビでやっていました。調べてみたら、2011年1月3日にTBSで放送された「ナマケモノのススメ~ボクが木から降りる、たったひとつの理由~」という番組があって(制作局はMBS(毎日放送))、声の出演は小林薫、ナレーターは長澤まさみでした。20日間を超える密着取材だったそうです。でも、個人的には結構最近観た気がするので、BSなどで再放送を観たのか、或いはどこかの局で同じ趣旨のものが作られたのを観たのかもしれません(動物園で観察をして、3日目ぐらいになって木から下りて糞をしたように思う)。

バク ブラシでゴシゴシされると寝る.jpgバクは掃除ブラシでゴシゴシされると寝てしまう(96p)これもテレビでやったいましたが、どの番組か忘れたなあ(ネット緒で調べたら、テレビ朝日「林修の今でしょ!講座」という番組で「ざんねんないきもの事典」3時間スペシャルというのが 2019年6月25日に組まれ、「ざんねんな哺乳類ランキングベスト10」というのの中で紹介されたらしい)。でも、コレ、動物園で実際に見ることできる場合が結構あります。個人的には、神戸の「どうぶつ王国」で見ましたが、完全には眠らなかったものの、何となくトロンとはしていました。本書によれば、なぜ眠くなるのかは分かっていないとのことです。動物の習性はまだまだ謎の部分が多いです。

アフリカオオコノハズク.jpgアフリカオオコノハズクは敵を見つけるとやせこける(134p)これもいつか「ダーウィンが来た!」でやっていたし(この番組、なぜか出来るだけ欠かさず視ているなあ)、本物もまた「どうぶつ王国」で見ましたが、本書にもあるように、細くしたところで姿が消えるわけでもなく、"かくれんぼ"に失敗してしまったら、今度は体を精一杯大きくして、"クジャクのポーズ"で威嚇するそうです。

 今回も気軽に楽しめる1冊でした。本書のテーマである進化ということに絡めて考えると結構奥が深いのかもしれませんが、「ゾウアザラシは意味もなく石を食べる」(32p)じゃないけれど、意味はあるのだろうけれど、なぜそうするのかはよく分かっていないというものが結構あるものだと再認識しました(プロにも分からないのだから素人が考えても分かるはずはないと思うが、いろいろ想像してみるのは楽しい)。

「●文学」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【2812】 頭木 弘樹 『絶望名人カフカの人生論
「●な 中島 敦」の インデックッスへ

「山月記」「名人伝」「弟子」「李陵」で中島敦が原典をどうアレンジしたかが分かる。

大人読み『山月記』.jpg 李陵・山月記 (新潮文庫).jpg 山月記・李陵 他九篇 (岩波文庫).jpg 李陵・山月記・弟子・名人伝 (角川文庫).jpg Nakajima_Atsushi.jpg 中島 敦
大人読み『山月記』』『李陵・山月記 (新潮文庫)』(表紙版画:原田維夫)[山月記/名人伝/弟子/李陵]/『山月記・李陵 他九篇 (岩波文庫)』[李陵/弟子/名人伝/山月記/文字禍/悟浄出世/悟浄歎異/環礁/牛人/狼疾記/斗南先生]/『李陵・山月記・弟子・名人伝 (角川文庫)』[李陵/弟子/名人伝/山月記/悟浄出世/悟浄歎異]

大人読み『山月記』2.JPG 中島敦の「山月記」と言えば、教科書の定番中の定番ですが、その分、教科書で読んだからということで、もう大人になってからは読まない人が多いのではないでしょうか。また、「李陵」などは、『史記』などをベースにしたものであることは分かっていても、どの部分に作者の《作家性》が反映されているかというころまでは(たとえ関心があったとしても)なかなか自分で調べるまでには至らないのではないかと思います。

 本書では、第1章(増子和男)で「山月記」「名人伝」「弟子」「李陵」の4作品について、それぞれ典拠となった「人虎伝」(『唐人説書』)、「黄帝・湯問」(『列子』)、「子路」(『孔子家譜』)など、「李広蘇建伝」」(『漢書』)などの該当部分を読み下し、作家がテキストとしたこれらの古典に、どのような作者なりの思いを込めたかを探っています。第2章(林 和利)では、狂言師・野村萬斎氏の構成・演出による舞台「敦―山月記・名人伝」を取り上げ、三次元になった中島作品を紹介し、第3章では、「山月記」を漫画化した西村悠里氏に話を聞き、第4章(勝又 浩)で、2009年に生誕100年を迎えた中島敦と作品そのものに立ち返って、中島敦と同年生まれの作家たちを並べ、その創作活動の意味を再考しています。盛り沢山で中身も濃い全4章ですが、やはり第1章の原典との比較が最も興味をそそられました。

 まず「山月記」ですが、典拠である「人虎伝」からの改変(アレンジ)として、李徴を詩作への執念にとりつかれた人として描いていることや(実際は単なる地方出身の元エリート官吏、ただし、科挙試験のあった唐代なので詩作の心得はあった?)、彼が虎に変身した理由を自らの「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」としていることなどを指摘しており、そっかあ、一番の主題部分は(ものすごく"作家"的なテーマなのだが)中島敦のオリジナルだったのだなあと。袁傪との別れに際して、妻子の今後を頼む前に自分の詩を託してしまったというのも、原典では先に妻子の今後を頼み、後から詩を託したのを、作者が敢えて順番を逆にすることで、李徴の陥った妄執の深さを強調したようです。

 次に、「名人伝」ですが、弓の修行に励む者が名人になるまでの過程を描いた話で、内容が非常にシュールというか極端であり、ちょっとユーモラスな味わいのある作品です。修行者は、訓練の末に名人の極致に達し、最後は「弓を射ることなしに射る」という境地に達するわけですが、ここまでは、道家の思想に沿った原典に拠るもの。それが、最後は弓を見ても何の道具か分からなくなってしまうというのは、この部分は中島敦オリジナルの寓話化であるとのことで、だとすれば、和光同塵に代表される老荘思想に沿った作品と言うよりも、老荘思想的な形而上学に対するアイロニーとして読めるように思いました(思えば、普通の感覚からみても、この結末はある種パロディっぽいネ)。

 「弟子」は孔子と弟子たちの遍歴の物語で、その中心にくるのは子路ですが、子路というのは孔子の弟子の中でも年長格で、教科書などでもお馴染みなぐらい登場回数が多いですが、知の人ではなく情の人だったのだなあと。だから、孔子が教えを説く《聞き手》としてはぴったりですが、その教えをどこまで理解したかは別問題で、結局、孔子の予言通り、義侠心から討ち死にします。でも、中島敦の「弟子」は、孔子が自分を慕ってどこまでも付き従う子路に、格別の愛情をかけていたことが伝わってきます。改変部分は、子路が討ち死にしたとき、刺客に冠モノの緒を切られたというのが原典であるのに対し、「弟子」では逆に、落ちていた冠モノを拾い上げて緒を正しく結び直して、君子はこうして死ぬものだと叫んだという風になっている点で、この中島敦版だと、最期に孔子の教えを実践した形になっていることになります。これ、中島敦による子路への思い遣りかな(ただし、後世の翻訳本にそう誤訳されているものがあることが最近分ったらしく、それを底本にした可能性もあるという)。

 「李陵」は、戦さで匈奴の捕虜となり、その後、別の者と間違えられて、匈奴に寝返ったという誤情報が武帝に伝わって武帝の怒りを買って家族を殺され、国に帰れないまま単于の軍事参謀のような立場であり続け、単于の娘を妻とした李陵と、匈奴に捕らえられながらも従わず、黒海(バイカル湖)付近で厳しい生活を送るうちに偶然にも国に帰る機会が訪れた蘓武の、両者の運命を対比的に描く中に、李陵を弁護したばかりに武帝の怒りを買って宮刑に処せられ、残る人生を「史記」の完成にすべた捧げた司馬遷の話を織り込んだもの。大体は原典通りですが、「武帝の怒りを買った」というのは中島敦の創作で、「寝返った」と間違えられたのは事実ですが、そうなれば当時は自動的に縁者に罪が及ぶ連座制が適用されたとのことです。だから、寝返ったという誤情報が伝わった時点で、妻子・兄弟の処刑はもう避けられない状況だったのだなあと(李陵自身も戦さの過程で、辺境の士卒に密かに付き従ってきた妻や娼婦十数人の処刑命令を下している)。

 こうしてみていくと、それぞれの作品に中島敦の"作家性"が窺えて興味深いです。1909年生まれと言えば、太宰治、大岡昇平、松本清張などと同じ年生まれ。あの太宰より6年も早く亡くなっており、長生きしていればどういったバリエーションの作品を残したかと想像すると、早逝が惜しまれます。

《読書MEMO》
●初出(巻末資料より)
「山月記」...1942(昭和17)2月「文学界」
「名人伝」...1942(昭和17)12月「文庫」
「弟子」...1943(昭和18)年2月「中央公論」
「李陵」...1943(昭和18)年7月「文学界」

「●美学・美術」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【1774】 林 洋子 『藤田嗣治 本のしごと
「●江戸時代の絵師たち」の インデックッスへ

美人画、仏画、戯画、幽霊画、挿画にデザインと何でもござれのマルチ・アーティスト。

反骨の画家 河鍋暁斎1.jpg 反骨の画家 河鍋暁斎0.jpg もっと知りたい河鍋暁斎.jpg 河鍋暁斎.jpg
反骨の画家 河鍋暁斎 (とんぼの本)』['10年](21.4 x 15.1 x 1.5 cm)『もっと知りたい河鍋暁斎―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)』['13年](25.7 x 18.2 x 2 cm)河鍋暁斎(1831-1889)

反骨の画家 河鍋暁斎11.jpg反骨の画家 河鍋暁斎22.jpg 「らんぷの本」版『反骨の画家 河鍋暁斎』('10年)は、幕末から明治にかけての激動の時代に活躍し、「画鬼」とも呼ばれた浮世絵師、日本画家の河鍋暁斎(1831-1889)の波乱万丈の人生と多彩な作品を紹介したもので、第1章が河鍋暁斎研究の泰斗で、2008年に京都国立博物館で開催された「絵画の冒険者 暁斎 Kyosai ―近代へ架ける橋―」展の企画者でもある狩野博幸氏のQ&A形式での解説で、第2章が同氏と暁斎の曾孫で記念美術館理事長の河鍋楠美氏の対談になっていて、各章の前後に、河鍋暁斎の作品を紹介したグラフページがあります。

反骨の画家 河鍋暁斎12.jpg 河鍋暁斎は7歳で歌川国芳に学び、10歳で狩野派に入門しており、冒頭のグラフから見てすぐに窺えるように、美人画、仏画、戯画、幽霊画、挿画にデザインと何でもござれのマルチ・アーティストでした。あまりに何でも描けてしまって、"器用貧乏"的に見られるのと、どの分野の作品が代表作と言えるか特定しにくい面があって、実力の割には知名度はそう高くないまま今日まできている感じもします。でも改めて本書でその作品群を鑑賞すると、もっと高く評価されてもいいように思いました(マルチ・アーティストにありがちの、「"能才"ではあるが"天才"ではない」的な評価がずっとされてきたのではないか。)。

 「反骨の画家」とあるのは、40歳の時に風刺画による筆禍事件により獄舎に送られ、笞刑に処せられるなど、結構辛い目に遭っているというのもあるかと思いますが、一方で作品の中には笑いの要素が見られるものも多くあり、また、芸術を指向しつつも、頼まれれば何でも描いたようで(終わりの方にある春画はスゴイね)、その創作のパワーというものは大したものだと思いました。

もっと知りたい河鍋暁斎31.jpg 「アート・ビギナーズ・コレクション」版『もっと知りたい河鍋暁斎―生涯と作品』('13年)は、「らんぷの本」よりやや大判ですが、2012年にこのシリーズの既刊が49巻になった際に版元が50巻目で取り上げほしい画家をネットで募ったところ(それまで江戸時代の絵師・浮世絵画家では伊藤若冲、曾我蕭白、尾形光琳、俵屋宗達、歌川国芳、葛飾北斎が取り上げられていた)多くの要望があったのか、江戸時代の日本の絵師としては、円山応挙とともに新たにフィーチャーされました(本書以降、"「暁斎」関連本"がぱらぱらと刊行されるようになったようにも思える)。

もっと知りたい河鍋暁斎55.jpg こちらも狩野博幸氏によるものであり、河鍋暁斎の人生を追いながらその作品をみていくという形で、序章(1歳~29歳)で生い立ちを紹介した後、その後の人生の軌跡とその時期に描かれた作品を紹介・解説していくというスタイルで、第1章(30歳~40歳)、第2章(41歳~50歳)、第3章(51歳~59歳)という構成になっています。

もっと知りたい河鍋暁斎―03.JPG 「描けと言われば何でも描いた」ことについて、著者の狩野博幸氏は、テオ・アンゲロプロスの「旅芸人の記録」とリドリー・スコットの「エイリアン」の両方を監督しているようなもので、また、そのことが、人々に侮蔑の感情を引き起こし、結果として暁斎はデラシネとなっていかざるを得なかったというようなことを述べていますが、ナルホドなあと。ただ、生前に多くの外国人の画家・美術家・実業家・ジャーナリストらと交流を持ち(「アート・ビギナーズ・コレクション」版はP25にそのリスト掲載)、そうした海外の影響も受け、「その奇想はさらに大きくゆらめいた」とのことです。

 狩野氏は、P86の「貧乏神図」のところで、「全作品のなかで唯一点選べと言われたら、苦しみながらもこの絵を挙げるだろう」としていますが(「らんぷの本」版ではP99に掲載)、コレ、かなりマニアックかも。描いたジャンルが幅広く、画風も多彩で、「代表作」が必ずしも特定されていない分、鑑賞する人それぞれが、この作品がスゴイ、この作品が好み、と言い合える画家でもあるように思いました。

「貧乏神図」

もっと知りたい河鍋暁斎es.jpg 自分自身、まだべスト"暁斎"を特定できないでいますが、「らんぷの本」版表紙になっている、「惺々狂斎画帖・化猫」などはいいなあと。明治3年(1870)年以前の作とされ、「狂斎」とは明治3年に投獄されるまでの暁斎の号であり、狩野氏によれば「狂」こそ聖人への早道であるとの陽明学の最過激思想からきているそうな(この名も官憲に狙われる原因となった)。この絵は、表紙のものがほぼ原寸大で、(「アート・ビギナーズ・コレクション」版はP64に掲載)、今世紀になって発見され、2008年の「絵画の冒険者 暁斎」展で初公開されています。

「●イラスト集」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【2873】 安西 水丸 『イラストレーター 安西水丸
「●や 柳原 良平」の インデックッスへ

装丁、絵本、漫画、アニメ、グッズやオリジナル作品を収め、保存版として貴重なムック版。

柳原良平の仕事.jpg 柳原良平の仕事 TVCM.jpg  柳原良平の装丁.jpg
柳原良平の仕事 (玄光社mook)』['15年](29.9 x 21 x 1 cm)『柳原良平の装丁』['03年]
柳原良平(1931-2015)
柳原良平.jpg 2015年8月に84歳で亡くなった、イラストレーター、デザイナーで、船の画家でもあり、アンクルトリスの生みの親でもある柳原良平(1931-2015)の仕事集。このムック版が初めての本格的仕事集とのことですが、上記に加え、漫画家、文筆家としても知られたように、仕事の範囲がかなり広範に及び、また晩年まで活動していたため、本人が亡くなってやっとこうしたものが刊行されるということになるのでしょう。装丁、絵本、漫画にアニメーション、さらにはグッズやオリジナル作品まで、900点以上を図版に収めています。

トリスを飲んでハワイへ行こう!TVCM.jpgトリスを飲んでハワイへ行こう!.jpg柳原良平の仕事 アンクルトリス.jpg まず最初に、アンクルトリス誕生の初期の作品を紹介しています。柳原良平はよく知られているように、サントリーの前身「寿屋」の社員だったわけですが、50年代の終わりから60年代にかけて、広告の変遷を通してアンクルトリスのキャラクターが確立されていく過程が見えて、なかなか興味深いです。

アニメーション3人の会.jpg でも、1959年にはもうテレビコマーシャルになっているのだなあ。1960年に、久里洋二、真鍋博と「アニメーション3人の会」を結成していますが、その時点でアニメーション経験があったのは柳原良平だけで、「寿屋」に所属していたというのは大きかったと思います(「3人の会」上映会は'60年、'61年、'63年の3回行なわれ、'64年の第4回からは一般公募と海外からの招待作品も含めて上映する「アニメーション・フェスティバル」へと発展し(-1966)、日本の自主制作アニメーション界全体の活性化と次代を担う人材の育成につながったほか、和田誠、横尾忠則、宇野亜喜良など他の分野で活躍していたアーティストがアニメーション制作を行なう契機となり、虫プロダクションを設立したばかりの手塚治虫も実験的な短編を制作して参加した)。

柳原良平の仕事 新社会人広告.png 1978年から約20年続いた山口瞳(1926-1995)との新社会人を激励する新聞広告(全国紙の4月1日朝刊に掲載)も懐かしいです。広告代理店に入社して、4月1日の入社式が終わった後の研修で、講師である役員から「読んだか」と訊かれ、即答できず皆ぼーっとしていたら怒鳴られたのを覚えています(広告業界の者にとって必見の広告。ましてや自身が訴求ターゲットである新社会人であることからして、これを読まずに会社に来るなんてトンデモナイということか)。

 仕事全体としては、装丁を手掛けた書籍が300冊以上に及び、挿画や新聞連載漫画、絵本の製作などもあり、絵本では『かお かお どんなかお』などベストセラーもあります(絵本、思っていたより結構多かった)。本書に収められているものでは、新聞連載漫画などは興味深く(サラリーマン漫画などを描いている)、また珍しいのではないでしょうか。初期作品の図版なども貴重であり、オリジナルの絵画(船の絵)もあります。

柳原良平の装丁ード.jpg 全体を通してみると、やはり装丁の仕事が最も多いという印象で、全体的な仕事集としてはこのムックが初とのことですが、装丁集としては以前に『柳原良平の装丁』('03年/DANぼ)が出され柳原良平の装丁 山口.jpgており、柳原良平は当時72歳でしたが、それまでに装丁を手掛けた約300冊の内、50年代~2003年までの200冊以上の装丁を収録しています。

 一番多いのは、「寿屋」宣伝部で共に広告制作を担当した山口瞳の本であり、まあ、「山口瞳の本と言えば柳原良平の表紙」というイメージになるでしょうか。遠藤周作や八切止夫、開高健(山口瞳と同じく「寿屋」の同僚)、筒井康隆や阿川弘之、北杜夫の本も手掛けています。それでも結構絞り込んでいる感じ新入社員諸君 角川.jpgもしますが、では、装丁を手掛けた作家とは付き合いがあるのかというと、八切止夫や筒井康隆の本は何冊も手掛けているのに、作家本人には会ったことがないと述べているのが意外でした(最期まで会うことはなかったのだろうか?)。

 どちらも楽しめますが、『柳原良平の仕事』の方がムック版で判型が大きく、それだけ多くの内容を取り込んでいるという感じでしょうか。保存版として貴重です。

《読書MEMO》
●「3人の会」第2回上映会(1961年12月)チラシ(デザイン:和田誠)
3人の会 2-1.jpg

3人の会2-2.jpg

「●イラスト集」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 「●写真集」 【1749】 土門 拳 『ヒロシマ
「●ま 真鍋 博」の インデックッスへ

日本の主要都市の鳥瞰図。超細かい。時を経て記録的な価値が高まった。

真鍋博の鳥の眼.jpg真鍋博の鳥の眼2.jpg 鳥の眼―真鍋博の (1968年).jpg 真鍋博3.jpg 真鍋 博
新装版 真鍋博の鳥の眼 タイムトリップ日本60'S』['19年]『鳥の眼―真鍋博の (1968年)』['68年]
(37.2 x 23.3 x 2.1 cm)
真鍋博の鳥の眼1.jpg イラストレーターの真鍋博(1932-2000/68歳没)による日本の主要都市を鳥瞰図的に描いたイラスト集で、昭和43(1968)年に刊行され、今回50年ぶりに令和元年に新装版として復刻されました。描かれているのは、丸ノ内、霞が関、新宿、渋谷、札幌、盛岡、日光、軽井沢、横浜、鎌倉、箱根、熱海、新潟、金沢、名古屋、奈良、京都、大阪、和歌山、神戸、岡山、松江、広島、尾道、高知、松山、別府、福岡、長崎、鹿児島...etc.全部で54に及び、一部、黒四や日本アルプスなどを含みます。個人的には、ちょうど昭和のその頃通っていて、今は廃校になってしまった小学校と中学校が見つかったのが嬉しかったです。

真鍋博の鳥の眼 S.jpeg 週刊誌「サンデー毎日」の連載として昭和43年から翌年にかけて発表されたものですが、一定の技法があるとは言え、CGソフトもない時代に、この細密画に近い鳥瞰図を週一のペースで描き続けていたというのはスゴイなあと思われ、筒井康隆氏が「鳥になり壮絶な技法で日本を国会議事堂から喫茶店まで描ききったこの個人による芸術は唯一無二である」と絶賛したのも頷けます(新装版の解説は、マップラバー(地図愛好者)を自認する生物学者の福岡伸一氏で、真鍋博の息子で恐竜学者の真鍋真氏と知己であるとのこと)。

 よく展望台にあるマップのように、建物に線を引いて名称をこと細かく書いてあるのがまたスゴく、「新宿」(上図)などは大変なことになっています(笑)。因みに旧版は新書本に近いサイズであったから、週刊誌に掲載したサイズに合わせたのだと思いますが、週刊誌でリアルタイムで見た人は、この細かい字をどこまで読み込めたのでしょうか(それぐらい超細かい)。

真鍋博の鳥の眼_5354.JPG 各ページに見開きページに、著者によるその都市の紹介がついていますが、もともとバイコロジーの提唱者で、文明批評的エッセイの分野でも足跡を残した人であり、解説もそうした視点からなされています。新装版になって「タイムトリップ日本60'S」というサブタイトルが付きましたが、年月が経過したことで、記録的な価値が高まった言えるかと思われ(著者自身、当初より"イラスト・ルポルタージュ"という姿勢でこの大作業に臨んだとある)、復刻したのは意義があることだと思います。エッセイ風の解説と併せて堪能できる一冊です。

 自分の知らない街はあまり興味がないという人もいるかもしれませんが、全部かどうか分かりませんが、絵の中に一組の男女が隠れていて(左例はP60「名古屋(南)」)、それを探してみる楽しみもあります(これがなかなか見つからない)。1987年に英国人イラストレーターのマーティン・ハンドフォードによって英国で出版された絵本『ウォーリーをさがせ!』を想起させます(真鍋博の方が20年早いが)。

「●地誌・紀行」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 「●民族学・文化人類学」 【899】 クラックホーン 『文化人類学の世界
「●映画」の インデックッスへ 「●や‐わ行の外国映画の監督②」の インデックッスへ 「○外国映画 【制作年順】」の インデックッスへ

「ああ、これはここで撮影したのか」と。写真で見るのもいいが、やはりは行ってみたいもの。

海外名作映画と巡る世界の絶景 00.jpg海外名作映画と巡る世界の絶景0_.jpg  サウンド・オブ・ミュージック 製作50周年記念版 DVD.jpg
海外名作映画と巡る世界の絶景』「サウンド・オブ・ミュージック 製作50周年記念版 DVD(2枚組)」['15年]

海外名作映画と巡る世界の絶景 01.jpg 海外名作映画の中に登場する美しい絶景の数々を、映画のストーリーや実際に撮影されたシーンと共にご紹介したもので、スマホで掲載されているバーコードを読み込むことで、バーチャル旅行を楽しんだりすることもできる点が今風と言えば今風でしょうか。

海外名作映画と巡る世界の絶景 02.jpg 15作の映画を取り上げ、それぞれ数カ所の場面シーンの実際にモデルになった場所の写真を載せ、併せて映画のシーンなども引用するとともに、撮影にまつわるコラム風の解説を付しています。その15作とは、「ハリー・ポッター」「スター・ウォーズ」「インディ・ジョーンズ」「ダ・ヴィンチ・コード」「ミッション:インポッシブル」「ロード・オブ・ザ・リング」「ライフ!」「マンマ・ミーア!」「プラダを着た悪魔」「フォレスト・ガンプ」「ローマの休日」「アメリ」「サウンド・オブ・ミュージック」「パディントン」「ピーターラビット」になります。

海外名作映画と巡る世界の絶景.jpg 「ああ、これはここで撮影したのか」みたいな発見もあって楽しめたことは楽しめましたが、どのような基準で15作選んだのかよく分からなかったのと、Amazonnのレビューで誰かが書いてましたが、「もうちょっとおとなしめの写真でもよかったかな」と自分も思いました(写真に彩色してあるように思われた。敢えて絵画的に見せているのか)。そサウンド・オブ・ミュージック .jpgれでも、「サウンド・オブ・ミュージック」('65年/米)とか、音楽もさることながら、改めて見どころが多かったなあと思いました。

 「サウンド・オブ・ミュージック」は、1938年のオーストリアを舞台に、後に家族合唱団となるフォン・トラップ一家をモデルに「ウエストサイド物語」のロバート・ワイズが監督した作品で、史実との違いがいろいろ言われていますが、1つの作品に使われた曲で、これだけ多くの曲が誰ものお馴染みになっているという点では稀有な作品であるように思います。

サウンド・オブ・ミュージック ヘルブルン宮殿.jpgサウンド・オブ・ミュージック ヘルブルン宮殿2.jpg その主要な映画の舞台であるザルツブルグは、モーツァルトの出身地としても知られていますが、行ったことはありません。ただ、家族が合唱遠征で行って、本書にも写真がある、映画の中で若い二人が密会して「もうすぐ17才」を歌うヘルブルン宮殿のガラスのパビリオン(映画に使われたものと同じものを後に観光用に再現したものらしいが)や、ザザルツブルグのソルト.JPGザルツブルグ栓抜き.JPGルツブルクの祝祭劇場で行われたコンクール(ここでは「ドレミの歌」「エーデルワイス」「さようなら、ごきげんよう」が歌われる)のロケ地となったメンヒスブルグの丘なども訪ね、合唱を披露し憲章都市 (Statutarstadt)章.pngたようです。お土産は"モーツァルト・チョコ"と""モーツァルト栓抜き"(笑)。それと"ザルツブルグ"という都市名の由来になったよく言われているソルト(塩)でした("ザルツブルグ"という都市名は、実際には市章にもなっている城の固有名詞が由来だそうだが)。

 また、この作品は、個人的には、小学校の時の転校先で同学年の生徒たちが前年に課外授業で鑑賞しており、途中から転入した自分だけ観てなかったりしたもので、ちょっとコンプレックスがあった作品でもあります。大人になったらなったで、家族が現地に行ったことがあって自分は行ったことがないという、ある意味、"負い目"が付きまとう作品かも(笑)。写真で見るのもいいですが、やっぱり実際に行ってみたいものです。

サウンド・オブ・ミュージック 製作45周年記念HDニューマスター版 [AmazonDVDコレクション]」['18年]
サウンド・オブ・ミュージック45周年記念HDニュー.jpg「サウンド・オブ・ミュージック」●原題:THE SOUND OF MUSIC●制作年:1965年●制作国:アメリカ●監督:ロバート・ワイズ●製作:ロバート・ワイズ/ソウル・チャップリン●脚本:アーネスト・レーマン●撮影:テッド・マッコード●音楽:リチャード・ロジャース/オスカー・ハマースタイン二世/アーウィン・コスタル●原作:ワード・リンゼイ/ラッセル・クローズ●時間:174分●出演:ジュリー・アンドリュース/クリストファー・プラマー/エリノア・パーカー/リチャード・ヘイドン/ペギー・ウッド/チャーミアン・カー/ヘザー・メンジース/ニコラス・ハモンド/デュエイン・チェイサ/アンジェラ・カートライト/デビー・ターナー/キム・カラス/アンナ・リー/ポーティア・ネルソン/マーニ・ニクソン/イベドネ・ベイカー/ベン・ライト/ダニエル・トゥルーヒット●日本公開:1965/06●配給:20世紀フォックス●最初に観た場所:池袋文芸坐(81-01-28)●2回目:三軒茶屋映劇(87-03-21)(評価:★★★★)●併映:(1回目)「奇跡の人」(ポール・アーロン)/(2回目)「王様と私」(ウォルター・ラング)

「●映画」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒「●小津安二郎」 【2322】 笠 智衆 『大船日記

スクリーンで観るのとはまた違った、一人一人の意外な人となりが伝わってくる男優・女優篇。

昭和の映画ベスト10.jpg昭和の映画ベスト10 ‐男優・女優・作品.jpg 昭和の映画ベスト10_5334.JPG
昭和の映画ベスト10 ‐男優・女優・作品‐

 1941年生まれで、大学卒業後、東映AG、角川春樹事務所などに勤務した著者が、「映画は娯楽」という考えのもと、昭和の男優、女優、作品のベスト10を選んで解説したものです。

 男優では長谷川一夫、三船敏郎、渥美清、高倉健、市川雷蔵、勝新太郎、萬屋錦之介、石原裕次郎、菅原文太、仲代達矢、女優では、田中絹代、李香蘭、原節子、高峰秀子、京マチ子、美空ひばり、岩下志麻、吉永小百合、富司純子、薬師丸ひろ子、作品では、「東京物語」(昭和28年)、「七人の侍」(29年)、「二十四の瞳」(29年)、「椿三十郎」(37年)、「浮雲」(30年)、「飢餓海峡」(40年)、「男はつらいよ」(44年)、「仁義なき戦い」(48年)、「砂の器」(49年)、「幸福の黄色いハンカチ」(52年)が選ばれています(ベスト10内での順位づけは無し)。

 男優篇・女優篇で全体の8割を占め、作品よりも俳優の方にウェイトがかかっている感じですが、"映画通"を称するならば知っておきたい(または知っているであろう)エピソードが詰まっていて楽しめました。それぞれの俳優に思い入れを込めながらも、淡々と逸話を紹介しているのも良かったです。

 長谷川一夫(昭和59年没)については、松竹から東宝へ移籍した際にヤクザに顔を切られた「林長二郎傷害事件」の、当時マスコミに公表されることがなかった"真実"が書かれていて、当時松竹系の新興キネマの撮影所長をしていたという永田雅一が関係していたとはびっくり。長谷川一夫のNHK大河ドラマ「赤穂浪士」への出演ギャラは史上空前だったそうですが、当時のNHKってそんなに大盤振る舞いだったのか。

「羅生門」.jpg 三船敏郎(平成9年没)がカメラマン志望で東宝を受けて、書類の手違いで俳優志願に回され、面接会場にいた高峰秀子の目に留まって、その存在感に胸騒ぎを感じた高峰秀子が黒澤明に連絡し、駆けつけた黒澤明も三船敏郎を見てただならぬ雰囲気を感じて審査委員長だった山本嘉次郎監督に直訴して三船敏郎の採用が決まったというのは有名な話。その後、黒澤明監督の「羅生門」で世界に羽ばたく三船敏郎ですが、当初、この作品の国内での評価はそう高くなく(キネ旬ベストテン5位)、最初は大映社長の永田雅一も「この映画はわけがわからん」と言っていたのが、ベネチア映画祭でグランプリの受賞が決まると態度を一変、自分の手柄のように語り、世間は「黒澤明はグランプリ、永田雅一はシランプリ」と揶揄したとあります。因みに、三船敏郎はいつも撮影現場に誰よりも早く来て、セリフは完璧に覚えていて、相手がとちっても嫌な顔ひとつ見せず、お付きを絶対付けず、カバン(化粧箱)なども自分で持ったそうで、撮影現場で非常にストイックな姿勢を見せ周囲の尊敬を集めたという高倉健をちょっと想起させます。

男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎
男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎 水中花.jpg 渥美清(平成8年没)のところでは、世間ではあまり知られていない彼の来歴が書かれてていて、テキ屋稼業みたいなこともやっていたのだなあ。ストリップ劇場で仕事していたというのは片や劇団員として、片や漫才師としてという違いがあるものの、後のビートたけしなどにもつながるように思いました。当時、渥美清は1歳年上のストリッパーと同棲していて、彼女は渥美清に惚れ込んで尽くし、渥美清が大病したときも献身的に世話をしたけれども、彼が有名になると静かに身を引いたとのことで、こういう気質の女性って昔はいたのだなあと。公私混同を嫌った渥美清の私生活は謎に包まれ、彼が結婚していたことを彼の死まで知らなかった人も多かったそうです。

高倉健 bunka.png 高倉健(平成26年没)もプライベートを見せなかった俳優で、晩年にガンで病床に伏してもごく一部の人にしか伝えられなかったというのは、渥美清とちょっと似ているように思いました('13年の文化勲章親授式に出席した際は、もしかしたら...とは思ったが)。死後、養女・小田貴月(たか)氏の振る舞いに、高倉健をよく知る関係者らから嘆きの声が聞こえてくるのが残念。自宅も壊され、鎌倉霊園の墓も更地になって、その骨さえ家族の元には残らず、著者も「名声と富を極めた高倉だったが、死後の始末までは心が至らなかった。しかし、立派な足跡は残った」と書いています。

大映グラフ 1967年 昭和42年 新春特別号.jpg 市川雷蔵(昭和44年没)が、長谷川一夫に続くスタートして脚光を浴びたのに、長谷川一夫よりずっと早く亡くなってしまったのは本当に残念。本書では、同じ大映で仲の良かった勝新太郎から見た市川雷蔵像と言うのがあって、メイクをすると「市川雷蔵に変わる」「メーキャップをしている姿は菩薩のように見えた」とのこと。この人もガンで、37歳の短い生涯でした。

大映グラフ 1967年 昭和42年 新春特別号 市川雷蔵 勝新太郎保

 といったように続いていきますが、女優篇も、原節子が「小早川家の秋」で共演した司葉子と撮影中に明石へプライベートで海水浴に行ったとき、淡路島を見て「司さん、私、あそこまで泳いでくる」と言うので、びっくりして「お願いだからやめてください」と。スクリーンで観るのとはまた違った、一人一人の意外な人となりが伝わってくる選りすぐりのエピソードがコンパクトに取り上げられていて、適度な"トリビア感"が個人的には良かったです。

 女優ベスト10に薬師丸ひろ子が入っているのがやや異質のようにも思いましたが、著者が角川春樹事務所に勤務していた時期があったということで、おそらくそれなりに思い出や思い入れがあるためではないかと推察します。まえがきでも、本書の「ベスト10」はあくまで著者の判断であると断っていて、「読者諸氏には、たとえば同期が集まった際、病気自慢や孫の話ばかりでなく、本書をネタに、自分の思うところを大いに議論して貰いたいと思う」とあります(なかなかそうはならず、結局は病気自慢や孫の話ばかりになってしまったりするものだが)。

「●本・読書」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【277】 小谷野 敦 『バカのための読書術

誰がどの作家を選び、その中でどの3冊を選んでいるのか興味深い。
私の選んだ文庫ベスト3 単行本.jpg 私の選んだ文庫ベスト3 文庫.jpg    本読みの達人が選んだ「この3冊」.jpg
私の選んだ文庫ベスト3』['95年]/『私の選んだ文庫ベスト3 (ハヤカワ文庫JA)』['97年]/『本読みの達人が選んだ「この3冊」』['98年]何れも装幀・挿画:和田誠

私の選んだ文庫ベスト3_藤沢.JPG  1992年4月から1995年3月まで「毎日新聞」の書評欄に連載された「私の選んだ文庫ベスト3」の書籍化(後に文庫化)。150名弱の識者が、一人の作家を選んでその作家のベスト3を挙げて紹介しています。オリジナルが新聞コラムなので、1人当たりそれほど詳しく書かれているわけではないですが、やっぱり「あの作品」が選ばれるのだなあという思いがあって興味深かったです。

風雪の檻.jpg刺客 用心棒日月抄.jpg 常盤新平・選「藤沢周平」には「用心棒日月抄シリーズ」、「獄医立花登手控えシリーズ」があって、「彫師伊之助捕物覚えシリーズ」は入れておらず、代わりに長編「海鳴り」が入っています。

私の選んだ文庫ベスト3_吉行.JPG原色の街・驟雨.jpg 村松友視平・選「吉行淳之介」では先ず「原色の街・驟雨」がきてあと対談とエッセイがきているというのが吉行という作家らしいですが、新潮文庫の『原色の街・驟雨』には「薔薇販売人」「夏の休暇」「漂う部屋」といった短編の代表作も収められており、納得です。

私の選んだ文庫ベスト3_谷崎.JPG E・G・サイデンステッカー・選「谷崎潤一郎」には、エドワード・ジョージ・サイデンステッカー.jpg蓼喰う虫.gif陰翳礼讃 中公文庫.jpg蓼食う虫」「陰翳礼讃」があってあと1つは「猫と庄造と二人のおんな」。サイデンステッカーという人は谷崎の"軽妙文学"と呼ばれる作品が好きだったようです。  
Edward George Seidensticker (1921-2007)

新選組血風録2.jpg梟の城1.jpg 中村稔・選「司馬遼太郎」は、「梟の城」「新選組血風録」「菜の花の沖」が挙がっていて、個人的にはやはり初期作品が面白いと思いますが、選者は「菜の花の沖」を「竜馬がゆく」以降の教養小説(人格形成小説)の頂点とみなしているようです。

私の選んだ文庫ベスト3_ヘミング.JPGわれらの時代・男だけの世界.bmp 石原慎太郎・選「ヘミングウェイ」はヘミングウェイ短編集」「日はまた昇る」「武器よさらば武器よさらば (新潮文庫).jpg日はまた昇る (新潮文庫).bmpで、ヘミングウェイあh短編もいいし「日はまた昇る」も傑作だと思いますが(自分は時々この人と芥川賞候補作の評価で重なることがある)、「老人と海」を傲慢、退屈でリアリティもないとしているのが興味深いです(でも、和田誠のイラストが「老人と海」をモチーフにしたものになっているように思える)。

私の選んだ文庫ベスト3_阿佐田.JPG麻雀放浪記.jpg 伊集院静・選「阿佐田哲也・色川式大」で「麻雀放浪記」がくるのは、自身のギャンブルの師匠である阿佐田哲也をモデルにいた『いねむり先生』の作者であることからすれば当然でしょうか。まさに「もう二度と出ることのないギャンブル小説」です(あと2つは「百」「引越文房」)。

パノラマ島奇談他4編 春陽文庫9.jpg屋根裏の散歩者 文庫.jpg 荒俣宏・選「江戸川乱歩」は、「暗黒星」「パノラマ島奇談」「屋根裏の散歩者」で、この選者ならこうなるのだろうなあ。そのほかに「人間椅子」「押絵と旅する男」にも触れていますが変態・猟奇物ばかり(笑)。

小僧の神様・城の崎にて.jpg小僧の神様(岩波文庫).jpg 加賀乙彦・選「志賀直哉」で「小僧の神様 他十篇」と「小僧の神様・城の崎にて」がきているのは、前者が岩波文庫で後者が新潮文庫で、収録作品のラインアップが異なるためで、作家が短編の名手の場合、文庫単位でベストを選ぶとこういうことになるのだなあと(ベスト3のあと1つは長編「暗夜行路」)。

かもめ・ワーニャ伯父さん.jpg 山崎正和・選「チェーホフ」が「桜の園・三人姉妹」「かもめ・ワーニャ伯父さん」「かわいい女・犬を連れた奥さん」の新潮文庫3冊を挙げているのは、これでチェーホフの代表作を網羅してしまうと思われ、ケチのつけようがないというかズルいという気もしますが、「かもめ」1作の中に少なくとも五つの愛の不幸が描かれているというのは、確かにそうでした。

 先に述べたように1つのコラムが2ページ程度とそう長くはないですが、その作家のどの作品を読めばいいのかというガイドとして使えるし、どの識者がどの作家を選び、またその中でどの作品を推しているかということの興味が尽きません。

 故・和田誠(1936-2019)によるイラストも、そのことを意識してか、選ばれた作家と選んだ識者の似顔絵をセットで描いています。ただ刊行から20年以上も経つと、選ばれる側だけでなく選んだ識者の方も、編者の丸谷才一(1925-2012)をはじめ多くの人が亡くなっているのがちょっと寂しいです(大江健三郎や椎名誠、筒井康隆、黒井千次のように、選ばれる側で存命の人もいるが)。

本読みの達人が選んだ「この3冊」1.jpg 尚、本書の元のなった連載に続いて、1995年4月から1998年3月まで「毎日新聞」の書評欄に連載された、各界の読書人150人にいろいろな分野の本のベスト3を推薦してもらう「この3冊」(同じく丸谷才一・編、和田誠・イラスト)も書籍化されていますが(『本読みの達人が選んだ「この3冊」』('98年/毎日新聞社))、こちらは文庫化されていないようです。選者には新体操の山崎浩子(スポーツの本3冊)や女優の岩崎ひろみ(太宰治の本3冊)、俳優の池部良(日本人が学ぶべきもの3冊)もいて面白いのですが、全体としては評論家や翻訳家、特定分野の専門家が多くを占めており、その分、前書に比べると選本のアカデミック度、マニアック度がやや高かったように思います(選評の対象を文庫に限定していないというのもその要因だとは思うが)。
本読みの達人が選んだ「この3冊」

【1997年文庫化[ハヤカワ文庫JA〕】

About this Archive

This page is an archive of entries from 2020年2月 listed from newest to oldest.

2020年1月 is the previous archive.

2020年3月 is the next archive.

Find recent content on the main index or look in the archives to find all content.

Categories

Pages

Powered by Movable Type 6.1.1