【2851】 ○ 谷 充代 『高倉健の身終い (2019/01 角川新書) ★★★★

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高倉健が仕事を通してスタッフや周囲の人々に与える影響力の大きさを感じた。

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高倉健の身終い (角川新書)』/著者が高倉健に初インタビューしたときの写真(写真/渋谷典子)[本書より]

 フリー編集者として高倉健の取材を重ねてきた著者による本では『「高倉健」という生き方』('15年/新潮新書)がありますが、本書『高倉健の身終い』の方は、タイトルからも窺えるように、前著より高倉健の活動後期のエピソードが多いでしょうか。それと、高倉健と共に映画作りに関わった人々の証言やエピソードの比重が高いように思いました。

居酒屋兆治 000.jpg 印象に残ったのは、大原麗子に取材した際の話でしょうか(57p)。彼女は、健さんと仕事して、「仕事に"お"の字を付けなくなった」とのことで、「"お仕事"っじゃなくって、"仕事"。命を賭けてやるものに"お"を付けると、なんだか甘っちょろいじゃない」と。これを「健さんの生き方から学んだ」というから、一緒に仕事した人に与える影響力がすごいなあと。大原麗子が40代、1990年代の話であるとのことで、「網走番外地 北海篇」('65年/東映)で大原麗子19歳、高倉健34歳で初共演してからのことを振り返っているのでしょうか。「居酒屋兆治」('83年/東宝)でも共演しているし(大原麗子の演じた女性は凄まじいくらい薄幸だった。その大原麗子自身も、'09年に孤独死に近い死を遂げる)、NHKドラマ「チロルの挽歌」('92年)でも共演していて(大原麗子45歳。高倉健61歳)、女優人生の節目節目で高倉健の影響を受けたのだろなあ。

映画 ホタル00.jpgホタル (映画)00.jpg 「居酒屋兆治」と同じく降旗康男の監督作である「ホタル」('01年/東映)で、健さんから著者にロケ地へのお呼びが掛かったという、山岡(高倉健)、知子(田中裕子)夫婦が二人の北海道の旅を回想するシーンで(撮影地は長野県・蓼科)、丹頂鶴の求愛ダンスを見ているうちに高倉健が急にコートやワイシャツを脱ぎ、「くわぁ、くわぁ」と鶴の鳴き声を真似て舞ったのは、あれ、脚本にない演技、つまりアドリブだったそうです(153p)。そういうことする俳優なんだと、今まで知らなかった面を知ったように思いました。

 「四十七人の刺客」('94年/東宝)で、スタッフの実際にやっているところを見なくともその丁寧な仕事ぶりをよく理解していたり(168p)、「南極物語」('83年/東宝)で、疲労が重なって犬橇を上手く扱えず撮影を妨げたスタッフに、「宿舎に帰らせろ」と怒鳴ったかと思ったら、後で手にいっぱい栄養剤を持ってそのスタッフの宿舎に行き「これ、飲め"!」と言ったりとか(175p)、大スターでありながら、映画は一人で作るものではないということがよく分かっていたのだなあと。いい作品を作るためにスタッフの仕事ぶりを理解し、励ますという、監督のように先頭に立って目立ったことをするわけではないけれど、これもある種のリーダーシップではないかと思いました(しかも、こういうの、大上段に構えたリーダーシップ以上にヒトの琴線に触れる)。

鉄道員poster (1).jpg鉄道員 02 (2).jpg 監督も偉いです。「鉄道員 (ぽっぽや)」('99年/東映)の撮影の時、佐藤乙松(高倉健)、静枝(大竹しのぶ)夫婦の子供が亡くなった時の回想シーンで、静枝が乙松に遺児を手渡す場面に違和感を感じた著者が、降旗康男監督からどうかと訊かれてその旨を伝えると、出来上がった作品では、静枝がずっと遺体を抱き続けている演技になっていたと。こうした柔軟性があるから、降旗康男監督って高倉健とも相性が良かったのだろなあ。

黒澤明2.jpg 本書には無いエピソードですが、高倉健は「居酒屋兆治」('83年/東宝)への出演準備をしていた矢先に黒澤明監督から「」('85年/東宝)に架空の人物「鉄修理(くろがねしゅり)」役での出演を打診されていて、「でも僕が『乱』に出ちゃうと、『居酒屋兆治』がいつ撮影できるかわからなくなる。僕がとても悪くて、計算高い奴になると追い込まれて、僕は黒澤さんのところへ謝りに行きました」と述懐しています。黒澤明映画「ホタル」監督.jpgは自ら高倉宅へ足繁く4回も通って、「困ったよ、高倉君。僕の中で鉄(くろがね)の役がこんなに膨らんでいるんですよ。僕が降旗康男君のところへ謝りに行きます」と口説いたけれども、高倉健は「いや、それをされたら降旗監督が困ると思いますから。二つを天秤にかけたら誰が考えたって、世界の黒澤作品を選ぶでしょうが僕には出来ない。本当に申し訳ない」と断ったため、黒澤明から「あなたは難しい」と言われたそうです(結局、鉄修理は井川比佐志が演じた)。

 高倉健らしい話だし、役者と監督のいい関係がずっと続いた例でしょう(黒澤監督が三船敏郎の関係が途中で途絶えたり、勝新太郎と喧嘩のような別れ方をしたのとは対照的)。その降旗康男監督も、昨年['19年]5月に84歳で亡くなっており、寂しいことです。

高倉健(1931-2014、83歳没)/降旗康男監督(1934-2019、84歳没)(「ホタル」('01年)撮影現場)

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This page contains a single entry by wada published on 2020年1月 5日 14:53.

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