【2850】 ○ 谷 充代 『「高倉健」という生き方 (2015/02 新潮新書) ★★★★

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高倉健が、真似や演技ではなく実際に「高倉健」という生き方としていたように思えた。

「高倉健」という生き方 (新潮新書).jpg  谷 充代.jpg  谷 充代 氏[写真:婦人公論]
「高倉健」という生き方 (新潮新書)

 フリー編集者として80年代半ばから2000年代まで高倉健の取材を重ねてきた著者(ラジオ番組をベースにした『旅の途中で』(高倉健著、'03年/新潮社、'05年/新潮文庫)のプロデュース担当者でもある)が、国内外の映画の現場や私的な会合の場や旅先などで、俳優として人としての高倉健を男を追い続ける中で、「健さん」本人をはじめ監督や俳優仲間、スタッフや縁あった人々に細やかな取材を重ね書き綴ってきた全33話のエピソード集です。

 さすが取材に年季が入っているなあという感じ。そして何よりも、高倉健に対する敬愛の念を感じました。本人が亡くなってから、一部いろいろな話も出てきていますが、やはりスターはスターのままでいて欲しいと思うので、個人的にはそうしたものをほじくり返すような動きにはあまり関心がいきません。本書も「いい話」ばかりですが、これはこれでいいのでは。

 印象に残ったのは、「関係を尽くすひと」「一期一会ということに体を張っている」(105p)というところ。この先、また会うかどうか分からない人に対してもそうした姿勢で接することができるというのはスゴイことだなあと。著者はそれを、どこまでいっても自分に執着するブルジョワ的生き方と対比させて、"貴族の無欲"と表現していますが、ある種"孤高の精神"のようなものを感じました(こういうの感じさせる人って、ハリウッドスターにはいないなあ)。

 妻だった江利チエミの墓参りを欠かさなかったことはよく知られていますが、著者も健さんの仕事の前には江利チエミの墓参りをしていて、行くとすでに墓前にウィスキーロックがあったりして、撮影のプランの依頼と併せてその感動を手紙で伝えたところから撮影の仕事を引き受けてもらえたとのこと(113p)。1999年のことで、カメラマンは十文字美信氏(野地秩嘉氏の『高倉健ラストインタヴューズ』('17年/プレジデント社)のカバー写真などもこの人の撮影)。

 『男としての人生―山本周五郎が描いた男たち』(木村久邇典著、グラフ社)という本が気に入っていて、絶版の古書扱いになっていたものを、「自分が百冊引き取る」と言って増刷に漕ぎ着けたという話(136p)も良かったです(同じ山本周五郎好きの黒澤明監督と一度仕事して欲しかった)。

網走番外地g_  .jpg 随筆集『あなたに褒められたくて』の「あなた」が「お母さん」であることはその本の中でも述べられていますが(そう言えば、「網走番外地」('65年/東映)は、主人公が母恋しさに網走刑務所からムショ仲間と手錠につながれたまま脱獄する話だった)、自分の母親が亡くなったとき、まわりの誰にも知られないように仕事を続けていたそうで(144p)、これもスゴイなあと思います。

 地方で地元の人しか知らない温泉場を教えてくれた蕎麦屋の主人が、「アンタね、俺が若いころに観たことがある。ん~と、あの~」と言いつつ名前が出てこず、「ウン、よたもんの俳優だ」「あの、よたもん」と言ったのを、宿に帰る車の中で何度も「あの、よたもん」と口真似しながら、嬉しそうに笑っていたというのもいい話です(174p)。

 著者が海外の撮影にも同行を許され、手持無沙汰に身の回りの世話をしようとすると、「谷、書くためにきているんだろ。そんなことしなくていいよ」と戒めたという(195p)、これなんか、なかなか言えないことだと思います。

後藤久美子.jpg 若者を見ていると時代の変化を感じると言い、「立派だなぁと思ったのは後藤久美子さん。彼女の恋愛は実に正直で堂々としている。恋人と海外で暮らしていて、仕事がある時にだけ日本に帰ってくる。公私混同せずに生きているよね」と言っていて(101p)、自分よりずっと若い人に対しても、いいところを見つけ褒める姿勢も立派です。この「公私混同せず」の考えは彼自身の生き方にも反映されているように思います。また、若い頃に恋人が女優志望であったために一緒に暮らしたいというのを突っぱねたという過去があったとのこと。その本人が、彼女との生計のために俳優になり、何とか食べていけるようになった時にはその彼女と別れてしまったというのは、まさに皮肉の連続と言っていい人生だなあ。

 これまで、高倉健という人は「高倉健」を演じ続ける生き方をせざるを得ず、その壊せない(壊してはいけない)「高倉健」像に縛られるような面もあって、晩年は出演映画数なども減ったのかなあと思っていました。それだけだと、「高倉健」(という虚像)を生きる、ということになりかねないですが、本書を読んで、「高倉健」を本人はわりと自然に生きていた―つまり、真似や演技ではなく実際に「高倉健」という生き方としていたように思えてきました。

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This page contains a single entry by wada published on 2019年12月28日 00:32.

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