【2832】 × 黒川 伊保子 『キレる女懲りない男―男と女の脳科学』 (2012/12 ちくま新書) ★★

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本当に脳科学? ジェンダー差別の再強化の一翼を担ってしまっているともとれる。

キレる女懲りない男.jpgキレる女懲りない男2.jpg  夫のトリセツ.jpg 妻のトリセツ.jpg
キレる女懲りない男―男と女の脳科学 (ちくま新書)』['12年]『夫のトリセツ (講談社+α新書)』['19年]『妻のトリセツ (講談社+α新書)』['18年]


 最近『夫のトリセツ』('19年/講談社+α新書)という本が売れているらしい(ウチでは家人がどういうわけか『妻のトリセツ』('18年/講談社+α新書)を買っていた)、その著者の最初の新書本。1953年生まれの著者は、42歳で男女脳のエッセイを初出版し、53歳で本書を出したそうですが、この本の中でも、「女性脳の取扱説明書(トリセツ)」と「男性脳の取扱説明書(トリセツ)」というのが大部分を占め、以降、同じパターンで繰り返してきた結果、最近になってブレイクしたという感じでしょうか。

男が学ぶ「女脳」の医学.jpg ただ、この内容で、単にエッセイとして読むにはいいけれど、「脳科学」を標榜するのはどうなのか。以前に、斎藤美奈子氏が、「ちくま新書」は"ア本"(アキレタ本)の宝庫であり、特にそれは男女問題を扱ったものに多く見られるとして、岩月謙司氏の『女は男のどこを見ているか』('02年/ちくま新書)や米山公啓氏の 『男が学ぶ「女脳」の医学』('03年/ちくま新書)を批判していたように思いますが、これもその「ちくま新書」です(10年置きぐらいで「男女脳」企画をやっている?)。

 読んでみて、解釈の課題適用(over generalization)が多いように思いました。例えば、ある寺の住職の「妻に先立たれた男性は三回忌を待たずに逝くことが多い。逆は長生きしますね」と言葉を引いて、「女性スタッフに愛される店は衰退しない。女性部下に愛される上司は出世する」とありますが、ありそうなことを2つくっつけて、いかにも同じ法則の基にそうなっているかに見せかけているだけではないででしょうか。こうした手法は、手を変え品を変え、『妻のトリセツ』『夫のトリセツ』においても、基本は変わって変わっていないようです。

 本書にしても『妻のトリセツ』にしても、「女性脳は、右脳と左脳をつなぐ神経線維の束である脳梁が男性と比べて約20%太い」など、男性と女性の脳の機能差を示すような具体的なデータを出して、「いきなりキレる」「突然10年前のことを蒸し返す」など夫が理解できない妻の行動の原因を脳の性差と結びつけ「夫はこういう対処をすべし」と指南してます

 しかし、朝日デジタルによると、脳科学や心理学が専門の四本(よつもと)裕子・東京大准教授は、「データの科学的根拠が極めて薄いうえ、最新の研究成果を反映していない」と言い、例えば「脳梁」で取り上げられたデータは、14人の調査に基づいた40年近く前の論文で、かつ多くの研究からすでに否定されているという。本に登場するそのほかのデータも「聞いたことがない」とのこと。朝日の記者が著者に主張の根拠を尋ねると、「『脳梁の20%』は、校正ミスで数値は入れない予定だった」とし、そのほかは「『なるほど、そう見えるのか』と思うのみで、特に述べることがありません」と回答があったそうです(ヒドイね)。

 斎藤美奈子氏は、例えば、女性は共感を、男性は問題解決を求めるというのはよく聞く話だが、でもそれは「脳」のせいなのか、仮にそうした傾向があったとしても、十分「環境要因決定説」で説明できるとしています(日々外で働く男性は、大事から小事まで、年中「問題解決」を迫られている。グズグズ迷っている暇はなく、トラブルは次々襲ってくるので、思考はおのずと「早急な解決方法」に向かう)。したがって、これは「脳の性差」ではなく、環境と立場の差であるとしています。

 これを聞いて想起されるのが、男女均等待遇がなかなか進まない原因としてよく問題になる「統計的差別」で、女性の採用や能力開発に積極的でない企業は、その理由を「統計的にみて女子はすぐ辞めるから」と言うものの、実はそうした考え方がますます差別を強化するということになっているというものです。それと同じパターンが本書にも当て嵌るかもしれません(ましてや本書の場合、「男性と同じ立場で働く女性」などの統計モデルのサンプルは少ないとされているのに、である)。

 同じく朝日デジタルによると、『なぜ疑似科学を信じるのか』('12年/DOJIN選書)の著書がある信州大の菊池聡(さとる)教授(認知心理学)は『トリセツ』について、「夫婦間の問題に脳科学を応用する発想は、科学的知見の普及という意味では前向きに評価できる。だが、わずかな知見を元に、身近な『あるある』を取り上げて一足飛びに結論づけるのは、拡大解釈が過ぎる。ライトな疑似科学に特有な論法だ」と話しているそうで、コレ、自分が本書を読んで最初に浮かんだ疑念と全く同じです。

 読み物として「そうそう」「あるある」と言って楽しんでいる分にはともかく、「脳科学」の名の元に妄信するのはどうかと(「脳科学」というより「心理学」か「心理学的エッセイ」、更に言えば「女性論・男性論」(的エッセイ)になるか)。大袈裟な言い方かもしれませんが、ジェンダー差別を再強化することの一翼を担うようになってしまうのではないでしょうか。別に読んで楽しんでもいいけれど(脳内物質で全部説明している米山公啓氏の本などよりは内容が練れている)、そうした批判眼もどこかで持っておきたいものです。

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