【2688】 ○ 豊田 義博 『若手社員が育たない。―「ゆとり世代」以降の人材育成論』 (2015/06 ちくま新書) ★★★☆

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就活エリートの迷走』から更に踏み込んだ分析と、より広角的な提案ではあったが...。

若手社員が育たない。.jpg       豊田 義博 『就活エリートの迷走』.jpg 『就活エリートの迷走 (ちくま新書)['10年]』
若手社員が育たない。: 「ゆとり世代」以降の人材育成論 (ちくま新書)』['15年]

 著者は、本書の5年前に著した『就活エリートの迷走』('10年/ちくま新書)で、明確にやりたいことがあって高いコミュニケーション能力があり、エントリーシートや面接対策も完璧、いくつもの企業から内定を取るなど就職活動を真面目に行い、意中の企業に入社しながら社会人としてのスタートに失敗、戦力外の烙印を押される人たちがなぜ生まれたのかを分析し、採用手法と採用市場を変革する必要性を説いていました。

 今回、全6章で構成されている本書の第1章で、今どきの若手社員の特徴について分析していますが、"困った若手社員"と指摘される人材像として、10年以上前から存在が指摘されている、挨拶が出来ない、指示待ち、すぐ辞める、自分には無理と仕事を拒否するといった「後ろ向き型」、『就活エリートの迷走』に登場する、志望職種や自身が描くキャリアビジョン、成長シナリオにこだわりすぎて迷走する「キャリア迷走型」に加えて、「キャリア迷走型」の迷走のあり方が変わり、次のモードにシフトした「自己充実型」を3つ目のパターンとして挙げています。

 「自己充実型」とは、上昇志向が弱く、リスクを回避し、保守的で、自己の人生を充実したものにするため自分の時間を大切にするタイプですが、この"第3の困った若手社員"は「何をしたらいいかも薄々わかっていながら、そしてそれをする能力もありながら、取り組まない」という失敗するリスクを回避しているだけなのだとし(著者はこれを「成長する自由からの逃走」と呼ぶ)、これは30代後半から上の世代にはなかなか理解出来ない感覚だろうとしています。

 続く第2章では、仕事の特性が変化したこと、そして仕事環境の変質といった状況が若手を育ちにくくしていることについての考察し、これまで日本企業は高度成長期に形成された、新卒を一括採用して新人研修や職場で実務を経験させ、知識や技能を身につけさせるOJTなどを通じて若手を育成してきた。それを本書では「個社完結型『採用・育成』システム」と呼んでいるが、このシステムの寿命は尽きかかっており、今の時代に即した「社会協働型『育成・活用』システム」への移行が急務だとしています。

 第3章では、社会に適応し、成長しようとする若手が紹介されています。会社の採用担当者の多くは「入社後の適応・活躍は、大学時代の経験と密接な関係がある」と確信しているそうだが、そうした若手は大学生活で以下の「5つの経験」をしているとのことです。
●社会人、教員など、自分と「異なる価値観」を有する人たちと、深く交流していた。
●自身が主体者として「PDS(Plan-Do-See 計画・実行・検証)サイクル」を繰り返し回していた。学園祭などのハレの舞台での経験ではなく、日常生活において小さな創意工夫を重ね、そこからの気づきから、やり方や考え方を変えてきた。
●自身にとって負荷がかかること、やりたいわけではないことを、自身の「試練・修行」の場として継続して行っていた。
●自身の思い通りにならず、「挫折」したり「敗北」感を味わったり、他者からの手厳しい「洗礼」を受けていた。
●前記を通じて、自身の「志向・適性の発見」をしていた。他者から指摘されるケースも多い。

 第4章では、大学時代にこうした機会に恵まれなかった人はどうすればいいのかを考察し、それには自分に合った「人が育つ職場」に身を置くことや、OJTの機会を活かすなどの手段があるが、若手の希薄な危機意識やリスク回避などもありなかなか難しく、そんな中、自身のキャリアに不安意識のある若手が参加しているのが、社外で様々な人が集まって行う「勉強会」であるとして、今どきの勉強会の在り様を紹介しつつ、若手人材育成のための代替手段・機能のひとつとして「勉強会」というのは有望なのではないかと推察しています。

 第5章では、目指すべき姿は、「個社完結型『採用・育成』システム」から離脱した「社会協働型『育成・活用』システム」であるとの考え方から(第2章)、大学での教育の重要性について述べています。若者"再生"のカギは「大学での学び」にあるとし、社会に出る前の大学時代における学習経験にあり、社会人になった後にも、自社内にとどまらずに異質な価値観と出会う「越境学習」の機会が必要であるとしています。

 第6章では、同じような考え方からの、企業に向けた提案となっています。これらの効果を高める上で企業には、大卒者全員を基幹人材として採用する考えを一度リセットして「専門コース」「幹部コース」といった具合に「キャリア・コースを複線化」すること(欧米ではこうした区分がスタンダードである)と、多忙を極める管理職の職務を整理、再編することが求められる(マネジャーが、部下の面倒を見ながら自分も業績を上げないといけない"プレイングマネージャー化"している現状を改める)と主張しています。

 全体として『就活エリートの迷走』の続編との印象もありますが、そこから更に進んだ"現代若者像"の分析となっていて興味深く読めたし、また、前著以上に提案部分に力を入れているように思われ、第4章の「勉強会」への参加は、当事者である若者に対して、第5章は大学へ向けて、第6章は企業へ向けてと、提案の対象も(課題に沿って)広角的になっている印象を受けました。

 但し、版元の紹介にも"渾身のリポート"とありましたが、やはり分析や情報提供が提案に勝っているかなという印象も受けました。提案部分では、第4章の「勉強会」の部分はリアルに現況をリポートしており、第5章の「大学教育」の部分も同様に大学で実際に行われている先進的な取り組みを紹介しているのに対し、第6章の「企業」に対する提案はややもやっとした感じでしょうか。企業に対する期待が、今一つ琴線に触れてこない...(実務者ではないから仕方がないのか)。

 例として挙げられている「ユニクロ」にしても、「コース型人事」はこれまで表立って謳っていなかっただけで(誰もが自分が将来幹部になれる可能性があるものと思って入社していた時期があった)、実際の人材登用はこれまでも欧米型でやってきているでしょう。ショップの店員がいきなり本社の経営戦略や企画・マーケティング部門へ異動になるなどということはあり得ず、そうした基幹部署の要員は、コンサルティングファームやシンクタンクなどから"引っこ抜き"採用してきたでしょう。

 企業において、コア人材のためのキャリア・コースを設けるというのは何年か前から言われていることで、その割には導入が進んでいないような気がしますが、著者の言うように、企業のキャリア・コースの分化は傾向としては進んでいくことが考えられます。その意味で、著者の言うことを全否定するつもりは毛頭ないですが、「ユニクロ」は、事例として挙げるには不適切だったように思いました。

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This page contains a single entry by wada published on 2018年10月 7日 08:40.

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