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処世術ではなく、従来の日本的人事を一旦対象化して、功罪を捉え直してみるという意味で○。
『知らないと危ない、会社の裏ルール (日経プレミアシリーズ)』['15年] 『働かないオジサンの給料はなぜ高いのか: 人事評価の真実 (新潮新書)』['14年]
『人事部は見ている』('11年/日経プレミアシリーズ)、『働かないオジサンの給料はなぜ高いか』('14年/新潮新書)などで、日本的人事の仕組みを分かりやすく解説してきた著者が、本書においても、日本企業における社内のヒト同士の関係や組織の在り方に就業規則や社内規定からは窺い知ることのできない「奇妙なルール」があることを指摘することで、"日本的人事"なるものを分かりやすく解説するとともに、そのベースにある日本企業の組織風土的な特質を鋭く分析しています。
例えば、日本企業においては懲戒処分よりも仲間はずれにされることの方が恐ろしく、公私の区分よりも一体感が重視され、「親分―子分」構造が階層型組織を支えているとのことです。こうした日本企業特有のメンタリティの数々を解き明かすとともに、専門職制度がうまくいかないのはなぜか、問題社員でも昇給してしまうのはなぜか、といったことなども分析されています。
前著と重なる内容も多く、サラリーマンの出世のシステムについては『人事部は見ている』以来繰り返されており、日本企業固有のメンバーシップ契約や「同期」についての考察は、テーマ自体はユニークですが『働かないオジサンの給料はなぜ高いか』でもすでに取り上げており、「働かなくても」中高年の給与が高い理由も、(タイトル通り)同書において既に「ラジアーの理論」でもって解説されています。
但し、読み物としても組織論としても『働かないオジサンの給料は...』より洗練されているような気がしました。「同期」についての考察では、人気を博したTVドラマ「半沢直樹」で同期入社の社員同士が協力し合う姿が描かれていることを指摘していますが、何気なく見ているドラマの一場面から始まって、「同期」が日本型雇用の一要素であることを説いてみせているのは巧み。詰まるところ、日本型雇用システムは1つのパッケージであり、組織を動かすボタンの押し方にもルールがあるということになるようです。
著者は最後に、日本型雇用システムは女性からも外国人からも見捨てられるとして、グローバル化が進展する今日において「日本型」をどう変えるのかについて論じていますが、この部分は10ページも無く、やや付け足し風であり、主たる読者ターゲットが一般サラリーマンであることを考えれば、この辺はやむを得ないところでしょうか。
いわゆるサラリーマンを対象にこうした「見えないルール」を説くことは、本書を100パーセント「処世術の書」として読んでしまうような読者がいた場合、「男性正社員モデル」を再生産することに繋がるのではないかとの危惧もあるかもしれませんが、むしろ若い世代ほど、組織の「ルール」やその根底のある風土を認識することと、そうした「ルール」や風土に対する個人的な見方はどうかということは別問題として捉えることが出来るのではないかという気もします。
一方で、人事パーソンの中には、こうした「ルール」を所与のものとして受け容れてきた人も結構いるような気がして、従来の日本的人事の仕組みや「男性正社員モデル」をベースとした社内価値観というものを一旦対象化して、その功罪を捉え直し、これからの人事の在り方を考えてみるという意味で(解説策まで充分には示されていないまでも)本書は意義があるかもしれません。
著者は企業に勤めながらペンネームで執筆業をしているとのことで、内部にいるワーカーとして(役職に就きながら一度それを外された経験を持つ)こうした日本的な会社内のヒトや組織構造の在り方を目の当たりにしてきたであろうことは、本書の随所から窺えます。そして、それらを所与のものとして全肯定するのでなく、一方で、外から見ている評論家のようにそれらをあっさり全否定してしまうわけでもない、そうした、体験的現実感に基づくバランスの上に立っているのが、著者ならではの視点であり、『サラリーマンは二度会社を辞める』('12年/日経プレミアシリーズ)などが読者の共感を呼ぶのもそのためでしょう。
著者は本書を上梓した2014年3月で定年とのこと、その後どのようなテーマを扱い、どのような展開を著作において見せるのか、個人的に注目したいと思ってましたが、じやはり「定年&定年後」にその関心はいったようです。