【2638】 ◎ 三浦 綾子 『泥流地帯 (1977/03 新潮社) /続 泥流地帯 (1979/04 新潮社) ★★★★☆

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開拓部落の人々の貧しい生活と骨太な生き方の描きぶりのリアリズムが効いている。

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泥流地帯 (新潮文庫)』『泥流地帯』 『続・泥流地帯 (新潮文庫)』『泥流地帯 続』 三浦綾子(1922-1999)
1926年の十勝岳大噴火(出典:www.ricen.hokkaido-c.ed.jp)
1926年の十勝岳大噴火.jpg十勝岳大噴火 .jpg 大正15年5月、十勝岳大噴火。突然の火山爆発で、家も学校も恋も夢も泥流が一気に押し流してゆく―。上富良野の市街からさらに一里以上も奥に入った日進部落で、貧しさにも親の不在にも耐えて明るく誠実に生きている拓一、耕作兄弟の上にも、泥流は容赦なく襲いかかる。真面目に生きても無意味なのか? 懸命に生きる彼らの姿を通して、人生の試練の意味を問いかける感動の1926年の十勝岳大噴火mages.jpg長編―(『泥流地帯』文庫内容紹介(裏表紙より))。

 突然爆発した十勝岳の泥流は開拓部落に襲いかかり、一瞬にして、家族の命を奪い、田畠を石河原に変えた。地獄と化した泥流の地から離散していく人々もいるなかで、拓一・耕作兄弟は、祖父・父の苦労の沁み込んだ土地を、もう一度稲の実る美田にしたいと、再び鍬を手にする。そんな彼らに、さらに苦難が襲いかかる。苦闘の青春を描き、人生の報いとは何かを問う感動の完結編―(『続 泥流地帯』文庫内容紹介(裏表紙より))。

噴火による融雪型火山泥流(提供:北海道上富良野町)

泥流地帯 三浦 綾子.jpg 大正末期から昭和初期の北海道上富良野町での十勝岳大噴火による災害の履歴を描いた三浦綾子(1922-1999/77歳没)の長編小説で、『泥流地帯』は1976年1月4日から1976年9月12日まで北海道新聞の日曜版に連載、『続 泥流地帯』は1978年2月26日から1978年11月12日まで同じ北海道新聞の日曜版に連載され、『正』と『続』の間に1年半ばかり間隔がありますが(単行本刊行もそれぞれ'77年3月と'79年4月刊行で2年空いている)、『正』が十勝岳大噴火まで、『続』が大噴火以降を描いているため、1つの物語として見ていいように思います。

 火山泥流で家族、家、畑、家畜を失いながらも、不屈の精神で助け合いながら困難を乗り越える拓一・耕作兄弟が主人公ですが、それに節子、福子という2人の女性が絡んで、青春物語にもなっており(ある種"四角関係"?)、ラストの映画「幸福の黄色いハンカチ」みたいな劇的な情景描写も含め、物語構成の上手さを感じ、さすが40%以上の視聴率を記録したTVドラマ「氷点」の原作者だと思いました(『氷点』は朝日新聞社の懸賞小説に当時無名の作者が募集し受賞した作品。1970年3月12日から1971年5月10日まで連載され、1971年に朝日新聞社より刊行された)。

御嶽山噴火.jpg 因みに、2014年9月27日の御嶽山噴火で、火口付近に居合わせた登山者ら58名が死亡し、これが日本における戦後最悪の火山災害ですが、1926(大正15)年5月発生の十勝岳噴火の死者行方不明者はその倍以上の144名で、犠牲者の殆どは融雪型火山泥流(ラハール)に呑み込まれたことによるものでした(日本最大の噴火被害は、1792(寛政4年)年の雲仙普賢岳の噴火で、岩屑雪崩が有明海に流入して大津波が発生し死者約15,000人、明治以降では、1888(明治21)年の磐梯山噴火で噴火による土石流で477名が死亡している)。
御嶽山噴火(2014年9月27日)

三浦綾子記念文学特別研究員の森下辰衛氏.jpg さて、作品に戻ってこの小説のテーマですが、三浦綾子記念文学特別研究員の森下辰衛氏は、2016年の上富良野町での講演で、「苦難にあった時に、それを災難だと思って歎くか、試練だと思って奮い立つか、その受けとめ方が大事なのではないでしょうか」と呼びかけています。文庫解説の佐古純一郎(1919-2014/享年95)も、「この小説のテーマは『苦難の意味』ということではないだろうか」といい、作者が作品の終わり頃に聖書のヨブ記を持ち出してきていることを指摘しています。その部分を読み直してみると、拓一・耕作兄弟の母・佐枝に対する弟・修平の、「どうして(神は)災難を下すんだ」という質問に、佐枝がまさに、「苦難に会った時に、それを災難と思って嘆くか、試練だと思って奮い立つか、その受けとめ方が大事なのではないでしょうか」と答えていいます。更にそれに対し「しかし、正しい者に災いがあるのは、どうしてもわかんねえなあ」と言う修平に、「叔父さん、わかってもわかんなくてもさ、母さんの言うように、試練だと受け止めて立ち上がった時にね、苦難の意味がわかるんじゃないだろうか。俺はそんな気がするよ」と拓一が続き、耕作も深く頷くとあります(『続 泥流地帯』p.423)。ここまで、「苦難」というものの捉え方に、兄・拓一と弟・耕作の間で若干開きがあったのが、ここで差が埋まったという感じでしょうか。

 ただ、個人的には自分は凡人たる修平に近いかも。一般的にみても、テーマとしての一貫性ということに拘るならば、ラストのハッピーエンドは、本来の逆方向に行っているような気がしなくもありません。でも、その辺りは、作者の作家性のなせる業なのでしょう。読者の誰もが、これだけ苦難を味わった拓一・耕作に、明るく希望の持てる結末が待ち受けていることを望むでしょう。これはこれで良いと思うし、こうした結末だからといって何か読者に迎合しているわけでもないと思います。一方で、「キリスト教小説」かと言って敬遠されるようなものでもなく、何と言っても、前半(正編)からの開拓部落の人々の貧しい生活と、そうした中での骨太な生き方の描きぶりのリアリズムが重く効いていると思います。

【1982年文庫化[新潮文庫(正・続)]】

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This page contains a single entry by wada published on 2018年6月10日 16:15.

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