【2609】 ○ 伊東 潤 「国を蹴った男」―『国を蹴った男』 (2012/10 講談社) 《国を蹴った男」―『この時代小説がすごい! 時代小説傑作選』 (2016/10 宝島社文庫)》 ★★★★

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時代小説においてこれほど途方もないアイデア(状況設定)に出会うことは稀有。

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国を蹴った男 (講談社文庫)』『国を蹴った男』『この時代小説がすごい! 時代小説傑作選 (宝島社文庫 「この時代小説がすごい!」シリーズ)

国を蹴った男 03.jpg 2012(平成24)年・第34回「吉川英治文学新人賞」受賞作。2012(平成24)年下半期・第148回「直木賞」候補作。宝島社の「『この時代小説がすごい!』が選ぶ!時代小説ベストテンアンケート」第1位。

 京の鞠師・五助は、訳あって京を出て、駿河の今川家のお抱え鞠職人になる。今川家当主・氏真は、桶狭間の戦いで織田信長に討たれた今川義元の子で、今は三河の家康の庇護下にあり、名人並みの鞠足の持ち主だった。その、上洛して、家康の同盟者にして「父の仇」でもある信長に京都の相国寺で謁見し、信長の前で蹴鞠を披露することになる。そんな折、五助に今の妻を世話してくれた商人・籠屋宗兵衛が、石山本願寺の意向を受けて、蹴鞠に火薬を仕込んで信長を暗殺する計画を五助に告げる。すでに五助の妻子は人質にとられており、妻子を救うには信長暗殺計画に手を貸すしかない五助だったが―。

 宝島社が、毎年、その年に刊行された時代小説のベストランキングを発表し紹介している『この時代小説がすごい!』のランキングアンケート投票によって選出された短編時代小説のオールタイムベストの第1位作品。ベストテンアンケート投票者は評論家、ライター、編集者など24人で、1人で10位まで投票し、第1位に10点、第2位には9点...第10位には1点、というかたちで累計するもので、59点を獲得し、第2位の笹沢佐保「赦免花は散った」の42点を17ポイント上回っての第1位でした。因みに作者は、この作品の前に「城を噛ませた男」で直木賞候補(第146回)になり、この作品の後も「巨鯨の海」(第150回)、「天下人の茶」(第155回)で候補になっています。

 物語にあるように、氏真が1575(天正3)年3月20日に信長の前で蹴鞠を披露したというのは『信長公記』ある史実で(但し、氏真が同年に詠んだ歌428首を収めた『今川氏真詠草』にはこの会見に関する感慨は記されていない)、翌月に長篠の合戦があり、その後の残敵討伐で、諏訪原城(牧野城)の城主となった氏真は、城主の座を降り(解任され)鞠と和歌に生きる余生を送ることになります。当然のことながら、物語における蹴鞠による信長暗殺計画は未遂に終わり、氏真はそうした計画があったことすら知らなかったことになっていますが、それでは五助はどうしたのか、五助の妻子の命はどうなったのか―。

 短編集『国を蹴った男』は、戦国時代に織田信長や豊臣秀吉などの権力者に翻弄されつつも、自らの信念を貫いた者たちを描いた作品群で、表題作であるこの「国を蹴った男」のテーマそうです。但し、「国を蹴った男」の場合、主人公が武士ではなく蹴鞠職人であり、主人と武士道的な主従関係というよりは蹴鞠を通した友情のようなもので結ばれていながら、その行為は主人を守るためなら自らは命を投げ出すことも厭わないとする、武士以上に覚悟の座ったものです。しかも、何ら恩寵や名誉の見返りのないものだけに感動させられます。

女城主直虎   今川氏真1.jpg この作品はまた、人物造型解釈がユニークです。今川氏真は文化人で蹴鞠の名手でしたが、誰もが天下を狙う時代に暢気に歌を詠み、鞠を蹴っているうちに今川家を滅亡させてしまった公家趣味の暗愚な殿様というイメージがあります。しかし、この作品では、蹴鞠職人・五助の目を通して、氏真の一見暗愚に見える気質の根底にある気高さや柔軟な思考をも描いており、五助が忠誠を寄せるに足る人物となっています。

直虎 今川氏真s.jpg こうした描き方は、今年['17年]のNHKの大河ドラマ「女城主 直虎」においても、尾上松也演じる今川氏真が、最初は浅丘ルリ子演じる祖母・寿桂尼の後見に敷かれて政務をする内に遊興に耽るようになったダメ当主として描かれていたのが、終盤は、独自の割切りで、一代だけだったものの今川家を存続延長させ、自らは好きな芸術の世界に身を転じ余生を永らえた、戦国大名としてはユニークな生き方をした人物としてむしろ肯定的に描かれていることにも通じるように思います(この作品が「直虎」における氏真"再評価"の先直虎 今川氏真    .jpg鞭となった?)。作者がこの作品を書いた頃は(つい5年前だが)、今川義元が桶狭間の戦いで織田信長に敗れたにも関わらず今川氏真が戦国の時代を生き延びた経緯というのが一般にはあまり知られていなかったのではないでしょうか。直木賞選考委員の桐野夏生氏は、「私は、時代背景や当時の状況など、もう少し説明が欲しいと思うところがある」としています(これは短編集全体に対する講評)。但し、これを説明し始めると、かなり複雑で長くなり、短編作品としてのキレが失われたかもしれないと思います。

女城主直虎   今川氏真2.jpg 更にこの作品の白眉とも思えるのは、作中の蹴鞠競技を、通常8人4組制で行われるのを、1人で競うのが好きな信長の意向で変則的な4人4組制にして、信長の相手として氏真の他に、信長に同行した三河の松平家康と、たまたま傍に控えていた羽柴藤吉郎秀吉を加えていることです。籠屋宗兵衛の思惑通り鞠に仕掛けた爆薬が爆発すれば、石山本願寺が望んだ信長暗殺だけでなく、氏真、家康、秀吉も爆死する可能性があり、五助の氏真への思いはともかく、信長、家康、秀吉の3人が同時に、或いはその内の誰かが命を落とすことになるかもしれない状況を作りだしている点です。同時にこの部分は、暗殺の実現可能性という面でネックにもなるようにも思いますが(狙い通り信長が死ぬとは限らず、実質ロシアン・ルーレット状態になってしまう)、それを割り引いて考えても、時代小説においてこれほど途方もないアイデア(状況設定)に出会うことは稀有なように思いました。

【2015年文庫化[講談社文庫]/2016年再文庫化[宝島社文庫(『この時代小説がすごい! 時代小説傑作選』)]】

                





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和田泰明

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