2017年5月 Archives

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今やB級カルトムービー? "男装の麗人" 水の江滝子より、キャットウーマン風の京マチ子か。

花くらべ狸御殿4.jpg花くらべ狸御殿 1949.jpg 花くらべ狸御殿e3.jpg 花くらべ狸御殿0.jpg
「花くらべ狸御殿」VHS 喜多川千鶴/京マチ子
喜多川千鶴/水の江滝子
花くらべ狸御殿 1949 2.jpg 狸御殿の城下町「狸夢(リム)の町」のクラブ「ポン」のマスター・ポン(柳家金語楼)の店に、黒太郎(水の江滝子)と名乗る美青年が現われる。狸御殿の女王は、生まれてこの方一度も笑ったことがないので、彼女を笑わせた者には褒美が出るという御触書が店に貼ってある。怪しい一味が店に乱入し、黒太郎を捕まえようとするが、黒太郎は姿を消し、後に風船が一つ残る。ホステスのお露(大美照子)が風船にキスをすると、黒太郎は元の姿に戻り、頬にはキスマークがついている。店の給仕となった黒太郎は歌も踊りも上手く人気者になる。翌日、今日は、女王様が門前道をお通りになる日なのだと、黒太郎はホステスたちから教えられる。そんな中、無気味な老婆が悪態を付きながら通り過ぎて行き、ホステスらは、森の魔女の手下の泥々(常盤操子)だと言う。その時、御殿から、女王様が出発するのを知らせる大太鼓が響き、泥々は箒に跨がって逃げ帰る。森の魔女の家では、魔女・愛々(京マチ子)が、魔法の鏡にこの世で一番綺麗な者は誰かと問いかけ、それは愛々様だと答えられて満足している。女王一行がポンの店で休憩することになり、女王のおぼろ姫(喜多川千鶴)、左大臣(藤井貢)、右大臣(杉狂児)、司法大臣(渡辺篤)などが来店、それを楽団が歓迎し、ギターを弾く黒太郎が歌う。ホステスの一人が黒太郎にウィンクを投げ、黒太郎が返礼のつもりで胸のバラの花を投げかけると、飲みかけていた女王のコーヒーカップに花びらが落ちてしまう。おぼろ姫は憤然と席を立ち、黒太郎は司法大臣に命じられて御殿に出頭する。左大臣が黒太郎を死刑にするように進言していたが、女王が直々に裁くことに。そのおぼろ姫は、黒太郎を待つ間に卓上の帽子を被ると、アゴ紐の部分が鼻の下にかかり、自ら姿を鏡で見ておかしくなって吹き出す。そこへ現れた黒太郎は、御褒美には何を頂けますかと言い寄り、おぼろ姫に抱きついてキスをする。姫がはじめて笑ったと言う知らせは町中に流れ、人々は祝福の祭りを始める。その頃、愛々は鏡に、世界で一番美しい者は誰かと尋ねていたが、鏡が映し出したのがおぼろ姫の姿だったため逆上する。狸御殿だは初笑い祝賀会が催され、殊勲者として給仕として働いていた黒太郎が紹介され、黒太郎は紹介を受けて歌い始める。そんな中、左大臣はこの国を手中にする野心を持っていた―。

花くらべ狸御殿02.jpg 1949(昭和24)年4月公開の木村恵吾(1903-1986)監督、喜多川千鶴(おぼろ姫)、水の江滝子(黒太郎)、京マチ子(魔女・愛々)主演の大映のオペレッタ喜劇「狸御殿」シリーズの1作。因みに、木村恵吾監督はこの作品の前に、「狸御殿」('39年)、「歌う狸御殿」('42年)、「春爛漫狸祭」('48年)を撮っており、この作品の10年後に、市川雷蔵、若尾文子主演の「初春狸御殿」('59年)を監督しています(木村恵吾監督はこの年(1949年)10 月公開の宇野重吉、京マチ子主演のも監督している)。

 山根貞男氏によれば、この作品の一番の話題は、大映の"狸御殿"映画に、SKDのスターである水の江滝子(1915-2009/享年94)が出演したことで、松竹少女歌劇の"男装の麗人"として"ターキー"の愛称で親しまれ人気を誇った水の江滝子ですが、映画への出演は戦後になってからで、この作品が映画出演第3作だそうです。

痴人の愛 s.jpg花くらべ狸御殿e2.jpg 共演の魔女役の京マチ子は、大阪松竹少女歌劇の人気スターで、言わば水の江滝子の後輩にあたり、映画出演は第2作目。この年(1949年)10 月公開の木村恵吾監督の「痴人の愛」('49年/大映)にも主演し、大女優への道を歩み始めることになります。
京マチ子・宇野重吉「痴人の愛」('49年/大映)

花くらべ狸御殿64.JPG 水の江滝子が服部良一の軽快なリズムに乗せて歌に踊りに得意の芸を次々に披露する作品で、一方で、「春爛漫狸祭」では男役(狸吉郎)だった喜多川千鶴(「二十一の指紋」('48年)、「三十三の足跡」('48年))演じるおぼろ姫と恋をする男役(黒太郎)ということで、何だか宝塚歌劇みたいですが、藤井貢や杉狂児といった男優も出て歌ったりもしている分、2人の関係はレズビアンっぽい雰囲気も醸しているように感じました。更に、京マチ子のアメコミの「キャットウーマン」(1940~)みたいなコスチュームも怪しく、その京マチ子の愛々も水の江滝子の黒太郎を無理やり踊り相手にして、これまたレズビアンっぽく、こうなってくるともう豪華なのかB級なのかよく分からないといった感じ。

花くらべ狸御殿1.jpg ストーリーも、黒太郎や愛々に、更に別の森の魔女の恋々(暁テル子)や喃々(大友千春)も絡んで意味なく混み入っていて、終盤は「インディー・ジョーンズ」風でもあります。当時の謳花くらべ狸御殿82.JPGい文句は「裸女乱舞するロマンとエロチシズムの大オペレッタ映画!」ということでしたが、もう何だかよく分からない。オールセット撮影で、円谷英二が特撮担当ということですが、二重露光などごく基本的な技術しか用いておらず、イマイチ力を発揮していない感じです。

花くらべ狸御殿58.JPG もちろん今観るとエロチックでも何でもないし(京マチ子はパワフルだが)、「初春狸御殿」の時も評価を「?」にしましたが、この作品も今やある意味カルトムービー化しているジェスチャー NHK.jpgように思われ、ストレートに評価しにくい作品です。水の江滝子のファンには必見の作品だと思いますが(後のNHK番組「ジェスチャー」(1953-1968)の紅組キャプテン(水の江滝子)と白組キャプテン(柳家金語楼)が共演しているという意味での珍しさもあるかも)、個人的注目は、ターキーの男装の麗人ぶりよりも、キャットウーマンっぽいコスチュームで負けじと踊る京マチ子だったかもしれません。

花くらべ狸御殿00.jpg花くらべ狸御殿76.jpg「花くらべ狸御殿」●制作年:1949年●監督・脚本:木村恵吾●撮影:牧田行正●音楽:服部良一●特技:円谷英二●時間:89分●出演:水の江滝子/喜多川千鶴/柳家金語楼/京マチ子/暁テル子/大伴千春/常盤操/藤井貢/杉狂児/竹山逸郎/渡辺篤/武田徳倫/寺島貢/村田宏寿/藤代鮎子/大美照子/灰田勝彦/野々宮由紀●公開:1949/04●配給:大映(評価:★★★?)

ジェスチャー NHK4.jpg花くらべ狸御殿00 - .JPG京マチ子 恋の阿蘭陀坂.jpg
                                
京マチ子

若尾文子/市川雷蔵 in「初春狸御殿」(木村恵吾監督)
初春狸御殿_3.jpg木村 恵吾 「初春狸御殿」2.jpg「初春狸御殿」●制作年:1959年●監督・脚本:木村恵吾●製作:三浦信夫●撮影:今井ひろし●音楽:吉田正●時間:95分●出演:市川雷蔵/若尾文子/勝新太郎/中村玉緒/金田一敦子/仁木多鶴子/水谷良重/中村雁治郎/真城千都世/近藤美恵子/楠トシエ/トニー・谷/菅井一郎/江戸屋猫八/三遊若尾文子 市川雷蔵 初春狸御殿a.jpg大井武蔵野館 1989.jpg初春狸御殿20.jpg亭小金馬/左卜全/藤本二三代/神楽坂浮子/松尾和子/小浜奈々子/岸正子/美川純子/大和七海路/小町瑠美子/毛利郁子/嵐三右衛門●公開:1959/12●配給:大映●最初に観た場所:大井武蔵野館 (86-11-15)(評価:★★★?)●併映:「真田風雲録」(加藤泰)

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「怖い名作短編集」の中での筆頭格。普通の人の頭の中にある「異常」に働きかける作品。

短篇集 剃刀 志賀直哉.jpg ちくま日本文学021 志賀直哉.jpg  文豪が書いた怖い名作短編集.jpg
『短篇集 剃刀』(1946/07 斎藤書店)/『志賀直哉 [ちくま日本文学021]』['08年]/『文豪たちが書いた 怖い名作短編集

志賀 直哉 「剃刀」25.jpg 麻布六本木で床屋を営む芳三郎は名人との声も名高い。しかし、今日はひどい風邪で寝込んでいる。ちょうど祭の前の忙しい時期だが、人手が足りない。以前雇っていた源公と治太公を解雇したからだ。芳三郎も以前は彼らと同じ小僧だったが、腕が認められて親方の娘と結婚し店を継いだ。以来、源公と治太公は素行が悪くなり、店の金に手を出すようになったので、芳三郎は二人を解雇したのだ。祭日前の稼ぎ時でありながら体は思うように動かない。妻のお梅は夫の体を気遣って休ませようとするが、その気遣いが芳三郎の神経を余計に苛立たせる。更に、研磨の依頼をされた剃刀のキレが悪いと客から文句があり、熱で震える手で研ぎ直すがうまくいかない。そこへ一人の若者が髭を剃りにやって来る。若者はこれから女郎屋にでも行くらしい。芳三郎は若者の髭を当たり始めるが、きちんと研げていない剃刀ではいつものように剃れない。若者はそれには構わず、やがて眠ってしまう。芳三郎は泣きたいような気持ちになるが、若者の方は大きな口を開けて眠っている。その時、剃刀が引っ掛かり、若者の喉から血が滲んだ。それまで客の顔を一度も傷つけたことのなかった芳三郎は、発作的に剃刀を逆手に持つと、刃が隠れるまで深く若者の喉に刺した。同時に、芳三郎の体には極度の疲労が戻ってきた。立ち尽くす芳三郎の姿を、三方に据えられた鏡だけが見つめていた―。

 1910(明治43)年6月発行の「白樺」第1巻3号に志賀直哉(1883‐1971)が27歳の時に発表した短編小説。因みに1910年という年は、「白樺」の創刊年であり、志賀直哉はこの年「網走まで」を発表しています(1946(昭和21)年齋藤書店刊行の初期短編集には「剃刀」も「網走まで」も収められているが、「剃刀」の方が表題になっている)。

清兵衛と瓢箪・網走まで - コピー.jpg この短編は、齋藤書店版('46年)、ちくま文庫版('08年)のほかに、新潮文庫版『清兵衛と瓢箪・網走まで』('68年)などにも収められていますが、最近では『文豪たちが書いた 怖い名作短編集』('13年/彩図社)にも入っています(ネットでは橋爪功による朗読版が聴ける)。『文豪たちが書いた 怖い名作短編集』には、夢野久作「卵」、夏目漱石「夢十夜」、江戸川乱歩「押絵と旅する男」、小泉八雲「屍に乗る男」「破約」、小川未明「赤いろうそくと人魚」「過ぎた春の記憶」、久生十蘭「昆虫図」「骨仏」、芥川龍之介「妙な話」、志賀直哉「剃刀」、岡本綺堂「蟹」、火野葦平「紅皿」、内田百閒「件」「冥途」の15篇が収められていますが、"恐怖小説"と"幻想小説"や"怪異譚"がやや被っている感じで、結局「怖い」という意味での「筆頭格」と言うか、いちばん怖かったのはこの志賀直哉の「剃刀」だったように思います。

Book Bar.jpg この作品のテーマについては、ちょっとした「気分」に引き摺られて社会から逸脱してしまうことの怖さを描いたものである(荒井均氏)とか、或いはラストの鏡に注目し、殺人にまで至る心身の感覚を不合理として纏めてしまう客観性(紅野謙介氏)であるとか諸説あるようです。また以前に、FM J-WAVE の「BOOK BAR」(ナビゲーターは大倉眞一郎と杏)で、ゲストのシンガーソングライターの吉澤嘉代子氏が、「剃刀」は「男性器」の象徴だと思ったと言っていました。ホント色々な見方があって、読書会などで取り上げられることが多い作品ではないかと想像します。

異常の構造.jpg木村 敏.jpg 個人的には、主人公がもし本当にお客を殺害したのであれば、ある種、統合失調症(昔で言う精神分裂症)の気質の持ち主であったということではないかと思います。この病気(病質)の特徴は、「社会性」や「常識」といったものが失われることにあり、精神病理学者の木村敏氏はその著書『異常の構造』('73年/講談社現代新書)の中で、「常識」は世間的日常性の公理についての実践的感覚であり、分裂症病者はそれが欠落しているとしています。

 但し、木村敏氏は、「正常者」や「正常者の社会」を構造化しているものの脆弱さも指摘しています。これを個人的に解釈させてもらうと、人間というのはちょうど不確定性原理における量子のゆらぎのように、意識の瞬間々々においては「正常」と「異常」の間を行ったり来たりしているけれども、連続性において「正常」の方が「異常」の方よりもより多く現出するため、トータルで何とか「正常」を保っているということになるのではないかと思います(その点がまさに健常者を統合失調症の病者と隔てる垣根となる)。

 そう考えるとこの短編の怖さは、自分がこの芳三郎の立場に立った時、偶々そこで「異常」の方が現出し、芳三郎と同じような行動に出るのではないかという怖さ(不安)ではないかと思います。それはちょうど、高い所が怖い理由が、実は「誤って落ちる」可能性があるから怖いのではなく、「自ら飛び降りてしまう」可能性があるから不安なのであるというのと同じ理屈です。但し、普通の人(「正常」な人)は、そうした「異常」な(発作的・破滅的な)事態を頭の中で想像することには想像するけれども、行為としての実行には至らず、それはあくまでもイメージの世界に止まっているということであると思います。

 この作品はそうした普通の人の心の奥にある潜在的な「異常」に働きかけるものであり、作者はこの作品に一定のリアリティを持たせるために、この短篇を幾度か書き直したそうです。後に「小説の神様」と呼ばれるようになる作者のそうした注力の成果でもあるかと思いますが、例えば、客商売の人であれば誰もが経験しそうで感情移入しやすい、主人公のフラストレーティブな状況をごく自然に描き出している点は巧みであり、それだけに、終盤の主人公の「異常」な行為にまで読者は感情移入してしまうのではないかと思います。

剃刀images.jpg 振り返ってみて、剃られる側に立って想像しても怖い話かと思います。個人的には久しく床屋で顔を剃ってもらったことはないけれど、以前に床屋で剃ってもらっていた頃、その最中にちらっと「今この床屋さんが発狂したら...」と考えた怖い想像も後から甦ってきました。但し、この短編の怖さは、やはり自分がどこかの場面で、芳三郎と同じような行動に出るのではないかという不確実性に対する怖さ(不安)の方が上ではないかと思います。

 余談になりますが、顔剃りができるのが床屋、顔剃りができないのが美容室と区別するのは法律的にも原則は間違っていないそうですが、「化粧に付随した軽い顔剃りは行っても差し支えない」とされていて、顔剃りを売りにしている美容院も最近増えているようです。行きつけの美容師の人に言わせれば、床屋と美容院の違いはバリカンを使うか使わないかではないかとのことです。

【1946年単行本[斎藤書店(『短篇集 剃刀』)]/1968年文庫化[新潮文庫(『清兵衛と瓢箪・網走まで』)]/1992年再文庫化[ちくま文庫(『ちくま日本文学全集』)]/2008年再文庫化[ちくま文庫(『ちくま日本文学021志賀直哉』)]/2013再文庫化[彩図社『文豪たちが書いた 怖い名作短編集』]】

《読書MEMO》
●『文豪たちが書いた 怖い名作短編集』('13年/彩図社)
夢野久作...「卵」/夏目漱石...「夢十夜」/江戸川乱歩...「押絵と旅する男」/小泉八雲/田部隆次訳...「屍に乗る男」「破約」/小川未明...「赤いろうそくと人魚」「過ぎた春の記憶」/久生十蘭...「昆虫図」「骨仏」/芥川龍之介...「妙な話」/志賀直哉...「剃刀/岡本綺堂...「蟹」/火野葦平...「紅皿」/内田百閒...「件」「冥途」

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孫娘が監督。ドキュメンタリーでありながら、ファミリー・ムービーっぽさがある作品。

パリが愛した写真家d.jpg パリが愛した写真家 ドルディル .jpg パリが愛した写真家 07.jpg パリが愛した写真家 rd.jpg
「パリが愛した写真家/ロベール・ドアノー<永遠の3秒>」 クレモンティーヌ・ドルディル  ロベール・ドアノー

パリが愛した写真家02.jpg フランスの国民的写真家ロベール・ドアノー(1912 -1994)の人生と創作に迫ったドキュメンタリーで、監督のクレモンティーヌ・ドルディルはドアノーの孫娘です。作品の撮影秘話や当時の資料映像、親交のあった著名人による証言や(「田舎の日曜日」('84年/仏)の主演女優サビーヌ・アゼマなどとパリが愛した写真家09.jpg親交があり、サビーヌ・アゼマは作品のモデルにもなっている)、作品蒐集家・ファンへのインタビューなどから成ります(作家の堀江敏幸氏がフランス語でコメントしている)。ドアノー自身は写真では殆ど登場せず、家族が映したと思われるカラー8ミリフィルムなどで多く登場するため、どことなくファミリー・ムービーっぽい感じがします。ドアノーという人が全く"大家"ぶっていなくて、冗談好きで人懐っこいキャラクターであることが分かり、こうした人柄が被写体となる人を安心させて、活き活きとした写真を撮ることが出来るのだなあと思いました。

パリが愛した写真家 02.jpg ドアノーは殆どパリで活動していたようです。海外にも行ってはいますが、世界中を飛び回っていたパリが愛した写真家   es.jpgという印象ではありません。今回、アメリカなど海外で撮った写真やカラーで撮った写真も見ることができて良かったですが(アメリカで撮ったカラー作品は、どこか無機質な感じのものが多い)、やはりパリを撮ったモノクロ写真が一番いいように思いました。映画全体を通しても、ドキュメンタリー部分もさることながら、そうした写真を紹介している部分の方が印象に残りました(ちょうど作品集を見ている感じか)。

パリが愛した写真家05.jpg この映画を観て知ったのですが、専らパリで活動していたこともあって、世界的にパリが愛した写真家s03.jpg有名になったのはかなり年齢がいってからのようです。あの有名な「パリ市庁舎前のキス」と呼ばれる作品は、1950年に「ライフ誌」に発表されていますが、この映画によると、その後長らく埋もれていて、ある日突然脚光を浴びた作品であるようです。

パリが愛した写真家01.jpg パリの若い恋人たちのシンボルとなったこの写真のカップルが誰なのかは1992年まで謎のままで、パリに住むラヴェーニュ夫妻は自分たちがこの写真のカップルだと思い込んでいました。夫妻は80年代にドアノーと会っていますが、ドアノーは真相を語らなかったため、夫妻は「無許可で写真を撮影した」としてドアノーを告訴し、裁判所はドアノーに事実を明らかにするよう要求しています。実は写真のカップルはフランソワとジャックという若い俳優の卵で、ドアノーが夫妻に真相を語らなかったのは、夫妻の夢を壊したくなかったからのようです。

「パリ市庁舎前のキス」

 写真の二人は恋人同士で、街角でキスをしているところをドアノーが見つけて近づき、もう一度キスしてくれるよう頼んで撮影したとのことです。しかし二人の関係は9か月しか続かず、ジャックは俳優を諦めてワイン職人になり、フランソワ・ボネは女優として活動を続けました。そして、今度はフランソワがドアノーを相手取り、肖像権料を要求して裁判を起こしますが、1955年の撮影日の数日後にドアノーが写真をプリントしてサインを入れ、謝礼としてフランソワに贈っていたことが判明したため、提訴は受理されませんでした。撮影の55年後の2005年、彼女はその写真をオークションに出品し、それは彼女が提訴によって得ようとした肖像権料を遥かに上回る高額で落札されたとのことです。

パリが愛した写真家08.jpg この映画でも、「パリ市庁舎前のキス」のモデルは恋人同士の俳優の卵であり、ドアノーは他にも多くのモデルを使ってこうした"スナップ"を演出したことはこの映画でも紹介されていますが、裁判のごたごたについては一切触れられていません。ある意味、ドアノーの他者への思いやりときっちりとした性格が窺えるエピソードだと思うのですが、アシスタントを務めていたドアノーの長女アネットによれば、裁判には勝ったもののの、裁判の過程で偽りと嘘に満ちた世界を見てしまったドアノーはひどくショックを受けたそうで、後にアネットは「あの写真は父の晩年を台無しにしてしまった」とまで述べています。

 ドアノーの孫娘であるドルディル監督が、この映画の中であの写真が演出であったことを改めて明かす一方で、あの写真を巡るごたごたに関しては映画の中では一切触れていないのは、やはり同じような思いがあったからではないかと思います(家族の思い出は美しきものであるべきか。まあ、できればそれにこしたことはない)。そうした意味でも、ドキュメンタリーでありながらも、ファミリー・ムービーっぽさがある作品と言えるかもしれません。  
  
   
パリが愛した写真家  s.jpg「パリが愛した写真家/ロベール・ドアノー<永遠の3秒>」●原題:ROBERT DOISNEAU, LE RÉBOLTÉ DU MERVEILLEUX●制作年:2016年●制作国:フランス●監督:クレモンティーヌ・ドルディル●製作:ジャン・ヴァサク●時間:80分●出演:ロベール・ドアノー/フランシーヌ・ドルディル/アネット・ドアノー/サビーヌ・ヴァイス/ダニエル・ペナック/フランソワ・モレル/フィリップ・ドレルム/サビーヌ・アゼマ/ジャン=クロード・カリエール/梶川芳友/佐藤正子/堀江敏幸/クレモンティーヌ・ドルディル/エリック・カラヴァカ●日本公開:2017/04●配給:ブロードメディア・スタジオ●最初に観た場所:渋谷・ユーロスペース(17-04-28)(評価★★★☆)

ユーロスペース2.jpgユーロスペースtizu.jpgユーロスペース 2006(平成18)年1月、渋谷・円山町・KINOHAUSビル(当時は「Q-AXビル」)にオープン(1982(昭和57)年渋谷・桜丘町にオープン、2005(平成17)年11月閉館した旧・渋谷ユーロスペースの後継館。旧ユーロスペース跡地には2005年12月「シアターN渋谷」がオープンしたが2012(平成24)年12月2日閉館)

サビーヌ・アゼマ_01.jpgパリ ロベール・ドアノー写真集.jpg【967】 ○ ロベール・ドアノー 『パリ―ドアノー写真集(1)』 (1992/09 リブロポート) ★★★★
【967】 ○ ロベール・ドアノー 『パリ遊歩―1932-1982』 (1998/02 岩波書店) ★★★☆
【1747】 ◎ ロベール・ドアノー 『パリ―ロベール・ドアノー写真集』 (2009/01 岩波書店) ★★★★★
【1748】 ○ ロベール・ドアノー 『芸術家たちの肖像―ロベール・ドアノー写真集』 (2010/01 岩波書店) ★★★★


「ボー・ド・プロヴァンスのサビーヌ・アゼマ」(1991)
「LES LEICAS DE DOISNEAU ロベール・ドアノー写真展」(ライカギャラリー東京,2016.02)

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原作に忠実で、原作へのリスペクトが感じられた。「ラストのラスト」に監督の趣意が。

沈黙 2016 .jpg沈黙 サイレンス.jpg 沈黙 スコセッシ.jpg
アンドリュー・ガーフィールド/塚本晋也/マーティン・スコセッシ監督

沈黙01.jpg 島原の乱収束の頃、イエズス会の高名な司祭フェレイラ(リーアム・ニーソン)が、布教先の日本で苛酷な弾圧に屈して棄教したという報せがローマに届く。フェレイラの弟子ロドリゴ(沈黙02.jpgアンドリュー・ガーフィールド)とガルペ(アダム・ドライヴァー)は日本に潜入すべくマカオに立寄り、そこで軟弱な日本人キチジロー(窪塚洋介)と出会う。キチジローの案内で五島列島に潜入したロドリゴは隠れキリシタンに歓迎されるが、やがて長崎奉行所に追われる身となる。長崎奉行所が2人の宣教師の身柄を要求し、村人達は必死に匿うが、代償としてイチゾウ(笈田ヨシ)、モキチ(塚本晋也)、キチジローが人質に。奉行沈黙 キチジロー.jpg沈黙 サイレンスges.jpg所は踏み絵だけではキリシタンを炙り出せないと考え、「キリストの像に唾を吐け」と強要、キチジローは従うが、キチジローを除く2人は棄教しきれず、水磔刑に処される。逃亡したロドリゴも、キチジローの裏切りで密告され捕えられる。そのロドリゴの目の前で、ガルペは、幕府によって海へ投げ込まれようとされている信徒らに駆け寄って命を落とす。長崎へ連行されるロドリゴの行沈黙 井上.jpg列を、キチジローは必死で追いかける。長崎奉行所でロドリゴは棄教した師のフェレイラと出会い、また、長崎奉行の井上筑後守(イッセー尾形)との対話を沈黙06.jpg通じて、日本人にとってキリスト教は意味を持つのかという命題を突きつけられる。奉行所の門前でキチジローが何度も何度もロドリゴに会わせて欲しいと泣き叫んでは追い返されるが、ロドリゴはその彼には軽蔑しか感じない。牢につながれたロドリゴにフェレイラが語りかけるが、神の栄光を期待する彼は、その説得を拒絶する一方、彼を悩ませていた遠くから響く鼾のような音を止めてくれと叫ぶ。しかし彼は、その音が鼾ではなく、拷問されている信徒の声であること、その信徒たちはすでに棄教しているのに、ロドリゴが棄教しない限り許されないことを告げられる。自分の信仰を守るのか、棄教して苦しむ信徒を救うべきなのか、究極の選択を迫られたロドリゴは、踏絵を踏むことを受け入れる。敗北に打ちひしがれたロドリゴを、キチジローが裏切った許しを求めて訪ねる―。

沈黙 遠藤周作 新潮文庫.jpg 2016年製作のマーティン・スコセッシ監督作で、遠藤周作の「沈黙」の映画化は篠田正浩監督の「沈黙 SILENCE」('71年/東宝)に次いで2度目。このマーティン・スコセッシ版では「構想28年」というのが謳い文句になってますが、スコセッシ監督が遠藤周作の「沈黙」に出会ったのが28年前の1988年で、読んだ瞬間に映画化を決意したのだが、その深遠で複雑なテーマや権利をめぐる調整などから、映画化に長い歳月を要したとことです。

 スコセッシ監督は「沈黙」について、「寛容」「宗教観」「人間の強さと弱さ」といういくつかのモチーフが交差するこの物語のストーリーが自分の心を掴んでやまないのは、異文化の衝突を描いているからであると述べています。言われてみれば映画の方も確かに一方的に宣教師の側から描くのではなく、キリスト教を持ち込んだ宣教師もまた、日本に暴力を持ち込んだと言えるような見方も成り立ち、役人がそんな彼らの傲慢を一つずつ崩していくために、宣教師たちにプレッシャーを与え続けたのだという捉え方も可能な作りになっているように思います。但し、基本的には原作にかなり忠実に作られており、原作における重要なエピソードはしっかり押さえていて、原作への監督のリスペクトが感じられました。

沈黙 サイレンスs.jpg 信徒たちが拷問されたり処刑されたりするシーンもきちんとハリウッドスタイルでダイナミックに描いていて(水磔刑の塚本晋也と笈田ヨシはたいへんそうだったなあ。それぞれ映画監督と演出家でもあるのだが)、残酷だと思う人もいるかもしれませんが、こうしたシーンも、信徒たちの苦難の道のりや実際に多くの血が流された殉教の歴史を理解するうえでは重要なことではないかと思いました(海に投げ込まれる信徒の数も、逆さ吊りにされる信徒の数も、原作より若干多目だったけれども(各3人→各5人に))。

沈黙 サイレンスes.jpg 映像化作品を観ることのメリットである、原作がよりリアルに味わえ、話の展開が把握しやすくなるという目的は十二分に果たしているように思いました。終盤でロドリゴは究極の選択を迫られますが、その前にガルペが幕府によって海へ投げ込まれようとしている信徒らを前に棄教せずに自らも命を落とすのに対し、ガルペに向かって「棄教しろ」と叫んでいる部分が、ロドリゴが最終的に踏み絵を踏むことになることの伏線になっているように思いました。おそらくその様は、その時ロドリゴの傍らにいた通辞(浅野忠信)によって井上筑後守(イッセー尾形)に伝わっていたのだろうなあ。だから井上は、ロドリゴが棄教することを予測できたのだろうと思いました。

 この物語は、ロドリゴが棄教した後のことも大事だと思います。つまり、今や恐ろしく皮肉なことに、彼が軽蔑し続けてきた、何度も踏み絵を踏んでは自分にすがるキチジローと自分は大差無くなってしまったわけで、そんなロドリゴの傍にも神は在り続けるのか、彼はキリスト者と言えるのかどうか、というのが大きなテーマになってくるかと思います。

 原作では、ロドリゴは、踏絵を踏むことで初めて自分の信じる神の教えの意味を理解することになりますが、映画もそれに倣っているように思いました。但し、その後のロドリゴについては、原作では日本人名を与えられた彼の職務や何十年後かの彼の死亡について古文書で簡潔に記されているだけです。映画でも、日本式で行われる彼の葬儀の模様が「ラスト」にありますが、これで終わりかと思ったら、本当に「ラストのラスト」でスコセッシ監督の原作に対する考え方を象徴するようなシーンが用意されていました。このシーンだけが原作には無く、映画を通しての監督の趣意が前面に出されたシーンであるとも言えますが、非常に印象に残りました。

沈黙 es.jpg 映画を観て気づいたことは、村人たちが司祭らと英語で話している点で、奉行所でも通辞がいない時は、日本人も司祭らとの会話で英語を使沈黙 浅野 窪塚 イッセー尾形 記者会見.jpgっていることです(海外メディアの記者会見では出演者でさほど英語が得意な俳優はおらず、浅野忠信が冒頭にでワンフレーズぐらい英語で話しただけで、後は皆日本語で話していたが)。これを原作に置き換えると、原作では映画ほど会話の数は多くないけれども、村人と司祭の会話はポルトガル語で行われた(つまり村人のポルトガル語を話せた)ということになるのだなあと改めて思った次第です。

沈黙hqdefault.jpg沈黙 浅野忠信.jpg キチジロー役の窪塚洋介、井上役のイッセー尾形をはじめとする日本人俳優は概ね好演だったように思われ、通辞役の渡辺謙の降板で復活起用された浅野忠信もまずまずでした。米国映画であるということもありますが、日本語のセリフを減らして会話を英語にすることで、スコセッシ監督の演出がより行き届いたものになったというのもあるのではないかと思います。

リーアム・ニーソン in「レ・ミゼラブル」('98年/米)/「沈黙 -サイレンス-」('16年/米)
レ・ミゼラブル.jpg 沈黙 サイレンス リーアムニーソン.jpg
アンドリュー・ガーフィールド in「わたしを離さないで」('10年/英)/「ソーシャル・ネットワーク」 ('10年/米)
わたしを離さないで03 (1).jpgアンドリュー・ガーフィールド.jpg

マーティン・スコセッシ監督/浅野忠信/小松菜奈
「小松 菜奈 沈黙」.jpg沈黙 title.jpg「沈黙 -サイレンス-」●原題:SILENCE●制作年:2016年●制作国:アメリカ●監督:マーティン・スコセッシ●製作:ヴィットリオ・チェッキ・ゴーリ/バーバラ沈黙ード.jpg・デ・フィーナ/ランドール・エメット/エマ・ティリンジャー・コスコフ/アーウィン・ウィンクラー/マーティン・スコセッシ●脚本:ジェイ・コックス/マーティン・スコセッシ●撮影:ロドリゴ・プリエト●音楽:キム・アレン・クルーゲ/キャスリン・クルーゲ●原作:遠藤周作「沈黙」●時間:159分●出演:アンドリュー・ガーフィールド/リーアム・ニーソン/アダム角川シネマ有楽町.jpg・ドライヴァー/窪塚洋介/浅野忠信/イッセー尾形/塚本晋也/小松菜奈/加瀬亮/笈田ヨシ/キーラン・ハインズ/遠藤かおる/井川哲也/PANTA/松永拓角川シネマ有楽町_1.jpg角川シネマ 有楽町.jpg野/播田美保/片桐はいり/美知枝/伊佐山ひろ子/三島ゆたか●日本公開:2017/01●配給:KADOKAWA●最初に観た場所:有楽町・角川シネマ有楽町(17-04-09)(評価★★★★☆)

シネカノン有楽町1丁目(2010年1月28日閉館)/角川シネマ有楽町
シネカノン有楽町1丁目.jpg角川シネマ有楽町2.jpg角川シネマ有楽町 2011年2月19日 「読売会館」8階(「シネカノン有楽町1丁目」跡)にオープン(座席数237席)。

2004年にシネカノン有楽町1丁目が開業したが、2010年に同社の民事再生法申請により閉館。2011年2月19日に角川書店の映像事業のフラッグシップ館として居抜きで開館(再開)した。

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「●「谷崎潤一郎賞」受賞作」の インデックッスへ

重いテーマ。但し、神の不在や沈黙がテーマではない作品。技巧面でも優れている。

沈黙 遠藤周作 新潮文庫.jpg 沈黙 遠藤周作 新潮文庫.jpg 沈黙 遠藤周作 単行本.jpg 遠藤周作.bmp
沈黙 (新潮文庫)』 /映画「沈黙‐サイレンス‐」タイアップ帯/『沈黙』['63年/新潮社] 遠藤 周作

 1966(昭和41)年度・第2回「谷崎潤一郎賞」受賞作。

 島原の乱が鎮圧されて間もない頃、ポルトガル司祭ロドリゴとガルペは、キリシタン禁制が厳しい日本に潜入するためマカオに立寄り、そこで軟弱な日本人キチジローと出会う。キチジローの手引きで五島列島に潜入し、隠れキリシタンたちに歓迎されるが、やがて長崎奉行所に追われる身となる。幕府に処刑され殉教する信者たちを前に、ガルペは彼らの元に駆け寄って命を落とす。ロドリゴもキチジローの裏切りで捕らえられ、長崎奉行所でかつての師で棄教したフェレイラと出会い、更にかつては自身も信者であった長崎奉行の井上筑後守との対話を通じて、日本人にとって果たしてキリスト教は意味を持つのかという命題を突きつけられる。ある日、ロドリゴは、日本人信徒たちに加えられる残忍な拷問と悲惨な殉教のうめき声に接することとなり、棄教の淵に立たされる―。

 1966(昭和41)年3月刊行の遠藤周作(1923-1996/享年73)の書き下ろし長編小説で、神の存在、背教の心理、西洋と日本の思想的断絶など、キリスト信仰の根源的な問題に関して切実な問いを投げかけたとされている作品です。テーマとしては、まず「神はなぜ沈黙しているのか」(或いは「神は本当にいるのか」)という絶対的なテーマと、次に「迫害の中で殉教が必ずしも正しい選択とは言えないのではないか」(棄教という選択もあるのではないか)という相対的なテーマの2つのテーマが考えられるように思いました。

 最初の「神は本当にいるのか」というテーマは、日本に来て多くの信者の苦難を目にしてた主人公のロドリゴ自身が、「神は本当にいるのか。もし神がいなければ、幾つもの海を横切り、この小さな不毛の島に一粒の種を持ち運んできた自分の人生は滑稽だった。泳ぎながら、信徒たちの小舟を追ったガルペの一生は滑稽だった」と自問しています。但しこのテーマは、確かに大きなテーマですが、一方で、物語を通して主人公にとって神は(ロドリゴの主観においては)否定し得ないア・プリオリな存在であるようにも思えました。更に言えば、「沈黙」というタイトルでありながら、「神はなぜ沈黙しているのか」ということも、直接の本書のテーマには必ずしもなっていないともとれます。そのことは、当初、作者が予定していたタイトルが「ひなたの匂い」だったのが、新潮社側からインパクトが弱いとされて「沈黙」というタイトルを薦められ、それを受け入れたという経緯からも窺えます。

 問題は2番目の「迫害の中で殉教が必ずしも正しい選択とは言えないのではないか」というテーマであり、このテーマは、ロドリゴとガルペの対比だけでなく、何度も踏み絵を踏み、仕舞いにはロドリゴを奉行所に売り渡しながら、それでもなおロドリゴに告解を受け容れてもらうために付き纏うキチジローや、拷問により棄教したかつてのロドリゴの師フェレイラなども入り交じって、やや複雑な位相を示しているように思いました。

 ロドリゴは、自分を売ったキチジローをユダさながらに見做して許す気になれず、また、拷問により棄教し日本の土壌にキリスト教は馴染まないという結論に至ったかつての師フェレイラを背教者と見做して軽蔑します。それらを認めてしまったら、棄教を拒んで殉教したガルペの死(或いはそれ以前の日本人信徒らの死)は何だったとのかという、1番目の問題と同じことになるからだと思われます。但し、ロドリゴにとって神はア・プリオリな存在であり、井上筑後守との問答はあったにせよ、この段階では彼自身は棄教するつもりは全くありません。

 そして、いよいよ自分自身がフェレイラが受けた拷問と同じような拷問を受けると思われる日が到来し、むしろ張り切ってその場に臨むのですが、実際に彼自身は拷問は受けることはなく、実は何日も前から拷問を受けていたのは何度も棄教した信徒らで、ロドリゴが棄教しない限り彼らへの拷問は続き、彼らはそのままでは死ぬであろうという、かつて、ロドリゴの目の前でガルペが置かれたのと同じような究極の選択をしなければならない状況が彼を襲い、結局ロドリゴは彼自身がそうするとは予期していなかった棄教をします(一方、それは、井上筑後守が予測していたことでもあった)。

 従って以降は、そのようにして「転んだ」司祭であるロドリゴがキリスト者たり得るのか、神は殉教した人々だけでなく、ロドリゴとも共に在るのか―といったことがテーマになっているように思われます。例えばこのテーマは、彼がそれまで汚らわしいものでも見るように捉えていたキチジローにも当て嵌まるテーマであり、ロドリゴにとっては非常に皮肉なテーマでもあるように思いました。

 作者のロドリゴの描き方は、婉曲的ではあるものの、神はまたロドリゴの傍にも在るといったものになっているように思われましたが、このことが、この小説がキリスト教会から非難されることになったり、作者のキリスト教観は非常に母性的なものであって、これは日本人特有のキリスト教観、或いは作者独自のキリスト教観であるといった批判や議論に繋がっていったのでしょう。

 但し、作者自身はそうした議論を喚起するためにこうした小説を書いたのではなく、おそらく作者は、どんな苦難の中でも「私はお前たちに踏まれるため、この世に生れ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ」と声をかけてくれる、「人生の同伴者たるイエス」乃至は「母なる神」を描きたかったのではないかと思います。

 感動作であり、重いテーマの作品(但し、先にも述べたように、神の不在や沈黙がテーマではないと思われる)ですが、技巧面も優れていると思いました。この作品のモチーフは古文書から得ているそうですが、ポルトガル人であるロドリゴのモデルになった司祭は実はイタリア人であって、ポルトガル人であるフェレイラのモデルになった人物との間に師弟関係どころか接触さえなかったのを、二人を同国人にして師弟関係にし、物語上の二人の対比を際立たせたりするなど、ストーリーテラーとしての作者の巧みさが光ります。また、物語の前半を、ロドリゴが本国に宛てた書簡という形で純粋な主観で描き、後半を、ロドリゴの心象を描きながらも三人称の半客観で描き、エピローグを古文書の形を借りた純粋客観で描いているといった構成も巧みであると思いました。

沈黙 サイレンス.jpg 以前に読んで、結構「重い」と感じられたせいか暫く読み返さないでいたのですが、マーティン・スコセッシ監督による映画「沈黙-サイレンス-」('16年/米)の公開を機に読み直しました。もともとそれほど長い小説でもないのですが、とにかく一気に読める密度の濃い作品であると、改めて感じました。

マーティン・スコセッシ監督 「沈黙 -サイレンス-」 (16年/米) (2017/01 KADOKAWA) ★★★★☆

【1981年文庫化[新潮文庫]】

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ラストでナオミが譲治に許しを乞うのは、劇場公開のための表面的なアレンジ?

痴人の愛 1949.jpg 痴人の愛 京マチ子 宇野重吉 .jpg 痴人の愛 京マチ子.jpg  痴人の愛2.jpg
日本映画傑作全集 「痴人の愛」」VHS 宇野重吉/京マチ子         『痴人の愛 (新潮文庫)

痴人の愛101.JPG痴人の愛103.JPG 河合譲治(宇野重吉)は、会社では「君子」と言われ、女などいると思われてない男だが、実はナオミ(京マチ子)いう女と同棲していた。「パパ、スクーター買ってよ」とナオミにせびられると「無理言うんじゃないよ、ナオミちゃん」と言いながら結局買ってやり、洗濯も料理もする譲治だった。以前に神戸へ出張した際に知り合ったカフェの女給ナオミのその肢体に夢中になり、彼女を東京へ連れ帰り、肉体も精神も理想の女にしたいと思って、英語もピアノも勉強させ、ナオミの我儘も我慢しているのだった。しかし、ナオミはそれをいいことに、熊谷(森雅之)、関(三井弘次)、浜田(島崎溌)などの不良と友痴人の愛211.JPG達になってキャバレーやホールを遊び歩き、英語の勉強には少しも身を入れずに譲治を手こずらせ、譲治を怒らしてしまう。だがナオミがふてくされて夜遊びに出痴人の愛252.JPGてしまうと、やはり譲治はナオミが恋しい。ナオミの誕生日、ナオミは不良友達を招待して夜更けまで歌い踊る。譲治は若い男たちとふざけるナオミをみて、やり切れない気持でになる。嫉妬した譲治は、ナオミに関たちと付き合うことを禁じる。ある日、ナオミの提案で鎌倉へ行くことになった譲治は、植木屋の一間を借りて数日をそこで過ごすことに。ナオミは毎日海で遊び、譲治はそこから会社へ通う。しかしナオミはそこでも関や熊谷や浜田たちと遊び、その痴人の愛289.JPG現場痴人の愛297.JPGを譲治に見つかる。譲治は本当に怒ってナオミに「出ていけ!」と言い放つ。夏は終わり、譲治を離れたナオミには金もなく、もう関や浜口たちも相手にしない。宿なしの彼女に真剣な愛情を抱く者はいない。逆に熊谷からまともな生活をするよう諭され、ナオミはうらぶれた気持になり、結局譲治のところへ戻る。今は冷たくナオミを見る譲治に、涙を流し「何でもする、馬にでもなるから許して」と、四つんばいになるナオミだった―。

 1949(昭和24)年公開の木村恵吾(1903-1986)監督、京マチ子(ナオミ)・宇野重吉(河合譲治)主演による「痴人の愛」('49年/大映)で、木村恵吾監督は1960(昭和35)年にも叶順子(ナオミ)・船越英二(河合譲治)主演で「痴人の愛」('60年/大映)を撮っています(この他に、1967(昭和42年)公開の増村保造監督、安田道代(ナオミ)・小沢昭一(河合譲治)主演の「痴人の愛」('67年/大映)もある)。

痴人の愛.jpg 原作は1925(大正14)年刊行の谷崎潤一郎(1886‐1965)の長編耽美小説で、主人公・河合譲治による、7年前(足かけ8年前)の数え年28歳でのナオミ(奈緒美、当時15歳)との出会いから32歳(ナオミ19歳)までの約5年間の回顧という形をとっていますが、映画では、譲治のナオミとの出会いの部分は飛ばして既に同棲生活をしているところから始まります。そこで、いきなり、スクーター買ってという原作に無い話が出てきて、大正末期の出来事ではなく、四半世紀後の映画製作時の"現代"に舞台が翻案されていることが分かります。 但し、原作のエピソードを現代に翻案しながらもほどよく織り込んでいて、原作の持ち味はある程度出ていたように思います。

痴人の愛 京マチ子 宇野重吉2.jpg また、宇野重吉、森雅之といった重鎮の中で、京マチ子が活き活きと演技しているのが印象に残ります(京マチ子は翌年、黒澤明監督の「羅生門」('50年/大映)に出演し、以降、海外の映画祭で自らの主演作が次々と賞を獲ることになる)。

 宇野重吉は当時35歳、京マチ子は当時25歳。主人公がナオミと初めて出会った時、ナオミは15歳だから、二人の出会いの部分をカットしたのは必然的措置と言えるかも。因みに原作でエピローグ的に語られる最終章では譲治は数えで36歳、ナオミは23歳となっていますが(これが原作における"現在")、最後、譲治は会社を辞め、田舎の財産を売った金で横浜にナオミの希望通りの家を買い、もうナオミのすることに何も反対せず、ナオミの肉体の奴隷として生きていくことにする―という終わり方になっています。

 これをこの通り映画化すると世間の批判を受けると思ったのか、映画ではラストでまるで「アリとキリギリス」のキリギリス状態になったナオミが譲治に許しを乞い、譲治は再びナオミを許すという終わり方になっています。そのため、女性の魔性に跪く男の惑乱と陶酔を描いたマゾヒズム文学としての原作の持ち味は、最後にかなり削がれたようにも思います。但し、それまでにとことんナオミのファム・ファタールぶりを描いているだけに、このラストを観て個人的には、また譲治はナオミに騙されたかなと思えなくもないです。だから、あくまで劇場公開のための表面的なアレンジであって、あまり結末の原作との違いのことは気にせずに観ればいいのかもしれません(そう思って評価は星半分オマケ)。

痴人の愛...京マチ子e.jpg痴人の愛 京マチ子 森雅之 .jpg「痴人の愛」●制作年:1949年●監督:木村恵吾●脚本:木村恵吾/八田尚之●撮影:竹村康和●音楽:飯田三郎●原作:谷崎潤一郎●時間:89分●出演:宇野重吉/京マチ子/森雅之/島崎溌/三井弘次/上田寛/菅井一郎/近衛敏明/清水将夫/北河内妙子/藤代鮎子/片川悦子/大美輝子/葛木香一/奈良岡朋子/原聖四郎/小柳圭子/牧竜介/小松みどり●公開:1949/10●配給:大映(評価:★★★☆) 京マチ子(ナオミ)/森雅之(金持の息子・熊谷政太郎))

京マチ子/宇野重吉(主人公・河合譲治)

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ほっこりさせられるけれども、全体にややパンチ不足だったという印象も。

向田理髪店.jpg 向田理髪店0_.jpg 『向田理髪店』(2016/04 光文社)

 かつて炭鉱で栄えた北海道の苫沢(とまざわ)町にある昔ながらの床屋・向田理髪店。店主の向田康彦は52歳で、28歳の時に札幌の会社を辞めて父の後を継いだ。朝の7時に開店して、じっと客を待つ。新しい客は来ないから、日々の売り上げに変化はない。息子に後を継いでもらおうとも思っていない。そんな日々の中、雪が降ればゴーストタウンと化してしまう苫沢を舞台に6つのエピソードが繰り広げられる―。

 ・「向田理髪店」......札幌で就職した息子がわずか1年で会社を辞めて帰郷し、理髪店を継ぐと言い出す。
 ・「祭りのあと」......幼馴染の老父が突然倒れ危篤状態に。周囲の家族らは大丈夫か?
 ・「中国からの花嫁」......異国の花嫁がやって来て、町民は歓迎するが、新郎はなぜかお披露目を避け続ける。
 ・「小さなスナック」......町に久々のスナック新規開店し、話題の美人ママにオヤジ連中は浮き立つ。
 ・「赤い雪」......町が有名女優主演映画のロケ地に決定し、町民は大興奮だが、次第に町の雰囲気が―。
 ・「逃亡者」......地元出身の若者が詐欺事件の全国指名手配犯に! まさか、あのいい子が―。

 作者が光文社の雑誌「小説宝石」に2013年から2016年にかけて間歇的に連載した連作で、苫沢町は架空の町ですが、かつて炭鉱で栄えたものの今は寂れ、財政破綻してしまった過疎の町と言えば、自ずと夕張市がモデルということになるでしょうか(夕張市を舞台モデルとした作品では、海堂尊氏の『極北クレイマー』('09年/朝日新聞出版)を思い出した)。

 この苫沢町では、財政破たんして先行きが見えない状況の中でも、人々は力強く生き、人間臭い出来事は起こり、町を活性化しようと若者たちは頑張っているのが伝わって来て、ほろりとさせられました。

 住んでいる人たちの距離感が近すぎて(そのためにトラブルも起きたりする)、やっぱりこういう所で暮らすのは面倒臭いだろうなあと思いながら(中国から花嫁を貰いながらお披露目を躊躇する男性の気持ちが分かる)、一方で、こうした地域コミュニティの密な繋がりに、懐かしさにも似た憧れを感じなくもありませんでした(でも、実際に住むとなるとやっぱり面倒?)。

 個々のトッピクとしては、「中国からの花嫁」が一番面白くて、また心に沁みたでしょうか。「小さなスナック」「赤い雪」も悪くなかったです。但し、作者の作品の中で相対評価すると、ほっこりした気分にさせられるけれども、全体にややパンチ不足だったという印象も受けます(どこかの書評で作者にしてはマイルド系って書いてあった)。この前に読んだ作者の作品が『沈黙の町で』('13年/朝日新聞出版)というヘビーな作品であったせいもあるかもしれません。でも、この連作の続きが出たらまた読んでみたい気もします。

居酒屋兆治 4.jpg 「赤い雪」に出て来る映画「赤い雪」の主演女優・大原涼子はおそらく大原麗子(1946-2009/享年62)からモチーフを得たのでしょう。降旗康男監督、高倉健主演の函館(夕張ではなく)を舞台にした「居酒屋兆治」('83年/東宝)に37歳の時に出演しているし、NHKの'89年の大河ドラマ「春日局」に主人公の春日局役で出ているし、ビールのCMではないけれどサントリー・レッドのCMに出ていました(その際のセリフは「ちょっと愛して、長~く愛して」)。孤独死と言えるかどうかは分からないけけれど、ちょっと寂しい亡くなり方をしたのを思い出しました。
大原麗子 in 「居酒屋兆治」('83年/東宝)


【2018年文庫化[光文社文庫]】

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藤原新也版「老人と海」×「魚影の群れ」みたい。力強いが若干の作り物っぽさも。

大鮃(おひょう).jpg リング・オブ・ブロッガー2.jpg  大鮃 .jpg
大鮃(おひょう)』 リング・オブ・ブロッガー/大鮃 Atlantic halibut 540 pounds (245kg) caught in Norway

オークニー諸島1.jpgオークニー諸島Islands.gif 英国人の父と日本人の母を持ち、ネットを介した翻訳業で生計を立てている30代の男・太古。彼は、オンラインゲーム中毒に悩み、女性恐怖症でもあり、社会と直接交わることを避け、ゲーム中心の生活を送ってきた。カウンセリングに訪れた精神科で、自分が5歳の時に父親を自殺で失くしていると告白した彼は、精神科医から父性的な強さを学ぶ機会を失った可能性があると診断され、父の生まれ故郷の空気に接することを勧められる。かくして太古は、亡き父の故郷、スコットランド最北端に位置するオークニー諸島へと旅立つ。そこで彼は、父親的役割を果たしてくれる老人マークと出会い、更には彼に導かれて、若き日の父の趣味でもあった、大きいもので2メートル以上もあるという大鮃(おひょう)を釣ることに、父と同じ海で挑むことになる―。

 主人公が英国人と日本人のハーフで、引っ籠り気味のゲーマーで、更には外国の地、しかも英国の北の外れを旅する話ということで、最初はやや感情移入しいくいかなと思いましたが、読み進むうちに自然と話に入っていくことが出来ました。むしろ、主人公が「父性」なるものに出会うことができるかという旅の先に、老人に付き従って巨大魚・大鮃を釣りに行くことになるという展開が待ち受けていたというのは、典型的なエディプス・コンプレックスの克服物語、真の大人になるための成長物語であり、感情移入し易かったと言ってもいいかと思います。

 一方で、登場人物が、今まさに主人公が対面している人物も、回想譚に出て来る人物も共にどこか説話的であり、ドラゴンクエストのようなRPGに出て来るような感じで、主人公自身が直面した現実をゲームに重ねているように、まだ、何だかドラクエのようなゲームが続いているようにも感じられました。多分この感触は、話が出来過ぎているような印象から来るのかもしれませんし、作者が意図的にRPGの延長として描いているのかもしれません。

リング・オブ・ブロッガー.jpg とは言え、オークニーの厳しい自然や嵐の中で訪れるリング・オブ・ブロッガーの描写などは簡潔で格調高く、終盤のマークと主人公の二人がかりでの大鮃との格闘には思わず引き込まれ、あたかもヘミングウェイの「老人と海」を想起させるほどに力強いものでした。更には、年少者がベテランに付き従って初めて漁に出るという点では、大間のマグロ漁師に材を取った吉村昭の「魚影の群れ」を思い出したりもしました(藤原新也版「老人と海」とか、藤原新也版「魚影の群れ」といったキャッチをつけたくなる)。ただ、Amazon.comのレビューなどを見ると多くは手放しに絶賛しているのですが、全体を通しては、個人的にはやはりどうしても、若干の作り話っぽさがどこか感じられるのも拭えませんでした。

 因みに本書のiBooks版には、特典として作者がオークニー諸島を訪れた際に撮り下ろした写真や自らが歌うアイルランド民謡「ダニーボーイ」が収録されたフォトムービーがついてくるそうです。作者は写真家でもあるので、写真が付いてきてもいいとは思いますが、こうしたコラボレーションもどこかその"作り物っぽさ"を助長しているような気もしないでもないです。でも、オークニー諸島、行ってみたいのは行ってみたいけれどね。

大鮃 -おひょう301.jpg大鮃(halibut)
Alaska(2016.8.7)

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映画「うなぎ」にかなり反映されている。川西政明の文庫解説にやや違和感を覚えた。

仮釈放 吉村昭 1988.jpg仮釈放 吉村昭 文庫 旧カバー.jpg 仮釈放 吉村昭 文庫 新カバー.jpg   うなぎ dvd 完全版_.jpg
『仮釈放』(新潮文庫旧カバー版)/『仮釈放 (新潮文庫)』 「うなぎ 完全版 [DVD]
仮釈放』(1988/04 新潮社)

 浮気をした妻と相手の男の母親を殺害し、無期懲役の刑を受けて服役していた元高校教師の菊谷は、服役中の成績良好ということで仮釈放されることになった。菊谷は16年ぶりに刑務所を出て、大きく変貌した社会の様子に困惑しつつも、保護司や身元引受人達の支えを受けて、徐々に社会復帰していく。他人に過去を知られることを恐れ、一生保護観察下に置かれることの苦しさを感じながらも、だんだんと仕事に馴染み、菊谷の気持ちも安定するようになった。 その一方で菊谷は、事件を振り返っても被害者への懺悔の気持ちは湧いてこず、殺人を犯した動機もはっきりしない。自分の内部に得体の知れぬものが潜んでいるように思え、自問自答しても答えを見出すことが出来ないでいた―。

 1988(昭和63)年に刊行された吉村昭(1927-2006)の書き下ろし長編小説で、中盤までは、長期にわたって刑務所にいた主人公が久しぶりに社会へ出ていく際に生じる戸惑いが克明に記されています。また、罪を犯した人間の社会復帰を無報酬で支える保護司という仕事も紹介されて、興味深く読むとともに、そうした仕事への作者の敬意を感じました。

うなぎ 05.jpg これらについては、今村昌平監督が第50回カンヌ映画祭でパルムドール賞を受賞した映画「うなぎ」('97年/日活)の中にも織り込まれていたように思います。「うなぎ」の元々の原作は吉村昭の短編「闇にひらめく」(『海馬(トド)』('89年/新潮社)所収)であり、「闇にひらめく」も妻の不倫現場を見て妻と相手の男を刺した男の刑務所から出所後の話です。「闇にひらめく」では男はヤスでウナギを突くウナギ採りに師事し、鰻屋を営むようになった男のもとへ、自殺未遂をした女性が転がり込んでくるという展開ですが、映画「うなぎ」で役所広司が演じた、服役8年後に仮出所した主人公が示す様々な不安や戸惑いは、むしろこの『仮釈放』から引かれているように思いました。

うなぎ 03.jpg 映画「うなぎ」では男はウナギ採りに師事して鰻屋を営むのではなく、理髪店を営みつつウナギを飼うことでそれを心の慰めとしますが、これは完全にこの『仮釈放』の主人公がメダカを飼う動機と同じでしょう(「闇にひらめく」には主人公が何か生き物を飼うという話は無い)。その他、主人公が犯した事件のあった当初、妻の不倫が何者からかの手紙によって発覚したことや、同じ刑務所の受刑者仲間だった男が主人公に接触することなども『仮釈放』からとられており、常田富士男が演じた保護司の人物像も『仮釈放』の保護司・竹林に近いように思いました。

 映画は最後、主人公が女を守ろうとして、あるいざこざから一旦また刑務所に逆戻りするという結末ですが(原作「闇にひらめく」にはこの結末はない)、主人公はその時点で精神的には恢復しており、将来に希望が持てるラストになっています(原作「闇にひらめく」もその意味では同じ)。しかしながら、この『仮釈放』で作者は、主人公が「第二の殺人」を犯してしまうという不幸で重い結末を用意しています。

 文庫解説の川西政明(1941-2016)は、主人公に悲劇の「原型」を見た思いがしたとしていますが、自分もそれに似たような思いを抱かずにはおれませんでした。但し、その解説によれば、主人公が妻を殺し妻の愛人に傷を負わせたことは情状酌量の余地があるが、なんの関係もない妻の愛人の母親を殺したことは許し難く、無期懲役の判決の要因がそこにあるにも関わらず、そのことに無感覚であること、また殺人そのものに無感覚であることに主人公に悲劇の源があるといった論調になっており、Amazon.com のレビューなどでも、「この小説の主人公にとっての罰は、二度目の殺人ということになるだろう。この罰は、彼が最初の殺人に対して罪の意識を持てなかったことの必然的な結果であった」といったコメントがあって、多くの賛同を得ているようでした。

 一方で、少数ながら、「他のレビューを見ると罪の意識や反省の有無について書かれているものが多く違和感を感じた」「因果応報を描いた話ではなく、人の心理に潜む救いようのない業について描いたもの」というものもあり、自分の印象もこれに近いものでした。主人公が、事件を振り返っても被害者への懺悔の気持ちは湧いてこなかったというのは確かですが、二度目に起きた殺人事件は、個人の性(さが)に起因する「宿命論」的悲劇と言うより、「運命の皮肉」がもたらした悲劇に近いような気がしました(「第二の殺人」の犠牲者は保護司が世話してくれた新しい妻だった)。そもそも、ここで描かれている「第二の殺人」は、(どう裁かれるかは別として)「殺人」と言うより「傷害致死」に近いのではないかと思います。

 川西政明はこの作品の主人公を、ドストエフスキーの『罪と罰』の極めて人間的な殺人犯ラスコーリニコフ(彼も金貸しの老婆と共に無関係な同居人まで殺害してしまったのだが)と対比させて、"人間の倫理的な底が抜け落ちている"殺人犯とし、その殺人には戦慄すべきものがあるとしています、また、この作品は早期に英語、フランス語、ドイツ語に翻訳されています。川西政明の解釈が正しいのかもしれませんが、個人的には主人公をそこまで断罪しきれないように思いました。

【1991年文庫化[新潮文庫]】

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岸田今日子、若尾文子、船越英二、川津祐介らの演技力でドタバタ喜劇にならずに済んだ。

卍 1964 dvd new.jpg卍 1964 02.jpg卍 1964 00.jpg
卍(まんじ) [DVD]」 岸田今日子/若尾文子

Manji01.jpg 弁護士の夫に不満のある妻・柿内園子(岸田今日子)は、美術学校で魅惑的な女性・徳光光子(若尾文子)と出会う。学校内で二人は同性愛ではないかとの噂が立ち、最初は深い関係ではなかった二人だが、次第に離れられない深い関係に陥っていく。二人の関係を訝しむ園子卍 1964 01.jpgの夫・孝太郎(船越英二)の非難を尻目に、すっかり光子の美しさに魅了された園子だったが、そこへ光子が妊娠したという話が持ち上がり、園子は光子に綿貫栄次郎(川津祐介)という婚約者がいたことを初めて知って憤る。綿貫は、園子に光子への愛を二人で分かち合おうと持ちかけて誓約書を作り、光子に押印させ、光子、園子、綿貫の三角関係が生れる。しかし、この関係は長くは続かず、園子は実は綿貫は性的不能者で、妊娠は狂言であったと言う。光子は、園Manji002.jpg子と綿貫との誓約関係を反故にさせようするが、その動きを知った綿貫は光子を脅迫する。切羽詰まった光子は園子と共に睡眠薬で狂言自殺をするが、意識朦朧のまま園子が見たのは、自殺未遂の知らせを聞いて駈けつけた園子の夫・孝太郎と光子の卍 1964 ド.jpg情事だった。今度は、光子の虜となった孝太郎と、光子、園子の間に新たな三角関係が生まれる。以前の園子と綿貫の間で交わした誓約書は、綿貫から孝太郎に戻されていたが、ある日、綿貫が密かに撮っておいた誓約書の写真が新聞に掲載されてスキャンダルとなる。光子、園子、孝太郎の三人は、三人とも自殺して全てを清算しようと考える―。

谷崎 卍 新潮文庫.jpg増村保造.jpg 1964(昭和39)年公開の谷崎潤一郎原作『』の映画化作で、監督は増村保造(1924-1986)監督、脚本は新藤兼人(1912-2012)。以降、海外も含め4度ほど映画化されていて、全部観たわけではないですが、おそらくストーリーの流れとしては最も原作に近いのではないでしょうか。

増村保造(1924-1986)

 時代設定が、原作で明治43(1910)年の出来事だったのが、映画では映画製作時の現在(昭和39(1964)年)になっていて、50年以上隔たりがありますが、不思議と原作との間に違和感がありませんでした。まあ、同性愛という刺激的なモチーフでもあるし、谷崎の原作そのものがモダンな雰囲気を持っているというのもあるかもしれません。

manji 1964  kishida.jpg卍 1964 0.jpg 岸田今日子(1930-2006/享年76)演じる園子が作家と思われる「先生」に自分の体験を語るという原作の枠組みも生かされています(先生を演じている三津田健は一言も発しない)。考えてみたら、原作はこの内容をすべて園子一人の"語り"で描いて、しかも飽きさせずに読ませるというのは、やはり原作はスゴイのではないかと思った次第です。映画でも時々、岸田今日子演じる園子の"語り"が入りますが、この人もやはり演技達者だなあと思いました。

卍 1964   .jpg 光子という女性に、園子、孝太郎、栄次郎の三人が振り回されっぱなしになるというストーリー展開で、"卍" にはこの四者の入り組んだ関係を象徴したものだと改めて思いましたが、演技は岸田今日子だけでなく、それぞれに良かったように思います。

Manji02.jpg 若尾文子(1933- )は当時30歳で、ファム・ファタールである光子の妖しい魅力を存分に発揮しており、船越英二(1923-2007/享年84)の演技も手堅かったです(船越英二は谷崎原作の「痴人の愛」('60年/大映)にも出ている)。予想以上に良かっ卍 1964.jpgたのmanji 1964    .jpg川津祐介(1935- )で、卑屈で小狡いが見ていてどこか哀しさもある男・綿貫栄次郎を演じて巧みでした。結局、岸田今日子も含め四人の演技力に支えられている作品だったように思います(勿論、増村保造監督の演出力もあると思うが)。

 途中、光子が自分で自らが仕組んだカラクリのネタばらしをしてしまう点などかが、ちょっとだけ原作と違ったかなあという程度です(かなり慌ただしいストーリー展開だから無理もないのか)。谷崎潤一郎作品って、『痴人の愛』も『鍵』もそうですが、映像化するに際して一歩間違えるとドタバタ喜劇にもなりかねないような要素があるように思われます。この作品は、四人の演技力によって何とかそれを免れているように思いました。

卍 1964 5.jpg卍 1964 manji.jpg 原作の細やかな情感まで描き切るのは難しかったのかもしれませんが、まずまずの出来だったと思います。原作の内容を実イメージとして把握する助けになる作品と言えるでしょう。この作品の7年前に谷崎の『』を映画化した市川昆監督は(「」('59年/大映))、結末を原作と全く変えてしまっていましたが、市川昆がこの作品を撮っていたらどうなっていたでしょうか。
「卍」●制作年:1964年●監督:増村保造●脚本:新藤兼人●撮影:小林節雄●音楽:山内(やまのうち)正●原作:谷崎潤一郎●時間:90分●出演:若尾文子/岸田今日子/川津祐介/船越英二/山茶花究/村田扶実子/南雲鏡子/響令子/三津田健●公開:1964/07●配給:大映(評価:★★★☆)

山内正.jpgザ・ガードマン.jpg 音楽は山内(やまのうち)正(1927-1980)。父親は弁士の山野一郎、長兄は俳優の山内明、次兄は脚本家の山内久という映画一家でしたが、53歳と比較的早くに亡くなっています。映画「大怪獣ガメラ」('65年/大映)やテレビドラマ「東京警備指令 ザ・ガードマン」('65年-'71年)などの音楽も手掛けていますが、管弦楽曲、バレイ音楽など純音楽作品も遺しました。ただ、やはり、宇津井健主演の「ザ・ガードマン」のテーマが一番印象に残っているでしょうか。「ザ・ガードマン」は最初モノクロで'69年ころからカラーになっていますが、個人的にはモノクロの印象の方が強いです。モデルは1962年設立の日本初の警備会社「日本警備保障」(現在のセコム)。最高視聴率40.5%(1967年9月22日)。

「ザ・ガードマン」 第127話「現金強奪作戦」 1967.09.08
レギュラー出演者:宇津井健/稲葉義男/神山繁/中条静夫/倉石功/川津祐介/藤巻潤
ゲスト出演者:小瀬格/清水まゆみ/小坂一也

ザ・ガードマンc.jpg「東京警備指令 ザ・ガードマン」●監督:村山三男/井上芳夫/富本壮吉/崎山周/湯浅憲明/土井茂/弓削太郎/佐藤肇ほか●脚本:下飯坂菊馬/増村保造/安藤日出男/松木ひろし/加瀬高之ほか●プロデューサー:野添和子/春日千春/小森忠/柳田博美ほか●音楽:山内正/大塩潤→渡辺岳夫●撮影:浅井宏彦/山崎忠/森田富士郎/武田千吉郎●出演:宇津井健/藤巻潤/川津祐介/倉石功/稲葉義男/中条静夫/神山繁/清水将夫●放映:1965/04~1971/12(全350回)●放送局:TBS


「卍」撮影風景
卍 f99b6.jpg卍e7461.jpg

船越英二 in「黒い十人の女」('61年/大映)/「卍」('64年/大映)/「盲獣」('69年/大映)
黒い十人の女 03.jpg 卍 船越英二.jpg 盲獣19.jpg

山内(やまのうち)正 作曲・編曲「ザ・ガードマン」のテーマ

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『痴人の愛』『鍵』と並ぶ谷崎文学のファム・ファタール作品の傑作。

谷崎 卍 新潮文庫9.jpg 谷崎 卍 新潮文庫.jpg 谷崎 卍 岩波文庫.jpg 谷崎 卍 文庫_.jpg  映画「卍」 .jpg
新潮文庫/『卍 (新潮文庫)』/『卍(まんじ) (1985年) (岩波文庫)』/『卍(まんじ) (岩波文庫)』映画「
『卍』(改造社)1931(昭和6)年4月20日初版
谷崎 卍 1931年.jpg 弁護士の夫に不満のある若い妻・柿内園子は、技芸学校の絵画教室で出会った徳光光子と禁断の関係に落ちる。しかし奔放で妖艶な光子は、一方で異性の愛人・綿貫とも交際していることが分かり、園子は光子への狂おしいまでの情欲と独占欲に苦しむ。更に、互いを縛る情欲の絡み合いは、園子の夫・孝太郎をも巻き込み、園子は死を思いつめるが―。

 谷崎潤一郎(1886-1965)の長編小説で雑誌「改造」の1928(昭和3)年3月号から1930(昭和5年)4月号まで断続的に連載されたもの。時期的には、作者の代表作で言えば、『痴人の愛』(1924年)と『春琴抄』(1933年)の間の時期で、『蓼喰う虫』(1928年-29年)と時期が重なることになりますが、『蓼喰う虫』は東京日日新聞(今の毎日新聞)に連載された新聞連載小説であり、こちらは雑誌に発表されたものです(何れにせよ、この頃作者は旺盛な創作活動期にあったとみていい)。

香櫨園海岸1.jpg 谷崎潤一郎は1923(大正12)年の関東大震災を契機にその年に関西に移住しており、移住前から構想があった『痴人の愛』の舞台は東京ですが、『春琴抄』の舞台は大阪、『蓼喰う虫』は大阪と兵庫(須磨)、そしてこの『卍』も、主人公の園子の自宅は西宮の香櫨園海岸にあるという設定になっています。

西宮・香櫨園海岸

 更に、この小説は、主人公・園子の一人称で、小説家である「先生」に徳光光子との関係を巡る事件を物語るというスタイルをとっており、終始一貫して園子の関西弁の語りで物語が成り立っているというのが特徴です。そのため、本来ならばどぎついと思われるような内容も、関西弁の柔らかい感じがそのどぎつさを包み込んでいるような印象を受けました(使われている関西弁が正しくないとの指摘もあるようだが、個人的にはそれはあまり感じなかった)。

 光子という一人の妖婦に周囲の3人の大人(園子、綿貫、孝太郎)が翻弄され、とりわけ園子と孝太郎が夫婦ごと光子の奴隷のような存在になっていく過程が凄いなあと思います。光子は、周囲を巻き込んでいくという点で、『痴人の愛』のナオミにも通じる気がしました。また、園子がどこまでを計算して、どこまでを無意識でやっているのかが読者にもすぐには判別しかねるという点では、作者の後の作品『鍵』(1956年)の郁子にも通じるものがあるように思います。

 結局、かなりの部分は光子の計略だったのだろなあ。でも、結末からすると、光子は実に純粋だった(自らの欲望に対してと言うことになるが)ということになるのかもしれません。今風に言えば、自己愛性人格障害とか演技性人格障害といった範疇に入るのかもしれないけれど。最後は園子の夫・栄次郎まで事件に巻き込まれるであろうということは、読んでいてかなり早い段階で気づくのですが...。

 同性愛小説という捉えられ方をされ、実際その通りですが、孝太郎まで園子の犠牲(?)になっているから、これはもう『痴人の愛』『鍵』と並んで、谷崎文学の三大ファム・ファタール作品と言えるかもしれません。まあ、この作家の場合、『瘋癲老人日記』や、短編の「刺青」などもあるため、「三大」では収まらないかもしれませんが、個人的に『痴人の愛』『鍵』と並んでこの作品も傑作であるように思われます。そんなこんなで、日本文学におけるファム・ファタール文学と言うと、やはり真っ先に谷崎潤一郎を想起します。

 この作品は、海外を含め過去5回映画化されていますが、増村保造監督の「」('64年/大映)は比較的原作に忠実に作られていたように思います。
 ・「卍」(1964年・大映)監督:増村保造/脚本:新藤兼人/出演:若尾文子、岸田今日子、川津祐介、船越英二ほか
 ・「卍」(1983年・東映)監督:横山博人/脚本:馬場当/出演:樋口可南子、高瀬春奈、小山明子、原田芳雄ほか
 ・「卍/ベルリン・アフェア』(1985年/伊・独)監督:リリアーナ・カヴァーニ/出演:グドルン・ランドグレーベ、高樹澪、ケヴィン・マクナリー
 ・「卍」(1998年・ギャガ・コミュニケーションズ)監督:服部光則/出演:坂上香織、真弓倫子ほか
 ・「卍」(2006年・アートポート)監督・脚本:井口昇/出演:不二子、秋桜子、荒川良々、野村宏伸ほか

谷崎 卍 中公文庫 .jpg谷崎 卍 中公文庫 2.jpg卍 1964 02.jpg【1951年文庫化[新潮文庫]/1955年再文庫化[角川文庫]/1956年再文庫化[河出文庫]/1985年再文庫化[岩波文庫]/1985年再文庫化[中公文庫(『蘆刈・卍』)]/2006年再文庫化[中公文庫(『卍』)]】
「卍」 (1964/07 大映) ★★★☆

蘆刈・卍 (中公文庫)』/『卍(まんじ) (中公文庫)

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