【2487】 △ マキノ 正博 「家光と彦左 (1941/03 東宝東京) ★★★

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長谷川一夫(二役)を観るための映画のような印象。古川緑波の彦左衛門も悪くないが...。

家光と彦左38.jpg家光と彦左37.jpg 家光と彦左7-s.JPG
「家光と彦左」VHS  長谷川一夫(徳川家光)・古川緑波

古川緑波(大久保彦左衛門)/黒川弥太郎(松平伊豆守)
家光と彦左01.JPG家光と彦左02.JPG 大久保彦左衛門(古川緑波)は大阪冬の陣で、主君・徳川家康(鳥羽陽之助)を背負って戦地の中ひた走りその命を守った忠君。冬の陣も終わって徳川の世となり、二代将軍秀忠(佐伯秀男)は、家臣・松平伊豆守(黒川弥太郎)の進言を受け、世継ぎに次男国松(小高たかし)を選ぼうとしていた。そこへその彦左衛門が現われ、家康の遺言に奉じ死を賭けて竹千代(林成年)を護り抜くとした。その一途さに秀忠は決定を覆し、長男竹千代を世継ぎにすることに。時は過ぎ、竹千代家光と彦左03.JPGは三代将軍家光(長谷川一夫)となり、明敏果断な名君として尊敬を集めている。一方、彦左衛門は、隠居同前の生活の毎日が寂しく、かつての威光も失われたかに見えた。心配した家光が天海和尚(汐見洋)に相談すると、「時々、愚かな君主になれ」と諭される。家光はそれから時々、わざと愚行をするようになり、彦左衛門は元のように御意見番として元気に現場復帰を果たす。ある日城中で彦左衛門は、家光が彦左衛門のためにわざと芝居をしているとの話を立ち聞きしてしまい、家光家光と彦左04.JPGに密かに感謝し、その芝居に付き合うことにする。家光は、完成したばかりの日光東照宮への訪家光と彦左05.JPG問の先導役を、彦左の最後のはなむけの仕事にする。彦左衛門は道中の宿で、お供の笹尾喜内(渡辺篤)に「命に変えても、わこ(家光)をお守し、最後の御奉公にしたい」と決意を話しているのを、家光はたまたま立ち聞きし感動する。しかし、次の日の宿である宇都宮城で待ち受ける本多上野介正純(清川荘司)は、元々秀忠の世継ぎに次男国松を推していた派であり、城代家老の河村靱負(長谷川一夫、二役)に命じて、城に吊り天井を仕掛けて家光を圧殺する計画を用意していた―。

家光と彦左b1-s.JPG 1941年3月公開のマキノ正博監督、長谷川一夫主演作。長谷川一夫演じる三代将軍家光の古川緑波演じる大久保彦左衛門に対する温かい情愛がコメディタッチで描かれ、終盤は長谷川一夫は将軍家光の暗殺を謀る本多正純(清川荘司)側の家臣・河村靱負との二役になります。しかも、家光役の時には、彦左衛門の前で愚君を装うため白拍子の踊りの輪に飛び入りで加わって踊り(白拍子の"センター"の桜町公子よりも長谷川一夫の殿様の方が踊り慣れている?)、河村靱負役の時には家光歓待を装って歌舞伎役者顔負けに歌舞いてみせるという、剣戟こそ無いものの、半分以上は長谷川一夫を観るための映画のような印象でした。

 古川緑波の彦左衛門も悪くなく、ストーリー的にはそれなりに面白いのですが、宇都宮城で家光が本多正純の策に嵌って"お命頂戴つかまつる"と言われている、そうした危機的な場面でさえ、それを家光が彦左衛門のために組んだ芝居だと思っているというのはあまりにノー天気で、さすがに無理があったように思いました。

本多正純_正信.jpg 歴史的には、本多正純(父・本多正信は徳川家康の側近)が、宇都宮城に吊り天井を仕掛けて、それを落下させることで(家光ではなく)第二代将軍徳川秀忠の暗殺を図ったという「宇都宮城釣天井事件」というのがありますが、実のところは計画そのものがガセネタだったようです。しかしながら、本多正純はその嫌疑によって失脚しており、こうしたガセネタの背後にポリティクスの力が働いていたのは間違いない事なのでしょう。

本多正純(伊東孝明)・本多正信(近藤正臣)父子(「真田丸」(2016))
         
家光と彦左11.jpg 家康の七回忌に日光東照宮を参拝した後、宇都宮城に1泊する予定だった秀忠は、「宇都宮城の普請に不備がある」という密訴を受け、それで予定を変更して宇都宮城を通過して壬生城に宿泊したそうです(宇都宮城の普請に携わった後、秘密を守るために殺害された多くの大工の中の一人・与五郎という男が、亡霊となって恋人であるお稲という女性の枕元に立ち、経緯を知って悲しんだお稲は自殺するが、自殺する前にそのことを書き遺した手紙をお稲の死後に父親が見つけて、日光から宇都宮に向かう将軍の行列に直訴したという伝説がある)。従って、この宇都宮城の釣天井が落下するといった事件は史実では起きていませんが、映画ではやっています。お堂1つをブッ飛ばしていますが、おそらく特殊撮影なのでしょう。そのシーンはよく出来ていたように思いますが、「特殊技術撮影」というクレジットがないので誰がやったのか分かりません(まさかホントにお堂を1つブッ飛ばしてしまったわけではないとは思うが)。

 マキノ正博は人形浄瑠璃を学び、女優に対する演技指導では自ら演技をしてみせたそうで、1940年頃には、当時まだ10代だった藤間紫(1923-2009/享年85)が踊る日本舞踊に感銘を受け、以後はもっぱら日本舞踊を研究し、その所作を女優の演技指導に活用したそうです。その10代の藤間紫(当時17歳)が、終盤の"家光歓待"の場面で「義経」の静御前を踊っています。

「家光と彦左」●制作年:1941年●監督:マキノ正博●製作:滝村和男●脚本:小国英雄●撮影:伊藤武夫●音楽:鈴木静一(琴奏:宮城道雄)●時間:104分●出演:長谷川一夫/古川緑波/黒川弥太郎/鳥羽陽之助/汐見洋/佐伯秀男/清川荘司/渡辺篤/林成年/横山運平/深見泰三/小高たかし/光一/浜田格/下田猛/冬木京三/星十郎/沢村昌之助/江藤勇/小森敏/中村幹次郎/大杉晋/武井大八郎/高松文磨/長島武夫/中村福松/河合英二郎/成田光枝/桜町公子/千葉早智子/藤間紫●公開:1941/03●配給:東宝東京(評価:★★★)

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和田泰明

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This page contains a single entry by wada published on 2016年12月12日 00:36.

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