2016年10月 Archives

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林長二郎(長谷川一夫)の一人二役が楽しめる。三枚目の方を主として演じている珍品。

刺青判官31.jpg刺青判官 ほりものはんがん 3.jpg VHS 刺青判官 vs1933.jpg
DVD「銀幕を知る男『毒蝮三太夫』が選ぶ発掘!昭和の大スター映画 「刺青判官 総集編」
長谷川一夫(1人2役)
刺青判官63.jpg
 百姓百之助(林長二郎)は、村相撲で大関を張ったこともある力自慢だが、頭の血の巡りは人よりやや劣る。蝦夷松前から江戸まで、五万二千石松前の殿様に騙されて死んだ叔母と父の仇を討ちに行く途中、女相撲の旅芸人一行と知り合い、座長のお千代(飯塚敏子)は遠山の金さん(林長二郎、二役)に助太刀を頼んでくれる。百之助が初めて会った金さんは町の兄貴分だったが、二度目に会った際はは旗本遠山金四郎だったので、武士が嫌いな百之助は、二本棒への仇討ちに二本棒の助太刀は要らないと失望する。過去の不祥事を隠蔽しようとする松前藩は金四郎の買収が難しいとみて、百之助を亡き者にすることにし、与力や目明し、果ては賞金稼ぎの殺し屋まで差し向ける。一方の百之助も、それらから逃れながら、単独で松前の殿様への仇討ちを果たさんとする―。

刺青判官 ほりものはんがん1.jpg 1933(昭和8)年6月に前篇公開の冬島泰三(19010-1981)監督による松竹京都(下賀茂撮影所)作品で、原作は「一本刀土俵入」の原作者でもある長谷川伸(1884-1963)が1933年の2月から8月にかけて東京・大朝日新聞(夕刊)に連載した小説。「刺青判官」とは、桜吹雪の刺青でお馴染みの「遠山の金さん」こと遠山金四郎景元(1793-1855)のことであり、「長谷川一夫」(本名)を名乗る前の林長二郎が、美男の遠山の金さん(左スチール・右)と、ずんぐりむっくりでやや呆け顔の百之助(同・左)の二役を演じていますが、後者の方は美男「長谷川一夫」の定番イメージからほど遠く、しかも、百之助としての出番の方が兄貴分"遠山の金さん"や旗本"遠山金四郎"より長いため、長谷川一夫作品の中ではかなり遊び心に満ちたものになっています(百之助と遠山金四郎の会話シーンなど、二人が同時に出てくるシーンも多い)。

松田春翠.png刺青判官 ほりものはんがん2.jpg この作品は活弁トーキー版としてビデオ化されており、弁士は小津安二郎の初期の無声映画作品の活弁などで知られる松田春翠(1925‐1987)。元の作品が前篇・中篇・後編の全3篇のところを、前後編の86分に纏めていますが、そのためかテンポいい作品でありながらも筋やト書きが飛ぶところがあって、それを巧みな活弁で上手く補っています。その後2014年に中日映画社より「『毒蝮三太夫』が選ぶ昭和の大スター映画DVDシリーズ第2弾・義理と人情 股旅時代劇編」として大河内傳次郎主演「沓掛時次郎」('29年)、片岡千恵蔵主演「番場の忠太郎 瞼の母」('31年)と共にDVD化されています(弁士は澤登翠(さわとみどり)氏)。

刺青判官 林長二郎と飯島敏子.jpg この作品は、遠山金四郎のお裁きのシーンがないのがややもの足りないでしょうか。結局、長谷川一夫は、"遠山の金さん"の時も旗本"遠山金四郎"の時も諸肌を脱いだりはしないので、ややタイトルと齟齬があるような...。但し、長谷川一夫が諸肌を脱いだポスターや上半身裸のスチールがあって、そこでは刺青もあるようなので、そうしたシーンはオリジナルを編集した時にカットされたのかもしれません(DVD版の本編の長さは93分と若干長くなっているが何が加わったのか?)。

 松竹作品の中では現在ほとんどが散逸して残っているものが少ないという京都・下賀茂撮影所で作られた作品であるという点では貴重な作品。加えて、長谷川一夫が三枚目の方を主として演じているという意味でも貴重なのかもしれませんが、むしろ"珍品"という印象の方が強いでしょうか。同じくコメディタッチのもので、片岡千恵蔵が一人二役を演じた「赤西蠣太」('36年/日活)なども想起されますが、役者の一般的なイメージと演じている役やメイクとのギャップの大きさという意味では、もしかしたらそれより上かもしれません。

刺青判官01.jpg姿三四郎 池.jpg 百之助が池に落ちたシーン、黒澤明の「姿三四郎」('43年/東宝)で姿三四郎(藤田進)が池に飛び込んだシーンを思い出してしまったのは、共に浸かった池が「蓮池」だったからか。
 


飯塚敏子/林長二郎(長谷川一夫) in「刺青判官」(1933)(スチール写真)
飯塚敏子4.jpg刺青判官 スチール.jpg「刺青判官(ほりものはんがん)」●制作年:1933年●監督:冬島泰三●脚本:木村富士夫●撮影:片岡清●原作:長谷川伸「刺青判官(ほりものはんがん)」●時間:86分(VHS)・93分(DVD)●出演:林長二郎(長谷川一夫)/飯塚敏子/井上久栄/新妻四郎/小泉嘉輔/山路義人/広田昻/中村吉松/高松錦之助/永井柳太郎/坪井哲/中村政太郎/関操/沢井三郎/小笠原章二郎/絹川京子/遠山修子/二条照子/尾上栄五郎●公開:1933/06●配給:松竹シネマ京都(評価:★★★)

飯塚敏子/阪東妻三郎 in「国定忠治」(1946)(スチール写真)
国定忠治_.jpg

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シンプルなストーリーだが、人々の心に強烈に残る阪妻の演技によって傑作に。

王将(1948) .jpg王将(1948) dvd.jpg 王将(1948)00.jpg
王将 [DVD]」 阪東妻三郎/奈加テルコ
王将 [レンタル落ち]
王将(1948)01.JPG 大阪で草履を作るのが生業の坂田三吉(阪東妻三郎)は、三度の飯より将棋が大好きで、趣味のせいで本業はおろそか。将棋大会の会費が必要と、家財道具を持ち出し売り飛ばしてしまう始末である。妻・小春(水戸光子)による娘(奈加テルコ)との無理心中自殺騒ぎにまで発展するが、小春は夫に理解を示し、どうせやるなら日本一になってほしいと告げる。東京の関根名人(滝沢修)が大阪を訪れ、三吉と勝負を行うことになる。熱戦の末、三吉はハッタリの一手「二五銀」で勝利するが、幼いころから父の将棋を見てきた娘の玉江(三條美紀)にハッタリを見抜かれ詰られてしまう―。

王将(1948)02.jpg 1948(昭和23)年公開の伊藤大輔(1898 -1981)監督作品。原作は、実在した将棋界の奇才・阪田三吉(坂田三吉、1870 - 1946)を主人公モデルとした北条秀司の戯曲で、山根貞夫氏によれば、この映画化作品の前年に新国劇が辰巳柳太郎主演で上演して大好評を博しその年に映画化が企画されるも、当時の大映社長に将棋なんか映画になるものかと一蹴されたとのこと。当時は大映の社長が菊池寛から永田雅一に替わった頃であり、どちらの発言か分からないようですが、おそらくそう言ったのは制作に口を挟むことが多かった永田雅一の方ではないでしょうか。
医師・菊岡(小杉勇)/大阪朝日新聞学芸部長・大倉(斎藤達雄)/坂田三吉(阪東妻三郎)

「王将」1948年.jpg升田幸三2.jpg 伊藤大輔監督はそれでも映画化を諦めず、シナリオを9回も全面的に書き直してやっと企画は通りますが、一方で、伊藤監督自身は将棋に全く無知で駒の並べ方すら知らなかったため、勉強のため白浜の旅館で開かれていた名人戦を観戦し、そこで観戦に来ていた升田幸三(1918-1991)と知り合い、升田幸三は撮影所に来て伊藤監督に駒の並べ方から将棋の指導をし、また、映画に出てくる将棋の場面を監修しています。

王将(1948)03.jpg 貧乏長屋で草履を作るのを生業としていた坂田三吉が、将棋に没頭するあまり妻子に散々苦労をかけながらも、やがて名人にも打ち勝つ棋士となり、また人間的にも成長していく様を描いたシンプルなストーリーですが、坂田三吉を演じた阪東妻三郎(1901-1953)の活き活きとした名演技によって、骨太の感動物語となっています。阪東妻三郎の時にややオーバーアクション気味の大熱演は、「無法松の一生」('43年/大映)を思起させますが、コミカルな演技にしても感動的な演技にしても、そうした熱演が空回りすることなく作品にフィットし、人間臭くまた迫力ある人物像を描き出して見せる点はさすがだと思います。

 阪東妻三郎は、元はと言えば端正な顔立ちと高い演技力を兼ね備えた二枚目俳優であり、サイレント映画時代に「剣戟王」と呼ばれたりもしましたが(マキノ雅弘は「最後の時まで育てた役者の中で、一等大殺陣のうまかったのは?」と訊かれ、「専門としてみて」と前置きして、市川右太衛門、月形竜之介の前に「妻さん、だろうね」と阪妻の名を挙げている)、文春文庫ビジュアル版の『大アンケートによる日本映画ベスト150』('89年)に監督・男優・女優の各ベスト10のコーナーがあって、372人が選んだ「個人編男優ベストテン」の男優ベスト10は、1位・坂東妻三郎、2位・高倉健、3位・笠智衆、4位・三船敏郎、5位・三國連太郎、6位・森雅之、7位・志村喬、8位・石原裕次郎、9位・市川雷蔵、10位・緒形拳となっています。こうしたアンケートでトップに来るというのは、二枚目俳優で剣戟スターというのもあるかもしれませんが、やはり「無法松の一生」、そしてこの「王将」といった人々の心に強烈に残る作品があるからでしょう。

王将ousho.jpg ラストで永年の宿敵・関根八段(滝沢修が阪妻とは対照的な気品のある演技を見せる)の第十三世名人襲位披露祝賀会に三吉が重病の妻・小春を大阪に残して上京し、関根名人に手作りの草履を送ったその時、玉江から小春危篤の電話があり、電話越しで涙ながらに妻に語りかける場面は、やはり心に沁みるものがあります。

坂田三吉(阪東妻三郎)/関根名人(滝沢修)

 関根八段が「十三世名人」を襲位したのは、1919(大正8)年で、実在の阪田三吉の妻・阪田コユウが48歳で亡くなったのは1927年であるため、この辺りは北条秀司の戯曲における創作ですが、劇中で三吉の妻が生活苦から鉄道自殺未遂事件を起こすのは実際あったことであり(1913(大正2)年頃と推定されている)、また、長年の苦労や夫の眼病の看護などで自身が病に倒れたコユウは、臨終の床で「お父ちゃん、あんたは将棋が命や。どんなことがあっても、アホな将棋は指しなはんなや」と阪田に言い、阪田はコユウの亡骸をいつまでも抱くようにしていたといいます。

王将(1948)04.jpg 映画にもあるように、阪田三吉は、1891(明治24)年頃、後に名人となる関根金次郎と堺の料亭で初対決し惨敗、このことでプロの道を決意したとされ、1906(明治39)年の関根との対局で(関根の香落ち)、終盤三吉が千日手のルールを知らずに惜王将(1948)06.jpg敗したのも事実であり(但し、映画ではこの2つの出来事が1つに纏められている)、以降、打倒関根を目標として貧困などの危機を乗り越えていき、1913(大正2)年に関根に平手の対局で初勝利するというのも映画と同じ。ただ、映画によって「無法者」のイメージが定着していますが、晩年の阪田は極めて礼儀正しい人物だったとのことです。また、一番弟子の藤内金吾が面倒見のいい人物で弟子を多く育て、阪田三吉の孫弟子には内藤國雄らが、曾孫弟子には谷川浩司らがいます。

王将04.jpg この作品が好評だったため、その後も伊藤大輔の監督で、辰巳柳太郎主演の「王将一代」('55年/新東宝)、三國連太郎主演の「王将」('62年/東映、関根名人:平幹二朗/小春:淡島千景/玉枝:三田佳子)が作られ、また堀川弘通監督、勝新太郎主演でも「王将」('62年/東映、関根八段:仲代達矢/小春:中村玉緒/玉枝:音無美紀子)が作られていますが、この「阪妻」版を超えるものではないというのが衆目の一致するところで、水戸光子、三條美紀らの演技も良かったと思います。

王将s.jpg「王将」●制作年:1948年●監督・脚本:伊藤大輔●製作:永田雅一●撮影:石本秀雄●音楽:西梧郎●原作:北条秀司●時間:94分●出演:阪東妻三郎/水戸光子/三條美紀/奈加テルコ/小杉勇/斎藤達雄/大友柳太郎/滝沢修/三島雅夫/香川良介/葛木香一/寺島貢/近衛敏明/上田寛/葉山富之輔/石原須磨男/島田照夫/市川左正/玉置一恵/羽白修/三浦志郎/初山たかし/宮田二郎/常盤操子/香住佐代子/小林叶江/国枝勢津子/仲上小夜子/滝のぼる/赤木春生/上野陽子●公開:1948/10●配給:大映(評価:★★★★)

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前半から中盤にかけて抑えに抑えている分、ラストのカタルシス効果は大きい。

国定忠治 (1946)v.jpg国定忠治 (1946) dvd.jpg  国定忠治005.jpg 国定忠治 阪東 .jpg
中国語字幕DVD     飯塚敏子(お町)/阪東妻三郎(忠治)
国定忠治 [VHS]
国定忠治Kunisada Chuji (1946).jpg国定忠治 (1946)81 .JPG 天保八年、上州一帯は大旱魃に見舞われ、このままでは大凶作になる状況。国定村をはじめ二十個村の農民は必死の雨乞を続けるが一点の雲も出ない。農民達は「粕川の水門を切れば二十個村の新田を潤せる」と水門に押しかけようとするが、国定村の忠治(阪東妻三郎)はそれを止め、粕川水門を預る博徒・島村の伊三郎(光岡竜三郎)に懇願するも聞き入れられない。忠治は農民達の困苦を見るに忍びず、江戸に出て繭買上げ助成金下附の運動に成功、その祝宴の席で代官・松井軍兵衛(市川小文治)から伊勢崎の芸者・お町(飯塚敏子)を所望国定忠治Kunisada Chuji (1946)2.jpgされる。お町はかねてから忠治を慕い、松井の手を拒んで忠治の家に押しかけ女房に入ったが二人の間は純潔だった。農民達の糧となるべき繭買上げ助成金は代官と問屋筋の共同工作によって巻き上げられ、忠治の努力も水泡に帰す。途方にくれた農民達の窓先から天狗の面を被った男が二三枚の小判を投げ込んで歩く。忠治は全財産を農民達に分け与えるなどして尽くすが、菩提寺の和尚(小川隆)から「百姓の味方になるなら百姓になれ」と教えられる。代官・松井は配下の島村の伊三郎に命じてお町を忠治の手から取り返そうとする。忠治はお町に苦衷を打ち明け、水門を開くのと引き替えにお町を渡す国定忠治83.jpg約束をし、お町は進んで代官屋敷に行く。忠治の子分・浅太郎(尾上菊五郎)はお町が変心したものと誤解し、お町を斬ろうとしてその本心を知るが、松井に斬られる。浅太郎は重傷に屈せず忠治の下に帰り、農民達の難儀を救うため天狗の面の夜盗になったことを告白。忠治一家は、代官と伊三郎の約束不履行を知り事を起こそうするが、忠治はそれを押し止め自ら代官屋敷に行って掛け合う。代官は天狗強盗の張本人として忠治を捕らえ投獄する。忠治と亡き妻との間に出来た寅次(島田照夫)という若者が水戸の農家に養われていたが、父を慕って国定村に入り忠治の身辺を見守っていた。寅次は牢獄に忍んで忠治を救おうとし、忠治の兄弟分・日光の円蔵(羅門光三郎)も来て忠治を救出、農民達のために最後の力を尽くしてくれと懇願、忠治は遂に起ち、邪魔者を蹴散らして粕川水門に駈けつける。農民もまた押し寄せ、水門を守る伊三郎等と争う。忠治は悪党等を打ち払って水門を破り、水が田を潤して農民達は歓喜する。忠治は全てをわが身一つに引き受け捕吏の手を待つべく赤城山に向かい、円蔵、お町もそれに続く。寅次も共に従いたいと乞うが、忠治は「お前は良い百姓になれ」と優しく追い返す―。

国定忠治_.jpg 1946(昭和21)年9月公開の松田定次監督作品で、阪東妻三郎(1901-1953/享年51)は丸根賛太郎監督の「狐の呉れた赤ん坊」('45年/大映京都)に続く戦後第2作(お町役は「淑女と髯」('31年/松竹蒲田)、「刺青判官」('33年/松竹シネマ)の飯塚敏子)。GHQによってチャンバラ時代劇が禁止状態にあり、片岡千恵蔵や市川右太衛門ら戦前の剣戟スターが、髷鬘に代えてソフト帽など被ってGメンものやギャングものに出ていた頃ですが(この作品と同じ松田定次監督による片岡千恵蔵主演の多羅尾伴内シリーズの第1作「七つの顔」('46年12月公開/大映)もこの頃の公開)、そんな中、"剣戟王"阪東妻三郎はこの作品で最後しっかりチャンバラをしているのが興味深いです。GHQは必ずしも全面的にチャンバラ劇を排したのではなく、農民達のために悪代官をやっつける義賊ということで、戦後民主主義の流れに沿うものとして、刀を使うのもOKとしたのでしょうか(この作品の2年後に公開された、森一生監督の股旅もの「おしどり笠」(1948/01 大映)における片岡千恵蔵さえも、刀を使わず棒で闘っているのだが)。

国定忠治 (1958).jpg 国定忠治を主人公とした映画は戦前からかなり作られていて、主なものでは、大河内傳次郎(伊藤大輔監督「忠次旅日記」('27年/日活)、山中貞雄監督「国定忠治」('35年/日活))、片岡千恵蔵(稲垣浩監督「国定忠治」('33年/千恵蔵プロ))、月形龍之介(稲垣浩監督「國定忠治 信州子守唄」('36年/マキノトーキー製作所))がそれぞれ主演したものなどがあり、阪東妻三郎自身も戦前に国定忠治を演じています(マキノ正博監督「国定忠治」('37年/日活))。戦後もこの作品のほかに何作かあって、小沢茂弘監督、片岡千恵蔵主演のもの(「国定忠治」('58年/東映)、谷口千吉監督、三船敏郎主演のもの(「国定忠治」('58年/東映))などがあります。

「国定忠治」(1958)小沢茂弘:監督/片岡千恵蔵:主演

 他の「忠治もの」があまり観る機会がなくて何とも比較できないのですが、この作品は、阪東妻三郎が畢生の名作「無法松の一生」('43年/大映京都)に出演してから3年後の作品であり、まだその勢いが続いているという印象であり、実際に大ヒットしたようです。ストーリー的にも、前半から中盤にかけて主人公である忠治はずーっと抑えるだけ抑えて交渉役に廻り、しかし結局悪代官らが約束事を守らないため、最後の最後に起ち上って悪漢どもを打ち砕くという、定番ながらもカタルシス効果の大きい作りとなっています。

国定忠治 岩波新書.jpg 映画がヒットした一方で、批評家からは歴史的リアリズムを逸脱しているとの批判があったようですが、国定忠治(本名:長岡忠次郎、1810-1850)における歴史的リアリズムというと、どこまでのことを言うのかなあ(この映画では忠治が赤城山に向かうところで終わっているため、「赤城の山も今宵限り」という場面は無い)。伊三郎の一派と諍いがあったのは史実ですが(忠治と島村の伊三郎の子孫らは「忠治だんべ会」の仲裁により'07(平成19)年の手打ち式で170年越しに和解している)、単なるやくざ同士の抗争ということにしてしまうと物語にならなくなる―ただ、実際、忠治はひとかどの人物であったようで、羽倉外記という国定村の代官も務め、水野忠邦の天保の改革に重用された役人は忠治とは対極にいた幕吏でしたが、その外記が『劇盗忠二伝』(『赤城録』)を著して、忠治が天保飢饉の際に私財を投じて飢民を救済したこと、最終的には忠治は大戸処刑場(群馬県吾妻郡)で磔刑に処せられますが、実に壮絶で見事な最期だったことなどを理由に、忠治を凡盗にあらずして劇盗と評しています(高橋敏『国定忠治』('00年/岩波新書)など)。
国定忠治 (岩波新書 新赤版 (685))

 長岡忠次郎が磔の刑にあってから18年後に徳川政権は崩壊し、明治維新となります。2010年に伊勢崎市で生誕200周年記念イベントが「忠治だんべ会」により企画されましたが、市長が「忠治は歴史的に評価が分かれている」と開催に難色を示し(おそらく市民からクレームがあったのだろう)、イベントは中止となっています。別に中止にまですることはないと思うけれどね。無形文化財みたいなものでしょ。むしろ、講談などで脚色されている部分も含め(そのことを織り込み済みの上)語り継いでいった方がいいのではないかという気がします。

国定忠治85.JPG「国定忠治」●制作年:1946年●監督:松田定次●脚本:小川記正●撮影:川崎新太郎●音楽:西梧郎阪東妻三郎傑作選 DVD-BOX.jpg●時間:71分●出演:阪東妻三郎/羅門光三郎/尾上菊五郎/原聖四郎/桜春太郎/福井隆次/島田照夫/飯塚敏子/小川隆/市川小文治/堀井幸夫/光岡竜三郎/香川良介/ 水野浩/葉山富之輔/牧竜介/猿若三吾/芝田総二/若松文雄/三浦志郎●公開:1946/09●配給:大映(京都撮影所)(評価:★★★☆)
阪東妻三郎傑作選 DVD-BOX
収録内容:
●無法松の一生(1943年/モノクロ・スタンダード/80 分)
●王将(1948年/モノクロ・スタンダード/93分)
●伊賀の水月(剣雲三十六騎)(1942年/モノクロ・スタンダード/83分)
●富士に立つ影(1942年/モノクロ・スタンダード/82分)
●剣風練兵館(1944年/モノクロ・スタンダード/87分)
●狐の呉れた赤ん坊(1945年/モノクロ・スタンダード/85 分)
●国定忠治(1946年/モノクロ・スタンダード/72分)
●月の出の決闘(1947年/モノクロ・スタンダード/78分)
●素浪人罷通る(1947年/モノクロ・スタンダード/81分)
●木曾の天狗(1948年/モノクロ・スタンダード/83分)
●剣風練兵館(1944年/モノクロ・スタンダード/87分)
●狐の呉れた赤ん坊(1945年/モノクロ・スタンダード/85分)
●国定忠治(1946年/モノクロ・スタンダード/72 分)
●月の出の決闘(1947年/モノクロ・スタンダード/78分)
●素浪人罷通る(1947年/モノクロ・スタンダード/81分)
●木曾の天狗(1948年/モノクロ・スタンダード/83分)

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市川右太衛門の豪快で大らかキャラクターが存分に発揮され、後藤又兵衛像を演じるにぴったり。

乞食大将 1952 vhs.jpg乞食大将 1952 dvd.jpg 乞食大将(1945年)2.jpg
VHS/「乞食大将 [DVD]」羅門光三郎(宇都宮鎮房)/市川右太衛門(後藤又兵衛)

乞食大将 1952 dvd2.jpg 豊前中津の城主・黒田長政(月形龍之介)は、領下の豪族・宇都宮鎮房(羅門光三郎)と戦い大敗するが、その臣・後藤又兵衛(市川右太衛門)の夜討ちが効を奏して形成逆転、宇都宮勢を破って鎮房の妹・鶴姫(中村芳子)と鎮房の子・花若(澤村マサヒコ)を人質とする。更に和議を結んだ相手である鎮房を騙し討ちにしようとし、長政はその役目を又兵衛に託そうとするが、又兵衛は日頃から鎮房と一騎打ちの勝負をしたいと願っていて、騙し討ちは御免だと断る。しかし、長政の謀に嵌って追い詰められた鎮房と廊下で鉢合せになり、結局、他の者に討たせるよりはと一対一で刀と槍を交え鎮房を討ち取ることとなる。又兵衛は、その功により鶴姫と花若の命乞いをした上で、長政の下を去る。時は流れ、又兵衛は自分に従う家来たちを引き連れ、時に乞食のような生活をしながらも諸国を流れ歩いていた。鶴姫は剃髪をして尼になり、花若は立派な若武者なっていた。慶長19(1614)年、徳川家康(藤野秀夫)と豊臣秀頼が大坂城で最後の一戦を交えようとしたとき、徳川家臣・本多正信(嵐徳三郎)から頼まれてやってきた又兵衛旧知の京都相国寺の僧・堤西堂(見明凡太朗)は、又兵衛が徳川方につけば播磨国を賜るとの家康からの話をもちかけるが、又兵衛はそうした徳川の招きをふり切って敗色濃い秀頼方につくと言う。又兵衛が堤西堂を通して花若の徳川方大名への士官に尽力したことを知った鶴姫は、別れを言いに来た又兵衛に鎮房遺愛の兜を手向ける。又兵衛は、「父の仇」と気色ばむ花若に、この兜を目印に自分の首を取って手柄とするよう言い残してその場を去る―。
乞食大将 (1952年) (角川文庫〈第482〉)
大佛次郎『乞食大将』角川文庫 昭和30年.jpg大佛次郎_UY250_.jpg 朝日新聞に連載された大佛次郎の歴史小説を松田定次監督により映画化したもので、終戦間際の1945年秋に完成しましたが、黒澤明監督の「虎の尾を踏む男達」(1945/09 完成/1952/02 公開)などと同様、GHQの検問で上映禁止となり、その後、民間情報局教育局による禁止映画再審査によって第1回に解除された劇映画8本のうちの1本であるとのことです。因みに、GHQによって、映画会社各社の倉庫にあった過去の作品のフィルムのうち227作品が、"反民主主義的"であるとして焼却されています。「虎の尾を踏む男達」同様、この映画のどこが"反民主主義的"とされたのか不明ですが、おそらく武士道精神のようなものがモチーフになっているのは当時"アウト"だったでしょう(フィルムが焼却処分されなかっただけでも良しとするべきか)。

北大路欣也2.jpg乞食大将 1952 02.jpg 主演は市川右太衛門(1907-1999/享年92)で、市川右太衛門の次男は俳優の北大路欣也です。戦前・戦後期の時代劇スターとして活躍し、同時代の時代劇スターである阪東妻三郎、大河内伝次郎、嵐寛寿郎、片岡千恵蔵、長谷川一夫とともに「時代劇六大スタア」と呼ばれました。サイレント時代から昭和中期まで続いた「旗本退屈男シリーズ」(1930-1963)で、独立プロから松竹、東映と映画会社を変えながらも30作品で主役の早乙女主水之介(さおとめ もんどのすけ)を演じ、松田定次監督もシリーズ後期'50年から'60年にかけて作品のうち8作を監督しています。松田定次監督との相性はこの頃から良かったのか、この作品も、市川右太衛門の豪快かつ大らかキャラクターが存分に発揮されていると思いました。

 ちょうどNHKの今年['16年]の大河ドラマ「真田丸」の本日(10月16日)放映分(第41回「入城」)で、後に真田信繁(真田幸村)と共に「大坂牢人五人衆」と呼ばれる後藤基次(後藤又兵衛)、毛利勝永、長宗我部盛親、明石全登が続々と大坂城に集結し、最後に幸村が九度山を抜け出してこれに合流するところまでをやっていましたが、後藤又兵衛役も、多くの役者がやりたがる役だろなあと思います。

真田丸 哀川翔.jpg哀川翔.jpg 今回の大河ドラマ「真田丸」の後藤又兵衛役は哀川翔です。大坂の陣で後藤又兵衛に近侍した長沢九郎兵衛が、大坂の陣の様子を書いた『長沢聞書』を遺していて、風呂で又兵乞食大将 1962.jpg衛の背中を流した際に、又兵衛の躰の刀傷を数えると53箇所あったとのこと。こうした傷だらけの猛将のイメージが"Ⅴシネマの帝王・哀川翔"とダブるとみた配役なのでしょうか。'14年の大河ドラマ「軍師官兵衛」で後藤又兵衛を演じた塚本高史よりは骨っぽい感じがしますが、この「乞食大将」の市川右太衛門をみてしまうと、哀川翔でさえも線が細く見えてしまいます(又兵衛の身長は六尺(180cm)を超え、肥満で巨漢だったと言う)。尚、この作品は'64年に勝新太郎主演でリメイクされており、脇ならばともかく後藤又兵衛を主人公として演じるとなると、やはりそれ相応のクラスの役者でなければならないということなのでしょう(ドラマの方は、主人公の真田幸村を演じる堺雅人とのバランスも考慮した?)。

 因みに、後藤又兵衛に関するエピソードには虚実様々ありますが、黒田家を去った又兵衛が他大名に士官するのを黒田長政がことごとく邪魔したというのは、多くの歴史家が事実と見做しているところです。一方で、又兵衛の方は、出奔して細川家にいた頃、細川忠興をはじめ細川家の諸人から、「黒田長政に多くの不満があって黒田家を立ち退いたというのに、古主を悪く言うように見えて、実は古主の武威を語っていた。忠義の厚い、見事な侍である」と称賛されたとのこと。武勇だけでなく、人間的にも立派な人だったのか。この作品の市川右太衛門は、そうした又兵衛像を演じてみせるにぴったりでした(三谷幸喜脚本の「真田丸」の後藤又兵衛はやや子供っぽい?)。
       
乞食大将 1952  001.jpg「乞食大将」●制作年:1945年●監督:松田定次●製作:浅野辰雄●脚本:八尋不二●撮影:川崎新太郎●音楽:白木義信●原作:大佛次郎「乞食大将」●時間:62分●出演:市川右太衛門/藤野秀夫/中村芳子/月形龍之介/羅門光三郎/嵐徳三郎/荒木忍/香川良介/葛木香一/小川隆/南部彰三/澤村マサヒコ(津川雅彦)/原聖四郎/水野浩/津島慶一郎●公開:1952/04●配給:大映(評価:★★★☆)
       
真田丸 title.jpg真田丸  dvd.jpg「真田丸」●演出:木村隆文/吉川邦夫/田中正/小林大児/土井祥平/渡辺哲也●制作:屋敷陽太郎/吉川邦夫●脚本:三谷幸喜●音楽:服部隆之●出演:堺雅人/大泉洋/草刈正雄/長澤まさみ/木村佳乃/平岳大/中原丈雄/藤井隆/迫田孝也/高木渉/高嶋政伸/遠藤憲一/榎木孝明/温水洋一/吉田鋼太郎/草笛光子/高畑淳子/内野聖陽/黒木華/藤本隆宏/斉藤由貴/寺島進/西村雅彦/段田安則/藤岡弘、/近藤正臣/小日向文世/鈴木京香/竹内結子/新納慎也/哀川翔●放映:2016/01~12(全50回)●放送局:NHK

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水中シーンもある、戦時中の異色の"水泳時代劇"であり、嵐寛寿郎の大映時代の代表作でもある。

河童大将 v.jpg  河童大将(1944年)2.jpg 羅門光三郎/嵐寛寿郎
「河童大将」スチール集
河童大将 スチル.jpg 海と川に囲まれた尼子氏の小城は、毛利軍に囲まれいつ攻め込まれ落城してもおかしくない状態にある。尼子氏の荒浪碇(いかり)之助(嵐寛寿郎)と早川鮎之助(羅門光三郎)は良きライバル関係にあり、敵の様子を探るため敵城への潜入を命じられるが、2人共敵に正体を見破られ、鮎之助は逃れるも、碇之助は捕らわれる。拷問のうえ緊縛されたまま水に投げ込まれた碇之助は、得意の泳法で何とか生還し、敵方の陣形を城主に伝える手柄を立て、足軽頭に出世する。新たに与えられた50人の配下と共に日夜泳法の訓練をする彼に、周囲は嘲笑するが、直属の家老だけは、周囲を水に囲まれているのだから、泳法に長けているのは重要と理解を示す。碇之助と鮎之助の幼馴染で家老の娘・小百合(橘公子)は、婚期を控え2人のライバルの狭間で気持ちが揺らいでいる。鮎之助は、敵城潜入の際に碇之助を置いて逃げたことでの周囲への負い目から、水練大会の競泳で扇り足(平泳ぎ)の日本式泳法の碇之助に対し、早抜き手(クロール)で碇之助に勝利して名誉挽回するも、鮎之助は、本当に必要な泳ぎはいかに体力を温存して水中の中にい続けることができるかだとして気に留めていない。しかし、そんな碇之助に煮え切らない思いの小百合の父は、娘の気持ちを無視して小百合の鮎之助への嫁入りを決めてしまう。やがて、敵陣からの攻勢がかかり、これに対処するには奇襲戦法しかないと、日頃鍛えた河童隊を二隊に分け、湖水を泳いで毛利軍を奇襲することに。碇之助の隊は平泳ぎ、鮎之助の隊はクロール似の早抜き手で進む。鮎之助の隊は、泳ぎは早いが水飛沫(しぶき)で敵に発見され攻撃を被る。一方、碇之助の隊は、泳ぎは遅いが静かに進むため発見されず、奇襲攻撃は成功して味方を勝利に導くとともに、手負いの鮎之助を救出する―。

 戦国時代を舞台に、水泳により水を渡り敵に奇襲をかける足軽頭の活躍を描く、水中シーンなども見られる戦時中の異色の"水泳時代劇"。1944年8月公開ということもあって、クロール隊が役に立たず、平泳ぎ(日本式泳法)隊が勝利に貢献するという設定は、日本が米英より優れていることを強調している映画とも考えられます。それにしても、毛利に攻め込まれ孤立状態となった尼子氏の城が舞台になっていることや、碇之助の、「勝とうと思えばいつでも勝てる」「負けて勝っているのだ」というセリフが、逆に当時日本軍の戦況の厳しさを物語っているようでもあり、"国策映画"としてはどうかなとも。

 山中貞夫氏によれば、"国民皆泳運動"というのが当時あって、その宣伝にも一役買っていたのではないかとのことですが(そうか、それが"水泳時代劇"が生まれるきっかけだったのか)、山中氏も、負けつつある国が奇襲戦法で勝つというストーリーは、日本人の願望を映し出しているようでもあるとしています。

 主人公・荒浪碇之助を演じた嵐寛寿郎(1902-1980)は、当時41歳。裸になるとがりがりで、まずまずのガタイの羅門光三郎(1901-没年不詳)に比べ見劣りしますが、水の中に入るとすいすいと素晴らしい泳ぎをみせます。また、剣戟においてもすごい眼光と俊敏な身のこなしでその往年のスターぶりを見せ、この作品は「海峡の風雲児」('43年/大映)と並んで彼の大映時代の代表作です。準主役の早川鮎之助を演じた羅門光三郎は戦後すぐに脇役に回りますが、嵐寛寿郎も大映から移籍した新東宝の倒産(1961年)後はどこにも所属しなかったため、晩年は殆ど脇役でした(その中でも、「網走番外地」('65年/東映)や「神々の深き欲望」('68年/日活)などでの演技が印象深い)。

山中鹿之介f.jpg 原健作演じる山中鹿之助(山中幸盛、1545?-1578)や荒木忍演じる横道兵庫助(横道秀綱、生年不詳-1570)をはじめ、吉川将監、尼子勝久あたりまでは歴史上実在した人物であり、山中鹿之助は「尼子十勇士」の筆頭であり、尼子家再興のために「願わくば我に七難八苦(艱難辛苦)を与えたまえ」と三日月に祈った逸話で知られ、横道兵庫助も「尼子十勇士」の1人とされていますが、この「尼子十勇士」の中に「荒浪碇介」「早川鮎介」などがいます。但し、このあたりになると「真田十勇士」のようなもので、架空の人物の公算が高いようです。「落ちそうで落ちない城」を舞台にしたものでは、忍城(おしじょう)を舞台にした和田竜原作「のぼう城」('12年/東宝)があり、モチーフ的には通じるものがあるように思いました。

 見た目、それほど"国策映画"っぽくないのは、娯楽映画であることに加え、主人公・荒浪碇之助の「友情」と「恋愛」の板挟みが描かれているせいでもあるかと思います。「友情」はともかく、「恋愛」の方は戦時下で基本的には"御法度"だったと思われますが、「時代劇」という背景と「水練」という国策運動に繋がるネタのもと、上手くお話の中に織り込んでしまったところに、制作陣のしたたかさが感じられました。

「河童大将」●制作年:1944年●監督:松田定次●製作:山口哲平●脚本:八尋不二●撮影:川崎新太郎●音楽:佐野顕雄●時間:64分●出演:嵐寛寿郎/羅門光三郎/橘公子/藤原鶏太/原健作/山口勇/荒木忍/嵐徳三郎/環歌子●公開:1944/08●配給:大映(京都)(評価:★★★☆)

嵐 寛寿郎 in「網走番外地」('65年/東映)/「神々の深き欲望」('68年/日活)網走番外地 嵐寛寿郎.jpg 神々の深き欲望.jpg

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股旅ものがぴったり片岡千恵蔵の戦後初の時代劇。予定調和だがプロセスが楽しめる。

おしどり笠おしどり笠 片岡千恵蔵3.jpg おしどり笠 やまね.JPG「おしどり笠」
片岡千恵蔵(つばくろ藤太郎)
おしどり笠 片岡千恵蔵 1948 v2.jpg 夜の江戸藏前、戸倉屋の表にがやがやと人だかり。松平伯耆守のお部屋様に戸倉屋の娘おたか(山根寿子)が腐れ縁に打ち込む新規の楔の祝儀があるのだ。やがて松平家より迎駕が着くが、おたかの祖父彦右衛門(小杉勇)には不本意な婚儀らしい。その時おたかの姿が突然消える。東海道を下って行くおすみ(おたか)、おかつ、おしんの3人連れの鳥追姿、目指すは追速堂島美濃屋。しかしすぐ追手が差し向けられる。一方、つばくろ藤太郎(片岡千恵蔵)は戸倉屋の息子彦作のために身を崩した妹お雪を探しての道中を続けるが、飛脚の口から戸倉屋の事件を聞く。藤太郎は立場茶屋で草間の金助(杉狂児)、おたか一行と知り合う。金助はお雪の行方を知っているが、自らが加担しているだけに藤太郎の男振りについ言い出せない。金助、おたか一行は藤太郎の後へ続くが、藤太郎は一人旅の方が好きらしい。金助の一味だった小平と彌吉がおすみの素性がおたかと知って、おすみに懸った賞金を得るために邪魔な藤太郎を闇討ちするが、おたかの機転により果たせない。やがて悔い改めた金助が涙で白状し、藤太郎は妹お雪(折原啓子)の所在を知るが、もはや臨終の床。居合わせたおたかが藤太郎に事情を打明けて兄の罪を詫びる。おたかを追う一行が小平、彌吉を先頭にやってくる。藤太郎の情けによって兄の彦作は改心し、妹おたかを思って松平家の家来達に破談を申し入れるが、家来達は聞く耳持たず、おたかを連れ去る。金助の急報で事態を知った藤太郎はおたか救出に向かう―。

 1948(昭和23)年1月公開作。片岡千恵蔵(1903-1983/享年80)にとっては、森の石松を演じた戦中末期の「東海水滸伝」('45年)(清水次郎長役は阪東妻三郎)以来3年ぶりの股旅もの時代劇で、敗戦直後にGHQによってチャンバラ映画が廃止され、時代劇スターがもっぱら明治ものや現代ものに出演していた状況がまだ続いていた時期にしては、早めに復活した時代劇作品と言えるかも。戦前の時代劇と言えば股旅ものが人気で、山根貞男氏によれば、やくざが妹を探して流浪すること、その旅の過程が歌まじりに描かれること、再会した妹が落ちぶれて病に臥せっていることなど、これら皆、戦前から続く股旅ものの定石だそうです。

 股旅ものがぴったり片岡千恵蔵、ラストの大立ち回りでのアクションはなかなか見応えがあり、剣を使うなとの彦右衛門(小杉勇)の忠告に沿って棒で相手を次々なぎ倒しますが、これもチャンバラ映画の禁制がまだ解かれていないためか(十数人いる相手方は皆刀を抜いているのだが...)。

 片岡千恵蔵はこの作品の2年前に多羅尾伴内シリーズの第1作、松田定次監督の「七つの顔」('46年)に出演し、翌年第2作「十三の眼」('47年)に出演、この後も第3作「二十一の指紋」('48年)、第4作「三十三の足跡」('48年)と大映で撮り、現代劇でも大活躍で、まさに大映のドル箱スターでしたが、大映社長・永田雅一の「多羅尾伴内ものなど幕間のつなぎであって、わが社は今後、もっと芸術性の高いものを製作してゆく所存である」との発言に、「わしは何も好き好んで、こんな荒唐無稽の映画に出ているのではない。幸い興行的に当たっているので、大映の経営上のプラスになると思ってやっているのに社長の地位にあるものが幕間のつなぎの映画とは何事だ」と怒って、この映画の脚本家である比佐芳武らとともに、1949(昭和24)年に東横映画(東映の前身)へ移籍しています。

弥次喜多道中記_2.jpg この映画で小悪党だが根はいい男の草間の金助を軽妙に演じて見せた杉狂児(1903-1975/享年72)は、戦前は日活所属で、資料によると1947(昭和22)7月に東横映画に入社とあるから、この映画の時点で片岡千恵蔵より先に移籍していたのでしょうか。戦前はマキノ正博(後のマキノ雅弘)監督の「弥次喜多道中記」('38年/日活)で片岡千恵蔵と共演しているし、戦中は稲垣浩監督の「無法松の一生」('43年/大映)に出演しているし(稲垣浩監督は杉狂児を非常に高く評価している)、戦後は先に挙げた多羅尾伴内シリーズ第4作「三十三の足跡」などにも出ています。

片岡千恵蔵&杉狂児 in「弥次喜多道中記」('38年/日活)

折原啓子.jpg ヒロインのおたか役の山根寿子(1921-1990/享年69)も悪くは無かったと思いますが、その色香も含めやや古風すぎるか。この作品以降、目立った主演作というものが無く、むしろ、藤太郎の妹お雪を演じた当時デビュー間もない折原啓子(1926-1985/享年59)の方が、後に映画やテレビで活躍するようになります。この映画での出番は臨終の場面しか無く、布団に伏して首から上しか映っていませんが、病人にしてはキャメラが随分と艶やかに撮っていたような...。

折原啓子

 映画全体としては予定調和であり、片岡千恵蔵が演じる藤太郎が絶対的に強いのが分かっていて、見所は、山根寿子演じるおたかと反目しながら、最後は惹かれ合っていくプロセスでしょうか。「おしどり笠」というタイトルは結末以降であって、映画の間中、二人が並んで旅するようなことは無いのですが、タイトルそのものが先に結末を言ってしまっているわけで、そのことからしても予定調和であり、(テーマ曲の中にも「口でけなして心で惚れて」とあるが)プロセスを楽しむ映画でしょう。

 因みに、この片岡千恵蔵が演じた'つばくろ藤太郎'は、マキノ監督「鴛鴦道中」('38年/日活)で既に片岡千恵蔵自身が演じており、また、このキャラクターは、後の松田定次監督「血煙り笠」('62年/東映)で大川橋蔵にも引き継がれています。

おしどり笠(昭和23年)
 作詩 高橋掬太郎 作曲 大村能章
 1 かえる燕か また来る雁か
   男なりゃこそ 一本刀
   追うてくれるな 気まぐれ旅を
   浮名散らしの 風が吹く
おしどり笠テーマ.jpg 2 一夜(ひとよ)二夜と 袖すり合えば
   いつかからむよ 思いの糸も
   口でけなして 心で惚れて
   道中合羽の 裏表
 3 京に出ようか 浪花へ行こか
   人も振り向く おしどり笠よ
   明日の塒(ねぐら)を 草鞋に問えば
   あいと答える 眼が可愛い 

「おしどり笠」●制作年:1948年●監督:森一生●脚本:比佐芳武●撮影:比佐芳武●音楽:西梧郎●時間:82分●出演:片岡千恵蔵/杉狂児/小杉勇/香川良介/市川小文治/山根寿子/豆千代/月宮乙女/折原啓子●公開:1948/01●配給:大映・京都(評価:★★★☆)

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戦中に作られた作品だが、まるで60年代の任侠やくざ映画を観ているよう。

三代の盃1.jpg三代の盃2.jpg日本侠客伝 1964 dvd.jpg
日本侠客伝 [DVD]
片岡千恵蔵主演「三代の盃」映画館チラシ(四谷武蔵野館)   片岡千恵蔵/琴糸路

三代の盃 花嫁一本刀9.jpg 江戸築地明石町の伊三郎(高山徳右衛門)一家は、真の任侠道に生きることを信条としていた。一方、任侠道の裏を行く新興の但馬屋の仁右衛門(荒木忍)は、悪徳商人の丸谷惣平(大国一広)と組んで明石町の長屋を立ち退かせ、そこに歓楽街を作って、伊三郎一家を蹴落そうとしていた。伊三郎一家の三ン下の政吉(片岡千恵蔵)は、長屋で母おかね(二葉かほる)と二人暮しで、隣家の浪人小磯文之進(長浜藤夫)の娘お雪(琴糸路)とは相思の仲だった。政吉の兄貴分の弥吉(原聖三郎)が但馬屋一家の企みを知り、密かに但馬屋一家へ掛け合いに行くが、やがて水死体となって大川に浮かぶ。憤怒した政吉は単身但馬屋に乗り込むが、子供扱いされ追い返される。悔しさを伊三郎に訴える政吉を、親分は「何も恥じるこたねえ。おめいにはまだ貫禄が足りねいのだ」と諭し、「修行して立派な男になって帰って来い」と励まし旅に出す。そして3年、世は明治となり、但馬屋一家は官権溜池の御前(大井正夫)を黒幕に勢力を広げていた。御前は芸妓雪松に懸想し、仁右衛門が口説き役に廻ったが雪松はうんと言わない。雪松こそ病に伏す父のため芸妓になったお雪だった。そんな折政吉が旅から帰って来て、強引に立ち退き工作を進める但馬屋一家の横暴を知った政吉は但馬屋一家に乗り込むが、そこに大親分鮫洲の卯之助(小川隆)の仲裁が入り、事は納ったかにみえた。しかし、但馬屋一家は卯之助を謀って仲裁を無効にし、大挙して伊三郎一家を襲撃、親分にもケガを負わせる。今まさにお雪と祝儀を挙げたばかりの政吉は、これを知って単身但馬屋一家へ乗り込み、遂に仁右衛門を叩き斬る。そんな政吉に旅に出ることを勧める親分に対し、政吉は新時代に生きる人間になりたいと言い自首しに行く―。

三代の盃18.jpg三代の盃 勝新版.jpg 太平洋戦争が始まってちょうど丸1年経った頃の1942(昭和17)年12月11日公開の八尋不二のオリジナル脚本、森一生監督作で、1962(昭和37)年に同じく八尋不二のオリジナル脚本、森一生監督により勝新太郎、小山明子主演でリメイクされています。

勝新太郎版「三代の盃」(1962)

 ラストでこれまで我慢を重ねてきた片岡千恵蔵の政吉が、女性と別れ、相手方に殴り込みをかけるいうこの構図は(殴り込みをかける際に、雨が降って来て番傘をさしていくシーンなども含め)、1960年代にスタートした高倉健主演の「日本侠客伝シリーズ(1964-1971、全9作)、「昭和残侠伝」シリーズ(1965-1972、全11作)をはじめとするやくざ映画と少しも違わないことに驚かされます(そのため既視感があるが、こちらの方が20年以上前、しかも戦時中なのだなあと)。

日本侠客伝02.jpg日本侠客伝01.jpg 例えば、上記シリーズの中で最も早く作られたマキノ雅弘監督の「日本侠客伝」('64年/東映)も、深川木場の材木を運び出す運送業者の木場政組と親興の沖山運送の対立が背景にあって、新興やくざの非道に対して、昔気質の一家がじっと忍耐した末に斬り込みに行くというストーリーはよく似ているし、旅に出ていた片岡千恵蔵・政吉が戻って来て一家の危機を救うという構図は、出征先から戻って来た高倉健・長吉が一家を救うのと同じです(この映画でも高倉健は最後着物をはだけて上半身裸になるが、長吉は軍人上がりで躰に入れ墨はない)。

 「三代の盃」で単身但馬屋一家へ乗り込もうとする片岡千恵蔵・政吉を、二葉かほる演じる母親が敢えて制止することなく送り出し(雨が降っているのに気づいて、息子に番傘を渡す)、更に、たった今祝言を挙げたばかりの新妻の琴糸路のお雪が父の命により、貧しい生活の中でも武士の命として質屋に出さず大事に手元に置いておいた刀を政吉に渡すべく雨の中政吉を追いかける(この映画は後に「花嫁一本刀」と改題されて再公開された)―これは武家的な気質と言え、武士道精神が明治初期のやくざに引き継がれ任侠道となったという説(氏家幹人『サムライとヤクザ』('07年/ちくま新書))に符合するようにも思いました。

日本侠客伝 中村s.jpgマキノ雅弘、『日本侠客伝』(1964年)es.jpg 一方、「日本侠客伝」における狭い意味での"侠客"は、中村錦之助演じる一家の"客人"清治でしょう(当初は中村錦之助が主演予定だったが、中村錦之助のスケジュールがつかず、高倉健を主演にした脚本に変更された)。清治は、世話になった親分への義理のために覚悟して死地へ向かいますが、その女・三日本侠客伝 富司純子.jpg田佳子演じるお咲には彼が何を考えているか分かっていて、こちらもそれを制止することなく最後の杯を交わして男を送り出します。一方の高倉健・長吉は、清治の遺体を見て意を決し、まさかそんなことになるとは思ってもいない恋仲の富司純子・お文には黙って何も告げず、敵方へ斬り込みに向かいます。ここでの富司純子は、「緋牡丹博徒」(シリーズ1968-1972、全8作)が始まる前の"お穣さん"的な役柄ですから、「三代の盃」で琴糸路・お雪に対応する役は(お雪も武家の娘でお嬢さんではあるが)、その精神性においては富司純子のお文よりむしろ三田佳子のお咲であるとも言えます。

三代の盃 スチール.jpg 「三代の盃」の片岡千恵蔵は、三ン下の頃は江戸時代で髷であるのが、旅から戻って来た時は明治で散切りですが、三ン下の頃からすでに貫禄が隠し切れず、やや窮屈そうな演技でしょうか(「赤西蠣太」('36年/日活)で見せたように軽めの演技も出来る人ではあるのだが)。それが、旅から戻ってきたらもう待っていましたとばかりの"凄み全開"で、時代劇がかっている分、高倉健などとはまた異なる、或いはそれ以上の迫力でした。

 たった3年の旅でこんなにも貫禄がつくのかとも思ってしまいますが、この片岡千恵蔵版では旅の過程で何があったのかは描かれておらず、その点を補完する意味合いもあってか、勝新太郎のリメイク版では、旅先で土地の親分同士の争いに巻き込まれ、土地の百姓の困惑をみた政吉が命懸けで仲裁に立ってその大役を果たし、その侠名が江戸にも伝わるということになっています。

片岡千恵蔵 in「三代の盃」(スチール写真)
 
久保幸江.jpg 尚、片岡千恵蔵版で政吉が旅に出てからの年月の経過を表すために、旅芸人一座が街道を行くシーンとその一座の久保幸江(1924-2010/享年86)の歌が流れますが、久保幸江のデビューは1948年であり、これは戦後に久保幸江を特別出演させてフィルムを改修したものだそうです。やはり、そうしたシーンで入れて時間的経過を表す間を持たせないと、場面が切り替わって髷から散切りになっただけでいきなりすぐに迫力が増すというのは、当時としても観ていてやや唐突な印象があったのではないかという気がします。

久保幸江 
    
三代の盃(花嫁一本刀)v.jpg三代の盃_200.jpg「三代の盃(花嫁一本刀)」●制作年:1942年●監督:森一生●脚本:八尋不二●撮影:松村禎三●音楽:西梧郎●時間:67分●出演:片岡千恵蔵/琴糸路/高山徳右衛門/林寛/荒木忍/近松里子/長浜藤夫/原聖四郎/小川隆/大井正夫/香琴糸路_1942.png住佐代子/二葉かほる/梅村蓉子/ 仁札功太郎/岬弦太郎/川崎猛夫/石川秀道/大国一公/水野浩/横山文彦 /久保幸江●公開:1942/12●配給:大映(京都撮影所)(評価:★★★☆)
琴糸路(「維新の曲」('42年/大映)出演時、満30歳)

「日本侠客伝」田村高廣/長門裕之/松方弘樹/大木実/中村(萬屋)錦之介
日本侠客伝59.jpg日本侠客伝200x133.jpg「日本侠客伝」●制作年:1964年●監督:マキノ雅弘●脚本:笠原和夫/野上龍雄/村尾昭●撮影:三木滋人●音楽:斎藤一郎●時間:98分●出演:中村錦之助(萬屋錦之介)/高倉健/大木実/松方弘樹/田村高廣/日本侠客伝-002.jpg長門裕之/藤間紫/富司純子/南田洋子/三田佳子/伊井友三郎/ミヤコ蝶々/津川雅彦/島田景一郎/五十嵐義弘/南都雄二/徳大寺伸/加藤浩/佐々木松之丞/島田秀雄/堀広太郎/那須伸太朗/大城泰/安部徹/天津敏/品川隆二/国一太郎/佐藤晟也/大井潤/月形哲之介/大前均/楠本健二/有馬宏治/内田朝雄●公開:1964/08●配給:東映(評価:★★★☆)

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定番だが、ミス・ワカナを知る上でも、吉本漫才のルーツを知る上でも貴重な作品か。

お伊勢詣り(旅籠屋騒動)v.jpg  お伊勢詣り(旅籠屋騒動)23bb.jpg お伊勢詣り森光子10.jpg
「お伊勢詣り (旅籠屋騒動)」            ミス・ワカナ/玉松一郎     森光子(19歳)

お伊勢参り(旅籠屋騒動10.jpg 伊勢詣りの人々でごった返す旅籠街。狭い道で、それぞれの宿の客引きが懸命に行われている。旅籠伊勢屋では、伊勢屋の主人(伴淳三郎)にもう何度目かという臨終が迫っていたため客引きは躊躇していたが、主人の命により客を引き入れ、結局今日も団体客で大賑わい。父危篤の知らせで駆けつけた娘・お光(森光子)の許婚・新太郎(南條新太郎)、新米女中のワカナ(ミス・ワカナ)に惚れる息子・一郎(玉松一郎)、お光の美しさに惹かれ伊勢屋に泊まる旗本のぼんぼん(浅田家日佐丸)。つい酔っぱらったワカナに対し、旗本は自らが被った無礼に腹を立て、千両払わねばワカナを斬ると言う。番頭が一夜待ってくれと言うも態度を軟化させず、次第に夜も更け、皆が旗本の前で漫才をやってその態度を和らげることを試みることに―。

 1939(昭和14)年5月公開作。吉本興行(戦後は吉本興業)の演芸が急激に大衆に受け入れられたことに伴い、松竹の子会社である新興キネマに設立された演芸部が1939年4月、その吉本から当時人気絶頂のワカナ・一郎、ラッキーセブンなどの漫才コンビを引き抜き(仕掛けたのは永田雅一で、その命を受けて奔走したのが、この映画で怪演を見せる伴淳三郎だと言われている)、その結果、彼らがこの「お伊勢詣り」に出演することになりましたが、吉本は黙っておらず、裁判沙汰になったとのことです。

 同じ頃、東宝の前身P・C・Lで吉本の花形エンタツ・アチャコの映画がヒットを飛ばしており、この作品はワカナ・一郎で、それに対抗しようとしたものですが、そうした渦中で作られ、新興・吉本の闘いの影響でやくざが映画館を襲撃するといった噂が流れたりもし、京都では、予定日に封切ることが出来ず、休館のところも出たとのこと。休館したところでは、数日後、もう大丈夫だろうと2日間のみ封切ったところ超満員になり、翌月改めて再上映したとのことです。

吉本/ミス・ワカナが吉本に入社.gifお伊勢詣り(旅籠屋騒動) 1.jpg 物語は、とある旅籠屋に住み込んだミス・ワカナ扮する底抜けに明るい女中の奮戦記であり、後に「旅籠屋騒動」と改題されています。ミス・ワカナが夫・玉川一郎と漫才コンビを組んだのが1928年で、少しずつ勢いをつけ、1937年に吉本に所属すると一気にブームになり、更にこの映画で"全国区"となります。

「吉本百年史」より

 実際、作品の中でのワカナの演技は際立っており、旗本の前でやってみせる漫才でも、ラッキーセブン(香島ラッキー・御園セブン)の時事漫談などはあまり面白くないのに(戦時下の検閲を意識したものになっているせいもある)、ワカナ・一郎になるとぐっと面白味が増します(ストーリー上、ラッキーセブンの方がワカナ・一郎より面白くてはマズイのだが)。ラッキーセブンなどはおそらく映画初出演でカメラ馴れもしていなかったのではないかと思いますが、それはワカナ・一郎とて同じことで、その辺のワカナのセンスと度胸の良さというのはさすがです。

舞台「おもろい女」ポスター(森光子・段田安則版/藤山直美・渡辺いっけい版)
おもろい女 1.jpgおもろい女 2.jpg この作品に伊勢屋の主人の娘役で19歳で出演し、ミス・ワカナにも可愛がられた森光子が、1965年フジテレビドラマ「おもろい女」でミス・ワカナを演じていて(未見だが、森光子演じるミス・ワカナが、デビューしたての森光子に声をかけるシーンがあるそうだ)、更に1978年から 2006年にかけてはこれを舞台で演じています(因みに、玉松一郎役は、テレビドラマは藤山寛美、舞台は芦屋雁之助、段田安則などが演じている)。また、森光子亡き後は、藤山直美が舞台「おもろい女」でミス・ワカナを演じ演じています(玉松一郎役は渡辺いっけい)。
クスリを打つワカナ(森光子)
おもろい女 .jpg 天才と言われたミス・ワカナですが、この作品出演の7年後の1946年、阪急西宮球場での野外演芸会の帰りに阪急西宮北口駅のホームで心臓発作を起こしで倒れ、36歳の若さで急逝します。ヒロポンの中毒と過労が原因だったと俗説されていますが、本当のところはよく分からないようです(エノケンこと榎本健一もヒロポン中毒だった)。亡くなった当日の公演の阪急西宮球場への行きは森光子が同行していたとのことですが、森光子の証言によれば、当日持たされた小箱の中に薬があったとのことです。森光子によると、晩年はヒロポンではなくナルコポンを打っていたということで(太宰治の最初の中毒がナルコポン中毒だったと言われている)、森光子の舞台では、ワカナがクスリを打つ場面がありました。

 映画自体は、吉本の定番舞台をそのまま映画化したような生硬さのようなものもあり、ものすごく面白いというわけでもありません。ただ、この映画のヒットを受け、続編「金比羅船」(1939)、「黄金道中」(1940)なども作られていますが、ミス・ワカナ主演映画でちゃんと残っているのはこの作品だけのようです。その意味では、ミス・ワカナを知る上でも、吉本漫才の一つのルーツを知る上でも貴重な作品ということになるかもしれません。

お伊勢参りミス・ワカナ.jpg「お伊勢詣り(旅籠屋騒動)」●制作年:1939年●監督:森一生●脚本:依田義賢●撮影:廣田晴巳●音楽:武政英策●時間:55分●出演:ミス・ワカナ/玉松一郎/香島ラッキー/御園セブン/平和ラッパ/森光子/伴淳三郎/浅田家日佐丸/松葉家奴/南條新太郎/平和ラッパ/伊庭駿三郎/三浦志郎/吉野喜蝶/橘光造/小酒井健●公開:1939/05●配給:新興キネマ京都(評価:★★★)

ミス・ワカナ/玉松一郎 in 「お伊勢詣り(旅籠屋騒動)」
 

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'特別出演'の17歳の原節子はすでに目立っていた。結末はやや拍子抜けか。

将軍を狙う女 東海美女博より3.jpg将軍を狙う女 東海美女伝ps.jpg
将軍を狙う女 東海美女伝.jpg「將軍を狙う女」原節子(当時17歳)/黒川弥太郎
原節子(17歳)/花井蘭子(19歳)/黒川弥太郎
将軍を狙う女 東海美女伝37oct.jpg 小西行長の遺臣・磧田(せきた)与四郎(黒川弥太郎)は、徳川家康(鳥羽陽之助)の乗った駕籠を襲うが討ち損じ、逃げ延びた山小屋には、石田三成の客分だった老人・遠山白雲斎(横山運平)がお鶴(花井蘭子)という娘と暮らしていた。お鶴は家康の前妻・築山御前(つきやまごぜん)の娘で、父である家康とその腹心の野中三五郎(進藤英太郎)を母の仇として狙っていた。家康は駿府城に人質でいる小西行長の娘・お由利(原節子)を寵愛し、お由利は切支丹信者だった。築山御前の命日、お鶴は将軍を狙う女 東海美女伝3.jpg与四郎の手を借りて本懐を遂げんと野中の屋敷に乗り込むが、奮戦空しく与四郎は捕らわれてしまう。与四郎はお由利の手引きで脱獄するが、お由利は家康に見つかり島送りにされることに。一方、野中の追手から逃げたお鶴は、バテレンに助けられて隠れ切支丹たちの潜む洞窟に行き、そこで与四郎と再会する。ある日、与四郎とお鶴は伊豆の岬で、金山奉行の金春大蔵(こんぱる・おおくら)(永井柳太郎)と出会う。金春はかつて与四郎から爆破術を伝授され、その腕を家康に認められ、金山奉行として引き立てられていた。お由利が流島になることを知った与四郎たちは、お由利を救い出して金山将軍を狙う女 東海美女伝4.jpgに匿う。与四郎とお由利の間に愛情が芽生えるが、与四郎は大望を言い聞かせて自制を求める。野中を嫌う金春は洞窟に野中を誘い出して自爆死し、与四郎は野中を鉄砲で斃す。与四郎は、運命を共にすると言うお由利を説得し、お由利が差し出した駿府城の地図を手にお鶴と城内に忍び込む。家康を前にお鶴は刀を抜くが、築山御前への詫びを口にしてお鶴に刺せと言う家康に憐れみを感じ、親子の情を抑え難く手を下すのを止め、与四郎も今までの無礼を詫びる。家康は与四郎とお鶴を海外で安寧に暮らすように諭し、その計らいをする。船出の日、切支丹宗門に生きるお由利らに見送られて、与四郎とお鶴を乗せた船が出帆する―。

 1937(昭和12)年10月公開の石田民三(いしだ・たみぞう、1901-1972)監督作で、公開時のタイトルは「東海美女傳」で、後に「将軍を狙う女」と改題。この年2月公開の日独合作「新しき土」に主演した原節子が'特別出演'し、当時の広告の謳い文句は"原節子帰朝歓迎映画"でした。小西行長の娘・お由利を演じた原節子(1920-2015/享年95)は当時17歳。美少女であるとともに、堂々した女優ぶりです。徳川家康の前妻の娘・お鶴を演じる当時19歳の花井蘭子(1918-1961/享年42)と比べるとぱっちり目で、切支丹信者が似合うバタ臭い目鼻立ちとも言えます。

 家康の前妻・築山御前が家康の命令により殺害されたのは史実のようですが、その娘は架空の人物。関ヶ原の戦いで敗れ、切支丹であるがゆえに切腹が出来ず斬首された小西行長にも3人娘がいましたが(ジュリアと呼ばれた朝鮮人養女を含めると4人)、この映画のお由利のモデルと特定できる人物はおらず、まあ、時代劇に多い"伝奇もの"と言えるでしょうか。豊臣の残党、金山、切支丹、復讐物語と、背景がてんこ盛りで、黒川弥太郎演じる磧田与四郎が連発短銃をぶっ放す"活劇時代劇"でもあり、展開は比較的スピーディです。

 鳥羽陽之助演じる徳川家康が、そんな悪い奴ではなかったというか、徳川家康を演じた鳥羽陽之助は、この作品の直前まで日活で"あのねのおっさん"こと高勢実乗と"極楽コンビ"を組んで山中貞雄監督の「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」('35年/日活))などでとぼけた笑いを提供していた俳優です。出て来るなり、"将軍"と言うよりどこかの"商人(あきんど)"にしか見えず、何となく憎めない感じ。お由利を幽閉中、別にお由利に手出ししたわけでもなさそうだし、嫉妬深い正室・阿茶の局(鈴村京子)の手前、与四郎の脱獄の手引きをしたお由利を島流しにせざるを得なくなるものの、最後に彼女が逃れて無事と訊いて安心したりしています。

 まあ、最大のドンデン返し(と言えるかどうか?)は、それまで進んできたお鶴の仇討ちの話が、最後、仇である家康との父娘の人情物語に転化されてしまうところで、これでは一緒に討ち入った与四郎の立場が無いと思いきや、与四郎もあっさり家康にこれまでの非礼を詫び、逆にお鶴のことをよろしく頼むと家康に言われて、二人が一緒になることが暗示されてはいるものの、いくら血は水よりも濃いとは言っても、この結末にはやや拍子抜けしました。

将軍を狙う女 東海美女伝2.jpg 与四郎・お鶴の話がメインストーリーですが、黒川弥太郎の演じる与四郎よりも鳥羽陽之助演じる徳川家康の方がキャラ立ちしているし、花井蘭子演じる切れ長の目の和風美人よりも、客演であるはずの原節子のつぶらな瞳(時代劇らしくない?)、くっきりし過ぎる顔の造作(それでいてその役どころは古風でバタ臭い容貌との間にギャップがある)の少女役の方が目立つ映画でした。

花井蘭子(お鶴)(当時19歳)

 そんな中、永井柳太郎が演じた金山奉行の金春大蔵(大久保長安がモデルか)のキャラが良かったです(ずっとユーモラスできて、最期は潔かったと言うか)。しかし、(お由利の手引きがあったにせよ)忍者でもない男女が押し入って家康の寝室まで行けてしまうという駿府城の警備は一体どうなっているのか―突っ込み所も多い作品です。

原節子1939dec.jpg花井 蘭子1935aug.jpg「将軍を狙う女(東海美女傳)」●制作年:1997年●監督:石田民三●製作:小山一夫●脚本:白浜四郎/加戸野恩児●撮影:上田勇●音楽:伊藤宣二●原作:村松梢風●時間:67分●出演:黒川弥太郎/鳥羽陽之助/永井柳太郎/深見泰三/山田好良/進藤英太郎/大家宏康/長島武夫/横山運平/大崎時一郎/花井蘭子/原節子/鈴村京子/五月潤子●公開:1937/10●配給:東宝映画(評価:★★★)

花井 蘭子(1935(昭和10)年)雑誌「日の出八月號附録:映画レビュー夏姿寫眞帖」(17歳)

原 節子(1939(昭和14)年12月)雑誌「サンデー毎日・新春の映画號」(大阪毎日新聞社)(19歳)

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この映画を観た外国人は、谷崎ってこんなに面白いのかと思ったのかもしれないけれど...。

Kagi (1959).jpg市川崑 鍵 .jpg市川崑 鍵 dvd 2015.jpg  鍵 谷崎 中公文庫.jpg
鍵 [DVD]」(2015)『鍵 (中公文庫 (た30-6))
Kagi (1959) 仲代達矢/京マチ子(35歳)

鍵 1959  0.jpg 古美術の鑑定家・剣持(中村鴈治郎)は、主治医・相馬(浜村純)の目を盗んで京都T大の内科に通い、娘・敏子(叶順子)の婚約者でインターンの木村(仲代達矢)に精力回復のホルモン剤注射を妻に内緒で打たせている。ある日その内科を剣持の妻・郁子(京マチ子)が訪ね、夫の通院を知るが夫には黙っている。彼女は夫を嫌っていたが、でも夜は...。木村が家に来て、皆でブランデーを飲んだ際、郁子は酔って風呂鍵 1959 1.jpg場で眠ってしまう。剣持は木村に手伝わせ、裸身の妻を寝室へ運ぶ。木村と郁子を煽り、嫉妬によって自らの気持を若返らせるという剣持の策略だ。その夜も剣持は盛んに妻に鍵 1959 47.jpg酒を勧め、郁子は酔って風呂場へ消える。翌日木村は呼ばれ、フィルムの現像を頼まれる。敏子はそうした現場を目撃してしまう。木村は敏子と既に関係を持っていた。敏子は家を出て間借りする。その彼女の下宿で、郁子は酔ってまた風呂場で倒れる。敏子が剣持に知らせに行く間、木村と郁子は二人きりだった。その夜、剣持が高血圧からの眩暈で倒れるという出来事があった。郁子が何処かへ出掛け、敏子が来て父娘は久しぶりに夕食を共鍵 1959 s.jpgにする。木村と郁子は度々会っている。彼女の貞操が不潔な方法で...言いかけた敏子に剣持は怒り、彼女を追い帰す。彼は妻には黙って木村と敏子を呼び寄せ、急に君たちの結婚の日取りを決めようと言う。敏子は、「母は父が具合が悪いのを前から知っていて、父を興奮させて殺すために貴方を利用していたのかも知れません」と木村に言う。郁子は婚約が整って晴々としている。剣持は映画に3人で行けと小遣いをくれるが、郁鍵 s.jpg子も木村も用事があると言い、敏子が一人残される。夜、郁子が帰って来て、木村と全て結着をつけてきた、木村との間には何も無かったと言う。深夜、郁子の顔の上へ剣持の頭がグラリと崩れ落ち、郁子はテキパキと処置する。木村も来て、郁子は彼に「今夜、十一時にね」と言って裏口の鍵を渡す。夜、女中部屋で2人は抱き合う。郁子は彼に敏子と結婚して、ここに一緒鍵 09.jpgに住み、開業すればと言い、木村はそれに従うつもりだ。ある晩、剣持は郁子に衣服を脱ぐことを命じ、その美しい肉体に歓喜しながら死ぬ。葬式が終わり、骨董品は古美術商が持って行き、家も抵当に入っているらしい。金の切れ目が縁の切れ目と、木村はこの一鍵 _R.jpg家から足を抜きたいと思い始める。敏子は台所の農薬を郁子の紅茶に入れるが、彼女は平然としている。婆やのはな(北林谷栄)が色盲で、ミガキ粉の罐と間違うといけないと中身を入れ替えていたのだ。そのはなが3人のサラダに農薬をふりかける。薬が効き、敏子が倒れ、郁子が眼を閉じ、木村も死ぬ。はなは自分が3人を殺害したと自白するが、警察はボケ老人だと思って相手にせず、妻が夫の後を追い、娘とその婚約者がそれに同情死したと解する―。

 市川崑(1915-2008)監督の1959年公開作品。1960年・第13回カンヌ国際映画祭のコンペティションに出品され、審査員賞(現在のグランプリに該当)をミケランジェロ・アントニオーニ監督の「情事」('60年/伊)と同時受賞し、第17回ゴールデングローブ賞(英語版)では、外国語映画賞を受賞しています。

 原作は言わずと知れた谷崎潤一郎の「」で、この作品以降、国内では3回映画化されていますが、それぞれ、1974年版が神代辰巳監督のロマンポルノで(主演:荒砂ゆき、観世栄夫)、1983年版がピンク映画の木俣堯喬の監督作(主演:松尾嘉代、岡田眞澄)、1997年版は池田敏春監督作で(主演:川島なお美、柄本明)、これも川島なお美の裸が売りだったような。この外に1984年のイタリア映画「鍵」(ティント・ブラス監督)があり鍵 川島.jpgます。海外版は未見ですが、日本版で原作の芸術性を重視して撮られているのはこの市川昆監督作だけのような気もします。但し、原作がそもそも「ワイセツか文学か」という議論のネタになりそうな要素を孕んでいるだけに、この市川監督作さえ微妙と言えるかも(評論家か誰かが「ポルノ映画の秀作」と呼んでいた)。

「鍵」1997年版(監督:池田敏春/出演:川島なお美(1960-2015)

 日本版は4作とも原作を改変しており、この市川監督作も、まず、日記という形式を設定していないという大きな枠組み改変があります。従って、日記をしまう箱の「鍵」なども出て来ず、鍵が出てくるのは、郁子(京マチ子)が木村(仲代達矢)に逢引き用に渡す裏口の「鍵」のところです。その外に、夫(中村鴈治郎)の職業が大学教授から美術品鑑定家になっていたりするなど細かい改変があります。

鍵 195971.jpg ストーリー的には、前半はほぼ原作通りに進みますが、半身麻痺の夫が、自分の目の前で妻に裸になることを要求し、その肉体美に歓喜しながら死んでいくというのは映画のオリジナルであり、さらに最後、夫の死後、娘・敏子(叶順子)が母の毒殺を試みるが失敗し、続いて婆や(北林谷栄)が郁子・敏子・木村を毒殺するというのは、"大胆"と言うより"驚愕"の改変と言っていいのではないでしょうか。

鍵 1959 48.png 原作では、また違った意味でのドンデン返しのようなものがあるのですが、それは日記の表現に関わるものであり、映像化が難しい言わば"文学的"なドンデン返しです。一方、映画の方は、最初から日記という枠組みを外してしまっているので、和田夏十(本名:市川由美子、1920-1983)らの脚本は、こうしたオリジナルの結末を用意したのでしょう。この映画を観た外国人は、谷崎ってこんなに面白いのかと思ったのかもしれないけれど、少なくともラストは谷崎じゃないと言いたくもなるような気もします。

鍵 1959 冒頭.jpg でも確かに、仲代達矢演じる木村が冒頭で「人間は誰もが老衰から免れることは出来ません」「この映画は老衰と闘った悲愴で非常に興味のある物語です」とシニカルにコメントし、冷静な語り部的な立場なのかなと思ったら、最後は自身が毒殺の憂き目に遭い、なぜ自分が殺されなければならないのか分からないといったまま苦悶に眼を見張るのが、意外性という意味では効いていたように思います。

鍵 1959 京.jpg 京マチ子(1924- )は、「羅生門」('50年)、「源氏物語」('51年)、「地獄門('52年)、「千姫」('53年)といった時代物の印象が強いですが、こうした現代ものでもしっかり存在感と言うかリアリティを醸していて、やはり女優としては希有な存在と言えるのでしょう。当時35歳で、原作の妻・郁子は46歳ですから、原作の設定よりかなり若いということになりますが、映画にすると(観客のこともあって)大体こんな感じになるのかでしょうか。

鍵-11.jpg鍵 1959 中村鴈治郎.jpg 一方、歌舞伎役者で「映画スターの中村鴈治郎」と言われた2代目・中村鴈治郎(1902-1983)は、当時57歳。2年後に小津安二郎監督の「小早川家の秋」('61年/東宝)でも"好色老人"(愛人宅で亡くなるご隠居)を演じていますが、同じ好色ぶりでも、この「鍵」の方が淫靡な感じがして小早川家の秋 S.jpg(谷崎にマッチしていて?)いいです。大体、主人公の年齢(56歳)と同じ年齢で演じていることになりますが、妻役の京マチ子との間には実年齢で22歳もの開きがあります。

中村鴈治郎 in「小早川家の秋」('61年/東宝)

 因みに、京マチ子はこの作品の10年前に同じく谷崎潤一郎原作で木村恵吾監督の「痴人の愛」('49年/大映)で主人公のナオミを演じていましたが、剣持の娘・敏子を演じた叶順子(1936- )はこの痴人の愛 京マチ子.jpg痴人の愛 叶順子.jpg作品の翌年、同じ木村恵吾監督によってリメイクされた「痴人の愛」('60年/大映)で主人公のナオミを演じています(1963年の人気ピーク時に引退)。
「痴人の愛」('49年)京マチ子、宇野重吉主演/「痴人の愛」('60年)叶順子主演

鍵(1959)1.jpg鍵 1959 01.jpg「鍵」●制作鍵 1957es.jpg年:1959年●監督:市川昆●製作:永田雅一●脚本:長谷部慶治/和田夏十/市川崑●撮影:宮川一夫●音楽:芥川也寸志●原鍵 1957 市川ド.jpg作:谷崎潤一郎●時間:107分●出演:京マチ子/叶順子/仲代達矢/中村鴈治郎/北林谷栄/菅井一郎/倉田マユミ/潮万太郎/星ひかる/浜村純/山茶花究/伊東光一/花布辰男/大山健二/河原侃二/高村栄一/南部彰三/伊達三郎/中條静夫●公開:1959/06●配給:大映(評価:★★★☆)

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「メタ日記」の"メタ"が多重構造になっている妻側。女性は「共犯者」ということか。

『鍵』.JPG鍵 谷崎 s31 中央公論社.jpg 鍵 谷崎 s31 中央公論社ド.jpg
鍵 (中公文庫 (た30-6))』『鍵 (1956年)

谷崎 潤一郎 『鍵』a9f.jpg ある56歳になる大学教授が、嫉妬によって性的に興奮して45歳の妻・郁子に対する精力を得んとして、妻と、自らが娘・敏子に縁談相手として紹介した学生・木村を最後の一線を越えない限界まで接近させようとし、酔い潰れ浴室で全裸で倒れた郁子を木村に運ばせたり、昏睡する郁子の裸体を撮影し、その現像を木村に頼むなどした経緯を日記に書いていく。同時に妻・郁子も日記を書いている。大学教授は妻に日記を盗み読んでほしいことを自らの日記に書き、日記を隠している抽斗の鍵をわざと落とすが、郁子は夫の日記を盗み読む気はないと日記に書く。また郁子は夫を性的に興奮させるために、嫌々ながら敢えて木村と接近するのだ、自分も日記を書いていることを夫は知らないはずだとも日記に書く。また木村も大学教授の計画に積極的に協力していく。娘・敏子は母に不倫を強要する父に反発しているようだと郁子は日記に書く。大学教授は性的興奮を得るため医者の警告を無視して摂生を行わず、遂に病に倒れて亡くなった夫の死後、郁子は、実は自分は以前から夫の日記を盗み読んでおり、自分の日記を夫が盗み読んでいることも知っていて夫を性的に興奮させ不摂生な生活に追い込み病死させるため日記に嘘を書いていた、娘・敏子も自分に協力していて、本当は積極的に木村と不倫して肉体関係を持っていたと日記に書く。木村は世間を偽装するため形式的に敏子と結婚し、その母である郁子と同居することで、実質的に郁子と結婚生活をする計画を練っていると、郁子は日記に書くのだった―。

 1956(昭和31)年1月号の「中央公論」に掲載された後、5月号から12月号まで連載された谷崎潤一郎(1886-1965/享年79)の晩年の作品で、中央公論社からその年の12月に単行本が刊行されました。文庫で読むならば、中公文庫版が、連載時の棟方志功の挿画(版画)59点をそのまま収めているのでお薦めです。

 その中公文庫の綱淵謙錠(1924-1996)の解説によると、谷崎はこの作品の45年前、1911(明治44)年に「颱風」という作品を「三田文学」に発表していて、その粗筋が、吉原の女郎の手管に翻弄された若い日本画家が、好色と荒廃の生活を清算し、しばらく女から遠ざかって自らの命を吹きかえそうと旅に出て、半年間欲望を我慢して旅から戻ってきたところで、結局逆に女に巧妙に狭窄され搾取されて、恐ろしい興奮の末に脳卒中で亡くなるというものだそうで、確かにこの「鍵」と似ているなあと(「颱風」は結局発禁になったとのこと)。

 「鍵」発表時も当然「ワイセツか文学か」という議論はあったようですが、中央公論社側が作者の意図通り、「鍵」が芸術作品以外の受け取られ方をしないよう十分配慮したこともあり(一体どういう配慮をしたのか?)、社会に受け容れられたとのこと、但し、今でもこの作品については「ワイセツか文学か」の議論は有り得るという気がします。

 スタイルとして日記文で構成することで、夾雑物の無いドキュメントのように読めるのがいいと思いますが、これ、やっぱり谷崎だから成せる技なのかも。ただ、読んでいくと、大学教授は「妻に日記を盗み読んでほしい」と自らの日記に書き、妻・郁子の方も「自分も日記を書いていることを夫は知らないはずだ」と日記に書いていながら、一方でそれぞれ相手が自分の日記を読んでいると意識していてそのことも書いていたりするから、もし読まれているとの認識があるしたら、こうした書き方は普通あり得ないわけで、その時点で、双方とも、単なる日記ではなく「メタ日記」のようになっているように思いました。

 更に、大学教授の死後、妻・郁子は日記の中で(まだ書き続けている)、それまで日記に嘘を書いていたことを告白し(郁子に関しては「メタ日記」の"メタ"が多重構造になっている)、木村と一緒に生活するための自分の「作戦」を明かしています(まるでミステリの謎解きのようなこの告白は、読者に対するものであるとも言える)。ここにきて初めて誰にも見られない"本来の日記"になっているわけですが、それにしても、木村と一緒になるために娘と木村を結婚させるというのがスゴイね。

 ドナルド・キーンが言っていたような気がしますが、この物語の最大の犠牲者は娘・敏子でしょう。でも、その敏子も、プロセスにおいては母親を堕落させることに加担しようとしているようにも見えるから、見方によっては、大学教授、木村、敏子の3人で郁子を堕落させようとしているようにも見えます。そして、それに乗っかっているのがまさに郁子自身であるという気がします。自ら堕落することはしないが、他者がそのように導くならばやむを得ず(喜んで)...。

The Key1971.jpgThe Key1991.jpgThe Key.jpg 結局、大学教授自らが書いているように、「つまり、それぞれ違った思わくがあるらしいが、妻が出来るだけ堕落するように意図し、それに向って一生懸命になっている点では四人とも一致している」ということになり、但し、自らの思惑を最後に実現しそうなのは郁子か―といったような話のように思います。ファム・ファタール的作品と言うか、公序良俗といった概念を破壊してみせた作品かもしれず、また、ジャン=ポール・サルトルが、女性は「共犯者」の境遇にあると言っていたけれど、まさにその通りの作品でもあったように思いました。
チャールズイータトル出版, 1971/Vintage Books, 1991/Vintage, 2004

市川崑 鍵 dvd 2015.jpg鍵 1959 s.jpg鍵 1959 1.jpg市川 昆 「鍵」(1959/06 大映) ★★★☆ 出演:京マチ子/仲代達矢/中村鴈治郎/叶順子/北林谷栄

 
谷崎潤一郎「鍵」 0.jpg鍵・瘋癲老人日記 (新潮文庫).jpg【1964年文庫化[新潮文庫(『鍵』)]/1968年再文庫化[新潮文庫(『鍵・瘋癲老人日記』)]/1973年文庫化[中公文庫]】

『鍵・瘋癲老人日記』(新潮文庫)

市川崑 鍵 .jpg 

棟方志功:画、谷崎潤一郎「鍵」(中央公論社、昭和31年)挿画/映画「鍵」京マチ子主演

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鉄板の人情話、王道のストーリー。30代前半でこうした作品を撮る川島雄三という人はスゴイ。

とんかつ大将 1952年dvd .jpg とんかつ大将 1952年13.jpg とんかつ大将 1952年12.jpg
とんかつ大将 SYK119S [DVD]」津島恵子/佐野周二/角梨枝子

とんかつ大将 1952年1.jpg 長屋に住む青年医師・荒木勇作(佐野周二)は「とんかつ大将」と呼ばれみんなに親しまれていた。艶歌師・吟月(三井弘次)と兄弟のようにして同居していたが、吟月は、浅草裏の飲み屋「一直」の女主人・菊江(角梨枝子)に惚れて、一夜勇作を誘って飲みに行った。折も折、菊江の弟・周二(高橋貞二)が喧嘩でゲガして帰って来たので、勇作はその手当をし、近くの病院へかつぎ込む。ところがその病院の女医が、昼間、勇作が自動車にぶつけられた老人・太平(坂本武)に代わって、さんざん油を絞ってやった自動車の主・真弓(津島恵子)だった。てきばきと手術をする勇作の姿に、菊江も真弓も惹きつけられる。やがて傷の直った周二も勇作に諭され、不良から足を洗うべく自主する。勇作には学徒出陣の時未来を約束した多美(幾野道子)という恋人があったが、終戦で復員して帰ると、その多美は彼の親友・丹羽(徳大寺伸)と結婚して利春(設楽幸嗣)という息子もいた。しかも生活の苦しさから、つい多美が百貨店で万引きをして捕らえられたのを勇作が救ってやったことを、丹羽は逆に怨みの眼で見る。一方真弓の病院では、悪徳弁護士・大岩(北竜二)の勧めで、勇作たちの住む長屋を取り壊す計画を進めていたが、勇作は長屋の人々を想って反対運動を起こす。大岩方でも、丹羽たちを使って勇作が元大臣の父の選挙運動のために長屋の連中を利用しているのだと中傷したため、長屋の人々の心は勇作から離れて行く。がある日、急病の利春を勇作が長屋の火事をよそに、手術の手を尽くし救ってやったことから、丹羽の心が解け、やがて長屋の跡にキャバレーを建てようとする大岩の悪計も真弓父娘に知られた。長屋には再び長閑な春が訪れたが、父の急病の報に、勇作は馴染み深い長屋を去って行かなければならなかった―。

とんかつ大将-10.jpg 川島雄三(1918-1963/享年45)が富田常雄の原作を脚色・監督した1952年2月公開作。"鉄板の人情話"或いは"王道のストーリー"と言っていい作品ですが、30代前半でこうした作品を撮ってしまう川島雄という人の才覚は、何か不思議なものさえ感じます。因みに、「とんかつ大将」というのは、主人公の好物がとんかつであることに由来する主人公の愛称です(主人公は「とんかつ屋」ではなく医師である)。
   
 青年医師・勇作を演じる佐野周二は、長屋の住人から好かれる庶民派の正義漢で、また、3人の女性から想いを寄せられる二枚目でもあるこの役が嵌っていました。いつも前向きな主人公ですが、それでも悪徳弁護士らの陰謀で長屋の人たちの心が自分から離れかけた時にはさずがに気持ちが参ってしまい、吟月とウサ晴らしに飲みに行ったけれど、その後、酒を飲もうと火事の中だろうと手術をこなしてしまう様はやっぱりスーパー・ヒーローでした。最後、盲目の少女(小園蓉子)の眼まで見とんかつ大将 00s.jpgえるように治してしまい、ちょっと出来過ぎの印象もなくもなく、実は大物政治家の息子だったということで、では何のために長屋に住んでいたのか、そもそも勤務医なのか開業医なのかもよく分からんと、突っ込みどころは少なからずありますが、そうしたことは後から考えれば思うことであって、観ている間はそう不自然に感じないのは、やはり佐野周二という俳優が本質的に二枚目であるということなのでしょうか(まあ、元々"映画を観て泣きたい人を泣かせる映画"であって、"粗探し"的に観ていては楽しめないタイプの映画ではあるのだが)。

角梨枝子
とんかつ大将 1952年14.jpg角梨枝子 とんかつ大将.jpgとんかつ大将 角梨枝子.2.jpeg 勇作を取り巻く菊江(角梨枝子)、真弓(津島恵子)、多美(幾野道子)の3人の女性がそれぞれ、行きつけの飲み屋の女主人であると同時に親友・吟月の想い人幾野道子 とんかつ大将.jpgでもある女性(菊江)、最近ある事件で見知ることになったプライドの高い同業の医師である女性(真弓)、かつての許婚で今は旧友の妻となっているが貧困と夫の家庭内暴力に苦しんでいる女性(多美)、と三者三様であり、勇作は最後、彼女たちとどうするのかと気を持たせるところが、脚本の妙と言うべきでしょうか。津島恵子が主役級と言えますが、演技面では角梨枝子、リアルな状況設定という面では幾野道子の方が印象に残ったかもしれません。

三井弘次
とんかつ大将o.jpg 男優では、清水宏監督の「大学の若旦那」('33年)や「東京の英雄」('35年)、小津安二郎監督の「非常線の女」('33年)に出ていた三井弘次が、この頃は不良になる不肖の弟といったこの映画で高橋貞二が演じている菊江の弟・周二のような役ばかりだったのが、人のいい艶歌師・吟月を演じていい味を出しており、同じく清水宏監督の「按摩と女」('38年)でお客に淡い恋をする按摩の徳市を演じた徳大寺伸が、主人公のかつての許婚を妻にしている飲んだくれのDV夫を、後に「彼岸花」('58年)、「秋日和」('60年)など小津安二郎映画で笠智衆や佐分利信の同級生仲間を演じることが多くなる北竜二が、長屋を取り壊して病院ならぬキャバレーにしようと画策する悪徳弁護士を演じているなど、各々それまでやその後の定番的な役柄と真逆の役柄を演じているのが興味深く、その外、「出来ごころ」('34年)、「浮草物語」('34年)、「東京の宿」('35年)など小津映画の数々の初期作品に主演した坂本武や、「彼岸花」('58年)で佐田啓二の後輩を演じた高橋貞二(1959年に33歳で自らの飲酒運転で事故死)、子役ですが同じく小津映画「お早よう」('59年)にも出ることになる設楽幸嗣(後に、音大を卒業して俳優業から音楽の道に転身)なども目にとまりました。

とんかつ大将 vhs.jpgとんかつ大将  003.jpg 長屋の人々が活き活きとして感じで描けていました。その点は、山中貞雄監督の「人情紙風船」('37年)と双璧ではないでしょうか。

「とんかつ大将」●制作年:1952年●監督・脚本:川島雄三●製作:山口松三郎●撮影:西川亨●音楽:木下忠司●原作:富田常雄●時間:95分●出演:佐野周二/美山悦子/長尾敏之助/津島恵子/角梨枝子/高橋貞二/三井弘次/徳大寺伸/幾野道子/設楽幸嗣/坂本武/小園蓉/北龍二(北竜二)●公開:1952/02●配給:松竹(評価:★★★★)

津島恵子 in「魔像」(1952.05/松竹)/「お茶漬の味」(1952.10/松竹)
魔像  1952.jpg  お茶漬の味 パチンコ.jpg

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