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細部では色々指摘があるが、プロットの巧みさ、謎が解けた時のスッキリ感の方が勝る。
『愛国殺人 (1955年) (Hayakawa Pocket Mystery 207)』『愛国殺人 (1975年) (世界ミステリシリーズ)』『愛国殺人 (1977年) (ハヤカワ・ミステリ文庫)』『愛国殺人 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)』"One, Two, Buckle My Shoe (The Christie Collection)"(ハーパーコリンズ版1996)
ポアロが歯科検診のため歯科医ヘンリイ・モーリイの所に行って自宅に帰ると、ジャップ警部からモーリイが死んでいるのが見つかったとの連絡がある。ポアロがさっきまでいた歯科医院に駆けつけると、診療室の床にモーリイの死体があり、こめかみをピストルで撃ち、足元のピストルからはモーリイの指紋のみが検出される。ポアロの診察は11時で、診察名簿によればポアロの後に治療を受けたのは、11時半に英国の経済を一人で動かしているともいわれる銀行家のアリステア・ブラント、その後に元女優ミス・セインズバリイ・シールが続いた。セインズバリイ・シールは痛みが我慢できないとの電話をかけてきてこの時間にモーリイが割り込ませた急患だった。そして12時にはサヴォイ・ホテル滞在の新患アムバライオティス氏、12時半にミス・ガービイの順だった。ジャップ警部がサヴォイ・ホテルに電話したところ、アムバライオティス氏は12時25分に診療を終え、その時には歯科医は元気だったという。アムバライオティス氏の診療が終わったが、モーリイが次の患者を診療室に入れるように合図するブザーがいつまでも鳴らず、ミス・ガービイは待ちくたびれて怒って帰ってしまっていた。その後で、患者を案内するボーイが診療室を覗いてみてモーリイの死体を発見したのだった。 検死の結果、死亡推定時刻は1時より前であることは間違いなく、歯科医の死はアムバライオティス氏の診療が終わった12時25分から1時の間に起きたと考えられた。ジャップは自殺を主張したが、ポアロは納得しない。自殺か殺人か決めかねるポアロとジャップは、最後の患者アムバライオティス氏をサヴォイ・ホテルに訪ねると、氏は30分ほど前に死亡していた。死因は歯科医が局部麻酔として歯肉に注射するアドレナリンとプロカインの過剰投与で、氏の診療の際に薬の分量を間違え、後でそれに気づいたモーレイが過失を苦に自殺したとジャップは自説を述べる。ポアロはあくまで殺人を主張し捜査を始めるが、今度はミス・セインズバリイ・シールがホテルを出たままどこかに消えてしまう。セインズバリー・シールの行方不明から1カ月経過し、捜査が完全に停滞してしまった頃に、彼女の死体が発見される。チャップマン夫人と名乗る女性のマンションの部屋のなかの、毛皮保管用の衣装箱に死体は詰め込まれていた。死後約1カ月で顔は故意に潰されていた。腐敗も激しく死体の身元の確認はできなかったが、服装や管理人の証言からセインズバリイ・シールと思われた。ところが、モーリイの診療所にあったカルテで歯型を確認すると、死体はセインズバリー・シールではなくチャップマン夫人であることが判明、夫人もモーリイの患者だった。では、ミス・セインズバリー・シールはどこに消えたのか? モーリイ、アムバライオティスの死は他殺なのか?
1940年にアガサ・クリスティ(1890‐1976)が発表した作品(『杉の柩』の次)で、原題はマザーグースに由来する"One, Two, Buckle My Shoe"ですが(各章ごと、マザーグースの歌詞に沿って話が展開する)、邦訳タイトルは、米国版タイトルの"The Patriotic Murders" に拠っています(その後、米国版は"An Overdose of Death"に改題)。「愛国殺人」の方が、内容にしっくりくるタイトルでしょうか(何故「愛国殺人」というタイトルなのかを詳しく言ってしまうと、イコール犯人は誰かを言ってしまうことになってしまうとも言えるのだが)。
江戸川乱歩がこの作品を絶賛したとされるように、巧みなプロット構成でした。ここから若干ネタばれになりますが、犯行の偽装工作で、死体の方をとり変えないで(実は元々とり変えようがなかったのだが)カルテの方を改竄したというのは実に巧妙だったと思います。
"One, Two, Buckle My Shoe (Hercule Poirot Mysteries)"
アムバライオティス氏がモーリイ歯科医の新患だったというのはご都合主義でないかとか、犯人は歯科医での受診の順番をどう調整したのかとか、細部については色々指摘がありますが、セインズバリイ・シールが英国行きの船で一緒だったアンベリオティスに歯医者を紹介して、ついでに余計な昔話までしてしまったという経緯があり、そもそも、最初から全てが犯人によって仕組まれたわけではなく、偶然そうしたことに気づいた犯人が(身の破滅の危機が迫っているということもあって)急遽犯行を思い立ったということでしょう。
ある殺人を図るために別に殺人を犯すのは危険すぎるのではないのかとかという犯行動機の面でも弱さがあるかもしれませんが、犯人は2人殺そうと3人殺そうと絶対に自分の犯行はバレないという自信家であるとともに、「モーリイの他にも歯医者はいる」という犯人の言葉にみられるように、自分の信念(と言うよりプライド)のためなら他人の命は何とも思わないという、ポワロとは全く相容れない考えの持ち主であることを、それだけ如実に物語っているということなのでしょう。
他にも、犯人が用いた殺人手段の一つは専門家でないと使えないはずのものだとの指摘もありますが、全体として、序盤はちょっとイライラさせられるような複雑な構成であるものの、終盤に謎が明らかになるとそれらが全て繋がったと解って大いにとスッキリした気分になるという、そのカタルシス感が大きくて、個人的には〈細部の問題〉はあまり気にならなかったように思います。
「名探偵ポワロ(第33話)/愛国殺人(愛国殺人事件)」 (92年/英)★★★☆
【1955年新書化・1975年改訂[ハヤカワ・ミステリ]/1977年文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫]/2004年再文庫化[クリスティー文庫]】