【2380】 △ 松田 定次 「三十三の足跡 (多羅尾伴内 三十三の足跡) (1948/12 大映) ★★★

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シリーズ第4作。前作「二十二の指紋」よりやや落ちるが、個々の役者を見ていくと興味深い。

三十三の足跡poter.jpg多羅尾伴内 三十三の足跡vhs3.jpg 多羅尾伴内 三十三の足跡1 2 - コピー.png
「多羅尾伴内 三十三の足跡」[vhs]  片岡千恵蔵/木暮実千代/喜多川千鶴

三十三の足跡to.jpg 正月興行を間近に控えた太陽劇場に鶴十郎の幽霊が出たという騒ぎが起きる。十年前、人気役者・嵐鶴十郎は芸道の事で当時の劇場主・中谷から意見されたのを恨んで三階の楽屋で自殺をした。その幽霊が出たという。中谷もその鶴十郎の幽霊に悩まされて縊死しており、現在の劇場の権利は木塚専三(進藤英太郎)の手にあった。元旦が初日で舞台稽古に張り切っていた"こまどり座"の中に中谷の娘よし子(木暮実千代)・あつ子(喜多川千鶴)姉妹もいて、かつての父の劇場での初舞台を楽しみにしていた。その姉妹に大道具係・後映画パンフ 三十三の足跡.jpg藤宗吉(山本礼三郎)は、お父さんは自殺ではないと謎の言葉を囁く。一方劇場には先日背景係をクビになった多羅尾伴内(片岡千恵蔵)が、今度は建築技師となって劇場の視察に乗り込んでいた。舞台稽古が始められるが舞台の床板が落ちて一座のみや子(暁テル子)がケガをする。楽屋にはどこからともなく人の足音が聞こえたり、笑い声やらうめき声が聞こえたりして奇怪な事が続く。一座の演出家・川上敏夫(月形龍之介)は宗吉を犯人と睨むが、その宗吉はロープで首を縊り、伴内の医者が乗り込んだ時には既に死んでいた。翌日、中谷姉妹の許へ伴内の公証人が現れてこの劇場は近くあなた達のものになると告げて帰っていく。それから程なく伴内は、私立探偵として宗吉の死因調査に劇場に現れた―。

「三十三の足跡」映画パンフ

二十一の指紋_dvd.jpg 松田定次(1906-2003)監督による1948(昭和23)年公開の大映映画で、多羅尾伴内シリーズの「七つの顔」('46年)、「十三の眼」('47年)、「二十一の指紋」('48年)に続く第4作。'48年末封切の正月作品ですが、封切時には片岡千恵蔵(1903-1983)は既に大映を退社しており、大映での最後の多羅尾伴内シリーズとなりました(大映4作の中では最後のこの「三十三の足跡」だけがDVD化されていない)。

二十一の指紋」('48年)

 映画評論家・山根貞夫氏によれば、片岡千恵蔵の大映退社の事の起こりは、'48年の秋、大映の永田雅一社長が映画館主の集まりで、"役者はカーテンと同じで何度でも取り替えられる"という趣旨の発言をやってのけたのが発端で、片岡千恵蔵がこれに怒って、大映との契約が切れるのを機に契約更新しないで大映を辞めたそうです。片岡千恵蔵はその後、監督・松片目の魔王.jpg田定次、脚本家・比佐芳武らと組んで、連合映画作家協会を設立、自由民権運動を描いた「白虎」('49年/松竹(配給))を自主製作しますが(月形龍之介、喜多川千鶴らも出演している)、この連合映画作家協会に東横映画の撮影所長・マキノ満男も参加しており、東横映画が大映との関係が切れる契機となったとのこと。片岡千恵蔵の方は東横映画に俳優兼重役として入社し、その東横映画が大泉映画などを合併して'51年に東映が創立され、2年後には多羅尾伴内シリーズ第5作「片目の魔王」('51年/東映)が作られ、シリーズ第11作「七つの顔の男だぜ」('51年/東映)まで続きました。
片目の魔王 [VHS]

 この「三十三の足跡」でも多羅尾伴内は、①劇場の背景係(新米の絵描きでペンキ缶をひっくり返してクビになる)、②建築技師(パリ・オペラ座を模したという劇場の構造に関心を寄せる)、③"通りがかりの"医師(大道具係の宗吉の縊死を検視する)、④公証人(中谷よし子・あつ子姉妹に劇場の所有権があることを伝える)、最後に、⑤私立探偵・多羅尾伴内、⑥正義の人・藤村大造と多彩ですが、これでも前作「二十一の指紋」('48年)の7役より1つ少ない...。しかも最後、決めゼリフを吐かないで書き置きして消え、書割りみたいな背景の中を去っていくところで終わるのがこれまでと異なる趣と言えばそう言えるものの、定番はやはり定番通りやった方が良かったのではないでしょうか。

 前半はむしろ、演出家・川上敏夫役の月形龍之介(1902-1970)の方が目立っていたなあ。黒澤明の初監督作品「姿三四郎」('43年/東宝)で、敵役の檜垣源之助を演じるなど、脇役・敵役のイメージがありましたが(「宮本武蔵」('40年/日活)では佐々木小次郎を演じた。その時の武蔵役が片岡千恵蔵)、この「三十三の足跡」では至極まともな理性人である演出家・川上敏夫を演じ、怪異騒動を最初から人為的なものと踏んで独自に犯人推理し(予想は違っていたが)、また、よし子・あつ子姉妹を解雇しようとする劇場主を諌めて2人が舞台に出られるようにするなど、完全にヒーロー風です。多羅尾伴内扮する背景係のうだつの上がらなさとの対比でこうした描き方になっているのでしょうが、ストレートに正義漢役も演じられる人なのだなあと。

三面鏡の恐怖 vhs.jpg木々高太郎「三面鏡の恐怖」.jpgお茶漬けの味.jpgお茶漬の味000.jpg その他では、亡霊騒ぎに巻き込まれる中谷よし子役の木暮実千代(1918-1990)は、同年の久松静児監督の「三面鏡の恐怖」('48年/大映)では、上原謙の主人公を驚かす方の役で出ていましたが今回は怯えさせられる役でした(この人は小津安二郎監督の「お茶漬の味」('52年/松竹)などホームドラマっぽい作品にも主演で出ている)。

 また、「二十一の指紋」に笠原警部役で出ていた大友柳太郎(1912-1985)が劇団関係者の笠原という役で出ていますが、悪玉の劇場主を演じた進藤英太郎(1899-1977)などに比べると当時はまだ若輩の部類だったのでしょうか。暗~い感じの大道具係・後藤宗吉を演じた山本礼三郎(1902-1964)は、この作品と同年、黒澤明監督の「醉いどれ天使」('48年/東宝)では、三船敏郎演じるヤクザの松永と最後死闘を繰り広げる松永の元親分のヤクザ・酔いどれ天使_5.jpg醉いどれ天使  20.jpg岡田を演じ(因みに木暮実千代はその岡田の元情婦で、今は松永の情婦だが松永を裏切る役で出ている)、「野良犬」('49年/東宝)では、拳銃の闇ブローカー・本多を演じています。

山本礼三郎/木暮実千代 in「酔いどれ天使」('48年4月公開)with 三船敏郎

杉狂児.jpg みや子(暁テル子)の許婚を演じた杉狂児(1903-1975)は、女性の尻に敷かれる気弱な男ばかり演じていますが、映画監督の稲垣浩は杉狂児について、「日本の映画史に残る喜劇役者だと私は思う。いや、思うではなくいだおれ太郎.jpgく是非とも日本映画史に残さねばならぬ喜劇役者である」とし、「伴淳や森繁も個人の力はあるとしても、杉狂児の作ったレールを忘れてはならない」と喜劇人として高く評価しています(稲垣浩監督の「無法松の一生」('43年/大映)にも出ている。また、この人は、大阪・道頓堀の"くいだおれ太郎"の顔のモデルであるとも言われている)。

多羅尾伴内 三十三の足跡1 2.png 個々の役者を見ていくと興味深いのですが、プロットや全体の構成、テンポの良さという点では前作「二十一の指紋」の方が上でしょうか(前作でイメージが確立してしまったので、今回は変化球を意図した?)。

 亡霊が出てくるシーンで「オペラの怪人」のテーマが流れるけれど(そう言えば、作品のモチーフ自体が「オペラ座の怪人」に似ている点もある)、音楽著作権の方はどうなっているのだろうか。クラシックなら著作権切れですが、「オペラ座の怪人」の作家ガストン・ルルーの没年は1927年であり、日本基準(没後50年)でも欧州基準(没後70年)でも当時はまだ著作権は生きています。但し、それはあくまで現在の基準であって、著作権法そのものが当時まだ整備されていなかったから問題ないのだろうか?それとも、似たような別の曲なのか? いや。やはり同じ曲で、ちゃんと著作権料を払った?

「三十三の足跡(多羅尾伴内三十三の足跡)」●制作年:1948年●監督:松田定次●●脚本:比佐芳武●撮影:石本秀雄●音楽:深井史郎/服部良一●時間:75分●出演:片岡千恵蔵/小暮実千代/喜多川千鶴/月形龍之介/杉狂兒/大友柳太郎/服部富子/暁照子/藤井貢/山本礼三郎/服部富子/上代勇吉/村田宏寿/南部章三/戸上城太郎/岩田正/大美輝子/南春恵/由利道夫●公開:1948/12●配給:大映(評価:★★★)  

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