【2350】 ○ 馬場 錬成 『大村智―2億人を病魔から守った化学者』 (2012/09 中央公論新社) ★★★★ 《大村智物語―ノーベル賞への歩み』 2015/11 中央公論新社)》  ★★★★

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評伝としてはオーソドックスだが、やはりスゴイ人だったのだなあと。

大村智 2億人を病魔から守った化学者.png大村智 - 2億人を病魔から守った化学者.jpg ノーベル生理学医学賞 大村智氏.jpg 大村智氏 大村智物語.jpg
大村智 - 2億人を病魔から守った化学者』['12年]『大村智物語―ノーベル賞への歩み

 感染すると失明の恐れもある寄生虫関連病の治療薬を開発したことが評価され、今年['15年]ノーベル生理学・医学賞が授与された大村智・北里大特別栄誉教の評伝で、著者は元読売新聞社の科学部記者・論説委員で、東京理科大学知財専門職大学院教授。刊行は'12年で、ノーベル賞受賞後、『大村智物語―ノーベル賞への歩み』('15年/中央公論社)として普及版が刊行されています(ノーベル賞受賞に関することが加わった他は内容的にはほぼ同じだが、児童・生徒でも読み易いような文章表現に全面的に書き改められている)。

Satoshi Ōmura - Nobel Lecture: A splendid gift from the Earth: The origins & impact of Avermectin

山中伸弥 氏.jpg日本の科学者最前線.jpg ノーベル生理学・医学賞の受賞は、日本人では、利根川進氏('87年)、山中伸弥氏('12年)に次いで3人目ですが、山中伸弥氏は、自分がノーベル賞を受賞した後、ある人から「こんなスゴイ人もいます」と本書を薦められ、読んで驚嘆したという話がどこかに書いてありました。但し、'00年1月から3月まで読売新聞の夕刊に連載された、54人の科学者へのインタビュー「証言でつづる知の軌跡」を書籍化した読売新聞科学部・編『日本の科学者最前線―発見と創造の証言』('01年/中公新書ラクレ)をみると、約15年前当時、既にノーベル賞有力候補者にその名を連ねていました。

大村智G.jpg 評伝としてはオーソドックスで、生い立ち、人となり、業績をバランスよく丁寧に伝えていますが、研究者としては異例の経歴の持ち主で、やはりスゴイ人だったのだなあと。山梨県の韮崎高でサッカーや卓球、スキーに没頭して、特にスキーは山梨大学の学生の時に国体出場しており、大学卒業後、東京都立墨田工業高校夜間部教師に着任、理科と体育を教えると共に、卓球部の顧問として都立高校大会で準優勝に導いています。生徒たちが昼間工場で働いた後に登校し、熱心に勉強しているのを見て、「自分も頑張東京理科大学出身大村智2.jpgらなければ」と一念発起、夜は教師を続けながら昼は東京理科大学の大学院に通い、分析化学を学んだとのことです。氏は1963年に同大学理学研究科修士課程を修了しており、小柴昌俊氏が明治大学(私立)の前身の工業専門学校に一時期在籍していていたことを除けば、東京理科大学は初めてノーベル賞受賞者を輩出した「私学」ということになるようです。

 その後、山梨大学に研究員として戻り、東京理科大学に教員のポストが空いたので山梨大学を辞したところ、そのポストが急遽空かなくなって困っていたところへ、北里研究所で研究員の募集があり、大学新卒と同じ条件で採用試験を受けて(科目は英文和訳と化学で、化学は全く分からなかったが採用された)そちらに転身したとのこと。後のことを考えると、北里研究所は、自らの存立の危機を救うことになる人材を採用したことになります。

中村修二 氏.jpg 日本人ノーベル賞受賞者には青色発光ダイオードで物理学賞の中村修二氏のように、特許を巡って会社と争った人もいれば、クロスカップリングの開発で化学賞の根岸英一・鈴木章両氏のように「特許を取得しなければ、我々の成果を誰でも気軽に使えるからと考え」(根岸氏)、特許を取得していない人もいます。特許取得自体は、無名のサラリーマン会社員の身でノーベル化学賞を受賞し話題になった田中耕一氏のように、特許登録が受賞の決め手の1つになったケースもあり、将来において高く評価される可能性があるならば取得しておくのが一般的でしょう(実際には何が評価されるか分からないため何でも登録されてしまっているのではないか)。

 大村智氏の場合は、静岡県のゴルフ場の土壌で見つけた細菌の作り出す物質が寄生虫に効果があることを発見し、メルク社との共同研究の末、その物質から薬剤イベルメクチンを開発、それが重症の場合に失明することもある熱帯病のオンコセルカ症(河川盲目症)やリンパ系フィラリア症(象皮症)の特効薬となり、年間3億人が使用するに至ったわけですが、メルク社との契約の際に特許ロイヤリティを受け取る契約を交わしています。この件については、メルク社からの特許買取り要請に対し、北里研究所の再建の際に経営学を学んでいた大村氏がロイヤリティ契約を主張して譲らなかったとのことです(「下町ロケット」みたいな話だなあ)。

大村智Y.jpg 但し、発明通信社によれば「大村博士らが治療薬の商用利用で得られる特許ロイヤリティの取得を放棄し、無償配布に賛同したために(WHOによる10億人への無償供与が)実現した」とのことで、これはつまり、彼は10億人の人々を救うために「特許権の一部」を放棄したのだと思われます(特許権を完全所有していれば数千億円が転がり込んできてもおかしくない状況か)。それ以外については特許ロイヤリティが北里研究所に支払われる契約のため、「150億円のキャッシュが北里研究所にもたらされ」(『大村智物語』)、研究所経営も立ち直ったということであり、更に、美術愛好家としても知られる大村氏は、2007年には故郷である山梨県韮崎市に私費で韮崎大村美術館を建設、自身が所有していた1500点以上の美術品を寄贈しています。

益川敏英00.jpg 2008年にノーベル物理学賞を受賞した益川敏英氏が近著『科学者は戦争で何をしたか』('15年/集英社新書)の中で、毒ガスや原爆を開発した科学者にノーベル化学賞や物理学賞が与えられてきた実態を書いていますが、そうしたものの対極にあるのがこの大村氏の受賞でしょう(80歳での受賞。存命中に貰えて良かった)。昨年['14年]11月に、中村修二氏の特許訴訟を担当した升永(ますなが)英俊弁護士が、《人類絶滅のリスクを防ぐ貢献度を尺度とすると、青色LEDの貢献度は、過去の全ノーベル賞受賞者(487人)の発明・発見の総合計の貢献度と比べて、天文学的に大である。》との主張を、特許法改正を巡る新聞の意見広告で展開したことがありましたが、大村智氏は少なく見積もっても2億人以上の患者を救っているわけで、中村氏陣営はもう少し謙虚であった方がよかったのではないでしょうか。

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