2015年12月 Archives

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「●化学」の インデックッスへ ○日本人ノーベル賞受賞者(サイエンス系)の著書(大村 智)

評伝としてはオーソドックスだが、やはりスゴイ人だったのだなあと。

大村智 2億人を病魔から守った化学者.png大村智 - 2億人を病魔から守った化学者.jpg ノーベル生理学医学賞 大村智氏.jpg 大村智氏 大村智物語.jpg
大村智 - 2億人を病魔から守った化学者』['12年]『大村智物語―ノーベル賞への歩み

 感染すると失明の恐れもある寄生虫関連病の治療薬を開発したことが評価され、今年['15年]ノーベル生理学・医学賞が授与された大村智・北里大特別栄誉教の評伝で、著者は元読売新聞社の科学部記者・論説委員で、東京理科大学知財専門職大学院教授。刊行は'12年で、ノーベル賞受賞後、『大村智物語―ノーベル賞への歩み』('15年/中央公論社)として普及版が刊行されています(ノーベル賞受賞に関することが加わった他は内容的にはほぼ同じだが、児童・生徒でも読み易いような文章表現に全面的に書き改められている)。

山中伸弥 氏.jpg日本の科学者最前線.jpg ノーベル生理学・医学賞の受賞は、日本人では、利根川進氏('87年)、山中伸弥氏('12年)に次いで3人目ですが、山中伸弥氏は、自分がノーベル賞を受賞した後、ある人から「こんなスゴイ人もいます」と本書を薦められ、読んで驚嘆したという話がどこかに書いてありました。但し、'00年1月から3月まで読売新聞の夕刊に連載された、54人の科学者へのインタビュー「証言でつづる知の軌跡」を書籍化した読売新聞科学部・編『日本の科学者最前線―発見と創造の証言』('01年/中公新書ラクレ)をみると、約15年前当時、既にノーベル賞有力候補者にその名を連ねていました。

大村智G.jpg 評伝としてはオーソドックスで、生い立ち、人となり、業績をバランスよく丁寧に伝えていますが、研究者としては異例の経歴の持ち主で、やはりスゴイ人だったのだなあと。山梨県の韮崎高でサッカーや卓球、スキーに没頭して、特にスキーは山梨大学の学生の時に国体出場しており、大学卒業後、東京都立墨田工業高校夜間部教師に着任、理科と体育を教えると共に、卓球部の顧問として都立高校大会で準優勝に導いています。生徒たちが昼間工場で働いた後に登校し、熱心に勉強しているのを見て、「自分も頑張東京理科大学出身大村智2.jpgらなければ」と一念発起、夜は教師を続けながら昼は東京理科大学の大学院に通い、分析化学を学んだとのことです。氏は1963年に同大学理学研究科修士課程を修了しており、小柴昌俊氏が明治大学(私立)の前身の工業専門学校に一時期在籍していていたことを除けば、東京理科大学は初めてノーベル賞受賞者を輩出した「私学」ということになるようです。

 その後、山梨大学に研究員として戻り、東京理科大学に教員のポストが空いたので山梨大学を辞したところ、そのポストが急遽空かなくなって困っていたところへ、北里研究所で研究員の募集があり、大学新卒と同じ条件で採用試験を受けて(科目は英文和訳と化学で、化学は全く分からなかったが採用された)そちらに転身したとのこと。後のことを考えると、北里研究所は、自らの存立の危機を救うことになる人材を採用したことになります。

中村修二 氏.jpg 日本人ノーベル賞受賞者には青色発光ダイオードで物理学賞の中村修二氏のように、特許を巡って会社と争った人もいれば、クロスカップリングの開発で化学賞の根岸英一・鈴木章両氏のように「特許を取得しなければ、我々の成果を誰でも気軽に使えるからと考え」(根岸氏)、特許を取得していない人もいます。特許取得自体は、無名のサラリーマン会社員の身でノーベル化学賞を受賞し話題になった田中耕一氏のように、特許登録が受賞の決め手の1つになったケースもあり、将来において高く評価される可能性があるならば取得しておくのが一般的でしょう(実際には何が評価されるか分からないため何でも登録されてしまっているのではないか)。

 大村智氏の場合は、静岡県のゴルフ場の土壌で見つけた細菌の作り出す物質が寄生虫に効果があることを発見し、メルク社との共同研究の末、その物質から薬剤イベルメクチンを開発、それが重症の場合に失明することもある熱帯病のオンコセルカ症(河川盲目症)やリンパ系フィラリア症(象皮症)の特効薬となり、年間3億人が使用するに至ったわけですが、メルク社との契約の際に特許ロイヤリティを受け取る契約を交わしています。この件については、メルク社からの特許買取り要請に対し、北里研究所の再建の際に経営学を学んでいた大村氏がロイヤリティ契約を主張して譲らなかったとのことです(「下町ロケット」みたいな話だなあ)。

大村智Y.jpg 但し、発明通信社によれば「大村博士らが治療薬の商用利用で得られる特許ロイヤリティの取得を放棄し、無償配布に賛同したために(WHOによる10億人への無償供与が)実現した」とのことで、これはつまり、彼は10億人の人々を救うために「特許権の一部」を放棄したのだと思われます(特許権を完全所有していれば数千億円が転がり込んできてもおかしくない状況か)。それ以外については特許ロイヤリティが北里研究所に支払われる契約のため、「150億円のキャッシュが北里研究所にもたらされ」(『大村智物語』)、研究所経営も立ち直ったということであり、更に、美術愛好家としても知られる大村氏は、2007年には故郷である山梨県韮崎市に私費で韮崎大村美術館を建設、自身が所有していた1500点以上の美術品を寄贈しています。

益川敏英00.jpg 2008年にノーベル物理学賞を受賞した益川敏英氏が近著『科学者は戦争で何をしたか』('15年/集英社新書)の中で、毒ガスや原爆を開発した科学者にノーベル化学賞や物理学賞が与えられてきた実態を書いていますが、そうしたものの対極にあるのがこの大村氏の受賞でしょう(80歳での受賞。存命中に貰えて良かった)。昨年['14年]11月に、中村修二氏の特許訴訟を担当した升永(ますなが)英俊弁護士が、《人類絶滅のリスクを防ぐ貢献度を尺度とすると、青色LEDの貢献度は、過去の全ノーベル賞受賞者(487人)の発明・発見の総合計の貢献度と比べて、天文学的に大である。》との主張を、特許法改正を巡る新聞の意見広告で展開したことがありましたが、大村智氏は少なく見積もっても2億人以上の患者を救っているわけで、中村氏陣営はもう少し謙虚であった方がよかったのではないでしょうか。

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淡々と書かれているだけに却って感動的であり、また、面白かった『クラゲに学ぶ』。

下村脩 クラゲに学ぶ.jpg 光る生物の話.jpg 下村脩 2.jpg 下村 脩 氏   科学者は戦争で何をしたか.jpg
クラゲに学ぶ―ノーベル賞への道』『光る生物の話 (朝日選書)』『科学者は戦争で何をしたか (集英社新書)

「一度も借りられたことがない本」特集 朝日新聞デジタル.jpg 今年['15年]はどうしたわけか色々な図書館で貸出回数ゼロの本の展示企画が流行り、藤枝市立駅南図書館(2月)、裾野市立鈴木図書館(2月)などで実施され、更にはICU大学図書館の「誰も借りてくれない本フェア」(6月)といったものもありましたが、つい最近では、江戸川区立松江図書館が1度も貸し出されたことがない本を集めた特設コーナーを設けたことが新聞等で報じられていました(12月)。その中に、2008年にノーベル化学賞を受賞した下村脩氏による本書『クラゲに学ぶ』('10年/長崎文献社)があり、やや意外な印象も受けました(ローカルの版元であまり宣伝を見かけなかったせいか?)。

借りられたことのない本を集めた江戸川区立松江図書館の企画展(朝日新聞デジタル 2015年12月21日)

下村脩 3.jpg 本人が自らの人生の歩みと、緑色蛍光タンパク質(GFP)の発見によりノーベル賞を受賞するまでの研究の歩みを振り返っている本ですが(タイトルは2008年ノーベル化学賞のポスター"Lessons from the jellyfish's green light"に由来)、淡々と書かれているだけに却って感動的であり、また、面白かったです。特に、学問や人との出会いが、実は偶然に大きく左右されていたというのが興味深かったです。

 終戦直後、受験した高校に全て落ちた下村氏は、原爆で被災した長崎医科大学附属薬学専門部が諫早の家から見える場所に移転してきたこともあって、薬剤師になる気は無かったけれども、ほかの選択肢がなくて長崎薬専へ内申書入学、それが化学実験に興味を持ち始める契機になったとのことです。

 薬専から大学となった長崎大学を卒業後、武田薬品の面接で「あなたは会社にはむきませんよ」と言われ、安永峻五教授の授業の学生実験の助手として大学に残り、山口出身の安永教授と同郷の名古屋大学の有名な分子生物学の先生を紹介してもらえることになり、一緒に名古屋に行くと偶々その先生は出張中で、山口出身の別の先生の研究室に挨拶に行ったら「私のところへいらっしゃい」と言われ、その先生が当時新進の天然物有機化学者の平田義正教授で、当時、分子生物学も有機化学も全くと言っていいほど知らなかった著者が平田研究室の研究生となり、ウミホタルを発光させる有機物を結晶化するというテーマに取り組むことになったとのことです。下村氏は巻末で、尊敬する3人の師の下村 脩   .jpg1人として、プリンストンで共にオワンクラゲの研究に勤しんだ(共に休日に家族ぐるみでオワンクラゲの採下村脩 35.jpg集もした)ジョンソン博士の名を挙げていますが、その前に、安永峻五教授と平田義正教授の名を挙げています。やがてずっと米国で研究を続けることになる著者ですが、日本国籍を保持し続けていたことについて、何ら不便を感じたことがないと言っているのも興味深いです。

 著者の研究分野やその内容については、著者が一般向けに書き下ろした『光る生物の話』('14年/朝日新書)により詳しく書かれていますが、こちらの方にも、近年の発光植物の研究まで含めた著者の研究の歩みや、『クラゲに学ぶ』にもある著者自身の自伝的要素も織り込まれています。元々、自分たちの子どものために自伝を書き始め、ノーベル賞受賞後、それを本にする話が朝日新聞の人から出て朝日新聞出版社で刊行する予定だったのが、故郷長崎県人の強い要望から地元の出版社で刊行することになったのが『クラゲに学ぶ』であるとのことで、既に朝日新聞出版社からも『クラゲの光に魅せられて-ノーベル化学賞の原点』('09年/朝日選書)を出していたものの、下村氏が書いたのは3分の1足らずで、あとは講演会の内容がほとんどそのまま収録されているような内容であったため(おそらく出来るだけ早く刊行したいという版元の意向だったのだろう)、改めて自伝的要素を織り込んだ『光る生物の話』を朝日選書で出すことで、朝日新聞出版社にも義理を果たしているところが著者らしいです。

 『光る生物の話』によれば、生物発光の化学的研究は1970年代がピークで、現在は衰退期にあるとのこと、研究者の数も多くなく、過去100年間の研究成果のうち、著者が共同研究者として関わっているものがかなりあることからもそれが窺えます。オワンクラゲからの緑色蛍光タンパク質(GFP)の発見は偶然も大きく作用していますが、こうした医学界に実際に役立つ成果でもない限り、本当にマイナーな世界だなあと。

下村脩 ノーベル賞8.jpg 『クラゲに学ぶ』の特徴としては、他の学者等の"ノーベル賞受賞記念本"と比べて受賞時及びそれ以降の過密スケジュールのことが相当詳しく書かれている点で(おそらく下村氏は記録魔?)、断れるものは断ろうとしたようですが、なかなかそうもいかないものあって(これも淡々と書いてはいるが)実にしんどそう。それでも、ノーベル賞を貰って"良かった"と思っているものと思いきや、人生で大きな嬉しさを感じたのは貴重な発見をした時で、ノーベル賞は栄誉をもたらしたが、喜びや幸福はもたらさなかったとしています。本書は受賞の1年版後に書かれたものですが、「今の状態では私はもはや現役の科学者ではない」と嘆いていて、米国の研究所を退任する際に実験器具一式を研究所の許可を得て自宅へ移したという、あくまでも研究一筋の著者らしい本音かもしれません。

asahi.com

益川敏英 氏
益川敏英00.jpg 同じ2008年にノーベル物理学賞を受賞した益川敏英氏の近著『科学者は戦争で何をしたか』('15年/集英社新書)は、ノーベル賞受賞者が過去の戦争で果たした負の役割を分析したものですが、益川氏は、ノーベル財団から受賞連絡を受けた際に、「発表は10分後です」「受けていただけますか」と言われ、その上から目線の物言いにややカチンときたそうです。下村氏の場合、自分は受けるとすれば既に発表が終わっていた生理学・医学賞で、今年は自身の受賞は無いと思っていたそうで、その下村氏の元へノーベル財団から化学賞受賞の連絡があった際も「20分後に発表する」と言われたとのこと、財団の立場に立てば、本人の受賞の受諾が必要であり、但し、事前にマスコミに流れてはマズイという意味では、このドタバタ劇は仕方がないのかもしれません。

 益川氏の『科学者は戦争で何をしたか』の中にある話ですが、益川氏はノーベル賞受賞の記念講演で戦争について語ったのですが、事前にその原稿にケチがついたことを人伝に聞いたとのこと、益川氏は自分の信念から筋を曲げなかったのですが、そうしたら、下村氏も同じ講演で戦争の話をしたとのことです。長崎に原爆が落ちた際に当時16歳の下村氏は諫早市(爆心から20km)にいて、将来の妻となる明美氏は長崎市近郊(爆心から2.3km)にいたとのことです。益川氏は原爆は戦争を終わらせるためではなく実験目的だったとし、下村氏も戦争を終わらせるためだけならば長崎投下は説明がつかないとしています。

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「インカの世界」入門だがやや専門的? 人類学者と写真家のざっくりしたコラボ。

インカの世界を知る.jpgインカの世界を知る (岩波ジュニア新書)kimura木村秀雄.jpg 木村 秀雄 氏(東京大学大学院総合文化研究科教授)

 南米アンデス地方を中心に栄えたインカとはどのような文明を持ち、どのような人々が暮らしていたのか。神秘と謎に包まれたインカの魅力を多数の写真とともに紹介した、いわば「インカの世界」入門といった感じの本で、人類学者でラテンアメリカ研究を専門とする木村秀雄氏による第1部「インカを知る」(約50ページ)と、写真家・高野潤氏による第2部「インカを知るための10の視点」(約140ページ)から成ります。

 これまで高野潤氏のインカに関する著書を何冊か読んできて、写真家でありながら、インカについて殆ど学究者クラスの造詣の深さを感じていましたが、著者が出るごとに、どんどんインカ道の奥深くに分け入っていき、それはそれでいいのですが、読んでいて、今どの辺りにいるのか分からなくなってしまったりして(笑)。また、それらの本は、ある程度インカの歴史などを理解している読者を想定しているフシもあり、今一度、インカのことを"おさらい"しておきたく思っていた時に出た本で、ちょうどいいタイミングと思い、本書を手にした次第です。

 と言っても、高野潤氏の担当パートである第2部の「10の視点」は、やはりややマニアックというか、(内容的には面白いのだが)ジュニア新書にしてはやや専門的な内容にも思え、一応その前に、木村秀雄氏による第1部「インカを知る」で、インカとは何か、インカ国家はどのように拡大し変質したのかといったインカの歴史から、アンデス山脈の地勢・気候・自然、アンデスの文明・農牧畜、アンデスやクスコ地方の牧畜儀礼などが網羅的・概観的に書かれているので、この第1部と第2部の組み合わせで、入門書としての体裁になっているのだろうとは思いますが、「入門」的内容もあれば専門的内容もあり、「入門書」かと言われるとどうか―ややざっくりしたコラボになっているように思います。

 例えば、もう少し歴史にも重点をおいて"おさらい"して欲しかった気もします。木村秀雄氏は人類学者であり、高野潤氏もフィールド・リサーチャーっぽいところがあるので、流れとしては第1部と第2部が繋がっているのですが、インカの歴史に関する記述が第1部・第2部ともあまりに簡潔すぎて、物足りなかったでしょうか。

 とは言え、全体としては楽しく読めました。高野潤氏は、本書においても引き続き、インカ道を奥深く分け入って行っているという印象でしょうか。写真も(モノクロではあるが)豊富で、神殿や聖所、儀礼・神託所、マチュピチュやビルカバンバ山中の都市、数々の奇岩や水路跡、階段畑、カパック・ニャン(インカ道)、墳墓などの多くが写真付きで紹介されています。ジュニア新書だからといって手抜きしないというか、それが、裏を返せば、あまり、ジュニア新書という感じがしないということにもなっているのかもしれません。

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宇宙論の歴史と今現在をわかり易く説く。宇宙の未来予測が興味深かった。

ざっくりわかる宇宙論.jpg
竹内 薫.jpg 竹内 薫 氏 竹内薫 サイエンスZERO.jpg Eテレ「サイエンスZERO」
ざっくりわかる宇宙論 (ちくま新書)

 宇宙はどう始まったのか? 宇宙は将来どうなるのか? 宇宙に果てはあるのか? といった宇宙の謎を巡って、過去、現在、未来と宇宙論の変遷、並びに、今日明らかになっている宇宙論の全容を分かり易く説いています。

 パート①「クラシックな宇宙論」では、コペルニクス、ケプラー、ニュートンから始まって、アインシュタインと20世紀の宇宙論の集大成であるビッグバンまで宇宙論の歴史を概観し、パート②「モダンな宇宙論」では、20世紀末の科学革命と加速膨張する宇宙について、更に、宇宙の過去と未来へ思いを馳せ、パート③「SFのような宇宙論」では、ブラックホールやブレーンといった、物理学的に予想される「物体(モノ)」について述べています。

 宇宙論は20世紀末から現在にかけてかなり進化しており、それが今どうなっているのかを知るのに手頃な本です。基本的には数式等を使わず、一般人、文系人間でも分かるように書かれている一方、部分的には(著者が重要と考える点は)かなり突っ込んだ説明もなされており、個人的にも、必ずしも初めから終わりまですらすら読めたわけではありませんでした。

 でも、説明が上手いなあと思いました。まえがきで自身のことを、科学書の書き手の多くがそうである「プロ科学者〈兼〉アマチュア作家」とは違って、「アマチュア科学者〈兼〉プロ作家」であると言っており、科学好きの一般読者のために、宇宙論の現状をサイエンス作家の視点からざっくりまとめたとしています。

 東京大学理学部物理学科卒業し、米名門のマギル大学大学院博士課程(高エネルギー物理学理論専攻)を修了していることから、「プロ科学者〈兼〉アマチュア作家」ではないかという気もしていたのですが、最近の共著も含めた著作ラッシュやテレビ出演の多さなどをみると、やはり作家の方が"本業"だったのでしょうか? 確か推理小説も書いているしなあ。但し、小説やエッセイ的な著者よりも、こうした解説書・入門書的な著書の方が力を発揮するような印象があり、本書はその好例のようにも思います(Eテレの「サイエンスZERO」のナビゲーターはハマっているが(2011年に放映された"爆発迫るぺテルギウス"の話題を本書コラムで扱っている)、ワイドショーとかのコメンテーターとかはイマイチという印象とパラレル?)。
サイエンスZERO「爆発が迫る!?赤色超巨星・ベテルギウス」(2011年11月26日 放送)

 「作家」としての自由さからというわけはないでしょうが、仮説段階の理論や考え方も一部取り上げ(著者に言わせれば、「科学は全部『仮説にすぎない』」(『99・9%は仮説』('06年/光文社新書))ということになるのだろうが)、結果的に、宇宙論の"全容"により迫るものとなっているように思いました。

 印象に残ったのは、パート②の後半にある宇宙の終焉と未来予測で、太陽の寿命はあと50億年くらい続くとされ、太陽がエネルギーを使い果たして赤色巨星になると地球は呑みこまれるというのが一般論ですが、その前に太陽は軽くなって、その分地球を引っ張る力が弱まり、地球の軌道が大きくなって実際には呑みこまれないかもしれないとのこと。

 それで安心した―というのは、逆に50億年という時間の長さを認識できていないからかもしれず、6500万年前にユカタン半島に落下し恐竜を絶滅させたと言われるのと同規模の隕石が地球に落下すれば、今度は人類が滅ぶ可能性もあるとのことです。仮に地球が太陽に呑みこまれる頃にまで人類が生き延びていたとして、火星に移住するのはやがて火星も呑みこまれるからあまり意味が無いとし(これ、個人的には一番現実的だと思ったのだが)、と言って、他の星へ移住するとなると、最も近いケンタウルス座アルファ星域に行くにしても光速で4年、マッハ30の宇宙船で光速の3万倍、12万年もかかるため、ワームホールでも見つけない限り難しいのではないかとしており、確かにそうかもしれないなあと思いました(冥王星に移住っていうのはどう?―と考えても、その前に人類は滅んでいる可能性が高いだろうけれど、つい、こういう提案をしたくなる)。

 著者は更に宇宙の未来に思いを馳せ、このまま宇宙の加速膨張が進めば、空間の広がりが光速を超え、1000億年後には真っ暗な宇宙になるだろうと(その宇宙を観る地球ももう無いのだが)。更に、宇宙の年齢137億年を約100億年とし、ゼロが10個つくのでこれを「10宇宙年」とすると、12宇宙年から、宇宙の加速膨張のために、遠くの銀河は超光速で遠ざかるようになって、まばらに近くの銀河や星だけが見えるようになり、14宇宙年から40宇宙年の間に宇宙が「縮退の時代」を迎え、40宇宙年になると陽子が全て崩壊して原子核も無くなり、光子や電子のような素粒子に生まれ変わり、要するにモノと呼べるものは宇宙から全て消えると。そして、40宇宙年から100宇宙年の間、宇宙は「ブラックホールの時代」となり、100宇宙年になるとブラックホールも消えて「暗黒の時代」を迎えるそうです。イメージしにくいけれど、理論上はそうなる公算が高いのだろうか。

 「未来永劫」などとよく言いますが、宇宙論における「未来」というのは、我々が通常イメージする「未来」と100桁ぐらい差があるということなのでしょう。

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昆虫たちの驚くべき「戦略」。読み易さの『昆虫はすごい』、写真の『4億年を生き抜いた昆虫』。

昆虫はすごい1.jpg昆虫はすごい2.jpg  4億年を生き抜いた昆虫.jpg 4億年を生き抜いた昆虫_pop01(縮)-300x212.jpg
昆虫はすごい (光文社新書)』『4億年を生き抜いた昆虫 (ベスト新書)

 『昆虫はすごい』('14年/光文社新書)は、人間がやっている行動や、築いてきた社会・文明によって生じた物事 は、狩猟採集、農業、牧畜、建築、そして戦争から奴隷制、共生まで殆ど昆虫が先にやっていることを、不思議な昆虫の生態を紹介することで如実に示したものです。昆虫たちの、その「戦略」と言ってもいいようなやり方の精緻さ、巧みさにはただただ驚かされるばかりです。

 ゴキブリに毒を注入して半死半生のまま巣穴まで誘導し、そのゴキブリに産卵するエメラルドセナガアナバチの"ゾンビ"化戦略とか(p46)、同性に精子を注入して、その雄が雌と交尾を行う際に自らの精子をも託すというハナカメムシ科の一種の"同性愛"戦略とか(p84)、アブラムシに卵を産みつけ、そのアブラムシを狩りしたアリマキバチの巣の中で孵化してアブラムシを横取りして成長するエメラルドセナガアナバチ7.jpgハチの仲間ツヤセイボウの"トロイの木馬"戦略とか(p93)、その戦略はバラエティに富んでいます。カギバラバチに至っては、植物の葉に大量の卵を産み、その葉をイモムシが食べ、そのイモムシをスズメバチが幼虫に与え、そのスズメバチの幼虫に寄生するというから(p94)、あまりに遠回り過ぎる戦略で、人間界の事象に擬えた名付けのしようがない戦略といったところでしょうか。

ゴキブリ(左)にエメラルドセナガアナバチ(右)が針を刺し麻痺させ、半死半生のゾンビ化させ、巣に連れて行き、ゴキブリの体内に産卵する。子が産まれたららそのゴキブリを食べる。

 こうしてみると、ハチの仲間には奇主を媒介として育つものが結構いるのだなあと。それに対し、アリの仲間には、キノコシロアリやハキリアリのようにキノコを"栽培"をするアリや(p144)、アブラムシを"牧畜"するアリなどもいる一方で(p154)、サムライアリを筆頭に、別種のアリを"奴隷"化してしまうものあり(p173)、メストゲアリ7.jpgいわば、平和を好む"農牧派"と戦闘及び侵略を指向する"野戦派"といったところでしょうか。トビイロケアリのように、別種の働きアリを襲ってその匂いを獲得して女王アリに近づき、今度は女王アリを襲ってその匂いを獲得して女王に成り代わってしまう(p178)(トゲアリもクロオオアリに対して同じ習性を持つ)という、社会的寄生を成す種もあり(但し、いつも成功するとは限らない)、アリはハチから進化したと言われていますが、その分、アリの方が複雑なのか?(因みにシロアリは、ゴキブリに近い生き物)。
クロオオアリの女王アリ(左)に挑みかかるトゲアリの雌(右)。クロオオアリの働きアリに噛み付き、匂いを付けて巣に潜入。女王アリを殺し、自分が女王アリに成り代わる。

 著者の専門はアリやシロアリと共生する昆虫の多様性解明で、本書は専門外の分野であるとのことですが、ただ珍しい昆虫の生態を紹介するだけでなく、それらの特徴が体系化されていて、それぞれの生態系におけるその意味合いにまで考察が及んでいるのがいいです。そのことによって、知識がぶつ切りにならずに済んでおり、誰もがセンス・オブ・ワンダーを感じながら楽しく読み進むことができるようになっているように思います。

4億年を生き抜いた昆虫_pop0.jpg 『4億年を生き抜いた昆虫』('15年/ベスト新書)は、カラー写真が豊富なのが魅力。本文見開き2ページとカラー写真見開き2ページが交互にきて、やはり写真の力は大きいと思いました。

 『昆虫はすごい』と同じく、昆虫とは何か(第1章)ということから説き起こし、第2章で昆虫の驚くべき特殊能力を、第3章で昆虫の生態を種類別に解説していますが、第3章が網羅的であるのに対し、第2章が、奇妙な造形の昆虫や、人間顔負けの社会性を持つ昆虫、"一芸に秀でた"昆虫にフォーカスしており、この第2章が『昆虫はすごい』とほぼ同じ趣旨のアプローチであるとも言えます。その中には、「クロヤマアリを奴隷化するサムライアリ」(p69)とか「ゴキブリをゾンビ化するエメラルドセナガアナバチ」(p92)など、『昆虫はすごい』でもフューチャーされていたものもありますが、意外と重複は少なく、この世界の奥の深さを感じさせます。

 著者は昆虫学、生物多様性・分類、形態・構造が専門ということで、『昆虫はすごい』の著者に近い感じでしょうか。『昆虫はすごい』の著者によれば、昆虫に関する研究も最近は細分化していて、「昆虫を研究している」という人でも、現在では昆虫全般に興味の幅を広げている人は少ないとのこと。いても、自分の専門分野に関係するものに対象を絞っている場合が殆どで、中には「事象に興味があっても虫には興味が無い」と浅学を開き直る学者もいるそうな。そうした中、"虫好き"の精神とでも言うか心意気とでも言うか、センス・オブ・ワンダーをたっぷり味あわせてくれる本が世に出るのは喜ばしいことだと思います。

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原節子"通"を任ずるならば押さえておきたい1冊。本人発言等、事実からその実像に迫る。

原節子 伝説の女優 千葉.jpg原節子―映画女優の昭和.jpg原節子さん死去 - 号外:朝日新聞.jpg
原節子―伝説の女優 (平凡社ライブラリー)』『原節子―映画女優の昭和』   朝日新聞「号外」2015年11月25日

原節子、号泣す.jpg 末延芳晴 著『原節子、号泣す』('14年/集英社新書)をちょうど再読し終えた頃に原節子の訃報に接しましたが、既に95歳だっため何となく予感はありました。本人の遺志により発表を遅らせたとのことで、読んでいた頃にはもう亡くなっていたのかあ。文春文庫ビジュアル版の『大アンケートによる日本映画ベスト150』('89年)に監督・男優・女優の各ベスト10のコーナーがあり、女優は、1位・原節子、2位・吉永小百合、3位・高峰秀子、4位・田中絹代、5位・岩下志麻、6位・京マチ子、7位・山田五十鈴、8位・若尾文子、9位・岸恵子、10位・藤純子となっており、やはりスゴイ女優だったのだなあと。

 本書(同著者の『原節子―映画女優の昭和』('87年/大和書房)に加筆修正してライブラリー化したもの)は、その原節子の女優としてのキャリアを丹念に追ったものであり、原節子"通"を任じるならば是非とも押さえておきたい1冊です。著者があとがきで述べていますが、従来の女優の自伝・評伝の、身近な人間関係に密着して展開する書き方とはやや距離を置き、原節子のその時点時点での発言を重視し、その意味を、役や作品や周囲の証言や、その時代の映画・歴史状況と対応させてみるという手法を取っています。こう書くと難しく感じるかもしれませんが、実際はその逆で、事実を出来るだけ詳しく記し、解釈は読者に預ける、或いは事実から汲み取ってもらうという手法にも思え、著者による作品解釈等引っ掛かったりすることが殆ど無いため、正味400ページありますが、すらすら読めました。

 興味深かったのは、デビュー以来その素材を買われながらも今一つ力が出し切れず、一部からは「大根」と呼ばれていた時期が結構長くあったのだなあということで、時折、その年代ごとの女優のブロマイドの売れ行きベストテンやギャランティによる番付、映画雑誌による人気ランキングが出てきますが、ベストテンには早くから名を連ねるものの、ずっとその中では6位以下の下位グループに位置し、結局、戦前10年ベストテンの下位に低迷し続け、彼女が初めてベスト5に入ったのが、雑誌「近代映画」の1949年正月号で、この時点でも、1位に高峰三枝子(当時30歳)、2位に高峰秀子(同24歳)がいて、原節子(同28歳)は第3位でした。4位が田中絹代(同31歳)で5位が山田五十鈴(同31歳)だから、確かに演技面力の面でも"強者"揃いであるわけですが。

麦秋 原節子.jpg 本書によれば、彼女が人気の頂点に達したのは1951年で、ハリウッドの外国人記者協会が企画し毎日新聞が代行した日本における一般投票で、前年の4位からこの年のトップになっています。但し、1952年の「映画ファン」5月号の人気投票では、作品投票で主演作の「麦秋」('51年)、「めし」('51年)が1位と2位に選ばれたにも関わらず、原節子(当時32歳)は津島恵子(同26歳)に次いで2位に後退しており、今でこそ「伝説の女優」と言われていますが、当時は彼女も、移ろいがちな女優人気のうねりの中にいたのだなあと思いました。

麦秋」(1951年)

 そうした原節子の魅力を十分に引き出したの小津安二郎監督であると言われていますが、本書の中にあるエピソードでは、「麦秋」のクランクインが迫った際に、原節子はギャラが高いから別の女優にしてくれと松竹から言われた小津安二郎監督が、原節子が出なければ作品は中止すると珍しく興奮した声で言ったといい、それを聞いた原節子が、自分のギャラは半分でもいいから小津の作品に出演したいと言ったという話に、二人の結びつきの強さを感じました。

 また、原節子はこの頃には女優としての意識にも高いものがあり、「日本映画そのものに、ハッキリとした貫くような個性がないんですもの。リアリズムも底が衝けないか、或いは詩がないのよ」(「近代映画」'51年7月号)とも言っており、「麦秋」の完成間近には、「日本映画の欠点?そうね、それはシナリオだと思うわ。小説の映画化ばかり追っかけている現状は悲しいと思うの。演技者にあった強力なオリジナルを書いて、あッと言わしてくれるシナリオ・ライターがあってもいいと思うわね。」(「時事新報」'51年9月14日)とまで言っていますが、確かに「麦秋」はオリジナル脚本でした(その前の「晩春」('49年)は広津和郎「父と娘」が原作)。

 その少し後には「私は演技がナチュラルに没してしまうのが恐いんです。(中略)映画のリアリズっていうものが、私たちが演技するナチュラルな写実ではなくって、出演者の(中略)厳密なね、リアリズムが一分の隙もなくナチュラルに見える結果の演技でなくっちゃ...。」(「丸」'54年1月号)などといった発言もあり、これ、スゴくない?

 興味深かったのは、「日刊スポーツ」や「スポーツニッポン」「報知新聞」といったスポーツ紙のインタビューが本書には多く載っていますが、その中で、結構ざっくばらんに自分のことを語っている点で、自らを「大根」だとか「おばちゃん」だとか言ったり、自分が演じた役柄が自分には今一つしっくりこなかったとあっさり言ってしまうなど相当サバけた印象があり、結婚に関する記者の質問にも自分なりの考えを述べるなど(時に記者を軽くあしらい)、非常に現代的・現実的な思考や感覚の持ち主であったことが窺える点でした。

 小津安二郎が彼女の魅力を引き出したのは確かですが、小津の描いたやや古風な女性像に続いて、そうした彼女の実像に近いモダンな部分を作品にうまく反映させる監督が現れなかったというのも、彼女が引退を決意した理由として考えられるのではないでしょうか。映画評論家の白井佳夫氏が、「原節子を、完全に使いこなし、その比類なき魅力をスクリーンに開花させてくれるような、一群の映画作家たちの魔術が、だんだん消え失せてしまうような新時代の到来が、彼女に引退を決意させたのだ...」と言っていますが、原節子自身は、そうした新時代の女性を演じるに適した素養も持っていたような気もします。

原節子 インタビュー.jpg 勿論、インタビューでの発言や態度がそのまま映画作品の人物造型に反映されるとも限らないし、本書からは、原節子自身が早くから年齢を意識し、引退を考えていたことも窺えるので何とも言えませんが...。本書を読むと、人気がピークになればなるほど、引退を強く意識していたような感じも。そして、'63年の小津監督の死で「引退」は決定的になったように思います。本書によれば、小津の通夜に姿を現した原節子は小津の遺体に号泣し、この時、本名の会田昌江で弔意を表したそうです。'64年には狛江の自宅を引き払い、鎌倉に住む義兄の熊谷久虎監督の夫婦のもとに引っ越しています(この地が彼女の終の住処となる)。

1960年11月、東京都内の自宅で取材に応じる原節子[朝日新聞デジタル 2015年12月8日]

 出来るだけ客観的事実で本書を構成し、あまり自身の見解を織り込み過ぎないように注意を払ってきたかに見える著者ですが、本書末尾で、「映画女優としての原節子は希有な美しさのため、"花"としての存在価値が大きく、そのなかにあって、原の自己主張は覆い隠されてしまった傾向がある」としており、この見方には大いに頷かされました。

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世界のANDOの"中期"作品群。見て楽しめるだけでなく、資料としても貴重か。

GA ARCHITECT TADAO ANDO 12.png GA ARCHITECT TADAO ANDO 16.png  GA ARCHITECT TADAO ANDO 8.png GA ARCHITECT TADAO ANDO.jpg
GAアーキテクト (12) 安藤忠雄 1988-1993―世界の建築家 (GA ARCHITECT Tadao Ando Vol.2)』['93年]『GAアーキテクト (16) 安藤忠雄 1994-2000―世界の建築家 (GA ARCHITECT Tadao Ando Vol.3)』['00年]  『GAアーキテクト (08) 安藤忠雄 1972-1987―世界の建築家 (GA ARCHITECT Tadao Ando Vol.1)』['87年]『GA ARCHITECT 安藤忠雄 2001-2007』['07年]

tadao ando12.JPG安藤忠雄五輪.jpg 2020年五輪の新国立競技場問題で一部世間からバッシングを浴びた安藤忠雄氏ですが、最大のネックは文科省と日本スポーツ振興センター(JSC)にあっ安藤忠雄 五輪.jpgたと思われ(特にJSC)、安藤氏に非難される余地が全く無かったのかと言えば必ずしもそうと言い切れないとは思いますが、彼はデザイン選定の責任者(審査委員長)であって、予算管理の責任者ではないでしょう。文科省、JSCの"罪"の大きさを思うに、相対的にみて、安藤氏に対しては個人的には同情的な考えでいます(顔が見えにくいところが非難を逃れ、顔が見えやすい人がバッシングを受けるのは世の常か)。

tadao ando127.JPG 今回の騒動はともかく、安藤氏が世界的な建tadao ando128.JPG築家であることは論を待たないと思いますが、この人の、プロボクサーから建築家に転じ(しかも殆ど独学で建築学を学んで)、工業高校卒の最終学歴で東大の教授にまでなったというその経歴がこれまたスゴ過ぎます(現在は東大名誉教授)。

tadao ando129.JPG
[上]兵庫県立こどもの館(1987-89年)
[上右]国際花と緑の博覧会「名画の庭」(1990年)
[右]セビリア万博日本館(1992年)

黒川 紀章 - コピー.jpg そうした異色ぶりもあって安藤氏のファンも結構多いと思いますが、その安藤氏も現在['15年12月]74歳、願わくば、晩年ちょっと箍(たが)が外れてしまった黒川紀章(1934-2007/享年73)の二の舞にはならないで欲しいと思います(まあ大丈夫だとは思うが)。

tadao ando16.JPG 本書は80年代から刊行が続いている建築家シリーズ「GAアーキテクト」の一環を成すものですが、このうち、安藤忠雄の作品集は1972年から1987年の作品を収めた第8巻('87年刊行)、1988年から1993年の作品を収めた第12巻('93年刊行)、1994年から2000年の作品を収めた第16巻、('00年刊行)の3巻がありましたが、'07年に2001年から2007年までの42作品を収録ものが刊行されています。
tadao ando162.JPG
 このシリーズで4巻も占めているのは安藤忠雄のみで、この外にも「安藤忠雄ディテール集」が'96年から'07年にかけて4巻刊行されていたりもしますが(とにかく群を抜く頻度の取り上げられ方)、取り敢えず上記4巻で、現時点での安藤忠雄作品集といった感じでしょうか。勿論、安藤氏は現在も活動中ですが、この第12巻と第16巻で1988年から2000年の作品を網羅していることになり、"中期"作品集と言ってもいいように思います。

[右]シカゴの住宅(1992-1997年)
[下]FABRICA(伊ベネトン・アートスクール)(1992-2000年)

tadao ando163.JPG 初期作品にも「住吉の長屋」('76年)など有名なものがありますが、やはり"中期"においてスタイルが確立したように思われ、また、セビリア万国博覧会日本政府館('92年)などは偶々自分が行ったこともあって懐かしく、淡路夢舞台の百段苑('00年)なども家族と旅行に行った思い出があり、これもまた懐かしいです(百段苑はスケールの大きさに圧倒される)。大判の写真に加え、詳細な図面や安藤氏自身のコメントも含む作品解説もあって、見て楽しめるだけでなく、資料としても貴重かと思います。

[下右]淡路夢舞台(1993-2000年)
tadao ando164.JPG 個人的には、安藤氏の作品は、作品によってはそのスケールの大きさから、建築と言うより「土木」っぽいところがあるものもあるように思います。そう言えば、このシリーズ、2020年五輪の新国立競技場デザイン案のコンペで安藤氏が推して一旦はその案の採用が決まっていたイラク出身の建築家ザハ・ハディッド女史の作品集も第5巻にありますが(今回の件で復刻印刷された)、この人の作品も何となく「建築」というより「土木」という感じがするなあ(競技場をあの原案の通り造ろうとしたら、技術的には建築工学より土木工学の技術が必要になるのでは)。


 「世界の最先端デザイン建築○○選」などといったサイトがありますが、そういうの見るにつけ建築の世界ってどんどん進化しているなあと思います。何年か経てば、安藤忠雄の作品であっても「これ、安藤忠雄が設計した」と言われて初めて何となくそのユニークさを感じるくらいになっているかも(ル・コルビュジエの建築などは今日ではそういう感じではないか)。一時、世海底都市0.jpg動くビル ドバイ.jpg界中の建設重機の半分が集まったとムンバイパンドラオーム.jpgムンバイパンドラオーム2.jpg言われたドバイ(世界一高い超高層ビル「ブルジュ・ハリファ」もここにある)とかはスゴイことになっているし(リーマンショックの前ぐらいまではSFに出てくるような「海底都市」や、回転して変形し、まるで生き物みたい動く(動いて見える?)ビルを造る構想もあり、「動くビル」構想は今も生きているらしい)、インドのムンバイでは、全室プール付マンションの建設計画があるというし...(2009年には既に、マレーシアのクアラルンプールに全室プール付マンションが完成している)。

 建築家って、最先端辺りにいる人たちは、フツーの建造物では飽き足らず、いつも夢みたいにスゴイことを考えているんだろなあ。2020年における世界の建築イノベーションの進み具合ということを考えた場合、安藤氏がザハ・ハディッド氏の案を推した気持ちが理解できるような気がします(ザハ案は東京での開催誘致の際のプレゼンに織り込まれ、実際に東京への誘致と相成った訳だかザハ・ハディド.jpg北京・銀河SOHO  ザハ・ハディド_1.jpgアル・ワクラ・スタジアム.jpgら、ザハ案を選んだ安藤氏は誘致に貢献したとも言えるかと思うのだが...)。

ザハ・ハディド(1950-2016.3.31)/北京・銀河SOHO(設計:ザハ・ハディド)/アル・ワクラ・スタジアム[2022年FIFAワールドカップ(カタール大会)会場スタジアム完成予想図](設計:ザハ・ハディド)

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'読むだけでも楽しめるが、(巧みな語り口に乗せられて)まだ観ていない映画を観たくなる本。

私の映画の部屋_.jpg 私の映画の部屋.jpg  めぐり逢い dvd.jpg 魚が出てきた日 dvd.jpg
私の映画の部屋 (文春文庫)』「めぐり逢い [DVD]」「魚が出てきた日 [DVD]」 
私の映画の部屋―淀川長治Radio名画劇場 (1976年)

 この「私の映画の部屋」シリーズは、70年代にTBSラジオで月曜夜8時から1時間放送されていた「淀川長冶・私の映画の部屋」を活字化したもので、1976(昭和51年)刊行の本書はその第1弾です。著者の場合、1966(昭和41)年から始まったテレビ朝日系「日曜洋画劇場」(当初は「土曜洋画劇場」)の解説者として番組開始から死の前日までの32年間出演し続けたことでよく知られていますが、先行した当ラジオの方は、番組時間枠の内CM等を除く40分が著者の喋りであり、それを活字化した本書では、「日曜洋画劇場」でお馴染みの淀川長治調が、より長く、また、より作品中身に踏み込んだものとして楽しめます。

 本書の後、シリーズ的に、続、続々、新、新々と続きますが、この第1弾の単行本化時点で既に140回分が放送されており、その中から13回分を集めて本にしたとのことで、「チャップリンの世界」から始まって、かなりの選りすぐりという印象を受けます(但し、どの回を活字化するかは版元のTBSブリタニカが決めたとのこと)。

「めぐり逢い」1957G.jpg 個人的には、昔は淀川長冶ってそれほどスゴイとは思っていなかったのですが、今になってやはりスゴイ人だったんだなあと思ったりもします。作品解説もさることながら、作品を要約し、その見所となるポイントを抽出する技は絶妙という感じです。本書で言えば、例えば、レオ・マッケリー監督、ケーリー・グラント、デボラ・カー主演の「めぐり逢い」('57年、原題:An Affair to Remember)のラストシーンのエンパイアステートビルで出会えなかった2人が最後の最後に出会うシーンの解説などは、何だか今目の前に映画のスクリーンがあるような錯覚に陥りました。この映画、最初観た時はハーレクイン・ロマンスみたいと思ったけれど、今思えばよく出来ていたと(著者に指摘されて)思い直したりして...。これ自体が同じレオ・マッケリー監督作でシャルル・ボワイエ、アイリーン・ダン主演の「邂逅(めぐりあい)」('39年、原題:Love Affair)のリメイクで(ラストを見比べてみるとその忠実なリメイクぶりが窺える)、その後も別監督により何度かリメイクされています。トム・ハンクス、メグ・ライアン主演の「めぐり逢えたら」('98年)では、邂逅の場所をエンパイアステートビルがら貿易センタービルに変えていましたが、何とオリジナルにある行き違いはなく2人は出会えてしまいます。これでは著者の名解説ぶりが発揮しようがないのではないかと思ってしまいますが、でも、あの淀川さんならば、いざとなったらそれはそれで淀川調の解説をやるんでしょう。

幸福 [DVD]
幸福 ps.jpg幸福 DVD_.jpg 章ごとに見ていくと、「女の映画」の章のアニエス・ヴァルダ監督の「幸福(しあわせ)」('65年)、フランソワ・トリュフォー監督の「黒衣の花嫁」('68年)とトニー・リチャードソン監督「マドモアゼル」('66年)が、著者の解説によって大いに興味を惹かれました。「幸福」は、夫の幸福のために自殺する妻という究極愛を描いた作品。「黒衣の花嫁」は、結婚式の場で新郎を殺害された新婦の復讐譚。「マドモアゼル」は周囲からはいい人に見られているが、実は欲求不満の捌け口をとんでもない事に見出している女教師の話。「ルイ・マル」の章の「死刑台のエレベーター」('57年)、「黒衣の花嫁 DVD.jpgマドモアゼル DVD.jpg恋人たち」('58年)もいいけれど、「黒衣の花嫁」「マドモアゼル」共々ジャンヌ・モロー主演作で、ジャンヌ・モローっていい作品、スゴイ映画に出ている女優だと改めて思いました。
黒衣の花嫁 [DVD]」「マドモアゼル [DVD]

昨日・今日・明日.jpg昨日・今日・明日P.jpgひまわり ポスター.bmp イタリア映画では、ビットリオ・デ・シーカの「昨日・今日・明日」('63年)、「ひまわり」('70年)に出ているソフィア・ローレンがやはり華のある女優であるように思います(どちらも相方はマルチェロ・マストロヤンニだが、片や喜劇で片や悲劇)。
「昨日・今日・明日」輸入版ポスター
 
魚が出てきた日7.jpg魚が出てきた日ps2.jpg あと個人的には、「ギリシア映画」の章のマイケル・カコヤニス製作・脚本・監督の「魚が出てきた日」('68年)が懐しいでしょうか。スペイン沖で核兵器を積載した米軍機が行方不明になったという実際に起きた事件を基にした、核兵器を巡ってのギリシアの平和な島で起きた放射能汚染騒動(但し、島の地元の人たちは何が起きているのか気魚が出てきた日3.jpgづいていない)を扱ったブラックコメディで、ちょっと世に出るのが早すぎたような作品でもあります。
1968年初版映画パンフレット 魚が出てきた日 ミカエル・カコヤニス監督 キャンディス・バーゲン トム・コートネー コリン・ブレークリー
THE DAY THE FISH COME OUT 1967  c.jpg トム・コートネイ、サム・ワナメイカー、キャンディス・バーゲンが出演。キャンディス・バーゲンって映画に出たての頃からインテリっぽい役を地でやっていて、しかも同時に、健康的なセクシーさがありました。

Candice Bergen in 'The Day The Fish Came Out', 1967.

 読むだけでも楽しめますが、(巧みな語り口に乗せられて)まだ観ていない映画を拾って観たくなる、そうした本でした。
     
「めぐり逢い」1957ps.jpg「めぐり逢い」1957EO.jpg「めぐり逢い」●原題:AN AFFAIR TO REMEMBER●制作年:1957年●制作国:アメリカ●監督:レオ・マッケリー●製作:ジェリー・ウォルド●脚本:レオ・マッケリー/デルマー・デイヴィス/ドナルド・オグデン・ステュワート●撮影:ミルトン・クラスナー●音楽:ヒューゴ・フリードホーファー●原案:レオ・マッケリー/ミルドレッド・クラム●時間:119分●出演:ケーリー・グラント/デボラ・カー/リチャード・デニング/ネヴァ・パターソン/キャスリーン・ネスビット/ロバート・Q・ルイス/チャールズ・ワッツ/フォーチュニオ・ボナノヴァ●日本公開:1957/10●配給:20世紀フォックス●最初に観た場所:高田馬場・ACTミニシアター(85-11-03)(評価:★★★☆)●併映:「ティファニーで朝食を」(ブレイク・エドワーズ)

SLEEPLESS IN SEATTLE.jpgめぐり逢えたら 映画 dvd.jpg「めぐり逢えたら」●原題:SLEEPLESS IN SEATTLE●制作年:1993年●制作国:アメリカ●監督:ノーラ・エフロン●製作:ゲイリー・フォスター●脚本:ノーラ・エフロン/デヴィッド・S・ウォード●撮影:スヴェン・ニクヴィスト●音楽:マーク・シャイマン●原案:ジェフ・アーチ●時間:105分●出演:トム・ハンクス/メグ・ライアン/ビル・プルマン/ロス・マリンジャー/ルクランシェ・デュラン/ルクランシェ・デュラン/ギャビー・ホフマン/ヴィクター・ガーバー/リタ・ウィルソン/ロブ・ライナー●日本公開:1993/12●配給:コロンビア映画(評価:★★☆)
めぐり逢えたら コレクターズ・エディション [DVD]

死刑台のエレベーター01.jpg死刑台のエレベーター.jpg「死刑台のエレベーター」●原題:ASCENSEUR POUR L'ECHAFAUD●制作年:1957年死刑台のエレベーター2.jpg●制作国:フランス●監督:ルイ・マル●製作:ジャン・スイリエール●脚本: ロジェ・ニミエ/ルイ・マル●撮影:アンリ・ドカエ●音楽:マイルス・デイヴィス●原作:ノエル・カレフ●時間:95分●出演:モーリス・ロネ/ジャンヌ・モロー/ジョルジュ・プージュリー/リノ・ヴァンチュラ/ヨリ・ヴェルタン/ジャン=クロード・ブリアリ/シャルル・デネ●日本公開:1958/09●配給:ユニオン●最初に観た場所:新宿アートビレッジ (79-02-10)●2回目:高田馬場・ACTミニシアター(82-10-03)●3回目:六本木・俳優座シネマテン(85-02-10)(評価:★★★★☆)●併映(1回目):「恐怖の報酬」(アンリ=ジョルジュ・クルーゾー)/(2回目):「大人は判ってくれない」(フランソワ・トリュフォー) 
死刑台のエレベーター [DVD]

LES AMANTS 1958 3.jpg恋人たち モロー dvd.jpg「恋人たち」●原題:LES AMANTSD●制作年:1958年●制作国:フランス●監督:ルイ・マル●製作:イレーネ・ルリッシュ●脚本:ルイ・マル/ルイ・ド・ヴィルモラン●撮影:アンリ・ドカエ●音楽:ヨハネス・ブラームス●原作:イヴァン・ドノン「明日はない」●時間:95分●出演:ジャンヌ・モロー/ジャン・マルク・ボリー/アラン・キュニー/ホセ・ルイ・ド・ビラロンガ/ジュディット・マーグル/ガストン・モド/ジュディット・マーレ●日本公開:1959/04●配給:映配●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(14-07-08)(評価:★★★★)
恋人たち【HDマスター】《IVC 25th ベストバリューコレクション》 [Blu-ray]
Himawari(1970)
Himawari(1970).jpg
「ひまわり」.jpg「ひまわり」●原題:I GIRASOLI(SUNFLOWER)●制作年:1970年●制作国:イタリア・フランス・ソ連●監督:ヴィッひまわり01.jpgトリオ・デ・シーカ●製作:カルロ・ポンティ/アーサー・コーン●脚本:チェザーレ・ザsunflower 1970.jpgバッティーニ/アントニオ・グエラ/ゲオルギス・ムディバニ●撮影:ジュゼッペ・ロトゥンノ●音楽:ヘンリー・マンシーニ●時間:107分●出演:マルチェロ・マストロヤンニ/ソフィア・ローレン/リュドミラ・サベーリエワ/アンナ・カレーナ/ジェルマーノ・ロンゴ/グラウコ・オノラート/カルロ・ポンティ・ジュニア●日本公開:1970/09●配給:日本ヘラルド映画●最初に観た場所:目黒シネマ(83-05-01)(評価:★★★★)●併映:「ワン・フロム・ザ・ハート」(フランシス・フォード・コッポラ)  

魚が出てきた日ps3.jpg魚が出てきた日4.jpg THE DAY THE FISH COME OUT 1967 .jpg魚が出て来た日lp.jpg「魚が出てきた日」●原題:THE DAY THE FISH COME OUT●制作年:1967年●制作国:アキャンディス・バーゲンM23.jpgメリカ●監督・製作・脚本:マイケル・カコヤニス●撮影:ウォルター・ラサリー●音楽:ミキス・テオドラキス●時間:110分●出演:トム・コートネイ/ディミトリス・ニコライデス/ニコラス・アレクション●日本公開:1968/06●配給:20世紀キャンディス・バーゲン/サム・ワナメーキャンディス・バーゲン ボストン・リーガル.jpgカー/コリン・ブレークリー/アイヴァン・オグルヴィ/中野武蔵野ホール.jpgフォックス●最初に観た場所:中野武蔵野館(78-02-24)(評価:★★★☆)●併映:「地球に落ちてきた男」(ニコラス・ローグ) 中野武蔵野館 (後に中野武蔵野ホール) 2004(平成16)年5月7日閉館 

キャンディス・バーゲン in 「ボストン・リーガル」 with ウィリアム・シャトナー Boston Legal (ABC 2004~2008) ○日本での放映チャネル:FOX CRIME(2007~2011)

【1985年文庫化[文春文庫(『私の映画の部屋』)]】
 

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