【2330】 ◎ ジョアオ・マゲイジョ (塩原通緒:訳) 『マヨラナ―消えた天才物理学者を追う』 (2013/05 NHK出版) ★★★★☆ (◎ レオナルド・シャーシャ (千種 堅:訳) 『マヨラナの失踪―消えた若き天才物理学者の謎』 (1976/09 出帆社) ★★★★☆)

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忽然と消えた天才物理学者の謎を追う。レオナルド・シャーシャの古典的伝記に匹敵する面白さ。

マヨラナ.jpgJoão Magueijo.jpg    マヨラナの失踪.jpg レオナルド・シャーシャ.jpg
マヨラナ―消えた天才物理学者を追う』João Magueijo 『マヨラナの失踪―消えた若き天才物理学者の謎 (1976年)』Leonardo Sciascia

エットーレ・マヨラナ.png エットーレ・マヨラナ(Ettore Majorana、1906-1938?)はシチリア島カターニア出身の物理学者で、数学的な才能に溢れ、エンリコ・フェルミ率いるパニスペルナ研究所でその天賦の才を発揮、1933年に核力の理論として中性子と陽子の交換力(マヨラナ力)を考え、ニュートリノが実際に観測される25年も前にこの粒子の性質について考察していましたが、非社交的な性格で、1938年3月26日の夜、シチリア島のパレルモからナポリ行きの船に乗ったまま姿を消しています。

Ettore Majorana

 このエットーレ・マヨラナについては、今や古典的マヨラナ伝として定番も言える、レオナルド・シャーシャ(Leonardo Sciascia、1921-1989)著、千種堅(1930-2014)訳『マヨラナの失踪―消えた若き天才物理学者の謎』('76年/出帆社)をかなり以前に読んで、マッチ箱の切れ端や小さな紙切れに殴り書きしたような数式が実はノーベル賞級の理論発見でありながら、次の瞬間にはそれらを破り捨てていたという、こんな凄くて変わり者の天才物理学者がいて、しかもある日忽然と船の上から姿を消したということを知って驚いたものですが、その後、日本ではあまりこの人のことは取り上げられなかったのではないでしょうか(本国イタリアでは、しばしば"ミステリ・ドキュメンタリー"風のTV番組などで取り上げられるようだが)。

A Brilliant Darkness_.jpg 本書(原題"A Brilliant Darkness" 2009)は、レオナルド・シャーシャによる伝記以来、久しぶりに邦訳されたマヨラナの伝記で、レオナルド・シャーシャ(シチリア島出身)が当時のイタリアを代表する文豪と呼んでいい作家であったのに対し、著者ジョアオ・マゲイジョ(João Magueijo)はポルトガルの宇宙物理学者で、初期宇宙では光速は現在よりも60桁以上早かったとする「光速変動理論」を唱えている現役バリバリの研究者です(この理論は、佐藤勝彦・東京大学名誉教授が提唱したことで氏がノーベル物理学賞候補と目されるようになった「インフレーション理論」と真っ向から対立する)。

 現役の物理学者による著書ということで、読む前は、専門知識の面では満足できるだろうけれど、レオナルド・シャーシャによる伝記ほど面白く読めるかどうかやや疑心暗鬼でしたが、読んでみたらシャーシャの伝記に匹敵するくらい面白かったという印象でしょうか(もともと天才の物語は面白いし、マヨラナはそうした中でも多くの興味深い謎を秘めている素材であるということはあるのだが)。著者は、まるで本職が伝記作家であるかのように、マヨラナの家系を調べたり、所縁(ゆかり)の生存者を訪ねて取材したりしており(しかも言葉の壁を乗り越えて)、シャーシャによる伝記を更に深耕したものと言えます(それにしても、作家並みの文才!)。

Ragazzi di via Panisperna.jpg 最初にマヨナラの失踪時の経緯を、最後に失踪後の経緯をもってきて、本編の大部分にあたる中間部分では、マヨラナの生い立ちから始まって、マヨナラと彼を巡る人々を取り上げ(必要に応じて様々な物理学理論の紹介もし)、それらが全体として、物理学分野で活躍した人々の立志伝、人物群像になっていますが、その中での様々なエピソードを通して、マヨナラがどれほど図抜けた天才だったか(フェルミなどは彼の頭脳に全くついていけなかった)、また、そうしたノーベル賞級の発見を数々成し得ながらもそれを自ら進んで公表しようとはしなかったその変人ぶりが浮き彫りにされています。

Ragazzi di via Panisperna(「パニスペルナ通りの青年たち」右端がフェルミ。孤独を好んだマヨラナは写っていない)

 但し、単に繊細な、或いは気難しい変人としてマヨラナを描くのではなく、彼がなぜそうした学界の主流に入っていかなかったのかについても著者なりの見方を示唆しており、マヨナラの失踪についても、イタリアのコミックで登場した"宇宙人による誘拐説"などを面白く紹介しながらも、独自の考察をしています。

 また、レオナルド・シャーシャの本と異なる点は、科学史上希代の物理学者と言われているエンリコ・フェルミが、本書ではマヨラナとの対比でかなり俗物っぽく描かれている点で、自らの研究所の一員であるマヨラナの、大発見とも言える成果を世に公表しようともせず、後に他の学者が公表すると、悔しがるでもなく、むしろ自分が公表する手間が省けたと喜ぶ様に、研究所のリーダーで功名心にはやるフェルミの方がイライラさせられたとありますが、競争の激しい研究分野では、フェルミのとった態度の方がむしろ自然だったと言えるかも(明らかにフェルミがマヨラナより劣っていたにしても)。

 レオナルド・シャーシャは、マヨナラ"自殺説"をほぼ堅い説としつつ、マヨラナは自らの天才を怖れていたのではないかとしていますが、本書の著者マゲイジョは、シャーシャの古典的伝記に敬意を払い、また共感を示しつつも(マゲイジョ自身もマヨナラをニュートン、アインシュタインと並ぶ三大天才の一人としている)、物理学が誤った方向に進んでいることに対する彼の懸念などを炙り出し(実際、多くの物理学者が核開発に協力し原子爆弾が誕生するという結果となった)、それが、彼が学界から距離を置き、遂には失踪することに繋がったのではないかとしているようです("自殺説"そのものを否定しているのではなく、自殺したとすれば、予め仕掛けておいたプログラムのようなものが何かのはずみで起動した結果ではないかとしているのは、シチリア島へ渡る船には乗っていたが帰りの船では消えてしまったということと考え合わせると、何となく説得力があるように思える。まあ一方で、最期に故郷を訪ね、それから自殺する「計画」をその通り遂行したととれなくもないが)。

I ragazzi di via Panisperna (1988).png エンリコ・フェルミが率いたエットーレ・マヨラナほかパニスペルナ研究所の若き研究者らは「ラガッツィ・ディ・ヴィア・パニスペルナ(Ragazzi di via Panisperna、パニスペルナ通りの青年たち)」と呼ばれ、ジャンニ・アメリオ監督によってそのままのタイトルで'88年に映画化されていますが、当然のことながら、フェルミではなくマヨナラを中心として描いた作品のようです。但し、アメリオ監督の作品の中でこの作品は、高村倉太郎(監修)『世界映画大事典』('08年/日本図書センター)で紹介されていましたが、残念ながら日本では公開されていないようです。
映画"Ragazzi di via Panisperna"
  (パニスペルナ通りの青年たち)('88年/伊)

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This page contains a single entry by wada published on 2015年10月 9日 23:12.

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