【2329】 ○ 小柴 昌俊 『ニュートリノの夢 (2010/01 岩波ジュニア新書) ★★★★

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自身の良き師、善きメンターを持ったという経験が、後継を育てる姿勢に繋がっているのでは。

ニュートリノの夢 岩波ジュニア新書.jpg 梶田隆章 小柴昌俊1.jpg
ニュートリノの夢 (岩波ジュニア新書)』Nobel Physics 2002 contributions to astrophysics  梶田隆章氏(左)と小柴昌俊氏(右)(「産経新聞」(平成25年9月27日))
梶田隆章ノーベル賞3.jpg 2015年のノーベル物理学賞に、ニュートリノが質量を持つことを示すニュートリノ振動を発見したとして梶田隆章・東京大学宇宙線研究所長が選ばれ、日本人の物理学賞の受賞は、前年の赤崎勇氏、天野浩氏、中村修二氏に続いて11人目(外国籍の日本人含む)となりました。この内、素粒子研究の分野での受賞は、'49年の湯川秀樹、'65年の朝永振一郎、'02年の小柴昌俊氏、'08年の南部陽一郎氏(今年['15年]7月に満94歳で逝去)・小林誠氏・益川敏英氏の3氏同時受賞に次ぐ7人目で、日本人がこの分野に強いことを示していると言えますが、更にこれを「紙と鉛筆でできる」とも言われる「理論」と、大型の観測装置や加速器を使って理論を検証する「実験」の2分野に分けると、「実験」で今回の梶田氏の前にノーベル賞を貰っているのは、梶田氏の師にあたる小柴氏のみとなります。

スーパーカミオカンデの実験.jpg 本書は、その小柴氏の口述をベースに2009年1月から2月にかけて46回に渡って「東京新聞」に連載された「この道」を加筆・修正してまとめたもので、第1章で、小柴氏がノーベル賞を受賞する理由となった、カミオカンデにおける宇宙ニュートリノの検出の経緯が書かれ、第2章から第5章までで小柴氏の生い立ちやこれまでの研究人生の歩みが描かれています。そして、最終第6章で、スーパーカミオカンデの設置や平成基礎科学財団の設立、これからの夢について書かれていますが、この中に、今回の梶田氏のノーベル賞受賞の報道でしばしば取り上げられる、1998年に岐阜・高山市で行われたニュートリノ国際学会で、ニュートリノ振動の存在を実証したスーパーカミオカンデの観測結果を梶田氏が発表した際のことも書かれていて、梶田氏の講演が終わると、聴衆が立ち上がって「ブラボー」と叫んで拍手が沸き起こり、まるでオペラが終わったような騒ぎになったとあります(小柴氏は学会に来ていた南部陽一郎氏(小柴氏より5歳年上)とその晩食事を共にし、南部氏に「よかったねえ」と喜ばれたという)。この時点で小柴氏もまだノーベル賞を貰っていないわけですが、小柴氏が自らの受賞の時に、まだまだスーパーカミオカンデでの研究から日本人ノーベル受賞者が何人か出ると言っていたのは、その確信があっての発言であったことが窺えます。

「東京新聞」2015年10月7日

 その小柴氏のノーベル賞受賞の際に、大マゼラン星雲内で16万年前に起きた超新星爆発(天文学では「1987年2月に起きた」という言い方をするわけだが)で生じたニュートリノを、カミオカンデが出来た僅か4年後に捕まえることが出来たのは「実にラッキーだった」という見方もあったように思いますが、本書を読むと、宇宙ニュートリノの観測をしていたライバルの研究グループが世界に複数あって、チャンスはそれらに均等に訪れ、その中で、少ない予算で小さな装置しか持たなかった小柴氏率いる日本チームが最も早く正確に超新星ニュートリノを観測することに成功し、他グループはその追認に回ったこと、また、こうした少ない予算で外国との競争に勝つための独自の戦略が小柴氏のチームの側にあったこと分かりました。

小柴 昌俊.jpg その小柴氏ですが、本書を読むと、子どもの時から神童だったというわけではなく、何とか旧制第一高等学校に入ったものの一高時代も落ちこぼれで成績が悪くて、「小柴は成績が悪いから(東大へ進学しても)インド哲学科くらいしか入れない」と話す教師の雑談を聞いて一念発起し、寮の同室の同級生の朽津耕三氏(現・東京大学化学科名誉教授)を家庭教師に物理の猛勉強を始め東大物理学科へ入学したとのことです。

朝永振一郎.jpg こうした小柴氏を可愛がったのが朝永振一郎(1906-1979)で、2人ともバンカラぽくってウマが合ったというのもあったようですが(本書にある数々の師弟エピソードがどれも可笑しい)、やはり朝永振一郎という人は小柴氏の持つ"何か"を見抜いていたのだろうなあと思いました。本書は小柴氏自身によるものなので、どこを見込まれたのか分からないという書き方になっていますが、小柴氏自身、良き師、良きメンターを持つことの大切さを身をもって経験し、それが、氏の「後継を育てる」ことを重視する姿勢に繋がっているように思います。小柴氏の後継としてスーパーカミオカンデを率いた小柴・戸塚さんから梶田さん.jpg戸塚洋二 asahi.com.jpg戸塚洋二氏が'08年に満66歳で早逝した際は、これで実験グループの日本人のノーベル章受賞はやや遠のいたかに思えましたが、梶田氏という後継がしっかり育っていたということになります。

     「朝日新聞」(asahi.com)2008年7月11日

「読売新聞」(YOMIURI ONLINE)2015年10月7日

 その梶田氏は、出身大学は埼玉大学で、この人も普通の研究者のように見えて、実は尋常ならざる研究者「魂」の持ち主であるようですが、それを見抜いたのが小柴氏ではないかと思います。梶田氏は、今回の受賞インタビューで、「小柴組は徒弟制だと思う。先生は若手の育て方がうまかった。特別な才能で、それを受け継ぐことはできなのでは」と笑って語ったとのことです(「朝日新聞」2015年10月9日)。

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小柴昌俊(東京大学特別栄誉教授)
2020年11月12日夜、老衰のため都内の病院で死去。94歳
物質のもとになる素粒子のひとつ、「ニュートリノ」の観測に成功し、「ニュートリノ天文学」という新しい分野を切り開いたとしてノーベル物理学賞を受賞した。

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