【2206】 ◎ アブラハム・H・マズロー (金井寿宏/大川修二:訳) 『完全なる経営 (2001/12 日本経済新聞社) ★★★★★

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現代の社会や企業経営、人事管理の在り方に照らしても、耳を傾けるべき言葉が多く含まれている名著。

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完全なる経営』 アブラハム・マズロー.jpg アブラハム・マズロー(1908-1970)

 本書は、「欲求5段階説」を提唱したことで知られる米国の心理学者アブラハム・マズロー(Abraham Harold Maslow, 1908 - 1970)が1960年代初めに書いた手記や覚書の数々を纏めたものが、一旦は1965年に本として刊行され(原題;Eupsychian Management (1965)、邦訳『自己実現の経営―経営の心理的側面』('67年/産業能率短期大学出版部))、その後長い間絶版になっていたものを1998年に復刻刊行したもので(原題:Maslow on Managemen「マズローオンマネジメント(マズロー、経営を語る)」、そのことを示すかのように、冒頭にウォーレン・ベニスの「37年後に」という副題の序文があります(随所に、マズローの影響を受けた経営者へのインタビューが挿入されているため、400ページ超と旧版のおよそ倍のヴォリュームの大著となっている)。

 元が手記乃至覚書の形式なので、1つ1つ独立した考察として読みながら、全体の流れの中で彼が訴えたかったことを汲み取っていくという読み方になるかと思います(ある意味、どこからでも読める)。

 まず、仕事生活を正しく管理すれば、そこで人間は成長し、世界はより良いものになるとしています(その意味で、仕事生活の正しい管理はユートピア的であり、彼はこのことを「ユーサイキアン・マネジメント」と呼んだ)。人は誰でも高次の価値を体現したいとの生まれながらの欲求を持っているので、くだらない仕事を見事にやり遂げたとしても、それは真の達成とは言えず、自己実現を促す仕事をすることが肝要であり、またそのこと自体が自己を癒す治療的効果を持つとしています。

 誰もが受動的な助力者であるよりも、原動力でありたいと望んでおり、人々が積極的な人生を送るか、それとも無力な人生を送るかは、彼らが組織内で権限を与えられるかどうかにかかっており、経営者が従業員を、マクレガーが言うところの「Y理論」的な人間として扱うことが必要なのは、それが企業経営にとって利益を生むことにつながるからであると。従って、大規模な組織に見られる画一主義的な行動基準は改め、権威主義的な経営管理スタイルから参加型の経営管理スタイルに移行する必要があるとしています(会計士には、労働者を向上させることから生まれる目に見えない人的価値を、貸借対照表に記載できる会計用語に置き換える努力が求められるとし、最高の管理者は、自分が管理する労働者の健康を増進するとも)。

 また、チームの場では、メンバーにより大きな影響力とパワーを授ければ、自分の影響力とパワーも大きくなるという"シナジー"効果が生まれ、貧弱な社会や環境の条件下では、各個人の利害が対立的、相互排他的にとらえられ、人々が互いに反目してしまうような状況になるとしています。

 リーダーシップに関しては、権力を求めるような人間こそ権力を手にすべきではなく、こうした人間は権力を悪用し、他人を圧倒し、制圧して自己満足を得るために権力を用いるのであり、進歩的リーダーのやり方というのは、メンバーに対するパワーを放棄して自由を認めるとともに、メンバーの自由と自己実現を心から喜べるような人であるとしています。また、リーダーの創造性に関しては、先の見通しが予測不可能な状態に耐え、それを受け入れることのできる能力が、創造性と深い関係にあるとしています(メンバーは往々にして、予想外の事態や不測の出来事を正面から受け止める力が備わっていないという不安感が入り交っている)。また、卓越した社会(組織)と退行的で堕落した社会を分けるものは、起業家精神を発揮する機会に恵まれているかどうか、その社会に起業家が大勢いるかどうかという点であるともしています。

 また、より高次の欲求を満足させる条件が提示されない限り、多くの人は現在の職務からの転職は考えないが、人材は無形かつ真正の財産であり、社会から必要とされている重要な人物が転職せず同じ職場にとどまっているのは無駄であると。さらに、投資家の立場からすれば、人的資産の豊富な企業と人的資産の乏しい企業で、或いは消費者の信用を得ている企業と消費者の信用をすっかり失っている企業で、或いはまた労働者の士気の高い企業と低い企業で、それぞれどちらに投資するか、と問うています。企業経営の在り方について、長期にわたって存続し、その間健全性を維持しながら成長を目指す企業は、顧客との間に掛け値無しの信頼関係を築きたいと願うはずであり、むしり取るだけむしり取ったら後は目もくれないというような関係を結びたいとは考えないはずだとしています。そして、進歩的な経営管理という哲学は、社会全体を確実に向上させるものであり、それ故に、革命的な哲学と呼ぶべきものであるとしています。

 その他にも示唆に富むフレーズに満ち満ちている本であり、マズローの言うところの「自己実現」の奥の深さが窺い知れるとともに、現代の社会や企業経営、人事管理・人材活用の在り方に照らしても耳を傾けるべき言葉が多く含まれている名著であると思います。

 因みにマズローは、1908年にブルックリンのスラム街でロシア系ユダヤ人の家系に生まれ、貧しい家の7人兄弟の長男で一時は叔父の家に引き取られて育てられたこともあったそうです。父親の事業が軌道に乗るとスラム街を出て白人街に移りますが、そこで今度はユダヤ人としての差別を体験したとも言われています。大学では最初、法律学を勉強しましたが、法律学の人間性悪説的な立場が肌に合わず心理学に転向したと言われています。

《読書MEMO》
03 完全なる経営.jpg(経営者インタビューからの抜粋を含む)
●人間の使命とは、可能な限り「自分自身」にあることである。
・彼にとって必要なこと、実現しうることは、唯一このことだけなのだ。そこには競争というものが存在しない。
●仕事は一種の心理療法とも心理高揚法ともなりうるものだ。心理高揚法によって健全な人間は仕事を通じて成長し、自己実現に向かうことができるのだ。
●この上ない安らぎを得たいのであれば、音楽家は曲を作り、画家は絵を描き、詩人は詩を詠む必要がある。人間は自分がそうでありうる状態を目指さずにはいられないのだ。こうした欲求を自己実現の欲求と呼ぶことができよう。
●重要で価値ある仕事をやり遂げ自己実現に至ることは、人間が幸福に至る道である。
・幸福とは、何かにともなって生じる状態であり、副産物なのだ。直接求めるものではなく、善き行いに対して間接的に与えられる報酬なのである。
●仕事を通じての自己実現は、自己を追求しその充足を果たすことであると同時に、真の自我とも言うべき無我に達することでもある。
●何としてもやり遂げるのだという気概で仕事に望んでいると、ある時点から仕事は情熱を傾ける対象となり、仕事と自分との距離はなくなってしまいます。
・健全で安定した自尊心をもてるかどうかは、りっぱな価値ある仕事を自己の内部に取り込み、自己の一部にできるかどうかにかかっている。
●あらゆる人間は、美、真実、正義といった最高の諸価値を求める本能的欲求を持つのである。真の重要な問題とは、「何が創造性を育むのか」ではなく、「だれもが創造的とは限らないのはなぜか」ということなのだ。
●リーダーが第一に考慮すべき点
①人間は信頼に値すると信じているか
②人間は責任や義務を担おうとするものであると信じているか
③人間は仕事に意義を求めると信じているか
④人間は生まれながらに学習欲求をもっていると信じているか
⑤人間は変わることには抵抗しないが、変えられることには抵抗すると信じているか
⑥人間は怠惰よりも働くことを好むと信じているか
●仕事や課題に取り組むこと自体が自己を癒す利用的効果を持つものになりうる。心の中の問題が周囲の世界に投影されて外に姿を現した結果、内省だけで直接処理するよりもはるかに容易に、しかも不安や抑制をそれほど感じることなく、問題に取り組めるようになるのである。
●ブラックフット族において最も尊敬を集める人物、それは最も多くを与えた人物なのだ。
●シナジーは、個人にとっての利益が同時にすべての人間にとっても利益となるような文化である。シナジーの度合いの高い文化は安定しており、善意に満ち、人々の士気も高い。
●「問題はこういうことだ。やるべきことはこれだ」とはっきり社員一人ひとりに伝えるべきだろうか。「これをやれば、こういう報酬を与えよう」と言うべきだろうか。「顧客のためになる価値を創造しよう。社員のためになる職場環境を整え、結果を見てみよう」と言うべきなのだろうか。最後のアプローチをとれば、社員にやるべきことを指示した場合よりも10倍効果が上がるでしょう。
●我が社のサービスのおかげで、顧客が一人で努力したときよりも、はるかに大きな価値が生まれる。
●人生における使命は自己と深く一体化しており、真に幸運な作業者、進歩的で理想的作業者から仕事(人生における使命)を奪うのは、彼の生命を奪うに等しい行為なのだ。
●自己実現の段階では、個人に足りない部分、つまり欠乏や不足の充足を訴えることによって、その個人を動機「づけ」することはもはやできない。それは外からの充足でなく内からの発達を目指すものだからである。
●企業の目的は単に利益を上げることではなく、基本的欲求を満たそうと努力する人々、特定の集団に属しながら社会全体に奉仕する人々にとって、真の共同体となることである。ビジネスにおいては収益は大きな意味を持っているが、唯一絶対のものではない。人間的要因や道徳的要因を忘れてはならないのだ。
●自尊心や尊厳に関する精神力動的理解が深まっていけば、産業界にも大きな変化がもたらされるはずだ。なぜなら、尊厳、尊敬、自尊の意識といったものは、実にたやすく与えることができるからである。経済的負担はほとんどない。
●普通の人間にとって、仕事は休息や遊びと同じく自然なものであり、皆働くことを望んでいる。やりがいのある目標だと思えば、たいていの人間は自己統制しつつ自発的に仕事に取り組み、積極的に責任を引き受けようとする。
・人間は自らの仕事に意味を求め、遠大な目標の実現に専心したいと願っており、やりがいのある職務や役割、責任に取り組めば「世間をあっと言わせる」ことができる。
●アップルの成功の方程式の大部分を占めていたのは、その社内環境-社員が潜在能力を発揮し、目標の実現に向けて専心できる環境。仕事に大いなる意味を見出せる環境-だったはずだ。
・ラインの全従業員が、生産工程全体の中で自分の果たす役割を理解していましたし、自分の作業が最終製品にどのような影響を及ぼすかも承知していたのです。
●泥棒が泥棒である事を自覚し、まっとうな人間に生まれ変わりたいと願うならば、意識的に盗みをやめ、意識的に正直な人間になろうと努力するしか道はない。
●利己主義と利他主義を互いに相容れない対立概念としてとらえることには何の意味もない。私がとった行動は全面的に利己的でもなければ、全面的に利他的でもない。利己的であると同時に利他的であるといっても同じことである。より洗練された表現を用いれば、シナジーのある行為なのである。
・相手の幸福が自分を幸福にするとき、相手の自己実現が自分の自己実現に劣らぬ喜びをもたらすとき、さらには「他人のもの」と「自分のもの」との区別がなくなるとき、そこに愛は存在するのだ。
●語彙を豊かにすることで世の中に対する認識を高めることができる。
●いい社会とは、徳が報われる社会である。
・いい社会とは利己主義が利益につながる社会である。社会の成員が、結果的には自分にとっても利益になることを理解しているため、他者の利己主義を認める社会である。
●会社が、一見当然だとも思われる結びつきやサービスなどの織りなすネットワークの中に存在しているという事実である。これを逆方向から述べることもできる。製品やサービスがもっといいものになればなるほど、労働者が、管理者が、企業が、地域社会が、州が、国家が、世界が改善される。
・いくつもの同心円の中に立っている自分を発見することになる。
●幸せは探そうとして見つかるものではない。人への奉仕を通じて見出せるものなのだ。
●観光客にユニークな体験を味わってもらうために、アスペン社の価値観と地域住民の価値観をいかにして活用すべきかが明らかになってきた。その結果掲げられた目標は、両者に対して「命の洗濯」の機会を提供することと、住民に対してこの活動に参加する機会を提供することであった。
●たとえ危機的状況であろうとも、権威主義的リーダーシップの出る幕はないというのが私の意見です。危機に直面したときに独裁者の出番だということを否定するつもりはありません。それが状況を打開する最善の策だったかもしれないし、余計な手間をかけずにすんだかもしれません。でも、今回と同じ結果が得られたとは思えないんです。
●B力とは、やるべきことをやる能力のことであり、取り組むべき仕事に取り組む能力、現実に存在する問題を解決する能力、完遂すべき仕事を完遂する能力のことである。あるいは、真、善、美、正義、完全性、秩序といったあらゆるB価値を育み、守り、高める能力と言うこともできる。B力は、もっといい世界を作る能力であり、世界をより完璧に近づける能力である。
●参加者タイプの人間は、人生の指針となる価値観や信念を持っており、危険を怖れず未知のことがらに挑戦する。ものごとが順調に運び、もてはやされ、成功を味わっているときでも、不調で、批判を浴び、不安定に苦しむときでも、常に自分の信念を貫き通そうと努力する。
●短期間で心理療法と同じ効果を上げるために、ある人物の普段の生活ぶりを正面と背後からそっくりそのまま映像に記録して、本人に見せるというものだ。この映像を見れば、自分自身について実に多くのこと-自分の外見がどうか、自分はどんなペルソナ、つまり仮面をかぶって生活しているか、さらには自分が何者なのか、自分のアイデンティティとは何か、本当の自己とは何かなど-が学べるだろう。
●完全に信頼できる相手、怖れる必要がなく、自分を傷つけたり、自分の弱みにつけ込んだりする心配のない相手に向かって、思いの丈を包み隠さず打ち明けられるという特権は、何にも勝るものなのだ。
●人間はある程度成功を収めると、社会の枠組みに沿った考えからをしなければならないと思い込むようになる。だが、このような態度をとっているうちに個性を失い、個人の内面にある創造性や喜び、ユーモア、学習、革新の源泉をからしてしまう人間が少なからずいる。
・一日に何度この声-自分の外からきて、世の中の仕組みを教え込む声-に行動を阻まれているか、十分反省してみるべきです。
●自分が人生をかけて取り組む劇仕事(マイライフワーク)とは何か。
・いまこの瞬間に没頭するよう強く主張している。
・いまここに全面的に没頭し、完全にその場で見聞きするためには、強靭なパーソナリティをすべて備えていなければならない。過去も未来も忘れ、現在だけを考えることだといってもいい。
・この姿勢は、彼がかなり勇敢な人物で、自分自身に信頼を寄せていること、新たな問題を解決できるという静かな自信を秘めていることを示すものである。
●創造的な人間は柔軟性があり、状況の変化に応じて行動を変えることができる。自分の計画にこだわらず、状況の変化に適応し、その都度その都度の問題に的確に対処することができる。
・絶え間ない変化こそ、人生に興を添えてくれるのである。
●セールスパーソンに求められることは、より長期的で広い視野に立ち、物事の因果関係や全体論的な関連性を把握した上で判断を下す姿勢である。それはなぜか。顧客との関係を百年も二百年も維持することを目指す健全な企業にとって、両者が騙しあう関係など論外だからだ。
●高次の不平を、それより低次の不平と同等に扱ってはならない。高次の不平は、そうした不平が理論的に存在しうるための前提条件がすべて満たされていることを示す証拠として理解されなければならないのだ。
●宇宙レベルの壮大な過大に取りかかるのではなく、身近な具体的課題に専心し努力すべきである。
・社会の全成員が目標を明確に理解し、全力を尽くして各人になしうる最大の貢献を果たすのが理想的な社会変革の姿なのだ。
●自分から事を起こそうとせず、何かが起こるのを待ち受ける姿勢、あるいは、才能を開花させるためには適切な指導や訓練の積み重ねが必要であることを理解せず、怠惰にすごしてしまうような姿勢は、何としても改めなければならない。
●自己実現は、本人以外の人が「これがお前の自己実現だ」と外からは定義できない。
●自己実現は、ないものを埋めること(欠乏動機、D動機)によって人を短期的に動かすのでなく、自分の存在価値を示していくこと(存在動機、B動機)によって長期的に探し続けるものなのだ。確かに虹のようになかなかたどり着かないかもしれない。しかし、それをあきらめると、完全なる人間も、完全なる経営も成り立たなくなってしまう。

・ユーサイキア(Eupsychia):マズローの造語。現実的可能性や向上の余地、心理学的な健康を目指す動き、健康志向。
・個人の成長→企業は自律的な欲求充足に加えて、共同的な欲求充足をもたらすことが可能。
・自己救済→自分に運命付けられた「天職」をやりとげること。例えば、黒澤明監督の映画「生きる」。こうした志向性はおのずと自己超越、自己を追求すると同時に、無我でもある。自己/利他、内的/外的、主観/客観といった二項対立は解消(仕事の大義名分も自己の一部に取り込まれているのだから)。
・研究課題→「人間の尊厳を奪ったり、損なったりしない組織を作るにはどうすればよいのか。組み立てラインのような非人間的な環境は、産業界では避けることができないが、こうした環境を浄化し、労働者の尊厳と自尊心をできる限り保つためには、どうすればよいのか──」(96~97ページ)。
・マグレガーのX理論(人間は一般に怠惰→管理は命令。低次の欲求に対応)とY理論(人間は本当は働きたい→自発的な創造性を生かす。高次の欲求に対応)はマズローの動機付け、自己実現の理論を応用。晩年のマズローはさらに、経済的欲求の次なる段階として価値ある人生や創造的な職業生活を求めるものとしてZ理論を構想。
・産業的権威主義に対して、自律的な人間モデルによる民主主義的なものとしての「進歩的な経営管理」→ただし、客観的要件がそろっていることが必要。生存的に厳しい社会では権威主義的上司の方が適合的かもしれない。状況に応じて最高の、機能する管理方法を選ぶこと。
・リーダーシップ:その状況における客観的要件を誰よりも鋭く見抜き、そうであるが故に全く利他的な人間が問題解決や職務遂行に最適→安全の欲求、所属の欲求、愛の欲求、尊敬の欲求、自尊の欲求のすべてが満たされた、自己実現に近づいた人間がリーダーとして理想的。そうでない人間は、自身の欲求充足のレベルで右往左往してしまう。

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