【2177】 ○ 白石 一文 『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け (上・下)』 (2009/01 講談社) ★★★★

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主人公の思惟もハードボイルドな雰囲気も楽しめた。プロットの方がむしろそれらの背景か。

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この胸に深々と突き刺さる矢を抜け 上 (100周年書き下ろし)』『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け 下 (100周年書き下ろし)』『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け 上 (講談社文庫)』『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け 下 (講談社文庫)

 2009(平成21)年・第22回「山本周五郎賞」受賞作。講談社創業100周年記念書き下ろし作品。

 数々のスクープを物してきた「週刊時代」43歳の敏腕編集長カワバタ・タケヒコは、ある日、仕事をエサに新人グラビアアイドルのフジサキ・リコを抱いた。政権党の大物政治家Nのスキャンダルを追う中、そのスキャンダルを報じる最新号の発売前日に禊のつもりで行ったその場限りの情事のはずだったが、彼女を抱いた日から、彼の人生は本来の軌道を外れて転がり出す―。

 語り手の「僕」(カワバタ・タケヒコ)の意識・思考・回想が現在進行している日本と世界の現実を背景に延々と語られますが、「格差」の問題等を語るに際して、そこに、ミルトン・フリードマン『政府からの脱出』、堤未果『ルポ貧困大国アメリカ』、湯浅誠『貧困襲来』、岡田克也『政権交代この国を変える』、ポール・クルーグマン『格差は作られた』など多くの書籍からの引用があり、それだけでなく、立花隆『宇宙からの帰還』ほか理系書などからの引用を通して生命論や死生観まで語っています。

 こうした夥しい引用から、「新しい啓蒙小説と言えるのかもしれない」(ノンフィクション作家・久田恵氏)などと評され、山本周五郎賞の選評でも「これだけ深く思惟している小説は近年稀である」(作家・浅田次郎氏)との感想もあった一方で、「装飾物」が多くてまどろっこしかったなどといった意見も聞かれ、「引用過剰」の表現スタイルそのものが賛否両論を醸した作品と言えるかと思います。

 個人的には、そうした主人公の思惟の部分は興味深く読めましたが(フリードマン、ボロクソだなあ)、むしろ、ガン再発の恐れという極めて個人的な懸念事項を抱えながら、雑誌編集者としてドロドロとした(どこの会社にもありそうな社内抗争も含めた)現実社会に生きる主人公の人生に、ある種の虚無感を孕んだハードボイルドな生き方の一類型を見る思いがしました。

 一方、ストーリーの方は、こういうのってオチが無いのだろうなあと思って読んでいたら、ラストはちゃんと捻ったプロットになっていて、振り返ってみれば伏線らしきものもあったような。但し、最後、まるで後日譚のようにばたばたっとその辺りが明かされていて、この作品におけるプロットの位置づけがややはっきりしなかったかも。

 山本周五郎賞の選評で浅田次郎氏は、「むしろミステリーの枠に嵌めることによって、作品は矮小化されてしまったのではあるまいか」とも言っていて、北村薫氏も「この結末には、急ぎ過ぎたのではないかということも含めて、疑問が残った」と言っています。しかしながら、小池真理子氏、重松清氏の2名の選考委員の強い推薦があって、池井戸潤氏の『オレたち花のバブル組』(TVドラマ「半沢直樹」の原作)などを抑えて山本周五郎賞を受賞しています(小池真理子氏は「選考委員を続けていてよかったと思える作品に巡り合えた」とし、重松清氏は「胸をえぐられるような思いでページをめくった作品は候補作の中では白石さんのものだけだった」と述べている)。直木賞の選考などでもそうですが、やはり○や△が並ぶよりも◎が複数あるのが強いようです。個人的にも、『オレたち花のバブル組』よりはこちらが上かなあ。『オレたち花のバブル組』はまあ池井戸潤氏の作品の中でも"劇画"のような作品であり、この白石氏の作品とは全く異質で比較するのは難しいけれど...。

 この作品の主人公カワバタ氏の思惟の部分については、全てについて賛同出来るわけではないですが、こうした表現形式そのものが現代的とも言えるし(実際に現代社会に生きている人間はメディア等から様々な情報を得て、都度それを評価しているわけだ。逆に、普通の小説でそうしたものが出て来なさすぎるのかも)、また、主人公の生活と意見を記述するという意味では、クラシカルな私小説的手法とも言えるかもしれません。

 星5つにしなかったのは、これも山本周五郎賞選考委員の篠田節子氏が言うように、「思索内容と主人公の状況や行動の間にもう少し緊密な関連があれば、より掘り下げた形で、テーマに肉薄できたのではないか」という点でやや引っ掛かったから。でも、主人公の思惟もハードボイルドな雰囲気も楽しめました。プロットの方がむしろそれらの背景のようなものだったのではないでしょうか。

【2011年文庫化/講談社文庫(上・下)】

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