【2112】 ◎ 奥田 英朗 『沈黙の町で (2013/02 朝日新聞出版) ★★★★★

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問題提起の鋭さ、描写・技法の巧みさ、余韻の重さなど、ここ数年に刊行されて読んだ小説の中でベストワン作品。
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沈黙の町で』(2013/02 朝日新聞出版)

 中学校の部室棟の屋根に隣接している木の下の側溝で、呉服店の一人息子でその学校の2年生の名倉祐一が、頭部から血を流して死亡しているのが発見される。警察は、事故、自殺の両面で捜査を開始するが、名倉の背中に20数ヶ所の内出血の痕があったことから、いじめにあっていたことが疑われた。警察は、名倉が所属していたテニス部と2年B組を中心に事情聴取を始める。そして、名倉の死もいじめによって校舎の屋根から木へ飛び移ることを強要されたことによるものと推理し、主に名倉をいじめていたとされる、名倉と同じテニス部の14歳の藤田一輝と坂井瑛介を傷害容疑で逮捕し、同じクラスの市川健太と金子修斗を13歳であることから児童相談所へ補導する―。

 2011年5月から2012年7月まで朝日新聞に連載された長編小説で、折しも連載終了月の'12年7月になって、前年10月に滋賀県大津市で発生した中学生自殺事件が、突然マスメディアで連日のように取り上げられる事態となりました。個人的には単行本になってから読みましたが、読んでいる途中から、ここ数年に刊行されて読んだ小説の中では「ベストワン」作品になりそうな予感がし、実際にそうなりました。

 名倉少年の死を巡って動揺する家族たちや学校関係者及び同級生、取り調べ担当の警察や検察官、事件を取材する新聞記者らの心理や行動を丁寧に描き分けていて、とりわけ、「加害者」側、「被害者」側に連なる大人たちが、それぞれ自分たちに都合のいいように「真実」を捏ね繰り上げていく様子(或いは、犯人捜しをする様子)の描かれ方にリアリティがありました。

 逮捕・補導された中学生4人は、大人たちに真相を語らない―と言うより、事件の重さに加え、大人たちの周章狼狽ぶりに更に事の重大さを感じて、語ろうと思っても語れないし、大人たちも、勝手に内心で決めつけ的な憶測をするばかりで、それを公には語ろうとしない―そうした様が「沈黙の町で」というタイトルに表象されています。

 そして、名倉少年の死を巡るこうした動きと交互して、事件前の名倉の周辺の状況が描かれています。但し、そこでも、名倉少年自身は殆ど何も語っておらず、彼を取り巻く状況のみが綴られています。そのため、最初はどうしてこうした描写が入るのかとやや違和感を覚えましたが、実はこの部分が、読者を名倉少年の死の真相に導くプロセスとなっていたわけでした。こうしたフラッシュバック的な手法は同作者の『オリンピックの身代金』でも見られましたが、本作では「ミステリ」における謎解きのような役割を果たしていて、こちらの方がずっと効果的に使われているように思います。

『沈黙の町で』.JPG また、これらを通して徐々に明らかになっていくのは、亡くなった名倉少年が、単純に「可哀そうな」「一方的な」被害者だったという訳ではなく、弱者に対してはいばり(名倉家は裕福な家庭だった)、強者に対してはへつらうといった性格の持ち主であり、更に、母親が昔流産した兄弟を「脳内兄弟」として蘇らせ、彼らと「会話を交わす」妄想癖もあるという、周囲から嫌われたり、気色悪く思われたりする要素を自ら孕んだ少年であったということです。

 一方で、名倉をいじめたグループの「主犯格」とされた健太は、むしろ、名倉のことを気遣ったりもしていて、しかし一方で彼は、グループのリーダーとして名倉をいじめ続ける立場に留まらざるを得ず、一方の名倉も、いじめられることによってその存在を認知されているフシもあって、自らそうした状況から脱しようとはしていないという、名倉と健太やいじめグループとの微妙な関係も浮き彫りになってきます。

 いじめる側は、出来上がった力関係の上に乗っかり、それに流されるような形で慢性的にいじめを続け、いじめられる側も、そうした状況を積極的に脱しようとはせず、むしろ、いじめグループから命令されたことを実行することに専念する(その一方で、平気でいじめグループを裏切ったりもする)という、複雑に入り組み歪んだ構図が丁寧に描かれているのが、従来のいじめを題材とした小説における「加害者」「被害者」という画一的な描かれ方とは大きく異なる点ではないかと思います。

 とりわけ、自身は殆ど何も語っていない名倉少年の、状況を積極的に改善するのではなく"甘受"し、一方で、傍目から見ると平気で人を傷つけたりもしているように見える行動パターンは、いじめの対象になりがちな"発達障害"児童の類型の一つを描いて秀逸であると思われました(本書のどこにも"高機能広汎性発達障害"とか"アスペルガー症候群"といった言葉は出てこないのだが)。いじめられている側が自らは被害を申し出ることなく、周囲からはむしろ問題児視されていたりすることは、現実にも結構ありそうな気がします。

 この作品は、宮部みゆき氏の『ソロモンの偽証』('12年)とよく比較され、巷ではどちらが上かと論じられているようですが、この『沈黙の町で』は「純粋ミステリ」ではないと思います。但し、名倉少年の死の真相が明かされる過程では「ミステリ」の手法を用いていて、非常に重いテーマを扱いながらも、サスペンスフルなエンタテインメント性も内包し、効果的に読む者を惹きつけているように思いました。

 その割には結末に《カタルシス不全》を覚えたという人が意外と多くいるのは、最後まで「純粋ミステリ」に近い読み方をしまったからではないでしょうか。個人的には、読み始めてすぐ「これはミステリではない」と思ったのですが...。或いは、いじめた側がきちんと罰せられていないことに不満を覚えた人も多いようです。これも、元々、そうした意図の下に書かれた作品ではないと思うのですが...。

 学校内でのいじめをモチーフとして点では『ソロモンの偽証』とよく似ていますが(被害者が単に「可哀そうな」被害者とは言い切れない点も似ている)、テーマ的にはどちらかと言うと、吉田修一氏の『悪人』('07年)に近いように思います(これも結構「誤読」されていている作品ではないか。何が「誤読」かという問題はあるが)。"悪人"を探し出して罰することで、起きた事の全てを理解したかのような錯覚に陥る(乃至は"安心感"を得ようとする)というのが「世間」であり「普通の人々」だが、真相は必ずしもそう単純なものではないという点で。

沈黙の町で2.JPG 結末で読者に対して明かされた名倉少年の死の真相は、やがて少年たちが事実と向かい合えるようになった時、彼らの口から語られ、公になることが示唆されているように思われました。しかし、一方で、名倉少年の背中に20数ヶ所あった内出血の痕は、その全てがいじめグループの少年たちによるものではなく、クラス内の女子生徒たちが名倉少年をいたぶったことによるものが多かった―この事実は読者にしか明かされておらず、物語の中では、永遠の闇に葬られることになるのでしょう。鋭い「問題提起」があり、描写や技法の「巧みさ」にも感服させられる一方で、そうしたことを思うと、ますます重苦しい余韻が残る作品でした。

【2016年文庫化[朝日文庫]】

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This page contains a single entry by wada published on 2014年4月 5日 00:09.

【2111】 △ 宮部 みゆき 『ソロモンの偽証 第Ⅲ部 法廷』 (2012/10 新潮社) ★★☆ was the previous entry in this blog.

【2113】 ○ 竹邑 類 『呵呵大将:我が友、三島由紀夫』 (2013/11 新潮社) ★★★★ is the next entry in this blog.

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