【2108】 ○ 藤本 義一 『鬼の詩/生きいそぎの記―藤本義一傑作選』 (2013/04 河出文庫) 《 鬼の詩 (1974/06 講談社)》 ★★★★

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身を削って芸をした芸人への作者の愛着、哀惜が感じられる「鬼の詩」。

鬼の詩/生きいそぎの記.jpg 鬼の詩/生きいそぎの記2.jpg  『鬼の詩』単行本.jpg  『生きいそぎの記』 .jpg 
鬼の詩/生きいそぎの記 ---藤本義一傑作選 (河出文庫)』['13年]『鬼の詩 (1974年)』『生きいそぎの記 (1974年)
『鬼の詩』['75年/講談社ロマンブックス]
鬼の詩 講談社ロマンブックス 19752.jpg『鬼の詩』藤本義42.jpg藤本義一 2.jpg 「鬼の詩」は1974(昭和49)年上半期・第71回「直木賞」受賞作。

 芸のためなら馬糞を饅頭のようにうまそうに食らい、「ほんに、これが、ほんまの一杯食わされたということでっしゃろか」と言って笑いを取り、天然痘に罹って痘痕面になれば、その痘痕に煙管(キセル)を何本ぶら下げられるかで客の歓心を引くという、グロテスクなまでの珍芸で人気を得た明治末期の芸人・桂馬喬の生涯を描く―。

 藤本義一(1933-2012/享年79)が4回目のノミネートで直木賞を獲った作品で、映画になったりもしましたが(主演:桂福団治)、今読んでも傑作だと思います。当時の直木賞の選考会ではほぼ満票に近い結果で、石坂洋次郎だけが反対票でしたが、破滅型の人物を描いているため、石坂洋次郎のような作家の好みに合わないのは分かる気がします。同じく選考委員だった源氏鶏太が、「明治の末頃の大阪での『芸』の意味について司馬遼太郎氏からの詳しい説明があって、私は、更に『鬼の詩』を高く評価する気になった」とコメントしているが興味深いです(司馬遼太郎って何でも知っていたのだなあ)。その司馬遼太郎が、「初代春団治もまかりまちがえばこの作品の主人公のようなバケモノになりかねない所があったが、春団治の天才性がそれを救った。この主人公には十分な才能がなかったために、春団治にはなれずにバケモノになってしまった」とコメントしているのは、炯眼だと思います。但し、この作品は、淡々とした描写の根底に、そうした身を削って芸をした芸人への作者の愛着、哀惜が横たわっているのが感じられます。

 作中の桂馬喬のモデルは2代目桂米喬(1860-1904)で、実際に噺が終わると立ち上がり、踊りを踊ったり、ぶら下がっている電球を舐めたりして、客の爆笑を呼んだとのこと。但し、その最期は衰弱死ではなく、日に3軒の寄席を掛け持ちした後に脳溢血で倒れたというから、今で言えば「過労死」でしょうか。「桂馬喬」は当初はオーソドックスな芸風だったのが、それだけでは客には受けないと悟り、変則芸の桂文我に「芸を盗ませてもらいまっせ」と断りを入れていますが、実在の初代桂文我も噺が終わった後、踊りで高座を締めくくることが多かった人のようです。

 「生きいそぎの記」は、作者が最初に師事し、運命的な体験をした映画監督の川島雄三との間の事を描いていますが(「貸間あり」('59年/東宝)で作者は脚本を担当)、この作品は「鬼の詩」の前に直木賞候補になっているものの、受賞には至りませんでした。その一因として、小松伸六が、選考委員がよく知っている人物がモチーフになっていることが不利に働いたのではないか、といったことを述べていたように思います(実際、記録を見たら、委員の川口松太郎が「主人公のモデルが委員たちと交際のあった人だけに損をした」とコメントしていた)。

川島雄三.png 「洲崎パラダイス赤信号」('56年/日活)、「幕末太陽傳」('57年/日活)の川島雄三(1918-1963/享年45)ってこんな難しいキャラクターだったのかと。筋委縮性硬化症という不治の病を抱えていたこともあったかと思いますが(この人もある意味"身を削っていた"ことになるわけか)、河出文庫に併録された、1988年に下北(川島の出身地)で開催された「川島雄三映画祭」での作者の講演記録「師匠・川島雄三を語る」を読むと、この難しい性格は殆ど事実みたいです。

 意外だったのは、この「講演」が「小説」に負けず劣らず面白いことで、川島雄三監督の小津安二郎の仕事ぶりを偵察せよとの指令で、無理矢理「小津組」に入って(「小早川家の秋」('61年/東宝))、李朝の置物を探し回った上にニセモノをこしらえて、それが小津安二郎監督に気に入られ、その話を川島雄三監督にしたら大喜びしたとのことです。「小説」の方は、こうした面白い話は少なく、やや重い感じです(「鬼の詩」は重さよりも哀しい滑稽さが先に来る)。重いこと自体は悪くはないのですが、ちょっと作者自身の経験に近すぎて、モチーフを対象化しきれていない気も若干しました。

『鬼の詩』 講談社文庫.jpg『生きいそぎの記』 講談社文庫.jpg このほかに、師に"追随"する漫才師を描いた「贋芸人抄」、三味線の天才娘の悲劇「下座地獄」を所収。作者はやはり「芸人物」、それも、身を削って芸をする人を描いて強みを発揮したように思います。「鬼の詩」と「生きいそぎの記」はそれぞれを表題とする別々の短編集として刊行され、共に文庫化されましたが、それも永らく絶版になっていました(個人的には「生きいそぎの記」は今回が初読)。

鬼の詩 (講談社文庫)』(1976) 『生きいそぎの記 (1978年) (講談社文庫)

井上ひさし.jpg 所収の作者の講演録の中には、大学在学中にラジオドラマなどの懸賞募集に作品を出していると、東京から強敵が現れ、自分と相手のどちらかが賞を取る状況が2年続き、その強敵というのが当時上智大学に在学中の井上廈(ひさし)(1934- 2010/享年75)だったという話がありますが、井上ひさしも別のところで、「彼はまさに西の懸賞王、僕は大抵負けていました」と語っています。その井上ひさしも、放送作家からスタートし、「手鎖心中」で藤本義一より2年早く「直木賞」を受賞、そして藤本義一の2年前に亡くなってしまいました(藤本義一の場合、中皮腫のため最後の3年間は闘病生活であり、井上ひさしも最晩年は肺癌を患っていた)。

 作者の代表作をまとめて新刊文庫で読めるのはいいのですが、それが作者の死が契機になっているというのは寂しい限りです。

『鬼の詩/生きいそぎの記―藤本義一傑作選』(生きいそぎの記/鬼の詩/贋芸人抄/下座地獄/師匠・川島雄三を語る)...【2013年文庫化[河出文庫]】
『鬼の詩』(泣尼/浪花笑草/浪花珍草紙/下座地獄/浪花怨芸譚)...【1974年6月単行本[講談社]/1976年文庫化[講談社文庫]】
『生きいそぎの記』(生きいそぎの記/上方苦男草紙/人面瘡綺譚)...【1974年10月単行本[講談社]/1978年文庫化[講談社文庫]】

《読書MEMO》
「鬼の詩」(1974年発表)...★★★★
「生きいそぎの記」(1971年発表)...★★★☆

映画ポスター 鬼の詩.jpg

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