【2107】 ○ 向田 和子 『向田邦子の恋文 (2002/07 新潮社) ★★★★

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家族にも明かさなかった恋人とその死。いろいろな見方はあるが、「謎はいくつも残る」。

『向田邦子の恋文』.JPG向田邦子の恋文 単行本.jpg  向田邦子2.jpg 向田 邦子(むこうだ くにこ、1929-1981/享年51)
向田邦子の恋文

 前半部分は、向田邦子の遺品の中から見つかった、彼女とその恋人N氏との間の手紙と、N氏の日記の一部であり、後半部分は向田邦子の妹である著者が、その手紙が見つかり発表に至った経緯を軸に、当時の姉や家族のこと或いは姉が亡くなった後のことを書いたエッセイとなっています。特に前半部分の向田邦子とN氏の間の手紙から、いかに二人の絆が強かったか、とりわけ向田邦子のN氏に対する想いの強さがじわりと伝わってくるように思いました。

 これら手紙は1963(昭和38)年から翌年にかけて書かれたもので、当時34歳だった向田邦子は、急成長の売れっ子脚本家としてホテルに缶詰め状態で、ホテルの便箋に恋文を書いてホテルから手紙を出し、またホテル気付で相手の手紙を受け取るといったこともあり、但し、収録されている手紙は圧倒的に向田邦子からN氏宛のものが多く、N氏のもとに急に会いに行けなくなった際には電報を打ったりしています。

 一方、N氏の文章として収録されてものは、N氏の日記の部分が殆どを占めます。この日記にはテレビ番組評などもありますが、どこへ買い物に行って何を買ったとか、昼食や夕食に何を食べたとか、自らの日常を"生活記録"風にテイクノートしている部分がかなり占めます。

 このN氏の日記は(収録されている部分では)1963(昭和38)年11月から始まり、N氏は翌年の2月に自死しているため、向田邦子は多忙を極めるなか、この短い期間内にこれだけの手紙を出しているということからも、病気療養中のN氏への向田邦子の気遣いが窺えます。

 不思議なのは、N氏の日記の内容が、自死した日とされるその前日まで、それまでの日記のトーンと全く変わらないことであり、自死した前日は番組の短い感想や、買物に出かけたこと、昼食や夕食に食べたものなどが"生活記録"風簡単に書かれているだけであり、前々日も「邦子来り、夕食は豆腐...」といった調子であることで、快癒の見通しが立たない病いであったにしても、その自死は向田邦子にとってもあまりに突然のものではなかったかと思われます。

太田光2.jpg 従って、この出来事を、"献身した男性に裏切られた"経験と解し、「後の向田作品は男性に対する復讐が根底にある」という説が出てくるのも、まあ、むべなるかなという気はします(その筆頭が「爆笑問題」の太田光か)。でも、それもあくまでも推測であって、本当のことは分からないのでは、とも思います。

 向田邦子とN氏の関係は、彼女が24、5歳の頃から35歳まで10年間続いたようで、N氏は向田邦子より13歳年上のカメラマン(妻帯者)でしたが、脳卒中の後遺症で最後の2年間は仕事も出来ず、母親と高円寺の自宅に居たとのことです。そのような状況下で、向田邦子は売れっ子の脚本家としての多忙な時間の合間に手紙を書き、訪れては食事の支度をし、またホテルへ戻って仕事をするという生活を送っていたことになります。

 しかし、もっと驚くべきことは、そうした向田邦子とN氏の関係を邦子の家族は殆ど感知していなかったということで(とりわけ、年の離れた妹である筆者は全く知らなかった)、N氏のこともその死も向田邦子が家族に伏せていたというのは、随分徹底して秘密にしていたのだなあと。一方で、向田家の天沼の実家から歩いて30分ほどの場所で、母親と息子(N氏)とその恋人(向田邦子)という"疑似家族"的な生活形態が形成されていたことになるわけです(N氏は妻とは完全別居状態にあった)。

向田邦子の恋文2.jpg 著者は、20代の向田邦子が旅先の宿で籐椅子に腰かけている写真を見て、テーブルの上に二つの茶碗が出ていることなどから、それがN氏との二人旅だったとのではないかと確信し、そこまで好きだったら駆け落ちでも何でもすればよかったのに...と思わずにいられなかったとしていますが、それでも彼女が向田家に居続けたのは、長女として家を支えていかなければならないという思いがあったのではないかともしています。
 但し、向田邦子が結婚というものに対して憧憬ばかりでなく、それとアンビバレントな感情をも抱いていたことはその作品からも窺い知ることが出来るため、この辺りも、結婚したくて出来なかったのか、そうした繋がりを回避していたのかは、結局のところ分かりかねるのではないでしょうか。筆者自身、「謎はいくつも残る」としていますが、その通りだと思います。

 筆者が、それまで開けなかった向田邦子の恋文が入った封筒を初めて開いたのは、こうした姉の知らざれざる側面に徐々に触れた後のことで、向田邦子が1981(昭和56)年に航空機事故で亡くなってから20年を経ていました。2001(平成13)年にNHKの衛生放送が没後20年のドキュメンタリー番組を作ることになったのが契機で、この時、番組スタッフの調べで、N氏のことや彼が自死を遂げたことを初めて知ったとのことです。本書刊行の2年後の2004(平成16)年には、この「恋文」を巡る向田邦子を主人公とした話そのものが、久世光彦(1935-2006)の演出によりTBSで単発ドラマ化されましたが、個人的には未見です(本人が存命していればドラマ化はありえなかったろうなあ)。

【2005年文庫化[新潮文庫]】

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