【1838】 ○ 狩野 博幸/森村 泰昌 ほか 『異能の画家 伊藤若冲 (とんぼの本)』 (2008/01 新潮社) ★★★★ (○ 狩野 博幸 『目をみはる伊藤若冲の「動植綵絵」 (アートセレクション)』 (2000/07 小学館) ★★★★)

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「青物問屋の若旦那、転じて画家となる」
異能の画家 伊藤若冲.jpg 異能の画家 伊藤若冲 01.jpg 目をみはる伊藤若冲の「動植綵絵」.jpg 伊藤若冲 Portrait_of_Itō_Jakuchū_by_Kubota_Beisen.jpg
異能の画家 伊藤若冲 (とんぼの本)』['08年]/『目をみはる伊藤若冲の『動植綵絵』 (アートセレクション)』['00年](24.4 x 18.4 x 1.4 cm)/伊藤若冲像(1885年に久保田米僊が若冲85年忌法要に際して描いた肖像)

和樂 若冲.jpg 小学館の「和樂」の'13年4月号で伊藤若冲の特集をやっているのを広告で見ましたが、'07年に雑誌「AERA」(朝日新聞社)で若冲の特集をやっていて、'09年には雑誌「ユリイカ」(青土社)も若沖特集を組むなど、美術専門誌ではない雑誌が特集するところにファン層の広さを感じます(因みにテレビでも'11年にNHK-BSプレミアムで、'12年にはBS日テレで特集番組が組まれている)。

異能の画家 伊藤若冲 00.jpg 伊藤若冲(いとう・じゃくちゅう、1917-1800)は、本書『異能の画家 伊藤若冲』('08年/新潮社)の冒頭に「青物問屋の若旦那、転じて画家となる」とあるように、京都・錦小路の青物問屋の長男として生まれ、要するに商家の若旦那だったわけですが、狩野博幸氏によれば、学問は嫌いで字も下手、芸事もダメで、酒は飲まないし、女性にも興味が無く(生涯独身で通した)、では商売に打ち込んだかと言うとその逆で、当主という立場からどうやって逃れるかが前半生の目標だったのではないかとのこと。

 絵を描き始めたきかっけも何時ごろかも明確ではないけれど、最初は狩野派の町絵師に学び、やがて狩野派を捨て、中国画の名画を模写するなどして独学で腕を磨き、但し、狩野派や中国絵画の考え方で言えば絵のモチーフのランクとしては低いとされる花鳥図を専ら描いたとのこと、40歳で隠居し画家になってから四半世紀の間、ずっと作画に専念し、作品数は千点以上になるそうです。

異能の画家 伊藤若冲 2000.jpg 本書も、「芸術新潮」の'00年11月号の特集「異能の画家 伊藤若冲」からの移植ではありますが、江戸絵画の研究者である狩野博幸氏へのインタビューという形式をとっている部分が大半を占め、その中で伊藤若冲の生涯や作品について語られており、読み易いうえに一貫性があって、入門書としては通常の雑誌などの特集よりはお薦めです。

 ビジュアル系叢書の一冊であるため図版も豊富で、「動物綵絵」などの代表作を紹介するとともに、"枡目描き""筋目描き""石摺ふう"といった独自の絵画テクニックを紹介しています。

 更に後半部分では彼の晩年を辿り、70歳を過ぎて「天明の大火」に遭い、家も画室も灰になるという逆境の中、画1枚を米一斗で売る暮らしを送るようになりますが、洛南の石峯(せきほう)寺門前に移り住み、85歳で没するまでの10年間は、むしろ悠々自適の暮らしというか、矍鑠たる生き様だったようです。

 無学ながらも禅の思想に深く帰依していたため、元来世俗的な欲求と言うものが殆ど無かったようですが、狩野博幸氏が若冲のことを「江戸時代のオタク」と言い切っているのが興味深く、「オタク」もとことん極めれば「禅僧」の境地に至るのかなと、彼の作品を見て思ってしまった次第です(人付き合いが苦手で一時完全な隠遁生活に入ったこともあった一方、隠居後も商売の利権を巡る交渉事で駆け回らざるを得ないようなことはあったらしい)。

目をみはる伊藤若冲の「動植綵絵」01.jpg 若沖の作品を鑑賞するための本はムックも含め数多く刊行されており、先に挙げた「和樂」は'10年にも「若冲の衝撃」という特集をムックで組んでいますが、比較的入手し易いものとしては、同じく小学館の『目をみはる伊藤若冲の「動植綵絵」』('00年)がお薦めです。

 代表作「動植綵絵」に絞ったものですが、これだけでも30幅あり、しかも一幅一幅がリアルな細密画となっていて(鳥の絵が多い。その中でも特に多いのが鶏)、但し、細部のリアルさに対して全体のダイナミックな構図などは計算し尽くされたものとなっており、どこかモダンなイラストレーションをも思わせ、江戸時代の中期にこのような絵師がいたというのが不思議な気がしてきます。

 こちらも解説は狩野博幸氏で、10年間を費やして描かれたという30幅の絵の中に様々な意匠が凝らされていることを改めて認識しました。

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