【1816】 ◎ 森 炎 『死刑と正義 (2012/11 講談社現代新書) ★★★★☆

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「人の命を奪う自由」が裁判員という一般市民に委ねられたという現実を踏まえた良書。

死刑と正義 (講談社現代新書).jpg  『死刑と正義 (講談社現代新書)』['12年] 森 炎.png 森 炎 氏(略歴下記)

 極刑である「死刑」とは一体どのような基準で決まるかを元裁判官が考察した本で、近年の法廷では、凶悪事件において極刑でやむを得ないかどうかを判断する際に、「永山基準」というものが、裁判官だけでなく検察も弁護側も含め援用されていることは一般にも知られるところですが、この「永山基準」というのは、①犯罪の性質、②動機、計画性など、③犯行態様、執拗さ・残虐性など、④結果の重大さ、特に殺害被害者数、⑤遺族の被害感情、⑥社会的影響、⑦犯人の年齢、犯行時に未成年など、⑧前科、⑨犯行後の情状の9項目を考慮することだそうです。

 本書によれば、裁判員制度が始まる前の最近10年間(1999-2008)の死刑求刑刑事事件における死刑判決率は、「三人以上殺害」の場合は94%、「二人殺害」の場合は73%、「一人殺害」の場合は0.2%で(ここまでは、殺害被害者数が圧倒的な決め手になっていることが窺える)、「二人殺害」について更に見ると、金銭的目的がある場合は82%、金銭的目的が無い場合は52%であるそうですが、著者は、そもそも「永山基準」のような形式論理から「死刑」という結論を導き出して良いものか、という疑問を、共同体原理における正義とは何かといったような死刑制度の根源的(哲学的・道徳倫理学的・社会学的...etc.)意味合いを考察しつつ、読者に投げかけています。

 著者は死刑の意義(価値)を条件付きで肯定しているものの、価値化された死刑の議論を進めるにあたっては、その中に空間の差異というものがあるはずだとし、これを「死刑空間」と呼んで、①「市民生活と極限的犯罪の融合」(ある日、突然、家族が殺されたら)、②「大量殺人と社会的防衛」(秋葉原通り魔事件は死刑で終わりか)、③「永劫回帰する犯罪傾向」(殺人の前刑を終えてまた殺人をくりかえしたら)、④「閉じられた空間の重罪」(親族間や知人間の殺人に社会はどう対処すべきか)、⑤「金銭目的と犯行計画性の秩序」(身代金目的誘拐殺人は特別か)という5つの観点から、実際の凶悪事件とその裁判例を挙げて、人命の価値以外にどのような価値が加わったとき、死刑かそうではないかが分かれるかを示しています。

 しかし、その結論を導くには、これら5つの「死刑空間」ごとの事件の差異を見るだけでは十分ではなく、更に、「変形する死刑空間」として、A「被告人の恵まれない環境」、B「心の問題、心の闇と死刑」、C「少年という免罪符」、D「死刑の功利主義」という5つの視点を提起しています。

 5つの「死刑空間」はそれら同士で重なり合ったりすることもあり、更に、AからDの視点とも結びつくことがある―しかも、単に強弱・濃淡の問題ではなく、それぞれがそこに価値観が入り込む問題であるという、こうした複雑な位相の中で、死刑とすべき客観的要素を公正に導き出すことは、極めて困難であるように思いました(本書には、これまでの死刑判決の根拠の脆弱さや矛盾を解き明かし、最高裁判決を批判的に捉えている箇所もあったりする)。

 著者はこうした考察を通して、詰まるところ死刑の超越論的根拠はないとしていますが(多くの哲学者や思想家の名前が出てくるが、著者の考えに最も近いのはニーチェかも)、本書は、死刑廃止か死刑存置かということを超えて、そのことには敢えて踏み込まず、現実に死刑制度というものがあり、死刑は「正義」であり「善」であるという価値判断が成り立っているという前提のもと(但し、そこには"力の感情"が含まれているとしている)、今、従来は司法の権限であった「人の命を奪う自由」が裁判員という一般市民に委ねられたという現実を踏まえつつ本書を著していて、良質の啓蒙書とも言えます。

 裁判員制度がスタートして3年以上が経ち、この間、死刑判決は若干の増加傾向にあるようですが、犯罪及び死刑にこれだけの複雑な位相があるとすれば裁判官が悩むのは無理もなく、一方、市民裁判官である裁判員が、どこまでこの本に書かれているようなことを考察し、なおかつ、裁判官が提示する判断材料にただ従うのではなく、自らの価値判断を成し得るか、そもそも、裁判官がそれだけの「判断材料」を公正に裁判員に示しているのか、疑問も残るところです。

 最近、玉石混淆気味の講談社現代新書ですが、これは「玉」の部類の本。

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森炎(もり・ほのお) 
1959年東京都生まれ。東京大学法学部卒。東京地裁、大阪地裁などの裁判官を経て、現在、弁護士(東京弁護士会所属)。著書多数、近著に『司法殺人』(講談社)がある。

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