【1807】 ○ 伊坂 芳太良 『伊坂芳太良の世界 (イラストレーション・ナウ)』 (1974/07 立風書房) ★★★★

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「追悼集」的色合い。横尾忠則や宇野亜喜良と並んで60年代に活躍。早すぎた死が惜しまれる。

伊坂芳太良の世界.jpg(梱包サイズ(以下、同)28.2 x 21.8 x 2 cm) 伊坂芳太良.jpg 伊坂芳太良(1928 -1970/享年42)
伊坂芳太良の世界 (1974年) (イラストレーション・ナウ)』(ブックデザイン:浅葉克己)

伊坂芳太良の世界01.jpg 細密なペン描の線画や、和洋折衷のサイケデリック調が特徴の伊坂芳太良(いさか よしたろう、1928 -1970)の作品集で、この人(通称ペロ)、60年代に横尾忠則や宇野亜喜良らとともに活躍したイラストレーター兼グラフィック・デザイナーですが、今生きていたら、横尾忠則級の大御所になっていたのではないかと。

ペロ展図録.jpg 2年ほど前に渋谷で作品展を観に行ったことがありますが、また今月('12年10月)渋谷の「ポスターハリスギャラリー」で「伊坂芳太良ポスター展-60年代伝説の絵師ペロ」というのが開かれるようです。

 辿ってみると、'01年に「幻の絵師ペロ展」が新宿高島屋で開催されており、それからやや間があいて、'10年1~2月に青山ブックセンター内ギャラリーで「伊坂芳太良原画展」があったほか(自分が観たのはこれ)、'11年7月に原宿の「ペーターズ・ショップ・アンド・ギャラリー」で「伊坂芳太良原画展」、今年('12年)7月にも同じ場所で「Pero 伊坂芳太良原画展 タウンゼント館」というのが開かれていて、没後40年を経て、突然ブームが再燃したといった感じでしょうか。ただ、今回の作品展も、出展予定点数20点とのことで、場所の関係もあるのか、それほど多くの作品が観られるわけではないようです。

伊坂芳太良作品集成.jpg伊坂芳太良08.jpg その点、本書はある程度纏まった数(248点)のペロさんの作品が掲載されていて貴重で、当時絶大な人気を誇ったファッションブランド「エドワーズ」のポスターなどは懐かしいなあと(作品の半分はモノクロで掲載されているが)。

 但し、当然のことながら、その作品のすべてを載せているわけではなく、タイプライターの「オリベッティ」やTBSラジオ「ヤングタウン」などのシリーズ広告ものはその一部だけ。一方で、裸婦のデッサン習作などもあり、没後4年目に刊行されたということもあって、その仕事の全体像とその原点を探る「追悼集」の色合いが濃い作品集と言えます(因みに、'83年PARCO出版から刊行の『伊坂芳太良作品集成(PERO The Works of Isaka)』は446点収録。古書市場プレミア価格になっているみたい)。

伊坂 芳太良24.jpg 実際、イラストレーターの和田誠(1936年生まれ)、横尾忠則(1936年生まれ)、コピーライターの日暮真三(1944年生まれ)グラフィック・デザイナーの浅葉克己(1940年生まれ)など多くの人が追悼文を寄せていて、この人たちは皆、伊坂芳太良の後輩にあたるんだなあと。

 彼らの文章から、ペロさんが後輩から慕われていたことがよく分かり、更に、本人のエッセイや日記風の小文も掲載されていて、そこから売れっ子イラストレーターの仕事ぶりが分かるのが興味深いです。

伊坂芳太良の世界142.jpg 午前3時に明日の仕事の準備をして、朝9時半に起きて風呂に入った後朝食、11時に原宿の自宅を出て銀座のライトパブリシティへ―'68年頃の1日ですが、40歳にしてまだ広告会社に勤務していたとは知りませんでした(因みに8歳年下の和田誠氏もライトパブリシティの社員だったが、'68年に退職している)。

伊坂エドワーズ.bmp 42歳で亡くなっていますが、死因はクモ膜下出血で、打ち合わせ中に倒れ、5日後に亡くなっており、本書には当時の新聞記事も掲載されています。そこには「現代が追い詰めたイラストレーターの死」「あまりに売れすぎ―倒れても筆とる仕草」といった見出しが並んでいます。

 伊坂芳太良が「エドワーズ」の仕事で一躍脚光を浴びたのは亡くなる4年前のこと。日暮真三氏が、「あと5年生きていたら、伊坂芳太良は別の存在になっていたかもしれない」と書いていますが、確かにそうかも。早すぎた死が惜しまれます。

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