2012年10月 Archives

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沖ノ鳥島は「島」?「岩」? 竹島・北方四島などに関して歴史認識と現実対応を区別している。

日本の国境 新潮新書.jpg 『日本の国境 (新潮新書)』['05年]      山田 吉彦.bmp 山田 吉彦 氏(日本財団)

沖ノ鳥島 排他的経済水域.jpg 全4章構成の内の書第1章で、「海洋国家日本」の基礎知識を概説し、第2章で、著者自らが訪ねた国境の地として沖ノ鳥島、石垣島、大東諸島、根室・羅臼について述べ、第3章で領土紛争の焦点にある尖閣諸島、対馬、竹島、北方領土について述べるとともに、第4章で「日本の海」を守るにはどうすればよいかを考察しています。

沖ノ鳥島1.jpg 第1章を読むと、日本の国土面積は38万平方kmで世界59位であるのに対し、日本の排他的経済水域は447万平方kmで(接続水域を含む)、世界で6位であることが分かり、個人的には、これだけでも新知識として参考になりました。

 著者自身が訪ねた場所では、日本財団が調査団を送った際に著者自身が事務局を務めた、日本最南端の「沖ノ鳥島」に関する記述が、探検記風に最も詳しく書かれていて面白かったです(面白がっている場合ではないか?)

沖ノ鳥島2.jpg 沖ノ鳥島は東西4.5km、南北1.7km、周囲約10 kmの島ですが、高潮時には16cmだけ海上に頭を出すだけであり、但し、この「島」があることで日本は日本全体の排他的経済水域の約1割にあたる40万平方kmの水域を確保しているとのこと。

 仮にこの島が国際法によって「島」では無く「岩」であるとされれば、日本は40万平方kmの排他的経済水域を失うわけで、チタンネットを張って浸食等から防護していますが、満潮時になると直径何mかのその部分だけしか海上に姿を見せないため、これはやはり「岩」だはないかとの印象を抱かざるを得ず、むしろ「岩」を「島」として留めるために様々な検討がなされているといった印象を受けました。

 その他にこの章では、石垣島が、正式な国交の無い中国・台湾間の、中台貿易の中継点(クリアランス基地)となっていて、毎年かなりの入港税(トン税)収入があるといったことも興味深かったです(実際には入港せず、沖に停泊するクリアランス船と石垣税関との間を、船舶代理店の船が書類を持って往復するのだが)。

 領土問題の焦点となっている地域については、尖閣諸島が古来からの日本固有の領土であることを説明する一方で、「竹島」については、韓国の領有の主張が錯誤に基づくものであるとしながらも、実効支配されている今となっては「還らぬ島」になりつつあるとしています。

 北方領土についても、日本の領有主張の正当性を解説しつつも、北方四島からソ連に追い出された日本人が約8,000人なのに対し、現在、択捉・国後島には12,000人のロシア人が住み、市場経済下で生活していることを考えると単純に返還されるのは難しいとして、四島返還のステップ案を提示しています。

 日本財団所属ということで、もう少し強硬な主張かと思ったけれども、歴史認識はともかくとして、問題の最前線にいる人は、現実を見据えたうえでの対応を考えざるを得ないということなのでしょう。

 国民が自らの領土に関心を持つことが、領土防衛の第一歩であることを示唆した本でもあります。

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クルド人問題の入門書として定番的位置付け。映画「路」は重かった。

クルド人 もうひとつの中東問題es.jpg    路(みち)04.JPG  ギュネイ.jpg 
クルド人 もうひとつの中東問題 (集英社新書)』「映画パンフレット「路(みち)」監督 ユルマズ・ギュネイ 出演 タルック・アカン/シェリフ・セゼル/ハリル・エルギュン/メラル・オルホンソイ/ネジュメッティン・チュバンオウル/セムラ・ウチャル/ヒクメット・チェリク」ユルマズ・ギュネイ(Yilmaz Güney 1937-1984/享年47)

川上洋一.bmp 朝日新聞社の中東アフリカ総局長などを務めたベテラン記者の川上洋一氏(本書執筆時は既に新聞社を退職し大学教授)がクルド人問題について書いたもので、'02年の刊行ですが、その後最近まであまりこうしたクルド人にフォーカスした本がそう多く出されていなかったため、クルド人問題の入門書としては定番的位置付けになっているのではないでしょうか。

kurd-map.gif 本書によれば、「祖国なき最大の民」と言われるクルド人の居住地域(クルディスタン)は主にトルコ、イラン、イラクにまたがり、面積はフランス一国にも匹敵、人口は2500万人とも推定され、パレスチナ人約800万を大きく凌ぐとのことです。

地図出典:www.fuzita.org

 クルドの歴史を古代シュメールにまで遡り紹介していますが、クルド人の自治・独立活動が活発化したのは19世紀末以降であって、その後、第一次世界大戦によってオスマン・トルコ帝国が崩壊してから今日まで、国際政治のパワー・ゲームに翻弄されてきた経緯を特に詳しく書いており、この辺りは、根っからの大学教授(といってもどれぐらい研究者がいるのか)よりも、著者のような記者経験者の書くものの方が、より時事的な視点に沿った書き方になって、読む側としては良いのかも。

 オスマン・トルコ時代も「トルコ化」政策などの下で圧迫されていたわけですが、20世紀に入ってからの、トルコ、イラン、イラク三国による翻弄のされ方が哀しい―クルディスタンが紛争多発地域にまたがっているとうのが、ある意味、不幸の源なのでしょうが、それに大国の利権が絡んで、もうグジャグジャという感じ。

 但し、著者の視点は冷静で、幾多の自治・独立活動がの挫折をタ丹念に追うと共に、クルド人自身が、彼らの解放闘争の史上では部族主義になりがちで民族の統一が実現しない、外国依存に陥りやすい、というマイナス要因を持っているとしています。

 今後の見通しも示していますが、こうなると悲観的なものにならざるを得ない―トルコ、イラン、イラクの三国の何れにとってもクルド人国家の独立は脅威であって容認されざるものであり、強いて言えば、クルド寄りの政党、クルド人市長などがいるトルコに若干の光明が見えるといったところでしょうか(国会議員にも入り込んでいるが、これまで出自を明かしていないケースが殆ど。しかし、近年になって自らをクルド人と認める人が増えているようである)。

路(みち)05.JPG 本書を読んで思い出されるのは、クルド人であるユルマズ・ギュネイ(1937-1984)監督の映画「路<みち>」('82年/トルコ・スイス)でした(この人、元は二枚目俳優。反体制作家でもあり、獄中から代理監督を立てて映画を作っていた)。

 映画は、1980年秋、マルマラ海の小島の刑務所から5日間の仮出所を許された5人のクルド人の囚人を追っていますが、その内の一人は、故郷への帰途にある街で、軍による外出禁止令が出てしまっていて足止めを喰い、もう一人は仮出所許可証が見つからずに軍に拘留され、何れもなかなか故郷に辿りつけない。何とか故郷に辿りついた一人は、そこでクルド・ゲリラと憲兵隊との銃撃戦があり、兄が亡くなったこと知って、刑務所には戻らず自らゲリラとなって戦う道を選ぶ―。

 こうした政治的状況と併せて、クルド人の男女観や社会的因習などもが描かれており、フィアンセと再会した一人は、デートを親族から監視されることに嫌気がさして売春宿に駆け込みながら、フィアンセに対しては専制的に服従を要求し、また別の男は、妻の兄を死なせたのは自分に責任があると告白したばかりに村に居れなくなって、最後は妻の弟に射殺されてしまう―。

路(みち)06.JPG 最初の男がやっと故郷に戻ってみると、妻は彼が入獄中に売春した咎で実家に戻され鎖に繋がれていて、しかも、掟により家名を汚した妻を自ら殺さなければならず、彼は妻を背負って山中へ逃げるが、鎖で繋がれていた間パンと水しか与えられていなかった妻は、雪の中で衰弱死する―。

 兄を亡くしゲリラになることを決意した3番目の男には好きな娘がいたが、兄が死に独身の弟がいる場合は、弟は兄嫁と結婚しなければならないというクルドの因習を拒否できない―。

路(みち)07.JPG クルド人の圧政に対する不屈の精神と家族愛、男女愛を描く一方で、クルド人自らが、旧弊な因習により自らを縛っている面もあること如実に示した作品で、本国(クルド社会)内でも評価が割れたのではないかなあ。いや、そもそも、ギュネイ監督の作品は国内上映が禁止されているか(国際的にはカンヌ国際映画祭で最高賞であるパルム・ドールを受賞)。

 この作品も獄中から指揮して作ったもの。5人の顔が何となく似ているので(クルド人も皆トルコ髭を生やしている)、初めて観た時は途中で誰が誰だったか分からなくなったりもしたけれど、いろいろ考えさせられる重い映画には違いなく、監督の死が惜しまれます(撮影後、仮出所の際に脱走しフランスで映画を仕上げたが、その2年後に癌で死去)。

路 YOL 1982l5.jpgYol(1982).jpg「路<みち>」●原題:YOL●制作年:1982年●制作国:トルコ/スイス●監督・脚本:ユルマズ・ギュネイ●製作:エディ・ヒュプシュミット/K・L・プルディ●演出:シェリフ・ギョレン●撮影:エルドーアン・エンギン●音楽:セバスチャン・アルゴン/ケンダイ●時間:115分●出演:タルク・アカン/シェリフ・セゼル/ハリル・エルギュン/メラル・オルホンソイ/ネジュメッティン・チュバンオウル/セムラ・ウチャル/ヒクメット・チェリク●日本公開:1985/02●配給/フランス映画社●最初に観た場所:有楽町スバル座(85-10-27) (評価★★★★)
Yol(1982)

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解説が素人には難しいものが多かった。もう少し分かり易く書けるはず。

知っておきたい物理の疑問55.jpg日常の疑問を物理で解き明かす.jpg 『日常の疑問を物理で解き明かす 東京スカイツリーの展望台からどこまで見える?携帯電話をアルミホイルで包むとどうなる? (サイエンス・アイ新書)』['11年]

知っておきたい物理の疑問55―物理の基本知識を問う「疑問中の疑問」 (ブルーバックス)』['11年]

 先に『日常の疑問を物理で解き明かす』('11年/サイエンス・アイ新書)を読んで、「日常の疑問」と言っても、実験室の中で起きることに限定されるものが幾つかあるなあとは思いましたが、こちらはブルーバックスということもあって、「物理の基本知識を問う」としながらも、より専門的なのかなあと。

 読んでみたらやはりそうで、個々には面白かったQ&Aが少なからずありましたが、全体としては素人には分かりにくかったものも多かったように思いました。高校生から寄せられた疑問、と言っても、その高校生にかなりレベル差があるよね(どうやら、高校の物理部のレベルらしい...)。

 それにしても、例えばQ13の「エレベーターが下り始めるとフワッとするのはなぜか」で、「質量mのAくんが、加速度aで下降するエレべーターで下降するとき、Aくんがエレベーターの床に及ばす力はm(g-a)で...動き始める前ではmgであったので...」といった具合に、いきなり数式から説明し始めるのもどうかと。

 Amazon.comのレビューを見たら、回答の仕方が良くない、というのもありましたが、確かにそうかも。質問に対して答えをズバッと言わず、前フリの解説ばかりが長く(Q15「リニアモーターカーの最高速度はどのくらいですか」などは、確かに「581km/hです」って先に書けばいいのに)、しかもその中で専門用語が何の解説もなく出てくる―といったものが幾つかありました。

 編者は「日本物理学会」で、結局、各分野の専門家の共著になるわけですが、ノーベル賞物理学者の益川敏英氏から推薦の言葉を取り付けるのも別にいいけれど、内容のチェック(分かり易さのチェック、回答のレベル揃え)もしっかりとやって欲しかったように思います。

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「追悼集」的色合い。横尾忠則や宇野亜喜良と並んで60年代に活躍。早すぎた死が惜しまれる。

伊坂芳太良の世界.jpg(梱包サイズ(以下、同)28.2 x 21.8 x 2 cm) 伊坂芳太良.jpg 伊坂芳太良(1928 -1970/享年42)
伊坂芳太良の世界 (1974年) (イラストレーション・ナウ)』(ブックデザイン:浅葉克己)

伊坂芳太良の世界01.jpg 細密なペン描の線画や、和洋折衷のサイケデリック調が特徴の伊坂芳太良(いさか よしたろう、1928 -1970)の作品集で、この人(通称ペロ)、60年代に横尾忠則や宇野亜喜良らとともに活躍したイラストレーター兼グラフィック・デザイナーですが、今生きていたら、横尾忠則級の大御所になっていたのではないかと。

ペロ展図録.jpg 2年ほど前に渋谷で作品展を観に行ったことがありますが、また今月('12年10月)渋谷の「ポスターハリスギャラリー」で「伊坂芳太良ポスター展-60年代伝説の絵師ペロ」というのが開かれるようです。

 辿ってみると、'01年に「幻の絵師ペロ展」が新宿高島屋で開催されており、それからやや間があいて、'10年1~2月に青山ブックセンター内ギャラリーで「伊坂芳太良原画展」があったほか(自分が観たのはこれ)、'11年7月に原宿の「ペーターズ・ショップ・アンド・ギャラリー」で「伊坂芳太良原画展」、今年('12年)7月にも同じ場所で「Pero 伊坂芳太良原画展 タウンゼント館」というのが開かれていて、没後40年を経て、突然ブームが再燃したといった感じでしょうか。ただ、今回の作品展も、出展予定点数20点とのことで、場所の関係もあるのか、それほど多くの作品が観られるわけではないようです。

伊坂芳太良作品集成.jpg伊坂芳太良08.jpg その点、本書はある程度纏まった数(248点)のペロさんの作品が掲載されていて貴重で、当時絶大な人気を誇ったファッションブランド「エドワーズ」のポスターなどは懐かしいなあと(作品の半分はモノクロで掲載されているが)。

 但し、当然のことながら、その作品のすべてを載せているわけではなく、タイプライターの「オリベッティ」やTBSラジオ「ヤングタウン」などのシリーズ広告ものはその一部だけ。一方で、裸婦のデッサン習作などもあり、没後4年目に刊行されたということもあって、その仕事の全体像とその原点を探る「追悼集」の色合いが濃い作品集と言えます(因みに、'83年PARCO出版から刊行の『伊坂芳太良作品集成(PERO The Works of Isaka)』は446点収録。古書市場プレミア価格になっているみたい)。

伊坂 芳太良24.jpg 実際、イラストレーターの和田誠(1936年生まれ)、横尾忠則(1936年生まれ)、コピーライターの日暮真三(1944年生まれ)グラフィック・デザイナーの浅葉克己(1940年生まれ)など多くの人が追悼文を寄せていて、この人たちは皆、伊坂芳太良の後輩にあたるんだなあと。

 彼らの文章から、ペロさんが後輩から慕われていたことがよく分かり、更に、本人のエッセイや日記風の小文も掲載されていて、そこから売れっ子イラストレーターの仕事ぶりが分かるのが興味深いです。

伊坂芳太良の世界142.jpg 午前3時に明日の仕事の準備をして、朝9時半に起きて風呂に入った後朝食、11時に原宿の自宅を出て銀座のライトパブリシティへ―'68年頃の1日ですが、40歳にしてまだ広告会社に勤務していたとは知りませんでした(因みに8歳年下の和田誠氏もライトパブリシティの社員だったが、'68年に退職している)。

伊坂エドワーズ.bmp 42歳で亡くなっていますが、死因はクモ膜下出血で、打ち合わせ中に倒れ、5日後に亡くなっており、本書には当時の新聞記事も掲載されています。そこには「現代が追い詰めたイラストレーターの死」「あまりに売れすぎ―倒れても筆とる仕草」といった見出しが並んでいます。

 伊坂芳太良が「エドワーズ」の仕事で一躍脚光を浴びたのは亡くなる4年前のこと。日暮真三氏が、「あと5年生きていたら、伊坂芳太良は別の存在になっていたかもしれない」と書いていますが、確かにそうかも。早すぎた死が惜しまれます。

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構成のダイナミズムと細部の描写の精緻さ、湧き上がってくるような情念。

伊藤彦造イラストレーション.jpg(29.6 x 22.6 x 1.8 cm)  伊藤彦造イラストレーション 旧.jpg
伊藤彦造イラストレーション 〔新装版〕』['06年]『伊藤彦造イラストレーション』['99年/A&Aパブリッシング]

伊藤彦造イラストレーション43.jpg 画家・伊藤彦造(1904 - 2004/享年100)のイラスト集で、'99年に刊行されたものの「新装・増補版」。伊藤彦造の作品に関しては、とりわけ剣戟モノの挿絵画が知られていますが、構成のダイナミズムと細部の描写の精緻さ、そして湧き上がってくるような情念は、このジャンルでは群を抜いていると言っていいのでは。

「天兵童子」(吉川英治原作、「少年倶楽部」昭和12~14年)

 伊藤一刀斉の末裔の生まれですが(ゆえに剣戟シーンの絵にはこだわりを感じる)、幼少時は虚弱だったそうで、「大人になるまで生きることはできない」と言われたそうな。それが100歳まで生きたわけで、やはり手先を使う仕事をする人は長生きするのかなとも思いましたが、絵の仕事そのものは65歳ぐらいで引退しています(これぐらいの細密度になると、年齢的に描ける限界があるのも無理ないか)。

伊藤彦造イラストレーション70.jpg伊藤彦造イラストレーション 3.jpg 解説の中村圭子氏は彼の絵を「被虐のエロス」という言葉で表していますが、子供時代には拒食的自虐の性向があり、自らを徹底的に飢えさせ、飢えを糧に闘志を高めていくタイプだったらしく、そうしたものが、彼の絵の醸す情念に繋がっているのではないかと。短剣を携え、自らの肉体に刃をあて、絵具皿に血を溜める―なんてこともしていたらしいです。

 大人になってから剣術を実技面で一層探求した結果、その道に秀でるところとなり、剣術師範にまでなったということで、中村圭子氏は、同じく少年時代から病弱で成人してから肉体を鍛えた三島由紀夫を想起すると書いていますが、確かに似てるね、「美剣士」の絵からはホモセクシュアルな匂いが感じられるし、伊藤彦造自身も「憂国の士」であったし(終戦時には戦犯容疑がかけられ、絵はGHQによって一時発禁になっている)。

伊藤彦造イラストレーション51.jpg 本書の旧版刊行時には存命していましたが、それでも引退して30年経っており、結構"昔の人"というイメージがあったものの、本書によれば、昭和初年代から10年代の「少年倶楽部」「キング」などで活躍した時代を経て、昭和20年代の「少年画報」時代、更に昭和30年代の学年雑誌時代を経て、40年代前半の名作文学の挿絵までと、その時々の時代の要請に沿って何度も復活を遂げ、洋モノなども含め、広いジャンルで活躍していたのだなあと。

「魔粧仏身」(吉川英治原作、「キング」昭和12~14年)

 昭和30年代の"学年雑誌"時代とは、小学館の「小学○年生」といった雑誌に挿絵を描いていたもので、う~ん、当時、こんな古風な挿絵、あったかなあ。リアルタイムで見た記憶が無いけれど、主に昭和30年代前半かな。今の時代の感覚からすると、小学生の読む雑誌に載せるにしてはかなり"情念の濃い"絵もあります(線画にしてこの"濃さ"―というのがこの人の魅力なんだけど)。

吉川英治『萬花地獄』(昭和2年)挿画
伊藤彦造3.bmp伊藤彦造画集.jpg伊藤彦造名画集.jpg
伊藤彦造画集 (1974年)』[講談社/150p]/『伊藤彦造名画集―憂国画家の入魂世界』['85年/講談社/48p]

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