【1787】 ○ 森田 洋司 『いじめとは何か―教室の問題、社会の問題』 (2010/07 中公新書) ★★★★

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国際的に普遍か。いじめには四者のプレーヤーがいる。「イタリアの懲罰事件」は興味深い事例。

森田 洋司 『いじめとは何か』.jpgいじめとは何か―教室の問題、社会の問題(中公新書)』['10年] 森田 洋司.png 森田洋司 氏(略歴下記)

大津市中学生いじめ自殺事件.jpg 昨年('11年)10月、滋賀県大津市で市立中学2年の少年が自殺した事件が、今年になって事件の概要が明るみに出て日本中が心を痛めていますが、加害者側の少年たちやその保護者らの無反省な態度や、責任逃れの発言を続ける学校側や教育委員会の対応に、国民感情は悲しみかが怒りに変化しつつあるといった様相でしょうか。確かに、大津市教育長の一連の記者会見、学校長もそうですが、この市教育長の自らの責任の回避ぶりは目に余ってひどいあなと。これで責任をとって辞めるでもなく、任期満了まで教育長の座に居座り続けるつもりのようですが。

鹿川裕史君自殺事件.png 本書によれば、日本でいじめ問題が最初に社会問題化したのは80年代半ばで、特に'85年は14名がいじめによって自殺したとされ、翌年'86年には、この時期の代表的ないじめ事例として知られる「葬式ごっこ」による鹿川裕史君自殺事件が発生しています。

 一方、本書によれば、世界で初めて子どもたちの「いじめ」問題に気付き、研究を始めたのはスウェーデンの学校医ハイネマンだとされ、60年代から70年代のことで、それがノルウェーとデンマークでも関心を呼び(ノルウェーでは'82年に3人の少年が同一加害者グループのいじめにより相次いで自殺する事件が発生し、社会問題化した。日本とノルウェーはいじめ問題の先進国だそうだ)、更にいじめ問題への関心はイギリスに飛び火し、90年代半ばにヨーロッパ全域に広がる一方、その頃アメリカでもいじめ自殺が多発して、重大な社会問題とみなされるようになったとのこと('99年に発生した、多くの生徒が犠牲になったコロンバイン高校銃撃事件は、背景にいじめがあったとされている)、本書ではそういたいじめ問題に対する各国の対応と日本のそれを国際比較的に解説していますが、結局、いじめ問題というのは国際的に一定の普遍性を有するものなのだなあと。

大河内清輝君自殺事件.jpg 日本では1994年に、愛知県の大河内清輝君自殺事件を契機に、いじめによる深刻な被害が再びクローズアップされ、社会問題化するという「第二の波」が訪れ、更に、2005年、2006年にいじめ自殺が相次いで「第三の波」が発生したとのこと。本書では、そうした「波」ごとの国や社会の対応を社会学的見地も交え分析していますが、そこからは、理想と現実のギャップが窺えるように個人的には思いました(現実が理想通りに運べば、第二、第三の波、或いは今回の(第四の波を起こしている?)大津市の事件のようなことは起きないはず)。

大河内清輝君自殺事件で鹿川裕史君の父親・鹿川雅弘氏(青少年育成連合会副理事長)が大河内家を弔問(1994) 

 日本におけるいじめ問題への対応は、全体を通して一つの流れとして、加害者側の行為責任を問うべきとする意見が早くからあったにも関わらず、大河内清輝君の事件ぐらいまでは、報道も被害者の状況に向けられ、2000年代になってやっと「社会的責任能力」の育成や「学校の抱え込み」の問題などが具体的に検討されるに至っているようです。

 こうした流れで見ると、今回の大津市の事件は、被害者の氏名は伏され、一方、アクシデントによるものとは言え、加害者側の氏名はネットに流出し、バッシング現象を引き起こしていて、国民感情がこの流れを先取りしている観はあります。

 本書後半は、いじめとは何かを社会学的に分析し(著者の専門は教育社会学、犯罪社会学、社会病理学。評論的な発言をする社会学者と違って、「いじめ問題」が専門の学者と言える)、その解決の糸口を探っていますが、内外の研究者の見解や諸外国の取り組みなども紹介しながら中立・客観的立場で論を進めており、同じ中公新書に池田由子氏の『児童虐待―ゆがんだ親子関係』('87年)という「児童虐待」に関する準古典的テキストがありますが、本書は「いじめ問題」において同様なポジショニングを占める本であると言えるかもしれません(共に中公新書らしいかっちりした内容)。


 本書によれば、いじめにおいては「加害者」「被害者」「傍観者」「観衆」の四者のプレーヤーがいて、「傍観者」は見て見ぬふりをする者で、「観衆」は面白がって観ている者であり、ここに「仲裁者」が出てくれば「被害者」は救われるが、「傍観者」や「観衆」は、「仲裁者」が出にくい環境を作ったり、「加害者」を容認したりすることがあり、かなり影響力を持つとのことです。

 また、いじめを見て見ぬふりする「傍観者」は、ヨーロッパの国々でも日本と同じように小学校の学年が上がるごとに増え続けますが、中1・中2あたりを境にして減り始め、いじめの仲裁しようとする「仲裁者」が増え始めるのに対し、日本では中学生になっても、一貫して「仲裁者」は減り続け、「傍観者」が増えつづける傾向があるとのことです。


 紹介されている海外の事例の中に、新聞記事(日経)からの引用ですが「イタリアの懲罰事件」というのがあって、イタリアで2006年に子どもの自殺を契機にいじめが社会問題化する中、中学校で同級生の男子生徒を「ゲイ」呼ばわりして男子トイレに入れさせなかった生徒に、罰として「僕は馬鹿だ」とノートに100回書かせた女性教員を、父親が「過剰懲罰」だと告訴、2万5000ユーロの賠償請求をしたのに対し、検察庁は教員に懲役2ヵ月を求刑したが、裁判所は無罪の判決を下したとのこと。

 この時イタリアの新聞には「親に『私は馬鹿だ』と一万回書かせろ」「この親にしてこの子あり」という教員に同情的な投書が相次いだとのことで、著者は、「保護者は養育の第一義的責任を負う主体であると、社会から常に期待されている」「教師へ無罪判決が下されたのは、教師の責任と主体性を尊重する判決が示されたことを意味する」としています。

 著者は、事件には固有の背景があり、そのまま一般化するには慎重を要すとしながらも、「権限と義務、さらに責任についての意識が希薄になりがちな日本の教育現場にとっては、参考にすべき点が多い」としていますが、今回の大津市の事件を通して見ると、まさにその通りだと言える、興味深い事例のように思いました。

大津いじめ・民事訴訟第2回口頭弁論.png

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森田洋司(1941年8月7日- )社会学者、大阪市立大学名誉教授。専門は社会学(教育社会学、犯罪社会学、社会病理学、生徒指導論)、特にいじめ問題。日本生徒指導学会会長、日本社会病理学会会長、日本被害者学会理事。

《読書MEMO》
●大津市中2いじめ自殺事件、元同級生の加害者2人に約3,700万円の賠償命令(2019年2月19日Yahoo!ニュース)
大津市中2いじめ自殺事件1.jpg大津市中2いじめ自殺事件2.jpg 2011年10月に大津市の市立中2年の男子生徒=当時(13)=が自殺したのはいじめが原因だとして、遺族が加害者側の元同級生3人と保護者に慰謝料など計約3,850万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、大津地裁(西岡繁靖裁判長)は19日「いじめが自殺の原因になった」と判断し、元同級生2人に請求のほぼ全額となる計約3,750万円の支払いを命じた。

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森田洋司(もりた・ようじ=鳴門教育大特任教授、大阪樟蔭女子大元学長、大阪市立大名誉教授)2019年12月31日、多臓器不全で死去、78歳。日本生徒指導学会会長のほか、14年から文部科学省「いじめ防止対策協議会」座長、19年から同省「学校における携帯電話の取扱い等に関する有識者会議」座長。

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This page contains a single entry by wada published on 2012年8月 8日 02:30.

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