【1773】 ○ 朝日新聞社 『'64 東京オリンピック (1964/12 朝日新聞社) ★★★★ (○ 市川 昆 「東京オリンピック (1965/03 東宝) ★★★★)

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あくまで写真主体の「写真集」。開会式の場面で何だかじ~んとくる「映画」。

'64 東京オリンピック 朝日新聞社.jpg     映画パンフレット 「東京オリンピック」.jpg 東京オリンピック vhs.jpg  
'64東京オリンピック (1964年)』/映画「東京オリンピック」(パンフレット/VHS①②)

3『'64 東京オリンピック』.png東京オリンピック3.JPG 東京オリンピックの終了後、比較的早期に出された写真集で、当時の定価で2800円ですが、相当部数印刷されたせいか、古書市場で比較的廉価で入手できます。
東京オリンピック5.JPG 東京オリンピック7.JPG カラー写真とモノクロ写真が交互に出てきて、大判で迫力がありますが、キャプションは簡潔にとどめ、あくまで写真主体であるのがいいです。
『'64 東京オリンピック』10.png東京オリンピック8.JPG それにしても懐かしいね。日本人選手も、重量挙げの三宅義信やレスリングの渡辺長武、体操の遠藤幸雄、そして女子バレーボールと多くの選手が活躍したけれども、やはり世界にはすごい選手がいるものだと思い知った大会でした。
『'64 東京オリンピック』11.jpg12『'64 東京オリンピック』.png 陸上男子100メートルのボブ・ヘイズ、マラソンのビキラ・アベベ、水泳のドン・ショランダー、体操のベラ・チャフラフシカ、柔道のアントン・へ―シング、ややマニアックなところでは、重量挙げのジャボチンスキーや女子砲丸投げのタマラ・プレスなんていう選手が印象に残っています。

東京オリンピック4.JPG 日本選手で印象深いのは、やはりマラソンの円谷幸吉選手(1万メートルでも6位に入賞していたんだなあ)で、この人の写真を見るたびにその「遺書」を思い出してしまいます。

依田郁子-Ikuko_Yoda_1964.jpg 女子80メートルハードルの依田郁子選手も、スタート前のウォーミングアップでトンボ返りをするなど印象的でしたが、この人も'83年に自殺しています(柔道重量級の金メダリストの猪熊功選手も2001年に自刃により自殺している)。人気度という点では水泳の木原光知子選手などもいました(愛称ミミ。この人も2007年に突然のように亡くなったなあ)。

依田郁子(1964)

田中聡子.jpg 巻末の競技別成績一覧を見ると、水泳の男子200メートル背泳の福島滋雄選手とか女子100メートル背泳の田中聡子選手とか、メダルまであと一歩だった選手もいて、田中聡子選手は日本新記録を出しながらも4位、福島滋雄選手は3位の選手と10分の1秒差―その悔しさは測り知れません(但し、田中聡子選手は東京五輪の前のローマ五輪で銅メダルを獲得し、日本では前畑秀子以来二人目の女子競泳メダリストとなっていた)(彼女は、2012年と2017年、マスターズ水泳の世界大会と国内大会で100m背泳ぎの世界記録をつくっている)

東京オリンピック  市川昆.png この大会の公式記録映画である市川昆(1915-2008/享年92)監督の「東京オリンピック」('65年/東宝)では、試合前の選手の悲愴感すら漂う緊張ぶりや、脱落したり敗者となった選手の表情(田中聡子選手のように惜しくもメダルに届かなかった選手のレース直後の様子なども含め)にもスポットを当てており、選手の心情を描くことを重視したドラマ性の高いものとなっていました。

千代田映画劇場 東京オリンピック.jpg この作品は当時750万人の一般観客と、学校動員による1,600万人の児童生徒の、合計で2,350万人が観たとのことで(ギネスブック日本版)、宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」('01年/東宝)が '01年に観客動員数2,350万人を達成したそうですが、国民の広い層が観たという意味ではいい勝負と言うか、「東京オリンピック」の方が上かもしれません。

「東京オリンピック」('65年/東宝)封切時(千代田映画劇場)「SUISHI'S PHOTO」中塚浩氏撮影
 
市川 崑 「東京オリンピック」開会式.jpg 聖火リレーや開会式の様子をしっかりと撮っていて、観ていて約半世紀前の記憶が甦ってくるとともに、当時の日本国民の熱狂ぶりを改めて感じとることができま④古関 裕而.jpgす。古関裕而作曲の「東京オリンピックマーチ」ってやはりいい。開会式の選手入場行進などの場面を観ていてじ~んと胸にくるのは自分の年齢のせいでしょうか。映画からは、編集した映像に合わせて後から音楽や選手の靴音などの効果音を入れていることが窺えますが。

東京オリンピック』を撮影中の市川崑監督.bmp 当初、黒澤明が監督をする予定だったものが予算面で折り合わず、新藤兼人、今村昌平など何人かの有名監督が候補に挙がった中で、最後にお鉢が廻ってきたのが、スポーツはプロ野球観戦ぐらいしか興味の無かった市川昆監督でした。

市川 昆 「東京オリンピック」望遠カメラ.jpg でも、経費的な制約条件の中、超望遠カメラを多数使用し、人海戦術で各競技の様子を撮ることに予算を集中投下した市川監督の手法は"当たり"だったのではないでしょうか。興行面だけでなく、質的にも、市川昆監督自身の代表作と言えるものと思います。

市川 崑 「東京オリンピック」バレーボール.jpg 最終的には制作費3.5億円と、やっぱり予算オーバーになったみたいですが、興行収入はそれを大きく上回る12億円超。予算オーバーは、監督自身が当初2時間半程度に纏めるつもりでいたのが、協会側から3時間程度に、という要請があったことも関係しているのでは。

 '04年(平成16)年にオリンピック開催40周年を記念して発売されたDVDでは、市川昆監督自身が再編集したディレクターズカットが劇場公開版と併せ収録されていますが、こちらは劇場公開版より22分短い148分となっています(VHS版は劇場公開版と同じ170分)。

市川 崑 「東京オリンピック」ハードル.jpg 内容的には当時、記録性に乏しいとの批判もあり(オリンピック担当大臣だった河野一郎が「作り直せ」とイチャモンをつけたのは有名)、「記録が芸術か」という議論にまで発展したようですが、ドキュメンタリーというのは必ずフィクションの要素が入るものではないかなあ(この作品については「脚本」に市川崑、和田夏十の他に、白坂依志夫や谷川俊太郎が名を連ねており、映画のエンリーフェンシュタール.jpgディングロールには安岡章太郎などの名も見られる)。因みに、1936年のベルリンオリンピックの記録映画「オリンピア」('38年)(日本では「民族の祭典」および「美の祭典」として公開)を監督したレニ・リーフェンシュタール(1902-2003)も厳密な意味でのドキュメンタリー作品であることにはこだわらず、創作的・芸術的要素をふんだんに作品の織り込んでいて、市川崑監督の「東京オリンピック」はこのレニ・リーフェンシュタールの作品の影響を強く受けているとも言われています。

市川崑 オリンピック.jpg ディレクターズカット版では、そうした批評を受けてか、劇場版で休憩時間を経ての後半の冒頭に出てくる、独立して間もないアフリカのチャドから来た選手のエピソードなどが割愛されているようです。この選手、映画の中では母国の何百とある方言のうちの1つを話す、とされていますが、市川昆監督自身が後のインタヴューで、実はフランス語がペラペラの"近代青年"であったことを明かしており、さすがにここは"作り過ぎた"との意識が監督自身にもあったのでしょうか(この人の弱点は、和田夏十の脚本をすんなり受け容れすぎてしまうことにあったのではないか)。

ドイツは合同チームとして参加 東京オリンピック.jpg 当時、東西に分かれていたドイツは合同チームとして参加し(但し、団体種目では表向き東西統一ドイツという名称であっても、実際には東ドイツもしくは西ドイツどちらかのチームだった)、「ドイツ」が金メダルをとると国歌の代わりにベートーヴェンの第九交響曲「歓喜の歌」が流されるなどしました。オリンピックはこの頃が一番「平和の祭典」に近かったのかもしれません。ただ、オリンピックに政治を持ち込まないと言っても、これもまた政治の影響であることには違いなく、その辺りが難しいところかもしれません。

ブラックパワー・サリュート.jpg オリンピックを巡る様々なエピソードで個人的に印相深いものの1つに、東京オリンピックの4年後に行われた1968年メキシコシティオリンピックで、男子200mの表彰台での「ブラックパワー・サリュート」があり、あれなども「政治」的行為かもしれませんが、彼らにはそうした行為をするに至る切実な思いがあったわけで、非常に複雑な問題だと思います。表彰台で拳を掲げた米国の金メダリストのトミー・スミス(中央)と銅メダリストのジョン・カーロス(右)に賛同して、銀メダリストのオーストラリアのピーター・ノーマンも彼らと同じく、前年に彼らが設立したOPHR(人権を求めるオリンピック・プロジェクト)のバッジを咄嗟に着け、彼らの行為に賛同の意を表しました。スミスとカーロスが帰国後バッシングに会い、カーロスなどは100ヤード世界タイ記録を出しながら二度とオリンピック代表に選ばれなかったのと同様、ノーマンもメキシコ五輪以降も国内トップ級アスリートであったあったにも関わらず二度と五輪代表に選ばれることノーマン葬儀.jpgはありませんでした(米国が黒人問題を抱えるのと同様、オーストラリアはアボリジニ問題を抱えていた)。ノーマンをは2006年に死去し、葬儀ではスミスとカーロスが棺側付添い人を務スミスとカーロスの像.jpgめています。また、2005年、カリフォルニア州立大学サンノゼ校は、卒業生であるスミスとカーロスの抗議行動を賞賛し、20フィートの銅像を建立していますが、この像にはノーマンの姿はありません。これには経緯があり、当初は今あるようにスミスとカーロスだけを像にする予定だったのが、本人たちがノーマンを加えないならば像は立てないでくれと反対、ところがノーマン本人の方から像に自分を加えないで欲しいとの申し出があったとのこと。ノーマン曰く、「誰でも僕の代わりにそこに立ち、記念写真を撮ることができるじゃないか」ということだったようですが、「その場所には誰でも立つことが出来る」という象徴的な意味に繋がるこのノーマンの意向には偉いなあと思わされます。

東京オリンピック 市川昆.bmp東京オリンピックdvd.jpg13『'64 東京オリンピック』.png「東京オリンピック」●制作年:1965 年●監督:市川昆●製作:東京オリンピック映画協会●脚本:市川崑/和田夏十/白坂依志夫/谷川俊太郎●撮影:林田重男/宮川一夫/中村謹司/田中正●音楽:黛敏郎●ナレーター:三國一朗●時間:170分●公開:1965/03●配給:東宝(評価:★★★★)東京オリンピック [DVD]
1964 東京オリンピックポスター デザイン:亀倉雄策
1964 東京オリンピック 亀倉雄策.jpg

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This page contains a single entry by wada published on 2012年7月15日 18:13.

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