【1770】 ◎ 上田 真理子 『脳梗塞からの"再生"―免疫学者・多田富雄の闘い』 (2010/07 文藝春秋) ★★★★☆

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番組制作の"メタ・ドキュメント"。取材者と取材される側という枠を超え、師弟関係のようになっていくのが興味深い。

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脳梗塞からの"再生"―免疫学者・多田富雄の闘い』NHKスペシャル「脳梗塞からの"再生"〜免疫学者・多田富雄の闘い〜」より(2005.12.4)

 世界的な免疫学者・多田富雄(1934-2010.4.21)は、'01年に旅先の金沢で脳梗塞に見舞われ、数日間死線を彷徨った後に生還したものの、後遺症によって発語機能が奪われるとともに右半身不随になり、突然に不自由な生活を強いられるようになりますが、その闘病の記録は、'05年にNHKスペシャル「脳梗塞からの"再生"〜免疫学者・多田富雄の闘い〜」として放映され、自分自身この番組を見て、トーキングエイド(音声機能付パソコン)でしか意思疎通できない多田氏のリハビリ並びに闘病生活の凄まじさに驚かされた記憶があります。

リハビリに励む多田富雄氏.jpg 本書は、そのドキュメンタリー番組を担当した女性ディレクターが("Nスぺ"のテーマって局内公募で決まるんだなあ)、番組並びに多田氏が自ら綴った闘病手記「鈍重な巨人」を補足するかたちで書いた取材記であり、'05年に約半年に渡って行われた番組制作のための取材を軸に構成された"メタ・ドキュメント"となっています。

寡黙なる巨人.jpg 多田氏自身の闘病手記は『寡黙なる巨人』('07年/集英社)として刊行され、'08年度の「小林秀雄賞」を受賞しており、個人的にも読んで感銘を受けましたが、その多田氏を取材する側から書かれた本書は、また違った角度から多田氏の闘病ぶりやその人柄を伝えるものであり、更に、番組制作の背景にこんなこともあったのかなどとこれまで知らなかった出来事がいろいろ書かれていて、そうした点からも関心と感動を持って読み進めることができました。

 当初、取材する側から見て多田氏が「演技」しているように見えたということで、これはドキュメンタリーを撮る側からすると望ましいことではないと思われたものの、取材を進めるうちに、それらの一見カメラサービス的な行動も含め、すべて自分の生きざまをそのまま曝け出そうとする多田氏の思いの表れであったことに著者の考えが行きついたとのことで、そうした転機を経て、著者の多田氏への取材は奥深いものとなっていきます。

 取材の過程での著者の質問等に対する対応も丁寧で、ただ丁寧であるだけでなく、多田氏の方から著者に、より突っ込んだ主観的な疑問をぶつけてくることを求めているような感じで、そこには、単なる取材される側と取材者やインタビュアーという枠を超えて、師弟のような関係が生まれているようにも感じられました(この点でも著者は、取材者は客観的な観察者であるべきという考えを途中から改め、どんどん自分の率直な疑問を多田氏にぶつけていくことになる)。

 脳梗塞の後遺症に加えて前立腺がんをも発症した多田氏は、取材期間中に睾丸の摘出手術を受け、さらにガンの転移が懸念されるなど絶望的な状況に陥るものの、それでも「歩き続けて果てに熄(や)む」との信念のもとリハビリを続けますが、それは、リハビリが多田氏にとって人間の尊厳を回復する営みであったためです。

 そうした強い信念を多田氏が持ち続けることが出来た背後には、医師である式江夫人の支えがあったことが本書から窺え、但し、そこには一般にイメージされがちな悲愴感は無く、ユーモアに満ちた会話が遣り取りされていて、多田氏は病を得る以前は"超"亭主関白であったあったとのことですが、半身不随となってから、対等な暖かい夫婦の関係が新たに形成されたことも窺えました。

 それにしても、半身不随となり、話すことも書くこともままならい状態になってからの方が創作意欲が増したというのはスゴイことで、実際、先に挙げた『寡黙なる巨人』をはじめ何冊もの著書を上梓していて、そればかりでなく、介護問題などに対する社会的発言を積極的に行い、且つ、研究生活においては引き続き後進の指導に当たるという―このエネルギーはどこからくるのか。

 本書は、「知の巨人」と言われた多田氏の"素"の部分をふんだんに見せながらも、そのことによって更に多田富雄という人間の大きさを伝えるものになっているようにも感じました。

小林秀雄賞を受賞し、記者会見する多田富雄.bmp 本書の原稿にも多田氏は目を通し、「NEK的スタイルにとらわれるな」と著者にアドバイスし、亡くなる前月に訪れた際には「ヤメル トモダチノ キロクデ イインデス」とトーキングエイに打ち込んだということであり、また、亡くなる10日前にも東大でトーキングエイドを使って講演し、この時にはすでに肺に癌性胸水が溜まって息をするのも辛かったはずであるにも関わらず、講演会が終了した後の打ち上げにも顔を出してスタッフを労ったということです。

 こんな人、これからはそう簡単に現れないだろうなあ。

小林秀雄賞を受賞し、記者会見する多田富雄氏(2008/08/28)【共同通信】

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