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「●捕鯨問題」の インデックッスへ
今となっては貴重なマッコウクジラ解体の写真。捕鯨論争の中、「事実は事実」の記録として...。
『クジラ解体』(31 x 22.2 x 2.8 cm) 装丁・レイアウト:和田 誠
今となっては珍しい港でのクジラ解体の模様や、かつてクジラ漁が盛んであった地の、その「文化」「伝統」の名残をフィルムに収めた写真集です(昔、捕鯨船の甲板でクジラの解体をしている写真が教科書に載っていたような記憶があるのだが...。鯨肉の竜田揚げは学校給食の定番メニューでもあったし、鯨(鮫?)の肝油ドロップなんていうのもあった)。
この写真集にある写真の内、クジラ解体の様子そのものを撮ったものは、1986年に房総の和田浦港で撮られたマッコウクジラの解体の模様と、2010年に宮城県の鮎川港で撮られたツチクジラの解体の模様のそれぞれ一連の写真群で、やはりこの両写真群が迫力あります。
とりわけ、和田浦港のマッコウクジラの解体の様子は大型のクジラであるだけに圧巻で、'86年当時、写真家は、近々マッコウクジラは大型捕鯨の規制対象となると聞き、今のうちに撮らねばとの思いから撮影したとのことですが、その後の反捕鯨運動の高まりで、これらの写真は写真集となることもなくお蔵入りしていたとのことです。
しかしながら、捕鯨論争が加熱する中、「ありのままの姿を正面から見据えて記録する」との自らの信条に立ち返り、「事実は事実」の記録として残し伝えたいとの思いから、この「写真鯨録」の発表に至ったようです。
和田浦港は、小型捕鯨に規制された今でも、解体の模様を一般の人が見ることができるようですが、一般人も解体を見ることができるのは全国でここだけで、この写真集で古式捕鯨の名残が紹介されている和歌山県の太地港や、実際にツチクジラの解体の模様が紹介されている宮城県の鮎川港でも、小型捕鯨は今も調査捕鯨の枠内で行われているものの、反捕鯨運動に配慮して、解体の模様は一般には公開していないとのことです。
生態保護と食文化の相克―難しい問題。この写真集を見ると、単に食文化に止まらず、鯨漁を行っている港町にとっては伝統文化であり、生活文化でもあったようだし(これを「文化」と呼ぶこと自体、反捕鯨派は異論があるのだろうが)。
装填は和田誠氏。栞(しおり)としてある「クジラ解体 刊行に寄せて」には、安西水丸(イラストレーター)、池内紀(独文学者)、海老沢勝二(元NHK会長)、加藤郁乎(俳人)、金子兜太(俳人)、紀田順一郎(評論家)から、地井武男(俳優)、中条省平(学習院大教授)、道場六三郎(料理家)、山本一力(作家)まで、各界16名の著名人が献辞しています。
但し、その殆どが写真集の出来栄えを絶賛し、郷愁を述べたり貴重な文化記録であるとしたりするものの、一部の人が「記憶や記録にとどめておくだけでいいのか?」(地井武男)、「自然の恵みで最大のご馳走」(道場六三郎)など、食文化としての復活の期待を匂わせているだけで、大方は「考えさせられる」止まりのようです(反捕鯨派を意識してか?)。
でも、この写真集に献辞しているということは、大方は、「食文化としての復興支持」派なんだろうなあ。一番ストレートなのは、絵本作家の五味太郎氏で、「よい。とてもよい。鯨はよい。解体作業もよい。鯨肉もこれまたよい。まったく完璧だね。俺にも裾分けしなさい。何か問題あるの?」と―。
一般的な日本人の意識としても、いろいろ考えさせられるにしても感覚的にはこれに近いんじゃないの?―「クジラ親子の写真集を微笑ましく見る人が、鯨料理屋で舌鼓を打つ」というのが人間ってものかも―でも、牛や豚が消費されるために生まれてくる"経済動物"であるのに対し、クジラは養殖しているわけではないから、自然保護の観点から見てその点が気になる...といった感じか?
例えば、小松正之 著『クジラと日本人-食べてこそ共存できる人間と海の関係』('02年/青春新書プレイブックス・インテリジェンス)によると、シロナガスクジラはかつての人間による乱獲で20万頭から2千頭に減ってしまったようですが、現在調査捕鯨の対象として認められているミンククジラは南氷洋に76万頭いて(内、調査捕鯨として捕獲しているのは年間440頭のみ)、更に北大西洋にはミンククジラが2万5千頭(調査捕鯨上限は年間100頭)、ニタリクジラが2万2千頭(同年間50頭)、マッコウクジラは10万2千頭(同年間10頭)いると推定されるそうです(何れも'02年現在)。
むしろ、あまり厳しい捕鯨制限枠をずっと続けていると、特定の種類のクジラが増えすぎて生態系を乱すことも考えられるわけですが(歯クジラが食べる魚の量は人間の漁獲量との比ではないくらい多い)、本書では敢えてそうしたデータ的ことは示していません。
クジラの供養碑等の写真からは、日本人のクジラに対する感謝の念が感じ取れましたが、そうした写真も含め、これらの写真を見てどう感じるかはあくまで見る人に任せ、基本的には、純粋に「写真記録」として提示することに努めた編集となっているように思いました。