【1745】 ◎ 河北新報社 『巨大津波が襲った 3・11大震災~発生から10日間の記録~ 緊急出版 特別報道写真集』 (2011/04 河北新報社) ★★★★☆

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津波災害を撮ったグラフ誌の中では、その凄まじさにおいて一段抜けている。

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巨大津波が襲った3・11大震災―発生から10日間の記録 緊急出版特別報道写真集』(2011/04 河北新報社)/『河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙』(2011/10 文藝春秋)
岩手日報社 特別報道写真集 平成の三陸大津波 東日本大震災 岩手の記録
岩手日報社 特別報道写真集.jpg '11年4月上旬刊行で、個人的には、かなり後になって大型書店で見つけたのですが、これまで見たどのグラフ誌よりも、津波災害の凄まじさ、恐ろしさを如実に伝えるものとなっているように思いました。

 とりわけ、宮古市の職員が市役所の5階から撮影したという、海岸沿いの国道に津波が押し寄せた瞬間の写真は、これほどはっきり津波と襲来を映したものは数少ないのではないかと思われ、この場面の前後26分間がビデオ撮影もされていて、「科学映像館」のサイトで公開されています(このシークエンスは、岩手日報宮古支局のカメラマンも同じ場所から撮影しており、『岩手日報社 特別報道写真集 平成の三陸大津波―東日本大震災 岩手の記録』('11年6月/メディア・パル)の表紙にも使われ、本編で連続写真として掲載されている)。


 写真で津波の先端が隆起して見えるのは、高さ4メートルの防潮壁を今まさに乗り越えたことによるものであって、防潮壁があることによって、それを乗り越えた際に津波の勢いが増したようにも思えます。

 津波の高さには様々な測り方があるようですが(確かに厳密に"高さ"を規定するのは難しいと思う)、「東北地方太平洋沖地震津波合同調査グループ」の資料によると、「津波が駈け上がった高さ」は、宮古市で39.2メートルとなっており、これは、大船渡市で記録した40.0メートルに次ぐものとなっています(調査機関・測定ポイント・測り方の違いによって数字は異なる)。

河北新報 巨大津波が襲った2.jpg この他にも、大津波が陸に押し寄せて家屋を飲み込む瞬間(名取市)や、一夜明けて壊滅的な被害を受けた町の様子(南三陸町)など、生々しい写真が多くあります。

 地元紙らしく、最後には、復興へ向けて皆で力を合わせ、前向きに取り組もうとする人々の姿もとらえていますが、本誌そのものが震災後10日間にフォーカスしているため、やはり、大部分を占める各地の被害の爪後を記録した写真が、ただただ重苦しく胸に迫ってきます。

 東日本大震災の報道写真集は、3月下旬に中央紙の系列出版社や出版局で、『復刊アサヒグラフ 東北関東大震災 2011年 3/30号』(3/23)、『サンデー毎日緊急増刊 東日本大震災 2011年 4/2号』(3/24)などのグラフ誌が刊行され、続いて、震災後1ヵ月を区切りとして4月下旬に、産経新聞社が『闘う日本 東日本大震災1カ月の全記録』(4/22)、朝日新聞社が『報道写真全記録2011.3.11-4.11 東日本大震災』(4/28)をそれぞれ刊行し、読売新聞社も『東日本大震災―読売新聞報道写真集』を4月下旬に刊行しています。

 この河北新報社のものは、解説記事を最小限に抑えて写真をメインに据え、それぞれの写真に簡単なキャプションを付すに留めていますが、それが却って写真の迫力、震災の凄まじさを如実に伝えるものとなっています。

 だったら他の「グラフ誌」も同じではないか、ということになりますが、やはり地元紙らしく、被災地の目線に立った写真が多いように思われ、これを撮影した際の記者やカメラマンの胸中を思うと、見ているだけで胸が詰まります。

 一方で、空撮写真も多く、被災時の地域の姿を記録しようという記者達の執念が感じられますが、後に刊行されTVドラマにもなった震災ドキュメント『河北新報のいちばん長い日―震災下の地元紙』(2011/10 文藝春秋)を読むと、震災当日は自社ヘリコプターが使えず、他社のヘリの末席にカメラマン1人だけが同乗させてもらって写真を撮ったとのことです。

 また、同書を読むと、当時の号外は協力社・新潟日報の支援を受けて発行し、翌日以降の朝刊の刊行も、記事取材・印刷ともに困難を極める中で成し遂げられたとのことで、取材には地元の利があったと思われがちですが、実は自分たちも被災しため大変だったようです(震災翌日から3日間のトップ紙面が本誌巻末に掲載されている)。

 雑誌「アエラ」が4月下旬に『東日本大震災 レンズが震えた 世界のフォトグラファーの決定版写真集』という増刊号を出しましたが、松岡正剛氏が、こっちの河北版の方が胸に迫る、というようなことを書いていたように思います。

 「悲劇」を有名写真家が撮ると「芸術」になってしまうことがあり、それがいいのか悪いのか、という議論は、報道写真家の間では、例えばナチスによるユダヤ人虐殺の悲劇乃至その爪後を撮った写真を巡っての論争などがあったように思います。

 松岡氏は、「アエラ」の有名写真家の写真は、その「悲劇」の部分を写真家自身が吸収してしまっているのではないか、というようなこととを言っていたように思いますが、この河北新報の写真は、記者やカメラマンが写すだけで精一杯で、「悲劇」を吸収しきれないまま次の現場に行き、またそこで「悲劇」を見るということの繰り返しの中で撮られたもののように思いました。

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This page contains a single entry by wada published on 2012年5月 6日 00:11.

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