【1739】 ◎ 河北新報社 『河北新報のいちばん長い日―震災下の地元紙』 (2011/10 文藝春秋) ★★★★★

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取材現場の様子を生々しく伝えるとともに、報道の使命、地元紙の役割を考えさせられる。

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河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙』(2011/10 文藝春秋)『河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙 (文春文庫)』「明日をあきらめない...がれきの中の新聞社~河北新報の いちばん長い日~」テレビ東京系列 '12年3月4日放映(出演:渡辺篤郎・小池栄子・斉藤由貴)
河北新報社のネットワーク
河北新報社のネットワーク.jpg 仙台に本社を置く東北地方のブロック紙・河北新報社(この新聞社は一力家のオーナー会社なんだよね)の東日本大震災ドキュメントで、被災地の真っただ中にあるブロック紙の記者達が、震災のその時、何を考え、どう行動し、またそれぞれの取材先で何を感じたかを、切迫感を持って生々しく伝えるものとなっています。

 同社は「東日本大震災」報道で'11年度新聞協会賞をを受賞していますが、本書の内容はTVドラマ化され、「明日をあきらめない...がれきの中の新聞社~河北新報の いちばん長い日~」としてテレビ東京系列で'12年3月4日、BSジャパンで3月11にそれぞれ放映されています(見られなかった。再放送しないかなあ)。

 震災発生の日を軸にドキュメンタリー風に描かれていて、まず、震災で河北の本社自体が被災し、ホストコンピュータが倒れてサーバー機能が麻痺し、この一大事に明日の朝刊が出せるかどうかという難局に彼らは直面したわけで、離れた場所にある印刷所が耐震設計で大地震に持ちこたえても、情報インフラが機能しなければ、どうどうしょうもないのだなあと。

 協力社である新潟新報社の協力申し出を受け、震災当日の夜になって何とか号外を出しますが、夜更けにもかかわらず、避難所では多くの人が号外を求め、あっという間に無くなったとのこと、やはり、こうした非常事態で一番皆が欲しいものは情報なんだなあ。翌日の朝刊も何とか出せる見込みとなったものの、そうした号外や朝刊に載せる記事取材そのものが、また困難を極めたことがよくわかります。

河北新報 2011年3月12日朝刊
河北新報 110312朝刊.jpg 更には、ロジスティックの寸断から、引き続き新聞が刊行できるかどうかという危機にも見舞われ、それは新聞用紙・インキ等の資材の問題に限ったことではなく、取材のためのガソリンや社員の食糧の調達などに及んだわけですが、これも社員が知恵を出し合い、協力し合って苦境を乗り越えていきます。

 むしろ記者達が戸惑うのは、制約された取材環境の中で、取材先での被害の生々しい惨状をどう伝えるかということであり、また、彼らが苦しむのは、次々と被災規模の甚大さが明らかになっていく中で、犠牲者や被災者に対して直接的には何もしてやれぬというもどかしい思いと葛藤しながら、取材をやり遂げなければならないというジレンマに於いてです(特に、幼い子供が犠牲になったケースでは、その一つ一つが記者の心を激しく動揺させたことが分かる)。

 そうした記者らの思いは、震災の翌々日には宮城県警が、死者数が万単位になるとの見通しを発表した際に、翌日の朝刊の見出しで、デスクが見出しを「死者『万単位』に」とするか「犠牲『万単位』に」とするかで迷ったといったことにも表れているように思いました。

 結局、全国紙など各紙が「死者」という言葉を使ったのに対し、河北だけ「犠牲」という言葉を用いたわけですが、「果たして正しい判断だったのかどうか、今でも答えが出ません」と。

 新聞販売店の店主の、津波による、ほぼ殉職と言っていい死にも胸を打たれました(小さな販売店というのは家族経営なんだなあ。新聞を配りに出た息子達が助かったのが救いだったが)。被害の甚大だった地域でも、復旧も緒に就かない内に配達を再開する販売店主も出てきますが、やはり、それも、荒れ野のようになってしまったその地域内にも、情報を求める人が少数ながらもいるという使命感からなのでしょう。

 福島第一原発事故の甚大さの露見により、引き続き震災・津波の被災状況に報道のウェイトを置くか、原発事故報道に比重を切り替えるかの判断を迫られますが、全国紙等他の新聞が原発事故報道にウェイトを切り替えたのに対し、河北は、原発事故報道もするが、被災した人々の報道も軽んじない、或いはそうした人々に向けた情報提供も怠らないという方針を貫き通します。

 また、原発事故により、それを現地で取材する記者の安全保持の問題も突き付けられますが、そうした中、自発的に現地取材を申し出る者、現地を離れざるを得なかった者など、記者の間にも様々なドラマがあったことが窺えます。

 こうした非常事態時における新聞の紙面づくりの難しさというものが、よく伝わってきました。淡々と情報だけを流すのではなく、現場で起きた犠牲者の悲劇や、今現に苦しんでいる被災者の生の様子を伝える署名記事を増やし、一方で、例えば原発事故に関しては、「原発が爆発」したのか「建屋が爆発」したのか正確を期すといったような冷静さの保持に努める―そのことを誇らしげに語るのではなく、そのことすら、実際にその時メルトダウンは起きていたのだから、「原発が爆発」でも良かったのではないかと、今も答えを出せないでいるデスクの姿に、真摯さを感じました。

 石巻で震災から9日ぶりに80歳の祖母と16歳の少年が救出された際には、取材車の運転手の趣味でやっている無線に偶然、救出活動の消防無線が入り、現場感のある記事となって、これはトップ紙面で大きく取り上げられました。

 一方、震災から3週間後に共同通信のスクープとして公表された、南三陸町の防災センターの屋上に避難した30人もの人の多くが津波に浚われ、次の瞬間には10人程度になってしまう連続写真は、「この写真を地元の人が見たら、多分もたないと思います」との現地取材班の記者の一言で、共同通信加盟社の多くが載せたこのスクープ写真を河北は載せなかったとのこと。「地域に寄り添う」という地元紙としての基本姿勢を感じさせられるエピソードでした。

 その他にも、震災翌日、他社のヘリコプターから建物の屋上に避難し助け求める人々の姿が見えたが、その時実際に何が起きていて、その後どうなったのかという事実が2ヵ月後に判明したという話など、生々しいエピソードが数多く紹介されています。

 一方で、紙面づくりをする上で、「私が見た大津波」という読者に語ってもらうコーナーを設けるなど(ここで語られるエピソードがまた生々しいのだが)、様々な工夫を凝らしたことも書かれています。

 本書のベースは社員に対する詳細なアンケートのようですが、そぎ落とされたエピソードも多くあったのではないでしょうか。時間をかけて内容や構成を吟味したものと思われ、丸々一冊、無駄な箇所がありません。

 ぐいぐい引き込まれ、一気に読めてしまうとともに、報道の使命とは何か、地元紙の役割とは何かを考えさせられる本であり、後世に残るノンフィクションかと思います。

明日をあきらめない がれきの中の新聞社.jpg '11年12月、優れた文化活動に携わった個人や団体に贈られる「第59回菊池寛賞」に、河北新報社と石巻日日新聞社が選ばれました。

明日をあきらめない がれきの中の新聞社.jpgテレビ東京 「明日をあきらめない...がれきの中の新聞社 ~河北新報のいちばん長い日~」 第8回 「日本放送文化大賞」 グランプリ受賞
明日をあきらめない がれきの中の新聞社2.jpg【キャスト】 渡部篤郎/小池栄子/田中要次/長谷川朝晴/戸次重幸/伊藤正之/金山一彦/小木茂光/宇梶剛士/中原丈雄/鶴見辰吾/渡辺いっけい/西岡馬/斉藤由貴  ナビゲーター...池上彰

【2014年文庫化[文春文庫]】

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This page contains a single entry by wada published on 2012年4月28日 22:20.

【1738】 △ 大澤 真幸 『夢よりも深い覚醒へ―3・11後の哲学』 (2012/03 岩波新書) ★★☆ was the previous entry in this blog.

【1740】 ○ 手塚 治虫 『手塚治虫クロニクル 1946~1967』 (2011/10 光文社新書) ★★★☆ is the next entry in this blog.

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