【1727】 ◎ 北羽新報社編集局報道部 『検証 秋田「連続」児童殺人事件 (2009/11 無明舎出版) ★★★★☆

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密度の濃いドキュメントであり、裁判の公判分析という点でも優れた1冊。

検証 秋田「連続」児童殺人事件.jpg検証 秋田「連続」児童殺人事件』['09年/無明舎出版] 畠山鈴香.jpg 畠山鈴香 無期囚

 '06(平成18)年の4月から5月にかけて起きた「秋田連続児童殺人事件」を、地元紙・北奥羽新聞の記者らが、事件発生から、畠山鈴香被告の無期懲役刑が確定するまでを追ったドキュメント(仙台高裁秋田支部の控訴審判決に対し畠山鈴香被告が上告を取り下げたのは、'09(平成21)年5月のこと)。

 本書のベースになっているのは、北奥羽新聞で '07(平成19)年1月から2年ほど続いた連載で、能代市に本拠があるこの新聞社の本社記者は11名しかおらず、地元ネタだけで日々の紙面を埋めているような新聞とのことですが、マスコミ大手が事件発生当初に陥ったセンセーショナリズムを排した、極めてきっちりした取材内容であり、事件後1年を経て地元民への取材及び連載を開始したというのは、"正解"だったかも知れないと思わせるものでした。

 マスコミ被害に苦しめられながらも、事件の衝撃からの回復の兆しが見せ始め、子どもを守るため具体的な対策を取り始めた地元の人々の様子や、今なお癒えぬ事件被害者の遺族の心情など、伝えているものは多いのですが、やはり本書の核となるのは、120回の連載のうち80余回を占めた公判の傍聴記と判決の検証ではないかと思います。

秋田「連続」児童殺人事件.jpg 裁判で最大の争点となったのは、被告の娘・彩香さんの死が殺人であったのか過失であったのかということと、引き続き起こした豪憲君殺害事件の動機であり、とりわけ前者は、彩香さんに対する疎ましさと嫌悪の極限で殺意が生じたと主張する検察側と、彩香さんが欄干の上で抱きついてきたために、スキンシップ障害から思わず払いのけてしまったという弁護側で、真っ向から対立します。

 加えて、被告の精神鑑定をした精神科医による、彩香さんの死は「無理心中未遂」、豪憲君殺人は「強制殉死」といった説などが出てきて、この説は法廷で採用されることはありませんでしたが、人格障害者の起こした事件を裁くことの難しさを考えさせられました。

 結局、同じ医師による、彩香さんの"事故"後に被告は「突発性健忘」に陥ったという見方は、「記憶の抑圧」があったということを裁判所も認めてはいるものの、弁護側の主張する、彩香さんの死は"事故"だったとの見方は否定し、殺人事件であったとの見方を判示していますが、豪憲君殺害に繋がる動機の説明として使えそうな部分だけ抽出したという気がしなくもなく、被告の心の闇を解明することに時間を費やすよりも、被害者遺族の感情を考慮して、結審を急いだような印象を受けました。

 その他にも、必ずしも明快に解明されたとは言えない弁護側と検察側の対立点の1つとして、「自白の任意性」の問題があり、被告のようなタイプの人格障害の場合、相手の言いなりになって事実でもないことを認める傾向が時にあるようですが、ここでも判決は、調書には信頼性があると断定しています。

 一方で、被告は、彩香さんの死を悲しむものの、豪憲君の死については両親の苦しみが理解できないでいる様子であり、そうした被告が、刑の重みをどれほどの反省の念をもって受け止めることができるのかという疑問も残ります。

 記者の筆致は、弁護側、検察側、裁判所、精神科医などのそれぞれの主張の何れかに偏ることなく、それぞれに距離を置きながら対比させてその相違点を明らかにするとともに、内在する矛盾点や疑問点については鋭く疑義を挟むものとなっています。

 彩香さんの死が必ずしも十分に解明されたとは言えないという観点から、本書のタイトルも、「連続」児童殺人事件という具合に"連続"にカギ括弧がついていますが、但しこれは記者らが、彩香さんの死は殺人事件ではなかったという独自の結論に至ったということではありません。

 版元は小さな出版社ですが、密度の濃いドキュメントであり、裁判の公判分析という点でも優れた1冊。
 本書を通して事件をより深く知ることが出来たものの、結局、被告の心の闇は必ずしも十分に解明されていないというのが個人的な実感で、無期囚となった被告自身が語り始めるまでは自分達の取材は終わらないという結語にも、真摯な取材姿勢と併せて、そのことが窺えます。

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