2012年4月 Archives

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手塚作品の変遷(初期・前半期作品)を概観する上では手頃。

手塚治虫クロニクル1.jpg          0(ゼロ)マン  手塚治虫.jpg キャプテンKen  手塚治虫.jpg   
手塚治虫クロニクル 1946~1967 (光文社新書)』『0マン』('59年)/『キャプテンKen』('60年)

フィルムは生きている2.jpg『鉄腕アトム』 朝日ソノラマ.jpg 手塚治虫の作品を年代別に取り上げ抜粋したもので、この「1946~1967」年版では、デビュー作『マアチャンの日記帳』('46年・17歳)から、以下、『新宝島』('47年・18歳)、『ロスト・ワールド』('48年・20歳)、『メトロポリス』('49年・20歳)、『ジャングル大帝』('50年・22歳)、『来るべき世界』('51年・22歳)、『鉄腕アトム』('52年・23歳)、『リボンの騎士』('53年・24歳)、『ケン1探偵長』('54年・25歳)、『第三帝国の崩壊』('55年・26歳)、『漫画生物学』('56年・27歳)、『ライオンブックス 狂った国境』('57年・28歳)、『フィルムは生きている』('58年・29歳)、『魔神ガロン』('59年・30歳)、『0魔人ガロン サンデーコミック.jpgマン』('59年31歳)、『キャプテンKen』('60年・32歳)、『ふし人間ども集まれ! 手塚 新書マンガシリーズ .jpgハトよ天まで1.jpgぎな少年』('61年・32歳)、『勇者ダン』('62年・33歳)、『ビッグX』('63年・34歳)、『ハトよ天まで』('64年・36歳)、『マグマ大使』('65年・36歳)、『バンパイヤ』('66年・37歳)、『アトム今昔物語』('67年・38歳)、『人間ども集まれ!』('67年・38歳)、『どろろ』('67年・38歳)まで、前半期22年間に発表された25作品の抜粋を収めています。

 タイトル通り、基本的には発表年代順の作品抜粋だけで本が成り立っていて、作品ごとの初出誌・作品の概要、今回どこでいつ発表されたものを抜粋掲載したかという数行のデータと、年ごとの作者に関連する出来事が簡単に纏められている以外は、編集作業と言えるのは、どの作品のどの部分を抜き出すかということしか実質的には行われておらず、末尾に漫画評論家・ブルボン小林(=芥川賞作家・長嶋有)氏の解説があるのみ。従って編者名はなく、作者名として「手塚治虫」となっていて、やや安易な本づくりという感じもするし、実際にネット書評などでも、そうした観点からの批判はあったように思います。但し、個人的には、初期の内容をよく知らなかった作品もかなりあり、最近ではこの辺りの作品も復刻・文庫化されているようですが、そうした作品のそれぞれの雰囲気を僅かながらでも知り、手塚治虫の初期も含めた前半期の仕事を概観する上では手頃な本でした。

四コマ漫画―北斎から「萌え」まで.jpg 手塚治虫も四コマ漫画からスタートしたことは、清水勲 著『四コマ漫画―北斎から「萌え」まで』('09年/岩波新書)で知りましたが、毎日小学生新聞の前身「少國民新聞」に連載された、作者当時17歳の作品のその完成度は、もう今の新聞連載漫画と変わるところのない、玄人レベルのように思いました。

少年サンデー版 キャプテンKen 限定版BOX.jpg 『鉄腕アトム』のイメージからか、作者の前半期の作品は、未来に対する期待において楽天的過ぎるという見方もありますが、『メトロポリス』('49年)、『来るべき世界』('51年)、『第三帝国の崩壊』('55年)など、近未来の恐怖を描いたSFもあるし、戦争を扱った世界観的なストーリーは早くからあったのだなあ(『ライオンブックス 狂った国境』('57年)は傑作)。『キャプテンKen』('60年)の主人公キャプテン・ケンは、その正体は、顔がそっくりの星野家の遠縁の少女(水上ケン)かと思いきや、実は未来からやってきた彼女の息子でした。映画「ターミネーター」('84年/米)のタイムパラドックスを先取りしていたと言えますが、SFでは伝統的によくある展開と言えなくもないかも。

少年サンデー版 キャプテンKen 限定版BOX (復刻名作漫画)

ジャングル大帝 テレビ 1965 2.jpg 『ジャングル大帝』のオリジナルも興味深く('50年初出、昭和25年かあ)、この作品の初出は『鉄腕アトム』よりも前ということになりますが、後に大幅に構成を変えて、作者の代表作となるとともに、'65年に、手塚作品では初のカラーTVアニメとなります。

 一方、60年代に入ってからの作品では、『ふしぎな少年』('61年)、『マグマ大使』('65年)、『バンパイヤ』('66年)辺りは、誌面発表から比較的間をおかずに、実写版のTVドラマになっています(TV版「バンパイヤ」は実写とアニメの合成ドラマ。変身シーンも前半実写で、子ども心に気持ち悪くでトラウマになった)。

ふしぎな少年 少年クラブ9月号ふろく.jpgふしぎな少年 太田博之.bmp 「ふしぎな少年」('61年/NHK、生放送ドラマ)で「時間よ~止まれ!」と叫んでいたサブタンを演じた太田博之('47年生まれ)は「小銭寿司チェーン」(「小僧寿しチェーン」ではない)の経営者に転身するも後に経営破綻し、「マグマ大使」('67年/フ江木俊夫  .jpgジテレビ。TBSの「ウルトラマン」の少し前くらいに放送が始まった)でマモル少年を演じた江木俊夫('52年生まれ。3歳でデビューし黒澤明の「天国と地獄」('63年)で三船敏郎演じる権藤の息子役を演じるなどした)は、その後ジャニーズ事務所のアイ水谷豊.pngドルグループ・フォーリーブスのメンバーとなり、「バンパイヤ」('68年/フジテレビ)でトッペイ・チッペイ兄弟の兄トッペイを演じた水谷豊('52年生まれ)は、今もTVドラマで活躍中と、子役のその後の人生は様々なようです。

「少年クラブ」1961年9月号付録

ふしぎな少年7.jpgふしぎな少年005.jpg「ふしぎな少年」●演出:辻真先●脚本:石川透●原作:手塚治虫●主題歌:(唄)ジュディ・オング●出演:太田博之/忍節子/椎名勝巳/青柳美枝子/日下武史/小山源喜/愛川欣也/長門勇/岩下志麻●放映:1961/04~09(全130回)●放送局:NHK

マグマ大使.jpgマグマ大使 egi.jpg「マグマ大使」●演出:土屋啓之助/船床定男/中尾守●プロデューサー・製作:上島一男●脚本:若林藤吾/高久進/山浦弘靖/梅樹しげる/内山順一郎/石堂淑朗●音楽:山本直純●原作:手塚治虫●出演:岡田真澄/江木俊夫/大平透/魚澄鉄也/三瀬滋子/清水元/八代真マグマ大使 岡田真澄.jpg矢子/二宮秀樹/吉田次昭/イーデス・ハンソン/三瀬滋子/黒丸良●放映:1966/07~1967/06(全52回)●放送局:フジテレビ

江木俊夫/岡田真澄

ソノシート(朝日ソノラマ) 林 光(1931-2012.1.5)
バンパイヤ ソノシート.jpg林光.jpgバンパイヤ 水谷豊.png「バンパイヤ」●演出:山田健/菊地靖守●制作:疋島孝雄/西村幹雄●脚本:山浦弘靖/辻真先/藤波敏郎/久谷新/安藤豊弘/雪室俊一/中西隆三/宮下教雄/今村文人/三芳加也/石郷岡豪●音楽:司一郎/林光●原作:手塚治虫●出演:水谷豊/佐藤博/渡辺文雄/戸浦六バンパイヤ 水谷豊2.jpg宏/山本善朗/左ト全/上田吉二郎/岩下浩/平松淑美/鳳里砂/嘉手納清美/桐生かおる/市川ふさえ/館敬介/中原茂男/手塚治虫●放映:1968/10~1969/03(全26回)●放送局:フジテレビ

「バンパイヤ」テーマソング

変身シーン

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取材現場の様子を生々しく伝えるとともに、報道の使命、地元紙の役割を考えさせられる。

河北新報のいちばん長い日.gif『河北新報のいちばん長い日』.jpg  明日をあきらめないド.jpg
河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙』(2011/10 文藝春秋)『河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙 (文春文庫)』「明日をあきらめない...がれきの中の新聞社~河北新報の いちばん長い日~」テレビ東京系列 '12年3月4日放映(出演:渡辺篤郎・小池栄子・斉藤由貴)
河北新報社のネットワーク
河北新報社のネットワーク.jpg 仙台に本社を置く東北地方のブロック紙・河北新報社(この新聞社は一力家のオーナー会社なんだよね)の東日本大震災ドキュメントで、被災地の真っただ中にあるブロック紙の記者達が、震災のその時、何を考え、どう行動し、またそれぞれの取材先で何を感じたかを、切迫感を持って生々しく伝えるものとなっています。

 同社は「東日本大震災」報道で'11年度新聞協会賞をを受賞していますが、本書の内容はTVドラマ化され、「明日をあきらめない...がれきの中の新聞社~河北新報の いちばん長い日~」としてテレビ東京系列で'12年3月4日、BSジャパンで3月11にそれぞれ放映されています(見られなかった。再放送しないかなあ)。

 震災発生の日を軸にドキュメンタリー風に描かれていて、まず、震災で河北の本社自体が被災し、ホストコンピュータが倒れてサーバー機能が麻痺し、この一大事に明日の朝刊が出せるかどうかという難局に彼らは直面したわけで、離れた場所にある印刷所が耐震設計で大地震に持ちこたえても、情報インフラが機能しなければ、どうどうしょうもないのだなあと。

 協力社である新潟新報社の協力申し出を受け、震災当日の夜になって何とか号外を出しますが、夜更けにもかかわらず、避難所では多くの人が号外を求め、あっという間に無くなったとのこと、やはり、こうした非常事態で一番皆が欲しいものは情報なんだなあ。翌日の朝刊も何とか出せる見込みとなったものの、そうした号外や朝刊に載せる記事取材そのものが、また困難を極めたことがよくわかります。

河北新報 2011年3月12日朝刊
河北新報 110312朝刊.jpg 更には、ロジスティックの寸断から、引き続き新聞が刊行できるかどうかという危機にも見舞われ、それは新聞用紙・インキ等の資材の問題に限ったことではなく、取材のためのガソリンや社員の食糧の調達などに及んだわけですが、これも社員が知恵を出し合い、協力し合って苦境を乗り越えていきます。

 むしろ記者達が戸惑うのは、制約された取材環境の中で、取材先での被害の生々しい惨状をどう伝えるかということであり、また、彼らが苦しむのは、次々と被災規模の甚大さが明らかになっていく中で、犠牲者や被災者に対して直接的には何もしてやれぬというもどかしい思いと葛藤しながら、取材をやり遂げなければならないというジレンマに於いてです(特に、幼い子供が犠牲になったケースでは、その一つ一つが記者の心を激しく動揺させたことが分かる)。

 そうした記者らの思いは、震災の翌々日には宮城県警が、死者数が万単位になるとの見通しを発表した際に、翌日の朝刊の見出しで、デスクが見出しを「死者『万単位』に」とするか「犠牲『万単位』に」とするかで迷ったといったことにも表れているように思いました。

 結局、全国紙など各紙が「死者」という言葉を使ったのに対し、河北だけ「犠牲」という言葉を用いたわけですが、「果たして正しい判断だったのかどうか、今でも答えが出ません」と。

 新聞販売店の店主の、津波による、ほぼ殉職と言っていい死にも胸を打たれました(小さな販売店というのは家族経営なんだなあ。新聞を配りに出た息子達が助かったのが救いだったが)。被害の甚大だった地域でも、復旧も緒に就かない内に配達を再開する販売店主も出てきますが、やはり、それも、荒れ野のようになってしまったその地域内にも、情報を求める人が少数ながらもいるという使命感からなのでしょう。

 福島第一原発事故の甚大さの露見により、引き続き震災・津波の被災状況に報道のウェイトを置くか、原発事故報道に比重を切り替えるかの判断を迫られますが、全国紙等他の新聞が原発事故報道にウェイトを切り替えたのに対し、河北は、原発事故報道もするが、被災した人々の報道も軽んじない、或いはそうした人々に向けた情報提供も怠らないという方針を貫き通します。

 また、原発事故により、それを現地で取材する記者の安全保持の問題も突き付けられますが、そうした中、自発的に現地取材を申し出る者、現地を離れざるを得なかった者など、記者の間にも様々なドラマがあったことが窺えます。

 こうした非常事態時における新聞の紙面づくりの難しさというものが、よく伝わってきました。淡々と情報だけを流すのではなく、現場で起きた犠牲者の悲劇や、今現に苦しんでいる被災者の生の様子を伝える署名記事を増やし、一方で、例えば原発事故に関しては、「原発が爆発」したのか「建屋が爆発」したのか正確を期すといったような冷静さの保持に努める―そのことを誇らしげに語るのではなく、そのことすら、実際にその時メルトダウンは起きていたのだから、「原発が爆発」でも良かったのではないかと、今も答えを出せないでいるデスクの姿に、真摯さを感じました。

 石巻で震災から9日ぶりに80歳の祖母と16歳の少年が救出された際には、取材車の運転手の趣味でやっている無線に偶然、救出活動の消防無線が入り、現場感のある記事となって、これはトップ紙面で大きく取り上げられました。

 一方、震災から3週間後に共同通信のスクープとして公表された、南三陸町の防災センターの屋上に避難した30人もの人の多くが津波に浚われ、次の瞬間には10人程度になってしまう連続写真は、「この写真を地元の人が見たら、多分もたないと思います」との現地取材班の記者の一言で、共同通信加盟社の多くが載せたこのスクープ写真を河北は載せなかったとのこと。「地域に寄り添う」という地元紙としての基本姿勢を感じさせられるエピソードでした。

 その他にも、震災翌日、他社のヘリコプターから建物の屋上に避難し助け求める人々の姿が見えたが、その時実際に何が起きていて、その後どうなったのかという事実が2ヵ月後に判明したという話など、生々しいエピソードが数多く紹介されています。

 一方で、紙面づくりをする上で、「私が見た大津波」という読者に語ってもらうコーナーを設けるなど(ここで語られるエピソードがまた生々しいのだが)、様々な工夫を凝らしたことも書かれています。

 本書のベースは社員に対する詳細なアンケートのようですが、そぎ落とされたエピソードも多くあったのではないでしょうか。時間をかけて内容や構成を吟味したものと思われ、丸々一冊、無駄な箇所がありません。

 ぐいぐい引き込まれ、一気に読めてしまうとともに、報道の使命とは何か、地元紙の役割とは何かを考えさせられる本であり、後世に残るノンフィクションかと思います。

明日をあきらめない がれきの中の新聞社.jpg '11年12月、優れた文化活動に携わった個人や団体に贈られる「第59回菊池寛賞」に、河北新報社と石巻日日新聞社が選ばれました。

明日をあきらめない がれきの中の新聞社.jpgテレビ東京 「明日をあきらめない...がれきの中の新聞社 ~河北新報のいちばん長い日~」 第8回 「日本放送文化大賞」 グランプリ受賞
明日をあきらめない がれきの中の新聞社2.jpg【キャスト】 渡部篤郎/小池栄子/田中要次/長谷川朝晴/戸次重幸/伊藤正之/金山一彦/小木茂光/宇梶剛士/中原丈雄/鶴見辰吾/渡辺いっけい/西岡馬/斉藤由貴  ナビゲーター...池上彰

【2014年文庫化[文春文庫]】

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原発推進もオウムやテロと同じ世界破壊「信仰」?! 相変わらず、もやっとした感じの本。

夢よりも深い覚醒へ9.JPG夢よりも深い覚醒へ―3・11後の哲学.jpg            文明の内なる衝突.bmp  不可能性の時代.jpg
夢よりも深い覚醒へ――3・11後の哲学 (岩波新書)』['12年]『文明の内なる衝突―テロ後の世界を考える (NHKブックス)』['02年]『不可能性の時代 (岩波新書 新赤版 (1122))』['08年] 

 自分のイマジネーションが著者に追いつかないのか、はたまた単に相性が悪いだけなのか、相変わらず、本当にもやっとした感じの本でした。

 朝日新聞に掲載されていた比較文化学者の田中優子氏の書評によると、タイトルの「夢よりも深い覚醒へ」というのは、著者の師匠である見田宗介の言葉だそうで、悪夢から現実へと覚醒するのではなく、夢よりも深く内在することで覚醒するという意味だそうです。

 著者によれば、阪神・淡路大震災とオウム事件は何かの終りであり、おそらく東日本大震災と原発事故は、その終わり始めたものを本当に終わらせる出来事であったとのことで、要するにこれらは、破局と絶望に一連の流れ上にあると。

 9.11(テロ・アフガニスタン)と3.11(震災・原発事故)を同種の破局であるとして、進化論を持ち出してどちらも「理不尽な絶滅」であるとしているのは、震災とテロを一緒くたにして何だかハルマゲドンを煽っているっぽいなあという気がしたのですが、著者の論点は、まさにこの"同一視"に依拠しています。

 著者が、9.11テロとそれに対するアメリカの反攻に内在する思想的な問題(ナショナリズム)を、「文明の衝突」というハンチントンの概念を援用して読み説いた『文明の内なる衝突―テロ後の世界を考える』('02年/NHKブックス)を著した理由は、9.11テロが世界同時性を持ちながら、日本の知識人にとっては対岸の火事であって実存的問題にならず、著者自身も、社会学者としての無力感に見舞われざるを得なかったとのことからではなかったと思います。

 そうした忸怩たる思いでいたところが、3.11によってやっと著者自身、「理不尽な絶滅」を実感することができたというところでしょうか。前著『不可能性の時代』('08年/岩波新書)に既にその傾向はありましたが、全ての事象を、この「理不尽な絶滅」へ強引に収斂させているという印象を受けました。

 著者は、『文明の内なる衝突』において、イスラームやキリスト教の中にある資本主義原理を指摘する一方、「資本主義は徹底的に宗教的な現象である」としていましたが、本書では、世界を破壊する否定の力への信仰がオウムであるとすれば、原子力もまた、その破壊潜在力への「信仰」ではないかとしています。

 「日本人の戦後史の中で、原子力は、事実上、神のように信仰されていた」とあり、原爆の恐怖を知って間もないはずの日本人が、活発な地震帯の上に50基以上もの原子炉を建設してきたことは、まさに「破壊への欲望」であり、これは、オウム、9.11テロと重なる―という論旨は、個人的にはかなり牽強付会に思えるのですが...。

 マイケル・サンデルの「暴走機関車」の例え話から始まって、原発問題を倫理哲学的に考察し、後半はカント、ヘーゲルを持ち出し、イエス・キリストの思想を持ち出し、「神の國」と現実をいろいろ行ったり来たりしているのですが、これ、サブタイトルにあるように思想哲学の本だったのか―(だとすれば、ある程度の牽強付会はありなのか?)。

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逆説睡眠(REM)睡眠、ナルコレプシー...。分かり易いし、新書本としては充実した内容。

眠る本4.JPG眠る本.JPG『眠る本―いつでもどこでも快眠健康法』['75年/トクマブックス]

 脳生理学者で東大精神医学教室の医局長だった著者が、不眠症など眠りに関する症例を多く取り上げ、眠りの科学を分かり易く解説した本で、個人的には初読はかなり以前ですが、その際に多くの知見を得られた本です(「トクマブックス」にはUFO本とか霊能力本とか結構怪しげな本も多いが、本書は実にまとも)。

 4章構成の第1章「あなたはなぜ眠れないか」では、不眠ノイローゼと本格的な不眠症では異なるとしており、また、不眠症にも、寝付きが悪く朝方になって眠るため起床がつらいタイプや、寝付きはよいが夜中に目を覚まして後は眠れないタイプ、寝付きが悪く一睡もできないものなど、様々なタイプがあって、一時的にこうした症状に見舞われることは誰にでもあるとしています。

 第2章「眠りの科学」の中には、断眠実験の話が出てきますが、米国のディスクジョッキーがチャリティー番組で200時間(8日と8時間)の断眠に挑戦したところ、終りの頃には舌がもつれ、妄想性精神病の症状を呈したとのこと、本書刊行時点での断眠の世界記録は、17際の少年による264時間(11日間)だそうです。

 この記録、当時の睡眠学の権威ウィリアム・C・デメントも、有り得ることとしていますが(この頃、デメントの『夜明かしする人,眠る人』やアン・ファラデーの『ドリームパワー』も読んだなあ)、著者は、その間にマイクロ・スリープ(微小な眠り)があったのではないかとの疑念を呈しています(脳波測定器で検証しながらの断眠実験では、4日から5日程度が限度であると)。

 逆説睡眠(REM睡眠)について知ったのも本書で、これは2時間の睡眠サイクルのうちの30分間は、眠っているんだけれど脳が活発に活動しているパラ睡眠状態であるというもの。新生児はその睡眠時間(16時間から18時間)の50%は逆説睡眠で、それが、成長とともにその比率が減り、5歳頃には25%程度になっているとのこと(REM睡眠というのは、寝ている赤ちゃんの瞼の下の眼球の動き(Rapid Eye Movement)から発見されたことに由来する名称)。

 第3章「何が眠りを妨げているのか」では、不眠の原因を様々な角度から解説していますが、特にうつ病による不眠を重点的に取り上げていて、これ、自殺に至るケースも多いそうです。怖いなあ。うつ病と不眠症の関係は、最近でも、坪田聡 著『不眠症の科学-過労やストレスで寝つけない現代人が効率よく睡眠をとる方法とは?』('11年/サイエンス・アイ新書)などで取り上げられています。

眠る本965.JPG 睡眠障害の様々な種類をあげていますが、ナルコレプシー(居眠り病)もその一つ(警官が泥棒を追いかけようとした途端ナルコレプシーに襲われ、地べたにうっぷしている挿絵があるけれど、こんなにいきなりナルコに陥るものなのかなあ)。「居眠り先生」こと色川式大(=阿佐田哲也=朝だ、徹夜)のそれが有名でした。また、子供の不眠と老人の不眠とでは原因が異なるともしています。

 第4章「どうすれば眠れるか」では、まず、不眠の理由を検討し、原因を把握して納得すること、そして、何事も欲張り過ぎず、自分の生活のリズムに従い、寝る前に気にかかることは片付けておくことが大事だとしています。

眠る本66.JPG やはり、運動が一番いいみたいで、運動は眠りのリズムを整え、脳の働きをよくするそうです。あとは、食事は腹八分が良く、タバコは、気分転換効果はあるけれど吸い過ぎるとニコチンが脳を覚ますので眠りが浅くなると。寝酒は有効だけれども、睡眠薬だと思うのは禁物...etc.

 安眠のための環境づくりについても、室温・冷暖房や寝まき・枕の選び方等いろいろ書かれていて、最後に睡眠薬の上手な使い方が書かれてますが、これはやはり医者によく相談した方がいいのでしょう。

 睡眠薬への過度の依存は問題があるとし、「睡眠薬中毒になった芥川龍之介」と「クスリを上手に使った西條八十」を対比させています。

 分かり易いし、読んでいて面白く、個人的には充実した内容でした。

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見るだけでも楽しいが、手塚治虫自身による裏話が多く盛り込まれており、読んでも面白かった。

手塚治虫劇場.jpgジャングル大帝917.JPG 
手塚治虫劇場―手塚治虫のアニメーションフィルモグラフィー』(1997/07 手塚プロダクション) (カバーイラスト:和田 誠)/「ジャングル大帝 レオのうた(劇場版1966)」作詞:辻真先/作曲:冨田勲/歌:弘田三枝子

 手塚アニメのフィルモグラフィーで、'97年刊行(初版は'91年)。'60(昭和35)年公開の「西遊記」から'97年公開の「ジャングル大帝」までの劇場公開されたアニメーション映画作品、並びに、'63年から'66年にかけて放映された「鉄腕アトム」から、'97年に放映された「聖書物語」までのTVアニメ作品(「バンパイヤ」などの実写との合成版を含む)の、画像や上映・放送記録データを収録しています。

 主要作品については、作者・手塚治虫自身がメディア各誌等で語ったその作品に関する長文の談話が付されていて、主にアニメーションの制作の苦労話や技術的なことについて触れているものが多く、そうした意味では、アニメに特化した編集の趣旨が明確に出ていていいです。

 冒頭の'88年の「朝日賞」受賞時の講演(作者が亡くなる1年前)からしてまさにそうであり、殆どアニメ制作の現場にいる玄人に向けて話すような内容を、一般の人にも分かり易いよう噛み砕いて語っていて、それがそのまま、日本のアニメ史や手塚アニメの特徴を語ることにもなっています。

 代表作「鉄腕アトム」に対する作者の後の自己評価はさほど高くなかったように思いましたが、それでも日本のTVアニメにおいて画期的な作品ではあったのだなあと。その自負は、作者自身の談話からも感じ取れます。
 
 取り上げられているている作品の中で個人的に思い出深いのは、「ジャングル大帝」のテレビアニメ版と旧い方の劇場版('66年/東宝)。

「ジャングル大帝 テレビアニメ 昭和40年.jpgジャングル大帝 テレビ 1965.jpgジャングル大帝 テレビ 1965 2.jpg 原作のオリジナルは、'50(昭和25)年から5年間「漫画少年」に連載されたもので、「鉄腕アトム」のオリジナルよりも以前になりますが、それを虫プロが手直しして、TV版に改変し放映を開始したのが'65(昭和40)年で、当時はまだカラーテレビの普及率が低かったものの(東京でカラー受像機は5千台程度)、番組スポンサーである電機メーカーのカラーテレビを普及させたいとの強い意向から、日本初のカラーアニメ番組が実現したとのことです。
ジャングル大帝 Complete BOX [DVD]

 このスポンサーというのは「三洋電機」のことであり、喜劇俳優の「エノケン」こと榎本健一(1904-1970)の「うち~のテレビにゃ色がない 隣のテレビにゃ色がある あらまきれいとよく見たら サンヨー・カラーテレビ」という軽妙ながらも視聴者の購買意欲をそそるコマーシャルが流れていました(因みににエノケンがCMに顔を出すのはこの作品だけで、初めてのCM出演がカラーで喜んだそうだ)。

弘田三枝子.jpg冨田勲6.jpg また、番組のエンディングテーマ「レオのうた」の作曲者は、後にシンセサイザー音楽作家として名を馳せる冨田勲(1932-2016)で、弘田三枝子(1947年生まれ)のパンチの効いた歌唱力により、アニメのエンディングテーマとしては人々の記憶に最も残るものの1つとなりました。弘田三枝子は、伊東ゆかりらと同様、少女時代から米軍キャンプで唄っていた経歴の持ち主で、このテーマを唄っている頃の彼女はややふっくら体型でしたが、自分で作ったカロリーブックをもとに、1日の食事を2000キロカロリー以内に抑えて半年間で17キロのダイエットに成功、1969年に「人形の家」がブレイクして第11回日本レコード大賞の歌唱賞を受賞し、1970年には『ミコのカロリーBOOK』を出版し150万部を超えるベストセラーになりました。

「ジャングル大帝 1966.jpgジャングル大帝・サンダ対ガイラ.gif 「ジャングル大帝」は、本書の手塚治虫自身の談によれば視聴率40%を超えたとのことで、その翌年に映画化され、主人公のレオが大人になってからの物語「新ジャングル大帝 進めレオ!」も引き続きテレビ放映されました。

「ジャングル大帝」('66年/東宝)ポスター(併映「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」('66年/東宝))

 映画版は劇場で見ましたが、オープニングの迸るような色彩の噴出に、ただただ圧倒された思い出があります(おそらくテレビではまだ白黒でしか見ておらず、それがいきなり大型スクリーンでカラーだったから衝撃をもって受け止められたのではないか)。

 本書の手塚治虫の談話を読むと、まずTVアニメの方は、音楽に経費を使い過ぎて、アニメの方は使い回しするなど苦心したとのこと、また、原画の色が当時のテレビ受像機ではそのままに出ないので、実際に映ったものを何度も見て絵具を塗り直したとのこと、それが今度は映画になると、その色がそのまま映像に出てしまうので、また修正と、かなり苦労したようです。

 因みに「ジャングル大帝」はその後、'97年(監督:竹内啓雄)、'07年(監督:谷口悟朗)に映画化されていますが(本書第2版は'97年版「ジャングル大帝」の公開に合わせて刊行されている)、それらはDVD化されているのに対し、この'66年版(監督:山本暎一)はDVDが無いようです(他作品とバンドルされて、期間限定でDVD化されたりしたことはあったかも)。(実際に、「鉄腕アトム」「ジャングル大帝」「新宝島」の3部作DVD-BOX として、2005年と2008年に発売されていることを、このブログを見た人から教えていただいた。期間限定生産だったが、マーケットプレイスで購入可能のようだ。)

w3.JPG 「ジャングル大帝」のテレビ放映時期は「鉄腕アトム」の終わりの方と重なっており、ほぼ同じ時期に虫プロのTVアニメ第2弾作品「W3(ワンダースリー)」の放映がありましたが('65年6月~'66年6月フジテレビで放映)、「W3」は「鉄腕アトム」と「ジャングル大帝」のどちらのアニメチームにも入れなかった虫プロのスッタフの「俺たちは落ちこぼれじゃないか」というひがみムードを払拭するために、そうしたスッタフの自発的なアイディアを尊重して作られた作品であるとのことです。

 もともと宇宙からきたリスのシリーズを考えていたところ、他のプロダクションでそっくりな企画が進行しているとの情報が入ってスパイ疑惑まで生じ、豊田有恒氏が虫プロを辞める事態にまで至ったわけですが(これが巷にいう「W3事件」)、その別のプロダクションの作品というのが「宇宙少年ソラン」です。

 「少年マガジン」で「W3」の連載が始まった後に「宇宙少年ソラン」の連載も同誌で始まり、しかもアニメ化された番組のスポンサーは菓子メーカー同士(ロッテ(W3)と森永(ソラン))の競合だったという―。結局、「W3」は「少年マガジン」の連載を中断し、「少年サンデー」で再開。但し、アニメの方は、途中から裏番組に「ウルトラQ」がきて、ガクンと視聴率が下がってしまったとのことですが、アメリカのローカル局に買われたとのことです(ローカル局のためか、吹き替え無しの字幕放送だった)。

 この本は、見ているだけでも楽しいですが、作者・手塚治虫自身による現場の裏話がふんだんに盛り込まれており(「W3事件」に関しても手塚自身が殆どの経緯を述べている)、読んでも面白かったです。

ジャングル大帝 1965.jpgジャングル大帝3.jpg「ジャングル大帝」●製作:山本暎一●チーフ・ディレクター:林重行●音楽:冨田勲●原作:手塚治虫●出演(声):太田淑子/小池朝雄/松尾佳子/明石一/田村錦人/勝田久/加藤精三/熊倉一雄/川久保潔/関根信昭/山本嘉子/千葉順二●放映:1965/10~1966/09(全52回)●放送局:フジテレビ

ジャングル大帝 劇場版 (1966)b.jpgジャングル大帝(劇場版)1966年2.jpg「ジャングル大帝」(劇場版)●制作年:1966年●監督:山本暎一●脚本:辻真先●音楽:冨田勲●原作:手塚治虫●時間:75分●声の出演:太田淑子/明石一/勝田久/松尾佳子/田村錦人/緑川稔●公開:1966/07●配給:東宝(評価:★★★★)

W3(ワンダースリー).jpgW3(ワンダースリー)2.jpg「W3(ワンダースリー)」●プロデューサー:黒川慶二郎●チーフ・ディレクター:杉山卓●音楽:宇野誠一郎●原作・総監督:手塚治虫●出演(声):白石冬美/近石真介/小島康男/沢田和子/金内吉男/池田一臣/桜井良子●放映:1965/06~1966/06(全52回)●放送局:フジテレビ

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これも力作だが、「犯人の見立て」を独自には行ってはいないため、"隔靴掻痒"感が。

時効捜査 竹内明2.jpg 時効操作2873.JPG        警察庁長官を撃った男.jpg 
竹内 明『時効捜査 警察庁長官狙撃事件の深層』['10年4月]    鹿島圭介『警察庁長官を撃った男』['10年3月]

長官狙撃事件 共同.jpg 鹿島圭介 著 『警察庁長官を撃った男』('10年/新潮社)と同じく、'95年3月発生の警察庁長官狙撃事件の時効に合わせて刊行された本で、著者はTBS報道局社会部として、夕方のニュース番組の編集者やキャスターを務めた経験もある人です。

 取材をTBS報道部がバックアップしているとは思われますが、400ページ超の大作であり、同時にこれもまた力作であって、事件捜査の背後にあった警察内の刑事部と公安部の確執についてはこれまで読んだ類書の流れと同じでしたが、事件そのものの経緯などは『警察庁長官を撃った男』よりもずっと詳しく書かれています。
警察庁長官狙撃事件 1995年3月30日[共同通信社]

 ある時期からオウム信者の小杉(本書では「小島」という仮名になっている)元巡査長が事件の実行犯であると疑われ、その後、小杉元巡査長自身が曖昧な供述の繰り返しのため、焦った当局は、実行犯から支援者に切り替えて'04年に彼を起訴するものの、検察の門前払いを喰って不起訴となりました(警察が証拠とした現場に遺棄された10ウォン硬貨に付着していたDNAというのが、確度の低いミトコンドリアDNAだったいうのは、本書で初めて知った)。

警察庁長官狙撃事件 時効.jpg 本書では、そうした事件捜査の迷走ぶりをドキュメンタリー風に描くとともに、'10年3月に時効を迎えた後、警視庁が時効の翌日に「警察庁長官狙撃事件の捜査結果概要」なるものを警視庁のウエブサイトに掲載し、この事件がオウムに対する組織的なテロであると結論付けていることに対し、あとがきで更に批判を加えています。

 勿論、このことは世間でも批判の対象となり、日弁連が削除を要請、アレフによる民事訴訟の対象ともなっていますが、本書あとがきにある公安幹部の「民事訴訟を起こされても構わない。そうなれば我々としては民事の法廷で真実を明らかにできるじゃないか」という言葉からすると、ある意味、「時効後の捜査」を続ける手立てとして確信犯的にやったのかも。

 本書では、オウムを中心に幅広く長官狙撃犯の可能性を探り、それぞれの裏が取れるところまで取り、犯行の可能性が残る部分はそのまま可能性として提示しているという感じで、非常に客観的に書かれているように思いました。

 『警察庁長官を撃った男』では、事件が老スナイパー・中村泰(ひろし)の犯行であることを印象付けるものとなっていましたが、本書では「中村犯行説」を取り上げてはいるものの、目撃情報との身体的特徴の落差や、4発目の銃弾の行方に対する証言の不確かさから(中村は長官の異変に気付いて飛び出して来た警官の背後の空中へ向けての威嚇射撃だったとしたが、警官はその時まだ現場には来ておらず、弾は空中ではなく植え込みに撃ち込まれていた)警視庁サイドが「中村犯行説」は無いとしたことで、それほど重きを置いて扱ってはおらず、但し、中村の供述が捜査本部内の刑事と公安の溝を更に深めることになったとはしています。

国松長官狙撃事件 犯人逃走経路.jpg 個人的に気になったのは、犯人が逃亡する際に、一般には「自転車で猛スピードで逃げ去った」とされていますが、実はアクロシティ敷地内で途中で一旦自転車を止めて、どちらへ逃げるか逡巡するような行動をとっていることで(このことは複数の目撃者がいたにもか関わらず事件発生のかなり後になって公表された)、これは逃走進路上に一般人がいて、進路の先にいた見張り役の誰かの合図によって一時停止したものと思われますが(横殴りの雨降りだったのに傘もささずに立っていたこの"誰か"が、オウムの幹部に似ていたという話もある)、そうしたことが本書の「小杉供述」にも「中村供述」にも無いことでした。

 オウム関連ではその他に、既に松本サリン事件の実行犯として死刑が確定している端本悟や、本書刊行当時逃亡中だった平田信にも、警視庁内では、長官狙撃の実行犯である疑いが持たれていたことが窺えます。

平田信.jpg 平田信は、昨年('11年)12月31日に丸の内警察署に出頭し逮捕されましたが、本書によれば、公安が'96年に、平田信の所在に繋がる女性信者(齋藤明美)を50人がかりの追尾要員であと一歩のところまで追い詰めながら(隠れ家の仙台のアパートまで辿りついた)、タッチの差で二人を取り逃がしていたとあり、この辺りは、刑事ドラマを見ているみたいだなあ(結局、齋藤明美は平田の逮捕後の今年('12)1月10日に、弁護士に付き添われ大崎署に自首した)。
平田 信・齋藤明美(ANN)

 長官狙撃事件の鍵を握るとも言われる平田信が捕まったのが時効の後では...。一橋文哉 著 『オウム帝国の正体』('02年/新潮文庫)によれば、オウム教団がロシアで行った射撃ツアーでも平田信の成績は良くなく、人を撃てるようなレベルではなかったということですが、一応、国体のライフル射撃の選手だったんでしょう?

 射撃訓練ツアーに参加した信者の証言では、「ちゃんと当たったのはただ二人。一人は自衛隊出身の山形明さんで、もう一人が平田信さんでした」(有田芳生氏の「酔醒漫録」より)とあり、一方、同じツアーに参加していた端本悟の名前はありません。

 公安部の改変後の"シナリオ"によると、小杉元巡査部長が現場でコートを渡した相手が端本悟で、彼が実行犯ということになり、本書によれば、捜査当局は、射撃訓練ツアーの参加者の内、教団幹部の元自衛官(山形明と思われる)から「端本の腕前の印象はないが、それなりに命中していたと思う」という供述を引き出し(無理矢理?)、端本悟は「射撃の腕前あり」と半ば強引に判断したようです。

 但し、これは改変した"シナリオ"を補強するためのものに過ぎず、公安が端本を訴追するには至っていないため、本書もここまで止まり。捜査の展開を具に拾ってはいるものの、「犯人の見立て」というものを著者が独自に行っているわけではなく、事件の"迷宮入り"をそのままなぞっている気もして、この辺りの"隔靴掻痒"感が、本書の弱みと言えば弱みでしょうか。

 本書の後に出た小野義雄 著『公安を敗北させた男 国松長官狙撃事件』('11年/産経新聞出版)は「端本実行犯説」みたいだけど...。

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力作だが、「中村犯行説」に否定的に働く要素が恣意的にオミットされているような気も。

警察庁長官を撃った男.jpg警察庁長官を撃った男 874.JPG  鹿島 圭介 『警察庁長官を撃った男』.jpg 国松長官狙撃事件現場.jpg
警察庁長官を撃った男』['10年]『警察庁長官を撃った男 (新潮文庫)』['12年]

中村泰.jpg '95年年3月30日に荒川区南千住のマンション・アクロシティ敷地内で発生した国松孝次警察庁長官狙撃事件が、事件後15年を経た'10年3月に時効を迎えるのに合わせて刊行された本で、'03年以降、捜査の途中で何度かその名が浮かび上がった老スナイパー・中村泰(ひろし)の犯行であることを印象付けるものとしては力作です。

 警察、とりわけ南千住署において捜査を主導した公安は、この事件をオウム真理教信者らによるものと見込んで、特に、信者である元警視庁巡査長を最初の内は狙撃犯として捜査に当たりましたが、K(小杉)元巡査長の曖昧な供述に翻弄され、神田川に棄てたという拳銃をはじめ何ら物証らしきものも見つからなかったため、事件から9年後の'04年7月に、現場に残されていた10ウォン硬貨に付着していたDNAと小杉元巡査長のそれが一致した(?)として、彼を実行犯ではなく現場にいた支援者だったとし、彼を含むオウム信者4人を逮捕、内2人と共にK元巡査部長を起訴していますが、その後の取り調べでも事件につながる証拠は何も出て来ず、同年9月には不起訴処分となっています。

警察が狙撃された日 そして〈偽り〉の媒介者たちは.jpg 以前に、谷川葉 著 『警察が狙撃された日―そして「偽り」の媒介者たちは』('98年/三一書房)を読みましたが、警察内の刑事部と公安部の確執にスポットを当てているのは本書と同じで、「小杉犯行説」が濃厚視されることをベースに、公安が小杉元巡査部長の供述を無きものにしたという趣旨だったように思いますが、本書においては、公安のメンツを保つためにオウム犯行説にこだわり続け、刑事部「中村捜査班」の取り調べ成果を、米村敏朗・警視総監(当時)が一顧だにしなかったとして、名指しで米村批判をしています。

 その、本書で著者が限りなく真犯人に近いとしている中村泰については、今回初めて詳しく知りましたが、昭和5年生まれで東大中退のちょっと天才肌の凄い人物(名古屋で起きた現金輸送車襲撃事件で現行犯逮捕され服役中)。犯行の経緯を著者に詳細に語る下りは、まさに彼こそ真犯人であると思わせるものがあります。

 小杉元巡査長の"犯行当時"の供述も具体的であることはあるのですが、そこまで具体的に語っておきながら、その後、「自分はやっていないような気がする」などと前言を翻したりしているのを見ると、取り調べに誘導があって、供述書が実質的に警察の"作文"になっている可能性もあるような...(証拠が見つからないと、彼は実行犯ではなく支援役だったという供述書が出てくるところなどは、更に"作文"の疑いを深める)。

 一方の中村泰の供述は、小杉供述に勝るとも劣らぬ具体性があり、例えば、事件当日に國松長官がアクロシティEポートの正面玄関からではなく、たまたまその日に限って通用口から出てきた時の、予想と異なった際の心理状態についても語られています(30メートル先に現れる予定だった"標的"がいきなり10メートルも手前に現れたから、驚くのは当然)。

 個人的には、地下鉄サリン事件の10日後に起きた事件であったことから、ずっとオウム犯行説なのですが、中村泰の犯行動機が、本書にあるように、オウムの犯行と見せかけて、警察を焚きつけてオウムを一気に壊滅に追い込むことであれば、この時期的な符合は不自然ではありません。

 但し、中村泰がもう一つの犯行動機としている警察機構への復讐と第一の犯行動機とは矛盾するものであり、また、現場に北朝鮮の硬貨を遺留してくることは、どちらの動機から見ても全く意味をなさず、更には、中村自身も自らの供述を何度も翻したりボカしたりしているところがあるため、彼の供述にも疑念の余地は大いにあるように思いました(長官狙撃を思い立ったという時点から実行までの期間があまりに短いのも気になる)。

国松長官狙撃事件現場.jpg そう思い始めると、やはり犯行目撃者の多くが証言している"身長170~180センチの男"と中村の160センチという身長の格差"や(本人が産経新聞の記者に、犯行当時シークレットブーツを履いていたと語ったという話はあるが)、犯行当時65歳の誕生日を目前に控えていたという"高い年齢"から、「中村犯行説」も怪しくなってくる...(本書では、「中村犯行説」にネガティブに働く要素が、恣意的にオミットされているような気も)。

 刑事部と公安部の確執は類書にもあるので、もう少し、犯行がどのように行われ、それに対する小杉・中村両者の供述がどれくらい符合しているかを検証して欲しかった気がします。

警察による現場検証の様子.jpg 例えば、狙撃犯が潜んでいたとされるアクロシティFポートの植え込みからでは、"標的"がEポート正面玄関から出てきた場合は、長官狙撃事件6.JPG射程距離が30メートルもあるばかりでなく、狙える角度というのが極めて鋭角的に限定され(右写真女性の立ち位置)、従って一瞬の内に標的に狙いを定め発砲しなければならない―そんな難しい位置取りで待機し、それがたまたま予定よりも10メートル手前から標的が現れたとしても、一巡査長や65歳の老人が、一瞬にして移動中の標的に照準を合わせ、連続して3発もの銃弾を標的に命中させることが果たして出来ただろうか、かなり疑問です(上写真:警察による現場検証の様子 左手前から右先の人物に向けて狙撃がなされたと推定されている)。
長官狙撃事件 読売.jpg 但し、本書にある最初の「小杉供述」によると、Fポートの吹き抜け(通路)に潜んでいると、格子窓(左写真の右上)からEポートの通用口が見え、マンションから男が出てきたので植え込みの所へ移動して撃ったとなったおり、これがFポート東辺吹き抜け通路中程(左写真の「1」の札のある位置)から隅田川寄りの植え込み(左写真の左奥グリーン方向)へ移動して撃ったとなると標的への距離はぐっと縮まります(最初の供述では、その際に現場で小杉元巡査を誘導したのは、早川紀代秀・平田信・井上嘉浩とされている。井上は小杉のすぐ傍にいたことになっていて、では彼はどうやって現場から立ち去ったのかが不思議)。
狙撃現場を調べる捜査員[2012年3月30日 YOMIURI ONLINE(事件不起訴処分となった日に再掲)]

 隅田川寄りの植え込みから撃ったとなると、「中村供述」にある「30メートルが20メートルになった」という話どころか、標的までの距離は10メートル強となり、ある程度の射撃が出来れば標的を撃てそうな気もするのですが、但し、実際に長官がそんな至近距離から撃たれたという話は公表されている限りでは無いようだし、やはり移動したのが手前の植え込みだとすれば、結局、「小杉供述」も「中村供述」とほぼ同じことになってしまう...。長官は背後から撃たれているようだから、手前の植え込みから撃ったのかなあ。そうすると犯人は、上写真手前植え込みから女性の立ち位置辺りにいた標的に対し、3発連続で的を外さなかったわけで、驚異的な射撃の腕前を持った人物ということになるのですが...。

【2012年文庫化[新潮文庫]】

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パズルの基本は、時代を経てもあまり変わっていないのかも。

頭の体操112900.JPG 頭の体操 第11集.jpg     頭の体操1-6.jpg
頭の体操〈第11集〉夢のスーパー・ベースボール・パズル (カッパ・ブックス)』(カバーイラスト:松下進) 『頭の体操〈第1集〉~〈第6集〉』(カバーイラスト:伊坂芳太良(第1~4集)/水野良太郎(第5~6集))
頭の体操  〈第7集〉.jpg頭の体操 (第7集) (カッパ・ブックス)』(カバーイラスト:水野良太郎)

頭の体操 〈第7集〉.jpg 多湖輝氏の『頭の体操』は正規シリーズで23集まであります頭の体操 水野良太郎.jpgが、第1集が'66(昭和41)年12月刊行で、翌'67年に第2集から第4集が刊行され、その後約10年のブランクがあって、'77(昭和52)年とその翌'78年に第5集と第6集が、更に7年の間隔が空いて'85(昭和60)年に第7集が刊行されています(第7集のカバー裏の推薦文はプロスキーヤーの三浦雄一郎氏が書いている)。'86(昭和51)年刊行の第8集以降はカバーイラストが水野良太郎(1936-2018)(第1集から第4集までのカバーイラストは伊坂芳太良、本文イラストは水野良太郎が永らく描いていた)から松下進に交替し、以降15年間ほぼ毎年刊行されて2001年刊行の第23集までいき、そこでようやっと「打ち止め」―という感じでしょうか)。

頭の体操 第1集』['66年]より

 全23集のうちの後半の方は、刊行が続いていたこと自体あまり印象が無いのですが、ちょうど真ん中あたりに当たるこの第11集は'89(平成元)年の刊行で、このシリーズは第10集まで文庫化されていますが、この第11集以降は文庫化されていないようです。振り返ってみれば、この頃にはもうプロのクイズ作家が作問したり、一般公募して寄せられた問題の中から選んだりしていたのだなあと(「あるなしクイズ」の考案者として知られるクイズ作家の芦ヶ原伸之(1936-2004)が第5集から参画し、また、第5集刊行時から一般に問題を公募している)。

 著者・多湖輝氏(この年に千葉大の「名誉教授」になっている。シリーズ最初の頃は「助教授」だった)のカラーがちょっと見えにくくなっているかなあ。テーマは「ベースボール」だけど、あまり"野球繋がり"が感じられない問題が多いように思います。

 中には屁理屈問題も無くは無いですが、概ね1つ1つのパズルの質自体は落ちていないと思われ、今テレビでやっているクイズ番組(ブームと言ってもいいくらい、いっぱいやっているなあ)で出されているような問題と同レベルかそれよりはやや難しいかも。

 「犬⇔神」「壺⇔頂上」「十⇔網」の3つのグループにある法則を探せとか、「(A)3、4、7、8」「(B)1、1、9、9」の各4つの数字を1回ずつ使って、+-×÷の記号と()の組み合わせで、それぞれ答えを「10」にしなさいとか。

 前者の問題は、単語を英語に置き換えてみればわかります(こういうのは最近のテレビのクイズ番組などでもよく見かける)。後者の問題は、これが出来れば算数の天才と思っていいとのこと。分数(割り算)を使うのがミソですが、ヒントをもらったとしても解けなかったと思います。
 
頭の体操 1-16.jpg そう言えば、有名進学校の数学研究会か何かで、予めミッション数を定め、トランプを順番にめくっていき、四則記号との組み合わせでミッション数になる組み合わせを早く見つけ出すことを競うパズルを、日頃からやっているのをテレビで見たことがあります。

 最近の「脳トレ」とかを見ても(今はみんなDSでやるんだなあ)、パズルの基本は、時代を経てもあまり変わっていないような気がします。問題が解ける人よりも、問題を作っている人の方が頭いい?

 「Yahoo!オークション」に第1集から第16集までまとめて出点されていました。一部現在自分の手元にあるものもあるためわざわざ買わないけれど。

《読書MEMO》
水野 良太郎 2018年10月30日死去
水野 良太郎.jpg

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『頭の体操』シリーズ"第1期"4冊の最終弾。ここまでの4冊で売り尽くした?

頭の体操2872.JPG 頭の体操4.bmp頭の体操〈第4集〉.jpg  頭の体操 パズル・クイズで脳ミソを鍛えよう 多湖輝.jpg頭の体操第1集.jpg
頭の体操〈第4集〉―これがカラー・テレビ式パズルだ (1967年) (カッパ・ブックス)』『頭の体操〈第1集〉―パズル・クイズで脳ミソを鍛えよう (カッパ・ブックス)』(カバーイラスト:伊坂芳太良

頭の体操 第2集・第3集.jpg 『頭の体操』の第1集「パズル・クイズで脳ミソを鍛えよう」は'66(昭和41)年刊行で、この第1集だけで250万部発行されたそうで、昭和のベストセラーの中でも、最も短期間で100万部に達した本の1冊でもあります。刊行が12月だったため、翌'67(昭和42)年のベストセラーランキングで第1位となっており、この年には、第2集「百万人の脳ミソに再び挑戦する」、第3集「世界一周旅行をパズルでやろう」も、それぞれベストセラーランキングの第3位と第6位に入っています。

頭の体操 第2集 百万人の脳ミソに再び挑戦する (カッパ・ブックス)』『頭の体操〈第3集〉―世界一周旅行をパズルでやろう (1967年) (カッパ・ブックス)』(カバーイラスト:伊坂芳太良) 

 この第4集「これがカラー・テレビ式パズルだ」('67年刊行)は、翌'68(昭和43)年のベストセラーランキング第5位。結局、『頭の体操』の正規シリーズとしては第23集('01年)まで出されていて、累計で1200万部売れたそうですが、この第4集までの勢いがとにかく凄かった―。

頭の体操 第6集 2.jpg頭の体操 第5集 - 2.jpg 第4集の刊行と第5集の刊行の間に約10年もの間隔があり、第4集までが、このシリーズの言わば"第1期"と言っていいのではないでしょうか(第1集から第4集までの表紙イラストは:伊坂芳太良(いさか・よしたろう))。この4冊で売り尽くしたと言う感じで、それに比べると、シリーズ再開後の第5集・第6集まではまだ個人的にも何となく「こんな問題、あったなあ」という印象がありますが、表紙カバーイラストが水野良太郎(1936-2018)から松下進に交替した第8集以降は記憶の影が薄いか、或いはそもそも読んでいないかも(本文イラストは水野良太郎が永らく描いていた)。
頭の体操〈第5集〉―天才のパーティに参加しよう (1977年) (カッパ・ブックス)』『頭の体操 第6集 (カッパ・ブックス)』(カバーイラスト:水野良太郎)

頭の体操1-6.jpg '66年から'78年の間に刊行された第1集から第6集までは後に文庫化もされ(最終的には第10集まで文庫化された)、'09年には過去問から抜粋した「BEST」集も出されていて、ニンテンドーDS用にソフト化されているし、時々ぶり返すようにブームになっているみたいです。こうした根強い人気の背景には、「パズル」の基本を押さえたオーソドックスな問題が数多く採り入れられていたということがあるのかもしれません。

「頭の体操」4 多胡輝.jpg この第4集は、「これがカラー・テレビ式パズルだ」というなんだか時代を感じさせるサブタイトルですが、当時のテレビ番組をモチーフとしてクイズが構成されています(カラーの世帯普及率は'68(昭和43)年で4.4%、'69(昭和44)年で10.9%、'70(昭和45)年で40.2%であり、短期間で急速に普及したものの、取り上げられている番組は当然のことながら本書刊行年('67(昭和42)年)以前から放映されていたものであり、ほぼすべてモノクロ番組と言っていい)。

 出てくる番組が、「モーニングショー」「ロンパールーム」「ローハイド」「ウルトラセブン」「シャボン玉ホリデー」「意地悪ばあさん」「コンバット」「七人の刑事」「ザ・ガードマン」「ルーシー・ショー」「八十七分署」「ワイオミングの兄弟」「三匹の侍」等々、今見ると懐かしいなあという感じ(この懐かしさで、星半個オマケ)。

ローハイド3.bmp 「ローハイド」なんて、話は覚えてなかったけれど('06年にNHK-BSで再放映されたのを観てクリント・イーストウッドが出ていたことを思い出したぐらい)、フランキー・レインが唄うテーマソングだけは忘れられず、いつの間にか口ずさんでいたりするメロディです。

ローハイド1.jpg「ローハイド」(Rawhide) (CBS 1959~1965) ○日本での放映チャネル:NET(現テレビ朝日)(1959~1965)

 
 論理パズルや頓知クイズなど、このシリーズにおけるパズルの種類は多岐に渡りますが、本書を再読してみると意外と数学パズルが多かったのだなあ。本書では、設問ごとに、当時の大学生(青山学院大学)200人の正答率が出ていますが、そのため、こんなの解けるはずないよ~と思っても、学生が一定率の正解をしているとなると、あまり文句が言えなくなる? 当時の学生の成績はなかなか優秀で、自分としては完全に負けている...。

 印象に残っている問題は、「ある朝受け取った2日前の消印がある封書の中に、今朝の新聞が入っていた」ことのカラクリを考えさせるもので、これ、有名な推理小説のトリックでも使われているそうですが、かつて実際に、"地震予言者"と称する人が、「2日後に地震があります」と書いたハガキをご近所さんに出していた、その2日前の消印のハガキをご近所さんが受け取った日の朝、実は地震があった―という話がありましたねえ(このトリックを成すには、自分宛の宛名を鉛筆下記したハガキを毎日出すようにしていなければならないのだが。ご苦労さん、と言うか...)。

【2005年文庫化[知恵の森文庫]】

《読書MEMO》
●1967年(昭和42年)ベストセラー
1.『頭の体操(1)』多湖 輝(光文社)
2.『人間革命(3)』池田大作(聖教新聞社)
3.『頭の体操(2)』多湖 輝(光文社)
4.『華岡青洲の妻』有吉佐和子(新潮社)
5.『英単語記憶術』岩田一夫(光文社)
6.『頭の体操(3)』多湖 輝(光文社)
7.『姓名判断』野末陳平(光文社)
8.『捨てて勝つ』御木徳近(大泉書店)
9.『徳川の夫人たち』吉屋信子(朝日新聞社)
10.『道をひらく』松下幸之助(実業之日本社)

●1968年(昭和43年)ベストセラー
1.『人間革命(4)』池田大作(聖教新聞社)
2.『民法入門―金と女で失敗しないために』佐賀 潜(光文社)
3.『刑法入門―臭い飯を食わないために』佐賀 潜(光文社)
4・『竜馬がゆく(1~5)』司馬遼太郎(文藝春秋)
5.『頭の体操(4)』多湖輝(光文社)
6.『どくとるマンボウ青春記』北杜夫(中央公論社)
7.『商法入門―ペテン師・悪党に打ち勝つために』佐賀 潜(光文社)
8.『愛(愛する愛と愛される愛) 』御木徳近(ベストセラーズ)
9・『道路交通法入門―お巡りさんにドヤされないために』佐賀 潜(光文社)
10.『Dの複合』松本清張(光文社)

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「五社協定」はまさに、三船、裕次郎にとっての「破砕帯」であった。

黒部の太陽 ミフネと裕次郎.jpg 黒部の太陽 全記録.jpg  黒部の太陽 ポスター.jpg 熊井啓.bmp 熊井 啓(1930‐2007)
黒部の太陽』['05年]『映画「黒部の太陽」全記録 (新潮文庫)』['09年] 映画「黒部の太陽 [通常版] [DVD]」['68年]ポスター

黒部の太陽 ポスター2.jpg 映画「黒部の太陽」('68(昭和43)年/日活)は、或る一定世代おいては学校の課外授業で観た人も多いと思いますが、自分もその一人。この度、石原プロが、東日本大震災の被災地支援のため全国でチャリティー上映会を催すとのことで、その第1弾の上映が来月('12年5月)に黒部市で行われ、年末までに全国約150カ所を巡って上映するそうですが、どういう上映形態になるのでしょうか。

 と言うのは、生前の石原裕次郎が「こういった作品は映画館の大迫力の画面・音声で見て欲しい」と言い遺したためソフト化されていない一方で(2013年3月DVD化)、スクリーン上映もこれまで殆ど行われておらず、裕次郎の13回忌や17回忌などに、石原プロが関係するイベントで上映されている程度。しかも、封切版は3時間15分の作品ですが、海外公開用に編集された「約1時間がカットされたもの」を公開しているとのこと(本書著者あとがき)、過去のノーカット版の上映は、大阪市と黒部市での2回のみだそうです。

黒部の太陽2.jpg 今年('12年)3月17日にはNHK‐BSプレミアムで33年ぶりにTV放映され、「特別篇」と称した2時間20分の海外用短縮版を観ましたが、ラストの三船敏郎がダム完成後に工事用の隧道内を歩くシーンなど、作品において不可欠と思われる場面がカットされているように思われました。こうなると、不完全燃焼感の残る再放送を観るよりも、こちらの監督自身による、映画完成までの苦難の道程を記録した記録を読む方が面白かったりして...。

 勿論、映画を観た上での相乗効果的な面白さですが、まだ映画を観ていない人は、本書を読んでから映画を観るとより面白いと思います(本書後半には、映画シナリオの完全版を掲載)。

黒部の太陽3.jpg 本書によれば、映画制作のきっかけは、石原プロの専務・中井景が、毎日新聞編集委員・木本正次が'64(昭和39)年に毎日新聞に116回に渡り連載した原作小説『黒部の太陽』に着目したことですが、'62年に日活から独立した石原裕次郎は、'63年には独立第1弾として、「太平洋ひとりぼっち」を公開するものの興行面では失敗に終わり(これは母親に連れられてリアルタイムで観たなあ)、ややジリジリしていたみたいで、中井が著者に監督を打診する辺りなどは、なかなか興味深いものがあります。

 一方で中井は三船プロの三船敏郎にも渡りを付け、監督が熊井啓ならば、ということで制作・出演の了解を得(三船は初め熊井のことをよく知らなかったみたいだが)、映画は石原プロと三船プロという俳優が興したプロダクションによって制作されることになりますが、当時は大手の映画会社が制作・配給・劇場公開までを仕切るのが通常で、裕次郎、三船という日活・東宝の看板スターでも、独立系プロダクションが映画を作るというのは大変なことだったようです。

 特に石原・三船らを苦しめたのは、当時映画会社の間にあった「五社協定」と呼ばれる取り決めで(当初は、松竹・東宝・大映・東映・新東宝の5社、後に新東宝に替わって日活が加わる)、協定では、実質上ある映画会社の俳優は、その映画会社の撮影所でその映画会社の監督以下スタッフのもと映画に出演し、制作・配給し、その映画会社の系列映画館でしかできないというもので、日活に縁のある石原裕次郎が、東宝に縁のある三船敏郎と組んで、日活社員であった熊井啓に映画会社の事前了解無く脚本を書かかせ(井手雅人の脚本の前に熊井自身が一度脚本を書いている)、映画を撮らせるというのは、そうした閉鎖的な業界から見れば掟破りのことだったようです。

 '64年に三船敏郎と石原裕次郎は「三船プロ・石原プロの共作で『黒部の太陽』を映画化する」と"中央突破"的に会見し、このことは同じく会見に臨んだ著者(熊井啓)の日活解雇問題にまで発展、こうした経緯が、映画化が実現するまでに時間を要した原因となりますが、その間にも、石原プロが厳しい財政状況だった裕次郎は、スタッフ・キャスティングに必要な人件費が充分にないため、劇団民藝の主宰者である宇野重吉を訪ねて協力を依頼し(宇野重吉は協力・出演を快諾。映画は、息子・寺尾聡の映画初出演作ともなった)、また、制作に当たって映画会社から圧力が掛かっていた関西電力を訪ね、経営層トップにシンパを築くことなどもしていきます

 '66年に再び三船と裕次郎が会見を開き、『黒部の太陽』を映画化すると再発表しますが、資金面だけでなく撮影面でも大掛かりであったため(トンネル工事の再現セットが愛知県豊川市の熊谷組の工場内に作成された)、クランクインしてからも苦難の連続で、トンネル内の出水シーンでは、420トンの水タンクの水が想定以上に勢いよく押し寄せ、裕次郎が親指を骨折したほか負傷者が何人も出たとのことです(奔流に流される裕次郎を救出しようと監督がカメラの前に飛び出したのが映っている)。

高熱隧道.jpg トンネル工事、とりわけ「関電トンネル」にフォーカスした脚本は成功していると思われますが、結局、ダム工事で一番大変なのが隧道建設であることは、戦前・太平洋戦争直前の黒部第三ダムの建設を描いた吉村昭のノンフィクション小説『高熱隧道』('67年/新潮社)からも窺えます(この「黒部第三ダム」の建設の大変さは、映画では、裕次郎演じる熊谷組下請け会社・岩岡(モデルは笹島建設の社長)の父・源三(辰巳柳太郎)などによって再現されている)。

高熱隧道 (新潮文庫)

 因みに、"昭和の大工事"とされた黒部川第四発電所建設での犠牲者が171名に対し、この第三発電所建設は全工区で300名以上の死者が出て、吉村昭が小説でフォーカスした阿曾原谷側工事だけでも188名の死者が出ています(この時は温泉水脈の傍を掘ったため、"灼熱地獄"の中での工事だった)。

黒部の太陽 5.jpg 黒四ダムの「関電トンネル」は全長5.4キロを掘り進む工事でしたが、熊谷組坑口から1.4キロの地点で「大破砕帯」にぶつかり、湧水を含んだ地中の軟弱層が切羽を押し潰すという事態が繰り返し起きて工事は難航(こちらは、漏水による言わば"水地獄"状態)、これが、本書を読むと、「五社協定」によって映画作りが難航したことと丁度ダブって見え、まさに「五社協定」は、三船、裕次郎にとっての「大破砕帯」であったわけです。

 その他にも本書を読んで知ったのは、三船敏郎が演じた関西電力黒四建設事務所次長・北川の娘(日色ともゑ)が白血病で亡くなるという話は、モデルとなった芳賀公介という人が、関電トンネルの完成とほぼ同じ頃に娘を亡くしており、事実に基づいた話だったのだなあと。

「黒部の太陽」03.jpg 関電トンネルが貫通してもいい頃なのになかなか貫通せず、その日も皆諦めて帰りかけた時に、裕次郎演じる岩岡が鑿を突っ込んだら貫通していたというのも、笹島氏の話によると事実だそうで、それで、貫通祝賀の儀式は、反対面から掘っていた間組ではなく、熊谷組の仕切りになったそうです。

「黒部の太陽」.jpg 47歳の三船敏郎の演技は重厚。貫通祝賀の日に娘の訃報が入るという、歓喜と悲嘆の入り混じる場面の演技は秀逸ですが、撮影前夜に笹島氏らと酒を飲み、しかも三船は朝まで飲んで、真っ赤に充血した目で撮影現場に現れたそうで、それが黒部の太陽1.jpg映画では演技にリアルさを持たせ、それも役作りの一環だったわけかと、後で笹島氏は悟ったそうです。

 石原裕次郎(1934‐1987)、三船敏郎(1920‐1997)が亡くなった際の著者の追悼文が付されていますが、まさか三船を兄貴分と慕っていた裕次郎の方が先に亡くなるとは。プロデューサーの中井景も脚本の井手雅人も鬼籍に入り、裕次郎、三船への追悼文を書いた著者・熊井啓(1930‐2007)も、本書が文庫化される前に亡くなっているのが寂しいです。
 
黒部の太陽58.jpg「黒部の太陽」●制作年:1968年●製作:三船敏郎(三船プロダクション)/中井景(石原プロモーション)/石原裕次郎(石原プロ)●監督:熊井啓●脚本:井手雅人/熊井啓●撮影:金宇満司●音楽:黛敏郎●原作:木本正次「黒部の太陽」●時間:195分●出演:三船敏郎/石原裕次郎/滝沢修志村喬/辰巳柳太郎/宇野重吉/二谷英明/芦田伸介/佐野周二/岡田英次/山内明/寺尾聰/柳永二郎/玉川伊佐男/高津住男/加藤武/成瀬昌彦/信欣三/大滝秀治/清水将夫/下川辰平/庄司永建/鈴木瑞穂/日色ともゑ/樫山黒部の太陽 滝沢修.jpg大滝秀治 黒部の太陽.jpg文枝/川口晶/内藤武敏/佐野浅夫/草薙幸二郎/榎木兵衛/武藤章生/北林谷栄/三益愛子/高峰三枝子●公開:1968/02●配給:日活(評価:★★★★☆)

滝沢修(関西電力社長・太田垣士郎)/大滝秀治(間組・上条班長)

【2009年文庫化[新潮文庫(『映画「黒部の太陽」全記録』)]】

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全1,811ページ、洋邦画13,600本を網羅。DVD化されなかった昔の作品のデータなどを知る上で貴重か。
シネマクラブ.JPG  『ぴあ Cinema Club 1995:洋画・邦画篇』 71.JPG『ぴあ Cinema Club 1995:洋画・邦画篇』(1995/01)

『ぴあ Cinema Club 1995:洋画・邦画篇』 272.JPG '72(昭和57)年に創刊され、'11年8月4日号が最終号となった雑誌「ぴあ」が別冊として出していた映画データベースMOOK「ぴあシネマクラブ」の1冊。

 「ぴあシネマクラブ」の刊行履歴を振り返ると、80年代後半から90年代にかけては、'87年 洋画篇、'89年 邦画篇、'89年 洋画篇、'91年 邦画篇、'91年 洋画篇、'92年 邦画篇、'92年 洋画篇、'93年 邦画篇、'93年 洋画篇、'94年 邦画篇、'94年 洋画篇、'95年 洋画・邦画篇、'96年 邦画篇、'96年 洋画篇、'97-98年 洋画編、'97-'98年 邦画編、'98-'99年 洋画編、'98-99年 邦画編......となっていて、『外国映画+日本映画 2008年最新版』('07年)というのが最後になっていますが、新しいものが過去のものの掲載分も全て網羅しているわけではなく、DVD化されなかったり廃盤になったりしているものは一部除かれているようです。

 そうした意味では、昔のものは昔のものなりに保存しておく価値もありそうですが、amazon.com で「ぴあシネマクラブ」で検索してみると、マーケットプレイス(古書市場)に出品されているのは、'96年の 邦画篇と洋画篇以降で、'95年以前のものは出されていないようです。

 全部とっておいても良かったのですが、スペースを取るし、1年ごとに見ると殆ど過去分は重複しているように見えるため、結局処分してしまったのだなあ―ということで、手元にある一番古いものは、この'95年版の「洋画・邦画篇」。

 この辺りの年代では、この年度だけ洋画・邦画合体版で、1冊で事が足るため便利で、それで捨てずにいたのだろうなあ(マーケットプレイスでも入手できないとなると、ある意味"貴重"か)。

 全1,811ページ、洋画8,500本、邦画5,100本、計13,600本を網羅し、『外国映画+日本映画 2008年最新版』の全2,015ページ、13,700本に匹敵する歴代2番目のヴォリューム(冒頭に示したように、洋画と邦画を一纏めにしたのはこの2回しかなかったわけだから、自ずとそうなるのだが)。この年の号の新規掲載が約600本で、'08年版の新規掲載が約900本だから、毎回、相当数の掲載作品の入れ替えがなされていたということなのだなあと。

 ネット化の時代、こうした電話帳顔負けのボリュームのMOOKは「紙文化」の遺物と言えなくもないけれど(「ぴあ」本誌の休刊もネット化の流れが最大の要因かと思われる)、当MOOKには、ネットで検索しても殆ど情報が得られないような作品についても、あらすじや評価などが記されているのが利点で(評価は星(★)半個単位、最高評価は★★★★。但し、星による評価があるのは'96年版まで)、特に一旦ビデオ化はされたことはあるけれども、DVD化されることは無かったような作品の内容を知る上では結構使えます。

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中学英単語を網羅。向き不向きはあるが、自分としては「語呂合わせ」記憶術の"推奨派"。

基本英単語連想記憶術2.jpg 『基本英単語連想記憶術―天才の記憶術 (青春新書)英単語連想記憶術 第1集.jpg 英単語連想記憶術 第2集.jpg 『英単語連想記憶術〈第1集〉―心理学が立証した必須4000語の獲得 (青春新書)』 『英単語連想記憶術〈第2集〉―笑いながら獲得する必須3000語 (青春新書)』〔新版'98年〕

基本英単語連想記憶術.JPG 著者(故人)の『英単語連想記憶術(第1集・第2集)』('74年/青春新書)には、かつて高校生時代に大変お世話になり、今は2色刷りとなったそれぞれの新装改定版('98年/青春新書)を手元に置いていますが、この『基本英単語連想記憶術』は、中学校で学ぶ基本単語を集めたもので、こちらの方の改定版は出されていないようです。

 第1章「最重要語」276語、第2章「重要語」449語、第3章「必須語」300語、第4章「常識語」435語という構成で、慣用語300を含めると全1,600語。これだけ覚えれば、中学英語では十分ではないかな(超難関高校のマニアックな入試問題に挑もうとするならばともかく)。

 第3章の「必須語」までが語呂合わせで覚えるやり方になっていて、それぞれの章の中で、名詞、動詞、形容詞...といった具合に品詞ごとにグループ化され、更にその中でそれぞれアルファベット順になっています。

 各単語に、中学1年生から3年生までの学年別ランクに沿って、①から③の番号が振ってあるのも親切、'79年の初版ですが、学年別に習う英単語の変遷はあまり気にしなくてもいいのでは。

 第1章「最重要語」、第2章「重要語」は、部分的にですが、語呂合わせに関連したイラストも入っていて、これが記憶する際の大きな助けとなります。

 こんな簡単な単語までわざわざ語呂合わせで覚える必要があるのかとか、発音やイントネーションが誤って記憶されるとか、いろいろ批判はありますが、個人的には、自分としては連想記憶術の"擁護派"であり"推奨派"です。

 記憶術には人によって向き不向きがあり、いろいろ試してみたうえで、結局「語呂合わせ」が一番しっくりきたという人も結構いるのでは。発音やイントネーションは、それはそれで、語呂を覚える際に意識しておけばいいことではないかと(そうすると、むしろ語意と発音の両方を一時に覚えられるメリットがある)。

 何でもかんでも語呂合わせで覚えさせようとするのではなく、外来語などは第4章「常識語」に括られていて、前置詞など用法が多岐に渡るものも、この章で解説されています(若干だが、第1章から第3章にある単語で、「外来語」ではないが「常識語」ではないかと思われるものもあったりはしたが、それはそれで、意味を知っていれば新たに語呂で覚える必要がないだけの話)。

 英語学習のやり始めで英語が嫌いになるケースの最大要因は、やはり覚えなければならない英単語が多すぎて、学習についていけないということにあるのではないかと。

 英単語の記憶法には、語源や接頭語・接尾語の意味などからグループ化して覚える方法もあるけれど(森一郎の『試験に出る英単語』も、一部この方法を用いている)、中学生にはやや難しいと思われ、結局、ある程度は、こうした「力技」で覚えてしまうしかないのでは。

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原発労働の実態のイラスト入りルポ('79年)の復刻。描かれた経緯や復刻の経緯なども興味深い。

福島原発の闇.jpg 『福島原発の闇 原発下請け労働者の現実』(2011/08 朝日新聞出版)

 『原発ジプシー』('84年/現代書館)の堀江邦夫氏の、福島原発で下請労働者として仕事した体験を基にしたルポルタージュに水木しげる氏の漫画を組み合わせたもので、'79年の「アサヒグラフ」10月26日号・11月2日号に掲載されたもの(原題「パイプの森の放浪者」)を、元の大判サイズから普通の単行本サイズにしての復刻版。

福島原発の闇1.jpg あとがきによると、当時、堀江氏は3カ所の原発で下請労働者として働き、原発内における作業員の労働環境の実態を密かに執筆していたところ(これが後に『原発ジプシー』という本になる)、ある日突然、「アサヒグラフ」の編集者であった藤沢正実氏から電話があり、朝日新聞東京本社で会ってみると、現在執筆中の原稿の一部を再構成して「アサヒグラフ」に掲載したい、一緒にイラストも掲載したいと思うが、水木しげる氏に依頼するつもりだとの話だったとのこと。

 堀江氏は、原発で働いていることは言わば"隠密"取材であったため、限られた一部の人しか知らないはずなのに、大手新聞社の編集者がどうしてそれを知りえたのかも不思議だったし(藤沢氏は情報源を明かさなかった)、水木氏は当時から高名な漫画家ではあったものの、原発労働のことをどれだけ知っているのかという不安もあったと言います。

 結局、水木氏、藤沢氏と、一度、福島原発のある浪江へ行ってみることになり、常磐線特急の車中で、その実態を水木氏に身振り手振りを交えて熱弁することになったということですが(当時、水木氏57歳、堀江氏31歳)、水木氏のイラストは、堀江氏の思いを受け止め、原発労働の危険性と恐怖、非人間的な過酷さを、強烈な感性で以って見る者に強く印象づけるものとなっています。

福島原発の闇2.jpg 堀江氏の原発労働のルポルタージュ部分も読み易く、'79年4月に、東芝プラントの孫請け業者の社員だった32歳の青年が、福島第一原発の正門近くの雑木林で縊死したことから始まる書き出しは衝撃的(この青年は、福島に来る前は浜岡原発で働いていた)。遺書には、「目が悪い。頭が悪い。とにかくおれは精神的に疲れた。人生の道にもついていけない。寂しい。希望もない」とあり、「原発の仕事も考えもんだ」との言葉で終わっていたそうです。

 堀江氏自身も原発内で作業中に肋骨を折る重傷を負いますが、労災申請をしないでくれと、会社から言われたとのこと。とにかく、元請け会社からも孫請け会社からも、作業に関する安全教育は実質的には行われておらず、原発の危険性を殆ど知らされないまま、当時の原発労働者は作業にあたっていたようですが、こうした実態はつい最近に至るまで続いていたものと思われます。

 因みに、これもあとがきによると、朝日新聞社内でも、70年代後半から80年代初頭にかけて「アサヒグラフ」が原発問題を度々追っていたことは知られているものの、この堀江・水木コンビの作品は忘れられていたようです。

 それが、今回の福島第一原発事故を受けての、「朝刊朝日」臨時増刊「朝日ジャーナル 原発と人間」('11年5月24日刊)の編集作業中に、昔の「アサヒグラフ」から、この本の元となった「パイプの森の放浪者」をたまたま見つけたということらしく、その迫力に改めて圧倒され、また、日本で初めて書かれた原発労働のルポルタージュではないかということもあって、今回の復刻となったようです。

 原発労働者が、原発の安全を保守するための定期点検の際に、その作業において危険な被曝状態に置かれるというのも皮肉だし、30余年前の世間からは忘れ去られていたルポルタージュが、原発事故を契機に再び日の目を見るというのも、ある意味皮肉な話かも。

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密度の濃いドキュメントであり、裁判の公判分析という点でも優れた1冊。

検証 秋田「連続」児童殺人事件.jpg検証 秋田「連続」児童殺人事件』['09年/無明舎出版] 畠山鈴香.jpg 畠山鈴香 無期囚

 '06(平成18)年の4月から5月にかけて起きた「秋田連続児童殺人事件」を、地元紙・北奥羽新聞の記者らが、事件発生から、畠山鈴香被告の無期懲役刑が確定するまでを追ったドキュメント(仙台高裁秋田支部の控訴審判決に対し畠山鈴香被告が上告を取り下げたのは、'09(平成21)年5月のこと)。

 本書のベースになっているのは、北奥羽新聞で '07(平成19)年1月から2年ほど続いた連載で、能代市に本拠があるこの新聞社の本社記者は11名しかおらず、地元ネタだけで日々の紙面を埋めているような新聞とのことですが、マスコミ大手が事件発生当初に陥ったセンセーショナリズムを排した、極めてきっちりした取材内容であり、事件後1年を経て地元民への取材及び連載を開始したというのは、"正解"だったかも知れないと思わせるものでした。

 マスコミ被害に苦しめられながらも、事件の衝撃からの回復の兆しが見せ始め、子どもを守るため具体的な対策を取り始めた地元の人々の様子や、今なお癒えぬ事件被害者の遺族の心情など、伝えているものは多いのですが、やはり本書の核となるのは、120回の連載のうち80余回を占めた公判の傍聴記と判決の検証ではないかと思います。

秋田「連続」児童殺人事件.jpg 裁判で最大の争点となったのは、被告の娘・彩香さんの死が殺人であったのか過失であったのかということと、引き続き起こした豪憲君殺害事件の動機であり、とりわけ前者は、彩香さんに対する疎ましさと嫌悪の極限で殺意が生じたと主張する検察側と、彩香さんが欄干の上で抱きついてきたために、スキンシップ障害から思わず払いのけてしまったという弁護側で、真っ向から対立します。

 加えて、被告の精神鑑定をした精神科医による、彩香さんの死は「無理心中未遂」、豪憲君殺人は「強制殉死」といった説などが出てきて、この説は法廷で採用されることはありませんでしたが、人格障害者の起こした事件を裁くことの難しさを考えさせられました。

 結局、同じ医師による、彩香さんの"事故"後に被告は「突発性健忘」に陥ったという見方は、「記憶の抑圧」があったということを裁判所も認めてはいるものの、弁護側の主張する、彩香さんの死は"事故"だったとの見方は否定し、殺人事件であったとの見方を判示していますが、豪憲君殺害に繋がる動機の説明として使えそうな部分だけ抽出したという気がしなくもなく、被告の心の闇を解明することに時間を費やすよりも、被害者遺族の感情を考慮して、結審を急いだような印象を受けました。

 その他にも、必ずしも明快に解明されたとは言えない弁護側と検察側の対立点の1つとして、「自白の任意性」の問題があり、被告のようなタイプの人格障害の場合、相手の言いなりになって事実でもないことを認める傾向が時にあるようですが、ここでも判決は、調書には信頼性があると断定しています。

 一方で、被告は、彩香さんの死を悲しむものの、豪憲君の死については両親の苦しみが理解できないでいる様子であり、そうした被告が、刑の重みをどれほどの反省の念をもって受け止めることができるのかという疑問も残ります。

 記者の筆致は、弁護側、検察側、裁判所、精神科医などのそれぞれの主張の何れかに偏ることなく、それぞれに距離を置きながら対比させてその相違点を明らかにするとともに、内在する矛盾点や疑問点については鋭く疑義を挟むものとなっています。

 彩香さんの死が必ずしも十分に解明されたとは言えないという観点から、本書のタイトルも、「連続」児童殺人事件という具合に"連続"にカギ括弧がついていますが、但しこれは記者らが、彩香さんの死は殺人事件ではなかったという独自の結論に至ったということではありません。

 版元は小さな出版社ですが、密度の濃いドキュメントであり、裁判の公判分析という点でも優れた1冊。
 本書を通して事件をより深く知ることが出来たものの、結局、被告の心の闇は必ずしも十分に解明されていないというのが個人的な実感で、無期囚となった被告自身が語り始めるまでは自分達の取材は終わらないという結語にも、真摯な取材姿勢と併せて、そのことが窺えます。

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特殊な障害を持つ人に対する社会的フォローや更正の在り方について考えさえられた。

死刑でいいです .jpg死刑でいいです.jpg  山地悠紀夫.jpg 山地悠紀夫 元死刑囚
死刑でいいです- 孤立が生んだ二つの殺人』['09年]

 '00年に16歳で自分の母親を殺害し、少年院を出た後、'05年に面識のない27歳と19歳の姉妹を刺殺、取り調べや公判で「死刑でいい」と語って、'09年7月に25歳で死刑が執行された山地悠紀夫の、2つの殺人事件とその人生を追ったルポルタージュで、編著者は共同通信大阪社会部の記者。べースになっているのは、ブロック紙・地方紙に連載された特集記事で、'09年1月に「新聞労連ジャーナリズム大賞」の第3回「疋田桂一郎賞」を受賞していますが、単行本に編纂中に、山地の死刑が執行されたことになります。

 山地は少年院で広汎性発達障害のひとつである「アスペルガー症候群」と診断されていて、著者は、発達障害と犯罪とが直接結びつく訳ではないとしつつも、障害が孤立につながるリスク要因の1つであると考えおり、山地の場合、障害に加えて、悲惨な家庭環境や少年院を出てからの社会的支援の無さなどが重なり、そうした状況が彼を追い詰めたのではないかとしているようです。

 実際の公判では、広汎性発達障害ではなく「人格障害」であるとの精神鑑定が採用され、死刑判決が下ったわけですが、連載時のタイトルが「『反省』がわからない」というものであることからしても、他人に共感するといったことが困難なアスペルガー症候群の特徴が、山地に強く備わっていたことを窺わせるものとなっています。

 こうした見方は、単に著者の独断によるものではなく、事件に関わった或いは同じような事件を扱ったことがある鑑定医や弁護士など専門家を取材しており、また、山地の人生がどのようなものであったかについては、担任教諭、友人、弁護士、少年院の仲間、更には、少年院を出た後にその世界に入ったゴト師にまで及んでいて、一方で、被害者の遺族・関係者にも取材していて、山地の罪や被害者の感情を決してを軽んじるものとはなっていません。

 その上で本書を読んで思うのは、やはり山地の心の闇が解明されないままに彼の刑が執行されたように思われ、その事が残念な気がしました(山地自身にしてみれば、「刑死」という形の「自殺」だったのかも知れないが)。
 元家裁調査官の藤川洋子氏が、発達障害の傾向を踏まえたうえで、「反省なき更正」型矯正教育を提唱しているのが強く印象に残りました。

 藤川氏のみならず、カウンセラーや精神科医、弁護士など専門家に対する、新聞連載を読んだうえでの感想を聞いたインタビューは、かなり突っ込んだものになっていて、そこからは、死刑制度の在り方と併せて本書が提起しているもう1つの課題である、少年院から社会に出た後の社会福祉的フォローの問題が浮き彫りにされています。

 本書では、発達障害に対する偏見を除くために、そうした障害を持つ人達の支援グループの活動が紹介されていますが、山地のことを、理解しがたい特殊な犯罪者として社会的排除の対象とした事件当時のマスコミや世論の論調にも問題はあったのでしょう。
 しかし、2つの殺人事件を犯す前に、山地自身がそれぞれ発していたSOSを、十分に理解し受け止めることができなかった社会の在り方の方が、問題の根深さという意味では最も深刻なのかも知れないと思いました。

 【2013年文庫化[新潮文庫]】

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日本の文学作家って、大所に情死を含め自殺した人が多いと改めて感じた。

別冊新評 作家の死.jpg 別冊新評 作家の死ド.jpg 
『別冊新評 作家の死―日本文壇ドキュメント裏面史』(1972/08 新評社)

 明治以降の作家の死を、死去当時の新聞記事や他の作家による弔辞、弔意文などから追った記録集で、こういうのを読んでいると、弔辞を読んだ作家が次は弔辞を読まれる側に廻っていたりして(要するに亡くなっていて)、まあ、人生には限りがあると、改めて「死」というものを意識させられます。

 昔はやはり、作家も一般人同様、肺結核などの病いで亡くなる人が多かったわけですが、そうした中で、自殺に関しては、突然のことだけに周囲の衝撃も大きかったようです(本書の中で一番ショッキングだったのは、拷問死した小林多喜二の、仲間の医師による死体検分記録だったが、これは別格)。

川端康成2.jpg ある人の説では、作家の自殺率が普通人より高いのは日本も海外も同じだそうだけれど(中国などは確かにそうだが、その原因には政治的なものが絡んでいることが多いようだ)、日本の場合、芥川・太宰から三島・川端まで、日本文学の代表格と言うか"大所"とも言える作家が自死していることが大きな特徴ではないかなあ。
 そもそも、この別冊特集は、川端康成のガス自殺(1972/04/16)が刊行の契機になっているようだし。

 芥川龍之介の自殺(1927/07/24)以前に自殺した作家というと、有島武郎の情死(1923/06/09)が思い浮かびますが、明治以降、最初に自殺したのは、詩人であり思想家でもあった北村透谷(1894/05/16)だったとのことで、一度喉を刺して死に切れず未遂に終わった半年後に、首吊り自殺したそうです

 一方、太宰治(1948/06/13)の情死は、当時の新聞記事などを読むと、無理心中に付き合わされた"事故"だったっぽいです。
 でも、その死に影響を受けて、田中英光みたいなオリンピックのボート選手としての出場経験のある作家まで、太宰の墓前で睡眠薬服用して手首を切って自殺する(1949/11/03)という事態になってしまうわけで、一部に連鎖反応的要素もあるかも。川端康成の自殺の一因と言われるのも三島由紀夫の割腹自殺(1970/11/25)だし...。

 三島が自決死したのは45歳の時。太宰の死は38歳で、田中英光の自死は36歳。芥川は35歳で、作家の自殺の"先駆的"存在である北村透谷となると25歳。こうなるともう、作家は早く死ななければならないという感じすらしてくる―。

 サブタイトルに「裏面史」とありますが、大概の人が自殺した人の生き方を見習いたいとは思わないのが普通であって、この辺りに"日本文学の不幸"があるとするのは、あながち悲観的過ぎる見方とも言えないのではないかなあ。

 記録としては貴重だと思うけれど、紙質等は保存版仕様ではなく、通常の月刊誌と同じである点が...(「別冊」だから仕方がないのか)。

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 新書の買い方・読み方・活かし方、各レーベルの特徴―いずれもまともだが...、多分に物足りない内容。

新書がベスト2.jpg 『新書がベスト (ベスト新書)

 勝ち組になるために本を読めとか(未だに「勝ち組・負け組」なんて言って煽っているのか)、新書だけを読んでいればいいとか(確かに立花隆氏のようにノンフィクションしか読まないという人はいるが、立花氏の場合、読んでいる本のレベルが違う。フツーの人はそういうものでもなかろう)、こうした著者の前提についてはいろいろ括弧書きのようなケチをつけたくなりますが、新書そのものについて、或いは、その買い方、読み方、活かし方について書かれた前半部分は、比較的しっくりくるものでした(際立って斬新な内容と言えるものは無かったが)。

 新書を数こなして読もうとすると、自ずと著者の言うような読み方になっていくのではないかなあと。体系立てて読まないと特定分野のことは身につかないし、と言って、分野をアプリオリに規定してしまうと、そこが自分の教養の地平線になってしまう。そこで、同じ新書レーベルから無作為に何冊か選んで読んでいく「レーベル読み」といった発想もあっていいのでしょう。但し、やり過ぎると、数をこなすのが目的化する読み方になるのではないかなあ(この本自体の指向が、ややそのキライがあるが)。

 後半は、各新書レーベルの特徴が、何冊かそのレーベルの代表的なラインナップをピックアップしながらコンパクトに書かれていて、これも、まあ、ある程度新書を読んでいる人ならば納得できるものではないでしょうか。

 個々の本の評価については、著者自身、自分の価値観が反映されていると言っているように賛否はあろうかと思いますが、レーベル自体の評価は、「貫禄ある老舗レーベル―岩波新書」とか、「じっくり時間をかけて仕上げる―中公新書」とか、「社会派老舗の風格―ちくま新書」とか、まともと言えばまとも、癖が無いと言えば癖が無いように思えました。

 「講談社現代新書」がかなり後の方にでてきて、「コンセプトが迷走?」としていますが、これは当たっているなあと。でも、これも多くの読者が感じていることではないでしょうか。かつては、エスタブリッシュメントだったし、表紙に本の内容の丁寧な"口上"があったのが本を選ぶ際の助けとなり、昔の講談社現代新書は本当に良かったです。

 編集者と話しながら書いた結果、やけに中立的立場の本になったのではないかというような気もしますが、その分、評価の偏りが少ないように思われ、新書読み「初心者」向けの読書ガイドとしては、そう悪くないと思います(この本自体が、立ち読みで最後まで読めてしまうような本である)。
 
 新書ガイドブックとしてはまあまあ。でも、新書をある程度読み込んでいる人には、多分に物足りない内容でしょう(「ベスト新書」など、自分があまり読んでいないレーベルの評価は参考になった)。

 因みに、朝日新聞の記事(asahi.com 2009年3月12日)によると、出版業界では、「岩波新書」「中公新書」「講談社現代新書」が「新書御三家」と呼ばれてきたが、これに対し、94年創刊の「ちくま新書」創刊以降に生まれたのが「新御三家」で、「新潮新書」「光文社新書」「ちくま新書」をそう呼ぶ人もいれば、「ちくま新書」の代わりに「文春新書」「集英社新書」を挙げる人もいるそうです。「新潮新書」以降も「朝日新書」「幻冬舎新書」など新規参入が続いたわけで(下図・asahi.comより)、これらだけ数えあげると、ちょうど「新書10傑」みたいな感じになるのかなあ(「朝日」は身内だから挙げておかないと―というのもあるのだろうけれど。「朝日新書」の代わりに「10傑」に入るものがあるとすれば「PHP新書」か)。

 朝日の記事によれば、新書は「百花繚乱時代」でブームであるには違いないけれど、これはハードカバー単行本が売れていないという出版不況の裏返しであるとの見方もあるようです。また、同記事では、「講談社現代新書」は岩波より内容が軟らかいという立ち位置でやってきたものの、更に軟らかい「新御三家」が出現したため、自分立ちの位置が見えなくなった―と、講談社現代新書の出版部長自身が述べています。

《読書MEMO》
新書ブーム.jpgPart III 新書レーベルめった斬り! 小見出し抜粋
新書スタイルはここから生まれた「岩波新書」
じっくりと時間をかけて仕上げる「中公新書」
社会派老舗の風格「ちくま新書」
目の付け所が光る「光文社新書」
新書ブームをつくった「新潮新書」
クリーンヒット率の高い「幻冬舎新書」
節操のなさが強みでもある「PHP新書」
すぐれた海外翻訳モノ「ハヤカワ新書juice」
科学系新書の元祖「ブルーバックス」
カラーと図版の勝利「サイエンス・アイ新書」
ハズレ率の驚異的な低さ「DOJIN選書」
右寄りと左寄りで好対照「集英社新書」「文春新書」
コンセプトが迷走?「講談社現代新書」「講談社+α新書」 
事情はわかるが紛らわしい「角川oneテーマ21」「角川SSC新書」
大人こそ読みたい「岩波ジュニア新書」「ちくまプリマー新書」
元祖「ライフハック本」「宝島新書」 
かくも楽しきニッポン文化「平凡社新書」
実用知識をユニークな構成で見せる「新書y」
スゴ本、ダメ本 玉石混淆の「青春新書インテリジェンス」
ルポが光る、新聞社系新書「朝日新書」
エコとエロが共存する「ベスト新書」
IT好きにうれしいラインナップ「アスキー新書」
派手なグループの地味なレーベル「ソフトバンク新書」
今後が楽しみ「マイコミ新書」

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タイトルに呼応した内容である前半部分は面白く読めたが...。

芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか.jpg 『芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか―擬態するニッポンの小説 (幻冬舎新書)

 「王様のブランチ」のブック・コーナーなどで分かり易いコメントをしている著者による本で、新書にしては300ページ超とやや厚めですが、すらすら読めてしまう読み易さでした。但し、タイトルの「芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか」という問いかけに呼応した内容は前半3分の1ぐらいで、この部分は面白く読めましたが、後は、「ニッポンの小説」全般についての著者独自の批評になっているため、やや「テーマが拡散している」ような印象も。

 村上春樹の『風の歌を聴け』('79年)と『1973年のピンボール』('80年)が、共に芥川賞の候補になりながらも最終的に受賞しなかったのは、それらの作品がアメリカ文学の影響を受け過ぎていたため、選考委員にはそれらの模倣のように受け止められたというのが通説ですが、その前に候補になり受賞もしている村上龍の『限りなく透明に近いブルー』('76年)も、佐世保を舞台にしたアメリカ文化の影響の色濃い作品であり、一体どこが異なるのかと―。

 著者は、加藤典洋の、戦後の日本文壇は「アメリカなしにはやっていけないという思いを、アメリカなしでもやっていけるという身ぶりで隠蔽している」という言葉を引いて、『限りなく透明に近いブルー』には、主人公の放埒な生活の背後に、アメリカに対する屈辱が秘められており、また、例えば、同時期に芥川賞の候補になった田中康夫の『なんとなく、クリスタル』('80年)も、主人公たちの享楽的な生活は、アメリカ的なものへの依存無しには生きられないという点で、その裏返しであると。

 つまり、自分たち自身は本質的には「アメリカ的ではない」という自己規定が前提になっていて、それに対して、村上春樹の作品は、主人公をそのままアメリカ人に置き換えても成り立つように、もはや日本人かアメリカ人かの区別は無くなっており、アメリカを対象化するのではなく、アメリカそのものである、そのことが選考委員の反発を買ったと―。

 つまり、戦後の日本人にとって、アメリカは「強い父」として登場してきたと言え、そのアメリカ=「強い父」の存在の下での屈辱や、その「強い父」の喪失を描くというのが、戦後の日本文学の底流にあり、村上春樹の作品は、その底流から外れていたために、受賞に至らなかったのだとしています。

 以降、そうした近代日本文学の特殊性を、太宰治の『走れメロス』や夏目漱石の『坊っちゃん』にまで遡って中盤から後半にかけて分析していて、そうした意味では必ずしも「テーマが拡散している」とも言えないものの、やはり、後半は、前半の村上春樹論ほどのインパクトは無かったように思いました。

 芥川賞のことは、近作『1Q84』にもモチーフとして出てきますが、自身が候補になった時の話は、『村上朝日堂の逆襲』('86年/朝日新聞社、'89年/新潮文庫)に書いていて、「あれはけっこう面倒なものである。僕は二度候補になって二度ともとらなかったから(とれなかったというんだろうなあ、正確には)とった人のことはよくわからないけれど、候補になっただけでも結構面倒だったぐらいだから、とった人はやはりすごく面倒なのではないだろうかと推察する」とし、受賞連絡待ちの時の周囲の落ち着かない様子に(自らが経営する店に、多くのマスコミ関係者が詰めた)自分まで落ち着かない気持ちに置かれたことなどが、ユーモラスに描かれています。

 前2作の落選後、長編小説(『羊をまぐる冒険』)に行っちゃったから候補にもならなかったけれども(芥川賞の候補になるには紙数制限がある)、中編小説を書き続けていれば、賞を獲ったようにも思います。

 吉行淳之介(1924-1994)なんか、群像新人賞に推して以来、ずっと好意的な評価をしていたみたいだし...(そう言えば、村上春樹もアメリカの大学で日本文学を教えていた時に、吉行作品をテキストに使っていたりしたなあ。相通じるものを感じたのかな)。

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無味乾燥ではない分、世界史への興味が増すことは請け合い。世界史嫌いを直す効果は大?。

三浦 一郎 『年号記憶術―世界史を俳句で覚える本』.jpg年号記憶術 世界史を俳句で覚える本.jpg 『年号記憶術―世界史を俳句で覚える本 (1968年) (カッパ・ブックス)

 世界史に関する一般向けの著書を多く著した三浦一郎(1914‐2006)の本で、このヒト、後に上智大学の名誉教授になりますが、本書を刊行した時点では、茨城大学教授でした。

年号記憶術―世界史を俳句で覚える本.jpg 世界史の年号を「俳句で覚える」本ということなのですが、その俳句というのが結構"アダルト"向けの語呂合わせが多いです。

 例えば「女房の 裸も見れない ストイック」(B.C.307年 ゼノン、ストア学派を開く)、「恐妻家 夜這いもできぬ クロービス」(481年 フランク王クロービス即位)とか、「回教で 老夫婦まで 回春し」(622年 マホメットのヘジラ)、「玄焋は セックス肉断ち 天竺へ」(629年 玄焋、インド旅行へ出発)とか、「避妊用意 蒙古が来たぞ 女ども」(1241年 ワールシュタットの戦い、蒙古軍の襲来)とか、「ビロードの ような手触り『金瓶梅』」(1610年 『金瓶梅』成る)...etc.

 「色婆々と名誉革命 血が出ない」(1688年 イギリス名誉革命)なんてスゴイのもあるけれど、「年号」そのものとしては、半分以上は試験には出ないんじゃないかなあ(『金瓶梅』が成った年とか、タバコがサー・ウォルター・ローリーによってエリザベス女王に献じられた年なんてねえ)。

 でも、読み物のように読めて、世界史への興味が増すことは請け合いです。1ページ1事件で、解説部分はしっかりしていて(或いは、更に"雑学"の世界に入り込んでいて)、世界史の勉強を無味乾燥な記憶作業として嫌っている学生には、世界史嫌いを直す効果は大きいかも?

世界史こぼれ話 1.2 三浦一郎.jpg '55年に著した『世界史こぼれ話』が'73年から角川文庫にシリーズで収められて人気を博した著者ですが、本書はその角川文庫化より5年くらい前の刊行で、これはこれで結構読まれたのではないでしょうか。

 エッセイストでもあり、洒脱な文章を得意とした著者ですが、学者がこうした本を出すというのは、まだその頃の方が、全てにおいて鷹揚な時代でもあったのかも。

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朝日版は「写真集」、産経版は「記録」として、それぞれ"保存版"に値する内容。

津波の町に生きる.jpg 『津波の町に生きる―ルポルタージュ3・11大津波 釜石の悲劇と挑戦』(2011/12 本の泉社)

釜石IMG_2803.JPG 著者は岩手県石巻市の出身で、東日本大震災による津波で108人の児童の内74人が死亡・行方不明となった大川小学校は郷里に近く、その大川小学校の悲報と併せて、同じ岩手県の釜石市の鵜住居(うのずまい)小学校と釜石東中学校で、登校児童・生徒は全員が無事に避難し、一人の死者も出さなかったという、所謂"釜石の奇跡"とマスコミが報じたニュースに接します。

釜石IMG_2783.JPG 大川小学校の悲劇の痛みを胸に秘めつつ、著者は、どのようにすれば津波災害から児童・生徒の命を守ることができるのかを検証するために釜石市を訪れ、鵜住居小学校と釜石東中学校の児童・生徒の避難の経緯やその背景にあったものを、学校関係者などに具(つぶさ)に取材したルポルタージュが本書です。

釜石IMG_2798.JPG その結果、中学生が小学生を高所へ誘導し、全員が津波の難を逃れたという"釜石の奇跡"は、実は"奇跡"などではなく、普段からそうした訓練をしていた成果の現れであったことがわかります(震災時に先生が「訓練通りだよ」と生徒に声掛けしたが、その"訓練"とは、中学生が小学生の避難を助ける小中学校合同避難訓練を指す)。

釜石IMG_2791.JPG そうした避難訓練だけでなく、釜石市の小中学校では、防災教育も必須授業として教育カリキュラムに織り込むなどしており、そのことが、市内の小中学校全14校の児童・生徒の生存率がほぼ100%近いものであったという、今回の結果に結びついたこと、とりわけ釜石市の中でも、死者・行方不明者が居住人口6014名の1割近くの574名と、最も被害の大きかった鵜住居地区において(これに次ぐのが釜石地区の居住人口6971名に対し死者・行方不明者240名)、周囲の惨状の中で、この両校の登校児童・生徒の"全員無事" が際立って目立ったものとなったことなどが浮き彫りになってきます。

(写真は何れも震災から約1年後の2012年3月25日、釜石東中学校内及びその近辺にて撮影)

釜石IMG_2788.JPG 歴史を振り返ると、明治三陸地震津波では、現在の釜石市にあたる釜石町・鵜住居村・唐丹村で津波前人口12665名に対し6477名と半数以上もの死者を出しており、こうした過去の被災から得た教訓が、"教育努力"によって実地の場で生かされたことになります。

 また、市内にある津波に関する多くの石碑なども訪ね歩いており、「津波てんでこ」という言葉に象徴されるように、町全体の風土として、そうした過去の教訓を将来に継承していこうという土壌があることが窺えました。

釜石IMG_2789.JPG 振り却って大川小学校のケースをみると、地震発生を受けて児童は全員校庭に避難したものの、そこから先の避難先が具体的に特定されていなかったため、どこへ逃げるか議論している内に避難が遅れ、津波に襲われたという―いち早く「山さ逃げよう」と言った児童もいたとのことですが、そうしたことが事実なのかどうかも分からないし、著者自身も、何故すぐ裏手にある山の方へ逃げなかったのかとの疑問を抱きつつも、大川小学校の教職員を責めることはできないとしています。

 釜石にしろ石巻にしろ、震災後1年を経ても、津波の爪痕は大きく、特に釜石の瓦礫の撤去は遅れていますが、人々は災害の後も津波の町に生き、また生きつづけなければならない―そうした人々の苦悩と苦闘を追うと共に、大災害に際して子供達の命を守る方法はあるのかを真摯に探っており、とりわけ教育関係者に読んで欲しい本ですが、一般の人が読んでも教えられることの多い本です。

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ソーシャルメディアの活躍と「公式報道」のていたらく、海外の報道と日本のマスコミ報道のギャップ。

震災と情報 岩波新書.jpg 『震災と情報――あのとき何が伝わったか (岩波新書)

 東日本大震災の発生直後、警報も届かずに津波で命を落とした人は数多くいたわけで、更に、電話の不通など情報経路の寸断は首都圏にまで及び、また、その後も繰り返される政府発表の「安全神話」的報道を、どこまで信じたらいいのかも分からず、首都圏にいてもこうした状況でしたから、被災した現地にいた人の混乱と不安は、尚のこと大きなものだったでしょう。

 本書は、ソフトウェア生成系や情報ネットワークが専門である理学博士の著者が、震災後の情報伝達のあり方、マスコミ報道とインターネットやモバイル機器を通しての報道のスピードや正確さのギャップなどを、再検証したものですが、興味深いのは、震災後「最初の1時間」「最初の24時間」「最初の1週間」「最初の1ヵ月」「最初の6ヵ月」というように、何れも震災直後を起点としてスパンのみ変えて、そのスパンの長さに沿ったイシューを追っている点です。

 尚且つ、報道された事実を克明に織り込み、一つ一つのイシューについてはそれほど深く突っ込まず、情報を「数」の面で多く拾っていて、そうした「数」の集積から、実態を浮かび上がらせようとしており、こうした"記録"の残し方も一つの方法かと思いました。

 最初の1時間は、主に大津波警報がどのように伝わったかなどが検証されていますが、福島第一原発事故が明るみになってからは、やはり原発事故報道が本書の大部分を占め、最後は「日本では原子力発電は終わらせよう。地震の多い日本では、リスクが巨大すぎて商業的発電方式として合理的コストに見合わないからである」との言葉で締め括られており、やはりこの辺りは岩波系か。

 振り返ってみると、原発事故発生当初から、ソーシャルメディアを含む海外の報道と、所謂「公式報道」に近い日本のマスコミ報道に、事の重大さに対する認識の度合いに大きな温度差があったことが窺えます。

 淡々と記している中にも、日本のテレビと原子力工学者が、毎回「ただちに心配することはない」を繰り返したことにはさすがに義憤を覚えているようで、「現時点で特に心配する必要はないと言っていると、一号機建屋の爆発が起こる。爆発が起こっても、これは作業の一環でわざと起こした爆発かもしれないと擁護的に説明する。いよいよ水素爆発だったということになると、今度は爆発によって外部へ放射性物質が漏洩することはないだろうと言う。やがて放射性物質が外部へ出たことがわかると、今度は放出量は人体に影響がない範囲だろうと言う」と―確かにこの通りだったなあ。憤りを感じない方がおかしいよ。

 保育園や心身障害児施設の子供達が緊急避難先の公民館で孤立し、電話が繋がらないため園長が電子メールでロンドンの家族に連絡し、家族からの救援要請が東京都副知事に届いて救援のヘリコプターが来たとか、停車した電車の中で、乗客が携帯ワンセグ放送で津波が迫っているのを知り、乗り合わせていた若い巡査らが乗客を避難誘導して全員無事だったとか、インターネット等が人命を救った話はあったなあ。

 極めつけは、NHKテレビで災害放送を見ていた広島の中学生が、テレビ・ラジオに接することのできない被災現地の人々のために、ユ―ストリームのサイトを利用して自宅からNHKをライブ中継したというもので、著作権法違反ではないかとのと問い合わせがNHKにあったけれども、担当者が、自分の責任において容認すると発信したそうです。

 この他にも、様々なケースでこうしたソーシャルメディアが活用された一方で、政府の避難勧告やSPEEDIなどのデータ公表の遅れにより、多くの人が、高濃度放射能汚染地域からの初期避難が遅れたり、放射性物質の飛んでいく風下の方へ避難したりしたわけで、今考えると、国の罪は重いと言うか、情報は自分で集めなければならないということなのか。

 日本のマスコミの政府や東電の話をそのまま横流ししているような報道姿勢に早くから不信を抱いていた外国人特派員らは、テレビに出ている擁護的な原子力工学専門家の説明とは違う説明を聞くために、3月15日には、原子炉格納容器の元設計者・後藤政志氏を講師に招いて講演会を開催し、4月25日の原子力安全・保安院と東電による海外メディア向けの合同記者会見の参加者はゼロ、保安院と東電は、誰もいない記者席に向かって説明を行ったとのことです。

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やはり代替エネルギーも一応は考える必要があるが、「節電」=「発電」にはナルホドと。

脱原子力社会へ.jpg 『脱原子力社会へ――電力をグリーン化する (岩波新書)

 社会学者が、電力の「グリーン化」をキーワードに、海外の事例を引きながら、政府・企業・NGO・消費者の協働に基づく、未来志向的な「脱原子力大国」への政策転換を提言した本。

 冒頭第1章で、今回の福島第一原発の事故を振り返りつつ、なぜ原子力は止まらないのかを考察しています。その中で、原発の非常用発電機がタービン建屋内の「地下」にあったために津波で浸水し機能しなくなったことが指摘されていますが、これは広河隆一氏の『福島 原発の人びと』('11年8月/岩波新書)の中にもありましたが、竜巻やハリケーンを想定した「米国式設計」をそのまま採用し、東電は「フル・ターン・キ―契約」という始動気キーをひねるだけの契約で、全てはGEに丸投げだったということだったのだなあと。

 第1章で、地震列島に54基もの原発が立地することの「環境リスク管理」の技術的・経済的・社会的困難さがフクシマの事故で明らかになったとし、続く第2章で、エネルギーの効率利用と、脱原子力に基づく電力のグリーン化への転換を説いていいて、ここが本書の肝であると思われます。

 海外の事例の中ではアメリカの事例が冒頭にあり、アメリカは原発推進国とされてきたように感じていましたが、70年代後半には原子力ブームはもう終わっていたのだなあと。地域的な事例ですが、電力設備は増やさずに稼働率を高めるなどして脱原発を果たしたり、住民と電力会社が協働で太陽光発電の導入を推進したりといった事例が紹介されていて、それぞれに、「省電力は発電である」というコンセプトが根底にあるという点が興味深かったです。

 「グリーン・エネルギー」というと風力や太陽光発電が思い浮かびますが、節電することも、効果的には発電していることと同じになるわけか。「クリーン・エネルギー」という言葉は実際海外で使われているようですが、「クリーン電力」と言わず「グリーン電力」という言葉を著者が推すのは、「クリーンな電力」というのが原発の宣伝の常套句であったということもあるためのとのこと。

 グリーン化のために消費者ができることを、例えば、希望者が自発的に再生可能エネルギーの発電事業者に寄付する「寄付方式」など5通り挙げていて、その他「出資金方式」「「電力証書方式」「電力力金転嫁方式」などが紹介されてますが、主に海外の事例を参照しつつも、一部、国内でも限定的に試行されたりしているものもあり、この点は個人的には新たな知見でした。

 第3章では、日本の各地域からも脱原発の声が上がっていることを、住民投票などの事例で紹介していますが、まだ「脱原発」を訴えるだけで「代替エネルギー」等の提案までいってないのが大方の状況ながらも、前章の事例のほか、再生エネルギーによる地域おこし、市民風車や市民共同発電といったプロジェクトなどが紹介されています。

 「脱原発」を訴えるのはいいが、やはり次の代替エネルギーを考えないとね。そうした意味では、「脱原子力社会」へ向けての具体的な提案の書。
 但し、風力発電などは、効率面での失敗例もあるし、電磁波障害など新たな"公害"問題を引き起こしているケースもあったはず。そうしたネガティブ情報については、意識的に触れられていないように思えるのが、ややどうかなあという気も。

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低線量の放射線の危険性についての説明がしっくりきた。反原発ではないが、マトモであり気骨がある。

内部被爆の真実.jpg 『内部被曝の真実 (幻冬舎新書)』  児玉 龍彦 国会.jpg 児玉 龍彦 氏

 東大アイソトープセンター長である著者(医学・生物学者)が、'11年7月27日の衆議院厚生労働委員会「放射線の健康への影響」において、参考人としての意見説明し、質疑応答したものの採録がメインとなっている本。

 そう言えば、それ以前の5月23日の参議院行政監視委員会「原子力発電所事故と行政監視システムの在り方」では、小出裕章(原子力工学者)、後藤政志(元原子炉格納容器設計者)、石橋克彦(地震学者)、孫正義(ソフトバンク社長)の4氏が参考人として意見を述べていますが、こういうのってテレビ中継されないんだなあ(参議院の4氏のものは、ユーストリームのライブで中継され、著者のものは審議中継サイト「衆議院TV」で流されたようだが)。

 若干、お手軽な本づくりという気もしないではないですが、本来公開されてしかるべき内容のものが、限られた範囲でしか公開されていないような状況においては、これもありかなあと(現在はネット動画で見ることができる)。

 著者が委員会でメインに訴えたのは、現行の法律は、高いレベルの放射性物質を少量だけ扱う場合のみを想定しているのに対し、今回の福島第一原発の事故では、広島原爆の20発分から30発分相当の大量の放射性物質が放出され、現行法律が全く対応できていないので、現状に対処できる法律が必要であるということです。

 更に、低レベル放射能の影響は多様な形で現れ、特に子供、乳幼児、胎児を守る必要があり、チェルノブイリ原発事故で、小児甲状線がん以外に、被曝を直接原因とする病気の発症は無かったという説明は誤りであると。また、質疑の中では、今は全力で、除線に取り組むべきことが急務だとも述べています。

 専門用語は多く含まれますが、話し言葉で書かれていて、しかも、基本的には専門家でも何でもない国会議員にも分かるように噛み砕いて説明しているため分かり良かったし、個人的には、内部被曝についてもさることながら、低線量の放射線の危険性についての説明がしっくりきました。

 つまり、大量の放射線がDNAをズタズタにしてしまえば細胞は死ぬだけだけれど、低線量放射線は細胞に異変を与え、DNAを修復する遺伝子が異変をきたすと、最初の1回は大丈夫だが、10年から30年経って、第2段階の異変が起きるとガン細胞になるということなんだなあ。

 修復遺伝子の機能に異変が生じる問題と、その機能の発効のタイミングの問題とを分けて考えれば分かる話だけど、国会議員の先生は分かったかなあ。

 因みに、著者が主張する、①国策として食品、土壌、水を測定してゆく、②.緊急に子供の被曝を減少させるために新しい法律を制定する、③国策として汚染土壌を除染する技術に民間の力を結集する、④除染には何十兆円という国費がかかるため、負担を国策として負うことを確認し、除染の準備を即刻開始する―の4点の内、経済学者(経済評論家?)の池田信夫氏は自らのブログで、「③まではわかるが、問題は④だ。朝日新聞のいうように年間1mSvの放射線も除去しようとすれば、80兆円ぐらいかかるだろうが、国の一般会計は92兆円。そんな巨額の負担を「国策として負う」ことはできない」としています。

 だからって、国が何も負担をしなくてもいいということにはならないでしょう。廃炉にも金はかかるが、とりあえず金食い虫である原発の増設を止めたらどうかと思うんだけど(池田氏は、以前から原発に対しては御用的なスタンス)。

 因みに著者は、老化の遺伝子の研究で世界の最先端を行く成人病研究者でもあり、'11年12月、英科学誌ネイチャーが発表した「科学に影響を与えた今年の10人」の一人に選ばれています。

 原発に関しては、推進派でも反原発でもないようだけれど、師匠が、今回の震災でも、国から現地に派遣され、安全神話を説いて回った長瀧重信・長崎大名誉教授であり(「スリーマイルではこれまでに健康被害は報告されていない」と発言して、小出裕章・京大原子力研助教らを呆れさせた)、一方こちらは、政府の放射線の許容基準値の決め方その他諸々の対応について厳しく批判したことになります(本書からはそれほど感じられないが、動画を見ると、まさに満身の怒りをぶつけているという感じ)。

 文中で、長瀧氏の功績に敬意を表していますが、立場はかなり違うというか、この人の方がマトモであり気骨がありそう。

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写真の伝える力もさることながら、取材文章にも緊迫感があり、今後の課題についても考察。

福島 原発と人びと 岩波新書.jpg福島原発事故~チェルノブイリから何を学ぶか.jpg
広河隆一氏.jpg 広河隆一氏 (フォトジャーナリスト、戦場カメラマン、市民活動家)
写真展「福島原発事故~チェルノブイリから何を学ぶか」(2011年5月3日~18日)
福島 原発と人びと (岩波新書)

 スリーマイル島やチェルノブイリの原発事故の際に、実態を現地に行って取材し報道したことで講談社出版文化賞を受賞している筋金入りのフォトジャーナリストである著者が、'11年3月11日に東日本大震災が発生し、福島第一原発でメルトダウン事故が起きたのを受けて直ぐに現地を訪れ、その後も何度か現地を取材したものを纏めたルポルタージュ。

 全体を通して写真が多く、やはり写真の伝える力というのは凄いと思いましたが、それだけでなく、文章の方も、冒頭第1章の原発事故の報を受けて急遽現地入りするまでの経過などは非常に緊迫感に満ちていて、避難指示地域に入って放射線測定器の針が振り切れてしまったというのにはぞっとさせられました。

 著者は基本的に、現地から避難してくる人たちと逆方向に、出来るだけ原発事故被災地の中心部へと向かったわけですが、一方、事故当時の現地の人々の避難は漫然としたものであり、事故後3日目の、その"測定器の針が振り切れた"という原発から3キロ地点の双葉町の街中でさえ人々がいて、自転車やバイクで移動していたというのには驚かされました。

 こうした状況を目の当たりにし、著者は急遽取材を止め、道で会った人々に避難を呼びかけるとともに、市区町村役場を廻り、住民により緊急の避難を促すよう説いていて、政府の初動体制の緩慢さから、多くの人が相当量被曝したであろうことが窺えます。

 続く第2章の原発作業員への取材や、第3章の浪江町に住むある老夫婦とその娘たちの家族にフォーカスした取材も、震災並びに事故直後から動きを時系列で追っていて、たいへん緊迫感がありました。

 第4章では、原発事故報道で東電、保安院、官邸が隠蔽した情報を検証し、第5章では、地域の農家などを取材し、拡がる放射能被害の実態を伝え、第6章では、学校や住民は子供達を放射能被害からどう守ろうとしたかが報じられています。

 更に、チェルノブイリの現在を伝えることで、そこから何を学ぶべきかを示唆していますが、著者がチェルノブイリ取材で甲状腺ガンに苦しむ子供達やその家族と接して以来、「チェルノブイリ子ども基金」などを通じて、現地の子供達の支援活動を続けているということは、この章の記述で初めて知りました。

 チェルノブイリ原発火災の消火活動で多くの消防士を失った消防隊長が、「当時は放射能の恐ろしさを知らされてなかった」と語るとともに、「放射能防護服といわれるものは世界中にまだ一着も存在していないのです」と言っているのが印象に残りました(放射能物資の身体への付着を避けるだけであって、γ線や中性子線は、どんどん身体を突き抜けているわけだから)。

 最後の、チェルノブイリの現状を参照しつつ、フクシマにおいて今後懸念されることを考察していますが、やはり、放射能被害が顕在化してくることが一番危惧されるべきことなのでしょう。

 一方で、長崎大学の長瀧名誉教授らを筆頭に多くの原発推進派の学者が早々と現地に送り込まれ、住民を安心させるためだけの根拠無い安全講話をして廻ったため、そうした危機意識の持ち方にも被災した住民の間でムラがあるようで、こうした御用学者の犯した罪は重いように思われました。

 著者は報道写真の月刊誌「DAYS JAPAN(デイズジャパン)」の編集長としてフリージャーナリストを多く受け入れていますが、岩波書店もフリージャーナリストを多く受け入れ彼らの本も出しており、本書は原発事故の記録として岩波新書に加えるに相応しい一冊と言えるかもしれません。

【読書MEMO】
広河隆一.jpg●写真誌「DAYS JAPAN」を発行するデイズジャパン(東京)は(2018年12月)26日、フォトジャーナリストの広河隆一氏(75)を25日付で代表取締役から解任したことを明らかにした。週刊文春2019年1月3日・10日号で、広河氏からのセクハラ行為を訴える女性の元スタッフらの証言が報じられていた。[2018年12月26日WEB東奥日報(共同通信社)]

「週刊文春」 2019年 1/10 号/「DAYS JAPAN(デイズジャパン)」2019年 2月号
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「●原発・放射能汚染問題」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【1709】 石橋 克彦 『原発を終わらせる

やはり、原子力科学者の書いたものでは、この人の本が一番分かり易い。

原発はいらない1.jpg原発はいらない.jpg 『原発はいらない (幻冬舎ルネッサンス新書 こ-3-①)

 『原発のウソ』('11年6月/扶桑社新書)の小出裕章氏が引き続き一般向けに書いた新書で、『原発のウソ』があっという間に10万部を超えるベストセラーになったにも関わらず、どういうわけか比較的"新進"のレーベルからの刊行が続くなあという印象も(ルネッサンス新書って、自費出版原稿を募っているけれど、まさか小出氏の本が自費出版ということはないと思うが)。

 序章に自らが原子力研究を通して反原発運動に転じた経緯が書かれていて、高木仁三郎の『市民科学者として生きる』('99年/岩波新書)を思い出しましたが、著者の場合は、京都大学原子炉実験所に入所以来37年間「助手」(今は"助教"と言う)のままでいて、その昇進の停滞は"ギネス"ものと冗談めかしながらも、科学者は、科学の領域に逃げ込んで「専門バカ」になってはならず、しっかり社会的責任を負うべきであることを強調しています。

 本論部分は『原発のウソ』を先に読んだので、内容が重なる部分もありましたが、やはり、原子力科学者の書いたものでは、この人の本が一番分かり易いのでは。

 第一章で福島第一原発が今後どうなるのかを事故の経緯から遡って解説したうえで、第二章で、危険なのは福島原発だけではないことを解説していますが、その冒頭に南海トラフ沿い、つまり想定東海地震の震源域のほぼ中央にある、浜岡原発の危険性が指摘されています(「破局的事故が起きれば、関東圏を中心に192万人が死亡」すると)。

朝日 20120401.jpg 今日('12年4月1日)の新聞各紙で、内閣府が設けた有識者による「南海トラフの巨大地震モデル検討会」(座長:阿部勝征東大名誉教授)による、南海トラフ地震の新たな想定が報じられていますが、それによると、震度6弱以上の恐れがある地域は24府県687市町村に及び、中央防災会議が'03年に出した20府県350市町村から、総面積で3.3倍に増え、震度6強以上になる地域も5.6倍に拡大し、また、津波高については、10メートル以上の地域が従来の2県10市町から11県90市町村に増えています(最大の津波高が想定されたのは高知県黒潮町の34.4メートル)。

2012年4月1日付 朝日新聞一面より

 朝日新聞の一面には、浜岡原発のある御前崎市で、従来の想定の7.1メートルから14メートル近く引き上げられ、地震で地盤隆起2.1メートルを差し引いても、現在計画中の18メートルの防潮壁を超える可能性があるため、原発の敷地が浸水する可能性があるとの記事もあります。

 この、浜岡原発について著者は全廃炉を主張していますが、中部電力の津波対策についても批判しており、中風電力の本書刊行当時の「15メートルの防波堤を作れば安心」という見方に対し、原発直下でマグニチュード8.5の巨大地震が起きれば、50メートル以上の津波もあり得る、「壁の高さを15メートルにした理由や根拠があるなら、ぜひ教えてほしい」と、この頃から述べています(マグニチュード8.5は、当時の東海・南海予測で、これも今回の検討会で9.1に改められた)。

 本書中盤(第三章)は、読者からの質問にQ&A形式で回答するかたちになっており、「夫に日給3万円、福島原発で働かなかという話がきていますが、被曝しないか心配です」などといった具体的な15の質問に、50ページに渡って丁寧に答えています。

 最終第四章は、未来を担う子供のために大人たちが何をすべきか訴えていますが、一方、「原子力村」の人々が原発を簡単に手放すと考えるのは楽観的すぎるとし、新エネルギーにこだわり過ぎると「それを実現するまでは原発を認める」ということになりかねず、原発の即刻廃絶のためには、火力発電をフル稼働することに尽きるとしている点が示唆的でした(それで電力供給は足りるんだよね)。

原発はいらない3.jpg

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