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原爆、原発、劣化ウラン弾によってもたらされる内部被爆のメカニズムと、その隠蔽された危険性を明かす。
『内部被曝の脅威 ちくま新書(541)』['05年] 肥田 舜太郎 医師
広島で被曝後、60年間にわたり内部被曝の研究を進めてきた肥田舜太郎医師と、社会派ジャーナリスト鎌仲ひとみ氏の共著。
全5章構成のうちの第1章と第4章が、鎌仲氏による、イラクの劣化ウラン弾による被曝被害者の実情、及び、アメリカの原爆実験・原子力発電によってもたらされたと考えられる被曝被害状況などのリポートで、第2章と第3章が、肥田医師による、広島で原爆が投下された際の経験、自身が医師として被曝者の治療に当たった際のこれまで考えられなかったような特異且つ悲惨な死亡例と、振り返ってみればそれが内部被曝による原爆症によるものであったことを踏まえ、内部被曝とは何か、そのメカニズムと原発事故によってもたらされる可能性があるその脅威を解説、最終第5章は、唯一の原爆被爆国であるわが国が果たすべき役割についての両者の対談となっています。
肥田医師の被爆体験及び被曝者の治療体験の記述には凄まじいものがありますが、爆心地から離れた場所にいて大量の放射線を浴びたわけではないのに、或いは、被爆後の爆心地に立ち寄っただけで直接"ピカ"には遭わなかったのに、その後に体調不良を訴え、猛烈な倦怠感を催し(外見的異状はないのに働けなくなるため「ぶらぶら病」と呼ばれた)、やがて動けなくなり、暫くして亡くなったケースなどが紹介されていて、当時はただただ不可思議に思っていたのが、研究を進めるうちに、呼吸や飲食を通じて体内に取り込まれた放射性物質が微妙な放射線を長時間にわたって体内から照射し続け、それが原爆症を引き起こしたり、何年も経ってからガンの発症を引き起こしたりしているという確信に至るようになります。
原爆爆発と同時に放射された強烈な放射線に被曝して大量に即死させられた体外被曝とは対照的に、時間をかけて"ゆっくりと殺される" 内部被曝については、この言葉自体が、核兵器とその医学的被害に関心を持つ一部の医師の間で最近ようやく使われるようになったに過ぎないということです。
体外被曝では透過性の低い放射線は届かず、主に透過性の高いガンマ線で被曝しますが、それは一過性のものであるため、壊された細胞(DNA)は修復されやすいが、内部被曝では、透過性の低いアルファ線、ベータ線のエネルギーがほとんど体外に逃げることなく人体に影響を与えることから、体内に摂取された際に危険なのはむしろアルファ線、ベータ線を出す核種であるとのことです。
その内部被曝のメカニズムを科学的に解説する中で、むしろ低線量放射線の方が高線量放射よりも危険性が高いという「ベトカウ理論」を紹介するとともに、マウスを使った実験結果や実際の臨床報告などによる検証を行っています。
肥田医師は、本書の大きな狙いは、「微妙な放射線なら大丈夫」という神話のウソを突き崩すことにあるとしていますが、よく年間何ミリシーベルトだとか、毎時何マイクロシーベルトまでなら大丈夫だとか言われているのも体外被曝のことで、少しでも体内に入ったら長期的に被曝し続けるため、微量な被曝であれば大丈夫というのは、本書によれば間違いということになります。
それにも関わらず、今回の福島原発事故に関して政府や学者が「(外部被曝線量が)年間何ミリシーベルトなら大丈夫」と言っているのは、内部被曝のことを全く考慮していないわけであって、これを「ベトカウ理論」に対する学者の見解の相違ということで片付けてしまっていいのか、原発推進を飯のタネにしている御用学者らが言っている「大丈夫」説だけに、不安を覚えます。
鎌仲氏の後半のリポートの中には、コロンビア川ほとりに9つの原子炉が建設されたハンフォード核施設の風下地域の住民の放射能汚染の実態と、それを隠蔽しようとする政府に対し、立ちあがって国を訴えた住民たちの闘いの記録がありますが、原子力大国アメリカは「被曝大国」でもあることを、新たに知ることができました。
最終章の両者の対談にある鎌仲氏の、「本来であれば、日本は唯一の『自覚的な被爆国』として、被爆とは何たるかを世界に知らしめる役割を担うべきであったはずなのに、その責務を放棄して、現在のような原子力発電所大国になってきてしまって、核武装論まで出てきてしまっている。なぜこんなことになったんでしょうね」という問いかけに対し、肥田医師は、被爆の問題を、人間の生命との関わり合いの中で捉えていないことに原因の一端があるとしていますが、そうした人々の中には医療関係者や法律の専門家の多くが含まれるとのこと、優秀な人って意外とイマジネーション力が弱かったりすることがあるのか。
肥田舜太郎(ひだ・しゅんたろう)
2017年3月20日死去。100歳。日本原水爆被害者団体協議会(被団協)顧問。広島市出身。広島で自ら被爆し(原爆投下当時、軍医として広島に赴任)、被爆者の治療を続けてきた医師。