【1511】 ○ 山本 嘉次郎 「加藤隼戦闘隊 (1944/03 映画配給社(東宝)) ★★★★

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「戦意昂揚」という外形の下、加藤隊長のヒューマンな人柄を描く。円谷英二の特撮も注目。

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「加藤隼戦闘隊」 ポスター/「加藤隼戦闘隊」VHS/「加藤隼戦闘隊 [DVD]」 加藤健夫(本人)

加藤隼戦闘隊1.jpg 太平洋戦争初期に南方戦線で活躍した陸軍飛行第64戦隊(通称「加藤隼戦闘隊」)を率いた加藤健夫中佐の活躍と人柄を描いた伝記映画であるとともに、軍部の協力の下、実戦機による空中戦など迫力のある映像で描いた戦争アクション映画であり、1944(昭和19)年の年間観客動員数1位となった作品。

藤田進 加藤隼戦闘隊.jpg 冒頭の1941(昭和16)年4月の広東に、第64戦隊の戦隊長として加藤建夫少佐(当時)(藤田進)が九七式戦闘機を駆って着任するところからカッコ良く、数ヶ月後、部隊には一式戦闘機(隼)が配備され(国内初の車輪が機体に格納できる「引込脚」の戦闘機だった)、加藤は隼の特性把握も兼ねて、単機南シナの偵察に出向いたりして、その大胆さで隊員らを驚かせます。

加藤隼戦闘隊  オリジナルスナップ.jpg 1941(昭和16)年12月初旬には部隊はフコク島へ転進、マレー半島攻略戦を実施する山下奉文の部隊の哨戒任務を与えられ、帰路の夜間飛行で仲間を失った加藤は大いに悔みますが、直後に海軍が真珠湾攻撃に成功、悲しみに浸る間もなく加藤の戦隊はコタバルへ転進し、クアラルンプール爆撃の軽爆隊の援護任務にあたり、そこで隼戦闘機での初の空戦を行って戦果を上げます。以降、加藤隼戦闘隊は目覚ましい戦果を上げ続けますが、映画ではそうした部分はニュース映像的に簡潔に伝えるだけで、前半部分のかなりは、加藤の豪放磊落で、かつ部下想いの人間味溢れる人柄の描写に割かれています。

「加藤隼戦闘隊」オリジナルスナップ写真集より

加藤隼戦闘隊3.jpg 隼戦隊というスペシャリスト軍団の中でも、隊長自身が更に一段と秀でた技術を備えているということは、スペシャリスト軍団を率いるうえで大きなリーダーシップ要因となったと思われますが、「撃墜王」「空の軍神」と呼ばれながらも、すでに40歳近かった加藤自身がどれだけ最前線で戦ったのかはよく分かっていません(映画では、敵機に囲まれ窮地にある味方軍を、加藤が単機で援護する場面などがある)。

加藤隼戦闘隊 02.jpg 但し、加藤の人間性の部分は、映画に描かれている通りの責任感が強い温かな人柄であったようで、20歳前後の若者が多く配属されていた部隊で、部下を自分の息子たちのように大事にし、敵機の攻撃により被弾し帰還できない者が出ると、号泣して兵舎の外に立って帰らぬ部下をいつまでも待ち続けていたとのことで、部下からの信頼や慕われ方は相当のものだったようです。
 
加藤隼戦闘隊05 加藤.jpg 「戦意昂揚」映画の外形をとりながらも、山本嘉次郎監督はそうした加藤の人柄にスポットを当てることで、巧みにヒューマンな作品に仕上げており、また、藤田進演じる加藤が、時に剽軽なオッサンぶりを見せたり、時に博識ぶりや洒落たセンスを見せたりと、なかなか多彩な味があって良く、少なくともこの映画での加藤の描かれ方は「軍神」という近寄り難い雰囲気ではありません(山本嘉次郎自身が撮りたかった映画を撮ったという感じ)。
 
加藤隼戦闘隊 r.jpg加藤隼戦闘隊2.jpg この映画の後半の見所は戦闘シーンで、殆どがオリジナルフィルムであり、本物のパイロットが本物の戦闘機を駆ってい編隊飛行などを見せるほか、1942(昭和17)年2月の陸軍落下傘部隊のパレンバン攻略戦を、実戦さながらのスケールで再現してみせています(これは軍の協力がなければ出来ないことだが)。

加藤隼戦闘隊 01.jpg 年代設定は1941(昭和16)年から1942(昭和17)年にかけてであり、同じく「隼」を中心に据えた山本薩夫監督の「翼の凱歌」('42年/東宝)と比べてみると興味深いかもしれません(リアルタイムでみれば共に胴体に日ノ丸のない「一式戦一型」のはずだが、「翼の凱歌」の2年後に作られたこの作品では、年代設定は「翼の凱歌」より少し前でありながら、胴体に日ノ丸のある「一式戦二型」が登場して編隊飛行などを行っている)。

加藤隼戦闘隊  特撮.jpg 更に戦闘機同士の空中戦や空爆シーンは、円谷英二特技監督による精巧な特殊撮影が織り込まれていて、どこまでが実写でどこまでが模型なのか見た目では分からないぐらいリアル。戦後の怪獣映画の特撮シーンの基礎は、こうした作品で培われたことを窺わせるとともに、円谷英二もまた、自分がやってみたかったことを映画作りの中でやったという側面もあるのではと思ったりもしました。

加藤隼戦闘隊 ポスター2.jpg 1942(昭和17)年5月、出先基地から出撃した味方機が途中で不時着し、部下の身を案じて基地からの引き揚げを躊躇っていた矢先に基地は敵の爆撃を受け、急遽追撃した加藤は敵機を撃墜するも敵弾を受け、反転して海中に自爆(多分、帰還が不可能であることを悟ったのだろう。これは部下に普段から話していた「確実に死ねる」方法だった)、38歳で戦死しました(彼の最期の場面は映画には無い)。

加藤隼戦闘隊 タイトル.png 加藤はすでに生前から「空の軍神」と呼ばれていたぐらいで、死後ますます「軍神」として祭り上げられることになりますが、彼自身はそんな類の名誉を望んでいなかっただろうし、こんないい人でも死ななければならない、という「戦争というのはやっぱり嫌だなあ」という気持ちの方が見終わった後に残る、ある意味アイロニカルな「戦意昂揚」映画のように思えました。
  
「加藤隼戦闘隊」●制作年:1944年●監督:山本嘉次郎●製作:村治夫●脚本:山崎謙太/山本嘉次郎●撮影:三村明●音楽:鈴木静一●特技監督:円谷英二●時間:109分●出演:藤田進/黒川弥太郎/沼崎勲/中村彰/高田稔/大河内伝次郎/灰田勝彦/河野秋武/志村喬●公開:1944/03●配給:映画配給社(東宝)(評価:★★★★)

「0戦はやと」.jpg「0戦はやと」2.jpg 一方、優秀な戦闘機パイロットに対する憧憬は戦後も長くあったようで、「隼」と並ぶ日本の戦闘機「0戦」「紫電改」をそれぞれ素材とした、辻なおきの「0戦はやと」(「週刊少年キング」創刊号から1964(昭和39)年第52号まで掲載)、ちばてつやの「紫電改のタカ」(1963(昭和38)年から1965(昭和40)年まで「週刊少年マガジン」に連載)といったマンガがありました。倉本聰.bmpこの内「0戦はやと」は、TVアニメとして、1964(昭和39)年1月21日から10月27日までフジテレビ系で放送され、脚本には倉本聡氏などが携わっています(「見よ、あの空に 遠く光るもの あれはゼロ戦 ぼくらのはやと 機体に輝く 金色(こんじき)の鷲 平和守って 今日も飛ぶ ゼロ戦 ゼロ戦 今日も飛ぶ」というテーマソングの作詞も倉本聡氏)。

ゼロ戦はやと.jpg0戦はやと [VHS].jpg 因みに、アニメのオープニングで、隼人がアップになるカットに1コマだけ(開始16秒後)、スタッフのものと思われる腕時計をした手がちらっと映り込んでいるのが確認できます(ずっとこのまま放映していたのかなあ)。
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0戦はやと [VHS]

「0戦はやと」(テレビアニメ版)●演出:星野和夫●製作:鷺巣富雄●脚本:倉本聡/鷺巣富雄/河野詮●音楽:渡辺岳夫●原作:辻なおき●出演(声):北条美智留/朝倉宏二/大塚周夫/田の中勇/家弓家正/大山豊/河野彰●放映:1964/01~10(全38回)●放送局:フジテレビ

      
           
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和田泰明

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