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「文芸」と「ミステリ」が入り混じったような作品。どちらに軸を置いて読めばいいのか...。
『球体の蛇』(2009/11 角川書店)
1992年秋、17歳だった私・友彦は両親の離婚により、隣の橋塚家に居候していた。その家には、主の乙太郎さんと娘のナオが住み、奥さんと姉娘サヨは7年前、キャンプ場の火事が原因で亡くなっていた。乙太郎さんの手伝いとして白蟻駆除に行った屋敷で、私は死んだサヨによく似た女性に出会い、もともとサヨに憧れていた私は、彼女に激しく惹かれ、夜ごとその屋敷の床下に潜り込み、老主人と彼女の情事を盗み聞きするようになる―。
作者の3連続目の直木賞候補作で、「文芸」と「ミステリ」が入り混じったような作品ですが、作者によれば、初めてミステリでない、つまりトリックを入れないで書いた小説であるとのことです。
確かに「文芸」のウェイトは高いかと思いますが、どう見てもミステリの要素も入っていて、それがストーリーに大きな影響を及ぼしており、どちらに比重を置いて読んでいいのか、読んでいてやや戸惑いました。
主人公の抱えているサヨの自殺に纏わる秘密―しかし、主人公以外の登場人物もそれぞれに秘密を抱えており、真相は1つに絞り切れない―最終的な解を示さない点ではミステリではないのかもしれませんが、文芸小説として読むならば、あまりに都合よくそれぞれの告白の内容が重なり過ぎているように思いました。
そういうのを考えつくだけでも大した才能だと思うし、ドロッとした話を透明感のある切なさのような余韻を残して締め括っているのも、これまた大した筆力だと思いましたが、「文芸」であるならば、行間から伝わってくるはずのドロっとした感じがまだ足りないような気がし、「ミステリ」であれば、逆にノスタルジックな書き込みとかが邪魔にも感じられてしまう―この混ざり具合がこの作家の特質なのでしょうが、物語に入り込む前に、物語自体が器用に作られているなという印象が拭い切れませんでした。
直木賞選考委員の内、若手ミステリ作家を比較的推す傾向にある北方謙三氏の評は、「力量は充分であるが、描写が稠密で、読みながら私は、息苦しさを感じ、簡潔を求めた」と言い(但し、この人だけが候補としてこの作品を推した)、宮城谷昌光氏も「情念に深入りすると作品の明度が低下すると警告したい」と言っています。
分かり易いのは、浅田次郎氏の「小説に明確なテーマを据えたのは大きな飛躍である。また反面、その新たなる飛躍が、作者を呪縛しているミステリの手法との間に軋轢を生じた」「一般読者のみならずとりわけミステリーファンには納得できなかったのではあるまいか」という評。
選考委員が、作者にミステリ以外のものも期待しながら、結局は作者をミステリ作家として見ていることがよく窺えます(自分もほぼ同じ立場だが)。
【2012年文庫化[角川文庫]】