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最後は、「さて、誰を犯人にしようかな」みたいな感じで決まったような終わり方?
『カッコウの卵は誰のもの』(2010/01 光文社)
かつてスキー選手であり、オリンピックに何度も出たことがある緋田宏昌は、同じくスキー選手である娘の風美を、オリンピックでメダルを獲れるような、自分を超えるトップスキーヤーにすることを目指しており、一方、風美の所属チームの研究者は、2人の遺伝子パターンを調べてスポーツ選手の育成・強化に繋げたいと考えていたが、緋田には、19年前の娘の出生に纏わる誰にも言えない秘密があり、そのため、遺伝子研究チームの申し出を断り続けてきた―。
相変わらずスラスラ読めてしまう東野作品ですが、それにしても、途中まではややダラダラした印象を受け、それが終盤に入って、やっとギアが入ったかなという感じでした。
そのため、一時(いっとき)は「さすが」と期待したのですが、結局、終盤バタバタした感じで事件は落着、その後、"お約束"のもう一捻りがあって、これがこの人の作品にしては期待外れ。
結局、2時間ドラマみたいなプロットをここまで引っぱるだけ引っぱって、最後は、「さて、誰を犯人にしようかな」みたいな感じで決まったような終わり方だったなあと。
通して振り返れば、テーマは最初からミエミエのありきたりなものだし、骨髄移植などのモチーフも使い古されているものだし、人物の描き方も浅いし―と、今回はあまり振るわなかったように思いました。
細部を見ても、事件の契機となった事故の詳細が描かれていなかったり、同一人物の呼称が途中で変わったりと、不満な点やおかしな点はあるけれども、何よりも、犯人の犯行動機の論拠があまりに脆弱。こんな理由で、そこまでやるかねえ(そのため、「とってつけたような」という印象が拭いきれない)。
それでも一応は最後まで一気に読ませてくれたので、評価は△としますが、但し、東野作品の中での相対評価だと×に近いかも。一時(いちどき)に何本も書き過ぎているんじゃないかなあ。
【2013年文庫化[光文社文庫]】