【1412】 ○ フアン・ルルフォ (杉山 晃/増田義郎:訳) 『ペドロ・パラモ (1979/10 岩波現代選書) ★★★★

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「死者の町」に来た若者。「おれ」自身の事実が明らかになるところが衝撃的且つ面白い。

ペドロ・パラモ 単行本.png ペドロ・パラモ iwanami.jpg  pedroparamo2007.jpg  Juan Rulfo.jpg Juan Rulfo(1917-1986)
ペドロ・パラモ (1979年) (岩波現代選書)』『ペドロ・パラモ (岩波文庫)』['92年]pedroparamo[2007]
"PEDRO PARAMO"(1966)
Pedro Paramo.jpg 「おれ」(フアン・プレシアド)は、母親が亡くなる際に言い遺した、自分たちを見捨てた父親に会って償いをさせろという言葉に従い、顔も知らない父親ペドロ・パラモを捜しに、コマラの町に辿りつくが、町には生きている者はなく、ただ、死者ばかりが過去を懐かしんで、蠢いているだけだった―。

 1955年にメキシコの作家フアン・ルルフォ(Juan Rulfo、1917-1986)が発表した作品で、ルルフォは、この『ペドロ・パラモ(Pedro Páramo)』(1955年)と、短編集『燃える平原(El llano en llamas)』(1953年)の2冊だけしか世に出しておらず、それでいて高い評価を得ているという希有な作家です。

 最初、「おれ」がコマラの町に入ったばかりのころは、何となく死者たちの"ささめき"が聞こえる程度だったのが、そのうち、死んで今はいないはずの人が出てきたりして、生きている人と死んでいる人が「お前さん、まだ、さまよっているのかい」みたいな感じで会話したり交わっているような町であるらしいと...それが次第に、町で暮らす人は全て死者であるらしいということが明らかになってきます。

 作品を構成する70の断片の中にある死者同士の会話などを通して、町のドンであったペドロ・パラモの狡猾で粗暴な一面と、スサナという女性を愛し続けた純な一面が浮き彫りになります。
 また、ペドロ・パラモには、「おれ」のほかに、ミゲル・パラモとアブンディオという息子がいて、ミゲル・パラモを事故で亡くしていて、「おれ」を最初に町に案内してくれたアブンディオも実は死者であった...。

 何だか、時代劇を観ていて、ある程度感情移入したところで、ふと、この人たちは、今は皆死んでいるんだなあという思い捉われる、そうした感覚に近いものを感じました。
 そして、この物語は、主人公である「おれ」自身が今どうなのかということが明らかになるところがかなり衝撃的で(面白いとも言える)、その辺りから、この「おれ」は誰に対して物語っているのか(それまでは当然、読者に対してであると思って読んでいたわけだが)、物語の読み方そのものが変わってきます。

 更に、物語の主体は、ペドロ・パラモであったりスサナであったりと移ろい、詰まる所、コマラという町自体が、物語の主体であることを印象づけるとともに、アブンディオが終盤に再登場することで、この話は時間的な円環構造になっていることを示唆しています(「死者」は直線的な時間には拘束されていないが、この円環からは抜け出せないということか)。

 訳者の杉山晃氏(1950年生まれ、スペイン文学者。氏の「ラテンアメリカ文学雑記帳」というWEBサイト(ブログに移行中?)は、色々な作家の作品を紹介していて面白い)の文庫版解説によると、1980年に行われたスペイン語圏の作家や批評家によるラテンアメリカ文学の最良の作品を選ぶアンケートで、この『ペドロ・パラモ』は、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』(1967年発表)とトップの座を分かち合ったとのことですが、長さ的には『百年の孤独』よりずっと短いけれど(『ペドロ・パラモ』は文庫で200ページほど)、印象に残る作品であることには違いありません。

ペドロ・パラモ 家系図.jpg 個人的には、片や「死者の町」コマラが舞台で、片や「蜃気楼の町」マコンドが舞台というのが似ている気がし(『ペドロ・パラモ』の方が発表は12年早く、その意味ではより先駆的かも)、また、片やペドロ・パラモという町のドンが登場し、片やホセ・アルカディオ・ブエンディアという族長的リーダーが登場するという、更には、そこに端を発する極めて複雑な家系図を成すといった、そうした類似点が興味深かったです(『ペドロ・パラモ』の方の家系図は、もう、何が何だかよくわからないくらい錯綜していて研究対象になっているようだ)。

 この作品は、メキシコの映画製作配給会社が、2007年にマテオ・ヒル監督により、メキシコのイケメン俳優ガエル・ガルシア・ベルナル主演で映画化すると発表しましたが、その後どうなったのか。『ペドロ・パラモ』はこれまでにメキシコ人監督によって3度映PEDRO PARAMO 1966 1.jpgPEDRO PARAMO 1966 2.jpg画化されていて、カルロス・ベロ(Carlos Velo)監督(1966年)、ホセ・ボラーニョス監督(1976年)、サルバドール・サンチェス監督(1981年)の何れの作品も日本未公開(主にメキシコとスペインで公開)ですが、1966年のカルロス・ベロ版はインターネットで観ることが可能です(オープニング・シーンに味わいがある)。

"PEDRO PARAMO" de Carlos Velo (1966)(英字幕入り・部分)
 Pedro Paramo video.jpg

 【1992年文庫化[岩波文庫]】

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