【1377】 ○ 太宰 治 『もの思う葦 (1932/11 角川文庫) ★★★☆

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太宰治の随想集。発表順に纏められている角川文庫版の方が新潮文庫版よりいい。

もの思う葦.jpg 『もの思う葦 (角川文庫クラシックス)』['32年/'98年改版版]もの思う葦 新潮文庫.jpgもの思う葦 (新潮文庫)』['78年]

太宰治2.bmp 太宰治(1909‐1948)の随想集です。文芸評論家の奥野健男(1926-97)によれば、太宰は小説以外のだらだらした感想文を書くことを極度に嫌ったようで、そこには、「小説家」としての自負と責任感があったとのこと、但し、義理で、或は「小説にならない心の弱り」から書いた随想もあるとのことです。

 本書では、1935(昭和10)年から翌年にかけて「日本浪漫派」に連載した「もの思う葦」「碧眼托鉢」から、1948(昭和23)年に「新潮」に連載された「如是我聞」までを収めていますが、「もの思う葦」や「碧眼托鉢」が書かれたのは太宰26歳の頃で、志賀直哉に対する批判で知られる「如是我聞」が書かれたのは、38歳で亡くなる直前でした。

 最初に角川文庫版(『もの思う葦・如是我聞』という表題だった)を読んだ時は、たいへんアイロニカルで機知に富んだ表現が多いように感じられ、一方で、極めて真摯な部分とどこか投げ遣りな部分が(これが「義理で」書いている部分か)混在しているような印象も受けました。

 しかしながら、久しぶりに読み返してみると、ベースにあるのは、一貫した自己に対する「素直さ」のようなものであったように思え、発表当初は「当りまえのことを当りまえに語る」という副題があったようですが、そのことの難しさを、この作家は熟知していたのではないかと。

 芥川龍之介ばりのアフォリズムが目立つのも特徴の1つで(太宰は芥川を敬愛していた)、でも、20代の太宰のアフォリズムには、芥川のアフォリズムには無いユーモアがあるように思え、佐藤春夫や志賀直哉に対する批判はこの頃からあったわけですが、どこかまだゆとりがあるような...。
 それが、晩年の「如是我聞」になると、志賀直哉に対する批判は罵倒に近いものになっているように思えます(『暗夜行路』、クソミソに貶しているなあ)。

 奥野健男編纂の新潮文庫版『もの思う葦』の方には、「川端康成へ」という、川端康成に対する批判文がありますが、これはもかなり攻撃的。
 但し、これは晩年のものではなく、25歳の時に発表した「道化の華」が第1回の芥川賞の予選候補になりながらも落選し、その際の川端康成の「作者目下の生活に厭な雲ありて、才能の素直に發せざる憾みあった」という選評に対して反発したもので(予選候補は川端康成が単独選者)、この頃、太宰はパビナール中毒に苦しんでいた時期であり(その頃に書かれた「悶悶日記」にそのことがよく表れている)、この点を割り引いて考える必要があるようです(「もの思う葦」の連載が始まったのもこの年なのだが...)。

 角川文庫版の方は、「川端康成へ」などは欠けていますが、発表順に所収されていて、発表誌とその発行年月が各末尾に記されているため、作家の心理的な起伏を時系列で探ることが出来るという点でいいです。
 また、現在の「角川文庫クラシックス」の柳美里氏による解説は、テキスト的と言うか、意外とオーソドックスで分かり易いものでした(奥野健男の解説は、個人的な思い入れがやや色濃いか)。

 【1932年文庫化・1998年改版[角川文庫(『の思う葦・如是我聞』)/角川クラシックス]/1972年再文庫化[新潮文庫]/1989年再文庫化[ちくま文庫(『太宰治全集〈10〉』)]】 

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This page contains a single entry by wada published on 2010年8月23日 23:53.

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