【1372】 ○ 川端 康成 『浅草紅団・浅草祭り (1996/12 講談社文芸文庫) 《 浅草紅団 (1930/12 先進社)》 ★★★☆

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書き進むうちに、「物語」から「ルポルタージュ」に変質していった?

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浅草紅団 (昭和5年)』 『近代文学館〈特選 〔25〕〉浅草紅団―名著複刻全集 (1971年)』 『浅草紅団・浅草祭 (講談社文芸文庫)』 

 昭和初期の浅草を舞台に、不良不良少年・少女のグループ「浅草紅団」の女リーダー・弓子に案内され、花屋敷や昆虫館、見世物小屋やカジノ・フォーリーと巡る"私"の眼に映った、浅草の路地に生きる人々の喜怒哀楽を描く―。

 '29(昭和4)年12月から'30(昭和5)年2月にかけて東京朝日新聞夕刊に連載され、'30(昭和5)年12月に先進社により単行本として出版された小説で、'71年7月に日本近代文学館より復刻版が出ています。

 カジノ・フォーリーとは、浅草にあった水族館の2階で昭和4年に旗揚げしたレビューで、川端康成、武田麟太郎など、当時の新進作家が出入りしていたそうです。

 川端康成の浅草への愛着は相当なもので、30歳ごろにこの小説を書き始めたことになりますが、言い回し(文体)が、文芸作品というより風俗小説のそれに近い躍動感があるのが興味深く、また、そうした飛び跳ねたようなトーンの中においても、浅草というカオスに満ちた街に対して、自らをあくまでもエトランゼ(異邦人)として冷静に位置づけているように思えます。

 弓子という男勝りの、それでいて男性に複雑な感情を抱く少女に対しても(ここにも作家の文学上の少女嗜好が窺えるが)、相手も"私"のことを悪く思っているわけではないのに一定の距離を置いていて、弓子自体がやがて多くの登場人物の中に埋没していくようです。

 後半に行くに連れて、人物よりも街を描くことが主になってきて(途中からルポルタージュへと変質している)、小説としてはどうかなと思う部分も多いですが、その分、当時の浅草の観光ガイドとしては楽しめます。この辺りは、直接取材だけでなく文献研究により書かれた部分も多いようです(今のアサヒビール本社付近に昔はサッポロビール本社があったとうのが興味深いが、両社が一旦合併した時期があったためと知り、納得)。

 関東大震災から昭和恐慌にかけての衰退に向かう浅草に対する惜別の想いが感じられますが、この作品を脱稿して作家が久しぶりに浅草に出向いてみると、結構な賑わいぶりで、「先生の小説のお陰で街に活気が戻った」とレビューの踊子に言われたというエピソードを聞いたことがあります(浅草が本格的に衰退に向かうのは、昭和33年の売春防止法の施行以降)。
 
 講談社文芸文庫版には、本作の6年後に書かれた続編「浅草祭」が収められていますが、「浅草祭」の冒頭で、続編の予告に際して前作「浅草紅団」に触れ、「どんな文体であったかも、よく覚えていない。その一種勢いづいた気取りを六年後に真似ることは、嘔吐を催すほど厭であろうし、果たして可能かも疑わしい」と書いたことを引用しており、実際「浅草祭」の方は、風俗小説風の軽妙な文体は鳴りを潜め、弓子がどこかへ消えていなくなくなっている(大島の油売りになった)こともあってか、落ち着いた、祭りの後のような寂しいトーンになっています。

 「浅草紅団」の前半ぐらいまでは、作家は「物語」を書こうとしていたのではないでしょうか。それが次第と、風俗を描くことがメインになり、断片的なスケッチの繋ぎ合わせのような作品になってしまった―なぜ、物語として完成し得なかったかについても「浅草祭」で書いてはいますが、最後まで「物語」として貫き通していたらどんな作品になっていただろうかとの想像を、禁じざるを得ません。

 【1955年文庫化[新潮文庫]/1981年再文庫化[中公文庫]/1996年再文庫化[講談社文芸文庫(『浅草紅団・浅草祭』)]】

     



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和田泰明

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