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「お受験」をきっかけに母親たちのどろどろした部分が...。結局、事件は起きなかった?
『森に眠る魚』['08年]
東京・文京区に住む繭子、容子、瞳、千花、かおりの5人の母親は、同じ年の子供を同じ幼稚園に通わせる縁で「ママ友」として親しく付き合うようになったが、子供の「お受験」やそれに纏わる出来事の積み重ねにより、次第に嫉妬心や不信感を募らせ、その関係が変質していく―。
'99年に起きた「文京区幼女殺人事件」、俗に言う「音羽お受験殺人事件」が作品のモチーフになっているということで、物語の物理的・時間的背景も事件に近い設定ですが、実際の事件の報道傾向が二転三転していることもあって真相がはっきりしないこともあり、小説は小説として読んだ方がよさそう。
最初に、「繁田繭子(怜奈)、久野容子(一俊)、高原千花(雄太・桃子)、小林瞳(光太郎)、江田かおり(衿香)」という具合に親子関係をメモっておいて読み進むと、それぞれの境遇や性格の違いが把握し易いかと思います。
天真爛漫だが図々しいところもある繭子、不安症で人との繋がりを求める久野容子、上昇志向が強いが自由奔放な妹とは折り合わない千花、他者に対する依存傾向の強い小林瞳、プライドが高く不倫相手との関係を断ち切ることがでいるかおり―と、それぞれにクセはありますが好感の持てる面もあり、まあ"フツーの人"の範疇と言っていいのではないかと。
それが、子供の「お受験」をきっかけに、それぞれの性格の嫌な部分がじわ~っと出てきて言動に表れ、5人の相互の関係もどろどろになっていく―1人1人を突き放して描くのではなく、内面に寄り添いながらもそういう展開にもって行く辺り、上手いなあ、この作家。
ただ、あまりに上手すぎて毒気に当てられたと言うか、"視野狭窄"に陥っている5人には、正直あまり同情出来ず、また救いも感じられず、最後にお受験が終わって5人が普通の生活に戻って行くというのが、ある種ブレークスルーなのかもしれないけれど、それでもやはり読後感は良くなかったなあ。
小説の中でも「幼女殺人事件」に該当するような描写がありますが、この部分は主体をぼかして幻想的に描かれており、作者は、この"フツーの人"である5人の内の誰もがこうした事件の犯人になり得ることを象徴的に示唆したかったのでしょう(ミステリではなく、心理小説であるということ)。
事件は小説の中でも現実の出来事としてあり、犯人をぼかすことで、作品自体にミステリアスな余韻を残したと見ることもできますが、そうするとエピローグとの整合性がつかなくなるので、実際には事件は無かったとみるのがスジなのではないかと。
【2011年文庫化[双葉文庫]】