2010年8月 Archives

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裕福な家庭の人々の「罪」を暴いた「警部」は、「超自然の存在」という解釈が妥当では。

夜の来訪者 1952.jpg夜の訪問者 三笠書房.jpg夜の来訪者.jpg    夜の訪問者 映画.jpg
夜の来訪者 (岩波文庫)』['07年]「夜の来訪者」(An Inspector Calls、'54年製作・'55年公開/ガイ・ハミルトン監督)
夜の来訪者 (1952年)
夜の来訪者 (1955年) (三笠新書)
夜の来訪者 (1955年) (三笠新書)_.jpg 裕福な実業家の家庭で、娘の婚約を祝う晩餐会の夜に警部を名乗る男が訪れて、ある貧しく若い女性が自殺したことを告げ、その家の人々(主人夫妻、娘、息子、娘の婚約者)全員が自殺した女性との接点を持っており、彼女に少なからず打撃を与えたことを暴いていく―。

 1946年10月初演の、英国のジャーナリスト・小説家・劇作家・批評家ジョン・ボイントン・プリーストリー(John Boynton Priestley "J. B." Priestley、1894-1984)の戯曲で(原題は"An Inspector Calls")、文庫で160ページほどであるうえに、安藤貞雄氏の新訳であり、たいへん読みやすかったです。初訳は1952年の内村直也訳の三笠書房版で、1951年10月の俳優座による三越劇場での日本初演(警部役は東野英治郎(1907‐94)に合わせて訳出されました(古本市場で入手可能)。

 娘の死に自分たちは関与していないという実業家の家族たちの言い分を、「警部」が1人1人論破していく様は実に手際よく、娘や息子が自らの「罪」が招いた悲劇であることを認めたのに対し、それでも抗う主人夫婦などに、上流(中産)階級のエゴイズムや傲慢、他罰的な姿勢が窺えるのが興味深いです(最初は自罰的な態度をとっていた娘が、親に対して今度は他罰的な態度をとり始めるのも、やや皮肉っぽくもとれ、作者は家族ひっくるめて、風刺の俎上に上げているのでは)。

 作品の時代背景は1912年ということですが、人間心理を突いた文学的作品であると同時に、1946年の英国にまだ残る旧社会的な考え方を照射した、社会批評的な要素もあるのではないかと思います。プリーストリーは当時、「左翼的ジャーナリスト」と見做されていたようだし、キリスト教精神の影響もみられるようです。

夜の来訪者 .JPG 但し、このお話、それだけで終わるのではなく、終盤、大いなる「謎」が家族の間に生じる―つまり、家族の団欒を台無しにして帰っていったあの訪問者は、本当に警部だったのかという...。

 その疑念に自分らなりの解釈を加えて、また一喜一憂する実業家夫婦。そして、何も無かったことにしようといった雰囲気になる中、ラストにシュールな「どんでん返し」―と、結末までの持って行き方が鮮やかで、「推理劇」ではありませんが(どこかで「推理小説」のジャンルに入っていたのを見た記憶があるが)確かにスリラー的な楽しみがあり、最後には読者(観客)に対しても、大いなる「謎(ミステリ)」を残しています(作品自体は、"サスペンス"とでも言うべきものか)。

夜の来訪者 演劇.jpg その「謎」、つまり「警部」とは何者だったのかについては、2度の映画化作品での描かれ方においても、「超自然の存在」という解釈と、"予知夢"などで「先に事件を知った別の人間」という解釈とに分かれているそうですが、やはり男の存在自体を「超自然の存在」とみるのが妥当だろうなあ。

 ガイ・ハミルトン版('57年)はそのような解釈らしいけれど、段田さんはどう扱ったのかなあ(解釈抜きでも演劇としては成立するが...)。

シス・カンパニー公演「夜の来訪者」 2009年2月14日~3月15日 新宿 紀伊國屋ホール
出演・演出:段田安則/出演:高橋克実、渡辺えり、八嶋智人、岡本健一、坂井真紀、梅沢昌代

 【1952年文庫化[三笠文庫]/1955年新書化[三笠新書]/2007年再文庫化[岩波文庫]】

《読書MEMO》
劇団かに座第105回公演「夜の来訪者」 2012年11月16日 関内ホール・小ホール

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前半はカフカ的。単館ロードのインディペンデント系の中でも伝説的なカルトムービー「鉄男」。

鉄男 チラシ.jpg鉄男 dvd.bmp 中野武蔵野ホール 2.jpg中野武蔵野ホール 地図.jpg
「鉄男 TETSUO」チラシ/「鉄男 [DVD]」 中野武蔵野ホール(「出撃!!アド街ック天国」2003年8月16日放送より)

「鉄男 TETSUO」  .jpg 平凡なサラリーマンである"男"(田口トモロヲ)がある朝目覚めると、頬に金属のトゲのようなニキビが生じていた。やがて彼の身体は時間とともに鉄に蝕まれていくが、それは、それは数日前に男が車で轢いてしまい、山林に捨てた"やつ"(塚本晋也)の復讐によるものだった―(「鉄男 TETSUO」)。

「鉄男 TETSUO」1.jpg 前半から、何だかカフカの「変身」みたいで引き込まれ、全体的にも、モノクロながらも映像構成が素晴しいと思いました。製作・監督・脚本・美術・撮影・照明・編集・特撮を1人でこなした(出演までしている)塚本晋也というのはスゴイなあと。

「鉄男 TETSUO」2.jpg 拾い集めた廃物を利用したSFX、SFXと言っても殆どコマ撮りやモンタージュの集積なのですが、低予算にも関わらず(低予算ならではの?)いい味を出しています。

 本作の約20年後の'10年に第3弾「鉄男 THE BULLET MAN」が製作されていますが(第2弾は'92年に製作)、本作の良さであるインディペンデントな雰囲気は保たれているのでしょうか(予告編を見る限り、そうは思えなかった)。

 監督の塚本晋也は俳優としても活躍、但し、石井輝男監督の「盲獣vs一寸法師」('01年)とか清水崇監督の「稀人」('04年)といったカルト的な作品への出演が多いようで、やはり相通じるものがあるのでしょうか(その後、庵野秀明監督の「シン・ゴジラ」('16年)、マーティン・スコセッシ監督の「沈黙 -サイレンス-」('17年)と立て続けに商業メジャー作品やハリウッド映画に出演した)。主演の田口トモロヲも、俳田口トモロヲ うなぎ.jpg優のほか、ミュージシャン・映画監督・劇画家などとして多才ぶりを発揮していますが、'00年から'05年に放送されたNHKの「プロジェクトX」のナレーションで一気に有名になり、あの田口トモロヲが...という感慨がありました。それ以前に、今村昌平監督の「うなぎ」('97年)に出演し、「毎日映画コンクール」男優助演賞を受賞していますが、その時と比べても随分と落ち着いた感じになったなあと(「うなぎ」はカンヌ映画祭「パルムドール賞」受賞作品)。

田口トモロヲ in「うなぎ」('97年)

中野武蔵野ホール.jpg中野武蔵野ホール内.jpg 中野武蔵野ホールでの単館ロードでしたが(確か、レイト・ショーの初日に観たと思う)、前年公開の松井良彦監督の「追悼のざわめき」('88年/欲望プロダクション)と並んで(これも中野武蔵野ホールでの単館ロード)、当時のインディペンデント系作品の中でも伝説的なカルトムービーと言えるのではないでしょうか。

中野武蔵野ホール 1987年8月、中野駅北口方面「中野武蔵野館」跡地にオープン 2004(平成16)年5月7日閉館

追悼のざわめき01.jpg 大阪・釜ヶ崎で若い女性たちの惨殺事件が続発し、被害者たちは下腹部を切り裂かれ、その生殖器が持ち去られていた。犯人は廃墟ビルの屋上で暮らす孤独な青年、誠(佐野和宏)。彼は「菜穂子」と名づけられたマネキンを愛し「愛の結晶」が誕生することを夢想していた。次々に若い女性を殺し、奪った子宮を「菜穂子」に埋め込み、そして、愛した。やがて彼女に不思議な生命が宿りはじめ、様々な人間が廃墟ビル=「魔境」へと引き込まれていく。現実の街並みは時間感覚を失い、傷痍軍人や浮浪者など、グロテスクなキャラクターが彷徨しはじめる。純粋に二人だけの世界で生きていた一組の兄妹(隈井士門、村田友紀子)もまた、「菜穂子」がいる廃墟へと導かれてゆく。幼い妹は「菜穂子」に「母」の面影を見る。兄は、その姿に激しく「性」を感じる。そのとき、廃墟ビルに引き込まれた人々に残酷な運命が訪れる―(「追悼のざわめき」)。

追悼のざわめき02.jpg 「追悼のざわめき」は、1983年頃、松井良彦監督が脚本を完成させた段階で故・寺山修司が「この脚本が映画になれば、スキャンダルを起こすだろう」と語っていた作品。1986年に完成するまで、製作に3年の歳月を費やすことになりましたが、更に2年を経て1988年に中野武蔵野ホールにて公開されています。2004年の中野武蔵野ホール閉館まで、同館で毎年5月に上映されていて、同館の観客動員数の最高記録を打ち立てる一方で内容を巡って種々論争を引き起こし、2007年暮れにようやっとDVDが発売されています(映画館では途中で席を立った人もいた)。この作品は、実際に観て感じてもらうしかない類の作品かも。ソフト化されたのは良かったと思います。

Tetsuo(1989)
鉄男 TET.jpgTetsuo(1989).jpg鉄男 TETSUOs.jpg「鉄男 TETSUO」●制作年:1989年●監督・製作・脚本・美術・撮影・照明・編集・特撮:塚本晋也●音楽:石川忠●時間:67分●出演:田口トモロヲ/塚本晋也/藤原京/叶岡伸/六平直政/石橋蓮司●公開:1989/07●配給:海獣シアター●最初に観た場所:中野武蔵野ホール (89-07-01)(評価:★★★★) 

塚本晋也 in「シン・ゴジラ」('16年・庵野秀明監督)「沈黙-サイレンス-」('17年・マーティン・スコセッシ監督)
塚本晋也 シンゴジラ.jpg 塚本晋也 沈黙.jpg

追悼のざわめき デジタルリマスター版[レンタル落ち]
追悼のざわめき dvd.jpg追悼のざわめき .jpg「追悼のざわめき」●制作年:1988年●監督・脚本:松井良彦●製作:安岡追悼のざわめき_7885.jpg卓治●音楽:菅沼重雄●時間:150分●出演:佐野和宏/仲井まみ子/隈井士門/村田友紀子/大須賀勇(白虎社)/日野利彦(人力飛行機舎)/白藤茜/皆渡静男/高瀬泰司/(声)松本雄吉●公開:1988/05●配給:欲望プロダクション(バイオタイド、安岡フィルムズ、UPLINK)●最初に観た場所:中野武蔵野ホール (88-06-18)(評価:★★★★)

観ずに死ねるか!傑作絶望シネマ88』 (2015/06 鉄人社)

《読書MEMO》
Top 10 Strange Japanese Films You Need to Watch(海外個人サイト)
10.House (1977)
9.Marebito (2004)
8.Versus (2000)
7.Survive Style 5+ (2004)
6.Tokyo Gore Police (2008)
5.Paprika (2006)
4.Dead Leaves (2004)
3.Robo Geisha (2009)
2.Rampo Noir (2005)
1.Tetsuo the Iron Man (1989)

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純粋トリックから心理トリックへ。意外と乾いた感じの初期作品。

心理試験 復刻版.gif心理試験 春陽堂文庫.jpg     屋根裏の散歩者 文庫.jpg  江戸川乱歩猟奇館/屋根裏の散歩者(1976).jpg VHSカバー
心理試験 (1952年) (春陽文庫)』『江戸川乱歩全集 第1巻 屋根裏の散歩者 (光文社文庫)』 映画「江戸川乱歩猟奇館 屋根裏の散歩者」(1976/06 日活) 石橋蓮司・宮下順子主演
心理試験 (創作探偵小説集)』 ['93年/復刻版]

 蕗屋清一郎は下宿屋を営む老婆の貯めた大金を狙って彼女を絞殺するが、犯人として挙げられたのは蕗屋の同級生・斎藤勇だった。しかし、事件に疑問を抱いた笠森判事は、蕗屋を召還て斉藤と共に「心理試験」を受けさせることにし、一方、蕗屋はその心理試験に備えて万全の応答を準備する―。

 江戸川乱歩(1895-1965)の「心理試験」(1925(大正14)年2月に雑誌「新青年」に発表)を最初に読んだのは、春陽文庫の「江戸川乱歩名作集7」('52年3月初版)で、他に「二銭銅貨」「二癈人」「一枚の切符」「百面相役者」「ざくろ」「芋虫」の6編を所収していますが('87年の改版版も同じラインアップ)、やはり「心理試験」のインパクトが一番で、「D坂の殺人事件」に続いての素人探偵・明智小五郎の"試験分析"が鮮やかです。

 『心理試験』の単行本は、1924(大正14)年7月の刊行で、「創作探偵小説集1」として'93年に春陽堂書店から復刻刊行されています(「二銭銅貨」「D坂殺人事件」「黒手組」「一枚の切符」「二廃人」「双生児」「日記帳」「算盤が恋を語る話」「恐ろしき錯誤」「赤い部屋」の10編を所収)。個人的には、高校生の時に読んだ春陽文庫に思い入れがありますが、今読むならば、光文社文庫の『屋根裏の散歩者―江戸川乱歩全集1』('04年7月刊)が読み易いかも。

 光文社文庫版は初期作品21編を収め、「二銭銅貨」「一枚の切符」「恐ろしき錯誤」「二癈人」「双生児」「D坂の殺人事件」「心理試験」...といった具合に発表順に並べられており、それぞれの作品に、作者自身が全集などに所収する際に書いた自作解説が添えられており(「心理試験」がドストエフスキーの「罪と罰」の中のラスコーリニコフの老婆殺しから示唆を得ていることを、この解説で始めて知った)、作者の自作に対する評価がなかなか興味深いです(「D坂」「心理試験」「屋根裏の散歩者」は、本人評価も良いみたい)。

 こうして見ると、初期作品(1923‐25年の間に発表されたもの)の中でも最初の数編は洋物推理的な純粋トリックが主体で、「D坂」あたりから、次第に人間心理的な要素が推理に織り込まれてくるようになったことが窺えますが、何れも乾いた感じのものが多いように思えます(春陽文庫版の「ざくろ」「芋虫」は、それぞれ'34年、'29年の発表作)。

屋根裏の散歩者 映画.jpg 光文社文庫版の表題作「屋根裏の散歩者」(1925(大正14)年8月に「新青年」に発表)は、'70年、'76年、'94年、'07年の4度映画化されており、田中登監督、石橋蓮司・宮下順子主演の映画化作品「江戸川乱歩猟奇館 屋根裏の散歩者」('76年/日活)を観ましたが、映画はエロチックな作りになっているように思いました。原作は、女の自慢話する男を嫌った主人公が、単に犯罪の愉しみのために、天井裏から毒薬を垂らして男の殺害を謀るもので、エロチックな要素はありません。この作品の事件も明智小五郎が解決しますが、その言動にもどこか剽軽で乾いたところがあります。因みに、この天井裏から毒薬を垂らす殺害方法は、映画「007は二度死ぬ」('67年/英)で採用されており、これによって若林映(あき)子が演じる公安エージェントのアキは殺害されてしまいます。
 
江戸川乱歩猟奇館/屋根裏の散歩者(1976).jpg屋根裏の散歩者 01.jpg 映画がどろっとした感じになっているのは、「人間椅子」(1925年発表)の要素を織り込んでいるためですが("人間椅子"になって喜ぶ下僕が出てくる)、「人間椅子」の原作には実は空想譚だったというオチがあり、乱歩の初期作品には、実現可能性を考慮して、結構こうした作りになっているものが多いのです。江戸川乱歩猟奇館 屋根裏の散歩者   .jpg映画には、「乱歩=猟奇的」といったイメージがアプリオリに介在しているように思えました。宮下順子演じる美那子と逢引するピエロの話も、関東大震災の話(まさに"驚天動地"の結末)も原作には無い話です。自分が最初に観た時も、宮下順子の「ピエロ~、ピエロ~」という喘ぎ声に館内から思わず笑いが起きたくらいで、今日においてはカルト的作品であると言えばそう言えるかもしれません。

江戸川乱歩猟奇館 屋根裏の散歩者 米.jpg「江戸川乱歩猟奇館 屋根裏の散歩者」●制作年:1976年●監督:江戸川乱歩猟奇館 屋根裏の散歩者 dvd .jpg田中登●製作:結城良煕/伊地智●脚本:いどあきお●撮影:森勝●音楽:蓼科二郎●原作:江戸川乱歩「屋根裏の散歩者」●時間:76分●●出演:石橋蓮司/宮下順子/長弘/織田俊彦/渡辺とく子/八代康二/田島はるか/中島葵/夢村四郎●公開:1976/06●配給:日活●最初に観た場所:池袋文芸地下(82-11-14)(評価:★★★)●併映:「犯された白衣」(若松孝二) 北米版DVD
江戸川乱歩猟奇館 屋根裏の散歩者 [DVD]
 
江戸川乱歩短篇集 (岩波文庫).jpg 「心理試験」...【1952年文庫化・1987年改版版[春陽文庫・江戸川乱歩文庫]/1960年再文庫化[新潮文庫(『江戸川乱歩傑作選』)]/1971年再文庫化[講談社文庫(『二銭銅貨・パノラマ島奇談』)]/1973年再文庫化[角川文庫(『黄金仮面』)]/1984年再文庫化[創元推理文庫(『日本探偵小説全集2』)]/1987年再文庫化[江戸川乱歩推理文庫(講談社)(『二銭銅貨』)]/2004年再文庫化[光文社文庫(『江戸川乱歩全集 第1巻 屋根裏の散歩者』)]/2008年再文庫化[岩波文庫(『江戸川乱歩短篇集』)]】

江戸川乱歩短篇集 (岩波文庫)』(収録作「D坂の殺人事件」「屋根裏の散歩者」「人間椅子」「鏡地獄」「二銭銅貨」「心理試験」「押絵と旅する男」「白昼夢」「火星の運河」「お勢登場」「木馬は廻る」「目羅博士の不思議な犯罪」の12編)

【読書MEMO】
二銭銅貨[『新青年』1923.04]/一枚の切符[『新青年』1923.07]/恐ろしき錯誤[『新青年』1923.11]/二癈人(二廃人)[『新青年』1924.06]/双生児[『新青年』1924.10]/D坂の殺人事件[『新青年』1925.01]/心理試験[『新青年』1925.02]/屋根裏の散歩者[『新青年』1925.08]/人間椅子[『苦楽』1925.10]
 

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屈折を含んだ"エロス"によって、対比的に"死"が浮き彫りにされている。

『眠れる美女』.JPG眠れる美女 川端.jpg 片腕.jpg  わが悲しき娼婦たちの思い出.jpg
眠れる美女 (新潮文庫)』['67年]『川端康成集 片腕―文豪怪談傑作選 (ちくま文庫)』 G・ガルシア=マルケス『わが悲しき娼婦たちの思い出 (2004)』新潮社(2006)/英語版(2005)

 1962(昭和37)年・第16回「毎日出版文化賞」(文学・芸術部門)受賞作。

若く美しい娘たちが強い薬で眠らされており、「安心できるお客さま」である老人たちが、彼女たちと添い寝をするためだけに宿を訪れるという「眠れる美女」の秘密の宿に通う主人公の江口老人は、若い娘の横で、自らの人生、そして自らの老醜さと死を想う―。

 三島由紀夫が「熟れすぎた果実の腐臭に似た芳香を放つデカダンス文学の逸品」と絶賛した作品ですが(そのフレーズがそのまま文庫の口上になっている)、いいなあ、この退廃的、反道徳的雰囲気。こんなの、高校生の時に読んで、この先どうなるのだろうと、その時思ったか思わなかったは憶えていませんが、まあ、今は何とかなっている?

 江口老人は"まだ男でなくなってはいない"が、人生を振り返ることが多くなっている67歳ということで、では作者はこの作品を何歳の時に書いたのかとういうと、1960(昭和35)年に発表された作品で、書き始め当時は60歳だったことになります(やっぱり、何か"節目"のようなものを感じたのか)。

 宿に眠らせれている娘は決して眼を覚まさないため、老人は一方的に娘の肢体を凝視し、放たれる香りを嗅ぎ、自らの慰めとする―そうしたことへの羞恥を抱かずに済むため、妄想や追憶が自由に許されるという、いわば究極の極私的空間において、だんだんと老人の現実と回想が混濁していくような感じがしました。

 江口老人はこの秘密の宿に5度通いますが、様々なタイプの6人の娘達(5回目は2人いた)の描写が興味深く(作者の"少女嗜好"がよく表れているように思える)、また、このリフレイン構造が、作品に物語的なリズムを醸しているように思います。
 文豪が書いた"エロ小説"ともとれますが、娘達は最初から裸でいるので、これは"エロ"にはならないのだなあと。

 野坂昭如氏が"エロ"は文化が伴うから解るが、"エロス"は芸術だから解りづらいということを以前言っていましたが、これは屈折を含んだ"エロス"に近いように思えます(三島由紀夫は「死体愛好症的」と言っているが、確かに)。

 だから、より、対比的に"死"というものが浮き彫りにされるのではないでしょうか。主人公の性的幻想に常に嫌悪感が織り込まれているのも、そのためでしょう。

眠れる美女 映画.jpg コロンビア出身のノーベル文学賞作家ガブリエル・ガルシア=マルケスが'04年に発表した『わが悲しき娼婦たちの思い出』はこの作品にインスパイアされたものであり、また、'05年には、ドイツのヴァディム・グロウナ監督が映画化するなど、国際的にも注目された作品。でも、ドイツなんかには、こんな秘密クラブが実際にありそうな気がしないでもない...。
眠れる美女 横山博人.jpgDas Haus Der Schlafenden Schonen(House of the Sleeping Beauties)ヴァディム・グロウナ監督 2005年/ドイツ

 因みに、日本では、'68年に吉村公三郎監督により田村高廣主演で、'95年に横山博人監督により原田芳雄、大西結花主演で映像化されています(右:横山博人版ビデオカバー)。

1949(昭和24)年頃 川端康成.jpg 新潮文庫には「片腕」(昭和38年発表)と「散りぬるを」(昭和8年発表)が併録されていますが、「片腕」はちくま文庫の『川端康成集―文豪怪談傑作選』の表題作でもあります。

 「片腕を一晩お貸ししてもいいわ。」と娘は言った。―という書き出しで始まる、女の片腕を借りた男の寓話「片腕」は、ちくま文庫のタイトル通り、怪談的味わいのある傑作です。

 作家の誰かがこの作品を絶賛していたように思え、もう一度調べてみたら小川洋子氏でした(『心と響き合う読書案内』('09年/PHP新書))。小川洋子氏は、「貴方なら、ご自分のどこを男に貸しますか?」というキャッチを付けていますが、う~ん、男性作家ならばこういう発想はしないだろうなあ(「男」を「女」に置き換えたとしても)。女性作家ならではのキャッチのように思いました。

「芸術新潮」2007年2月号(鎌倉の自宅でロダンの彫刻に見入る川端康成)

川端康成の前衛的作品「片腕」を映像化した落合正幸監督.bmp 因みに、この「片腕」は、文豪たちが残した怪談作品のドラマ化シリーズの1作として、NHK BSハイビジョンで、つい一昨日('10年8月23日)に放送されましたが(落合正幸監督)、放映後に知ったため観ることができず残念...。

「片腕」(落合正幸監督)出演:芦名星(写真)、平田満ほか(NHK BSハイビジョン 2010年8月23日放送)
 
 【1967年文庫化[新潮文庫]】 

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ストーカー行為を「男女共犯説」的に捉えていたのかなあ、この作家は。
川端 康成 『みづうみ』.jpg
みずうみ 川端.jpg 『みずうみ (新潮文庫)』(カバー絵:平山郁夫) 
新潮文庫旧カバー

川端 康成 『みづうみ』 (1955 新潮社).bmp 桃井銀平は東京で中学の国語教師をしていたが、女とすれ違った瞬間に理性を失い、いつの間にかその女のあとをつけているという性分のために、教え子との間で恋愛事件を起こして教職を追われ、更に、道で出会った女をつけ、抵抗した女の所持金を奪ってしまったことから、信州へと逃げ込む―。

 物語は、女の告発を恐れた銀平が軽井沢の場末のトルコ風呂を訪れ、湯女に体をあずけながら、自分が今までにあとをつけまわした女たちを回想するところから始まり、彼の女性に対する情念を"意識の流れ"として描写した作品として知られています。

川端 康成 『みづうみ』(1955 新潮社)

 この作品は、『山の音』の翌年にあたる1955(昭和30)年に刊行されていて、前作に比べて一気にデカダンの色調を濃くしていますが、個人的にはこの作家の退廃的雰囲気はいいなあと思っています(この人、NHKの朝の連ドラ用の作品(「たまゆら」)も書いているくらいだからなあ)。

 今風に言えば、銀平は"ストーカー"なのですが、興味深いのは、銀平が信州に逃げ込むきっかけになった水木宮子は、男につけられることを、自分を囲っている老人に対する復讐として享楽しており、また、学校を追われるきっかけになった玉木久子も、つけられる快感から銀平に傾倒していったという経緯があるということで、川端康成は、ストーカー行為を男女共犯説的に捉えていたのかなあ。

 水木宮子は、自分の女性としての魅力と言うよりも、魔性のようなものが男を惹き付けると自覚していて、それは、彼女の家政婦や自分を囲っている老人との会話の中で示されていますが、この部分は、主人公の"意識の流れ"の外なので、そのあたりの不統一性が、個人的にはやや気になりました。

 最後に銀平が見つけた女は、それまでの女性とは異なる無垢な少女であり、そのことは同時に、この作家の文学上の少女嗜好(ほぼロリコンと言っていい?)を如実に窺わせ、『伊豆の踊子』から始まって『眠れる美女』へと繋がるものを感じさせますが、作品としては『眠れる美女』の方が上かなあ。

 『山の音』の主人公は、薄幸の可憐な嫁に憐憫の情を抱きますが、この作品の主人公は、もう女性に感情移入するのはやめて、ただただ純粋な女性を求めて魔界に迷い込んでいくという感じ。それが『眠れる美女』になると、もう「人形愛」みたいになっていくから、ホント、行くところまで行くなあ。 

 作者・川端康成は、'48(昭和23)年に第4代日本ペンクラブ会長になり、'65年まで務めています。その間、'57(昭和32)年には、国際ペンクラブ副会長として、国際ペンクラブ大会の日本での開催に尽力、その功績により'58(昭和33)年、第6回「菊池寛賞」受賞しています。日本ペンクラブ及び国際ペンクラブの仕事には自殺した'71年まで関与していたようで、結構公私にわたって忙しかったみたい。でも、その一方で、創作の世界においては、社会派小説なんて書いたりはせず、自分の性向、じゃなくて(それは不可知の領域か)、作品のモチーフの性質(異常性愛)を貫き通しているなあと思いました。
 
 【1960年文庫化[新潮文庫(『みずうみ』)]/1961年再文庫化[角川文庫]】 

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太宰治の随想集。発表順に纏められている角川文庫版の方が新潮文庫版よりいい。

もの思う葦.jpg 『もの思う葦 (角川文庫クラシックス)』['32年/'98年改版版]もの思う葦 新潮文庫.jpgもの思う葦 (新潮文庫)』['78年]

太宰治2.bmp 太宰治(1909‐1948)の随想集です。文芸評論家の奥野健男(1926-97)によれば、太宰は小説以外のだらだらした感想文を書くことを極度に嫌ったようで、そこには、「小説家」としての自負と責任感があったとのこと、但し、義理で、或は「小説にならない心の弱り」から書いた随想もあるとのことです。

 本書では、1935(昭和10)年から翌年にかけて「日本浪漫派」に連載した「もの思う葦」「碧眼托鉢」から、1948(昭和23)年に「新潮」に連載された「如是我聞」までを収めていますが、「もの思う葦」や「碧眼托鉢」が書かれたのは太宰26歳の頃で、志賀直哉に対する批判で知られる「如是我聞」が書かれたのは、38歳で亡くなる直前でした。

 最初に角川文庫版(『もの思う葦・如是我聞』という表題だった)を読んだ時は、たいへんアイロニカルで機知に富んだ表現が多いように感じられ、一方で、極めて真摯な部分とどこか投げ遣りな部分が(これが「義理で」書いている部分か)混在しているような印象も受けました。

 しかしながら、久しぶりに読み返してみると、ベースにあるのは、一貫した自己に対する「素直さ」のようなものであったように思え、発表当初は「当りまえのことを当りまえに語る」という副題があったようですが、そのことの難しさを、この作家は熟知していたのではないかと。

 芥川龍之介ばりのアフォリズムが目立つのも特徴の1つで(太宰は芥川を敬愛していた)、でも、20代の太宰のアフォリズムには、芥川のアフォリズムには無いユーモアがあるように思え、佐藤春夫や志賀直哉に対する批判はこの頃からあったわけですが、どこかまだゆとりがあるような...。
 それが、晩年の「如是我聞」になると、志賀直哉に対する批判は罵倒に近いものになっているように思えます(『暗夜行路』、クソミソに貶しているなあ)。

 奥野健男編纂の新潮文庫版『もの思う葦』の方には、「川端康成へ」という、川端康成に対する批判文がありますが、これはもかなり攻撃的。
 但し、これは晩年のものではなく、25歳の時に発表した「道化の華」が第1回の芥川賞の予選候補になりながらも落選し、その際の川端康成の「作者目下の生活に厭な雲ありて、才能の素直に發せざる憾みあった」という選評に対して反発したもので(予選候補は川端康成が単独選者)、この頃、太宰はパビナール中毒に苦しんでいた時期であり(その頃に書かれた「悶悶日記」にそのことがよく表れている)、この点を割り引いて考える必要があるようです(「もの思う葦」の連載が始まったのもこの年なのだが...)。

 角川文庫版の方は、「川端康成へ」などは欠けていますが、発表順に所収されていて、発表誌とその発行年月が各末尾に記されているため、作家の心理的な起伏を時系列で探ることが出来るという点でいいです。
 また、現在の「角川文庫クラシックス」の柳美里氏による解説は、テキスト的と言うか、意外とオーソドックスで分かり易いものでした(奥野健男の解説は、個人的な思い入れがやや色濃いか)。

 【1932年文庫化・1998年改版[角川文庫(『の思う葦・如是我聞』)/角川クラシックス]/1972年再文庫化[新潮文庫]/1989年再文庫化[ちくま文庫(『太宰治全集〈10〉』)]】 

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主人公にとっては、嫁が不憫であるとともに、老境の光明にもなっているような。

川端 康成 『山の音』  .jpg2川端 康成 『山の音』新潮文庫.jpg川端 康成 『山の音』sinntyoubunnko .jpg  山の音 dvd.bmp    たまゆら2.jpg
山の音 (新潮文庫)』['57年]/「山の音 [DVD]」/連続テレビ小説「たまゆら」

川端康成肖像(昭和25-26年頃).jpg 1954(昭和29)年・第7回「野間文芸賞」受賞作。

 鎌倉に居を構える一家の家長・尾形信吾(62歳)は、夜中にふと感じた「山の音」に、自分の死期を予告されたような恐怖感を抱き、迫り来る老いや死を実感しながらも、息子・修一の嫁・菊子に、青春期にこの世を去った美しい憧れの女性の面影とを重ね、淡い恋心に似た気持ちを抱く―。

 1935(昭和10)年、東京の谷中から鎌倉に住まいを移した川端康成(1899- 1972)は、終生この地に住み、鎌倉を舞台とした作品を幾つか書きましたが、この『山の音』もその一つで、同じく鎌倉を舞台とした『千羽鶴』と同時期(昭和24年‐29年)に並行して連載発表され、1951(昭和26)年度日本芸術院賞を授与されています(受賞年は1952年。この賞は"作品"ではなく"人"が対象だが、この2作が実質的な受賞対象作か)。

川端康成(1950(昭和25)-1951(昭和26)年頃)

 『山の音』は、「改造文芸」の1949(昭和24)年9月号に「山の音」として掲載したのを皮切りに、「群像」「新潮」「世界川端康成 1949.jpg春秋」などに「雲の炎」「栗の実」「島の夢」「冬桜」「朝の水」「「夜の声」「春の鐘」などといった題名で書き継がれて、1954年に完結、同年4月に単行本『山の音』として筑摩書房から刊行されたもので、作家の50歳から55歳にかけての作品ということになりますが、山本健吉の解説によれば、「川端氏の傑作であるばかりでなく、戦後日本文学の最高峰に位するものである」と。

1949(昭和24)年頃。鎌倉・長谷の自宅にてロダンの彫刻に見入る。

 夫婦二世代で同じ家に住み、父親と息子が同じ会社に通っているなどというのは、当時は珍しいことではなかったのでしょう(小津安二郎など昔の日本映画にありそうだし、「サザエさん」もそうだなあ)。当時は55歳定年制が一般的であったことを考えれば、60歳過ぎても、会社に行けばお付きの女性秘書(事務員と兼務?)もいるというのは、信吾は所謂「高級サラリーマン」の類でしょうか。その事務員・英子と盛り場(ダンスホール)探訪などしたりもして。そうした信吾ですが、妻がいながらにして外に愛人を持つ息子・修一や、子連れで嫁先から出戻ってすっかり怠惰になった娘のために、老妻との穏やかな老後というわけにはいかず、その心境は、常に鬱々とした寂寥感が漂っています。

 そうした日常において、可憐な菊子の存在は信吾の心の窓となっていて、何だかこれも小津安二郎の映画にありそうな設定だなあと。但し、そこは川端康成の作品、舅と嫁の関係が表向きは不倫なものには至らないものの、昔の恋人に菊子を重ねる自分に、結婚する前の菊子を自分は愛したかったのではないかと信吾は自問しており、ついつい菊子の身体に向けられる仔細な観察眼には、かなり性的な要素もあります。

 しかし、現実に信吾が菊子にしてやれることは何も無く、修一と愛人を別れさせようという試みも空振りに終わり(この試みが信吾本人ではなく英子主導なのがミソなのだが)、ドラマチックなことは何も起こらずに、季節だけが虚しく過ぎて行く―信吾の住む鎌倉の四季の移いを背景に、そこに日本的な諦観が織り込まれたような感じで、その繊細なしっとり感が、この作品の持ち味なのでしょう。

 ただ、この菊子という女性はどうなのだろう。老人の「心境小説」の登場人物の1人の生き方を云々するのも何ですが、身籠った子を中絶したのが、「夫に愛人がいる間は夫の子を産まない」という彼女のある種の"潔癖"によるもの乃至は夫への"反抗"だとすれば(共に修一の解釈)、現代の女性たちから見てどれぐらい共感を得られるか。

山の音 スチール.jpg この作品は映画化されていて('54年/東宝)、個人的にはCS放送であまり集中できない環境でしか観ていないので十分な評価は出来ないのですが(一応星3つ半)、監督は小津安二郎ではなく成瀬巳喜男ということもあり、それなりにどろっとしていました(小津も実はどろっとしているのだという見方もあるが)。

山の音4_v.jpg 62歳の信吾を演じた山村聰(1910‐2000)は当時44歳ですから、「東京物語」の笠智衆(当時49歳)以上の老け役。息子・修一役の上原謙(1909‐1991)が当時45歳ですから、実年齢では息子役の上原謙の方が1つ上です。
山村聰
山村聰 「山の音」.jpg山の音05_v.jpg そのためもあってか、原節子(1920‐2015)演じる菊子が舅と仲が良すぎるのを嫉妬して修一が浮気に奔り、また、菊子を苛めているともとれるような、それで、ますます信吾が菊子を不憫に思うようになる...という作りになっているように思いました(菊子が中絶しなければ、夫婦関係の流れは変わった並木道o.JPGように思うが、それでは全然違った物語になってしまうのだろう)。映画のラストの、信吾と菊子が新宿御苑の並木道を歩くシーンを観てもそうだし(キャロル・リード監督「第三の男」('49年/英)のラストシーンと構図が似ている)、原作についても、信吾と菊子が信吾の郷里に紅葉を観に行くという「書かれざる章」があったのではと山本健吉も想像しているように、信吾と菊子の関係はこのまま続くのだろうなあ。それが、また、信吾の潜在的願望であるということなのでしょう。

たまゆら 川端康成.jpg この作家は、こうした家族物はおたまゆら 朝ドラ.jpg手のものだったのではないかという気もします。「たまゆら」という1965年度のNHKの連続テレビ小説(朝の連ドラ)(平均視聴率は33.6%、最高視聴率は44.7%)の原作(『たまゆら』('55年/角川小説新書))も書き下ろしていたし...(ノーベル文学賞作家が以前にこういうの書いていたというのが、ちょっと面白いけれど)。

「たまゆら」番宣用カラー絵ハガキ

 「たまゆら」は、会社を引退した老人(笠智衆、テレビ初出演)が、第二の人生の門出に『古事記』を手に旅に出るという、朝ドラにしては珍しく男性が主人公の話ですが、この老人には嫁に行ったり嫁入り前だったりの3人の娘がいて、基本的には"家庭内"ドラマ(要するに"ホームドラマ")。NHKの連続テレビ小説の第5作として「うず潮」(林芙美子原作)と「おはなはん」の間の年('65(昭和40)年)に放送され、川端康成自身が通行人役でカメオ出演していました(職業は「サザエさん」のいささか先生みたいな作家ではなかったか)。


日本映画傑作全集 山の音.jpg山の音92.jpg「山の音」●制作年:1954年●監督:成瀬巳喜男●製作:小林一三●脚本:水木洋子●撮影:玉井正夫●音楽:斉藤一郎●原作:川端康成「山の音」●時間:94分●出演山の音39.jpg:原節子/上原謙/山村聡/長岡輝子/杉葉子/丹阿弥谷津子/中北千枝子/金子信雄/角梨枝子/十朱久雄/北川町子/斎藤史子/馬野都留子/木暮実千代●公開:1954/01●配給:東宝●評価:★★★☆   
 
 
たまゆら2.jpgたまゆら.jpgたまゆら2.jpg「たまゆら」●演出:畑中庸生●脚本:山田豊/尾崎甫●音楽:崎出伍一●原作:川端康成●出演:笠智衆/加藤道子/佐竹明夫/扇千景/直木晶子/亀井光代/勝呂誉/武内亨/川端康成/光本幸子/長浜藤夫/鳳八千代●放映:1965/04~1966/04(全310回)●放送局:NHK

 【1957年文庫化[新潮文庫]/1957年再文庫化[岩波文庫]/1957年再文庫化[角川文庫]/1967年再文庫化[旺文社文庫]】

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1ペニーの過不足なく、本人に気づかれずにという、仕返しの美意識がいい。

百万ドルをとり返せ!.jpg NOT A PENNY MORE,NOT A PENNY LESS.jpg  100万ドルをとり返せ!2[VHS].jpg 100万ドルをとり返せ4.jpg NOT A PENNY MORE NOT A PENNY LESS2.bmp
百万ドルをとり返せ! (新潮文庫)』/"Not a Penny More, Not a Penny Less"/「NOT A PENNY MORE NOT A PENNY LESS」VHS

 1977(昭和42)年度の第1回の「週刊文春ミステリー ベスト10」(国内部門・海外部門共通)第3位作品。

 証券詐欺を行うためだけに設立された架空の石油会社の株投資話に騙され、合わせて100万ドルの損害を被ったスティーヴン、エイドリアン、ジャン=ピエール、ジェームズの4人は、オクスフォード大学の数学教授であるスティーヴンの発案で、この偽投資話の黒幕である大物詐欺師メトカーフに罠を仕掛けて、彼からきっちり100万ドルを取り戻す作戦を練る―。

 1976年に発表されたジェフリー・アーチャーの処女作で、国会議員だった自分自身が北海油田の幽霊会社に100万ドルを投資して全財産を失い、政界を退かざるを得なかった経験が執筆動機になっており、彼はこの作品のヒットにより借金を完済して'85年に政界に復帰しますが、翌年にはスキャンダルで辞任するなど、その後もこの人の人生はジェットコースターのように浮沈が激しく、ただ、どんな逆境からも、その逆境を糧にして(直裁に言えば「ネタ」にして)這い上がってくるというのはスゴく、転んでもタダでは起きないアーチャー氏といったところ。

 本作は所謂コン・ゲーム小説ですが、自身の経験がベースになっているためか彼の作品の中でもとりわけ面白く、また「1ペニーも多くなく、1ペニーも少なくなく」(原題は"Not a penny more, not a penny less")という合言葉を実践し、更にはメトカーフ自身が自分が騙されたことに気づかないようにするなど、仕返しするにも美意識があっていいです。

 画商のジャン=ピエールは、印象派の絵画に目が無いメトカーフにルノアールの贋作を買わせ(名画の贋作のモチーフは'05年発表の『ゴッホは欺く』でも使われている)、医師のエイドリアンは、偽薬を使ってメトカーフに多額の医療費を払わせ、スティーヴンは、オックスフォードの偽名誉学位を与えて多額の匿名寄付をせしめるが、貴族のジェームズだけは、特殊技能もアイデアも無く、そこで恋人のアンにも協力を仰ぐ―。

 それぞれに切れ者という感じですが、その中にジェームズという凡才が混じっていて、彼が皆の作戦をフイにしてしまうのではないかと読者の気を揉ませるところが旨く、アンのアイデアによる作戦の結末も鮮やか。
 自分がアーチャー作品を読み進むきかっけとなった作品ですが、ただ、ジェームズ-アン-メトカーフの関係は、今思えばやや御都合主義かなあと。

100万ドルを取り返せ! TV映画.jpg '90年に英国BBCでドラマ版が制作され、'91年に日本でビデオ発売(邦題「100万ドルをとり返せ!」)、'92年にNHK教育テレビで放映され、最近でもCS放送などで放送されることがあります。
 自分はビデオで観ましたが、原作の各場面をあまり省かずに忠実に作られていて、その上ジェームズとアンのラブ・ストーリーを膨らませたりしているため、結果として3時間超の長尺となり、その分だけ原作のテンポの良さ、本来の面白味がやや減じられたような気も。
                 
100万ドルをとり返せ1.jpg「100万ドルをとり返せ!」●原題:NOT A PENNY MORE,NOT A PENNY LESS●制作年:1990年●制作国:イギリス●監督:クライブ・ドナー●製作:ジャクリーン・デービス●脚本:シャーマン・イェレン●音楽:ミッシェル・ルグラン●時間:186分●原作:ジェフリー・アーチャー「百万ドルをとり返せ!」●出演:エド・ベグリー・ジュニア/エドワード・アスナー/ブライアン・プロザーロ/フランソワ・エリク・ジェンドロン/ニコラス・ジョーンズ/マリアン・ダボ/ジェニー・アガッター●日本公開:1991/09●配給:ビクターエンタテインメント((VHS)(評価:★★★☆)100万ドルをとり返せ5.jpg100万ドルをとり返せ6.jpg100万ドルをとり返せ3.jpg100万ドルをとり返せ2.jpg

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原作の絵解き? 27歳にして大女優の風格のジョーン・クロフォード。

雨 マイルストン.jpg雨 1932.jpg Lewis Milestone rain.jpg 雨.jpg
雨 [DVD]」『雨―他一篇 (1958年) (角川文庫)

雨 マイルストンの1シーン.jpg 南洋・サモアの島を舞台に、魔窟を流れ歩く娼婦サディ・トンプソンと、彼女を宗教的救いの世界に導こうとする宣教師デヴィッドソンの確執を描いた英国の作家ウィリアム・サマセット・モーム(William Somerset Maugham 1874‐1965)の中篇を、米国のルイス・マイルストン(Lewis Milestone 1895‐1980)が監督した作品(原題:Rain)。

雨 1932   .jpg 原作は1921年刊行(モーム47歳)の短編集『木の葉の戦(そよ)ぎ』(The Trembling of a Leaf)に収められていた中篇小説ですが、『人間の絆』(41歳)、『月と六ペンス』(45歳)と、彼が最も脂が乗っていていた頃の作品で、しかも、短編小説では世界最高峰級と言われたモームの中短編小説の中でも代表作と言われているものです(個人的には、長編小説(『人間の絆』など)も"世界最高峰級"だと思うが)。

 娼婦の改心に成功したかに見えた宣教師は、最後は海辺で喉を掻き切られた遺体で(剃刀を握ったまま)発見され、娼婦は一夜にして元の淫蕩な生活に戻ってしまい、男は皆、薄汚い豚だ!と罵詈雑言を吐いているところで話は終わるのですが、この小説には作者が説明をしていない謎があるとされていて、1つは、宣教師は何故死んだのか(自殺か他殺か)ということであり、もう1つは、彼が自らの邪念に負けて娼婦に手を出したのか、娼婦が積極的に彼を誘ったのかという点のようです。しかし、小説の流れからすれば答えは明らかであるような気もし、映画は、その答えを更に判り易いかたちで見せているように思います(事件当夜の宣教師の演技シーンは、やや過剰演出?)。

Joan Crawford
ジョーン・クロフォード.jpg 宣教師役のウォルター・ヒューストンの常にチン・アップして喋る演技は、確かに原作テーマに沿ってアイロニーが効いているように思えましたが(宣教師と言うよりナチの将校にも見える)、 そのワンパターン的演技よりも、娼婦役のジョーン・クロフォードの、めまぐるしく変容する主人公の心理を表す多彩な演技が素晴しく(一度は心底改心したように見え、それだけにラストの衝撃が大きい)、27歳にして大女優の風格を漂わせています。

 人生に倦んだ娼婦役ということもあってか、この映画ではパッと見てそんな美人に見えないんですが(1938年の映画なりに昔風の美人?)、その演技を見ているうち、非常に魅力的で且つ現代的な女性の見えてくるというのが不思議で、最後の原作には無い"Let's Go!"という台詞も、その生きる逞しさの発露と看做せば、原作のテーマからも外れていないかも。

淀川長治究極の映画ベスト100_1.jpg 『淀川長治究極の映画ベスト100』('03年/河出文庫)によれば、ジョーン・クロフォードは「グランド・ホテル」('32年/米)で共演したグレタ・ガグランド・ホテル dvd ivc.jpgルボに馬鹿にされて怒ってしまい、ハリウッドの第一級プロデューサーのサミュエル・ゴールドウィンに泣きついて、生涯最高の作品に出演させて欲しいと頼み込み、そこでゴールドウィンはこの映画の娼婦の役を与えたとのこと。淀川氏もこの作品を彼女の代表作であるとともに名作であると太鼓判を押しています。

淀川長治 究極の映画ベスト100 (河出文庫)

 映画シーンの随所において鬱陶しく降り続ける雨や、娼婦の部屋から流れるジャズ音楽などが、南洋の島の特異な雰囲気を醸すうえで効果的に使われていて、"過剰演出"が無ければより良かったと思うのですが、ルイス・マイルストンはモームの原作の"絵解き"を目指したのかなあ。

 '53年に「雨に濡れた欲情」(原題:Miss Sadie Thompson)としてリタ・ヘイワース主演でリメイクされています(日本公開は'54年)。DVD版の「雨の欲情」というタイトルは、リバイバル上映された際に、リメイク版の邦題に影響を受けてつけたタイトルなのだろうか。因みに、この原作は、無声映画時代に、グロリア・スワンソン主演で「港の女」(原題:Sadie Thompson)として最初に映画化されていますが、個人的には未見です。

雨の欲情.jpg「雨」(「雨の欲情」)●原題:RAIN●制作年:1932年●制作国:アメリカ●監督・製作:ルイス・マイルストン●脚本:ウィリアム・サマセット・モーム/ジョン・コルトン/クレメンス・ランドルフ/マクスウェル・アンダーソン●撮影:オリヴァー・T・マーシュ●音楽:アルフレッド・ニューマン●原作:ウィリアム・サマセット・モーム「雨」●時間:94分●出演:ジョーン・クロフォード/ウォルター・ヒューストン/ウィリアム・ガーガン/ガイ・キビー/ウォルター・キャトレット/ボーラ・ボンディ●日本公開:1933/09●配給:ユナイテッド・アーティスツ(評価:★★★☆)

【1940年文庫化[岩波文庫(中野好夫訳『雨』)]/1951年再文庫化[三笠文庫(中野好夫訳『雨』)]/1958年再文庫化[角川文庫(西村孝次訳『雨』)]/1959年再文庫化[新潮文庫(中野好夫訳『雨・赤毛―モーム短篇集』)]/1978年再文庫化[講談社文庫(北川悌二訳『雨・赤毛』)]/1987年再文庫化[岩波文庫(朱牟田夏雄訳『雨・赤毛―他1篇』)]】

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"黒澤明"風「阿部一族」。原作のイメージしにくい部分をイメージするのに丁度いい。

日本映画傑作全集 阿部一族.jpg 阿部一族 映画.jpg  阿部一族 岩波文庫.jpg 阿部一族 新潮文庫.jpg
「阿部一族」(1938年/監督:熊谷久虎)/映画「阿部一族」の一場面/『阿部一族―他二編 岩波文庫』/『阿部一族・舞姫 (新潮文庫)

阿部一族31_v.jpg 寛永18年、肥後熊本の城主・細川忠利が逝去し、生前より主の許しを受け殉死した者が18名に及んだが、殉死を許されなかった阿部弥一右衛門(市川笑太郎)に対しては、家中の者の見る眼が変わり、結局彼は息子達の目の前で切腹して果て、更に先君の一周忌には、長男・権兵衛(橘小三郎)がこれに抗議する行動を起こし非礼として縛り首となり、次男・弥五兵衛(中村翫右衛門)以下阿部一族は、主君への謀反人として討たれることになる―。

 原作は森鷗外が1913(大正2)年1月に雑誌『中央公論』に発表した中篇小説ですが、簡潔な描写であるのはいいのですが、一部においては歴史史料のような文体であり、これをフツーの人が読んでどれぐらい出来事の情景が思い浮かべることができるか、大体は可能だとしても細部においてはどうか。個人的には、同年発表の『護持院原の敵討』の方が読み易かったでしょうか。鷗外が、同じ江戸時代の慣習でも、「殉死」に対して批判的で、「敵討」に対しては同情的であるように見えるのが興味深いです(「阿部一族」は、明治天皇を追って乃木希典が殉死したことへの批判的動機から書かれたとも言われている)。

映画『阿部一族』.jpg 熊谷久虎(1904‐1986)監督により1938年に映画化されていますが(このほかに深作欣二(1930‐2003)監督も1995年にテレビ映画化している)、黒黒澤明         .jpg澤明監督が演出の手本にしたという熊谷久虎作品はたいへん判り易いもので、但し、判り易すぎると言うか、弥一右衛門のことを噂する家中の者の口ぶりは、サラリーマンの職場でのヒソヒソ話と変わらなかったりして(親近感は覚えるけれど)、小説の中でも触れられている犬飼いの五助の殉死や、小心者の畑十太夫などについても、コミカルで現代的なタッチで描かれています(この辺りで残酷な場面はない)。

阿部一族30_v.jpg 一方、登場人物中で殉死に唯一懐疑的な隣家の女中・お咲(堤真佐子)と、彼女と親しい仲間多助(市川莚司)は映画オリジナルのキャラであり、市川莚司(後の加東大介)の主君の追い腹を切ろうとしてもいざとなるとビビって切れないという演技もまたコミカルでした。

 但し、基本的には当然明るい話では無く、阿部弥一右衛門の自死が、追い腹を切れば主君の命に背いたことになり、切らねば「脂を塗った瓢箪の腹を切る」臆病者と揶揄されるという状況の中での切羽詰まった選択であったにせよ、その事が一族にもたらしたその後の不幸は彼の推測し得なかったことであり、残された一族の「何でこうなるのか」みたいな焦燥感や悲壮感が、映像でよく伝わってきます(最後は一族総玉砕みたいな感じで、この辺り"黒澤明"風)。

殉死の構造 学術文庫.jpg 因みに、鷗外がこの小説のベースにした『阿部茶事談』という史料自体が脚色されたものであり、実際には阿部弥一右衛門は、他の殉死者と同じ日にしっかり殉死していたということは、山本博文 著『殉死の構造』(講談社学術文庫)などで史料研究の観点から指摘されており、山本氏によれば、鷗外は、"誤った"史料をベースに物語を書いたということのようですが、鷗外が確信犯的に創作したという可能性はないのだろうか(他にも、「権兵衛の非礼」→「一族の討伐」→「権兵衛の縛り首」が正しい順番であるなど、史実との違いがある)。

 この「阿部一族」は、円谷英二が特殊技術を担当し、始めて本格的に特撮監督としてデビューした作品でもあるらしいです(但し、ノンクレジットであり、息子・円谷一による追悼フィルモグラフィー『円谷英二―日本映画に残した遺産』('73年/小学館、'01年復刻版刊行)の「関係主要作品リスト」にも入ってはいない。円谷英二は当時、東宝東京撮影所に新設された特殊技術課の"部下無し"課長だった。監督というより「技術指導」に近いか)。

阿部一族(1938).jpg 「阿部一族」●制作年:1938年●監督:熊谷久虎●製作:東宝/前進座●脚本:熊谷久虎/安達伸男●撮影:鈴木博●音楽:深井史郎/P・C・L管絃楽団●原作:森鷗外「阿部一族」●時間:106分●出演:中村翫右衛門/河原崎長十郎/市川笑太郎/橘小三郎/山岸しづ江/堤真神保町シアター.jpg佐子/市川莚司(加東大介)/市川進三郎/山崎島二郎/市川扇升/山崎進蔵/中村鶴蔵/嵐芳三郎/坂東調右衛門/市川楽三郎/瀬川菊之丞/市川菊之助/中村進五郎/助高屋助蔵/市川章次/中村公三郎●公開:1938/03●配給:東宝映画●最初に観た場所:神保町シアター(09-05-09)(評価:★★★☆) 神保町シアター 2007(平成19)年7月14日オープン

『阿部一族・舞姫』 (新潮文庫) 森 鴎外.jpg 【1938年文庫化・2007年改版[岩波文庫(『阿部一族―他二篇』)]/1965年再文庫化[旺文社文庫(『阿部一族・雁・高瀬舟』)]/1967年再文庫化・1976年改版・2012年改版[角川文庫(『山椒大夫・高瀬舟・阿部一族』)]/1968年再文庫化・2006年改版[新潮文庫(『阿部一族・舞姫』)]/1972年再文庫化[講談社文庫(『阿部一族・山椒大夫・高瀬舟―ほか八編』)]/1995年再文庫化[ちくま文庫(『森鴎外全集〈4〉雁・阿部一族』)]/1998年再文庫化[文春文庫(『舞姫・雁・阿部一族・山椒大夫―外八篇』)]】

阿部一族・舞姫 (新潮文庫)

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書き進むうちに、「物語」から「ルポルタージュ」に変質していった?

浅草紅団 (昭和5年).jpg 浅草紅団 s23.jpg  浅草紅団.gif 浅草紅団 2.jpg   浅草紅団 文芸文庫.bmp
浅草紅団 (昭和5年)』先進社 『浅草紅団 (1948年)』永晃社 『浅草紅団 (1953年)』『近代文学館〈特選 〔25〕〉浅草紅団―名著複刻全集 (1971年)』 『浅草紅団・浅草祭 (講談社文芸文庫)』 

浅草紅団 .jpg 昭和初期の浅草を舞台に、不良不良少年・少女のグループ「浅草紅団」の女リーダー・弓子に案内され、花屋敷や昆虫館、見世物小屋やカジノ・フォーリーと巡る"私"の眼に映った、浅草の路地に生きる人々の喜怒哀楽を描く―。

 '29(昭和4)年12月から'30(昭和5)年2月にかけて東京朝日新聞夕刊に連載され、'30(昭和5)年12月に先進社により単行本として出版された小説で、'71年7月に日本近代文学館より復刻版が出ています。

 カジノ・フォーリーとは、浅草にあった水族館の2階で昭和4年に旗揚げしたレビューで、川端康成、武田麟太郎など、当時の新進作家が出入りしていたそうです。

浅草紅團(川端康成 著)- 日本近代文学館特選 25 名著複刻全集

 川端康成(1899- 1972)の浅草への愛着は相当なもので、30歳ごろにこの小説を書き始めたことになりますが、言い回し(文体)が、文芸作品というより風俗小説のそれに近い躍動感があるのが興味深く、また、そうした飛び跳ねたようなトーンの中においても、浅草というカオスに満ちた街に対して、自らをあくまでもエトランゼ(異邦人)として冷静に位置づけているように思えます。

 弓子という男勝りの、それでいて男性に複雑な感情を抱く少女に対しても(ここにも作家の文学上の少女嗜好が窺えるが)、相手も"私"のことを悪く思っているわけではないのに一定の距離を置いていて、弓子自体がやがて多くの登場人物の中に埋没していくようです。

 後半に行くに連れて、人物よりも街を描くことが主になってきて(途中からルポルタージュへと変質している)、小説としてはどうかなと思う部分も多いですが、その分、当時の浅草の観光ガイドとしては楽しめます。この辺りは、直接取材だけでなく文献研究により書かれた部分も多いようです(今のアサヒビール本社付近に昔はサッポロビール本社があったとうのが興味深いが、両社が一旦合併した時期があったためと知り、納得)。

 関東大震災から昭和恐慌にかけての衰退に向かう浅草に対する惜別の想いが感じられますが、この作品を脱稿して作家が久しぶりに浅草に出向いてみると、結構な賑わいぶりで、「先生の小説のお陰で街に活気が戻った」とレビューの踊子に言われたというエピソードを聞いたことがあります(浅草が本格的に衰退に向かうのは、昭和33年の売春防止法の施行以降)。
 
 講談社文芸文庫版には、本作の6年後に書かれた続編「浅草祭」が収められていますが、「浅草祭」の冒頭で、続編の予告に際して前作「浅草紅団」に触れ、「どんな文体であったかも、よく覚えていない。その一種勢いづいた気取りを六年後に真似ることは、嘔吐を催すほど厭であろうし、果たして可能かも疑わしい」と書いたことを引用しており、実際「浅草祭」の方は、風俗小説風の軽妙な文体は鳴りを潜め、弓子がどこかへ消えていなくなくなっている(大島の油売りになった)こともあってか、落ち着いた、祭りの後のような寂しいトーンになっています。

 「浅草紅団」の前半ぐらいまでは、作家は「物語」を書こうとしていたのではないでしょうか。それが次第と、風俗を描くことがメインになり、断片的なスケッチの繋ぎ合わせのような作品になってしまった―なぜ、物語として完成し得なかったかについても「浅草祭」で書いてはいますが、最後まで「物語」として貫き通していたらどんな作品になっていただろうかとの想像を、禁じざるを得ません。

 【1955年文庫化[新潮文庫]/1981年再文庫化[中公文庫]/1996年再文庫化[講談社文芸文庫(『浅草紅団・浅草祭』)]】

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部分部分の描写に研ぎ澄まされたものがある。主人公は「ストーカー」且つ「ロリコン」?

『伊豆の踊子』.JPG伊豆の踊子 新潮文庫 旧版.jpg 伊豆の踊子 新潮文庫.gif   伊豆の踊子 集英社文庫.jpg
新潮文庫新版・旧版『伊豆の踊子 (新潮文庫)』『伊豆の踊子 (集英社文庫)』(カバー絵:荒木飛呂彦)


川端 康成2.jpg初版本複刻 伊豆の踊子.jpg 1926(大正15)年、川端康成(1899- 1972)が26歳の時に発表された作品で、主人公は数え年二十歳の旧制一高生ですが、実際に作者が、1918(大正7)年の旧制第一高2年(19歳)当時、湯ヶ島から天城峠を越え、湯ヶ野を経由して下田に至る4泊5日の伊豆旅行の行程で、旅芸人一座と道連れになった経験に着想を得ているそうです。

1927(昭和2)年『伊豆の踊子』金星堂['85年復刻版]

 個人的には最初にこの作品を読んだのは高校生の時で、川端作品では『掌の小説』や『眠れる美女』なども読んでいましたが、この作品については何となく手にするのが気恥ずかしいような気がして、それらより読むのが若干ですがあとになったのではなかったかと思います。当時は中高生の国語の教科書などにもよく取り上げられていた作品で、既にさわりの部分を授業で読んでしまっていたというのもあったかも知れません。

オーディオブック(CD) 伊豆の踊子.jpg この作品について、作者は三島由紀夫との座談の中で、「作品は非常に幼稚ですけれどもね、(中略)うまく書こうというような野心もなく、書いていますね。文章のちょっと意味不明なところもありますし、第一、景色がちょっとも書けていない。(中略)あれは後でもう少しきれいに書いて、書き直そうと思ったけれども、もう出来ないんですよ」と言っていますが、全体構成においての完成度はともかく、部分部分の描写に研ぎ澄まされたものがあり、やはり傑作ではないかと。
[オーディオブックCD] 川端康成 著 「伊豆の踊り子」(CD1枚)

 一高生の踊子に対する目線が「上から」だなどといった批判もありますが、むしろ、関川夏央氏が、この小説は「純愛小説」と認識されているが、今の時代に読み返すと、ずいぶん性的である、主人公の「私」は、踊子を追いかけるストーカーの一種である、というようなことを書いていたのが、言い得ているように思いました(主人公と旅芸人や旅館の人達との触れ合いもあるが、彼の夢想のターゲットは踊子一人に集中していてるように思う)。

 読後、長らくの間、踊子は17歳くらいの年齢だといつの間にか勘違いしていましたが、主人公が共同浴場に入浴していて、踊子が裸で手を振るのを見るという有名な場面で(この場面、かつて教科書ではカットされていた)、主人公自身が、踊子がそれまで17歳ぐらいだと思っていたのが意外と幼く、実は14歳ぐらいだったと知るのでした(「14歳」は数えだから、満年齢で言うと13歳、う~ん、ストーカー気味であると同時にロリコン気味か?)。

 日本で一番映画化された回数の多い(6回)文芸作品としても知られていますが、戦後作られた「伊豆の踊子」は計5本で(戦後だけでみると三島由紀夫の「潮騒」も5回映画化されている。また、海外も含めると谷崎潤一郎の「」も戦後5回映画化されている)、主演女優はそれぞれ美空ひばり('54年/松竹)、鰐淵晴子('60年/松竹)、吉永小百合('63年/日活)、内藤洋子('67年/東宝)、山口百恵('74/東宝)です。

  1933(昭和8)年 松竹・五所平之助 監督/田中絹代・大日方伝
  1954(昭和29)年 松竹・野村芳太郎 監督/美空ひばり・石浜朗
  1960(昭和35)年 松竹・川頭義郎 監督/鰐淵晴子・津川雅彦
  1963(昭和38)年 日活・西河克己 監督/吉永小百合・高橋英樹(a)
  1967(昭和42)年 東宝・恩地日出夫 監督/内藤洋子・黒沢年男
  1974(昭和49)年 東宝・西河克己 監督/山口百恵・三浦友和(b)

 今年('10年)4月に亡くなった西河克己監督の山口百恵・三浦友和主演のもの('74年/東宝)以降、今のところ映画化されておらず、自分が映画館でしっかり観たのは、同じ西河監督の吉永小百合・高橋英樹主演のもの('63年/日活)。この2つの作品の間隔が11年しかないのが意外ですが、山口百恵出演時は15歳(映画初主演)だったのに対し、吉永小百合は18歳 (主演10作目)でした(つまり、2人の年齢差は14歳ということか)。

伊豆の踊子 1963.jpg(a) 伊豆の踊子 1974.jpg(b)

伊豆の踊子 吉永小百合.jpg伊豆の踊子 吉永小百合主演 ポスター.jpg 吉永小百合(1945年生まれ)・高橋英樹版は、宇野重吉扮する大学教授が過去を回想するという形で始まります(つまり、高橋英樹が齢を重ねて宇野重吉になったということか。冒頭とラストでこの教授の教え子(浜田光夫)のガールフレンド役で、吉永小百合が二役演じている)。

伊豆の踊子 十朱幸代.jpg 踊子の兄で旅芸人一座のリーダー役の大坂志郎がいい味を出しているほか、新潮文庫に同録の「温泉宿」(昭和4年発表)のモチーフが織り込まれていて、肺の病を得て床に伏す湯ケ野の酌婦・お清を当時20歳の十朱幸代(1942年生まれ)が演じており、こちらは、吉永小百合との対比で、こうした流浪の生活を送る人々の蔭の部分を象徴しているともとれます。西河監督の弱者を思いやる眼差しが感じられる作りでもありました。

バス通り裏.jpg「バス通り裏」岩下・十朱.jpg 因みに、十朱幸代のデビューはNHKの「バス通り裏」で当時15歳でしたが、番組が終わる時には20歳になっていました。また、岩下志麻(1941年生まれ)も'58年に十朱幸代の友人役としてこの番組でデビューしています。

岩下志麻・十朱幸代
      
「バス通り裏」岩下志麻 / 米倉斉加年・十朱幸代・岩下志麻 / 十朱幸代
バス通り裏_-岩下志麻2.jpg バス通り裏 米倉・十朱.jpg バス通り裏 十朱幸代.jpg

「サンデー毎日」1963(昭和38)年1月6日号 「伊豆の踊子 [DVD]
正月(昭和38年)▷「サンデー毎日」の正月.jpg伊豆の踊子 (吉永小百合主演).jpg「伊豆の踊子」●制作年:1963年●監督:西河克己●脚本:三木克己/西河克己●撮影:横山実●音楽:池田正義●原作:川端康成●時間:87分●出演:高橋英樹/吉永小百合/大川端康成 伊豆の踊子 吉永小百合58.jpg坂志郎/桂小金治/井上昭文/土方弘/郷鍈治/堀恭子/安田千永子/深見泰三/福田トヨ/峰三平/小峰千代子/浪花千栄子/茂手木かすみ/十朱幸代/南田洋子/澄川透/新井麗子/三船好重/大倉節美/高山千草/伊豆見雄/瀬山孝司/森重孝/松岡高史/渡辺節子/若葉めぐみ/青柳真美/高橋玲子/豊澄清子/飯島美知秀/奥園誠/大野茂樹/花柳一輔/峰三平/宇野重吉/浜田光夫●公開:1963/06●配給:日活●最初に観た場所:池袋・文芸地下(85-01-19)(評価:★★★☆)●併映:「潮騒」(森永健次郎)

バス通り裏.jpgバス通り裏2.jpg「バス通り裏」●演出:館野昌夫/辻真先/三浦清/河野宏●脚本:筒井敬介/須藤出穂ほか●音楽:服部正(主題歌:ダーク・ダックス)●出演:小栗一也/十朱幸代/織賀邦江/谷川勝巳/武内文平/露原千草/佐藤英夫/岩下志麻/田中邦衛/米倉斉加年/水島普/島田屯/宮崎恭子/本郷淳/大森暁美/木内三枝子/幸田宗丸/荒木一郎/伊藤政子/長浜藤夫/浅茅しのぶ/高島稔/永井百合子/鈴木清子/初井言栄/佐藤英夫/松野二葉/溝井哲夫/津山英二/西章子/稲垣隆史/山本一郎/大森義夫/鈴木瑞穂/三木美知子/原昴二/蔵悦子/高橋エマ/網本昌子/常田富士男●放映:1958/04~1963/03(全1395回)●放送局:NHK

『伊豆の踊子』 (新潮文庫) 川端 康成.jpg伊豆の踊子・禽獣 (角川文庫クラシックス) 川端康成.jpg 【1950年文庫化・2003年改版[新潮文庫]/1951年再文庫化[角川文庫(『伊豆の踊子・禽獣』)]/1952年再文庫化・2003年改版[岩波文庫(『伊豆の踊子・温泉宿 他四篇』)]/1951年再文庫化[三笠文庫]/1965年再文庫化[旺文社文庫(『伊豆の踊子・花のワルツ―他二編』)]/1972年再文庫化[講談社文庫(『伊豆の踊子、十六歳の日記 ほか3編』)]/1977年再文庫[集英社文庫]/1980年再文庫[ポプラ社文庫]/1994年再文庫[ポプラ社日本の名作文庫]/1999年再文庫化[講談社学芸文庫(『伊豆の踊子・骨拾い』)]/2013年再文庫化[角川文庫]】

伊豆の踊子・禽獣 (1968年) (角川文庫)
伊豆の踊子 (新潮文庫)

伊豆の踊子 [VHS]木村拓哉.jpg日本名作ドラマ『伊豆の踊子』(TX)
1993年(平成5年)6月14日、21日(全2回) 月曜日 21:00 - 21:54
脚本:井手俊郎、恩地日出夫/演出:恩地日出夫/制作会社:東北新社クリエイツ、TX
出演:早勢美里(早瀬美里)、木村拓哉、加賀まりこ、柳沢慎吾、飯塚雅弓、大城英司、石橋蓮司

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センセーショナリズムを排しつつも、「読み物」としての意匠が凝らされれている。

『海と毒薬』.JPG海と毒薬1.jpg  海と毒薬2.jpg  遠藤 周作 『海と毒薬』.png
海と毒薬 (新潮文庫)』『海と毒薬 (角川文庫)』『海と毒薬 (講談社文庫)

海と毒薬 映画.jpg 1958(昭和33)年・第12回「毎日出版文化賞」(文学・芸術部門)並びに1959(昭和34)年・第5回「新潮社文学賞」受賞作であり、映画化もされました。

 戦争末期、九州の大学の付属病院内で、病院内の権力闘争と戦争を口実に、外国人捕虜を生きたまま解剖した医師たちの行為を通して、日本人の原罪意識の在り様を浮き彫りにした作品とされています。

映画「海と毒薬」の一場面 ('86年/監督・脚本:熊井啓、出演:奥田瑛二(勝呂)/渡辺謙(戸田)/田村高廣(橋本))

 遠藤周作(1923- 1996/享年73)作品の久しぶりの読み返しでしたが、初読の時とやや印象が違いました。やはり最初に読んだ学生の頃は、実際の事件をベースにしているという衝撃から、こんなことがあったのかという驚きの方が先行したのかも知れません。
 再読して、センセーショナリズムを排しつつも、「読み物」としての構成に意匠が凝らされていると思いました。

 主人公の「私」が引っ越した地で、「勝呂」という、腕は確かだが無愛想で一風変わった中年の町医者を知り、更に、彼には、大学病院の研究生時代、外国人捕虜の生体解剖実験に関わった過去があったことを知るというイントロが30ページあって、続いて、時代が戦争末期の大学病院に暗転するという―(ここで、主人公は「私」から「勝呂」にバトンタッチされる)。

 医者を探すという極めて日常的な描写から始まって、読者に勝呂という男に自然に関心を持たせ、その男に纏わる過去の暗い出来事を暗示させるという展開は、文芸作品というより、まるで推理小説の導入部のようです。

 「勝呂」が主人公になってからも、淡々とした筆致で、大学病院内の学部長選挙を巡る医師たちの動きや患者に接する姿勢などが描かれ、次第に、登場人物のそれぞれのものの考え方が見えきますが、勝呂は、最も若くて良心的な医師として描かれています。

 やがて、外国人捕虜3名の生体解剖実験を行うので、それにおいて一定の役割と責任を担えという話が、上司から勝呂と同僚の戸田の2人に降りかかってきますが、いきなり事件の核心には入らず、その前に、極めて冷徹で合理的なものの考え方をする戸田の子供時代の出来事の回想が入り、読者が勝呂と戸田のものの考え方を十分に対比的に把握したと思われる時点で、生体解剖実験の場面に移っていきます。

 タイトルの意味も含め、この作品のテーマについてはもう書き尽くされた観がありますが、「日本人とは」ということに直結しているため、作者のキリスト教観を意識したり"予習"しなくとも、単独の作品として、その深みを味わい、また、普遍的な問題意識を喚起させられるものであるように思います。

 今回再読して興味深かったのは、合理主義者で冷徹な優等生である戸田の小学校時代の回想の中に(時にそれは"ズルさ"や"妬み"として表れる)、多分に作者自身が反映されていうように思えたことでした。

 【1960年文庫化[新潮文庫]/1960年再文庫化・2004年改版[角川文庫]/1971年再文庫化[講談社文庫]】

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"ブザー"にしないで「ノックの音が」としたことで、古びずに済んでいる。

『ノックの音が』毎日新聞社(65).jpgノックの音が昭和40年初版 星新一毎日新聞社.jpgノックの音が 講談社文庫.jpg ノックの音が 新潮文庫.jpg 星新一.jpg 星 新一
ノックの音が (1965年)』['65年/毎日新聞社(装幀・挿絵:村上 豊)]/『ノックの音が (講談社文庫)』['72年(カバー:村上 豊)]/『ノックの音が (新潮文庫)』['85年/新潮文庫(カバー:真鍋 博)]

 星新一(1926‐1997)の「ノックの音が」で始まる15のショートショート集で、'65(昭和40)年に毎日新聞社から単行本が刊行され、'71年に講談社・ロマン・ブックス、'72年の講談社文庫版、'85年には新潮文庫版が刊行されています。

ようこそ地球さん.jpgおせっかいな神々.jpgエヌ氏の遊園地.jpgボッコちゃん.jpg 以前読んだ星新一作品としては、『ようこそ地球さん』('61年・新潮社/'72年・新潮文庫)、『おせっかいな神々』('65年・新潮社/'79年・新潮文庫)、『エヌ氏の遊園地』('66年・三一新書/'71年・講談社文庫/'85年・新潮文庫)、『ボッコちゃん』('71年・新潮文庫)などがあようこそ地球さん 新潮文庫.jpgおせっかいな神々 新潮文庫.jpgエヌ氏の遊園地 新潮文庫.jpgボッコちゃんdc.jpgりますが、新潮文庫だけでなく講談社文庫や角川文庫(『きまぐれロボット』など)にも初期作品集が収められていました。
上段:『ようこそ地球さん―ショート・ショート28選 (1961年)』『おせっかいな神々 (1965年)』『エヌ氏の遊園地』['71年/講談社文庫]/『ボッコちゃん』['71年/新潮文庫(旧カバー版)](イラスト:真鍋 博ほか) 下段:『ようこそ地球さん (新潮文庫)』『おせっかいな神々 (新潮文庫)』『エヌ氏の遊園地 (新潮文庫)』『ボッコちゃん (新潮文庫)』(何れも新カバー版(イラスト:真鍋 博))

きまぐれロボット250.jpg 風俗描写を"禁忌的"と言っていいまでに排し、「時代に影響されない」寓話的な世界を展開した作風が知られていますが、このショートショート集などはまさに今読んでも"現代"の物語として通用するものであり、そのことを実証しているように思います。

きまぐれロボット (角川文庫 緑 303-3)』(旧カバー版(イラスト:和田 誠))

 更に、登場人物がやはり作者ならではの乾いた感じのキャラクターばかりで、自らが課した「ノックの音が」で始まるというルールに沿って、いきなり部屋に美女が現われたりするなど、大人のイマジネーションを掻き立てるようなシチュエーションもありながら、いやらしさやウエット感が全然ないのも、星新一作品の特徴をよく示しています。

星 新一02.jpg 「時代に影響されない」ということについては、新潮文庫の後書き('85年新潮文庫版)で作者自身が、「現在ならブザーの方が適切な場合もあるのではないだろうか」としつつも(ノックだとあまりにクラシックな感じがするということか?)、「ノックだと、良くも悪しくも、人間的な何かがある」「ブザーだと、電線的なるものが中間にあって、人間性が薄れてしまう」と書いていますが、'85年当時は玄関などで呼び出すとすればブザーが主流だったのでしょうか。今ならばむしろブザーではなく「チャイムの音が」ということになるのでしょう。

ノックの音が 講談社ロマンブックス.jpg ブザーにしないで「ノックの音が」とすることで、却って「作品は風俗の部分から、まず古びていくのである」との轍を踏まずに済んでいるように思いました。


講談社ロマンブックス『ノックの音が』['71年2月/装幀:和田 誠

 【1965年単行本(新書版)[毎日新聞社]/1971年ノベルズ版[講談社ロマンブックス]/1972年文庫化[講談社文庫]/1985年文庫化[新潮文庫]】

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古典と切り離して、三島戯曲として単独で味わってもいいのでは。「邯鄲」と「綾の鼓」がいい。

近代能楽集 sintyou bunnko.jpg近代能楽集.jpg 『近代能楽集 (新潮文庫)

 「邯鄲」「綾の鼓」「卒塔婆小町」「葵上」「班女(はんじょ)」「道成寺」「熊野(ゆや)」「弱法師(よろぼし)」の全8作品を収録。この内、「邯鄲」(昭和25年)から「班女」(昭和30年)までの5作が『近代能楽集』(1956/04 新潮社)として昭和31年に刊行され、「道成寺」以下3作は、昭和31年から昭和35年の間に発表されたものです(三島の年齢は昭和の年数と一致するので、25歳から35歳にかっけての作品であるということが容易に分かる)。

 全て能の原作を翻案したもので、作者が、「能楽の自由な空間と時間の処理方法に着目し、その露わな形而上学的主題を、そのまま現代に生かすために、シチュエーションのほうを現代化した」と後書きで書いていることからも(と言うことは、テーマ乃至モチーフは基本的に変えていないということ)、原作を知っているに越したことは無く、最初に読んだのは高校生の時でしたが、結構楽しめたものもあれば、やはり元の話が分からず、今一つぴんと来なかったものもありました。

 いつか能への知識を得た上で再読しようと思っていたのですが、その後、さほど造詣を深めることのないままの再読になってしまい、でも、「道成寺」や「弱法師」のように、原作をストーリー的にも大きく変形させているものもあるため、これはこれで三島戯曲として単独で味わってもいいのかなあと。

 ドナルド・キーンによれば、8作の中では「卒塔婆小町」と「綾の鼓」が最も成功しているとのことですが、最初に読んだ時は公園(ある意味、現代的なシチェーション)を舞台とした「卒塔婆小町」が印象に残ったのが、今回の再読では、法律事務所(もろに現代的なシチェーション)を舞台にした「綾の鼓」が良かったです(年齢のせいかなあ)。

 蜷川幸雄が'05年に「卒塔婆小町」(主演は壤晴彦)と「弱法師」(主演は藤原竜也・夏木マリ)のニューヨーク公演していますが、最近では美輪明宏が、「葵上」「卒塔婆小町」を演出し、主演も兼ねています(「綾の鼓」の方が良く思えるようになったのは、「卒塔婆小町」に美輪明宏のイメージが固着してしまったからかも)。
 
 一番初期の「邯鄲」という作品も、軽妙な味わいがあって、しかも、三島の死生観のようなものが滲んでいていいです。
 能楽としての「邯鄲」を知らなくとも、「邯鄲の夢」(「黄粱一炊の夢」)という故事はポピュラーであり、そうした意味でも親しみ易い作品。
 現時点での個人的な"お奨め"は、「邯鄲」と「綾の鼓」ということになります。 
 
 【1956年単行本・1990年改版[新潮社]/1968年文庫化[新潮文庫]】 

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「天皇制と身分制度についての影絵文学」と言うより、「ドストエフスキー的三角関係」。

蒲田行進曲 単行本.jpg 蒲田行進曲 dvd.jpg 蒲田行進曲 文庫.jpg   蒲田行進曲09.jpg
蒲田行進曲 (1981年)』(装丁・挿画:和田誠)「蒲田行進曲 [DVD]」『蒲田行進曲 (1982年) (角川文庫)』(映画タイアップカバー)
 1981(昭和56)年下半期・第86回「直木賞」受賞作。

 映画「新撰組」で主役を演じることになった「銀四郎」と、その恋人で、かつてのスター女優「小夏」、そして銀四郎を慕う大部屋の「ヤス」―銀四郎は、妊娠した小夏をヤスに押しつけ、小夏は銀四郎を諦めヤスを愛しようし、ヤスは「大好きな銀ちゃん」の言うままに、お腹の赤ん坊ごと小夏を引き受け、小夏との家庭を築いていこうとする―。

つかこうへい.jpg 先月('10年7月)肺がんで亡くなった、つかこうへい(1948‐2010/享年62)の直木賞受賞作で、同じ初期の代表作『小説熱海殺人事件』もそうですが、舞台の方が先行していて('80年11月初演)、その舞台作品を小説化したものです。

 直木賞受賞当時、すでに舞台で上演されて好評を博していたため、今さら「直木賞」という感じもしなくは無かったですが、こんな形での受賞もありなのかと。但し、ノベライゼーションでありながらも、文章のテンポはすごく良く、これはやはり脚本家、演出家としての才能とは別個の、1つの才能だったのかも。

 銀四郎とヤスのサド・マゾ的と言っていい捻じれた関係は、ちょっと読んでいてきつかったけれども、直木賞の選評で、選考委員の1人である五木寛之氏が、これを「天皇制と身分制度についての影絵文学」としているのには、そういう読み方もあるのかと、感心するやら、ややビックリするやら。
 個人的には、むしろ、ドストエフスキーの小説の登場人物によくある、「自分のかなわないライバルに対し、自尊心を否定してライバルを尊敬しそれに同一化しようとする行為」に思えましたが(『永遠の夫』のトルソーツキイみたいな)。

 '82年秋には、作者自身の脚本、「仁義なき戦い」シリーズの深作欣二(1930‐2003/享年72)監督によって映画化され、原作通り、ラストのヤス(平田満)の「階段落ち」に向けてテンポのいい展開、但し、銀四郎(風間杜夫)の演技のノリがヤクザのそれにも思えてしまうのは、やはり監督が監督だからでしょうか。

蒲田行進曲 松坂慶子.jpg 小夏を演じた松坂慶子は当時30歳で、小説の中での小夏の年齢と同じであり(自称27歳だが3歳サバを読んでいる)、この作品で、日本アカデミー賞主演女優賞、キネマ旬報主演女優賞、 毎日映画コンクール主演女優賞を受賞しています。
蒲田行進曲 ed.jpg
 作品そのものも、キネマ旬報ベスト・テンの1位となるなど多くの賞を受賞していますが、舞台で根岸季衣が演じていたのを松坂慶子にした段階で、オリジナルの持つ毒のようなものがかなり薄まったかなあ。"楽屋落ち"的なエンディングなどにしても、アットホームな感じだし。

映画 蒲田行進曲.jpg蒲田行進曲ード.jpg「蒲田行進曲」●制作年:1982年●監督:深作欣二●製作:角川春樹●脚本:つかこうへい●音楽:甲斐正人●原作:つかこうへい「蒲田行進曲」●時間:106分●出演:風間杜夫/松坂慶子/平田満/高見知佳/原田大二郎/蟹江敬三/清水昭博/岡本麗/汐路章/榎木兵衛/清川虹子●公開:1982/10●配給:松竹●最初に観た場所:池袋・文芸地下(83-01-08)(評価:★★★)●併映(1回目):「この子の七つのお祝いに」(増村保造)

蒲田行進曲 [DVD]

 【1982年文庫化[角川文庫]】

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今読むと、文体よりも中身か。掴み難い現実としてある「今」という時も、後で振り返れば...。

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キッチン』['88年]『キッチン (角川文庫)』「キッチン [DVD]」映画「キッチン」主演:川原亜矢子

『キッチン』.JPG 1987(昭和62)年・第6回「海燕新人文学賞」(福武書店主催)並びに1989(平成元)年「芸術選奨新人賞」受賞作(後者は『うたかた/サンクチュアリ』と併せての受賞)。

 両親と死に別れ祖母と暮らしていた桜井みかげは、その祖母に死なれて独りぼっちになるが、花屋の店員で祖母のお気に入りだった田辺雄一に声をかけられ、田辺家に居候を始める。雄一も片親で、その親は、もともと男だったが、彼の妻・雄一の母親の死後、女性になってしまい、以来、オカマバーに勤めて生計を立てている「えり子」さんという人だった―。

 「キッチン」とその続編「満月-キッチン2」、「泉鏡花文学賞」を受賞した「ムーンライト・シャドウ」の3部作で、何れも作者が日大芸術学部在学中に書かれ、単行本は当時、飛ぶように売れました。

 今読むと、当時話題となった文体の新しさのようなものはさほど感じられませんが、それだけ平成以降、このような文体の作品が増えたということでしょうか(多くの女性作家の文学少女時代に影響を与えた?)。

 「キッチン」の、男女がキスもセックスもなく、いきなり同居という設定も斬新でしたが(但し、コッミックなどでは伝統的にあったパターン)、3部作の何れもが愛する人の死と残された者の再生がテーマになっていて、その癒しの過程のようなものをうまく書いているなあと。

 海外でも多く読まれている作品ですが、自分はこの手の小説にあまり相応しい読者ではないのかも知れません。
 「満月」を読んで「キッチン」の主題を自分なりに理解したのですが、そうした意味では、"解説"的な「満月」よりも、「キッチン」の方が小説的かも。

 但し、えり子さんの死から始まる「満月」も必ずしも悪くは無く、掴み難い現実としてある「今」という時が、後で振り返ってみれば、「人生においてかけがいの無い満たされた時間」であったと思うようになることは、小説の話に限らず、実際に誰の人生においてもあるではないかと思います。

キッチン1.bmp 森田芳光監督により映画化されましたが、橋爪功が演じたえり子さんは、ちょっと気持ち悪かったものの、演技自体はインパクトありました。
 それに比べると、主演の川原亜矢子は、ブルーリボン賞の新人賞などを獲りましたが、個人的には、演技しているのかどうかよく分からないような印象を受けました。
川原亜矢子.jpg パリコレのモデルに転身したとのことで、やはり役者には向かないのだろうと思いましたが、その後日本に戻り、30代になってから、女優としてもモデルとしてもキッチン 映画2.jpg活躍している―映画「キッチン」に出ていた頃の、牛蒡(ごぼう)が服着て歩いていうような面影は今や微塵も無く、いい意味での変身を遂げたなあ、この人。

「キッチン」●制作年:1983年●監督・脚本:森田芳光●製作:鈴木光●撮影:仙元誠三●音楽:野力奏一●時間:108分●出演:川原亜矢子/松田ケイジ/橋爪功/吉住小昇/後藤直樹/中島陽典/松浦佐紀/浦江アキコ/入船亭扇橋/四谷シモン/浜美枝●公開:1989/10●配給:松竹(評価:★★★)

 【1991年文庫化[福武文庫]/1998年再文庫化[角川文庫]/2002年再文庫化[新潮文庫]】

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死者へのレクイエムと骨太のユーモア。読後感は悪くないが、「芥川賞」にはやや"違和感"も。

沖で待つ .jpg沖で待つ.jpg 沖で待つ 文庫.jpg沖で待つ 文庫2.jpg
沖で待つ』['06年] 『沖で待つ (文春文庫)

 2005(平成17)年下半期・第134回「芥川賞」受賞作。

 住宅設備機器メーカーに女性総合職として入社した主人公は、同期入社の男性同僚「太っちゃん」と、先に死んだ方が相手のPCのHDDを壊すという約束を結ぶが、その太っちゃんが事故死したことから、主人公は太っちゃんの部屋に忍び込んで約束を果たすことにする。そしてその部屋には、今もなお死んだはずの太っちゃんがいた―。

 同じ会社に勤める男女間の友情を描いた作品ということで、「沖で待つ」というタイトルが効いているあなあと。死者へのレクイエムが感じられるという点では、吉田修一氏の『横道世之介』('09年/毎日新聞社)を想起したりもしました。

 作者が女性総合職の先駆けとして伊奈製陶(現INAX)に勤務した頃の経験が背景にあるようで、その頃の女性総合職って大変だったのだなあと思わせる部分はありますが、主人公が竹を割ったような性格であるため、全体には明るい感じで、読後感も悪くなかったです。

 ただ、これが芥川賞かと思うと、ちょっとイメージが違うような気もし、企業に勤めた経験が無いか、或いはそうした経験から随分と月日を経てしまった選考委員にとっては、目新しさや懐かしさがあったのかも。でも、普通の人の目線で見れば、テレビドラマなどでよくありそうな設定のようにも...。

 併録の「勤労感謝の日」は、気の乗らないお見合いをして、見合い相手にげんなりさせられる女性が主人公の話で、これも表題作の前に第131回芥川賞候補になっていますが、軽快なテンポでユーモアと皮肉が効いていて、こちらは、酒井順子氏の『負け犬の遠吠え』('03年/講談社)のような、「未婚女性に対する応援歌」的なものを感じました(表題作以上に"エンタメ系"?)。

 実際、この人、この2作の間に『逃亡くそたわけ』(中央公論新社)で第133回直木賞候補にもなっていて、ちょっと文芸作家のようには見えないのですが、この飾り気のない文章と簡潔・スピーディなテンポが、「研ぎ澄まされた技法」ということになるのでしょうか(それとも、芥川賞と直木賞の違いは、短編と、中長編乃至短編連作という長さの違いだけなのか)。

 ユーモア自体は骨太のものを感じました。

 【2009年文庫化[文春文庫]】

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前半がいい。「算法勝負」が面白かった人には、遠藤寛子氏の『算法少女』もお奨め。

天地明察1.jpg 天地明察2.jpg  算法少女 文庫.jpg          天地明察 dvd.jpg
天地明察』(2009/12 角川書店)   遠藤寛子『算法少女 (ちくま学芸文庫)』 「天地明察 [DVD]」2012年映画化(監督:滝田洋二郎/主演:岡田准一・宮崎あおい)

 2009(平成21)年・第31回「吉川英治文学新人賞」及び2010年(平成22)・第7回「本屋大賞(大賞)」受賞作。2010年度・第4回「舟橋聖一文学賞」及び2011(平成23)年・第4回「大学読書人大賞」も受賞。

 徳川4代将軍家綱の時代、碁打ちの名門・安井家に生まれながら安穏の日々に倦み、囲碁よりも算術の方に生き甲斐を見出していた青年・安井算哲(渋川春海)だったが、老中・酒井雅楽頭にその若さと才能を買われ、実態と合わなくなっていた日本の暦を改めるという大事業に関わることになる―江戸時代前期の天文学者・渋川春海(しぶかわはるみ・1639‐1715)が、日本の暦を823年ぶりに改訂する事業に関わっていく過程を描いた作品。

 江戸時代の算術という興味深いモチーフで、それでいて、すらすらと読める平易な文章であり(会話が時代小説らしくない?)、その上、主人公が22年かけて艱難辛苦の末に大事業を達成する話なので読後感も爽快、「本屋大賞」受賞も頷けます(上野の国立科学博物館で、今年('10年)6月から9月まで、渋川春海作の紙張子地球儀、紙張子天球儀を特別公開しているが、「本屋大賞」を受賞のためではなく、それらが1990年に重要文化財に指定されてから20周年、また今年が時の記念日(6月10日)制定90周年に当たることを記念したものとのこと)。

 この作品は、特に前半部分が、春海やその周辺の人々が生き生きと描かれているように思えました。
 ただ、中盤になると史料に記されていることの引用が多くなり、この話が"史実"であると読者に印象づけるには効果的なのかもしれませんが、小説的な膨らみが小さくなって、登場人物達の人物像の方もややぼやけた感じがしました。
 それでも終盤は、和暦(大和暦)の完成に向けて、また、エンタテインメント小説らしく盛り上がっていったという感じでしょうか。

天地明察1.jpg この史料の読み込みについては、学者から、関孝和の暦完成への関わり度などの点で偏りがあるとの指摘があるらしいです。
 関孝和が春海の大和暦完成にどれだけ関わっていたかは結局よくわからないわけで、関孝和の大天才ぶりを描くと共に、作者なりの憶測を差し挟むのは、学術書ではなく小説なのだからいいのではないかという気もしますが、参照の程度や方向性によっては、巻末に参考文献として挙げるだけでなく、その著者の了解を直接とった方が良かったのかも。でも、普通、そこまでやるかなあ。

 それにしても、これが作者初の時代小説というから凄い才能!
この小説で一番面白かったのは、やはり個人的には前半の「算法勝負」でした。

 この部分が特に面白く感じられた読者には、遠藤寛子氏の『算法少女』('73年/岩崎書店、'06年/ちくま学芸文庫)などがお奨めです(江戸時代の算術家を扱った小説はまだ外にもあり、この作品が最初ではない)。

天地明察

 【2012年文庫化[角川文庫(上・下)]】
天地明察 映画 01.jpg天地明察 映画 02.jpg「天地明察」2012年映画化(監督:滝田洋二郎/主演:岡田准一・宮崎あおい)

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ネットセキュリティの問題と政界サスペンスのバランスがとれ、ストーリー展開のテンポもいい。

オーディンの鴉 (朝日文庫).jpg
 オーディンの鴉.jpg  『オーディンの鴉』['10年]

オーディンの鴉 (朝日文庫)』['12年]

 閣僚入りが間近とされた国会議員・矢島誠一が、東京地検による家宅捜索が予定されていた朝、不可解な遺書を残して謎の自殺を遂げ、議員の疑惑捜査にあたっていた特捜部検事の湯浅と安見は、自殺の数日前から矢島の個人情報が大量にネットに流れ、彼を誹謗する写真や動画が氾濫していた事実に辿り着く―。

 読み始めは政界疑惑小説っぽいですが、これも、金融機関でシステム開発のSEをしていたという著者が得意とする、ネットワークセキュリティがテーマのサスペンス小説でした。
 但し、そっち(IT)の方にぐっと話が傾くのかと思いましたが、その方面に関してはあまりマニアックになり過ぎず、政界サスペンスとの間でバランスを保ちつつ、相乗的な効果を出しているように思えました。

 主人公の湯浅をそれほどITに強くない検事に設定して、ITに強い部下の安見にインターネットの用語やYouTube、ニコニコ動画などのネットサービスにつて説明させ、それが、ネット関連の知識をあまり持たない読者に対する解説にもなっているというのは、なかなか旨い手だなあと。

 その部分がIT・ネットに通暁した人にはややかったるいかも知れませんが、全体的にはストーリー展開のテンポは良く、黒幕と目された人物の意外な展開などもあったりし、見えない敵に脅迫され高度情報社会の中で追い詰められていく主人公とともに、巨大監視システムを持つ謎の組織や「監視カメラ社会」の恐怖が伝わってきました。

 追い詰められた主人公が逆転攻勢で出る展開も(急にこの人、ITに強くなったなあという面はあるが)なかなかの筆力、ただ、謎の組織の正体は何だったのかやや欲求不満も残り、また、ラストは、サスペンスの1つの定番でもありますが、それでも、そのラストの手法にもインターネットを絡めている(つまり敵と同じメディアを使っている)点などは、旨いのではないでしょうか。

 本書を読んだのと同じ頃に見た、大手ゼネコンの談合を扱ったNHKのドラマ「鉄の骨」(原作は 池井戸潤氏の第31回「吉川英治文学新人賞」受賞作 『鉄の骨』 ('09年/講談社))でも、ラストは"録音"で、それを主人公が地検特捜部に提出してコトが急転回しましたが、こっち(「オーディン」)の方はリアルタイムでネットに流れるわけで、即時に世の中の大勢の人が現場の状況を知るという点では、やはり斬新と言えるかも。

【2012年文庫化[朝日文庫]】

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「●「日本推理作家協会賞」受賞作」の インデックッスへ

「風が吹けば桶屋が儲かる」式の話? 前半部分は冗長、後半部分はご都合主義。

乱反射.jpg 『乱反射』 ['09年]

 2010(平成22)年度・第63回「日本推理作家協会賞」受賞作。

 新聞記者・加山聡の2歳になる一人息子は、根腐れしていたため強風で倒れた街路樹の下敷きになって頭に重傷を負い、救急車で病院をたらい回しにされて亡くなってしまうが、この事故死の背景には、複雑に絡み合ったエゴイズムの積み重ねがあり、事故後、加山は、それらの「罪無き罪」の連鎖を辿る―。

 街路樹伐採の反対運動をする"良識派"の主婦、犬の散歩の際にフンの処理をしない尊大な定年退職者、職務への責任感が希薄なアルバイト医、病院の救急外来を空いているという理由だけで頻繁に利用する若者、事なかれ主義の市役所職員、車の運転が苦手な姉と大型車を親にねだる妹―と、事故の遠因となる人物達の日常が描かれますが、約500ページのうち、そうした事故までの経緯の描写だけで300ページあって、かなり冗長な感じがしました(「週刊朝日」に1年間連載されたものだが、連載では読む気にならないなあ)。

 フツーの人々の平凡な日常に潜むエゴイズムというものを描いているのでしょうが、最初から「エゴ」に焦点を当ててしまっているため、それぞれの人物造型が平板と言うか画一的で、文章もあまり上手くないような...。
 ミステリとしても、要するに「風が吹けば桶屋が儲かる」式の話であり、あまりに蓋然性に依拠し過ぎていて、それでいて、主人公が因果関係を探る際に、ちゃんとその手助けとなる証言者が次々と現れるのは、あまりに御都合主義めいています。

 帯には「全く新しい社会派エンターテインメント」とありますが、着想自体は悪くないと思うし、主人公の新聞記者自身が、自宅ゴミを高速道路のサービスエリアに持ち込むなど、登場人物の多くと同じようなモラル違反をしているという構図も分かりますが、結局、何が描きたかったのかも曖昧のまま終わっている感じがしました(要するに「道徳訓」だったの?)。

 そうした意味では、「社会派」と言われても、個人的はぴんと来ず、それと、やはり、「エンターテインメント」の部分が、「風が吹けば桶屋が儲かる」式の話に依っているわけで、しかも、冗長だったり、御都合主義だったりと。

 北村薫氏が「日本推理作家協会賞」の選考の際に強く推薦していますが、その前に自作の『鷺と雪』が直木賞選考でこの作品と競合して、『鷺と雪』の方が直木賞を獲っているんだよなあ(落選者へのエール?)。 

【2011年文庫化[朝日文庫]】

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地理的バラエティだけでそこそこ楽しめるが、トリックは物足りない。

ミハスの落日.jpg 『ミハスの落日』['07年]ミハスの落日 文庫.jpg 『ミハスの落日 (新潮文庫)』['10年]

 青年ジュアンは、面識の無いアンダルシアの大富豪にある日突然呼び出され、亡くなった母とこの老富豪が絡んでいた過去の未解決の密室殺人事件の真相を聞かされる―。
Mijas is a town in the province of Málaga.
ミハス.jpg 表題作「ミハスの落日」('98年発表)ほか、世界5都市を舞台にしたミステリ短編集で、地理的バラエティだけでそこそこ楽しめますが、それぞれが短編である分、ミステリとしては仕掛けが軽いというか、いかにも作り物という感じが拭えませんでいた(「ミハスの落日」については、作者自身も後書きで、このトリックは「まともに書いていたら噴飯もの」と認めている)。

 それを補う部分が"旅情ミステリ"的要素だということなのでしょうが、例えば表題作は、ミハス自体が観光都市であり、どちらかと言えばメルヘンチックな町で(伝統的なホテルや教会もあるが、観光向けにリニューアルされている)、個人的にも好きな所ですが、この小説のような雰囲気はあまり無いんだよなあ(これも作者自身が後書きで、実際には「日本人観光客もよく行くくらいなので、寂れた田舎町ではない」と書いている)。

 岡惚れした女性客につきまとうビデオショップの店員が主人公の話「ストックホルムの埋み火」('04年)も、必ずしもストックホルムが舞台である必然性は感じられないし...。過去3度の結婚相手が次々と事故死して多額の保険金を受け取った女性の話「サンフランシスコの深い闇」('04年)が、多少翻訳モノっぽい雰囲気が出ていてラストもちょっと意外性があったけれども、これも、別にサンフランシスコでなくとも...。
 
 娼婦連続殺人事件の犯人を追う「ジャカルタの黎明」('06年)や、アメリカ人女性旅行客のガイドとして雇われたエジプト人の男が辿る末路を描いた「カイロの残照」('06年)もそうですが、全体的には、犯人の動機や犯行のトリックに無理があり過ぎるように思えました。

 それぞれの都市を現地取材したとのことで、すべて「現地人」を主人公にして書いているという点では意欲的と言うかユニークだと思いましたが、肝心の彼らの視線が何となく日本人観光旅行者的なのが気になり(最後の「カイロの残照」などは、まさに旅行ガイドが主人公)、後書きに作者の観光旅行記みたいなコメントがあると尚更そう感じてしまいます。

 但し、「小説新潮」の"密室特集"とか"警察小説特集"といった要請に沿いながら、そこに自ら"世界の各都市を舞台にした作品"という制約を加えて、南欧・北欧・アメリカ・アジア・アフリカとあちこち飛びながらあまあの連作を構成しているというのは、やはり評価すべき才能なのでしょうか。

 【2010年文庫化[新潮文庫]/2016年再文庫化[創元推理文庫]】

「●ひ 東野 圭吾」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【1459】 東野 圭吾 『カッコウの卵は誰のもの
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江戸の匂いの残る日本橋を背景にした人情話を堪能。ベースにある推理作家としての力量。

新参者 東野.jpg 新参者.jpg新参者』['09年] 新参者 ドラマ.jpg ドラマ「新参者」

 日本橋のマンションで、三井峯子という45歳の女性が絞殺死体で見つかった事件で、日本橋署に着任したばかりの刑事・加賀恭一郎は、今もって江戸の匂いの残る日本橋・人形町の店々を、丹念に聞き込みに歩き回る―。

 加賀恭一郎シリーズの8作目で、宝島社の「このミステリーがすごい!(2010年版)」と週刊文春の「2009ミステリーベスト10(国内部門)」の両方で1位になった作品。

 加賀にとって日本橋は未知の土地であり、よって「新参者」ということなのですが、加賀が聞き込みに回った先々の様子が、「煎餅屋の娘」「料亭の小僧」「瀬戸物屋の嫁」...とオムニバス構成になっていて、下町の情緒やそこで暮らす人々の人情の機微がふんだんに織り込まれているのが楽しかったです。

 更に、聞き込みを通して浮き彫りになる親子間、夫婦間の齟齬や、表向きは反目しあっているようで実は互いに通じ合っている親子、嫁姑の関係などを加賀が鋭く嗅ぎ取り、事件の核心に迫りつつ、そうした溝も埋めていくという、加賀刑事がちょっと出来すぎという感じもなくもしなくはないですが、心にじわっとくる仕上がりになっています。

 核心となる事件の方が大したトリックもなく凡庸であるため、むしろそちらの人情譚の方ににウェイトが置かれていると言ってもいい感じですが、この作者の近作は、「理屈」より「情」に訴えるものの方が個人的には合っているような気がして、この作品もその1つ、大いに堪能できました。

 それにしても、1つの町を背景にした各シークエンスにこれだけの登場人物を配して整然と章立てし、しかも、加賀が登場人物たちの人間関係をも修復してしまう過程もミニ推理仕立てになっているという構成は、やはり作者の推理作家としての技量が並々ならぬものであることを感じさせます。

新参者 日曜劇場.jpg '10年4月からTBSの日曜劇場で連続ドラマ化されましたが、原作に比較的忠実に作られているように思いました。

 役者陣の演技力にムラがあるように思いましたが(ムラがあると言うより、黒木メイサだけが下手なのか)、所謂、新進俳優をベテランが脇で支えるといったパターンでしょうか。原作の良さに救われている感じでした。ただ、阿部寛が演じる加賀恭一郎は、ちょっとスマート過ぎるような気がしました。原作の加賀は、もっと泥臭くてあまり目立たない感じではないかなあ。まあ、阿部寛は何を演じても阿部寛であるようなところはありますが。


「新参者」 tbs.jpg新参者s.jpg「新参者」●演出:山室大輔/平野俊一/韓哲/石井康晴太●制作:伊與田英徳/中井芳彦●脚本:牧野圭祐/真野勝成●音楽:菅野祐悟●出演:阿部寛/黒木メイサ/向井理/溝端淳平/三浦友和/木村祐一/泉谷しげる/笹野高史/原田美枝子●放映:2010/04~06(全10回)●放送局:TBS

【2013年文庫化[講談社文庫]】

「●よ 吉田 修一」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【1911】 吉田 修一 『太陽は動かない
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偶然巡り合った人と青春のある時期を共有したことの重みを感じさせてくれる話。

横道世之介.jpg 『横道世之介』['09 年]

 2010(平成22)年度・第23回「柴田錬三郎賞」受賞作。

 80年代、長崎から東京へ出てきた来た18歳の横道世之介は、大学に入って偶然できた仲間が縁でサンバサークルに入ってしまい、先輩から紹介されて新宿のホテルでアルバイト、同級生についていった自動車教習所で彼女ができる―、名前通り横道にふらふら逸れながらも、少しずつ成長して行く世之介の1年を描いた青春小説。

 上京学生の物語ということで、夏目漱石の『三四郎』を想起させる面もありますが、漱石の頃の東大生と現代ののフツーの大学生では、その稀少度において月とスッポンの違いがあると思われ、実際、学生の世之介自身にそんな青雲の志といった大仰な気負いは感じられません。

 世之介の性格はどちらかというと不器用な方で、素直で純朴、思慮深く行動するタイプでは無く、気持ちだけは前向きなのですが、実際にはむしろ周囲に流されていることの方が多いという、平凡といえば平凡な男子(草食系?)、それが、読み進むにつれて、じわーっといいキャラ感を出していくように思えました。

 その世之介の学生生活1年目に、彼と偶然に接触があった人物達の、約20年後の、40代を目前にした現在の暮らしぶりが物語の中に挿入されていて、大方がごく平凡な社会人になっていますが、その誰もが、世之介のことを懐かしく、また愛しく思い出しています。

 世之介が20年後の今、そうした旧知の人々からある意味"ヒーロー視"されているのには、ある出来事が関係していますが、世之介ならそうした行動をとってもおかしくないと人々に思わせ、そんな世之介と青春の一時期を過ごせたことに感謝の念を起こさせるような、そんな慕われ方です。

 毎日新聞の夕刊に連載されたものですが、朝日新聞の夕刊に連載された『悪人』とはうって変わって、「青春小説」としてのプロセスはコミカルで明るく、個人的には、祥子ちゃんのお嬢さんキャラが大いに楽しめました(20年後に、この祥子ちゃんが国連職員としてアフリカ難民キャンプで仕事しているのと、千春さんという世之介を魅了した年上の女性がDJになっているのが、やや毛色の変わった進路か)。

 漫画チックとも思える遣り取りもありますが、物語が浮いた感じにならないのは、登場人物の行動に一定のリアリティがあると共に、当時の風俗がよく描かれているためではないかと。
 世之介が入った大学入った年は1987(昭和62)年と思われ、『サラダ記念日』がベストセラーとなり、「ラストエンペラー」「ハチ公物語」といった映画が公開され、大韓航空機事件が起きています(株式や土地価格が騰貴して「バブル」という言葉が流行ったのも、「ボディコン」という言葉が生まれたのもこの年)。

 こういう若者風俗を描いたらこの作家はピカイチですが、それが、過剰にならない程度に織り込まれているのがいいです。
 エンタテインメント性を保ちつつ、偶然巡り合った人と青春のある時期を共有したことの、人生における潜在的な重みを感じさせてくれるお話でした。

【2012年文庫化[文春文庫]】
横道世之介 映画 01.jpg横道世之介 映画 02.jpg横道世之介ード.jpg「横道世之介」2013年映画化(沖田修一:監督/高良健吾・吉高由里子:主演)

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"休職刑事"の私立探偵風の捜査を描くが、プロット的にも心理描写的にも物足りない。

廃墟に乞う.jpg  廃墟に乞う2.jpg 『廃墟に乞う』['09年]

 2009(平成21)年下半期・第142回「直木賞」受賞作。

 ある事件で心に傷を負い休職中の刑事・仙道は、千葉・船橋のラブホテルで40代の女性が殺害された事件について、13年前に自分が担当した娼婦殺害事件に犯行の手口が似ていることを知り、すでに刑務所を出所しているその時の犯人・古川幸男の故郷である旧炭鉱町を訪ねる―。

 表題作「廃墟に乞う」の他、「オージー好みの村」「兄の想い」「消えた娘」「博労沢の殺人」「復帰する朝」の全6編を収録。
 主人公が休職中の刑事ということで、依頼人の要請で事件の裏を探ることになる経緯などは、私立探偵に近い感じでしょうか。

 事件そのものが何れも小粒で、トリックと言えるようなものが施されているわけでもなく、プロット自体もさほど目新しさは感じられませんでした。
 仙道の事件解決(真相究明)の手口は、所謂"刑事の勘"と言うことなのでしょうが、かなり蓋然性に依拠したようなアプローチが目立ち、むしろ、事件に関係する人物の人生の陰影や心の機微を描くことをメインとした連作と言えるのではないでしょうか。

 そうした意味では、表題作よりも、「兄の想い」「消えた娘」の方がまだよく出来ているように思われましたが、6編とも、短編という枠組みの中で、過去の事件の衝撃でPTSD気味になっている仙道の心理や、その彼と北海道警の刑事らとの関係も描かなければならなかったためか、その分、事件の当事者達の心理への踏み込みがやや浅い気がしました。

 作者は、'88(昭和63)年に『ベルリン飛行指令』で直木賞候補になっていますが(20年以上も前かあ)、近年は、「警察小説」というジャンルで独自のスタイルを固めた作家。
 今回の直木賞受賞は、選考委員である五木寛之氏や宮城谷昌光氏の選評をみると、31年間の作家生活に対する"功労賞"、乃至は、『警官の血』(2007(平成19)年下半期・第138回「直木賞」候補作)との"合わせ技で一本"という印象を受けます。

【2012年文庫化[文春文庫]】

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「お受験」をきっかけに母親たちのどろどろした部分が...。結局、事件は起きなかった?

森に眠る魚2.JPG
森に眠る魚.jpg 『森に眠る魚』['08年]

 東京・文京区に住む繭子、容子、瞳、千花、かおりの5人の母親は、同じ年の子供を同じ幼稚園に通わせる縁で「ママ友」として親しく付き合うようになったが、子供の「お受験」やそれに纏わる出来事の積み重ねにより、次第に嫉妬心や不信感を募らせ、その関係が変質していく―。

 '99年に起きた「文京区幼女殺人事件」、俗に言う「音羽お受験殺人事件」が作品のモチーフになっているということで、物語の物理的・時間的背景も事件に近い設定ですが、実際の事件の報道傾向が二転三転していることもあって真相がはっきりしないこともあり、小説は小説として読んだ方がよさそう。

 最初に、「繁田繭子(怜奈)、久野容子(一俊)、高原千花(雄太・桃子)、小林瞳(光太郎)、江田かおり(衿香)」という具合に親子関係をメモっておいて読み進むと、それぞれの境遇や性格の違いが把握し易いかと思います。

 天真爛漫だが図々しいところもある繭子、不安症で人との繋がりを求める久野容子、上昇志向が強いが自由奔放な妹とは折り合わない千花、他者に対する依存傾向の強い小林瞳、プライドが高く不倫相手との関係を断ち切ることがでいるかおり―と、それぞれにクセはありますが好感の持てる面もあり、まあ"フツーの人"の範疇と言っていいのではないかと。

 それが、子供の「お受験」をきっかけに、それぞれの性格の嫌な部分がじわ~っと出てきて言動に表れ、5人の相互の関係もどろどろになっていく―1人1人を突き放して描くのではなく、内面に寄り添いながらもそういう展開にもって行く辺り、上手いなあ、この作家。

 ただ、あまりに上手すぎて毒気に当てられたと言うか、"視野狭窄"に陥っている5人には、正直あまり同情出来ず、また救いも感じられず、最後にお受験が終わって5人が普通の生活に戻って行くというのが、ある種ブレークスルーなのかもしれないけれど、それでもやはり読後感は良くなかったなあ。

 小説の中でも「幼女殺人事件」に該当するような描写がありますが、この部分は主体をぼかして幻想的に描かれており、作者は、この"フツーの人"である5人の内の誰もがこうした事件の犯人になり得ることを象徴的に示唆したかったのでしょう(ミステリではなく、心理小説であるということ)。

 事件は小説の中でも現実の出来事としてあり、犯人をぼかすことで、作品自体にミステリアスな余韻を残したと見ることもできますが、そうするとエピローグとの整合性がつかなくなるので、実際には事件は無かったとみるのがスジなのではないかと。

【2011年文庫化[双葉文庫]】

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他ジャンルでの、その能力とプロットのマッチしたエンタテイメントを読んでみたかった。

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虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)』['07年]『虐殺器官 (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)』['10年] 映画「虐殺器官」(2017)監督:村瀬修功

虐殺器官   .jpg 早川書房主催の2007(平成19)年・第11回「SFが読みたい!―ベストSF」(国内篇)第1位作品。

虐殺器官〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)』(2014)

 9・11以降、激化した"テロとの戦い"は、核兵器によるサラエボ消滅で転機を迎え、先進資本主義諸国では厳格な個体認証による情報管理が進む一方、途上国では、内戦・紛争による虐殺が横行している。そうした中、米情報軍大尉・クラヴィス・シェパードは、その紛争の背後に見え隠れする男、ジョン・ポールを追う―。

 3冊の長編小説と数作の短編を遺して、昨年['09年]若くしてガン死した作家・伊藤計劃(1974-2009/享年34)のデビュー作で、'06年の第7回「小松左京賞」の最終候補となりながらも落選、しかしながら、一部の評論家の熱い支持を得て出版され、ついには上記の通り、「ベストSF2007」国内篇第1位に輝いた作品です(「ゼロ年代SFベスト」国内篇でも第1位)。

 人工器官によって作られた兵器が登場したりする近未来ウォー・ノベル(戦争小説)ですが、世界情勢の描き方はやや大雑把で、むしろ、紛争地域の安定を図るために虐殺が渦巻く戦地を渡り行く、それ自体も"暗殺部隊"である「特殊検索群i分遣隊」の大尉である主人公シェパードの、戦場と過去を行き来する意識の流れを(時に"哲学的"に)追っていくような展開であり、サイバーパンク・ノベルの一形態とも言えます。

 そうしたこともあって、どことなく現実浮遊感が漂うというか、残酷極まりないはずの戦闘・虐殺シーンも、ゲーム上で見ているような感覚しかなかったのですが、主人公を初めとする登場人物達のスノビシズムに満ちた会話が、結構楽しめました(スゴいね、この作家の蘊蓄は)。

 ジョン・ポールとは何者かというミステリ要素もありますが、謎解きの進行は、息もつかせぬと言うよりは遅々としたもので多少かったるく、結末も既存のSFやウォー・ノベルの範疇を(別の言い方をすれば「B級映画」の範疇を)超えるものではないように思え、やはりこの作品の一番の魅力は、この"哲学的"なファッションを「纏った」(だからスノビシズムなのだが)味付けではないかと思った次第。

 そうした"味付け"が、プロットそのものを凌駕してしまっている観もあり、これはこれで希有な才能なのでしょうが、作品自体の深みはあまり感じられませんでした。

 宮部みゆき氏が絶賛しているのは、自身がロール・プレイング・ゲーム的な作品を著していることもあるのでしょう。
 伊藤氏は、「メタルギア」のゲームデザイナー小島秀夫氏の熱狂的なファンであったとのことですが、このウォー・ノベルにも、そうした雰囲気を感じます(「メタルギア」の主人公は"傭兵"だが、シェパード大尉も、イメージ的には"傭兵"に近い)。

 でもやっぱり、相当な潜在能力を持った作家だったのではないかと。オタッキーではあるけれど、別にSFやウォー・ノベルに限らずとも優れたエンタテイメントを書けた作家であり、もう少し長生きしてもらって、他ジャンルでの、その能力とプロットのマッチングした作品を読んでみたかったように思います。

虐殺器官 映画.jpg虐殺器官 映画2.jpg映画「虐殺器官」(2017)監督:村瀬修功

【2010年文庫化・2014年改版[ハヤカワ文庫JA]】

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