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四国のミニミニ藩の武士と領民の暮らしぶりを、代々の家老の公務日記から拾う。
『伊予小松藩会所日記 (集英社新書)』['01年]「小松藩会所日記」(小松町文化財指定)
現在の愛媛県西条市にあった伊予小松藩というたった1万石の小藩で、代々の家老が公用の政務を綴った「会所日記」という史料が今も小松町に残っていて、本書は、その享保元年(1716)から慶応2年(1866年)までの150年間にわたる記録から、「武士の暮らし」ぶりを表すものと「領民の暮らし」ぶりを表すものに大きく分けて、現代に通じる事件や出来事を抽出したもの。
ここで言う「会所」とは、家老が執務を行う建物のことで、家老の執務部屋と併せて大目付(警察長官と裁判長官を兼ねたような役目)の部屋が続いていて、この日記の内容も、今で言えば、地方役場の仕事と、地方警察の仕事を記録したようなものとなっています。
小松藩は領民人口1万余、藩の家臣(藩士)の数は、江戸中期で70人、足軽や小者(下男)が100人程度で、幕末でも足軽や小者まで含めて200人前後だったとのことで、そうした小さな藩での武士の政務や暮らしぶりは、手続き重視という点では現代の地方役場の役人に似ていて、"宮仕え"ということを広く解釈すれば、あたかも中小企業に勤めるサラリーマンのようでもあります。
凶作による財政難の折には、藩士の俸給が一挙に30%に切り下げられたこともあった("30%のカット"ではなく)などと記されていて、現代の中小企業だったらリストラ解雇しか考えられないのではないかと思いましたが、この頃から、"公務員"については、"クビにする"という概念はなかったのかも。
生活苦のため無断で内職をする藩士も出てきますが、今で言う"公務員の兼業"みたいなもので、これは当時も禁止事項であり、見つければ藩としても処罰した。
ところが、ついには藩自体も、中央幕府の許可なく藩札(銭預り札)を発行したりしています(黙って決めてしまっているところが、今の役所の諸々の内部慣習と少し似ている?)。
それにしても、随分際どいやり口での自治意識の発露ではあるなあと思いましたが、全国的に飢饉が発生した際には、小松藩は、領民に一合ずつ米を配ったりして、結果として、他藩に比べ餓死者の発生率が低かったということは、善政だったということでしょうか。
財政難の小藩であっても参勤交代の大名行列はやらねばならず、あの加賀藩の大名行列は総勢4,000人の大行列だったとのことですが(自分は「加賀百万石祭り」の提灯行列に参加したことがあるが、今の「百万石祭り」はかつての大名行列の一部を再現しているに過ぎないということか)、この小松藩のものは総勢で100人ほどで、しかも7割が荷物運搬係、「下ぁにい!」と掛け声をかける槍を持った奴がいるわけでもなく、まるで「気勢のあがらぬ運送業者の隊列と似ていた」とのこと。江戸に着いた途端に出奔(逃亡)した小者がいたという話と併せ、何だか侘しいなあ。
後半部の「領民の暮らし」編の方は、駆け落ちから始まって、不倫と情死、不思議な出来事や領民同士の喧嘩、違法賭博などが続き、「三面記事」的事件簿という感じで、それらがヴィヴィッドに描かれている分、前半部とは違った楽しみ方が出来ました。
著者は、将棋史、賭博史の研究家で時代小説作家とかではないのですが、こういうのが時代小説のネタ本になるのだろうなあ。