【1290】 ○ 野口 恵子 『バカ丁寧化する日本語 (2009/08 光文社新書) ★★★☆

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正しく使えているようで使えていない敬語表現。やはり難しいなあと。

バカ丁寧化する日本語.jpg 『バカ丁寧化する日本語 (光文社新書)』 ['09年] かなり気がかりな日本語.gif 『かなり気がかりな日本語 (集英社新書)』 ['04年]
 
 著者の前著『かなり気がかりな日本語』('04年/集英社新書)を読んで、自分の話し方や文章の書き方を振り返って冷や汗の出る思いをしたのですが、今度は本書を読んで、自分は敬語の使い方がある程度出来ているつもりでいたのが、実はよく分かっていないまま使っていた表現が結構あったなあと。

 「バカ丁寧化」しているという視点がユニークですが、例えば、「おかげさまで〜させていただきました」といった「させていただく」という表現は、本来は自分に恩恵を与えてくれた誰かを特定して、その人を持ち上げることで自分を謙譲している表現であり、これを、神仏・世間・周囲の一般の人々に対し広く感謝の念を表す「おかげさまで」と同じように使うのは、胡散臭いと言うか耳障りであると。

 確かに、「おかげさまで退院させていただきました」と知人や友人には言わず(退院を許可したのは知人や友人ではなく医師だから)、そのくせ、放送番組の元アナウンサーなどが「おかげさまで番組を担当させていただきました」と言っているのは、一般の手本となるべき職業にあった人の表現としてはいかがなものかと(アナウンサーをその番組に起用したのはプロデューサーだから)。 でも、番組を続けることが出来たのは、番組を広く支えてくれた一般視聴者のおかげであるとも言えなくもないような気がするのですが、著者は、このアナウンサーは自分の表現が適切であるかどうかを考えた方がいいとと手厳しいです。

 敬語の本来の用法として若干問題があっても、言葉の適材適所への配慮がなされていればよしとし、実際に用法的におかしくても慣例的に相手への敬意を表す表現として根付いているものの例も挙げていますが、誤用法である上に、慇懃無礼になってしまったり、心のこもらない表現になったりしているのはダメであるとのことで、その辺りの線引きについては、かなり厳格な方ではないでしょうか。 世間での実態と理論的裏付けの両面から検証していて、「奥さん」とか「ご主人」という表現は、「実情にそぐわないが使われ続けている日本語」という括りに入れています。

 後半部分では、「二方面への敬語」というものについて論じられていて、「そのことは秋田先生が校長先生に申し上げてくださいました」といったのがこれに該当するのですが(校長を最も立て、秋田も一応立てている)、それが「そのことは秋田先生が校長先生に言ってくださいました」となると、秋田への軽めの尊敬語になるが校長は全く立ててないことになり、更に「そのことは秋田先生が校長先生におしゃってくださいました」となると、秋田への尊敬語になるが校長は全く立ててないことになると。どれが誤りであるというのではなく皆誤りではないのですが、その場の状況に応じてどれが適切な表現であるかは違ってくると。

 確かに、そうなのだなあと。でも、「二方面への敬語」って、考え始めるとますます難しくなるような気がし、しかしながら、考えないで使っていて果たして自分はきちんと使っているかというと言われると自信が無くなり、やはり、こうしたことも時々意識した方がいいのだろうなあと。敬語ってやっぱり難しい。

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