「●死刑制度」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【1262】 坂本 敏夫 『元刑務官が明かす死刑はいかに執行されるか』
死刑制度の入門書(立場的には反対派)。現在に続く執行逓増の潮流を予見的に捉えていた。
『なぜ「死刑」は隠されるのか? (宝島新書)』 ['01年]
本書を読んだのは'01年刊行後の間もない頃ですが、この本に引用されている、連続企業爆破事件の死刑確定囚・大道寺将司の手記(「キタコブシ」'96.10.31)にある"獄中の隣人"で、北関東での幼女誘拐殺害事件で「一審・二審とも無期判決」を受けながらも冤罪を訴え続けている人というのは、菅家利和氏ではないでしょうか。
「足利幼女殺害事件」で殺人罪に問われ無期懲役刑として17年半服役した(逮捕から数えると19年)後に、今回の再審請求(過去には棄却され続けた)でDNA鑑定が誤りだった可能性が高いとして、今年('09年)6月に釈放された人です。
大道寺死刑囚は彼のことを、警察官や検察官から「お前が殺したんだろう」と決めつけられたら反論できないくらい気が小さくて、自己主張するような人ではない上に、「以前、ぼくは彼をかなりの難聴者だと思ったことがあります。というのは、看守や雑役囚が彼に話しかける時、一度では済まず、必ず二度三度、同じことを繰り返すからです」と書いていて、それほど耳が遠くて弁護士との意思疎通が問題なく行われたかどうかにも疑念を呈しています。
『冤罪 ある日、私は犯人にされた』 ['09年]
う〜ん、最初読んだ時は、"蓋然性"の問題としてしか捉えていなかったけれど、ホントに冤罪だったわけで、今改めて読むと恐ろしい、これは最大の人権侵害だなあと。これが死刑囚で執行済みだったら大変なことになっていたと(20年近くも拘留したことでさえ、取り返しのつかないことだが)。
本書は朝日新聞の記者が長年の取材をもとに死刑制度について書いたもので、死刑制度の入門書として読め、但し、著者は「死刑廃止運動のために執筆したものではない」としているものの、死刑制度には反対の立場であることは、本書の内容から窺えます。
"解説的な部分"とは別に、「被害者感情」のみを極大化し、応報主義、厳罰主義を唱えるマスコミや、それに踊らされる世間が、実質的に「死刑制度」を支えているというのが"主張部分"のポイントで、そもそも殺人事件の場合は被害者は亡くなっているわけで、「被害者遺族感情」を問題にすべきだが、その被害者遺族の感情というのは多様で、また、時間の経過とともに変化する場合もあることを例証しています(この部分は考えさせられた)。
「被害者の人権」=「加害者の処罰」にはならないはずだと言うのは理解でき、「被害者感情」の増幅が死刑制度の矛盾点を見えにくくさせているというのは確かだと思いますが、著者は別のところでの発言の一部が「被害者には人権は無い」と言っていると字義通りにとられてバッシングに遭っており、もう少し、上手に持論を展開できなかったものかと。
著者の論には様々な意見もあるかと思うし、表題の「なぜ隠されているのか?」ということに本書が必ずしも充分に応えているようには思えませんが、本書で着目している、90年代前半の3年間続いた執行ゼロ状態から、後藤田正晴が法務大臣になってからの執行の復活と年2回の複数執行は、現在に続く執行逓増の潮流を予見的に捉えていたように思われます。