【1261】 ○ 青沼 陽一郎 『私が見た21の死刑判決 (2009/07 文春新書) ★★★☆

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オウム一本でいった方が纏まりがあったかも。執行の基準も国民に開示すべきではないか。

私が見た21の死刑判決.jpg 『私が見た21の死刑判決 (文春新書)』 ['09年]

 「21の死刑判決」と言っても、それは著者が今まで見てきた死刑判決の数であって、本書で触れているのはその全てではないです。第2章で池袋通り魔事件、光市母子殺害事件、畠山鈴香事件の3つに触れてはいるものの、全体としては殆どがオウム真理教事件についてであり(この事件だけでも13名に死刑判決が下されているのだが)、その他の"有名事件"も合間または終章に織り込まれていますが、それらについては新聞報道などから拾ってきていると思われるものもあります。

 オウム事件については、林郁夫のような無期懲役の例についての記述もあり、またこの事件は他の事件と性格を異にするところも大であるため、いっそのこと、オウム事件一本でいった方が纏まりがあったかも。

光市母子殺人事件.jpg 纏まりと言えば、著者自身が傍聴して感じたことや判決への憶測、それが下された後の印象などが書かれてはいるものの(光市母子殺害事件の弁護士に対しては、「忌憚のないところをいえば、この弁護士たちが少年を殺したに等しいと思っており、"人権派"に名を借りた"死に神""と呼びたくなる」と明言している)、全体としての死刑制度に対する考え方が見えてこないため、そうした意味でも、やや纏まりがないかなあと思ったりもしました。

 但し、オウム事件でのそれぞれの被告の審理の様子と下された判決を通して、無期懲役と死刑の分かれ目となったのは何かを考察し、また、そうした量刑に対して時に疑問を挟んだりしている(「投げかけている」というレベルだが)のには、読む側としても考えさせられる部分がありました(被告側からすれば、裁判官の当たり外れがある、ということではないかとか)。

 更に、裁判で証人に立った被害者遺族の証言がリアルに描写されていて、それらが心に響くと共に、それがまた裁判官の心証に影響を及ぼしているのではないかと思われるフシもあるように思えました。
 しかも、遺族個々に、その思いの表出方法が異なるのが本書ではよく分かり、林郁夫の公判でみられたように、被告に極刑を望まない遺族もいたし...。
 一方で、林泰男のように、「被告人もまた、不幸かつ不運であったと言える」と裁判官からさえも同情されながらも、死刑判決だった被告もいたわけですが(彼については、警察関係者から、大変な母親思いの性格だと聞かされたことがある)。

 本書では死刑と無期の分かれ目に焦点が当てられていますが、このオウム裁判で思うのは、死刑囚に死刑が本当に執行されるのかということです(されればいいと積極的に思っているわけではない)。
 70年代の「連合赤軍事件」や「連続企業爆破事件」の死刑囚は、'09年現在いまだに1人も刑の執行はされておらず、この両事件は、「思想的確信犯」的事件の要素があることと、犯行後に逃走し(或いは海外逃亡し)捕まっていないメンバーがいるということで共通していて、オウム事件にもこのことがほぼ当て嵌まります。
 強盗殺人などを犯した死刑囚は、近年、刑が確定してから執行までの期間が短くなっているようですが、刑の執行の基準を国民に開示すべきではないかなあ。

(●オウム真理教事件の死刑囚については、1996年から16年にわたって逃亡中であった平田信、高橋克也、菊地直子が2012年に逮捕され、2018年1月の高橋克也の無期懲役確定によりオウム事件の刑事裁判は終結、確定死刑囚13名のうち、2018年7月6日に7名、同月26日に6名の刑が執行された。)

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