2009年10月 Archives

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理論解説より、人となりにウェイト。新書創刊に合わせた"名前貸し"?

あなたにもわかる相対性理論.jpg 『あなたにもわかる相対性理論』.jpg 『あなたにもわかる相対性理論 (PHPサイエンス・ワールド新書)』 ['01年]

 相対性理論の解説も一応はされていますが、どちらかと言うと、アインシュタインという人がいかに偉大であったかを、個人の思いいれたっぷりに語った本で、テレビ出演等で忙しいのに、よくこんな専門分野でもはない本を書いている時間があるなあと思ったら、著者の喋ったことを編集者が文章化した「語り書き」でした。やっぱり。

 個人的には、著者は(話の内容や最近とみに目立つ通俗的な方向性はともかく)プレゼンテーション能力は高い人だと思っており、本書に関してもそれは感じられなくもないですが、文章が文語調であるにも関わらず、内容が「喋り」のトーンと同じになっていて、文章にすると意外と深みを感じなかったりして...。
 脳科学に関連づけた解説も、著者がよくやるテレビ番組のコメントを再生しているような感じ。

 アインシュタインの人となりを表すエピソードが多く紹介されているのが取り柄でした。
 「A(成功)=X(仕事)+Y(遊び)+Z(口を開かぬこと)」というのがアインシュタインの成功信条だったとのことで、「口を開かぬこと」というのは、口を開いてしまうと、どうしても他人の評価を気にしたり、他人のために何かをすることのなるからとのこと。

 相対性理論の解説そのものには、著者のオリジナル的な表現が殆ど見られず(タイトルからそれを期待して本書を手にしたのだが)、ホントに概略のみ。
 「喋り」とは別に著者が後で書き加えたのか、アインシュタインの経歴等と併せて編集者が文献を引き写しながら書いたのか、何れにせよ、全体のトーンに一貫性がないような気がしました。
 
 解説がちょっと細部にわたると、いきなり活字が小さくなって(この部分は明らかに編集者が資料をもとに書いたのだろう)、全体を通して平易な割には必ずしも読み易いとは言えず、最後にいきなり、難易度の上がる「第二論文」が出てくるのも唐突な印象。
 
アインシュタイン丸かじり.jpg 新書創刊に合わせた"名前貸し"的な側面があることは否めないのでは。
 手近でいいから(或いは、手近であることを条件として)アインシュタインの人柄だけでなく理論そのものをざっくり学んでみたいという人には、志村史夫氏の『アインシュタイン丸かじり-新書で入門』('07年/新潮新書)の方をお奨めします。

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「判例勉強会の取りまとめ」みたいな感じの本?

日本をダメにした10の裁判.jpg2008年06月04日 日経朝刊.jpg
日本をダメにした10の裁判 (日経プレミアシリーズ 4)』['08年] 2008年6月4日 日本経済新聞朝刊

 「日経プレミアシリーズ」の創刊ラインアップのうちの1冊。若手の弁護士やロースクール出身者4人による共著で、冒頭に有名な労働裁判2例が出ていたので思わず買ってしまいましたが、何か新しい切り口でもあるのかと思いきや、意外とオーソドックスと言うか、すでに巷で言われていることが書いてあるだけのように思いました。

 解雇権濫用法理のリーディングケースとなった「東洋酸素事件」を以って、日本の労働社会における解雇の障壁を高くしたとか、転勤命令についての会社側の裁量権を大幅に認めた「東亜ペイント事件」はワークライフバランスが言われる現代には合わないとか、労働判例の勉強をしたことがある人の多くが以前から感じていることではないでしょうか。

 「東洋酸素事件」の解説の終わりにある、正社員の既得権を守り過ぎたがために、非正規社員は冷遇され、「正社員の親とパラサイトの子」という構図が出来上がっていることの問題も、労働法学者がすでに指摘していることであり、「皮肉な結果ではないか」で終わるのではなく、そこから先の展開が欲しかった気がします。

 代理母事件や痴漢冤罪、企業と政治の癒着...etc.後に続く判例についても同様で、判例解説としても論考としてもスッキリし過ぎているような...。

 個人的に、多少とも我が意を得たのは、国家公務員が事件の加害者になっても、多くの場合、個人が賠償請求の対象にはならず、国家賠償法により国が代償するという「公務員バリア」に疑念を呈した部分で、社会保険庁の職員の懈怠の問題などに関連づけているのもナルホドね、そういうことかと。

 ただ、全体としてはやはり、「判例勉強会の取り纏め」みたいな感じが拭いきれなかったなあ。その分、ある程度、勉強(復習)にはなりましたが。

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死刑と無期の間に終身刑があるのか? 新たな知識と様々な示唆に富む1冊。

終身刑の死角.jpg 『終身刑の死角 (新書y)』 ['09年]

 本書は、'08年5月に「量刑制度を考える超党派の会」(最高顧問:森喜朗、会長:加藤紘一、副会長:鳩山由紀夫/亀井静香/古賀誠/中川秀直/浜四津敏子)が発足し、「終身刑」の導入を法案化しようとする動きがあるのに対し、終身刑の導入に反対の立場をとる法社会学者が緊急執筆したもの。

 急遽の執筆とは言え、かっちりした内容で、第1章で凶悪犯罪の実態を(犯罪は増加も凶悪化もしていない)、第2章で日本の刑務所の基本姿勢(「なるべく入れない、できるだけ早く出す」)を、第3章で日本の死刑制度がどのように運用されてきたかを、第4章で無期刑囚の実態や仮釈放制度の運用状況などを解説し、前半3分の2をそれらに費やしたうえで、「仮釈放なしの終身刑」が抱える矛盾点を指摘し、持論を展開していますが、お陰で、死刑囚は刑務所ではなく拘置所に入れられるという基本的なことも含め、初めて知ったことが多かったです。

 第1章では、(これは前著『日本の殺人』('09年/ちくま新書)でも指摘されていたが)凶悪犯罪が、世間のイメージとは逆に、実は減少化傾向にあること併せて、犯罪の稚拙化を指摘しているのが興味深かったです(ひったくり犯罪は、鮮やかに遂行されれば窃盗だが、相手をケガさせてしまうと、強盗致傷になると)。

 第2章では、警察から検察庁への送検数は年間220万件もあるものの、このうち起訴されるのは14万件で、執行猶予なしの実刑判決により刑務所に入るのは3万人しかおらず、しかも、初めて入所するのはその半数、さらに、その半数が執行猶予中の再犯者で、純粋な初犯ではないという事実にへーっと。
 アメリカでは日本の60倍の200万人が刑務所に入っているとのことで、国土面積の違いもありますが、まず、経費が、受刑者1人当たり300万円かかり、長期刑になると1人1億円以上かかるというのが、「なるべく入れない、できるだけ早く出す」理由の1つであるようです。

 第3章では、死刑の執行の実態や何人殺したら死刑になるのかといったことが書かれていて、死刑に犯罪抑止効果はないとしつつ、「執行も含めて、ごく少数の死刑が存在する」という制度適用が望ましいと、死刑制度の存置意義は認めています。

 第4章では、無期囚の受刑生活を解説する一方、仮釈放は激減し、年間数人しかいないことから長期入所の無期刑囚が増え、刑務所が"福祉施設"化し、受刑者の死を看取るのが刑務官の仕事の1つになってしまっていると。
 死刑を免れて無期になった受刑者が獄中自殺したケースも紹介されていて、死刑と「仮釈放なしの終身刑」はどちらが厳しいなのか、簡単には結論が出せないともしています。

 そうしたことを踏まえて、「仮釈放なしの終身刑」というものを導入しようとしている政治家たちが、どれだけ刑務所や受刑者の実態を解ってそれを言っているのか、また、裁判員制度で死刑を回避する傾向が予測される、その受け皿として終身刑を設けることの非合理を指摘しています。

 著者は犯罪学が専門でもあり、「仮釈放なしの終身刑」が導入された場合、受刑者の更正やその扱いが非常に難しいものとなることを、「生きがい」や「目的」を失った受刑者心理の側面からも考察しており、また、刑務所内の秩序維持のためにそうした受刑者を厚遇するとなると、今度は、死刑に次ぐ重い刑罰のはずだったものが、実態は乖離したものになることも危惧されると。

 刑罰とは何かということを、被害者心理の多様性、時間的変化も含めて、或いは、伝統的な日本社会との関係性においても考察しており、心理的考察が入る分、個人的には100%著者の意見に賛成というわけではないですが、様々な示唆に富む1冊でした。

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「死刑の現場」からのドキュメント。「制度を残し、執行させない努力を刑務官は全身全霊をもって行う」と。

元刑務官が明かす死刑はいかに執行されるか.jpg  元刑務官が明かす死刑のすべて.jpg
元刑務官が明かす死刑はいかに執行されるか―実録 死刑囚の処遇から処刑まで』['03年]/『元刑務官が明かす死刑のすべて』 ['06年](文庫化本)

 '94年退職するまでの27年間、全国8ヵ所の刑務所に勤務し、死刑執行現場にも立ち会ったことのある元刑務官による、刑務所と刑務官の仕事の様子、死刑囚監房とそこに住まう死刑囚の処遇その他置かれている状況の実態、さらに処刑の実際について書かれたドキュメント。

 前半部分を読むと、八方塞がりの状況にある死刑囚の心理状況と併せて、中には気の毒とも思える死刑囚もいることが書かれていて、死刑制度というものが犯罪者の贖罪意識と必ずしも結びついていないことや、裁判そのものに対する著者の疑念のようなものが伝わってきます。

 著者は死刑制度に反対なのかと思わされますが、一方で、中盤に挿入された長めのノンフィクション・ノベル『死刑囚監房物語』では、刑務官を顎でこき使うような倣岸な男性死刑囚や、犯した罪を悔いる様子もなく、ところが審理においてはうって変わって神妙ぶった演技してみせる女性未決囚などが登場し、そうした囚人に対する著者の苦々しい思いも伝わってきます。

 このノンフィクション・ノベルのパートにおいては、そうした様々な刑務所内の腐敗も描かれていますが、刑務所長や刑務官の間での出世を巡る利害の対立や人事抗争なども描かれていて、ちょっと「企業小説」風になり過ぎた感じもし、全てモデルがいて実際にあったことをベースに書いたとのことで、小説形式にせざるを得なかったのは分かりますが、ややテーマずれしたというか、テーマが拡散した感じも。

 とは言え、本書全体からは、「死刑の現場」を知らずに死刑の是非を論じる学者や人権団体に対する憤り、国民はもっとその「現場」に思いを馳せるべきだとの主張が伝わってきて、では、結局、著者自身はどう考えているのかというと、矯正職員としての著者の先輩にあたる大学教授の「死刑制度は人類と獣類とを区別するレフリー、分岐点」として存在すべきで、「人類自身の戒めとして、錘しとして、法として掲げつづけて置くことが、人類の叡智であり、見識であり、人間の尊厳と考える」との「制度必要論」を強く支持しながらも、「死刑制度は存続させ、処刑の反対」を訴えています。

 死刑囚を更正させるのが仕事、しかし、更正した死刑囚の首に縄を架けるのも仕事、その矛盾に悩みつつ、終身刑という制度が出来ると、今度は裁判官は終身刑を乱発し、刑務所はパンク状態になるだろうとして反対しています。

終身刑の死角.jpg 終身刑を設けなくとも、無期懲役という刑の運用の仕方で、終身刑の機能は果たせると(本書によれば、毎年100人以上の高齢受刑者が獄中で病死しているとのこと)。
 『日本の殺人』('09年/ちくま新書)の著者・河合幹雄氏によれば、'07年に無期刑囚で仮釈放が認められたのは30年服役の1人だけで、獄中に1600人の無期囚がいるとのことです(『終身刑の死角』('09年/洋泉社新書y))。

 「制度を残し、執行させない努力を刑務官は全身全霊をもって行うのである。島秋人さんのような死刑囚なら社会も喜んで受け入れてくれるだろう。終身刑がない日本の制度は素晴らしいのだ」と。

 その、「心から被害者と遺族に謝罪し、赦されて天国に行った」と言われている死刑囚の1人、島秋人の歌集から―。
 
 無期なれば今の君なしと弁護士の 言葉憶いつつ冬陽浴びをり

 【2006年文庫化[文春文庫(『元刑務官が明かす死刑のすべて』)]】

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オウム一本でいった方が纏まりがあったかも。執行の基準も国民に開示すべきではないか。

私が見た21の死刑判決.jpg 『私が見た21の死刑判決 (文春新書)』 ['09年]

 「21の死刑判決」と言っても、それは著者が今まで見てきた死刑判決の数であって、本書で触れているのはその全てではないです。第2章で池袋通り魔事件、光市母子殺害事件、畠山鈴香事件の3つに触れてはいるものの、全体としては殆どがオウム真理教事件についてであり(この事件だけでも13名に死刑判決が下されているのだが)、その他の"有名事件"も合間または終章に織り込まれていますが、それらについては新聞報道などから拾ってきていると思われるものもあります。

 オウム事件については、林郁夫のような無期懲役の例についての記述もあり、またこの事件は他の事件と性格を異にするところも大であるため、いっそのこと、オウム事件一本でいった方が纏まりがあったかも。

光市母子殺人事件.jpg 纏まりと言えば、著者自身が傍聴して感じたことや判決への憶測、それが下された後の印象などが書かれてはいるものの(光市母子殺害事件の弁護士に対しては、「忌憚のないところをいえば、この弁護士たちが少年を殺したに等しいと思っており、"人権派"に名を借りた"死に神""と呼びたくなる」と明言している)、全体としての死刑制度に対する考え方が見えてこないため、そうした意味でも、やや纏まりがないかなあと思ったりもしました。

 但し、オウム事件でのそれぞれの被告の審理の様子と下された判決を通して、無期懲役と死刑の分かれ目となったのは何かを考察し、また、そうした量刑に対して時に疑問を挟んだりしている(「投げかけている」というレベルだが)のには、読む側としても考えさせられる部分がありました(被告側からすれば、裁判官の当たり外れがある、ということではないかとか)。

 更に、裁判で証人に立った被害者遺族の証言がリアルに描写されていて、それらが心に響くと共に、それがまた裁判官の心証に影響を及ぼしているのではないかと思われるフシもあるように思えました。
 しかも、遺族個々に、その思いの表出方法が異なるのが本書ではよく分かり、林郁夫の公判でみられたように、被告に極刑を望まない遺族もいたし...。
 一方で、林泰男のように、「被告人もまた、不幸かつ不運であったと言える」と裁判官からさえも同情されながらも、死刑判決だった被告もいたわけですが(彼については、警察関係者から、大変な母親思いの性格だと聞かされたことがある)。

 本書では死刑と無期の分かれ目に焦点が当てられていますが、このオウム裁判で思うのは、死刑囚に死刑が本当に執行されるのかということです(されればいいと積極的に思っているわけではない)。
 70年代の「連合赤軍事件」や「連続企業爆破事件」の死刑囚は、'09年現在いまだに1人も刑の執行はされておらず、この両事件は、「思想的確信犯」的事件の要素があることと、犯行後に逃走し(或いは海外逃亡し)捕まっていないメンバーがいるということで共通していて、オウム事件にもこのことがほぼ当て嵌まります。
 強盗殺人などを犯した死刑囚は、近年、刑が確定してから執行までの期間が短くなっているようですが、刑の執行の基準を国民に開示すべきではないかなあ。

(●オウム真理教事件の死刑囚については、1996年から16年にわたって逃亡中であった平田信、高橋克也、菊地直子が2012年に逮捕され、2018年1月の高橋克也の無期懲役確定によりオウム事件の刑事裁判は終結、確定死刑囚13名のうち、2018年7月6日に7名、同月26日に6名の刑が執行された。)

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宮﨑勤、小林薫、宅間守の心の闇に迫るとともに、審理の在り方や死刑制度への疑念を呈す。

ドキュメント死刑囚.jpg ドキュメント死刑囚2.jpg  篠田 博之.jpg 篠田博之 氏(月刊「創」編集長)
ドキュメント死刑囚 (ちくま新書)』['08年]

 幼女連続殺害事件の宮﨑勤元死刑囚、 奈良女児殺害事件の小林薫死刑囚(2013年2月21日、大阪拘置所で死刑執行)、大阪教育大学附属池田小学校襲撃事件の宅間守元死刑囚の3人にほぼ的を絞った取材であり、しかも、宮﨑勤、小林薫とは、著者は手紙の遣り取りがあっただけに、彼らにとって死とは何なのか、その凶行は特殊な人間の特殊な犯罪だったのか、極刑をもって犯罪者を裁くとはどういうことなのか

 読み進むうちに、それぞれの事件や本人の性格の共通点(例えば3人とも激しく父親を憎悪していた)、相違点が浮き彫りにされてきますが、著者自身、彼らの「心の闇」が解明されたとは考えておらず、むしろ、宅間守にしても宮﨑勤にしても、そいうものが明かされないまま刑が執行されてしまったことへの慙愧の念と、こうしたやり方が果たして同タイプの犯罪の抑止効果に繋がるのかという疑念が、彼らの犯行や生い立ち、裁判の経過についての(トーンはあくまでも)冷静なルポルタージュの紙背から滲んでくるように思いました。

宮崎勤死刑囚.jpg 宮﨑勤の精神鑑定は、当初の「人格障害」だが「精神病」ではないというものに抗して弁護側が依頼した3人の鑑定人の見解が、「多重人格説」(2名)と「精神分裂病」(1名)に分かれ、本人の「ネズミ人間」供述と相俟って「多重人格説」の方が有名になりましたが、「人格障害」は免罪効を有さないという現在の法廷の潮流があるものの、個人的には一連の供述を見る限り、「人格障害」が昂じて「精神病様態」を示しているように思えました(但し、犯行時からそうであったのか、拘禁されてそうなったのは分からないが)。

小林薫.jpg 小林薫については、殺害された被害者が少女1名であるにも関わらず死刑が確定しているわけですが、「死刑になりたい」という供述が先にあって、後から「少女が亡くなったのは事故だった」という矛盾する(しかし、可能性としては考えられなくも無い)供述があったのを、弁護側が、今更それを言っても却って裁判官の心証を悪くするとの判断から、その部分の検証を法廷で行うことを回避し、結局は死刑判決が下ってしまっているわけで、個人的には、死刑回避と言うより真相究明という点で、弁護の在り方に疑問を感じました。

宅間守.jpg 宅間守については、ハナから本人が「早く死刑にしてくれ」と言っており、先の2人以上に人格的に崩壊している印象を表面上は受けますが、一方で、弁護人などに書いた手紙を読むと、極めて反社会的な内容でありながらもきっちり自己完結していて、著者が言うように彼の精神は最後まで崩壊していなかったわけで、そうなると、結果として、国家が本人の自殺幇助をしたともとれます(但し、宅間については、アメリカで銃乱射事件を起こす犯人にしばしばみられる脳腫瘍が、彼らと同じ部位にあったという説もある)。

 著者は、こうした人間に死刑を宣告することは、罪を償わせるどころか、処罰にさえなっていないのではないかと疑問を呈していますが、まさにその通りだと思いました。
 "贖罪意識"の希薄性という意味では、「コミケ」の開催日を気にしていたという宮﨑勤にしても、殆ど自棄になっているとしか思えない小林薫にしても、同じことが言えるでしょう。

 43ページにある宮﨑勤の幼い頃の屈託の無い写真が印象に残りました(この少年が、将来において重大な犯罪を犯し、死刑に処せられたのだと)。
 本書を読んで感じたのは、社会的にいじめられたとか弱者であったということ以前に、家族との愛情の絆が断ち切られたとき、彼らは深い絶望にかられ、閉ざされた闇の世界の住人になるであって、そうしたメカニズムをもっと解明することが、犯罪の抑止に繋がるのではないかと。

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福祉国家とは何かを思い描く上での思考の"補助線"となる要素はある本。

世界一幸福な国デンマークの暮らし方.jpg 『世界一幸福な国デンマークの暮らし方 (PHP新書)』 ['09年] 

デンマーク.gif 福祉国家の代表格であるデンマークの社会福祉政策や学校教育のあり方、人々のものの考え方などを通して、日本社会が抱える貧困、政治、教育、社会、福祉などの様々な問題を考えるに際しての「補助線」を示した本と言えます。

 生まれた時から亡くなるまで医療費・教育費は無料というデンマークですが、所得税率50%(低所得者には軽減措置あり)、消費税率25%という世界一税金の高い国でもあり、国家財政の土台の部分で日本とはあまりに違い過ぎると見る向きもあるかも知れません。

 しかし、国家予算の75%が教育や福祉に使われているとのことで、税金に嫌悪感を抱きがちな日本人に対し、デンマーク人は「高福祉高負担税」と言うより「高福祉高税」という受け止め方らしいです。
 読んでみると、"連帯"と"共生"を当然のこととするその国民性が、政府の施策と相乗効果となって、この国を「世界一幸福な国」たらしめていることがわかります。

 教育の実態も日本とは随分異なり、高校進学率は約45%で、50%は職業専門学校へ進学するとのこと、大学入試も無いという―、これは、学歴よりも実力を重視する社会であるためとのことですが、試験が無いと言うことが、「他人と競ってでも(他人を蹴落としてでも)」という意識を生ませないのかも。

 この国が何より進んでいるのがノーマリゼーションで、ノーマリゼーションを最初に実施した国であるという自負もあるのでしょうが、本書に紹介されているこの国の障害者福祉などの充実ぶりは、日本と比べても天と地ほどの差があるように思えました。

 社会保障が整っているために離婚が多く、この国の児童虐待で最も多いのは、血の繋がっていない子に対する近親相姦であるという、「負」の部分にも少し触れてはいますが、全体としてはデンマークのいいことばかり書いてあるような気もし、著者がノーマリゼーションの実践提唱者であるパンクミケルセンの業績を後世に伝えるための財団の理事長であるとのことにも関係しているのかも。

 各章の冒頭にあるアンデルセンの童話から本文テーマに繋げていく構成には、ああ、旨いなあと感心させられましたが、1つ1つのテーマの切り込みは、やや浅い部分もあり、老婆心ながら、読者によっては「夢の国」の話で終わってしまいそうな危惧も感じました。

 著者自身は、デンマークの方が住みやすいとしながも、日本の方が好きだと―。
 デンマーク並みの「高福祉高税」が無理であれば、「中福祉中税」を目標としてみるのもいいのではと提言していますが、日本のおける制度をどうこうしたらという具体的なことには触れていません。
 但し、本書の内容自体が、福祉国家とは何かを思い描く上での思考の"補助線"となる要素はあると思います。

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独自の教育メソッドについて詳しいが、異文化論、地誌・風物生活誌としても楽しめた。

フィンランド 豊かさのメソッド2.jpg フィンランド 豊かさのメソッド1.jpg 『フィンランド豊かさのメソッド (集英社新書)』 堀内 都喜子.jpg 堀内 都喜子 氏(略歴下記)

フィンランド.gif 著者はフィンランドの大学の大学院(コミュニケーション学科)を卒業。在学中に本書を書き、帰国後に出版したとのこと。

 そのフィンランドという国は、国土面積は日本から九州を除いたぐらいで、全人口は北海道より少ないそうで、人口密度は日本の10分の1程度とのこと。ちょっとヒトが少なすぎるのではないかとも思ったりするけれど、国土の70%は森林で10%は湖だから、人口が集まっているところには集まっているのでしょうか(日本だって国土の80%が山地だが)。

 福祉国家として知られる国ですが、OECDによる子どもの学力調査でトップ、世界経済フォーラムによるの国際競争力ランキングで3年連続1位とのことで、後者の経済の方の1位は、ノキアなどのグローバル企業を有するものの、企業に勤める人は殆ど残業もしないため、著者自身も不思議に思っていて、失業率もやや高く、著者がこの国に住んでいた時は、それほど景気がいいと感じたことはなかったそうです(分析的には、国がIT産業に力を注ぎ、社会の情報ネットワーク化を推進したことで、90年代前半の不況から甦ったとしている)。

 一方、学力調査の方での"トップ"については、フィンランドの教育メソッドが、著者の留学時の体験も含め、保育園から大学教育まで紹介されていて、初等教育における「できない子は作らない」ための工夫や、制服も校則も無いという自由な中学・高校、質の高い教師とカリキュラム、授業料の無料、国民の生涯教育への高い意欲などが挙げられています。

 やはり、「落ちこぼれを作らない」という理念が、教育の全期間を通して貫かれているのが素晴らしいことだと思われ、女性の雇用機会が広くあり、育児をしながらも充分フルタイムで働けるというということ併せて、日本との大きな違いのように思えましたが、日本で常に問題視されながら解決の糸口が見出せないでいる問題が、この国ではクリアーされているだけに興味深かったです。

 税金が高い(使途がガラス張りで、その大方が国民の福祉や教育に還元されているため、国民の不満は小さい)、国土の広さに比べ人口が少ないなど、根本的背景が日本と異なるということはありますが、この国の文化、生活様式や、人々のものの考え方の特質に触れた後半部分には、著者自身が初めてこの国に来て、びっくりしたり感心したり違和感を覚えたりしたことが率直に書かれていて興味深く、制度や立地条件の違いよりも、まず国民性が違うのだなあと思わされました(両者の相互作用もあるだろうが)。

 同じヨーロッパでもラテン系民族のそれとも随分異なるようで、公の場では口数が少ないなど、部分的には日本人と似ているところもあり、それでいて、発言するときはハッキリものを言うなど(言わないと伝わらない。「トイレはありますか」と訊くと「あります」という返事しか返ってこないという話には笑った)、やっぱり違うところは違うと言う―フィンランド語は独自系の言語ですが、国民性も「独自系」だなあと思いました。

 フィンランド流子育て(赤ちゃんを外で昼寝させる習慣はテレビでも紹介されていた)や、国民の間で人気のあるスポーツ、本場のサウナの入り方なども紹介されていて、異文化論、地誌・風物生活誌としても読める楽しい本でした。
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堀内 都喜子2.jpg堀内 都喜子(ほりうち ときこ)
1974年長野県生まれ。大学卒業後、日本語教師等を経て、フィンランド・ユヴァスキュラ大学大学院に留学。異文化コミュニケーションを学び、修士号を取得。フィンランド系企業に勤務しつつ、フリーライターとしても活動中。

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お気楽と言えばお気楽。印象に残ったのは、山崎朋子(の話)と諏訪根自子(の写真)か。

美人好きは罪悪か?.jpg『美人好きは罪悪か?』 .jpg     選ばれる男たち―女たちの夢のゆくえ.gif
美人好きは罪悪か? (ちくま新書)』['09年]  信田さよ子 『選ばれる男たち―女たちの夢のゆくえ (講談社現代新書)』 ['09年]

 信田さよ子氏の『選ばれる男たち-女たちの夢のゆくえ』('09年/講談社現代新書)に、おばさんたちが「うぶで無垢な王子」を愛でることを、ある種"レジスタンス"として奨励する記述がありました。

 それに比べて、この本の著者なんかは、何のしがらみもなしに、身近な女性から、女流作家、映画女優、歴史において名を成した女性まで挙げて、美人だとか、美人だが自分の好みではないとか言っているわけで、そうした意味ではお気楽と言えばお気楽、男ってこんなものかな。ただ、公の場では普通やらないけれど...(著者に限ってのこととして言えば、「もてない男」だったはずが、結婚して余裕ができすぎた?)

 本の趣旨は、「小説のヒロイン、ロリコンや萌え、髪型やヌード、歴史上の美人などさまざまな観点から、新しい『美人論』を展開する」ということのようですが、「雨夜の品定め」みたいな感じで最後までいっちゃってるようにも思えました。

 但し、博覧強記、あらゆる方面からマニアックな"美人ネタ"を持ってくるため、部分部分は面白い箇所が結構ありました(表紙帯にもある、あの「南極1号」の末裔である「ラブドール」の話などは、何だか入れ込み過ぎてしまっているみたいだが)。

 特に後半、谷崎潤一郎の「美人」観などは、著者の専門領域に近いわけですが、「春琴抄は気持ち悪い」とかいうこの著者独自の見方や表現はともかく、春琴を傷つけたのは誰かと言う推理は、今までもこのテーマで語られたものを読んだことはありますが、文献などを丹念に調べ、理路整然としたものになっているように思えました。

 でも、最も印象に残ったのは、終盤に出てくるノンフィクション作家の山崎朋子(1932‐)と、ヴァイオリニストの諏訪根自子(1920‐)かなあ。                                            
宮本笑里.jpg諏訪根自子.jpgサンダカンまで.jpg とりわけ山崎朋子は、美人であるがゆえに凄まじい経験(ストーカーまがいの男に顔を傷つけられ、生涯消えない傷跡となった)をしたように思われました(書かれていることは、彼女の自伝『サンダカンまで―わたしの生きた道』('01年/朝日新聞社)に拠っているようだが)。
 諏訪根自子は、若い頃の写真の美しさが印象に残りました。ヴァイオリニストって、時にこうした美少女が現われるように思われ、今で言えば、美人としてのタイプは異なりますが、'07年にアルバム「smile」でCDデビューした宮本笑里(1982-)などはその系譜ではないかと。
サンダカンまで―わたしの生きた道』['01年/朝日新聞社] 諏訪 根自子(写真提供:キングレコード)/宮本笑里

川上未映子
川上未映子.jpg 川上弘美の作品を読むときには「川上弘美の美貌を想起せずにおれない」と書いていますが、そういう傾向は、男性読者に限らず女性読者でも同じではないかなあ。好き嫌いは別として、本書にも出てくる川上未映子も然り。エッセイとかを読むと、彼女自身も、自分でも「読まれる」と同じくらい「見られる」という"意識"はあると書いていますが。

 本書は、「一冊の本」での2年間('07〜'08年)の連載を纏めたもので、「後記」に、「その間に結婚したから、(中略)美人がどうこう、といったことには興味がなくなり、連載を続けるのも難しくなったが、何とか二年間続けることができた」とありました(これを読んで、やや脱力)。

週刊朝日 2009年12月4日増大号.jpg 週刊朝日 2009年12月4日増大号 (表紙:宮本笑里)

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著者のやり口は変わったけれど中身はあまり変わってないか。

信田 さよ子 『選ばれる男たち.jpg選ばれる男たち―女たちの夢のゆくえ.gif
選ばれる男たち―女たちの夢のゆくえ (講談社現代新書)』 ['09年]

 DV(ドメスティック・バイオレンス)の専門家である臨床心理士の著者の本ですが、いきなりイケメンドラマの話から入り、おばさんたちが韓流ドラマに夢中になるのは何故かということを、自分自身が「ヨン様」、つまりペ・ヨンジュンの熱狂的ファンであることをカミングアウトしつつ語っていて、あれ、先生どうしたの、という感じも。

 著者によれば、若い男性の「萌え」ブームは、彼らが女性の成熟への価値を喪失したためのものであり、女性たちの「草食系男子」への指向や、おばさんたちの間での「韓流ブーム」も、女性にとっての既存の理想の男性像が変わってきて、成熟した男性より「うぶで無垢な王子」といったタイプが好かれるようになってきたためであると。

 ということで、前半部分、いい男について語るのは楽しいとしながらも、読む側としては何が言いたいのだろうと思って読んでいると、中盤、第3章「正義の夫、洗脳する夫」は、著者の臨床例にみるDVを引き起こす男性の典型例が挙げられていて、一気に重たい気分にさせられます。
 家庭という密室の中での彼らの権力と暴力の行使はホントにひどいもので、でも、実際、こういうの、結構いるのだろうなあと。

 但し、そうした配偶者の暴力に遭いながらも離婚に踏み切れない女性もいるわけで(著者が言うところの「共依存」という類)、著者は「理想の男性像を描き直せ」、「男を選んでいいのだ」と言っており、これが前段の、「男を愛でることがあっていい」「男性像の価値観は変わった」という話にリンクしてたわけか、と後半残り3分の1ぐらいのところにさしかかって、やっと解りました。

選ばれる男たち―女たちの夢のゆくえ2.gif 著者のもう1つの専門領域である児童虐待に関する本を読んだ際に、子どもへの虐待を、「資本家-労働者」、「男-女」と並ぶ「親-子」の支配構造の結果と捉えていることでフェニミズム色が濃くなっていて、子どもへの虐待をことさらにイデオロギー問題化するのはどうかなあと(読んでいて、しんどい。論理の飛躍がある)。

 そうしたかつての著者の本に比べると、韓流ドラマの話から入る本書は、ちょっと戦術を変えてきたかなあという感じはします。

 DV常習者になるような「だめ男」の見分け方のようなものも指南されていますが、そうした問題のある男性と一般の男性がジェンダー論として混同されていて、基本的には、この人の、病理現象的なものを社会論的に論じる物言いに、オーバーゼネラリゼーション的なものを感じ(結果的に、本書に出てくるサラリーマンとか中年オヤジというのは、極めて画一化された捉え方をされている)、やり口は変わったけれど中身はあまり変わってないかなあ、という印象も。

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「感情を揺さぶる証拠」が「衆愚」を招く危険性を、実証的に指摘。

ニッポンの岐路 裁判員制度―33.JPGニッポンの岐路裁判員制度.jpg
ニッポンの岐路裁判員制度~脳から考える「感情と刑事裁判」~ (新書y)

 '09年5月から裁判員制度がスタートし、それに先駆けて賛否両論、多くの議論があり、書籍も多く出版されましたが、本書も単なる制度の入門書では無いという意味ではその一環にあるとも言えます。

 但し類書と異なるのは、著者が作曲家・指揮者であり、東大の物理学科卒であり、大学でマルチメディア論を教えていると言う、まさにマルチ人間ではあるものの、取り敢えず「司法」に関しては"素人"であるということでしょうか。

 更に、著者は、自らを、裁判員制度に対して賛成・反対どちらの立場でもないとし、敢えて言えば「裁判員制度現実派」であるとのことで、実際に「模擬裁判」の見学ツアーに参加したり、賛成・反対両派の意見を取材していますが、そうした観点から、裁判員制度における裁判の進め方で考えられる幾つかの問題点を指摘しています。

 その核となるのが、「感情を揺さぶる証拠を認めるか」というもので、この問題のケーススタディとして、米国のビデオ証拠判例を取り上げており、これは、サラ・ウィアーという女性(当時19歳)が惨殺された事件の裁判で、生前の被害者の思い出(誕生パーティ、ピクニック、卒業式など)を編集した20分ほどのビデオが提出され、このビデオの編集したのは、被害者の養母で、自身も弁護士である女性ですが、彼女による被害者の生涯を振り返っての朗読が、アイルランドのシンガーソングライター、エンヤの曲とともに流れるというもの。

 被告には死刑判決が下りましたが、この音楽付きビデオが陪審員の心を動かして正確な判断を誤らせたとして、被告は判決の無効を訴え、その後10年以上にわたって争われたものの、'08年に米国最高裁は、「音楽付き思い出ビデオ」は被害者の証拠として採用されうるとの判断を下したとのこと。

 人間が物事から受ける印象が、視覚などの外部情報によっていかに左右され易いものであるかを(「いかにマインド・コントロールされ易いか」とも換言できる)、著者はプレゼンテーションの技法でもって、検察側の「論告・求刑」モデルなどに当て嵌め解説していますが、"解説"と言うより"実証"してみせていると言った方がいいかと思えるぐらい説得力がありました("マルチメディア、メディアリテラシー論教授"の面目躍如!)。

ニッポンの岐路裁判員制度 帯.jpg 因みに、帯にある「性奴隷」の文字は、'08年4月に東京都江東区のマンションで起きた若い女性の惨殺・死体遺棄事件(当初は証拠死体が見つからず、「現代の神隠し事件」と呼ばれた)で、被告の犯行動機の中にあった言葉を検察側が実際にプレートにしたもので、この事件の審理においても、被害女性の愛くるしい赤ちゃんの頃の表情や、子ども時代のスナップ、楽しかった学生時代のアルバム写真などが、モニターに次々映し出される一方、被告が被害者の遺体を捨てたマンションのゴミ箱や、ゴミが運ばれていく埋立地の写真なども映し出されたとのこと(この裁判は裁判員によるものではないが、「わかりやすさ」を目指す裁判員制度の予行演習的な意味合いもあったようだ)。

 著者は、本書の末尾において、この「性奴隷」という3文字を黒字と赤字の両方で示してみせていますが、確かに著者の言う通り、同じ文字でも全く印象が異なり、結局、プレゼンテーション次第で裁判員に大きく異なる印象を与えることが可能であることを示唆しています。

 何気なく手にした本でしたが、結果として、深く考えさせられ、一方で、裁判員制度は是か非かという議論に隠れて、こうしたマインド・コントロール的な証拠提出の問題について、巷ではさほど論じられていないように思われるのが気がかり。

 著者の"中立的"な立場とは裏腹に("中立的"な立場に沿って?)、本の帯には「民主か? 衆愚か?」ともあり、本書を読む限りにおいては、何らかの規制やルール作りをしないと「衆愚」に転ぶ可能性が高いことを、本書自体が訴えているようにも思えました。

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稀有な生き方をした昆虫画家・熊田千佳慕のライフワークであり、遺作となった作品。

ファーブル昆虫記の虫たち5.jpg     熊田 千佳慕.jpg 熊田千佳慕(1911‐2009/享年98)
(28.6 x 27.8 x 1.5 cm)『ファーブル昆虫記の虫たち〈5〉 (Kumada Chikabo's World)』 ['08年]

 2008年9月刊行の本書は、今年('09年)8月に98歳で亡くなった熊田千佳慕(1911‐2009)の『ファーブル昆虫記の虫たち』の「シリーズ5」で、「シリーズ1」から「シリーズ4」までが約10年前('98年)の1年間の間に刊行されたことを思うと、待望の1冊でした(体裁としては、著者自身の文が添えられた「科学絵本」になっている)。

 個人的には、'01年にNHKの「プライム10」で放映された「私は虫である〜昆虫画家・熊田千佳慕の世界」で初めてこの人のことを知り、空襲の跡に引っ越した横浜・三ツ沢の農家の蔵に妻と草花を育てて暮らし、地面に腹ばいになって"虫の目線"で描く独特の画風に興味を覚えました(NHKは、その前年に、BSハイビジョンの「土曜美の朝」で、山根基世アナウンサーによる三ツ沢の熊田宅を訪ねてのインタビューを特集している)。

 番組によると、この三ツ沢の地に居ついてから一度もその外に出たことが無いそうで、絵の「素材」は全て、自宅の庭やその周辺の道端から拾ってきているとのこと、ただ描き写すだけでなく、庭での蝉の脱皮をはらはらしなががら見守る様に、生き物への優しい視線を感じました。
 
 この人、興味ある虫とかを見つけると、何処ででも這いつくばって一日中ずっとそれを眺めているので、自宅の庭でならともかく、近所でそれをやられると奥さんが困ったらしい。

熊田千佳慕展.jpg 本書の「おわびのメッセージ〜あとがきにかえて」によると、奥さんの病気のため、60年住み慣れた"埴生の宿""おんぼろアトリエ"での仕事が出来なくなり、このシリーズの仕事も中断していたとのこと、番組の中で紹介されていたあの描きかけのコオロギの絵はどうなったのかなあと思っていたら、本書の表紙にきていました。

 ブラシなどを一切用いず、筆の毛先だけでの点描法であるため、1枚の絵を仕上げるのに何ヶ月もかかるそうで、しかも、心身充実していなければ、こうした緻密な作品を仕上げることはできない、そうした意味でも、このシリーズは作者自身も天職(ライフワーク)と位置づけている作品です。

 ようやっと一段落したのを機に、'09年には朝日新聞主催で、東京の銀座松屋をスタートして、『ファーブル昆虫記の虫たち』を含む作品の全国巡回展が始まることがあとがきでも告知されていますが、まさに銀座松屋での展覧会の初日(8月12日)が無事に終了した翌日未明に、この"白寿"の昆虫画家は、90年以上描き続けたその生涯の幕を閉じました。
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熊田 千佳慕 (くまだ・ちかぼ)
1911年、横浜市中区生まれ。東京美術学校(現・東京藝術大学)卒業後、デザイナーの山名文夫氏に師事。デザイナー・写真家集団「日本工房」に入社。土門挙らと公私共に親交を深める。戦後、出版美術の分野で活躍するようになり、「ふしぎの国のアリス」「みつばちマーヤ」「ファーブル昆虫記」などの作品を発表。イタリア・ボローニャ国際絵本原画展で入選し、フランスでは「プチファーブル」と賞賛されるなど、国内外から高い評価を得る。2009年8月13日未明、誤嚥(ごえん)性肺炎のため横浜市の自宅で死去、98歳。

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「萌え」論という言うより、日本人論、比較文化論に近いが、それなりに楽しめた。

鳴海 丈 萌えの起源.jpg「萌え」の起源.jpg  四コマ漫画―北斎から「萌え」まで.jpg  清水勲.jpg 清水 勲(1939-2021
「萌え」の起源 (PHP新書) (PHP新書 628)』['09年]『四コマ漫画―北斎から「萌え」まで (岩波新書)』['09年]

bannpaiya .JPG美少女」の現代史.jpg 時代小説家が「萌え」の起源を探るという本ですが、著者が熱烈な手塚治虫ファンであることもあって、著者によればやはり手塚作品が「萌え」の原点に来るようです。

 ササキバラ・ゴウ氏の『〈美少女〉の現代史―「萌え」とキャラクター』('04年/講談社現代新書)も、手塚作品(テレビアニメ「海のトリトン」)に「萌え」の起源を見出していましたが、本書で著者は、「リボンの騎士」の男装で活躍するサファイア姫、「バンパイヤ」の狼に変身する岩根山ルリ子(手塚作品では初めて女性のヌードが描かれたものであるらしい)、『火の鳥2772』の女性型アンドロイド・オルガなど、「変身するヒロイン」にその起源があるとしています。

バンパイヤ』(秋田文庫版第1巻211pより)
       
「バンパイヤ」1968/10~1969/03(全26回)フジテレビ/嘉手納清美(岩根山ルリ子)/「バンパイヤ」テーマソング
バンパイヤ 嘉手納清美.jpg 

松山容子 「琴姫七変化」/志穂美悦子/「キカイダー01 」('73年)/「瞳の中の訪問者」('77年)with 片平なぎさ
松山容子.jpg志穂美悦子.jpg志穂美悦子2.jpg瞳の中の訪問者 片平 志穂美.jpg そして、それ以前の「変身するヒロイン」の系譜として、著者が造詣の深い女剣劇のスターに着目し、こちらは松山容子(60年代は「琴姫七変化」のイメージが強いが、70年代は"ボンカレー"のCMのイメージか...)、更には志穂美悦子などへと連なっていくとのこと。著者によれば、こうしたヒロインが愛されるのは、「日本人は性の垣根が低く、人間でないものとの境界もないに等しい」という背景があり、それが手塚作品の特異なヒロイン像にも繋がっているとしています。

 「萌え」マンガのその後の進化を辿りつつ、話は次第に日本文化論のような様相を呈してきて、更にマンガ、アニメだけでなく、日本映画を多く取り上げ、そのヒーロー、ヒロイン像から、日本人の価値観、美意識など精神構造を考察するような内容になっています。

 結局、本のかなりの部分は、古い日本映画に着目したような話になっていますが、観ていない映画が多かったので、それはそれで楽しめ、それらの中に見られる主人公の価値観や行動原理が、現代アニメのヒーローやヒロインにも照射されていることを示すことで、多少、マンガ・アニメ論に戻っているのかなあという感じ。でも、日本映画の主人公とハリウッド映画の主人公の違いなどが再三(わかりやすく)論じられていて、全体としてはやはり「比較文化論」「日本人論」に近い本と言えるような気がします。

 ササキバラ・ゴウ氏の本もそうでしたが、マンガ・アニメについて論じる場合、自らの"接触"体験に近いところで論じられることが多いような気がし、そうした中でも「萌え」について論じるとなると、尚更その傾向が強まるのではないかと。著者で言えば、手塚ファンであるから手塚作品がきて、また時代小説家であることから女剣劇が出てきて、アクション小説も書いているから志穂美悦子といった具合に...(その他にも多数のマンガ・アニメ・映画が紹介されてはいるが)。しかも、実際に著者の書いているライトノベル時代劇には、女剣士がよく登場する...。一般論と言うより、著者個人の思い入れを感じないわいけにはいきませんでした(自分自身の「萌え遍歴」を綴った?)。

 但し、未見の日本の映画作品の要所要所の解説は楽しめ、「仇討ち」をテーマにしたものなど、日本人の精神性を端的に表して特異とも思えるものもあり、そのうちの幾つかは、機会があれば是非観てみたいと思いました。

『四コマ漫画―北斎から「萌え」まで』.jpghokusai manga.jpg 尚、本書第1章で解説されいる手塚治虫以前のマンガの歴史は、本書にも名前の挙がっている漫画研究家・清水勲氏(帝京平成大学教授)の『四コマ漫画―北斎から「萌え」まで』('09年/岩波新書)に四コマ漫画の歴史が詳しく書かれています。清水氏の『四コマ漫画』によると、手塚治虫のメディア(新聞)デビューも、新聞の四コマ漫画であったことがわかります。

 『北斎漫画』(左)から説き始め、体裁は学術研究書に近いものの、テーマがマンガであるだけにとっつき易く、その他にも、『サザエさん』のオリジナルは、福岡の地方紙「夕刊フクニチ」の連載漫画で、磯野家が東京へ引越したところで連載を打ち切られた(作者の長谷川町子自身が東京へ引っ越したため)とか、気軽に楽しめる薀蓄話が多くありました。
  
    
       
                
松山容子2.jpg松山容子1.jpg「琴姫七変化」●演出:組田秋造●制作:松本常保●脚本:尾形十三雄/西沢治/友田大助●音楽:山田志郎●原作:松村楢宏● 出演:松山容子/秋葉浩介/田中春男/栗塚旭/野崎善彦/国友和歌子/海江田譲二/松本錦四郎/名和宏/佐治田恵子/入川保則/乃木年雄/沢琴姫七変化e02.gif井譲二/手琴姫七変化7.jpg塚茂夫/花村菊江/乗松ひろみ(扇ひろ子)/朝倉彩子●放映:1960/12~1962/12(全105回)●放送局:読売テレビ

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楽しく読め、資料的価値も高い。こうした本が出せる最後のタイミングだったかも。

名画座時代.jpg 『名画座時代―消えた映画館を探して』 ['06年]  阿奈井文彦.jpg 阿奈井 文彦 氏

 昭和30年代の映画黄金時代に最盛期を迎え、ビデオ・DVDの普及、シネコンの登場などで衰退していった「消えた映画館」のあった地を訪ね歩き、その関係者に取材して、映画への偏愛を聞き書きした本で、季刊誌「通販生活」(カタログハウス)の'02年から'05年までの連載に加筆して単行本化したもの。

 取り上げているのは、東京の映画館は、人世坐、日活名画座、佳作座、東急名画座の4館で、地方は、前橋、門司、松山、沖縄、福岡、浦河、広島、京都、倉敷の9つの町の名画座。

飯田橋佳作座.jpg 飯田橋の佳作座('88年閉館)は個人的に懐かしいですが(渋谷の東急名画座は、自分が初めて行った80年代前半頃にはもうロードショー館になっていた)、東京で「伝説の名画座」と言えば、やはり文芸坐の前身の人世坐('68年閉館)と新宿の日活名画座('72年閉館)なのでしょう。それぞれの当時の建物、パンフレットやプログラムの写真のほか、元支配人だった人への取材、日活名画座のポスターを描いていた和田誠氏へのインタヴューなどもあります。

 地方の映画館は殆ど知りませんが、この著者はかつていろいろな土地に住んだことがあるようで、著者にとっては紹介されている町の多くが想い出の地でもあり、旧支配人など、著者のインタヴューを受けた関係者の想いだけでなく、著者自身の思い入れも伝わってきます。
 また、映写技師や看板の描き屋さんだった人、当地の映画(館)ファンだった人などにも取材していて、沖縄のお医者さんで13床のベッドを潰して院内に患者向けの映写室を作ってしまった人とかもいて、スゴイなあと。

 「消えた映画館」が殆どですが、全部無くなってしまっているわけでもなく、浦河(北海道・日高管内)の大黒座みたいに、4代目の人がミニシアターとして復活させている例もあり、頑張っているなあという感じ。

 でも、当時現場にいた人の多くは既に高齢で、まさか今更取材を受けるとは思わなかったという感じで(但し、訊かれると昔のことをよく覚えている)、支配人だった人が亡くなって、その息子さんから話を伝え聞くような場面も多く、著者自身は年齢(昭和13年生まれ)の割にはフットワークはいいようですが、相手がいなければ仕方が無い・・・こうした本が出せる最後のタイミングだったかも。

 掲載されている当時の写真やポスター、オリジナルのパンフレットやチラシの数も多く(ある時期の年間の上映作品一覧などもある)、それだけでも資料としての価値はあるかと思いますが、こうした関係者の肉声が盛り込まれているのが貴重ではないかと(残念ながら生の声を聞けなかった人も多くいたわけだが)。

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とりあえず1回目の予測は外した感があるが、警戒は必要ということか。

パンデミック―2.JPG小林 照幸 パンデミック.jpg  apocalypse-outbreak-431.jpg OUTBREAK3.bmp
パンデミック―感染爆発から生き残るために (新潮新書)』 ['09年]/映画「アウトブレイク」ダスティン・ホフマン/レネ・ルッソ

インフルエンザ.jpg パンデミック(感染爆発)の脅威と、それに対し国や医療機関、個人はどう対応すべきかについて書かれた本で、「新型インフルエンザ」を主として扱ってはいますが、デング熱、マラリア、成人はしかなど、その他の感染症についても言及されています。但し、その分、「新型インフルエンザ」についての解説がやや浅くなった感じがします(帯には「『新型インフルエンザ』の恐怖」と書かれているのだが)。

 本書の刊行は'09年2月で、'03年12月に国内で発生したH5N1型の「鳥インフルエンザウイルス」をベースに、「新型インルエンザ」について、その恐ろしさ、社会に及ぼす影響が近未来小説風の描写を交えて書かれていて(著者はノンフィクションライター兼作家)、"新たな"「新型インフルエンザ」がいつ発生してもおかしくない、或いはパンデミックはすでに始まっているかも知れないとしています。

 そして、実際に本書刊行の2カ月後に「新型インフルエンザ」がメキシコに発生し、その後日本にも上陸、冬季に限らず夏場でも感染拡大する可能性があること、タミフルが一定の治療効果を持つであろうことなど、本書に書かれている幾つかの「予想」も外れていませんでしたが、そもそも、この2009年型の「新型インフルエンザ」はH1N1亜型に属するもので、感染力は強いが致死率はH5型のものよりずっと低いタイプのものでした。

 この点は、WHOも当初は読み違えていたし、また、国や厚労省もそうした弱毒性のインフルエンザを想定していなかったために、却って余計な混乱を招いたという面があり、本書も「新型インフルエンザがH5N1型で発生するかどうかはわからない」と一応は書かれているものの、新型インフルエンザが発生すると「日本で約64万人が死ぬ!」などと帯にも書かれていたりして、こうした混乱を結果として助長した側面も無きにしも非ずか。

 後半部の「対応」の部分は取材源が限定的で、役所やマスコミの発表文書を引き写したような記述も多いように思えましたが、前半部のインフルエンザの特性や、「アウトブレイク」と「パンデミック」の違いなどの解説は分かり易かったです。

OUTBREAK.jpg 映画「アウトブレイク」('95年/米)でモチーフとなった架空のウィルスは、「エイズ」をモデルにしたのかどうかは知りませんが、映画自体はスリリングな娯楽作品であると共に大変恐ろしかったし、結果として'02年にアフリカで発生した「エボラ出血熱」を予見するような内容になっていて、「予言的中度」はかなり高かったと言えるのでは。

 因みに、前世紀初頭(1918年)にアメリカ発で世界中に広まったスペイン風邪(H1N1型)で1年余りの間に4千万人が死亡し、これは中世(14世紀)ヨーロッパで大流行した黒死病(本書ではぺストとされているが腺ペストではなくエボラのような出血熱ウイルスだったという説もある)の死者3千5百万人をも上回るものだったとのことです。

 地球上の人口が増え、交通機関が発達し、日常的に人々が行き来する現代、人類にとってパンデミックが脅威であることは、著者の指摘の通りだと思います。

Rene Russo (レネ・ルッソ) in「アウトブレイク [DVD]
OUTBREAK.bmp「アウトブレイク.jpg 「アウトブレイク」●原題:OUTBREAK●制作年:1995年●制作国:アメリカ●監督:ウォルフガング・ペーターゼン●製作:ゲイル・カッツ/アーノルド・コペルソン●脚本:ローレンス・ドゥウォレットアウトブレイク01.jpg/ロバート・ロイ・プール●撮影:ミヒャエル・バルハウス●音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード●時間:127分●出演:ダスティン・ホフマン/レネ・ルッソモーガン・フリーマン/ケヴィン・スペイシー/キューバ・グッディング・ジュニア/ドナルド・サザーランド/パトリック・デンプシー●日本公開:1995/04●配給:ワーナー・ブラザース映画(評価:★★★★)

レネ・ルッソ in「メジャーリーグ」('89年)映画デビュー作
レネ・ルッソ メジャーリーグ2.jpgレネ・ルッソ メジャーリーグ.jpg

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岩石惑星・ガス惑星・氷惑星の区分で同類型とされる惑星同士でも、それぞれに違いがあることがよく分かった。

ここまでわかった新・太陽系.jpg ここまでわかった新・太陽系 カバー無し.jpg 『ここまでわかった新・太陽系 太陽も地球も月も同じときにできてるの?銀河系に地球型惑星はどれだけあるの? (サイエンス・アイ新書)』 ['09年]
ここまでわかった新・太陽系 図.jpg
 同じソフトバンククリエイティブの"サイエンス・アイ新書"の『宇宙の新常識100―宇宙の姿からその進化、宇宙論、宇宙開発まで、あなたの常識をリフレッシュ!』('08年)(こちらもサブタイトルが長い!)を先に読んで、その中でも特に、太陽系に関しては近年いろいろなことが判ってきたということ(例えば、太陽系の大きさは、従来考えられていたより100倍から1000倍大きいことが分かったとか)を知り、本書を手にしました。

 このシリーズ、思わず"ジャケ買い"してしまいそうな表紙のものが多いのですが、この"宇宙モノ"は『宇宙の新常識100』もそうでしたが、図版のグラフィックがNASAの専属CGグラフィック・アーティストのものを多く掲載していて綺麗で、しかも、中身も充実しています。

ここまでわかった新・太陽系2.jpg 太陽系の惑星は、岩石惑星(地球・水星・金星・火星)とガス惑星(木星・土星)、氷惑星(天王星・海王星)に分類されますが、同類型とされる惑星でもそれぞれに違いがあることがよく分かり、また小惑星や彗星、外縁天体、衛星など惑星以外の天体もそれぞれに"個性的"であるなあと、何だか不思議な気持ちに。

 さらに解説は太陽系以外の惑星系にまで及び、太陽系では太陽から近い順に小型の岩石惑星、巨大なガス惑星、中型の氷惑星と並びますが、太陽系以外の惑星系の中には、"ホットジュピター"と呼ばれる、巨大惑星でありながら「水星」より小さな軌道で中心星の周りを回っている惑星もあるとのこと。
 また、"エキセントリック・プラネット"という、丁度、太陽系における「彗星」のような、中心星に一番近い時と遠い時で30倍も距離が変わる楕円軌道の惑星もあるとのこと。
 こうしたユニークな系外惑星は比較的最近に発見されたようですが、これらがまた、惑星系の誕生の秘密を解く鍵になるようです。

 サイエンスライターによって書かれた『宇宙の新常識100』に比べると、こちらは専門家2人の共著であり、テーマを太陽系に絞っていることもあって、やや専門性が高くなっているように感じられ("噛み砕き度"が若干劣る?)、解説を読んでも咀嚼するまでに時間を要する箇所もありましたが、文章自体は読み易く、またビジュアルの助けもあって、ストレスにはなりませんでした。
 
カラー版ハッブル望遠鏡 宇宙の謎に挑む.gif人類が生まれるための12の偶然.jpg 但し、サブタイトルの「銀河系に地球型惑星はどれだけあるの?」といった地球外生命の存在の可能性に対する問いや太陽系外の惑星の発見状況については、眞淳平氏の『人類が生まれるための12の偶然』('09年/岩波ジュニア新書)野本陽代氏の『カラー版 ハッブル望遠鏡 宇宙の謎に挑む』('09年/講談社現代新書)などの方が、丁寧に答えているように思いました。

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単行本に匹敵する内容を、携帯性を考慮して文庫に圧縮した感じで、お買い得。

東京今昔散歩.jpg 『彩色絵はがき・古地図から眺める東京今昔散歩 (中経の文庫)』 ['08年]

東京今昔散歩1.jpg 彩色絵葉書と現代の写真、江戸切絵図と現代の地図を並べて、東京の昔と今を対比したもので、江戸城・皇居から亀戸、墨堤、浅草、隅田川、上野、神田川界隈、九段坂、日本橋界隈、銀座、丸の内、霞ヶ関、赤坂・四谷、芝といった辺りをカバーしています。

 アイデアが面白いと思ったし、ちょうど自分のプライベートや仕事でよく出向く地域と本書で取り上げている地域が重なっていたため、興味を持って読むことが出来、また、その"変遷ぶり"をより楽しめました。

 オールカラーで、情報量も文庫にしては豊富。単行本に匹敵する内容を、携帯性を考慮して文庫に圧縮したという感じで、但し、基本的に1テーマ見開き構成になっているほか、デザイン・レイアウトに配慮が見られ、大変見易く、結果として税込みで700円を切る価格はお得ではないかと。

 一部、写真と絵葉書の視角にズレがあったりするもののありますが、それもそれほどには気にならず、むしろ、どの方向から写真を写したかが地図上に記載されているなどして、丁寧と言うか親切さが感じられました。
浅草六区56p.jpg 明治から大正にかけての彩色絵葉書の印刷(コロタイプ印刷)の緻密さには驚くべきものがあり、本書末尾に昭和初期のオフセット印刷との対比がありますが、時代的には後に来るオフセットを質的に格段に上回っています。

 著者は歴史・サイエンスライター、マルチメディアクリエイター、3DCG作家であると共に、明治・大正の絵葉書や古写真、江戸切絵図など古地図の蒐集家でもあるとのことですが、彩色絵葉書の方はどれぐらいの値打ちがあるのだろうか(絵葉書だから、当時それなりの枚数が流通していて、それほどでもないのかなあ。そういうものに限って、現存しているものが少ないということも考えられるけれど)。

 浅草六区 1919(大正8年)[本書p56]

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イデオロギー至上主義が人間性を踏みにじる様が具体的に描かれている。

私の紅衛兵時代6.jpg私の紅衛兵時代―ある映画監督の青春.jpg    さらばわが愛~覇王別姫.jpg 写真集さらば、わが愛/覇王別姫.jpg
私の紅衛兵時代 ある映画監督の青春 (講談社現代新書)』['90年/'06年復刻]/「さらば、わが愛覇王別姫」中国版ポスター/写真集『さらば、わが愛覇王別姫』より

陳凱歌(チェン・カイコー).jpg 中国の著名な映画監督チェン・カイコー(陳凱歌、1952年生まれ)が、60年代半ばから70年代初頭の「文化大革命」の嵐の中で過ごした自らの少年時代から青年時代にかけてを記したもので、「文革」というイデオロギー至上主義、毛沢東崇拝が、人々の人間性をいかに踏みにじったか、その凄まじさが、少年だった著者の目を通して具体的に伝わってくる内容です。

紅衛兵.jpg 著者の父親も映画人でしたが、国民党入党歴があったために共産党に拘禁され、一方、当時の共産党員幹部、知識人の子弟の多くがそうしたように、著者自身も「紅衛兵」となり、「毛沢東の良い子」になろうとします(そうしないと身が危険だから)。

 無知な少年少女が続々加入して拡大を続けた紅衛兵は、毛沢東思想を権威として暴走し、かつて恩師や親友だった人達を糾弾する、一方、党は、反国家分子の粛清を続け、"危険思想"を持つ作家を謀殺し、中には自ら命を絶った「烈士」もいたとのことです。

 そしてある日、著者の父親が護送されて自宅に戻りますが、著者は自分の父親を公衆の面前で糾弾せざるを得ない場面を迎え、父を「裏切り」ます。

 共産党ですら統制不可能となった青少年たちは、農村から学ぶ必要があるとして「下放」政策がとられ、著者自身も'69年から雲南省の山間で2年間農作業に従事しますが、ここも発狂者が出るくらい思想統制は過酷で、但し、著者自身は、様々の経験や自然の中での肉体労働を通して逞しく生きることを学びます。

 語られる数多くのエピソードは、それらが抑制されたトーンであるだけに、却って1つ1つが物語性を帯びていて、「回想」ということで"物語化"されている面もあるのではないかとも思ったりしましたが、う~ん、実際あったのだろなあ、この本に書かれているようなことが。

紅いコーリャン [DVD]」張藝謀(チャン・イーモウ)監督
紅いコーリャン .jpgチャン・イーモウ(張藝謀).jpg 結果的には「農民から学んだ」とも言える著者ですが、17年後に映画撮影のため同地を再訪し、その時撮られたのが監督デビュー作である「黄色い大地」('84年)で、撮影はチャン・イーモウ(張藝謀、1950年生まれ)だったとのこと。

 個人的には、チャン・イーモウ監督の作品は「紅いコーリャン」('87年/中国)を初めて観て('89年)、これは凄い映画であり監督だなあと思いました(この作品でデビューしたコン・リー(鞏俐)も良かった。その次の作品「菊豆<チュイトウ>」('90年/日本・中国)では、不倫の愛に燃える若妻をエロチックに演じているが、この作品も佳作)。 
               
童年往事 時の流れOX.jpg童年往事 時の流れ.png童年往時5.jpg その前月にシネヴィヴァン六本木で観た台湾映画「童年往時 時の流れ」('85年/台湾)は、中国で生まれ、一家とともに台湾へ移住した"アハ"少年の青春を描いたホウ・シャオシェン(侯孝賢、1947年生まれ)監督の自伝的作品でしたが(この後の作品「恋恋風塵」('87年/台湾)で日本でも有名に)、中国本土への望郷の念を抱いたまま亡くなった祖母との最期の別れの場面など、切ないノスタルジーと独特の虚無感が漂う佳作でした(ベルリン国際映画祭「国際批評家連盟賞」受賞作)。
【映画チラシ】童年往時/「童年往事 時の流れ [DVD]」 (パンフレット)

坊やの人形.jpg ホウ監督の作品を観たのは、一般公開前にパルコスペースPART3で観た「坊やの人形」('83年/台湾)に続いて2本目で、「坊やの人形」は、サンドイッチマンという顔に化粧をする商売柄(チンドン屋に近い?)、家に帰ってくるや自分の赤ん坊を抱こうとするも、赤ん坊に父親だと認識されず、却って怖がられてしまう若い男の悲喜侯孝賢.jpg劇を描いたもので、台湾の3監督によるオムニバス映画の内の1小品。他の2本も台湾の庶民の日常を描いて、お金こそかかっていませんが、何れもハイレベルの出来でした。

坊やの人形 [DVD]」/侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督

 両監督作とも実力派ならではのものだと思いましたが、同じ中国(または台湾)系でもチャン・イーモウ(張藝謀)とホウ・シャオシェン(侯孝賢)では、「黒澤」と「小津」の違いと言うか(侯孝賢は小津安二郎を尊敬している)、随分違うなあと。

陳凱歌監督 in 第46回カンヌ映画祭 「さらば、わが愛~覇王別姫 [DVD]」 /レスリー・チャン(「欲望の翼」「ブエノスアイレス」)
覇王別姫第46回カンヌ映画祭パルムドール.jpgさらば、わが愛/覇王別姫.jpg覇王別姫.jpg「さrあばわが愛」チェン.jpg 一方、チェン・カイコー(陳凱歌)監督の名が日本でも広く知られるようになったのは、もっと後の、1993年・第46回カンヌ国際映画祭パルム・ドール並びに国際映画祭国際映画批評家連盟賞受賞作「さらば、わが愛/覇王別姫」('93年/香港)の公開('94年)以降でしょう。米国でも評価され、ゴールデングローブ賞外国語映画賞、ニューヨーク映画批評家協会賞外国語映画賞などをを受賞しています(これも良かった。妖しい魅力のレスリー・チャン、残念なことに自殺してしまったなあ)。
さらば、わが愛/覇王別姫 4K修復版Blu-ray [Blu-ray]」(2023)
「さらば、わが愛/覇王別姫」00.jpg(●2023年10月12日、シネマート新宿にて4K修復版を鑑賞(劇場で観るのは初)。張國榮(レスリー・チャン)と鞏俐(コン・リー)が一人の男を巡って恋敵となるという、ある意味"空前絶後"的映画だったと改めて思った。)

 本書も刊行されたのは'90年ですが、その頃はチェン・カイコー監督の名があまり知られていなかったせいか、一旦絶版になり、「復刊ドットコム」などで復刊要望が集まっていたのが'06年に実際に復刻し、自分自身も復刻版(著者による「復刊のためのあとがき」と訳者によるフィルモグラフィー付)で読んだのが初めてでした。

 「さらば、わが愛/覇王別姫」にも「紅いコーリャン」にも「文革」の影響は色濃く滲んでいますが、前者を監督したチェン・カイコー監督は早々と米国に移住し(本書はニューヨークで書かれた)、ハリウッドにも進出、後者を監督したチャン・イーモウ監督は、かつては中国本国ではその作品が度々上映禁止になっていたのが、'08年には北京五輪の開会式の演出を任されるなど、それぞれに華々しい活躍ぶりです(体制にとり込まれたとの見方もあるが...)。


「中国問題」の内幕.jpg中国、建国60周年記念式典.jpg 中国は今月('09年10月1日)建国60周年を迎え、しかし今も、共産党の内部では熾烈な権力抗争が続いて(このことは、清水美和氏の『「中国問題」の内幕』('08年/ちくま新書)に詳しい)、一方で、ここのところの世界的な経済危機にも関わらず、高い経済成長率を維持していますが(GDPは間もなく日本を抜いて世界第2位となる)、今や経済界のリーダーとなっている人達の中にも文革や下放を経験した人は多くいるでしょう。記念式典パレードで一際目立っていたのが毛沢東と鄧小平の肖像画で、「改革解放30年」というキャッチコピーは鄧小平への称賛ともとれます(因みに、このパレードの演出を担当したのもチャン・イーモウ)。

 中国人がイデオロギーやスローガンに殉じ易い気質であることを、著者が歴史的な宗教意識の希薄さの点から考察しているのが興味深かったです。
 
童年往来事ド.jpg「童年往時/時の流れ」●原題:童年往来事 THE TIME TO LIVE AND THE TIME TO DIE●制作年:1985年●制作国:台湾●監督:侯孝賢(ホウ・シャオシェン)●製作:徐国良(シュ・クオリヤン)●脚本:侯孝賢(ホウ・シャオシェンシネヴィヴァン六本木.jpg)/朱天文(ジュー・ティエンウェン)●撮影:李屏賓(リー・ピンビン)●音楽:呉楚楚(ウー・チュチュ)●時間:138分●出演:游安順(ユーアンシュ)/辛樹芬(シン・シューフェン)/田豊(ティェン・フォン)/梅芳(メイ・フアン)●日本公開:1988/12●配給:シネセゾン●最初に観た場所:シネヴィヴァン六本木(89-01-15)(評価:★★★★)
シネヴィヴァン六本木 1983(平成5)年11月19日オープン/1999(平成11)年12月25日閉館

坊やの人形 <HDデジタルリマスター版> [Blu-ray]
坊やの人形 00.jpg坊やの人形 00L.jpg「坊やの人形」(「シャオチの帽子」「りんごの味」)●原題:兒子的大玩具 THE SANDWICHMAN●制作年:1983年●制作国:台湾●監督:侯孝賢(ホウ・シャオシェン)/曹壮祥(ゾン・ジュアンシャン)/萬仁(ワン・レン)●製作:明驥(ミン・ジー)●脚本:呉念眞(ウー・ニェンジェン)●撮影:Chen Kun Hou●原作:ホワン・チュンミン●時間:138分●出演:陳博正(チェン・ボージョン)/楊麗音(ヤン・リーイン)/曽国峯(ゾン・グオフォン)/金鼎(ジン・ディン)/方定台(ファン・ディンタイ)/卓勝利(ジュオ・シャンリー)●日本公開:1984/10●配給:ぶな企画●最初に観た場所:渋パルコスペース Part3.jpg渋谷シネクイント劇場内.jpgCINE QUINTO tizu.jpg谷・PARCO SPACE PART3(84-06-16)(評価:★★★★)●併映:「少女・少女たち」(カレル・スミーチェク)
PARCO SPACE PART3 1981(昭和56)年9月22日、演劇、映画、ライヴパフォーマンスなどの多目的スペースとして、「パルコ・パート3」8階にオープン。1999年7月~映画館「CINE QUINTO(シネクイント)」。 2016(平成28)年8月7日閉館。

「さらば、わが愛/覇王別姫」(写真集より)/「さらば、わが愛/覇王別姫」中国版ビデオ
『さらば、わが愛/覇王別姫』(1993) 2.jpgさらばわが愛~覇王別姫.jpg「さらば、わが愛/覇王別姫」●原題:覇王別姫 FAREWELL TO MY シネマート新宿2 .jpgCONCUBI●制作年:1993年●制作国:香港●監督:陳凱歌(チェン・カイコー)●製作:徐淋/徐杰/陳凱歌/孫慧婢●脚本:李碧華/盧葦●撮影:顧長衛●音楽:趙季平(ヂャオ・ジーピン)●原作:李碧華(リー・ビーファー)●時間:172分●出演:張國榮(レスリー・チャン)/張豊毅(チャン・フォンイー)/鞏俐(コン・リー)/呂齊(リゥ・ツァイ)/葛優(グォ・ヨウ)/黄斐(ファン・フェイ)/童弟(トン・ディー)/英達(イン・ダー)●日本公開:1994/02●配給:ヘラルド・エース=日本ヘラルド映画(評価:★★★★☆)●最初に観た場所(再見)[4K版]:シネマート新宿(23-10-12)
「さらば、わが愛/覇王別姫」0.jpg

「さらば、わが愛/覇王別姫」図1.jpg

チャン・フォンイー、コン・リー、レスリー・チャン.jpgさらば、わが愛 覇王別姫 鞏俐 コン・リー.jpg鞏俐(コン・リー)in「さらば、わが愛 覇王別姫」(1993年・二ューヨーク映画批評家協会賞 助演女優賞受賞)
   
張豊毅(チャン・フォンイー)、鞏俐(コン・リー)、張國榮(レスリー・チャン)in 第46回カンヌ国際映画祭フォトセッション

レスリー・チャン in「欲望の翼('90年)」/「ブエノスアイレス」('97年)
欲望の翼01.jpg ブエノスアイレス 00.jpg

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テーマ分けにより、見やすくて充実した内容。巻末の淀川長治氏の対談もいい。

ポスターワンダーランド―シネマパラダイス.jpg(25.8 x 21.2 x 1.6 cm)    淀川長治.jpg 淀川長治(1909-1998/享年89)
ポスターワンダーランド―シネマパラダイス』['96年]

 クラシックなものから最近のものまでのポスターを集めた講談社の「ポスターワンダーランド」シリーズには、映画ポスターを集めた本書「シネマパラダイス」の他に、「酒とたばこ」('95年)、「カー・グラフィティ」('96年)などがありましたが、映画好きならやはり本書でしょう。

 洋画・邦画の主だった作品のポスターを集め、200点という掲載点数はそう多くは無いと思いますが、その分、オールカラーの図版がしっかりしていて中身は濃く、作品の選定も含め充実しています。

 見開きページごとにテーマ分けされ、「ハリウッドは歌の都」「なつかしの名画群-ハリウッド全盛期」「ヒッチコック映画の魅力」とか、「映画界、最盛の昭和30年代」「独立プロの活躍」「渡世人の美学」などと題された特集になっていて、それぞれの右ページ上に年代が書かれているのも解りやすいし、間にあるコラムやエッセイなどもいいです。

 無声映画から始まって、邦画に関しては、例えば和田誠氏のイラストによる「新宿名画座」のポスターをフューチャーしたり、洋画に関してはハリウッド映画だけでなく、東欧などのアート系のポスターなどもフォーカスしたりしています。

クライング・ゲーム.jpgふくろうの河.jpg 個人的には、巻末の淀川長治氏と新井満氏の対談が楽しめ、淀川氏がロベール・アンリコ監督の「ふくろうの河」('61年)のストーリーや、ニール・ジョーダン監督の「クライング・ゲーム」('92年)の導入部分を語る、その話ぶりの旨さに感心させられました(80歳代後半にしてスゴイ記憶力!)。

駅馬車1.jpg また、ポスターに関する話でも、日本の監督で一番ポスターにこだわったのは誰か(黒澤明)といった話や、淀川氏がユナイトで「駅馬車」の邦題をそのように決める前に予定されていたタイトル(「地獄馬車」)の話などが興味深かったです。

 あのポスターの「駅馬車」という字は、淀川氏自身がそこらにあった定規で手書きしたという話は、別のところでも読んでビックリした記憶があります(荒井魏 著 『淀川長治の遺言―映画・人生・愛』('99年/岩波書店)だったか?)。

淀川長治さんの宣伝裏話」より

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高評価作品が多い30年~50年代。40年~50年代の12作品の著者の評価を自分のと比べると...。

ミュージカル洋画 ぼくの500本.jpg     巴里のアメリカ人08.jpg バンド・ワゴン 映画poster.jpg 南太平洋 チラシ.jpg
ミュージカル洋画ぼくの500本 (文春新書)』 「巴里のアメリカ人」1シーン/「バンド・ワゴン」ポスター/「南太平洋」チラシ

 著者の外国映画ぼくの500本('03年4月)、『日本映画 ぼくの300本』('04年6月)、『外国映画 ハラハラドキドキぼくの500本』('05年11月)、『愛をめぐる洋画ぼくの500本』('06年10月)に続くシリーズ第5弾で、著者は1910年10月生まれですから、刊行年(西暦)の下2桁に90を足せば、刊行時の年齢になるわけですが、凄いなあ。

 本書で取り上げた500本は、必ずしもブロードウェイなどの舞台ミュージカルを映画化したものに限らず、広く音楽映画の全般から集めたとのことですが、確かに「これ、音楽映画だったっけ」というのもあるにせよ、500本も集めてくるのはこの人ならでは。何せ、洋画だけで1万数千本観ている方ですから(「たとえ500本でも、多少ともビデオやDVDを買ったり借りたりするときのご参考になれば幸甚である」とありますが、「たとえ500本」というのが何だか謙虚(?))。

天井桟敷の人々 パンフ.JPG『天井桟敷の人々』(1945).jpg 著者独自の「星」による採点は上の方が厳しくて、100点満点換算すると100点に該当する作品は無く、最高は90点で「天井桟敷の人々」('45年)と「ザッツ・エンタテインメント」('74年)の2作か(但し、個人的には、「天井桟敷の人々」は、一般的な「ミュージカル映画」というイメージからはやや外れているようにも思う)。
 85点の作品も限られており、やはり旧い映画に高評価の作品が多い感じで、70年代から85点・80点の作品は減り、85点は「アマデウス」('84年)が最後、以降はありません。
 これは、巻末の「ミュージカル洋画小史」で著者も書いているように、70年代半ばからミュージカル映画の急激な凋落が始まったためでしょう。

 逆に30年代から50年代にかけては高い評価の作品が目白押しですが、個人的に観ているのは40年代半ば以降かなあという感じで自分で、自分の採点と比べると次の通りです。(著者の☆1つは20点、★1つは5点)

①「天井桟敷の人々」 ('45年/仏)著者 ☆☆☆☆★★(90点)/自分 ★★★★(80点)
天井桟敷の人々1.jpg天井桟敷.jpg天井桟敷の人々 ポスター.jpg 著者は、「規模の雄大さ、精神の雄渾において比肩すべき映画はない」としており、いい作品には違いないが、3時間超の内容は結構「大河メロドラマ」的な要素も。占領下で作られたなどの付帯要素が、戦争を経験した人の評価に入ってくるのでは? 著者は「子供の頃に見た見世物小屋を思い出す」とのこと。実際にそうした見世物小屋を見たことは無いが(花園神社を除いて。あれは、戦前というより、本来は地方のものではないか)、戦後の闇市のカオスに通じる雰囲気も持った作品だし、ヌード女優から伯爵の愛人に成り上がる女主人公にもそれが体現されているような。

「天井桟敷の人々」●原題:LES ENFANTS DU PARADIS●制作年:1945年●制作国:フランス●監督:マルセル・カルネ●製作:フレッド・オラン●脚本:ジャック・プレヴェール●撮影:ロジェ・ユベール/マルク・フォサール●音楽:モーリス・ティリエ/ジョセフ・コズマ●時間:190分●出演:アルレッティ/ジャン=ルイ・バロー/ピエール・ブラッスール/マルセル・エラン/ルイ・サルー/マリア・カザレス/ピエール・ルノワール●日本公開:1952/02●配給:東宝●最初に観た場所:池袋文芸坐(82-03-21)●併映:「ネオ・ファンタジア」(ブルーノ・ボセット)

②「アメリカ交響楽」 ('45年/米)著者 ☆☆☆★★(70点)自分 ★★★☆(70点)
アメリカ交響楽 RHAPSODY IN BLUE.jpgアメリカ交響楽.jpg この映画の原題でもある「ラプソディー・イン・ブルー」や、「スワニー」「巴里のアメリカ人」「ボギーとベス」などの名曲で知られるガーシュウィンの生涯を描いた作品で、モノクロ画面が音楽を引き立てていると思った(著者は、主役を演じたロバート・アルダより、オスカー・レヴァント(本人役で出演)に思い入れがある模様)。因みに、日本で「ロード・ショー」と銘打って封切られた映画の第1号。

「アメリカ交響楽」 ●原題:RHAPSODY IN BLUE●制作年:1945年●制作国:アメリカ●監督:アーヴィン・クーパー●製作:フレッド・オラン●脚本:ハワード・コッホ●撮影:ソル・ポリート●音楽ジョージ・ガーシュウィン●時間:130分●出演:ロバート・アルダ/ジョーン・レスリー/アレクシス・スミス/チャールズ・コバーン/アルバート・バッサーマン/オスカー・レヴァント/ポール・ホワイトマン/ジョージ・ホワイト/ヘイゼル・スコット/アン・ブラウン、アル・ジョルスン/ジュリー・ビショップ●日本公開:1947/03●配給:ワーナー・ブラザース映画●最初に観た場所:テアトル新宿(85-09-23)

③「錨を上げて」 ('45年/米)著者 ☆☆☆★(65点)自分 ★★★(60点)
錨を上げて08.jpg錨を上げて2.jpg錨を上げて.jpgAnchors Aweigh.jpg 4日間の休暇を得てハリウッドへ行った2人の水夫の物語。元気のいい映画だけど、2時間20分は長かった。ジーン・ケリーがアニメ合成でトム&ジェリーと踊るシーンは「ロジャー・ラビット」の先駆けか(著者も、その技術を評価。ジーン・ケリーが呼び物の映画だとも)。
錨を上げて アニメ.jpg
「錨を上げて」●原題:ANCHORS AWEIGH●制作年:1945年●制作国:アメリカ●監督:ジョージ・シドニー●製作:ジョー・パスターナク●脚本:イソベル・レナート●撮影:ロバート・プランク/チャールズ・P・ボイル●音楽監督:ジョージー・ストール●原作:ナタリー・マーシン●時間:140分●出演:フランク・シナトラ/キャスリン・グレイソン/ジーン・ケリー/ホセ・イタービ /ディーン・ストックウェル/パメラ・ブリットン/ジョージ・シドニー●日本公開:1953/07●配給:MGM日本支社●最初に観た場所:テアトル新宿(85-10-19)

④「夜も昼も」 ('46年/米)著者 ☆☆☆★(65点)自分 ★★★(60点)
NIGHT AND DAY 1946.jpg夜も昼も NIGHT AND DAY.jpgNight and Day Cary Grant.jpg アメリカの作曲家コール・ポーターの伝記作品。著者の言う通り、「ポーターの佳曲の数々を聴かせ唄と踊りの総天然色場面を楽しませる」のが目的みたいな作品(曰く「その限りにおいては楽しい」と)。

「夜も昼も」●原題:NIGHT AND DAY●制作年:1946年●制作国:アメリカ●監督:マイケル・カーティズ●製作:アーサー・シュワルツ●脚本:チャールズ・ホフマン/レオ・タウンゼンド/ウィリアム・バワーズ●撮影:ペヴァレル・マーレイ/ウィリアム・V・スコール●音楽監督:レオ・F・フォーブステイン●原作:ナタリー・マーシン●時間:116分●出演:ケーリー・グラント/アレクシス・スミス/モンティ・ウーリー/ジニー・シムズ/ジェーン・ワイマン/カルロス・ラミレス●日本公開:1951/01●配給:セントラル●最初に観た場所:テアトル新宿(85-10-19)

⑤「赤い靴」('48年/英)著者 ☆☆☆☆(80点)自分 ★★★(60点)
赤い靴 ポスター.jpg赤い靴.jpg赤い靴2.jpg ニジンスキーとロシア・バレエ団の主宰者ディアギレフとの関係がモデルといわれているバレエもの(ハーバート・ロス監督の「ニジンスキー」('79年/英)は両者の確執にフォーカスした映画だった)だが、主人公が女性になって、「仕事か恋か」という今も変わらぬ?テーマになっている感じ。著者はモイラ・シアラーの踊りを高く評価している。ヨーロッパには「名人の作った赤い靴をはいた者は踊りの名手になれるが、一生踊り続けなければモイラ・シアラー.jpgならない」という「赤い靴」の伝説があるそうだが、「赤い靴」と言えばアンデルセンが先に思い浮かぶ(一応、そこから材を得ているとのこと)。

「赤い靴」 ●原題:THE RED SHOES●制作年:1948年●制作国:イギリス●監督:エメリック・プレスバーガー●製作:マイケル・パウエル/エメリック・プレスバーガー●脚本:マイケル・パウエル/エメリック・プレスバーガー●撮影:ジャック・カーディフ●音楽演奏:ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラ●原作:ハンス・クリスチャン・アンデルセン●時間:136分●出演:アントン・ウォルブルック/マリウス・ゴーリング/モイラ・シアラー/ロバート・ヘルプマン/レオニード・マシーン●日本公開:1950/03●配給:BCFC=NCC●最初に観た場所:高田馬場パール座(77-11-10)●併映:「トリュフォーの思春期」(フランソワ・トリュフォー)
モイラ・シアラー

⑥「イースター・パレード」('48年/英)著者 ☆☆☆☆(80点)自分 ★★★☆(70点)
Easter Parade (1949).jpgイースター・パレード dvd.jpg ジュディ・ガーランドとフレッド・アステアのコンビで、ショー・ビズものとも言え、一旦引退したアステアが、骨折のジーン・ケリーのピンチヒッター出演で頑張っていて、著者の評価も高い(戦後、初めて輸入された総天然色ミュージカルであることも影響している?)。

「イースター・パレード」●原題:EASTER PARADE●制作年:1948年●制作国:アメリカ●監督:チャールズ・ウォルターズ●製作:アーサー・フリード●脚色:シドニー・シェルダン/フランセス・グッドリッチ/アルバート・ハケット●撮影:ハリー・ストラドリング●音楽演奏:ジョニー・グリーン/ロジャー・イーデンス●原作:フランセス・グッドリッチ/アルバート・ハケット●時間:136分●出演:ジュディ・ガーランド/フレッド・アステア/ピーター・ローフォード/アン・ミラー/ジュールス・マンシュイン●日本公開:1950/02●配給:セントラル●最初に観た場所:テアトル新宿(85-10-19)

⑦「踊る大紐育」('49年/米)著者 ☆☆☆☆★(85点)自分 ★★★☆(70点)
踊る大紐育.jpg 24時間の休暇をもらった3人の水兵がニューヨークを舞台に繰り広げるミュージカル。3人が埠頭に降り立って最初に歌うのは「ニューヨーク、ニューヨーク」。振付もジーン・ケリーが担当した。著者はヴェラ=エレンの踊りが良かったと。

踊る大紐育(ニューヨーク) dvd.jpg「踊る大紐育」●原題:ON THE TOWN●制作年:1949年●制作国:アメリカ●監督:スタンリー・ドーネン●製作:アーサー・フリード●脚本:ベティ・カムデン/アドルフ・グリーン●撮影:ハロルド・ロッソン●音楽:レナード・バーンスタイン●原作:ベティ・カムデン/アドルフ・グリーン●時間:98分●出演:ジーン・ケリー/フランク・シナトラ/ジュールス・マンシン/アン・ミラー/ジュールス・マンシュイン/ベティ・ギャレット/ヴェラ・エレン●日本公開:1951/08●配給:セントラル●最初に観た場所:テアトル新宿(85-09-23)

巴里のアメリカ人 ポスター.jpg⑧「巴里のアメリカ人」 ('51年/米)著者 ☆☆☆☆★(85点)自分 ★★★★(80点)
巴里のアメリカ人2.jpg巴里のアメリカ人 dvd.jpg 音楽はジョージ・ガーシュイン。踊りもいいし、ストーリーも良く出来ている。著者の言う様に、舞台装置をユトリロやゴッホ、ロートレックなど有名画家の絵に擬えたのも楽しい。著者は「一番感心すべきはジーン・ケリー」としているが、アクロバティックな彼の踊りについていくレスリー・キャロンも中国雑伎団みたいで凄い(1951年アカデミー賞作品)。

ジーンケリーとレスリーキャロン.jpg巴里のアメリカ人09.jpg「巴里のアメリカ人」●原題:AN AMERICAN IN PARIS●制作年:1951年●制作国:アメリカ●監督:ヴィンセント・ミネリ●製作:アーサー・フリード●脚本:アラン・ジェイ・ラー「巴里のアメリカ人」 .jpgナー●撮影:アルフレッド・ギルクス●音楽:ジョージ・ガーシュイン●時間:113分●出演:ジーン・ケリー/レスリー・キャロン/オスカー・レヴァント/ジョルジュ・ゲタリー/ユージン・ボーデン/ニナ・フォック●日本公開:1952/05●配給:MGM日本支社●最初に観た場所:高田馬場パール座(78-05-27)●併映:「シェルブールの雨傘」(ジャック・ドゥミ)

⑨「バンド・ワゴン」('53年/米)著者 ☆☆☆☆★(85点)自分 ★★★★(80点)
バンド・ワゴン08.jpgバンド・ワゴン2.jpgバンド・ワゴン.jpgバンド・ワゴン 特別版 [DVD].jpgシド・チャリシー.jpg 落ち目のスター、フレッド・アステアの再起物語で、「イースター・パレード」以上にショー・ビズもの色合いが強い作品だが、コメディタッチで明るい。ストーリーは予定調和だが、本書によれば、ミッキー・スピレーンの探偵小説のパロディが織り込まれているとのことで、そうしたことも含め、通好みの作品かも。但し、アステアとシド・チャリシーの踊りだけでも十分楽しめる。シド・チャリシーの踊りも、レスリー・キャロンと双璧と言っていぐらいスゴイ。

THE BANDO WAGON.jpg「バンド・ワゴン」●原題:THE BANDO WAGON●制作年:1953年●制作国:アメリカ●監督:ヴィンセント・ミネリ●製作:アーサー・フリード●脚本:ベティ・コムデン/アドルフ・グリーン●撮影:ハリー・ジャクソン●音楽:アドルフ・ドイッチ/コンラッド・サリンジャー●時間:112分●出演:フレッド・アステア/シド・チャリシー/オスカー・レヴァント/ナネット・ファブレー●日本公開:1953/12●配給:MGM●最初に観た場所:テアトル新宿(85-10-19)

⑩「パリの恋人」('53年/米)著者 ☆☆☆☆(80点)自分 ★★★☆(70点)
パリの恋人dvd.jpg『パリの恋人』(1957).jpgパリの恋人 映画ポスター.jpg 著者曰く「すばらしいファション・ミュージカル」であり、オードリー・ヘプバーンの魅力がたっぷり味わえると(原題の「ファニー・フェイス」はもちろんヘップバーンのことを指す)。Funny Face.jpg 衣装はジバンシー、音楽はガーシュウィンで、音楽と併せて、女性であればファッションも楽しめるのは確か。'S Wonderful.bmp ちょっと「マイ・フェア・レディ」に似た話で、「マイ・フェア・レディ」が吹替えなのに対し、こっちはオードリー・ヘプバーン本人の肉声の歌が聴ける。それにしても、一旦引退したこともあるはずのアステアが元気で、とても57才とは思えない。結局、更に20余年、「ザッツ・エンタテインメント」('74年)まで活躍したから、ある意味"超人"的。

『パリの恋人』(1957) 2.jpgパリの恋人 パンフ.jpg「パリの恋人」●原題:FUNNY FACE●制作年:1956年●制作国:アメリカ●監督:スパリの恋人 パンフ.jpgタンリー・ドーネン●製作:アーサー・フリード●脚本:レナード・ガーシェ●撮影:レイ・ジューン●音楽:ジョージ・ガーシュウィン/アドルフ・ドイッチ●時間:103分●出演:オードリー・ヘプバーン/フレッド・アステア/ケイ・トンプスン/ミシェル・オークレール●日本公開:1957/02●配給:パラマウント映画●最初に観た場所:高田馬場ACTミニシアター(85-11-03)●併映:「リリー・マルレーン」(ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー) 
  
南太平洋パンフレット.jpg⑪「南太平洋」('58年/米)著者 ☆☆☆★(65点)自分 ★★★☆(70点)
 1949年初演のブロードウェイミュージカルの監督であるジョシュア・ローガンが映画版でもそのまま監督したもので、ハワイのカウアイ島でロケが行われた(一度だけ行ったことがあるが、火山活動によって出来た島らしい、渓谷や湿地帯ジャングルなど、野趣溢「南太平洋」(自由が丘武蔵野館).jpgれる自然が満喫できる島だった)。著者は「戦時色濃厚な」作品であるため、あまり好きになれないようだが、それを言うなら、著者が高得点をつけている「シェルブールの雨傘」などは、フランス側の視点でしか描かれていないとも言えるのでは。超エスニック、大規模ロケ映画で、空も海も恐ろしいくらい青い(カラーフィルターのせいか? フィルターの色が濃すぎて技術的に失敗しているとみる人もいるようだ)。トロピカル・ナンバーの定番になった主題歌「バリ・ハイ」や「魅惑の宵」などの歌曲もいい。

「南太平洋」映画チラシ/期間限定再公開(自由が丘武蔵野館) 1987(昭和62)年7月4日~7月31日 
       
南太平洋(87R).jpg南太平洋.jpg「南太平洋」●原題:SOUTH PACIFIC●制作年:1958年●制作国:アメリカ●監督:ジョシュア・ローガン●製作:バディ・アドラー●脚本:ポール・オスボーン●撮影:レオン・シャムロイ●音楽:リチャード・ロジャース●原作:ジェームズ・A・ミッチェナー「南太平洋物語」●原作戯曲:オスカー・ハマースタイン2世/リチャード・ロジャース/ジョシュア・ローガン●時間:156分●出演:ロッサノ・ブラッツィ/ミッチ自由が丘武蔵野館.jpgー・ゲイナー/ジョン・カー/レイ・ウォルストン/フランス・ニューエン/ラス・モーガン●日本公開:1959/11●配給:20世紀フォックス●最初に観た場所:自由が丘武蔵野館(87-07-05)(リバイバル・ロードショー) 自由が丘武蔵野館 (旧・自由が丘武蔵野推理) 1951年「自由が丘武蔵野推理」オープン。1985(昭和60)年11月いったん閉館し改築、「自由が丘武蔵野館」と改称し再オープン。2004(平成16)年2月29日閉館。
   
⑫「黒いオルフェ」('59年/仏)著者 ☆☆☆☆(80点)自分 ★★★★(80点)
黒いオルフェ2.jpg黒いオルフェ (1959).jpg黒いオルフェ dvd.jpg 娯楽作品と言うより芸術作品。ジャン・コクトーの「オルフェ」('50年)と同じギリシア神話をベースにしているとのことだが、ちょっと難解な部分も。著者も言うように、リオのカーニヴァルの描写が素晴らしい。カンヌ国際映画祭パルム・ドール、アカデミー外国映画賞の受賞作。

「黒いオルフェ」●原題:ORFEO NEGRO●制作年:1959年●制作国:フランス●監督:マルセル・カミュ●製作:バディ・アドラー●脚本:マルセル・カミュ/ジャック・ヴィオ●撮影:ジャン・ブールゴワン●音楽:アントニオ・カルロス・ジョビン/ルイス・ボンファ●原作:ヴィニシウス・デ・モライス●時間:107分●出演:ブレノ・メロ/マルペッサ・ドーン/マルセル・カミュ/ファウスト・グエルゾーニ/ルルデス・デ・オリベイラ/レア・ガルシア/アデマール・ダ・シルバ●日本公開:1960/07●配給:東和●最初に観た場所:八重洲スター座(79-04-15)

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