【1143】 ○ 松谷 みよ子(作)/味戸 ケイコ(絵) 『わたしのいもうと (1987/12 偕成社) ★★★★

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事実だったのかと思うとかなり重い。本人だけでなく家族をも苦しめる"いじめ"。

わたしのいもうと.jpg 『わたしのいもうと (新編・絵本平和のために)』 (1987/12 偕成社)

『わたしのいもうと』.jpg 1987(昭和62)年に刊行された絵本で、児童文学者である作者のもとへ届いたある手紙がもとになっており、その手紙には、小学4年の妹が転校した学校でいじめに遭い、その後に心を病んで亡くなったということが姉の立場から綴られていたとのことで、事実だったのかと思うとかなり重いです。

 妹には体中につねられたあとがあり、学校へ行けなくなって食べ物も食べられなくなり、母親は必死で、唇にスープを流し込み、抱きしめて一緒に眠り、その時は何とか妹は命をとりとめる―。

 「いじめた子たちは中学生になって、セーラーふくでかよいます。ふざけっこしながら、かばんをふりまわしながら。
 でも、いもうとはずうっとへやにとじこもって、本もよみません。おんがくもききません。だまって、どこかを見ているのです。ふりむいてもくれないのです。
 そしてまた、としつきがたち、いもうとをいじめた子たちは高校生。まどのそとをとおっていきます。わらいながら、おしゃべりしながら...。
 このごろいもうとは、おりがみをおるようになりました。あかいつる、あおいつる、しろいつる、つるにうずまって。でも、やっぱりふりむいてはくれないのです。口をきいてくれないのです。」

 いじめられた妹が鶴を折るのは、彼女が生きるために選んだ方法であったとも言え、それに対して母親も泣きながら隣の部屋で鶴を折るしか彼女の気持ちを共有する術が無いというのがやるせないですが、結局、妹は最後に"生きるのをやめる"ことを選択する―。
 「わたしをいじめたひとたちは もう わたしを わすれてしまったでしょうね」という言葉を残して。

 子の苦しみを共に分かち合い切れなかった母親の哀しみや、それらを見続けた姉の苦悩が伝わってくる一方で、かつての級友らが妹をいじめて何の良心の呵責も感じることなく生を謳歌していることに対する理不尽さを、姉が強く感じていることも窺えます。

 小学校中学年以上向きとのことですが、大人が読んでも考えさせられることの多い絵本であり、むしろ、これだけストレートな内容だと、子供に対するこの絵本の与え方は難しいと言えるかも。
 教育現場などでは、道徳の時間に副読本として使用することもあるようですが、"読み方マニュアル"みたいなものが出来てしまうことに対しても、個人的にはやや違和感があります。

 しかし現実には、こうしたいじめは、今もかつてより高い頻度で発生しているわけで、学校の授業で読み解きを行うのは必要なことかも(図書室に置きっ放しになっているよりはいい)。
 家庭内だと、親が読んでいつか子供に聞かせようと思っていても、なかなかそうした状況にならないのではないかなあ、内容が重すぎて。

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松谷みよ子(まつたに・みよこ、本名・美代子=みよこ)2015年2月28日、老衰で死去。89歳。

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