【1129】 ○ 吉村 昭 『高熱隧道(ずいどう) (1967/06 新潮社) ★★★★

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国策事業の中での男達の自然との戦い、土木会社の工事指揮者と人夫らの葛藤を描く。

『高熱隧道』   .jpg高熱隧道(ずいどう).jpg 高熱隧道.jpg
高熱隧道 (新潮文庫)』旧カバー版

 労災保険料の料率は事業の種類によって異なり、仕事の危険度が高いほど保険料率は高くなります。平成21年4月からの料率は、「その他(一般)の事業」の場合0.3%ですが、「その他(一般)の建設事業」は1.9%、「その他(一般)の鉱業」の場合は2.4%、これに対し、建設事業の中でも、本書の題材となっている「水力発電施設、ずい道等新設事業」の保険料率は10.3%であり(つまり、賃金の10%以上の労災保険料がかかる)、これは通常の事業の34.3倍という高い保険料率で、2番目、3番目に料率の高い「金属鉱業,非金属鉱業又は石炭鉱業」の8.7%、「採石業」の7.0%を大きく上回っています。このことからも、「水力発電施設、ずい道等新設事業」における作業が、今もって多くの危険を孕んだものであるとが窺えるかと思います。

『高熱隧道』.jpg「高熱隧道」(阿曽原 - 仙人谷).jpg 本書は、1967年(昭和42年)に雑誌「新潮」に発表され、同年新潮社から刊行された吉村昭(1927-2006)による、昭和11年に着工し昭和15年に完成した黒部第三発電所の建設工事を描いた記録文学ですが、その中でも特に難航を極めた阿曾原谷側の軌道トンネル工事を背景に、トンネル工事期間1年4カ月における男達の自然との戦い、土木会社の工事指揮者と人夫らの葛藤を描いた、その作業内容の過酷さは実際に凄まじいものでした。
高熱隧道(阿曽原 - 仙人谷)

文庫新カバー版

 急峻な崖の続く黒部峡谷、加えて冬の豪雪、更には阿曾原谷が温泉脈に近いため、岩盤温度がトンネルの掘り始めで65℃、掘り進むと160℃を超え、高熱のため人夫たちの体力が持たないし、発破用のダイナマイトが自然発火して爆発する危険もあるという、今ならば完全に「労働安全衛生法」違反の作業環境であり、当時においてもあまりにも犠牲者が多い事から富山県警察部から再三に渡って工事中止命令が出されたとのことですが、日本がアジア・太平洋戦争に突き進んでいく中、電力供給を担った国策事業としてほぼ強行的に工事が行われていたという背景があります。

 但し、軍関係者が見ても作業をストップさせるかもしれないほどの危険な作業環境であり(彼ら視察に来ても、熱くて奥まで行けず、結局作業の実態は隠蔽され続けるのだが)、土木会社の中には人夫達が作業放棄したために工事そのものから撤退するところもある中、この小説の主人公である佐川組の男達は作業指揮を継続し、人夫らもそれについてくる―そこには(人夫達にはとっては高額の日当が魅力的であるということもあるにせよ)1つの事業をやり遂げようという気迫が感じられます。

 作業する人夫たちにホースで水を放水し、その放水している者に更に放水をするということを数珠繋ぎに繋げていくような作業環境の中、ついにダイナマイトの自然発火による爆発事故が起きてしまい8名の死者が出ますが、佐川組の工事事務所長の根津は、遺体を回収し、人夫達の目前で肉片となったそれを手にして繋ぎ合わせ、8体の遺体を形づくる―。
 凄まじい"葬送"の場面ですが、こうした彼の行為が人夫達の気持ちをひとつにし、トンネル工事は進められていきます。

 しかし今度は"泡(ほう)なだれ" という特殊な雪崩による事故が起きて84人もの死者が出てしまい、更に根津ら工事関係者は奔走しますが、坑道の切端が突き抜け工事が一区切りついたところで、人夫頭からダイナマイトが盗まれるなど不穏な動きがあることを知らされ、彼らは急遽山を下りることになります。

 人夫達の怨念のようなものは簡単に消せるものではなくむしろ累積していくものであり、「プロジェクトX」みたいなハッピーエンドの物語となっていないところに、こうした戦前の国策事業の特異な枠組みと実態の苛烈さが窺えます。

 登場人物は作者の創作ですが、所謂"昭和の大工事"とされた黒部川第四発電所建設での犠牲者が171名に対し、この第三発電所建設は全工区で300名以上の死者を出ており、小説の背景となった阿曾原谷側工事だけでも188名の死者が出ているというのは、記録に残る事実です。

 【1975年文庫化〔新潮文庫〕】

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This page contains a single entry by wada published on 2009年3月21日 23:31.

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